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1)霊的成長に関する摂理〈1〉――「永遠の霊的進化の法則」

永遠の個的存在として造られた人間

霊の大海から取り出された一滴が、分霊として個別性を持つようになりました。これが人間です。“神の分霊”として地上に誕生した人間は、霊的進化の道の第一歩を踏み出すことになりました。いったん個的存在となった人間の霊は、二度と霊の大海に戻ることはありません。何億年、何十億年、そして永遠に“個”として存在し続けます。進化の暁にはニルバーナに至って神と融合・一体化するという古代インド思想は、間違っています。

現在、地球上には約200万種の生命体が存在しています。その生命体のすべてが神によって創造されましたが、その中で人間だけが、死後も個的存在として生き続けることになります。この意味で人間は、きわめて特殊な存在と言えるのです。

限りない霊的進化の歩み

大霊(神)の分霊として個別性を与えられた人間は、永遠に進化の道をたどるように定められています。この神が定めた決まりを――「永遠の霊的進化(霊的成長)の法則」と言います。霊的進化は、すべての人間にとっての宿命なのです。

この進化のプロセスは、地上人生の間だけでなく、死後霊界に行ってからも永遠に続きます。どこまで行っても進化、進化の連続です。私たち人間は、終わりのない進化のプロセスをたどる存在として造られているのです。未来永劫、進化(成長)の道を歩み続けるように方向づけられているということです。「永遠の霊的進化の法則」は、人間の霊的成長に関する最も重大で根源的な法則です。

神が人間を永遠に進化し続ける存在として創造されたことについて、シルバーバーチは次のように言っています――「進化が永遠に続くという、なぜそういうおしまいのない計画を大霊がお立てになったのか、そこのところが分かりません。いろいろと私なりに考え、また助言も得ておりますが、正直いって、これまでに得たかぎりの解答には得心がいかずにおります」『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.122)。

「永遠の霊的進化」という法則については、シルバーバーチのような高級霊でさえ理解できないほどの深い謎であるということです。肉体を持ち霊性の鈍くなった私たちに、その意味が理解できなくても当然です。神の御心の内に存在する深い理由など、私たち地上人には到底知ることはできません。

しかし、神が造られた摂理に忠実に従えば、人間にとって善い結果がもたらされることだけは間違いありません。摂理に従えば従うほど、いっそう幸福が得られるようになります。なぜなら、すべての摂理は神の愛から出発しているからです。神の摂理は「神の愛」の反映であり、より善いものを人間に与えようとするところからつくり出されたものなのです。

霊的成長の一時的ストップは、霊にとっての苦しみであり罰である

肉体という物質の壁に閉じ込められている地上人には、霊的成長が停滞する実際は自ら停滞させるのですが……ことが、それほど重大なこととは感じられません。しかし肉体を持たない霊界の霊たちにとっては、まさに一大事なのです。「霊的成長」は霊の本能から出る強烈な欲求であり、それが阻害されることは、霊にとっては最大の苦痛となります。

その苦痛はちょうど、私たち地上人が何日間も食事を与えられず、ひどい飢餓に陥るのと同じような状態と言えます。地上人は肉体本能の欲求が満たされないと苦痛を感じますが、霊界人は霊的進化という“霊的本能”の欲求が満たされないと、たいへんな苦しみを感じるようになるのです。

魂の成長が一時的に押しとどめられるというような事態は、地上で犯した“罪”に対する“罰”として引き起こされるのが普通です。地上でつくった霊的過ちが、霊界に行ってから霊的成長のストップという形で、苦しみをもたらすことになるのです。

2)霊的成長に関する摂理〈2〉――「霊優位(霊主肉従)の法則」

地上人が霊的成長をなすためには、不可欠な条件があります。それが「霊主肉従」という霊を優位にするための自己コントロールの努力です。神は霊主肉従の実践を通じて、地上人の霊的成長がもたらされるように造られました。これが霊的成長のための第1法則――すなわち「霊優位(霊主肉従)の法則」です。

