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1)神秘のベールに包まれている天使の実像

天使・妖精の記述の多くが作り話

霊界には、人間の霊以外の生命体(霊的生命体)が存在します。それが天使であり妖精です。古来より宗教や伝説を通じて、天使や妖精について語られてきました。もちろんその多くが作り話であり、真実の天使や妖精の様子を述べているものではありません。しかし現実に、霊界には天使や妖精が存在しています。そして人間と深い関係を持っています。

自然霊としての天使・妖精

天使や妖精は、地球などの物質世界に一度も肉体を持って生まれたことがありません。この霊的存在を“自然霊”と呼ぶことがあります。そして天使を高級な自然霊、妖精を下級な自然霊としています。しかし自然霊という呼称は、地球人類を基準とした見方であり、そこからイメージされる天使の姿は、実際とは大きく懸け離れています。

人間と天使は神の創造の業の中では対等な関係にありますが、「霊的進化」という点から見ると、地球人類は天使の足元にも及ばないというのが実情なのです。

キリスト教神学と天使論

地球人類の歴史上、「天使」に対して最も関心を示してきたのがキリスト教でした。キリスト教では天使についての多くの見解が示され、神学の中に天使に関する分野(天使論)も生まれました。

しかしキリスト教を通して提示された天使についての見解の大半は、推測の域を出てはおらず、天使の勝手な解釈にすぎません。

スピリチュアリズムでも、ほとんど明らかにされていない天使の実態

これまでスピリチュアリズムでは、天使についてはあまり多く語られてきませんでした。死後、霊界にいる人間の霊(人霊)についての記述は膨大な量にのぼりますが、それと比較するなら、天使についてはほとんどないと言ってもよいほどです。おそらくこれには、霊界側の意図があったものと思われます。まだ地球人の霊的レベルでは、天使について知ることは時期尚早との判断がなされたものと推察されます。死後は霊として生きる、霊が永遠に住む霊界があると言っても頭から信じない多数の人々がいる現状では、天使について大々的に語ることは、むしろ弊害を引き起こす可能性があります。

スピリチュアリズムでは、さしあたり現在の地球人の霊的レベルに合った霊的知識をもたらすことを優先し、天使に関しては“しばらく秘密にしておくべき”との決定がなされているものと思われます。数百年後には、今よりもっと天使について明らかにされるようになるはずですが、残念ながら現在に生きる私たちには、天使についてあまり多くを知ることはできません。

ここではこれまで明らかにされた範囲で「天使」について述べていきます。

2)天使界と人間界

宇宙に存在する無数の「人間界」

神の造られた宇宙には、私たちが住んでいる地球と同じように、物質的身体(肉体)を持った人間の住む天体・惑星が無数に存在します。そこに生きる人間たちは、地球人と同様に肉体を持って物質世界に生まれ、物質世界で成長し、やがて死を迎え、肉体を脱ぎ捨てて霊体だけの存在となって霊界に行きます。そして再び物質世界に再生し、死後また霊界に行くことになります。こうした一連のプロセスを通して人間は、霊的進化の道を歩んでいきます。

現在の最新の科学は、私たちが住んでいる3次元の宇宙空間以外に、次元を異にする別の宇宙が存在することを予想しています。同じ物質世界でありながら、次元の異なる無数の宇宙が存在する可能性がある、と言うのです。もしそれが事実とするなら、人間の存在する天体は、無限ともいえる膨大な数にのぼることになります。

さて、こうした天体のそれぞれに、それを包むように霊界が広がっています。地球のような人間が存在する天体(物質界)と、それを包むように展開している霊界を合わせて「人間界」と言います。

私たちの地球は、その無限の人間界の一つにすぎません。物質世界である地球とそれを取り巻く地球圏霊界を合わせたものが、私たちの所属する人間界です。この人間界(地球圏)は無数に存在する人間界の中で、際立って歴史が浅く、進化のレベルが最も低いものの一つなのです。

天使界と人間界

神の造られた世界は、霊的世界と物質世界(宇宙)に大別されます。天使はこの両方の世界にくまなく存在し、その場全体を「天使界」としています。神の造られた世界のすべて(神の王国)が、そのまま天使界となっています。したがって天使界を大海に譬えるならば、宇宙に数限りなく存在する人間界は、大海に浮かぶ“無数の小島”ということになります。無数の人間界は、天使界の中に点在しています。

