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(3)神の摂理(法則)による生物の創造と支配

――神の摂理によって創造された生命体と生命界

神は、宇宙という物質世界を物理法則によって創造し支配しています。そして生命体(生物)を生命法則によって創造し支配しています。ここでは神の摂理の一つである「生命法則」による生命体と生命界の創造と、その支配について見ていきます。

1)物質界と生命界の線引き

物質体と生命体の違い

先ほどまで活動していた人間が突如“死”を迎え、その死体を前にするとき、「生命とは何なのか?」「死とは何なのか?」と考えざるをえなくなります。生きている人間と死体との違いは、いったい何なのでしょうか。

生命体(生物)は“死”とともに生命活動を終え、それを構成していた身体は元素に分解され、物質界に吸収されて消滅することになります。死によって物体になった生命体は「物理法則(エントロピー増大の法則)」の支配を受けるようになり、分解・消滅というプロセスをたどることになるのです。人間が“生命体”として存在しているかぎり、その肉体が自然に崩壊し消滅してしまうようなことはありません。死によって肉体がただの物体となったとき、初めて崩壊・分解という現象が発生するようになるのです。

こうした事実によれば、生命体(生物)を単なる物質体と考えることはできないことは明らかです。それは物理法則では生命現象を説明することはできない、ということを意味しています。「生きている状態」と「死んでいる状態」を科学的に説明することはできません。物理法則に照らしてみると、生命界では物質界にはない現象が次々と発生していることが分かります。死体と生体では体重も外観も構成要素(元素)も全く変わりませんが、両者は根本的に違っています。死体は物質(物体)ですが、生命体は単なる物質(物体)ではないのです。このように物質界と生命界との間には、厳然とした一線が引かれています。

「生命法則」による生命活動――“代謝と生殖”

地球上の生命体(植物・動物・人間)が物体と違っているのは、「生命活動」をしているということです。生命活動の一つが“エネルギー代謝”で、外部から物質やエネルギー源を取り入れ、体内でそれを燃焼させてエネルギーを発生させ、燃焼の後は不必要になった物質を体外に捨て去ります。そうして獲得したエネルギーを用いて、さまざまな活動をすることになります。生命体は、このような一連の生命活動(エネルギー代謝)を通して、生命を維持しています。生命体の多くは、エネルギー代謝の際、外部から酸素を取り入れそれを利用して体内で燃焼を進めるのですが、生体内の燃焼は物質界における酸素を用いた燃焼とは大きく異なります。物質界での燃焼は短時間に高温の熱が発生しますが、もしそれが生物の体内で起きると、生体そのものがダメージを受けて死を迎えることになってしまいます。そうならないために生体には優れた仕組みがあって燃焼がゆっくりと行われ、一度に高温の熱が発生しないようになっています。生物には、こうした優れたシステムが備わっているのです。

生命体(生物)が持っている体温は、体内で物質を燃焼させたために発生したものです。死によって肉体が単なる物質になってしまうと、体内でのエネルギー代謝は停止し、熱が発生しなくなります。そして肉体は、外部の物質的環境と同じ温度になってしまいます。誰もが人間の体温を当たり前のものと思っているため、死とともに突如、肉体が冷たくなってしまったように感じるのです。

生命体は、こうした代謝以外にも“生殖活動”を行って子孫を生み出し、種を維持しています。いずれの生命体も生殖活動を通して子孫を残そうとしますが、物質体がそうした活動をすることはありません。

代謝や生殖といった生命体だけに特有の生命活動はすべて、神によって生命が付与され、そこに「生命法則」が働くことで発生します。もちろん生命体に働く生命法則の種類は無数に及び、単一の法則によってその活動がなされているのではありません。神の計画・意図のもとで、無数の摂理が合目的性を持って働くことで生命活動が営まれ、生命現象が発生するようになっているのです。

