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1)守護霊と地上人

私たちにとって最も重要な霊は「守護霊」です。守護霊と私たち地上人は、一対一の個人レベルにおける関係を結んでいます。地上人の魂の成長を目的として、常に一人の霊界人が守護霊として付き添い、地上人ときわめて密接なつながりを持っています。

守護霊は、私たちの「生涯の個人教師」

私たちの誰もが、地上に生まれてから今日に至るまで、ずっと一人の「守護霊」によって守り導かれてきました。今この時も、守護霊は私たちに密着し、霊的成長のために働きかけています。そしてこれからも、地上人生を終えるまでその関係は続くことになります。

守護霊は、私たちの性格・気質・前世の姿・霊的な因縁、さらには今後の人生行路から寿命に至るまで、当人に関するありとあらゆることを知り尽くしています。また、これまでの地上人生における隠れた行為についても、その一部始終を知っています。そのうえで守護霊は、私たちの「魂の成長」にとって最も適切な導きをしてくれているのです。地上には、これほどまでに完璧な指導のできる教師は存在しません。

守護霊は、私たちが地上に再生するに際して自ら選択した試練の内容についても熟知しています。そしてその内容に基づき、私たちがカルマを清算して霊的に成長していくための必要な状況をつくり出します。魂の成長をなすにふさわしい困難や厳しい道を用意するのです。そしてその一方で、私たちがその困難を乗り越え成長することができるように、陰から応援してくれるのです。私たちの願いと祈りに耳を傾け、「霊的摂理」の範囲内で可能なかぎりの援助をしてくれるのです。

また睡眠中には、私たちをあの世のいろいろな所に連れ出し、さまざまな体験をさせてくれます。そして死んでこの世を去るときには、真っ先に迎えにきて、新しい人生の手引きをしてくれます。まさに守護霊は、私たちにとっての「生涯の個人教師」、私のためだけの「専属の霊的教師」なのです。

守護霊は、私たちの「霊的な兄・姉」

守護霊は教師として、私たちの霊的指導に関わっているだけではありません。広大な宇宙の中で「神の代理者」として、私たちをストレートに神の愛で愛してくれる存在でもあるのです。その愛は、地上の肉親の愛よりも深く、自分のすべてを与え尽くし、見返りを期待することのない純粋な利他的愛です。これまでの人生で私たちを最高に愛してくれたのは、まさに「守護霊」であり、それは私たちにとっての「霊的な兄・姉」のような存在なのです。

守護霊は、私たちが落ち込んだときには背後から励ましのエネルギーを注ぎ、くじけそうになったときには勇気を与え、悲しいとき・寂しいときには慰めを与えてくれます。私たちが間違った道を歩もうとしたり、本能の誘惑に負けそうになったときには必死にそれを押しとどめようとしてくれます。疲れて動けなくなったときには力を与え、肉体を癒してくれます。また、試練の中で苦しむ私たちに対しては、摂理の範囲内で可能なかぎりの援助をしてくれるのです。

「父と子供との関係と同じです。ある目的を持って、その成就のための道から外れないように、時には忠告を与え、悲しみの中で慰めを与え、苦難の中にあっては生き抜く勇気を与えたりします。」

『霊の書/スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.204

守護霊の存在を知らない地上人の悲劇

誰もが、そうした守護霊の愛と導きを得てこの地上人生を送っているのですが、その最大の援助者の存在に気づく人は、ほとんどいません。肉体を持ち“霊的感性”が鈍くなっている地上の人間は、最も身近で親しい守護霊の存在を知ることさえできないのです。

守護霊の存在を知らない大半の人々は、常に孤独感を抱いて歩んでいます。しかし本当は今この時、私たちのすぐ背後に、私たちの「魂の成長」を自分のことのように願ってくれている存在、一片のエゴも含まない純粋な利他愛で包んでくれている守護霊がいるのです。もしその事実を少しでも実感できるとするなら、その瞬間に、今までの孤独感は消し飛んでしまいます。孤独感を持つ必要など全くなかったことを心の底から納得するようになります。

「私はいつも思うのですが、地上の人々、中でも特に霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感を持って認識してくだされば、どんなにありがたいことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないようにかばい、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。」