天使界と人間界

天使界のヒエラルキー

神の造られた霊界と物質世界(宇宙)のすべて、すなわち神の王国全体が、そのまま天使界となっています。そしてそこに住む無数の天使たちは、霊的進化を基準とする「ヒエラルキー(ピラミッド状の上下階級世界)」を形成していますヒエラルキーという言葉は、ギリシア語で「神聖なものの統治」すなわち「天使の階級」を意味しています)。キリスト教神学の天使論では、天使界がヒエラルキー(階級組織)であると説明していますが、この点においては本質を的確についています。霊界全体・宇宙全体にわたる天使界のヒエラルキーの頂点には、最も進化した天使(最高級天使)が位置し、そこから高級天使、天使、下級天使というピラミッド状の上下関係がつくられています。

私たちの属する太陽系にも天使界が展開し、その頂点には太陽系全体の運行を統括する高級天使が存在しています。そして地球圏に関わる天使たちは、その太陽系を統括する高級天使の支配のもとに置かれています。太陽系に所属するすべての天使は、この太陽系天使界の最高の天使を仰いでいます。こうした太陽系天使界の上には、延々と天使のヒエラルキーの界層が存在しているのです。地球上で古来より行われてきた“太陽神信仰”は、こうした「天使のヒエラルキー」の観点から見ると、それなりの正当性が認められることになります。大霊という唯一神の神観が確立されていなかった時代においては、人々が純朴な信仰心から太陽を信仰の対象と見なしていたことは、ある意味では当然と言えるかもしれません。

この壮大な天使のヒエラルキーの中で、地球圏に関係する天使界は下位に位置します。天使界全体のヒエラルキーの中で、それほど高いところではなく、むしろ底辺近くに位置しているのです。

神の造られた霊界・宇宙という神の王国は、天使のヒエラルキーによって統制が行き届き、“一大調和世界”を形成しています。神が造られた王国は、天使によって完全な調和を保ちつつ、全体として進化のプロセスを歩むようになっています。

天使界のヒエラルキー

3)天使の使命と役割

神の造られた世界(神の王国)がそのまま天使界となっていますが、この広大な天使界の構成員である天使たちには、どのような使命・役割が神から与えられているのでしょうか。神はどのような目的を持って、無数の天使たちを創造されたのでしょうか。

神の王国の役人

神の王国の創造者である大霊(神)は、神の王国の国王と言えます。天使たちは、その王国の維持・管理を神(国王)から託された役人・管理者です。神の王国の役人(天使たち)には、今述べたように上級から下級に至る階級(ヒエラルキー)が存在します。そして上の役人から末端の役人へと、神(国王)の命令と意志が伝えられるのです。神の王国の中で私たち人間の所属する人間界は、広大な王国の中に点在する無数の村落と言えます。地球は、その村落の中の一つなのです。

天使は神の役人として、また神の代理者として、人間を支配・管理します。とは言っても人間は神から“自由意志”を与えられ自由性が確保されているため、「霊的成長」に関係する領域については、天使といえども強制的に管理することはできません。人間は神の王国の住人として一定の自由を与えられ、その枠内で生活するように創造されているのです。

神の法則の執行官

一方、天使たちは、神の王国の役人・管理者としてばかりでなく「神の摂理」の執行官として神の王国の秩序を守ります。人間の行為が、神の定めた規則(摂理)通りになされているかどうかをチェックし、摂理に一致していれば霊的成長を承認し、もし規則から外れたときには修正の道を示します。これが「償いの法則」の執行です。

天使には、こうした神の王国の執行官としての役目が与えられています。

神と人間の中継者

それと同時に天使は、神と人間の中継者として、両者の間を取り持ちます。神の意志を伝達し、神の真理を、神の王国の隅々にまで行きわたらせる役目を担っています。

神の愛の伝達者

天使はまた、「神の愛」の伝達者としての役目も与えられています。神の愛は、複数の天使を中継して人間に届けられます。これが神の愛の直接的な伝達ルート(天使のヒエラルキーを通じてのルート)です。神の愛の伝達には、もう一つのルートがあります。それが人霊のヒエラルキーを通じての間接的な神の愛の伝達です。地球圏霊界のヒエラルキーの頂点には、イエスがいます。このイエスの愛が、多くの高級霊を通じて末端の霊にまで届けられます。そして最後に私たちの守護霊・背後霊を通じて、一人一人の地上人に届けられることになります。

愛のヒエラルキーの頂点に位置するイエスですが、イエス自身もさらに霊的レベルの高い高級天使から「神の愛」を与えられているのです。したがっていずれの神の愛の伝達ルートも、すべて天使を中継しているということになります。

神の愛の二通りの伝達ルート

4)天使と人間の共通点

天使と私たち人間では、どのような点が同じで、どのような点が違っているのでしょうか。ここでは天使と人間の共通点を通して、天使の実態を明らかにします。

ともに同じ“ミニチュアの神”

神(大霊)によって創造された分霊的存在であるという点においては、天使と人間は同じ立場にあります。両者はともに、神(大霊)の分霊(ミニチュアの神)を本質・本我としています。その意味で神は共通の「親」であり、天使と人間は同じ「神の子供」ということになります。