物理法則が証明する物質体と生命体の根本的な違い――「エントロピー増大の法則」が意味するもの

物理学の中に、「エネルギー保存の法則」と「エントロピー増大の法則」と呼ばれる2つの熱力学の法則があります。この2つの物理法則は科学の根本とされていますが、そのうちの「エントロピーの法則」は、物質界と生命界との違いを科学的に証明する理論となっています。それは同時に、“生命は偶然に存在するようになった”という「生命偶然発生説」や「唯物論的進化論」の間違いを証明する根拠にもなっています。

“エントロピー”とは、無秩序・乱雑さ――言い換えれば秩序からのズレのことです。つまり「エントロピー増大の法則」とは、秩序ある存在物は、外部から力を加えないかぎり時間の経過とともに秩序を失い、無秩序状態へ移行していく(エントロピーが増大していく)という理論です。秩序から無秩序へと移行していくことを、エントロピーの増大と表現しているのです。物質は、高度な秩序形態からしだいに無秩序な形態へ、より低い秩序形態へと移行していくという法則です。

例えば、泥でつくった人形を空気中に放置しておくと、それは時間とともに徐々に崩壊し、やがて材料の泥だけになり外形を失ってしまいます。「エントロピー増大の法則」とは、こうした現象を指しています。外部から力・エネルギーを加えて形成された物体は、時間とともに秩序性を失い、素材に戻ってしまうということです。

この「エントロピー増大の法則」は物質世界を貫く法則であり、たとえ無神論者であっても受け入れざるをえない物理法則です。人間をはじめとする生物の身体も、高度に秩序化された存在です。したがって“死”によって肉体が単なる物質体になると、「エントロピーの法則」という物理法則の支配のもとで、徐々に崩壊に向かい、やがて元素に分解されてしまいます。

生命体の誕生は、「エントロピー増大の法則」という物質界を貫く大法則に反する現象です。生命の創造は、この物理法則に逆行する現象なのです。“生殖”とは、低次元の秩序状態を高次元の秩序状態に引き上げ新しい生命体を形成するというもので、「エントロピー増大の法則」に反しています。物質はエントロピーの法則下にあるため、砂糖の粉をどれほど長い時間放置しても角砂糖にはなりません。砂鉄を机の上に置いても機械はでき上がりません。人間の肉体を構成する素材・元素を揃えて並べておくだけでは、肉体はでき上がらないのです。しかし現実には、生命体は次々と誕生しています。またその肉体は「エントロピーの法則」に反して、自己を維持し続けています。

生命体という高度な組織は、外部から働きかけてエネルギーを注入しないかぎり、物質界の中で誕生することはありません。人間が手を加えエネルギーを注ぎ込まないと角砂糖や機械ができ上がらないように、外部からエネルギーが加えられないかぎり生命体が誕生することはないのです。このように生命界は、物理法則が適用されない全く別の世界と言えます。物理法則に反する生命体の誕生という事実は、物質界と生命界との間に大きな一線が引かれていることを意味しています。偶然に発生するはずのない高度な秩序を持った生命体が物質世界の中に存在しているという事実は、それが「神」という知的存在者の計画・意図・デザインのもとに形成されたとする考え方の正当性を示唆しています。偶然によって生命体が発生したと主張する「唯物論的進化論」は、物理法則を無視した間違った考え方であることは明らかです。

生命体の形成は、神の意志が「摂理(法則)」を通して働くことによってなされます。神の意志が、道具である摂理を通して働いた結果、生命体が誕生することになるのです。「エントロピー増大の法則」という物理法則は、神が物質界を支配するために定めた「摂理(法則)」です。生物の身体を構成する素材部分は「エントロピー増大の法則」の支配を受ける一方、それとは別の「生命法則」の支配が加わって生命体が存在しているのです。こうした二次元にわたる摂理の支配のもとで、生命体は存在するようになっているのです。

2)現代の分子生物学が暗示する「神の生命体創造説」

遺伝による種の継承

「エントロピー増大の法則」という物理法則に注目して、生命界と物質界の違いを述べてきました。この物理法則は――「生命体が物質界(無生命世界)の中で偶然に発生するようなことはあり得ない」ということを明らかにしています。それは「神」という知的存在者の意図・目的・デザインとそれに向けての働きかけがなければ、生命体が誕生する可能性はなかった、ということを示唆しています。実は、近年進歩が著しい分子生物学に携わる研究者の間から、それと同様の見解が示されるようになっています。