『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.65

今、孤独のどん底で首をうなだれ膝を抱えている人も、決して一人ではありません。地球上にいる人間で、独りぼっちにされている人は誰もいません。愛されていない人、心配してもらっていない人は一人もいないのです。それどころかすべての人間が「神の代理者」である守護霊から、宇宙よりも大きな愛で愛されているのです。守護霊の愛は、私たちの生涯にわたって注がれます。私たちはこれからもずっと、守護霊の“絶対愛”に包まれて生きていくことができるのです。守護霊の存在と愛を知れば、孤独を恐れることなど全くなくなります。

「人間を、友も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにしたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています。」

『霊の書/スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.206〜207

2)守護霊としての辛い歩み――守護霊の苦労

守護霊の霊界からの働きかけや指導は、すべて「霊的摂理」にそって行われます。またその導きは、地上人の“自由意志”を尊重し、自主性を引き出すようにして進められます。霊界サイドから地上人に対して、一方的に強制することはできません。どこまでも地上人自身が自分の判断に基づいて行動し、その結果として魂を成長させることができるように導いていくのです。これが霊的摂理にそった自由意志を尊重した指導のあり方なのです。

「威圧したり強制したりして仕事を進めるやり方は、私たちは取りません。神から授かった理性の光で導き、一歩一歩をみずからの意志で踏み出すように仕向けます。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.135

摂理にそった導きでは、しばしば苦しむ地上人を前にして手出しできない状況に遭遇することになります。それは守護霊にとって大きな心の痛みをもたらします。シルバーバーチは、そうした守護霊が味わう苦しみについて次のように述べています。

「私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。そのときの辛さは、苦しんでいる本人よりも辛いものです。しかし本人みずからの力で解決すべき問題を、この私が代わって解決してあげることは許されないのです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.73

「こちら側にいる私たちにとって耐え忍ばねばならない最大の試練は、愛情の絆で結ばれている地上の人間が苦難と闘っているのを目のあたりにしながら、それがその人の魂にとって是非とも必要であるとの認識のもとに、手をこまねいて見ていなければならない時です。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.137

労多くして実り少ない働きかけ

摂理にそった働きかけでは、守護霊は地上人に対して、ただひたすら一方的に与えるということになります。しかし、どんなにエネルギーを注ぎ力を尽くしても、地上人の自覚がないところでは、よい結果を期待することはできません。十与えて一つ、二十与えて一つの反応が得られるにすぎません。まさに忍耐だけが要求される働きかけとなります。普通の地上人ならとっくに諦めてしまうようなことが、これまで私たちに対してずっと行われてきたのです。守護霊は、決して私たちを見捨てたり諦めたりすることなく導き続けてくれたのです。

分かってみれば、守護霊ほど孤独で辛い奉仕の道を歩んでいる者は地上にはいません。誰からも理解されることなく、結果もあまり期待できない中で、ひたすら私たちの成長を願い導き続けてくれたのです。何の見返りも求めず、一方的に与え続けるという最高に孤独な道を歩んできたのです。労多くして報われることの少ない奉仕を、この私一人のために継続してきてくれたのです。

それを考えたとき、今日まで私たちが最も悲しみを与え、苦労をかけてきたのは、まさに「守護霊」であったことが分かります。一人一人にとっての最大の恩人とは、守護霊に他なりません。私たちが最も感謝すべき相手は、本当は肉親以上に守護霊でなければならないのです。しかしこれまで大半の地上人は、その最大の恩人・恩師の存在に気づくことさえありませんでした。

守護霊にとっての最大の悲しみ

地上人は何か辛いことがあると、すぐに愚痴をこぼしたり、嘆いたり、運命を呪うようなことをしてきました。そしてその度ごとに、守護霊を悲しませてきたのです。守護霊は地上人の「霊的無知」のために、どれほど辛い体験をしてきたか分かりません。

しかしそうした悲しみにもまして、守護霊にとって大きな悲しみがあります。それは霊界からの導きが実り、地上人が“スピリチュアリズム”との出会いを得たにもかかわらず、霊的真理の価値が分からずにそれを手放し、スピリチュアリズムから離れていくことです。守護霊の長年にわたる苦労の甲斐あって、いったんは最高の道にたどり着いたものの、愚かにもその宝を手放してしまうことなのです。“すべての努力が水泡に帰す”とは、まさにこのことです。霊的真理を手にしながら道を外れてしまった地上人を見るときの守護霊の悲しみは、言語に絶するものがあります。守護霊にとって、これ以上の悲しみはありません。