ともに永遠の個的存在

私たち人間は、神によって分霊的存在として創造されました。そしてその瞬間から、永遠の個的存在として、永久に生き続ける宿命が与えられたのです。したがって今後、再び神のもとに戻り、神と融合化して個性を失うようなことにはなりません。

私たちが“永遠の存在”であるということは最大の神秘です。もし遠い将来、何十億年か後に太陽系のすべてが消滅する、宇宙全体が消滅するというような事態を迎えたとしても、いったん神から独立性を与えられた人間は、霊として霊界で永遠に存在し、進化の道をたどっていくことになります。地上世界(物質世界)で同じ個的存在として創造された動物が、死後はその個別性を失い、集合的な霊魂(動物の類魂)の中に吸収・融合されるのとは根本的に違っています。

天使も私たち人間と同じく、いったん神によって創造され個別霊となった後には“永遠の存在”として霊界で生き続けることになります。

ともに永遠の進化の道をたどる

天使と人間の最大の共通性は、神によって創造された分霊的存在であるという点ですが、これは、ともに神によって「永遠に霊的進化をする存在」として造られたということを意味しています。永遠の進化の道をたどっていくのは、人間だけではありません。人間の数をはるかにしのぐ天使たちも皆、永遠の進化の道を歩んでいるのです。そうした限りない進化のプロセスを通して、天使と人間は互いに神に近づいていくことになります。そして神に近づけば近づくほど、より大きな幸福が得られるようになっています。

宇宙に散在する無数の人間界は、その構成員である人間の霊的向上にともない、霊的進化をとげていきます。地球人の霊的進化とともに、地球という惑星自体も進化していくのです。それと同様に、広大無窮の全天使界(神によって造られた全霊界と全宇宙)も、天使の霊的向上とともに進化の道をたどることになります。こうして天使界も人間界も、徐々に神に近づいていくことになります。

ともに神への奉仕と愛を通して、霊的成長をする

人間の霊的成長は「利他愛の実践」、すなわち他者に対する「無償の奉仕」を通してなされます。純粋な奉仕は神を愛することになり、人間にとって最も大切な霊的成長を促すことになります。純粋な奉仕への意欲・利他愛への意欲は、霊的な本能です。肉体の本能がさまざまな肉体的欲求を喚起するように、“魂の本能”は利他的行為(奉仕)を欲求するようになります。そのため霊界では、すべての霊が奉仕の仕事を希求し、心から喜んでその仕事に携わっています。仕事自体が他者への奉仕・利他愛の実践となり、その結果、神を愛し神に近づくことになるからです。

地上人も、他の人間(同胞)や動植物を正しく愛することによって神に奉仕し、神を愛することになり「霊的成長」がもたらされます。そして利他的行為という摂理に一致した生き方によって、神が準備された幸福を満喫することができるようになります。これが「利他愛の法則」です。

人間だけでなく天使も、この利他愛の法則(摂理)に支配されます。天使は、神への奉仕を通して神を愛し、それによって「霊的成長」を達成して神の準備された幸福を手にすることになります。天使にとっての「神への奉仕」とは、神から与えられた使命・役割を忠実に遂行することに他なりません。神の王国の役人・神の摂理の執行者としての役割を果たすことによって神に奉仕し、神を愛することになります。その結果、霊的成長が促されることになるのです。

ともに大霊だけを崇拝の対象とする

天使はこれまで、未熟な地球人から神々として崇拝されてきましたが、当の天使たちは皆、神(大霊)だけを崇拝の対象としています。天使を神々として信仰の対象・崇拝の対象とするというようなことは、進化の未熟な地球であればこその話なのです。

低級天使は、高級天使の厳格な支配下にありますが、その低級天使が高級天使を崇拝の対象とするようなことはありません。シルバーバーチが、地球圏霊界最高の高級霊であるイエスに対して――「尊敬はしても、信仰の対象・祈りの対象としてはならない」と言っているのと同じことなのです。

ともに知・情・意の心を持つ

人間の心は、しばしば「知・情・意」の働きから説明されます。人間の心は、知性・感情・意志の内容によって、さまざまな心の様態を示すようになります。知性の働きが優れている人と、そうでない人がいます。愛情深い人・思いやりのある人と、情的なものが乏しい人がいます。高貴な感情(利他愛)を持っている人がいる一方で、感情は豊かであっても利己性が強い人・感情の不安定な人もいます。また意志の力が強くて、忍耐力や積極性に富む人もいますし、その反対の人もいます。このように知・情・意の内容の組み合わせによって、人間の心にはさまざまなパターンができ上がります。一人一人の心はそれぞれ異なり、十人十色となります。