地上人の霊的成長にとって、自らを霊的存在として立たしめることは絶対必要条件です。肉体という物質の中に閉じ込められた状態のままでは、霊的成長はできません。地上人は肉体に包まれて物質世界に住んでいるため、自動的に物質中心の状態に陥ってしまいます。そして肉体の中に閉じ込められた霊は、本来の働きができなくなり窒息状態に置かれます。残念なことに大半の地上人は、こうした“霊的窒息状態”のまま地上人生を歩んでいるのです。単なる肉の塊、動物と大差のない本能の奴隷、物質的欲望の家来となり、霊的存在としての最低ラインにも至っていないのが実情です。

意識的に霊的要素を心の中心に据えようとしないなら、霊は肉体の牢獄の中に閉じ込められてしまいます。本能に対して霊的意識を支配的位置に置かないかぎり、霊的成長は望めません。これが「霊優位(霊主肉従)の法則」です。

霊優位(霊主肉従)の状態を確立しようとすると、心の中で霊的意識と本能(肉的意識)の2つが激しくぶつかり合い葛藤するようになります。これが「霊肉の闘い」です。この闘いを克服することによって霊的意識が心の中心を占めるようになり、霊が心の主役になる霊主肉従の状態)と、心全体が霊的エネルギーに満たされ、明るくすがすがしくなります。愛の思いが湧き上がってくるようになります。その反対に心が本能に支配される肉主霊従の状態)と、利己的思いが湧き上がってくるようになり、物欲・肉欲が高まり批判的な思いが大きくなります。

「霊優位(霊主肉従)の法則」は、肉体を持った地上人だけに適用される法則(摂理)です。肉体を持たない霊界人には当てはまりません。霊主肉従の実践は、スピリチュアリストが目指す生活そのものと言えますが、それは具体的には、最少限の物質で満足し、本能的欲望に流されない生き方・本能の奴隷にならない生き方をするということです。すなわち質素で無欲の清らかな毎日を送るということです。

「霊的知識を有する者は、それを正しく運用して、物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば、日常生活での心の姿勢さえ正しければ、物的要素に対して最少限度の考慮を払い、決して偏ることはないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働いてあなたを支配し、生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲(みなぎ)り、ついには物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達することでしょう。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.74

3)霊的成長に関する摂理〈3〉――「利他性(利他愛)の法則」

霊的成長をなすためのもう一つの不可欠な条件は、利他愛の実践です。人間は利他愛の実践を通じて霊的成長が促されるようになっています。これが――「利他性(利他愛)の法則」です。「利他性」は宇宙を支配する摂理です。宇宙の万物の存在形式であり、運行形式となっています。すなわち万物は、他者との利他的相互関係の中で共存するように造られているということです。利他性を発揮する努力によって人間は、霊界・宇宙と一体化し調和状態に置かれます。人間の霊的成長の度合いは、この利他性をどのくらい多く体得しているか、ということで決定されます。利他性を多く有する人間であればあるほど「霊性」が優れており、霊界では高い界層に住むことになります。

利他性は人間の重要な霊的本能(魂の属性)の一つであり、他者に対する「利他愛」となって発現します。したがって利他性の法則は、人間にとっては「利他愛の法則」と言い換えることができます。人間の霊的成長は、利他愛の実践を通じて獲得されるようになっています。反対に利己性や利己的行為は、人間の霊的成長を停滞させることになります。

心が「肉主霊従」の状態にあるときには、人間は利他性(利他愛)を発現させることができません。心が「霊主肉従」であってこそ純粋な利他愛を持つことができるのです。地上人においては、「霊主肉従」と「利他愛」は常に一体不可分の関係にあります。霊主肉従は、地上人が利他愛を持つための“前提条件”となるのです。

肉体のない霊界人は、地上人と違って肉主霊従の状態に陥ることはありません。したがって霊界人には、「利他性の法則」だけが適用されることになります。

「最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。(中略)真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登って行けば、己のために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界にたどり着きます。ただ施すのみの世界です。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.143