3)守護霊の決定

守護霊決定の2つのケース

霊界の人々はどのようにして、こうした厳しい守護霊の役目につくことになるのでしょうか。守護霊の多くは、地上へ再生する霊の「類魂の一員」から選ばれます。類魂の仲間とは、魂の成長度が同じで、霊的親和性によって結ばれている霊界の同一界層の霊的家族ですが、その中の一人の霊が「守護霊」となるのです。したがって守護霊と地上人(再生者)の霊性レベルは同じ、ということになります。

(質問)「霊界へ行って守護霊に会えばそれと分かりますか。」

「分かります。と言うのは、多くの場合、再生する前まで顔見知りの間柄だからです。」

『霊の書/スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.208

「それは霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが、大部分は血縁はありません。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.228

一方、霊的成長レベルの未熟さゆえに、摂理の作用によって幽界から直接、半強制的に地上へ再生させられるというケースも存在します。その際には、再生者の霊的レベルに見合った低い霊が守護霊となります。地上人(再生者)の霊性にふさわしい血縁者や先祖・全く面識のない他人が守護霊になります。血縁者が守護霊になるというケースは、むしろ稀なことなのです。

浅野和三郎に代表される従来の日本の心霊研究家は、守護霊は3百〜7百年前の先祖で、霊界で徳を積んだ人物の中から選ばれる、と言ってきました。しかし、これは霊的事実とは違っています。浅野の見解では、守護霊は血筋を等しくする先祖がなるということになりますが、シルバーバーチはこの見解を否定しています。シルバーバーチは――「守護霊が血縁関係者(先祖)から選ばれることはめったにない」と述べています。

浅野による和製スピリチュアリズムは、日本古来の伝統的な祖霊観をそのままベースとしており、それに強くとらわれた結果、こうした間違った「守護霊観」を説くことになってしまいました。

任命によって守護霊の立場に立つ

一般的な再生のケースでは、ある霊が地上への再生を決意すると、類魂の中心霊から一人の霊が任命され、再生者の「守護霊」になることが決まります。こうして地上に再生する「類魂の仲間(霊的家族のメンバー)」に対する献身的な歩みが始まることになります。

守護霊の任命を受けた霊は、その役目を通じて自分自身の「カルマ(摂理違反・罪)」を清算し、同時に魂の成長をなす道を歩むことになります。類魂の中心霊は、それを予測して守護霊に任命するのです。もちろん守護霊の役目を受けるについては、受ける本人の自由意志が尊重されますが、大半の霊はそれを自らの霊的成長・奉仕のチャンスとして受け入れます。

このように守護霊となることは、その霊自身にとっても霊的成長の道を歩むことであり、救いの道にもなっています。再生とは違った形で、「魂の成長」と「カルマの清算」を果たすことができるようになるのです。

「守護霊の任命はその特性を考慮して、両者(※再生者と守護霊)の進化にとっての利益の共通性を主眼として行われます。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.230

「必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまくいくのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的資質を知り尽くし、教師の才能を知り尽くせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが適確に判断できます。」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.231

守護霊は教師、地上人は生徒

一人の霊が地上に再生するに際しては、守護霊の任を引き受けてくれた友に、地上における自分の守護と導きを頼むのが普通です。しかし、その霊(再生者)もいったん地上に誕生して肉体をまとうようになると、霊界におけるそれまでの経緯を完全に忘れてしまいます。霊界では、2人は同じ「類魂仲間・霊的兄弟」でした。しかし、肉体に包まれ“脳”を介しての意識(物質的意識)を中心に生きることになった地上人と霊界にいる守護霊では、大きな隔たりができてしまいます。霊的視野・霊的真理の理解度、そして霊的純粋さにおいて、大人と赤ちゃんほどの違いが生じることになります。

ここにおいて自動的に、霊界の守護霊が「教師」で、地上の人間が「生徒」といった関係が成立することになります。そして親が手を取り我が子を育てていくように、霊界の守護霊は地上人の魂の成長のために、可能なかぎりの配慮をして導くことになります。そのプロセスについては先に述べたように、一方的に与え尽くすだけの労多くして実り少ない厳しい道となります。

4)地上人サイドから守護霊に近づく努力を!