天使も人間と同じような心を持ち、その心には「知・情・意」の要素が含まれています。天使と人間の心にはこうした共通性がありますが、同時に大きな違いもあります。それは天使の心は純粋に霊的なものであるのに対して、人間の場合は、よほど進化した者(高級霊)でないかぎり、大なり小なり物質性(肉体本能性)が心の中に存在しているということです。天使と人間の心には、このような隔たりがあります。心の全体の傾向を支配するベースが、天使と人間では異なっているのです。このため知・情・意のいずれの点においても、天使は人間よりもはるかに優れているということになります。高級霊の優れた知性と情(愛情)を、さらに高めたものが天使の心と言えます。天使は生まれながらにして高級霊であり、人間よりもずっと神に近い心を持っているのです。

天使は、人間に霊的真理を示す立場にあり、神の役人として摂理に通じていなければなりません。天使は、人間の高級霊に真理を示すこともあります。そうした天使は、人間からすれば、最高に優れた知性・神のような知性を持っているということになります。天使はまた、神の愛を伝える使命を持っている以上、人間にとっては神のような愛・深くて純粋な愛の持ち主ということになります。神の愛を与えることができる神の愛の代理者であり、その愛は完全な利他性そのものです。それは高級霊の純粋な利他愛を、さらに一段と高めたものと言えます。

もう一つの心の要素である「意」については、確かなことは地上人にはほとんど知らされていません。しかし次のように推測することができます。天使が私たち人間と同じように永遠の個的存在として造られ、しかも高度な知性を付与されている以上、単なる神のロボットではないことは明らかです。天使は私たち人間が有しているような“自由意志”を持っているはずです。

私たち人間はこの自由意志によって、神の摂理に反した方向に向かうことができます(*とは言っても一定の枠内における自由が与えられているだけで、無制限の自由ではありません。そのため摂理から外れた場合には、摂理の働きによって歯止めが掛けられたり、復帰の方向が示されるようになります)。それに対して天使は、摂理の執行人・摂理の管理人としての役目上、自由意志を持ってはいても人間のように摂理からか外れるといったことはありません。自由意志がありつつも、神の叡智によって設けられた何らかの管理システムのもとに置かれていると考えられます。すなわち天使は高度な知性を持ちながらも、人間とは異なる制約のともなう自由意志を付与されているということです。

天使も人間と同様、誕生して成長のプロセスをたどることになります。その成長の一定段階で、天使としての資格を有することになる、人間でいえば成人することになりますが、それまでは上位の天使によって一方的な支配を受け、その下で、天使としての資格を身につけるプロセスをたどることになります。天使も一人前になるためには必須の成長プロセスを踏まなければならないということです。天使としての自立(一人前になること)は、自由意志が常に摂理と一致し、その枠内に収まっている、摂理から決して外れないという内容を身につけたときに認定されるものと思われます。そして初めて天使としての役割につくことになります。

天使は、神の役人・神の代理人として神の王国の管理に当たるという役割を通して神に奉仕し、神を愛することになります。そしてそれこそが天使にとっての喜びであり、幸福の源泉となります。

これが天使の「意志」についての内容(推測)です。残念ながら現時点では、これ以上の詳細な事柄を知ることはできません。

ここまで、天使と人間の共通点を述べてきました。次に両者の違い(相違点)について見ていきます。

5)天使と人間の相違点――進化の形式・誕生・性別・身体

天使と人間では霊的進化の仕方が異なる

天使も人間も、神の摂理にそって霊的成長がなされることは先に述べたとおりです。しかし天使と人間では、霊的成長の仕組みが違っています。

人間を支配する霊的進化の法則にはさまざまありますが、その中で最も基本的なものが「霊優位の法則」と「利他性の法則」です。霊優位の法則とは、霊を物質(肉体)よりも上位に保ち、霊を優先した歩みをするということです。物質世界での生活を体験することのない天使には、この法則は無用です。天使にとっては霊優位の生き方は当たり前であり、それ以外の生き方は存在しません。したがってこの法則は、物質でできた身体をまとい、物質界に生きる人間だけに適用される法則ということになります。この点で、天使と人間は根本的に違っています。

物質世界という厳しい環境に生まれ、多くの葛藤を体験しなければならない分だけ、人間は霊的成長が促されます。その意味で人間は、天使よりも恵まれていると言えるかもしれません。利他愛と利己愛の内面葛藤は、肉体を持たない天使にも霊たちにもありません。人間が物質世界において善悪両面の体験をすることは、それによって善を志向する力を強め、霊的成長を促そうとする神の計画によって定められました。

神は、物質世界での体験をするかしないか、物質生活を必要とするかしないかという点において、天使と人間との間に大きな区別・違いを設けられました。人間は物質生活を通じて霊的成長の道を歩むように造られていますが、天使はそのようにはなっていません。