4)霊的成長に関する摂理〈4〉――「自由意志の法則」

自らの意志によって霊的成長の方向を選択

人間は永遠に霊的進化をするように造られていますが、その霊的進化は「霊主肉従(霊優位)の努力」と「利他愛の実践」を通じて達成されます。神は、人間が自らの意志によってこうした方向を選択し、自分自身の責任において霊的進化の道を歩むように造られました。そのために神は、人間に“自由意志”を付与されたのです。

人間は、自ら霊的成長のための道を選択することも、反対に霊的成長に反する道を選択することもできます。これを――霊的成長に関する「自由意志の法則」と呼びます。

「つまり光と闇、善と悪を生む力は同じものなのです。その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということです。(中略)それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.84

(質問)「人間には自由意志があるのでしょうか。」

(答え)「あります。自由意志も大霊の摂理の一環です。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.352

摂理の支配と自由意志の問題

神の摂理の支配と人間の自由意志の問題は、長い間、思想家や宗教家を悩ませてきました。摂理と自由意志は、相反する方向性を持っています。もし人間が「神の摂理」によって完全に支配され摂理通りに行動するなら、そこには人間の勝手気ままな行為・摂理に反する行為は一切存在しないことになります。宇宙と人間社会は、完璧な善一色の世界となります。神の権威と支配は初めから最高次元にまで及び、人間は神の摂理に忠実な“善ロボット”として一生を終えることになるはずです。

しかし実際には、私たちが生きている世界はそのようにはなっていません。人間は動植物とは異なり、自由な思考活動とそれに基づく自由な行動が許されています。時には明らかに摂理に反していると思われるような非道な行為さえも、堂々と行われています。

そうした事実を前にして、“神の摂理などというもの自体存在しない”との主張が現われます。一方、多くの宗教者は「神はなぜ、自らの絶対的な権威を揺るがすような自由を人間に与えたのか?」と疑問に思ってきました。

このような状況の中で、「神の摂理」と「人間の自由意志」についての議論は続いてきました。そして現在に至るまで、この問題に明快な解答が与えられることはありませんでした。スピリチュアリズムは、人類を悩ませ続けてきたこの難問に対して――「自由意志の法則」という明瞭な解答を示しています。

「自由意志の法則」は、神の愛の反映

神が「自由意志の法則」を定めた理由を、少し踏み込んで考えてみることにしましょう。神は人間を、他の存在物(動植物)のような摂理のロボットとしては創造されませんでした。人間だけに“自由意志”を与え、自分自身の自発的判断によって霊的成長の方向性を選択し、自らの責任において霊的成長を果たすように創造されました。そして神は、人間の自由意志に対しては一切干渉しないように定められたのです。

神は、人間が摂理に従う可能性と摂理に背く可能性があることを予測したうえで、あえて“自由”という特権を与えたのです。人間に自由を与えたことで、神と人間はある意味で対等な関係に立つことになりました。

神が人間に自由意志を与え、自分と同じ立場・対等な立場に立たせたのは、すべて「神の愛」から発したことなのです。人間が自らの判断で神の摂理を実践し、神の分霊・神の子供としての権威を確立したとき、自発的な愛情関係・真の愛情関係が成立することになります。本当の愛情関係が成立するためには、自由性と独立性が保障されなければなりません。神はそのために人間に自由意志を与え、神からの独立性を持たせたのです。

人間に“自由意志”が与えられているという事実には、人間との間に真の愛情関係をつくりたいと願う神の期待が示されているのです。

自由といっても、どこまでも「制限つきの自由」

ただし、ここでもう一つの重要な点についても理解しておかなければなりません。神が人間だけに自由意志という特権を与えているといっても、それはどこまでも摂理の一定の制限(枠)内においての自由である、ということです。この枠から外れようとすると、摂理によって苦しみ・痛みという警告が発せられ、歯止めがかけられるようになります。このように神が人間に与えた自由は、無制限ではなく、摂理から外れない範囲での「制限つきの自由」であるということです。