生命体と物質体の違いの一つが生殖・遺伝です。生命体の生命体たるゆえんは、生命を次の代へと伝えて“種”を維持することです。これによって種が絶えることなく子孫へと受け継がれていきます。一つの個体は死んでも、その個体は“種”として持っていたすべての情報(生物学的遺伝情報)を、生殖行為を通じて次の代へと伝えます。その役割を担っているのが「遺伝子」です。遺伝子が次世代の身体のつくり方や身体機能の情報を子孫に伝えることで生命が引き継がれ、種が存続することになるのです。

遺伝子の正体はDNA

近年、遺伝に関する研究はすさまじい発展を遂げ、DNAがすべての遺伝子の本体であることを突き止めました。これによって生命現象が科学用語で語られるようになりました。DNAは、細胞の核の中にある「デオキシリボ核酸」と呼ばれる酸性物質です。それは糖とリン酸という簡単な構造の物質が交互につながった2本の長い鎖でできています。この2本の鎖がらせん状に絡まり、ハシゴのようになっています。このハシゴに分子の文字(遺伝情報)が置かれているのです。分子の文字はすべての生物に共通で、A(アデニン)・T(チミン)・C(シトシン)・G(グアニン)という4つの塩基で表わされています。

地球上に生物が誕生して以来38億年がたちますが、その間に約1億もの生物種が現れ、そのうちの98パーセントが絶滅し、現存しているのは200万種だけです。そのすべての生物の設計図が、わずか4つの分子の文字で描かれているのです。それは微生物から人間(の肉体)に至るまで、地球上のすべての生物が共通の遺伝の仕組み・生命存続の仕組みを持っている、ということを意味します。この事実は、広大な宇宙(物質界)がわずか2種類の粒子(クオーク・レプトン)のセットと4つの力によって成立していることと、何かしら共通性を感じさせます。

DNAの持つ膨大な遺伝情報

一つの細胞に含まれるDNAの持つ情報量は、A・T・C・Gの組み合わせによって約30億にも及び、1ページに1000字書かれている1000ページの本の、1000冊分に相当します。一つの細胞にこれほど膨大な情報が内在しており、しかも肉体を形成する60兆個の細胞すべてに、同じものが含まれているのです。自然界にはA・T・C・Gに似た塩基が数多くある中で、「なぜ4つの塩基だけが選ばれたのか?」「いったい誰がこの4つの塩基を組み合わせて30億もの情報を準備したのか?」――ということになります。

合目的性を持った30億の情報

DNAは、生命体の材料(タンパク質)の種類・量を具体的に指定する指示情報(命令)です。DNAは、明確な目的に向けて指示を出します。30億の情報が共通の目的を持って全体のために協力し合うことによって一つの生命体をつくり出し、それを維持するという計画(目的)が達成されるようになっています。30億もの情報がバラバラの方向性を持っているのではなく、一つの目的に向けて一糸乱れることなく連係プレーを演じるという合目的性を持つように仕組まれているのです。それは奇跡という言葉を超えた、まさに“神業”としか言いようがないシステムです。

こうした事実を前にしたとき、従来「神」と呼ばれてきた知的デザイナーが「このような生物を造ろう」という明確なプランを立て、その意志のもとで準備されたとしか考えられなくなります。物質的進化の結果、偶然に、あるいは偶然が重なって想像もつかないようなシステムができ上がったとは、到底考えることはできません。

DNAの遺伝情報は「神の意志」の顕れ

DNAという膨大な遺伝情報は、まさに「神の意志」「神の計画」の顕れです。言うまでもなくこの情報は、人間が地球上に誕生するはるか以前に、神によって準備されたものです。現代の先端科学は、神が決めたその遺伝情報(遺伝暗号)を解読することに成功したということなのです。