では、天使は物質世界での体験を経ることなく、どのようにして霊的進化をすることができるのかということになりますが、それについての詳細は現在の私たちには知らされていません。天使も神の摂理にそって霊的進化をすることに変わりありませんが、具体的なその仕組みについては秘密にされています。現時点では、霊的成長の仕組みが天使と人間では異なっている、という以上のことは明らかにされていません。

私たち地球人類は、長い進化の期間を経て、地上圏霊界を卒業することになります。その後は、物質世界とは関わりを持たない中で、霊的進化の道をたどることになります。新たな地上体験を求めるための再生が不要となるのです。こうした段階に至ると、霊的成長に関しては天使と同じ立場に立つことになります。この意味で、人間は長い進化のプロセスを通じて、徐々に天使に近づいていくことになると言えます。地球圏霊界の上層では、天使と等しい立場にまで進化した高級霊たちが、実際に天使と仕事を共有したり、同等の立場で協力し合っています。

出生・誕生

「天使は物質的生活を必要としない」という言葉の中に、天使と人間の本質的な違いが端的に示されています。これまで多くの人々が、天使はどのようにして誕生し増殖するのだろうかと疑問を抱いてきました。それは今日まで地球人には大きな謎とされてきた問題です。

天使も人間も、神の霊の分霊化のプロセスを通じて永遠の個的存在となります。“神の分霊”として独立する時が、天使にとっても人間にとっても生命の出発点です。この分霊となる出発場所が、天使と人間では違っています。人間は物質界への誕生をもって、神の霊の分霊化がなされます。地上での受胎時期が、分霊が付与される瞬間です。したがって物質世界こそが、人間の出発点・出発場所となります。人間が個別霊となるために、神は物質世界を準備されたのです。

それに対して天使は、人間のように物質世界から出発するのではなく、初めから霊界において創造されます。天使は、人間とは違った方法で神から分霊を付与された新しい生命体として誕生することになります。

性別の有無

「天使に性別はあるのか」ということも、これまで人類にとって大きな疑問となってきました。神が人間に男女の性別を与えた最大の目的は、生殖のためです。物質世界では男女の生殖行為によって“肉体”という道具が提供され、それと同時に神の分霊が付与されることになります。物質の身体が準備されると、分霊が吹き込まれることになるのです。男女が一体化して物質の道具である肉体的身体を提供する準備ができると同時に、神の霊の分霊化が自動的に発生して、新たな霊的生命が誕生することになるのです。

神は自分の王国の物質次元の世界を、男と女(雌雄・陰陽)に二分化して創造しました。これら(男女・雌雄)が合体することによって、物質レベルでの“神の再現”が実現するようになります。そして神の創造の業が、地上世界においても展開するようになります。地上世界が、男と女に二分化されていることには、こうした意味があります。神は、地上の男女の物質次元での一体化(受精)をきっかけとして、新たな霊的生命の出発点とされたのです。

しかし天使の誕生には、人間のようなプロセスは必要ありません。男女の生殖行為を通じて新たな生命が誕生するようには造られていないのです。神は、男女という性別のないところで、天使の繁殖プロセスを準備されました。したがって天使には、人間のような男女の性別はありません。地上的表現を用いるなら、天使は初めから中性として造られているということなのです。

男女(雌雄・陰陽)の区別化は、人間界・物質界における特徴であって、霊界全体(天使界)を貫く原則ではありません。私たちが当たり前と思っている男女の区別は、物質世界という進化の低いレベルでの特徴であり、人間も物質の影響を超越した境涯(宇宙圏霊界)に至ると、地上的な性別は存在しなくなります。霊的進化に応じて、地上的な男女の差は減少していくのです。再生において、女性が男性として生まれたり、反対に男性が女性として生まれることが頻繁に起こり得るのは、男女の区別が絶対的なものではないからです。男女の区別は、霊界全体の中では大きなウェイトを持ってはいません。それは人間の繁殖と進化に貢献するための、特殊な一時的状況と考えるべきものなのです。

天使の場合は初めから、こうした人間ならではの問題(性別)をクリアしています。天使は男女の区別のないところで、新しい生命を誕生させることになります。この点で天使と人間は根本的に異なっています。広大な宇宙の中で人間が次々と増殖しているように、天使もさらに大きな世界の中で、次々と新しい生命を誕生させ増殖しています。

では、天使の増殖の仕方はどのようなものなのか、ということになります。人間のような男女の生殖行為によらないものであるなら、いったいどのようにして、またどこから出生するようになるのでしょうか。この点については先ほども述べたように、そのほとんどが私たち地球人には秘密とされています。推測の域を出ませんが“天使の増殖”は、一定の霊的資格を持つに至った天使が、想念を凝縮させることによって、新たな天使を創造するようになるものと思われます。「想念霊」についてはこの後(妖精・想念霊の項)で述べますが、想念霊をつくり出すプロセスが、特殊な形で進められて新たな天使が誕生するようになるものと推測されます。)