とかく人間は、何事も自分の思い通りにできると錯覚しがちですが、そうではありません。人間は、肉体本能の正常な欲求を無視して暴飲暴食を続けると、やがて摂理によって苦しみ・痛み・病気という警告を受けることになります。その警告を無視してさらに暴飲暴食を繰り返すことは、普通の人にはできません。もしそれでも続けるならば病気は深刻化し、いずれ死を迎えるようになります。摂理に反した行為は、最後には自分の肉体そのものを滅ぼすことになってしまいます。

このように摂理に反した行為に対しては、苦しみ・痛みといったブレーキが自動的に働くようになります。この摂理のブレーキ作用によって人類は、摂理から大きく外れたままでは存在できないようになっています。否応なく摂理に一致した方向に軌道修正せざるをえなくなるのです。一見すると人間には、完全な自由が与えられているかのように映りますが、実際には人間は常に一定の枠内に拘束されているのです。

「人間には例外なく自由意志が与えられております。ただしそれは、大霊の定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。これは大霊の愛から生まれた法則で、大霊の子のすべてに平等に定められており、それを変えることは誰にもできません。その規則の範囲内において自由であるということです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.353

人間と違って動物は、本能に忠実な歩みをしています。人間の本能は摂理の枠を越えて暴走することがありますが、動物はそうではありません。動物には人間のような自由意志が与えられていないために、神の摂理の支配がそのまま行使されることになります。

苦しみによる霊的覚醒

人間にとって一番重要なことは、言うまでもなく「霊的成長」です。もし人間が霊的成長に反するようなことをすると、さまざまな「霊的苦しみ・心の痛み(不安・恐れ・悲しみ・寂しさ・孤独感・焦燥感・絶望感など)」が生じるようになります。肉体の苦しみや痛みに耐えられないように「魂の苦しみ・心の痛み」に対しても、人間はいつまでも耐え切れるものではありません。

人間は極限までの“魂の苦しみ”を体験することで霊的に目覚め、自動的に摂理の方向に向かうようになります。これが「苦しみによる霊的覚醒」です。こうして地球上の人間は、一人の例外もなく神の摂理のもとで、少しずつ霊的成長の道を歩み続けることになっています。

この「苦しみによる霊的覚醒」は、個人の霊的成長のプロセスにおいてだけでなく、人類全体に対しても、国家全体・民族全体に対してもそのまま当てはまります。地球人類は摂理による警告(苦しみ・痛み)を通じて、徐々にではあっても全体として霊的成長の方向をたどっていくことになります。

霊的成長とともに拡大する自由意志の範囲

人間の自由意志については、さらに次のような点をおさえておく必要があります。自由意志を行使できる範囲は霊的成長レベルに応じて自動的に制約される、ということです。人間の自由は、魂の進化に応じて拡大し、霊的に高くなればなるほど、自由意志を行使できる範囲が広がります。

とかく地上人は無制限の自由を手に入れていると考えがちですが、実際には、各自の霊的成長レベルに見合った一定の枠内で自由を満喫しているにすぎません。霊的成長にともなって自由が広がり、今とは比較にならないほどの喜びと満足を味わうことができるようになるのです。

5)霊的成長に関する摂理〈5〉――「因果(カルマ)の法則」

霊界・宇宙を支配する「因果の法則」

神が造られた霊界・宇宙が法則によって支配されているということは、霊界と宇宙のすべてが「原因と結果の機械的連鎖関係」の中で存在している、ということを意味します。神が造られた霊界と宇宙は、因果関係という神の定めた法則によって支配されています。この「因果の法則」の外に出られるものはありません。マクロの宇宙全体の運行も、ミクロの物質世界の運行も、すべてが因果の法則のもとに置かれています。

そしてこの因果関係は、私たち人間の心の世界に対しても、そのまま適用されるようになっています。人間にとって一番重要な霊的成長は、神が造られた「因果(カルマ)の法則」の支配を受けて進められます。