その一方で科学は、遺伝子を組み替えて新たな生命をつくり出そうとする領域にまで研究を進めようとしています。これが「人間は生命のすべての秘密を知り尽くし、やがて神に取って代わる時代がくるようになる」という思い上がった考えを生み出すことになっています。

3)「進化論」の問題――唯物論的進化論は間違い・すべての生物は神が創造したもの

「神が生命体(生物)を創造した」と言うと、無神論者や唯物論者は決まって「進化論」を持ち出して反論します。地球上の種々の生命体は神が造ったものではなく、進化のプロセスの結果として存在するようになった、と言うのです。

ここでは多くの人々に常識と思われている「進化論」を取り上げ、その問題点ならびにスピリチュアリズムの見解を明らかにします。

時代遅れの仮説になりつつある「進化論」

進化論は現在まで、神の創造説に反対する唯物論的な代表的見解として、多くの科学者によって支持されてきました。

しかし現代では、これまで進化論の正当性を示すとされてきたさまざまな根拠が覆されるようになり、進化論は時代遅れの一つの仮説として位置づけされようとしています。ダーウィンの唱えた進化論は、学会の中ではすでに過去の遺物になっていますが、その後に考え出され、現在主流になっている「進化論(総合進化論)」も正当性を主張する根拠を失って衰退し、反対に「創造論」が優位になろうとしています。

日本では「進化論」に関する認識がきわめて遅れていて、学校の教科書では進化論が科学的に証明された事実であるかのように書かれています。現在の進化論の記述は、それほど遠くない時期に全面的に改められることになるでしょう。

これまで進化論を無条件に正しいものとして教育を受けてきた日本人には、最近、米国内で活発に行われるようになった進化論論争の意味が全く分かりません。アメリカ人の多くが、いまだに前近代的な信仰に固執しているといった程度の見方しかしていません。キリスト教サイドからの時代錯誤的な反抗としか考えられないのです。

しかし最近の進化論論争は、科学的な根拠をもとにしたきわめて次元の高いものなのです。時代遅れになっているのは、実は多くの日本人の常識の方なのです。

進化論の歴史的推移

進化論といえば、誰もがダーウィンの名前を思い出します。最も古典的な「進化論」がダーウィンによって唱えられてから150年が経ちましたダーウィンによる『種の起源』の出版は1859年)。その後の近代科学の発展と並行して進化論は、世界中の無神論者・唯物論者に受け入れられるようになりました。

現在主流となっている進化論は、ダーウィンの説いた単純な自然選択説・適者生存説ではなく、「突然変異」と「自然選択」を理論的支柱とするものです。DNA(遺伝子)が偶然に突然変異を引き起こし、自然選択によって適応的DNAが生き残り、そうでないものは淘汰されると考えています。この進化論は「総合進化説(ネオ・ダーウィニズム)」と呼ばれ、1930年頃に確立されました。この進化論に対してはさまざまな批判が加えられましたが、これに対抗する理論が現れなかったこともあって、現在まで主流の立場を維持してきました。

進化論の理論的崩壊

長い間、進化論は多くの人々に、科学的に証明された無謬(むびゅう)の真理のように思われてきました。そして現在の大部分の日本人も“進化論は正しいもの”と思い込んでいます。しかし進化論は1950年以降に登場するようになった最新の科学(分子生物学・遺伝子工学)によって、その正当性の根拠を次々と崩されるようになりました。その結果、現在では「総合進化論(ネオ・ダーウィニズム)」は、いつ根本から崩壊してもおかしくないような状況に立たされています。

進化論という言葉が意味しているのは、「神が生物・人間を創造したのではなく、物質世界・自然界の中で発生した偶然によって進化が促され、多種類の生物が存在するようになった」ということです。進化論では、「生物は偶然がきっかけとなってもとの形が無限に変化し、新しい生物が次々と発生するようになる」と考えます。キリスト教もスピリチュアリズムも種の実在を主張しますが、進化論では一つの種は次々と別の種に変化していくと考えるため、固定した種の存在を認めません。