外観・身体

私たちは、頭と胴体、両手両足という身体構造を当たり前のものと思い込んでいます。それ以外の身体形式を持った生命体などは、フィクションやテレビの怪獣番組のうえでのみ存在するものと思っています。天使の存在を信じる地球人の大半が、天使は私たち地球人と同じような身体を持っていると考えています。事実、宗教画の中では、天使は決まって人間の姿で描かれています中世以降のキリスト教では、天使には翼が付け加わるようになりました)

しかし私たちが見慣れている身体は、物質世界に適合するための形体であって、霊界全体の共通的な形式ではありません。私たちの肉体と霊体の外形は、神の造られた世界の中ではきわめて限られた形式、むしろ特殊というべきものなのです。シルバーバーチは――「宇宙に存在する他の天体の人間は、地球人とはその身体的外見が全く異なっている」と述べています。もし私たちがそうした他の天体に住む人間と出会ったなら、とうてい同じ人間とは思えないでしょう。

天使について考える際には、それと同様の視点が必要になります。霊界に遍在する天使が、私たちと同じ身体形式を持っていると考える方が不自然で不合理なことなのです。まして物質世界での生活を全く必要としないということになれば、その身体の形体は予想もつかないものになると考えるのが当然のことなのです。

地球人は死後、霊界において進化し、再生を経て地上圏霊界を卒業します。そしてより高い世界(宇宙圏霊界)に入っていくことになりますが、そこではもはや再生というプロセスは不要となります。そのレベルにまで進化した霊は、それまでの霊体という身体を脱ぎ捨て“光源体”としての個別性を持つようになります。ここに至るまでは霊的身体が個別性を示すものであったのに対して、今度は光と色彩がそれに代わることになります。身体は消滅し、光源・色彩として存在し、そこに高度な意識がともなうようになるのです。

実は天使は、もともとそうした“光源体”として存在しています。地上の霊能者には、天使は身体的形体を超越した光り輝く存在として映ります。天使は初めから、地上世界での体験を経て霊的成長をするようには造られていません。したがって地球人のような身体は必要がないことになります。時々、天使が人間のような身体を持って現れる様子が霊視されますが、それは地球圏に降りてくるために、敢えてそうした形体を取っているのです。地球人との直接の関わりを持つ必要がないなら、特に人間と同じような霊体を身にまとうようなことはしません。実際、地上圏を卒業した高級霊(人霊)とともに働いている天使は、霊体という身体を持っていないことが多いのです。地上圏(物質圏)において働くために、わざわざ霊体という身体をつくるのであって、霊視される天使の霊体は、どこまでも仮の身体なのです。

また翼を付けた天使が霊視されることがありますが、それも地上人の先入観に天使側が配慮してわざわざつくり上げたものです。地上人は長い間、天使は天にいる神と地上の人間の間を行き来するために、鳥と同じような翼が必要であると思い込んできました。そうした地上人の考えに合わせて、天使は敢えて翼をつくり出して地上人に見せてきたのです。

地上圏に存在する天使は、人間の高級霊が必要に応じてしているように、地上人からエクトプラズムを取り出して、物質化した身体をつくることもできます。その際には、地上人と食事をするようなこともできるのです。

6)天使の人間界への関わり

地球上のすべての人間の営みに天使が関与

人間界は、天使界という大海に浮かぶ小島です。私たちが住んでいる地球圏は、その無数の小島の一つです。地球(物質世界)と地球圏霊界を合わせた「地球人間界(地球圏)」は、天使界の中にすっぽりと包まれています。したがって天使の存在しない場所はありませんし、天使の働きと無関係な時間もありません。

地球上に住む私たちの周りには、常に天使がいます。地球を取り囲むように広がる霊界には、地球出身の人間の霊たちとともに、無数の天使たちが住んでいます。そして神の代理者として摂理を執行し、同時に神と人間との中継者として私たち人間と深く関わっています。神の摂理は宇宙のすべてを支配していますが、そこには決まって天使が、神の王国の役人として存在しているのです。

人類の霊性進化に対する天使の関与

私たち人間の霊的成長は神の摂理に基づいてなされる以上、その霊的成長の歩みにも常に天使が関わることになります。天使は人間の行為が「神の摂理」にそっているかどうかをチェックし、摂理に合っているときには霊的成長という善い結果をもたらします。そして摂理に反したときには苦しみ・痛みという形で知らせ、必要な修正の道を準備します。