人間の霊的成長に関する「因果の法則」

人間に与えられた自由は“愛”の本質的要素であるため、神はこれを不可侵領域とされました。人間は自由意志によって自発的に霊主肉従の努力と利他愛の実践をすることができます。反対に自由意志によって自ら摂理に背き、霊的成長の道を放棄することもできます。

これが「自由意志の法則」でしたが、その際、地上人が摂理に合った歩みをすれば、それが「善い原因」となって「善い結果(霊的成長)」がもたらされるようになります。反対に「悪い原因(肉主霊従と利己的行為)」をつくれば、「悪い結果(霊的成長のストップと霊的苦しみ)」がもたらされるようになります。これが霊的成長に関する「因果の法則」――すなわち「カルマの法則」です。

「罪と罰の法則」――負のカルマの法則

摂理に反した悪い原因と、それによってもたらされる悪い結果というマイナス(負)の因果関係を、従来の宗教では「罪と罰」と呼んできました。したがって霊的成長に関するマイナスの因果の法則(負のカルマの法則)は、「罪と罰の法則」と言い換えることができます肝心な「罪と罰」の内容については、スピリチュアリズムと従来の宗教では解釈が根本的に違っていますが)

「因果の法則」の結果は、地上で現れるとはかぎらない

ここで重要な点は、「因果(カルマ)の法則」は必ずしも地上人生においてのみ適用されるものではない、ということです。地上で犯した間違った行為の結果は、地上人生の中で返ってくるとはかぎりません。地上でつくった罪(カルマ)の多くが死後、霊界において後悔や苦しみとして返ってきたり、再生人生においてさまざまな不幸や病気といった形で振りかかることになります。

しかし大半の地上人は、地上世界での悪行が霊界に行ってから自分に返ってくるという事実を実感できないため、平気で悪事を繰り返すことになります。悪いことをしても“何とかごまかしがきく”と思ってしまうのです。

物質世界だけをすべてと考えると、霊的成長に関する「因果の法則」は理解できません。霊界までも含めた広い視野に立って見るとき、厳格な因果の摂理の支配について心から納得できるようになります。死んで霊界に行った霊たちは、例外なく神の摂理の完璧さに感嘆し、摂理の支配を無条件に認めるようになります。

「自分が種を蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る――この法則から逃れることはできません。神の法則(因果の法則)はごまかすことができないのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.358〜359

「人間の行為の一つ一つについて、その賞と罰とが正確に与えられます。これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.45

「死んで霊界へ戻ってきた者に尋ねてごらんなさい。誰しもが『摂理は完璧です』と答えるはずです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.88

6)霊的成長に関する摂理〈6〉――「自己責任(自業自得)の法則」

「因果の法則」に基づく悪い結果は、すべて本人の責任であり、そのツケ(悪い結果)は本人自身が負わなければならない――これが「自己責任の法則」です。今直面している苦しみは、これまでの人生で自らがつくった悪い原因が結果となって現れたものです。その意味で、あらゆる苦しみは“自業自得”ということになります。

物質世界だけを人生のすべてと考えると、いわれのない苦しみ・不幸が一方的に与えられていると錯覚してしまいます。神が造った世界は何と不平等で不公平なところなのか、ということになってしまいます。しかしすべての結果は、前世や霊界を含めてこれまで自分自身が行ってきたことのツケなのです。なるべくしてなっている必然的な結果なのです。そこには不平等・不公平は、一切ありません。

とかく信仰心の篤い人間は、災いや不幸が生じると、神が罰を与えていると考え恐れを抱きます。その一方で、生まれ育った環境や周りの人間関係が悪いために、今自分に不当な苦しみが与えられていると考える人々も多くいます。しかし、現在味わっている苦しみは、自分自身がつくり出したものなのです。生まれつきの心身の障害・ハンディキャップも、そのほとんどが前世におけるカルマが原因となっています。