キリスト教もスピリチュアリズムも、「種」は神が定めた生物界のルールであると考えます。進化論では地球上の多種類の生物は進化というプロセスによって形成されるようになったとし、キリスト教では神が種ごとに多種類の生物を創造されたと考え、この点で真っ向から対立することになります。

もし進化論者の言う「自然選択説」が正しいとするなら、進化は途切れることのない連続したプロセスになるはずです。「変異」を連続的なものととらえるなら、当然その痕跡が残されていることになります。低いレベルから高いレベルに至る生物の化石が、連続して残されていることになります。進化論者は、化石こそが進化説の正当性を証明するものであると主張してきましたが、実はその化石がダーウィンの進化論の間違いを決定的に証明することになったのです。

近年、化石研究は飛躍的に発展しました。その化石研究の結果、進化論を支持すると考えられてきた根拠が次々と否定されるようになりました。現代の化石研究によって、進化論を支持する“中間化石”がないということが明らかにされました。化石に進化の連続性を示す証拠が全くないということ、またこれまで進化のプロセスを示すとされてきたもの(始祖鳥や馬の進化図・人間の進化図の中で示されているさまざまな化石)が中間型ではないことが実証されるようになったのです始祖鳥は、爬虫類から鳥類に移行する“中間種”と考えられてきましたが、始祖鳥の化石が出た下部地層から鳥類の化石が発見されたため、始祖鳥イコール中間種という仮説は否定されることになりました)。こうしてダーウィンの唱えた「連続的進化説(漸進的進化論)」は否定されることになりました。

ダーウィンの進化説(自然選択説)は、いったん獲得した形質は子孫にそのまま伝わるとする「獲得形質の遺伝」を前提としていますが、この獲得形質の遺伝という大前提も、その後の遺伝学の登場によって完全に否定されることになりました。獲得した形質が、そのまま子孫に遺伝するようなことはないことが証明されたのです。現在では、遺伝には遺伝子が関わっていることは常識となっていますが、そうした遺伝的な法則の発見によってもダーウィンの「自然選択説」による進化論は否定されることになりました。1920年頃にはその間違いが誰の目にも明らかになり、研究者の間ではもはや見向きもされなくなってしまいました。

このようにしてダーウィンの「漸進的進化論」は否定されました。そうした中で当時研究が進められていた遺伝学の「突然変異」に注目が集まるようになりました。突然変異は急激な変化を引き起こし、一回の変化で全く新しい生物種を登場させる可能性があると考えられたのです。それはダーウィンのような漸進的進化ではなく、「突然変異による段階的変化こそが進化の事実である」という新たな仮説を生み出すことになりました。こうして進化論の流れは、自然選択説から突然変異説へと変化していくことになります。

ところが本来なら相反するはずの「自然選択説」と「突然変異説」が無理やり一つにまとめられて新しい進化理論がつくられるようになりました。それが「総合進化論(ネオ・ダーウィニズム)」だったのです。この説では従来の漸進的進化論に代わって、段階的進化論という新しいモデルがつくられました。古典的なダーウィニズムに代わって「段階的進化説(断続平衡説)」が唱えられるようになりました。それは突然変異をともなった進化が過去に発生して、これによって階段を登るように進化が促されることになったというものです。この説は1930年頃に確立し、その後、進化説の主流として現在に至っています。

「ダーウィンの進化論」と「総合進化論(ネオ・ダーウィニズム)」

「突然変異」は進化に反する

相反する自然選択説と突然変異説を無理やり一つにまとめ上げようとした説(総合進化論)も、その後の分子生物学による遺伝子研究の進展にともない、正当性の根拠を失うことになりました。「総合進化論(ネオ・ダーウィニズム)」においては突然変異が進化の主役とされ、突然変異こそが進化の唯一の原動力とされてきました。生物は突然変異の積み重ねによって進化したと考えられてきました。しかし現在の分子生物学では、突然変異は進化を進めるどころか、反対に進化を妨害・阻害することを立証しています。