地球全体・国家全体・民族全体・宗教に対する天使の関与

神の王国のすべては、神の支配のもとに存在しています。その神の支配は、具体的には天使を通してなされています。したがって神の代理者としての天使の支配は、霊界と宇宙のあらゆる次元に行きわたっています。

私たちの属する「地球人間界(地球圏)」にも、その全体(物質界・霊界)を支配する超高級天使が存在しています。そしてその超高級天使のもとに、地球上のあらゆる人種、あらゆる国家、あらゆる民族を支配する天使が配置されています。またその天使たちの下に、地域やグループを支配する天使が置かれています。さらにその下に、社会から各家庭を管理する天使がいます。そしてこの後で述べるように一人一人の人間に、個人レベルで関与する天使も存在しています。また地上のあらゆる宗教にも、それに関わる天使が存在し、すべての宗教を摂理によって管理しています。

このように宇宙・太陽系・地球・国家・社会・家庭・個人・宗教組織へと、すべての次元においてそこを統括する天使が神の役人として置かれ、神の王国の支配・管理の役割に従事しているのです。

守護霊・背後霊に対する天使の関与

私たち地球人には、常に一人の守護霊が付き添い、その導きのもとで霊的成長の道を歩むようになっています。守護霊は同じ地球出身の先輩として、地上人とともに霊性進化の道を歩んでいます。こうして一人の地上人と一人の守護霊は、一対の単位を形成しています。

そうした守護霊とは別に、一人一人の地上人を摂理によって管理するための天使が置かれています。そして地上人と守護霊という一対単位の人間たちの歩みを「神の摂理」にそってチェックし、摂理にそって結果をもたらし、必要に応じて修正の道を用意します。天使は神の役人として、地上人と守護霊という人間界の住人を管理・支配しているのです。したがっていかなる地上人にも、常に一人の守護霊と一人の天使が付き添っているということになります。

天使は、地上人に対する守護霊や背後霊の導きに対しても神の代理者の立場から監視・チェックをします。このように守護霊や背後霊も、神の代理者であり摂理の執行者である天使の支配を受けるようになっているのです。守護霊や背後霊が摂理に反して余分な手助けをすれば、その行為は天使によって裁かれることになります。

人間の行為・営みに対する天使の関与

人間界のすべての行為・営みは、神の摂理の支配の中にあります。とかく人間は、自分の自由意志に基づいて好き勝手な行動をしているように考えがちですが、本当は限定された自由の中にいるだけなのです。自由意志といっても常に神の摂理の枠内にあります。この摂理による支配は、直接的には天使を通して執行されます。したがって天使との関わりを持たない人間の行為・営みはありません。

人間の営みは、神の摂理にそって天使による審判を絶えず受けることになります。人間が利他的な行為をするとき、あるいは純粋な思いで奉仕活動に専念するとき、それは天使によって正しく評価・判断され、「霊的成長」という善い結果がもたらされるようになります。摂理に反した利己的な行為に対しては、摂理にそって“苦しみ”という結果がもたらされるようになります。天使によるその判断には、一点の間違いも狂いも矛盾もありません。

人間の仕事に対する天使の関与

人間が日々行っている仕事は、霊的成長に大きな影響をもたらします。したがって地上人、一人一人の仕事についても、天使は密接な関わりを持っています。特に農業などの“生き物・生命体”との関わりのある仕事では、天使と人間の関係はより直接的になります。あらゆる生命活動は、神の摂理に基づいて展開しています。その生命活動を神に代わって司っているのが天使であるからです。

医学も天使との関わりが深い仕事です。病気の多くは「カルマ」が原因となっています。そうしたカルマも、すべて天使の管理のもとに置かれています。したがって病気の治療行為には、天使が直接的に関与するようになります。

スピリチュアリズムで展開しているスピリチュアル・ヒーリングも当然のこととして、天使が大きく関わっています。スピリチュアル・ヒーリングは、霊界の医者(霊医)によって治療エネルギーが調合され、それが地上のヒーラーを通じて患者にもたらされるという形で進められますが、そのヒーリングの大もととなる治療エネルギーは、すべて天使を通じて霊医に届けられます。それを霊医がさまざまに調合し、利用するのです。そしてスピリチュアル・ヒーリングが効果をあらわすかどうかについても、カルマの状況に照らして、すべて天使が決定することになります。

地球人類の霊性啓発のための天使の受肉

地球人の霊性進化のために、地球出身の先輩霊たちが霊界から働きかけをしています。守護霊や背後霊として地上人を導いたり、霊自身が地上に再生することによって、地球人の霊性啓発を進めてきました。