反対に、これまでの人生で「善なる原因」を積み上げてきた人は、高い霊性と霊的知識・霊的視野という「善なる結果」を手にすることになります。皆さん方が今、スピリチュアリズムと出会い、本物の霊的知識を手にするという幸運に恵まれた事実は、これまでの人生でそれにふさわしい努力をしてきたということなのです。

「その人は善いことをする自由も悪いことをする自由もあったのを、あえて悪い方を選んだ、自分で選んだのです。(中略)ならば蒔いた種は自分で刈り取らねばなりません。それが神の摂理です。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.359〜360

7)霊的成長に関する摂理〈7〉――「償い(苦しみによるカルマ清算)の法則」

摂理に背いた結果は“苦しみ”として自分自身に返ってきます。実はその苦しみは、罪の償い・罪の清算プロセスとなっています。人間は、かつて自分が犯した「摂理違反(肉主霊従・利己的行為)」を、それに等しい苦しみをもって償うようになっています。これが――「償い(苦しみによるカルマ清算)の法則」です。

苦しみの体験を通して罪が償われ、霊的成長のための足枷が取り外されることによって人生がリセットされ、霊的成長に向けて再出発できるようになります。スピリチュアル・ヒーリングで病気が奇跡的に癒されるのは、悪いカルマが切れた人だけに起きることなのです。スピリチュアル・ヒーリングでの驚異的な治癒は、すべて摂理に従って生じた結果にすぎません。

人間の再生は、この「償いの法則」に基づいて行われます。霊界において自分の地上人生を反省し、かつて地上で犯した罪が今の自分の霊性にどのような障害を引き起こしているのかを自覚するようになります。すると、その罪(カルマ)を償い清算するような再生人生を願うようになります。

再生人生では、自ら選んだ試練の内容が絶妙なタイミングで生じるようになります。罪の償いのための苦しみの体験は、病気であったり、さまざまな不幸やトラブルであったりします。地上の人間は、再生に先立って償いのための試練を自ら選択した事実をすっかり忘れてしまい、一方的に苦しみが与えられているように思いがちです。しかし本当は、地上人生における苦しみの多くは、自分自身で願い、自発的に受け入れたものなのです。それに正しく対処することで、霊的成長の道を再び歩み出せるようになります。

「その結果に対して責任を取らなくてはなりません。元にもどす努力をしなくてはなりません。紋切り型の祈りの文句を述べて心が安らぎを得たとしても、それは自分をごまかしているにすぎません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.360

「大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する――それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変わりません。神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は罪として相変わらず残っております。いいですか、それが神、私の言う大霊の摂理なのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.361

8)霊的成長に関する摂理〈8〉――「自己犠牲の法則(代価の法則)」

人間の霊的成長は、霊主肉従と利他愛という摂理に一致した実践によってなされます。その際「自己犠牲」が大きければ大きいほど、結果的に大きな霊的成長がもたらされるようになります。正しい目的のために自分を犠牲にすれば、より多くの霊的宝を手にすることができるようになるのです。全人類の幸福と向上のために自ら犠牲と苦労を買って出るなら、それに見合った多くの霊的成長が促されます。これが――「自己犠牲の法則(代価の法則)」です。言うまでもなく、間違った目的(物欲や私利私欲・この世的な利益追求)のためにどれほど犠牲を払っても、霊的成長はなされません。どこまでも「摂理にそって犠牲を払う」ということが肝心なのです。

自己犠牲とは、自分の利益を後回しにして、より多くの人々の幸せを優先して求めるということです。霊的世界の存在を認めず、死ねばすべてが終わりだと思い込んでいる人にとって自己犠牲は、損失以外の何ものでもありません。自分を犠牲にして生きることは、大半の地上人の常識からは懸け離れています。しかし霊界にいる霊たちにとって自己犠牲は、ごく当たり前の生き方なのです。現在の地球が物質中心の価値観に完全に支配されているために、それが特殊なものに映っているにすぎません。