「突然変異が発生してこれまでにない生物が誕生するようになり、その中から環境に適したものが生き延びていく」――こうした形で進化が促されるというのが総合進化論のストーリーですが、自然界の中で突然変異によって発生した変種(異常種)は、生き延びることができないことが明らかにされたのです。突然変異によって発生した変種は、種の維持に反するもの(大敵)として、自然淘汰されてしまいます。これは突然変異によって発生した遺伝情報は、子孫には伝えられない(遺伝しない)ということを意味しています。

進化論者は、長い期間にはいくつかの有益な突然変異もあると主張しますが、実際には突然変異という異常な出来事を通して有益な進化がもたらされることはありません。現在では、唯物論的進化論の正当性を証明する根拠は見当らなくなっています。

スピリチュアリズムにおける生物の進化についての見解――「神による生命体創造論」

では、スピリチュアリズムは生物(生命体)の進化に対して、どのように考えているのでしょうか。生物発生の歴史を概観すると、明らかに低次元の生物から出発し、徐々に次元が上がって最後に私たち人間種(ヒト)に至ったように見えます。一見すると確かに進化のプロセスのようなものが遺されているように思われます。

しかしスピリチュアリズムでは、唯物論的進化論のように偶然の積み重ねで多数の種が存在するようになったとは考えません。言うまでもなく生物のすべての種は、「神によって創造されたもの」と考えます。種どころか一つ一つの個体それ自体も、「神の意図・イメージによって創造されたもの」とします。神が生物の種ならびに個々の存在を創造するに際しては、神の意識の中にそれらの明確なイメージが先行して形成されていたということなのです。すべてが神の計画と意図に基づいて行われた結果、地球上に数多くの生物種と個々の生物が存在するようになったのです。

神は、生物を「種」に区分して、そこに属する「個々の存在」を創造されました。そうした種と個々のイメージが、神の中にあらかじめ描かれていたのです。神は、低次元の生物から徐々に次元を高めた生物へと創造のプロセスを進め、最後に人間種(ヒト)を創造しようと計画を立てました。そうした神のイメージ・計画に基づいて、低次元の生物から高次元の生物へと生物の創造が進められていき、最後に人間という最高次元の生物(生命体)の創造が完了したのです。

こうした「種ごとに創造していく」といったプロセスの中では、ダーウィンの進化論が想定するような中間形態はもともと存在していません。“中間化石”が出土しないのは、そのためです。神が計画して創造した生物の化石が出土するだけです。

「神による生命体創造論」では、生物種の創造は低次元から出発して徐々に高次元化していくため、一見すると段階的進化論のように映ります。しかし自然現象の突然変異が原動力となっているのではなく、「神の計画と意図に基づいて一つ一つがゼロから創造されている」という点で根本的に異なります。サルはサルとして神によって造られ、原人は原人として神によって造られ、人間種(ヒト)は人間種(ヒト)として神によって造られたのです。

スピリチュアリズムの生命体創造論を図示すると、次のようになります。

スピリチュアリズムの生命体創造論

きわめて特殊な人間の創造

神のイメージ・構想の中には、「生命体創造論」の特別なケースが計画されていました。それが人間の創造です。人間の創造には、それ以前の動物種の創造には全くなかった要素が付け加えられました。神によって特別に加えられた要素とは「霊的要素」です。人間以外の生物には霊的要素はありません。神は人間だけに霊的要素を付与し、永遠の個別的存在としました。地球上の生物創造計画の中で、人間は最後に他の生物とは全く異なる生物――「霊的存在」として創造されることになったのです。神の計画のもとで、人間は特別な存在として最後に創造され誕生することになったのです。

次の(4)では、霊的存在として造られた人間を取り上げ、「神の摂理」による人間の創造と支配について見ていきます。また「進化論」については、スピリチュアリズムの思想[Ⅳ]においてさらに詳しく取り上げる予定ですニューズレター47号でも「進化論」の問題を取り上げています)