守護霊こそ、地上人にとっての最高の教師・一番の恩人であり、誰よりも純粋な愛で愛してくれる兄・姉であり、最も信頼できる親友と言えます。そして私たちのために苦労を引き受け、苦しんでくれる方なのです。ゆえに私たちが真っ先に感謝すべき相手は「守護霊」ということになります。「守護霊」こそ、神についで感謝を捧げるべき存在なのです。

何度も述べたように、守護霊の働きかけは労多く虚しいものとなりますが、その原因は、地上人が守護霊についての事実を全く知らないところにあります。そのため、せっかくの守護霊の献身的行為も一方的なものに終わってしまうのです。

もし地上の人間が、こうした守護霊の実情を知り、その働きかけと導きを正しく受け止めることができるようになれば、守護霊との関係はずっと強固で緊密なものになります。霊界と地上をつなぐ霊的エネルギーのパイプは、これまでとは比較にならないほど強く太くなります。その結果、私たちは守護霊からの導きや影響力を、もっとストレートに受けられるようになるのです。守護霊の導きを無にするのは、すべて地上人サイドの問題です。私たち地上の人間が少しでも「守護霊」に近づく努力をするなら、霊的状況は格段に変化するようになるのです。

「各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力をもち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけは、それに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。霊の世界と連絡の取れる条件を用意してくれれば、身近かな関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.209

「両者の関係がどこまで親密となるかは、地上の人間の霊的成長しだいで決まることです。守護霊の働きかけをまったく甘受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるをえません。意識的協力が不可能な場合は、無意識のうちにでも協力関係を持たねばなりません。霊界からの働きかけは霊的にしかできませんから、いつどこであろうと、条件が揃った時にその影響力が届けられるように配慮するわけです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.33

今後、私たちは真のスピリチュアリストとして、地上サイドから霊界に接近する努力を始めなければなりません。もっともっと「守護霊」との関係を密接・強固なものにしなければなりません。そのために私たちがなすべき“努力目標”を、次に掲げることにします。

  • 守護霊が自分の背後にいて、愛し導いてくれていることを絶えず思い起こす
  • 常に守護霊と2人でいることを忘れず、神と守護霊に感謝する
  • 誰もいない静かな所(守護霊と通じやすい場所)で瞑想・祈りをする。心を静め、霊の道具としての受容的姿勢をつくる
  • 何か分からないことがあったら、守護霊に尋ねる
    ※その答えは睡眠中に教えられ、日中において、それをインスピレーションとして思い出すようになる。また何らかの方法で気づかされる。

そして何よりも大切なことは、日々「霊的真理」にそう努力をすることです。つまり心身を清らかに保ち、「良き霊界の道具」となれるように努めることです。少しでも自分の人生を「霊的真理普及」のために捧げようとすることなのです。

「寒々として霊性を寄せつけない地上生活にあっては、あなた方の魂と、その欲求を叶えようとして待機している背後霊との間の磁気的霊交が、真摯な祈りによって如何に強く促進されるものであるかを、あなた方は知らないのです。その絆は使うほどに強化され、交わるほどに親密度を増すものです。祈りというものが如何に豊かな霊的実りをもたらすかを知れば、あなた方もより多く祈るようになることでしょう。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.166

『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

5)守護霊の身元にこだわる愚かしさ

世間では、自分の守護霊を知ることが一つの流行のようになっています。そして残念なことにスピリチュアリストの中にも、いまだに自分の守護霊の身元を知りたがっている人が見られます。また交霊会に参加して、自分の守護霊が誰であるのか教えてもらおうとする人もいます。そうした行為がいかに幼稚で愚かなことであるかは、今さら言うまでもないでしょう。

私たちの誰にでも一人の「守護霊」がいて、常に愛し、守り導いてくれているという事実を知るだけで十分なはずです。自分の守護霊を知りたがる人にかぎって、最も肝心な努力を怠っています。そして見栄と自己顕示欲に心が支配されています。もし人々の低俗な好奇心に合わせて軽々しく守護霊の身元を教えるような霊能者がいるとすれば、それはすべて“ニセモノ”と考えて間違いありません。テレビや雑誌には、しばしばこうしたニセ霊能者が登場しています。