自己犠牲は、地上における最も価値ある生き方です。最も賢明な生き方・最も得をする生き方なのです。自己犠牲は、霊主肉従と利他的実践をより徹底し、霊主肉従と利他性のレベルを高め、霊的成長をより早く促してくれる賢明な生き方なのです。「自己犠牲の法則」は、「利他性の法則」を強化する法則と言えます。

「我欲を棄て、他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.145

「何の代価も支払わずして入手できるものは、この地上界には一つもないということです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.82〜83

9)霊的成長に関する摂理〈9〉――「苦難の法則(光と陰の対照の法則)」

神の摂理に合った実践(霊主肉従・利他愛の行為)を通して霊的成長がもたらされますが、その際、実践にともなう困難・苦難を克服すればするほど、霊的成長が早く促されることになります。正しい目的にそって乗り越えた困難や障害は、霊的成長のための肥やしとなり、魂の栄養となります。摂理に一致した目的達成のために多くの苦労をすればするほど、あるいはそのためのハードルが高ければ高いほど、それを乗り越えたときにはより多くの霊的成長がもたらされます。これが――「苦難の法則」です。

地上世界は霊界とは異なり、光と陰の対照的要素から成り立っています。困難・苦難は霊的成長における陰の要素です。地上人にとってはその陰の体験が、結果的に霊的成長にとってプラスの作用をします。陰の体験によって魂が純化され、鍛えられ、光のありがたさを実感できるようになるからです。

神は地上世界を、光と陰の対照的な体験を通じて霊的成長を達成する厳しい訓練場として創造されました。地上人はその体験によって霊的視野を広げ、魂を磨くことができるようになります。地上世界では、両極の体験によって霊的成長が促されるようになっているのです。これを――「光と陰の対照の法則」と言います。この法則は、「苦難の法則」を別の角度から言い表したものです。

こうした霊的成長の仕方は地上人だけに当てはまるものであり、地上ならではの霊的成長のプロセスと言えます。環境が善(光)一色となっている霊界においては陰の体験はありませんが、地上人生では摂理を成就するための困難や障害が必ず生じるようになっています。しかしそれは考え方によっては霊的成長を早めることができる、ありがたいものなのです。困難やトラブルという霊的成長の“陰”の部分を知ることで、成長の喜びという“光”の部分をより深く理解することができるようになるからです。

地上人は、わざわざ肉体という重くうっとうしい鎧(よろい)を身にまとって生きていかなければなりませんが、それが霊的成長をより効果的に促すことになっています。地上世界が困難や障害の多い環境として造られているのは、人間の魂をより早く成長させたいと願う神の愛からの配慮なのです。まさに「かわいい子には旅をさせよ、若いうちに苦労をさせよ」という親心と言えます。

「魂の偉大さは、苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂の肥やしです。魂がその秘められた力を発揮するには、いかなる肥やしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.56

「困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中にある時はそれをありがたいと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.57

「暗黒と光、陰と日向といった、まったく対照的なものも、実は一個の統一体の側面の反射に過ぎません。陰なくしては日向もあり得ず、光なくしては暗黒もあり得ません。それと同じ理屈で、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.98

「光をありがたいと思うのは、陰と暗闇を体験すればこそです。晴天をありがたいと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和をありがたく思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしたどる道が単調であれば開発はないでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.46

10)霊的成長に関する摂理の相互関係と全体像(摂理全体のまとめ)

これまで霊的成長に関するさまざまな法則(摂理)について見てきました。これらの法則は複雑に絡み合い、組み合わさって運行されていきます。また、一つの法則に別の法則が加わって展開したり、大きな摂理の中に小さな摂理が含まれる形で進展していきます。こうして多次元的な摂理と摂理の関係が成立します。

とは言っても摂理である以上、いずれの次元においても機械的な厳格性が失われることはありません。

「法則の裏側にはまた別の次元の法則があるというふうに、幾重にも重なっております。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.143

「摂理の裏側に別の次元の摂理があります。(中略)これらが裏になり表になりながら働いているのです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.190

人間の霊的成長に関する摂理の全体像を図示すると、次のようになります。

霊的成長に関する摂理の全体像

公式サイト