シルバーバーチは、時に「進化論」を認めているような言い方をすることがあります。人間の肉体本能は動物的進化の名残であるとか、人間の肉体は進化の頂点にあるといったような言い方をしています。

しかしシルバーバーチは、決して唯物論的な進化論を認めているわけではありません。シルバーバーチは常に、神が宇宙・万物・全生命を造られたとする「創造論」を主張しています。シルバーバーチの用いる「進化」という言葉には、唯物論者が一般的に考えるような意味はありません。この点を、しっかりと押えておかなければなりません。

先に述べたように、神の中にはこれから造ろうとするすべての生物のイメージがあって、それに基づいて低次元の生物から、徐々に高次元の生物へと創造を進めていったのです。そうした「神の生物創造」のプロセスを振り返ってみると、一歩一歩進化しているように映ります。このようなプロセス全体を、シルバーバーチは「進化」という言葉で表現したのです。

神が人間を創造するとき、“人間の肉体”はそれまでの生物創造のプロセスにおいて一番高次元の“サルの肉体”に似せて造り、そこに人間独自の「霊的要素」を付与しました。このためサルと人間の肉体は、動物の中で最も似ることになったのです。サルの肉体が連続進化した結果、人間の肉体になったということではありません。

4)スピリチュアリズムの「生命体・生命界創造論」

すべての生物は神の計画によって創造された――偶然に発生した生命はない

エントロピー増大の法則物理法則の一つ)によるなら、宇宙や地球は、純粋な物質だけが存在する無生命の物質世界になっていたはずでした。唯物論者や無神論者の中には、宇宙の進化の過程で偶然に生命誕生の条件が整い生物が発生するようになったと主張する者がいます。

ではなぜ、そうした物質世界では考えられないような条件が整ったのかを考えると、とても“偶然”という言葉では説明できなくなります。「神」という知的設計者がいて、その神が「このような存在物を造ろう」というデザイン(計画)を描き、それに向けて働きかけたために奇跡的な生命発生の条件が整うことになったと考える方が、ずっと論理的です。「神」という知的設計者が創造したと考える方が、はるかに整合性があります。偶然に奇跡的なことが発生したと考えるのは、あまりにも不合理です。

物質的条件が完璧に整っても、そこから生命が発生するようなことはありません。今後どれほど科学が発達しても、無生命世界から生命を誕生させることは決してできません。いったん死んだ人間を生き返らせるようなことは絶対にできません。「生命とは何か?」という一番本質的・根源的な問題が、どこまでいっても付きまとうことになるのです。

(2)で述べた神による物質世界の創造を考え合わせると、それはより明確になります。物質界が「神の意志」のもとに形成されているとしか考えられなかったように、生命体・生命界も「神の意志」によって創造されたとしか考えられません。電子の質量がわずか1パーセント違っただけでも、中性子の質量がわずか0.1パーセント違っただけでも、地球上の生命体・人間は存在できなくなります。それほど絶妙な条件のもとで生命体は存在しているのです。

神による生命体の創造――スピリチュアリズムの「生命体・生命界創造論」

スピリチュアリズムの見解は、「神による生命界の創造」です。言うまでもなくこれは、「神がすべての生命体を創造した」というものです。物質体に生命素が付与されることで、生命体(生物)が誕生するようになります。この物質体に生命を結びつけるプロセスが、「神による生物の創造」の具体的な内容です。物質界の変化にともなって偶然に生命が発生するようになったということではありません。そうした唯物論的進化論は間違いです。

シルバーバーチは――「霊(生命素)なくして肉体の存在はありません。肉体が存在できるのは、それ以前に霊(生命素)が存在するからです。霊(生命素)が引っ込めば肉体は崩壊し、分解し、そして死滅します」『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.194)と述べています。これは、神による「物体への生命付与」という生物の創造を意味しています。

スピリチュアリズムの「生命体・生命界創造論」を図示すると次のようになります。

スピリチュアリズムの「生命体・生命界創造論」

すべての矢印は、神の摂理による働きかけを表しています。