そうした先輩霊による働きかけとは別に、人類の霊性啓発のために天使自らが地球人類の一人として地上に生まれ、人間としての人生を歩むことがあります。この「天使の受肉(人間化)」という出来事はめったにないことですが、人類の歴史の中にはこうしたケースが実際に存在しますその際、天使は神(摂理)の認可を受けなければならないことは言うまでもありません)。天使の受肉の代表的ケースが、実は“イエス”だったのです。これは地球人類にとって、まさにエポックメーキングな大事件であり、地球人類の歴史を根本的に変化させる出来事でした。地球人類は、この歴史上最大の出来事によって飛躍的な「霊性進化の道」を歩み出すことになりましたこれについては、後ほど詳しく取り上げます)

7)天使の動物界・植物界・鉱物界への関わり

神の支配は、人間界ばかりでなく、動物界や植物界・鉱物界にも及びます。神の摂理の支配を受けないものは、宇宙には存在しないからです。これは動物界・植物界・鉱物界も、すべて天使の管理・支配のもとに置かれている、ということを意味します。無生物とされる鉱物界や自然現象・物理現象に対しても、常に天使の関与があるのです。実際に動物界を管理する役目を持った天使、植物界を管理する天使、鉱物界を管理する天使がいるのです。これらの天使たちは、進化のプロセスとしては当然低いレベルに属します下級天使というべき存在です)。彼らは高級天使の厳格な指揮下で働き、そのすべてが高級天使の支配のもとに置かれています。こうした天使のヒエラルキーを通して、神の支配は物質世界・自然現象にまで及ぶようになっています。

動物・植物・鉱物を管理する天使たちは、その手足となるような部下を持ちます。自らの意念によって、自分の分身ともいうべき労働者・職人たちをつくり出します。それがこの後で取り上げる“妖精”です。神の王国においては、神が王様であり、天使が役人、妖精が末端の労働者ということになります。神の造られた万物の管理には、天使が直接的に手を下すのではなく、多くの妖精が天使の手足として用いられるのです。天使によって動物界・植物界・鉱物界は維持・管理され、全体としてゆっくりとした進化の道をたどっています。

さて人間から“愛”を受けて育った動物は死後、主人である人間が他界してくるまで霊界で、その外形を維持します。それには天使と妖精が関与しています。「動物を愛する」という人間の善なる行為に対して、天使がそのようにして善の結果を人間にもたらすのです。“ペット”として愛された動物が、飼い主(愛を与えた人間)の他界時に迎えに現れるという事実は、天使によって与えられるご褒美なのです。

8)天使とイエスとスピリチュアリズム――高級天使イエスの受肉(人間化)

スピリチュアリズムによって明かされた地球人類の最大の秘密

スピリチュアリズムの到来によって、地球人類にはこれまで封印されてきた地球に関する最も重大な秘密が明らかにされることになりました。長い間、地球人類に隠されてきた奥義を知ることが、初めて許されるようになったのです。

その秘密とは、地球上でこれまでキリスト教の創始者とされてきた“イエス”についての内容です。イエスは、実は地球人類を霊性進化の道へと導き、人類を救済する目的のために高級天使が受肉し、人間として地球に誕生した存在だったのです。耳を疑うような、あまりにも突拍子もない話に唖然とされるかもしれません。想像を超えた、あまりにも馬鹿げた作り話のように思われるかもしれません。しかし、これは事実なのです。

高級天使イエスの受肉(人間化)

神の王国の役人である天使が、人間に生まれ変わるようなことはめったにありません。しかしごく稀にですが、これまでの地球の歴史には、そうした事実が存在します。天使の受肉(人間化)というきわめて特殊な出来事の中で、特別に際立ったケースが、2千年前の高級天使イエスの受肉だったのです。これは人類の歴史上、最も重要な出来事です。前にも後にも、これほどの重要な出来事は存在しません。

イエスの受肉の目的は、地球人類を救済することでした。では、なぜイエスは高級天使のままで「地球人類の救済」に携わることができなかったのでしょうか。そこには「神の摂理」に照らしてみたとき、どうしても人間として生まれなければならない理由があったのです。その理由とは、天使と人間の立場の違いにあります。

天使の立場は、どこまでも神の王国の役人であり、その役割は住民である人間を外部から管理することでした。天使は、人間の霊的成長の歩みに直接関わり、手助けをして導くようなことはできません。それができるのは地球を卒業した人間の霊に限られます。天使の任務は、人間が摂理にそって行動したときには善い結果をもたらし、摂理に反したときには修正の道を示すということです。神に代わって人間に褒美を与えたり、罰を与えることが役目であって、人間の歩みに手を貸すことはできないのです。

もし、どうしても直接人間に手を差し伸べて、その成長を助けたいというのであれば、自分自身が人間にならなければなりません。それは天使としての立場を捨てて、人間に生まれ変わるということです。神の王国の役人を辞めて、王国の住人になるということなのです。イエスは、こうした理由によって高級天使の立場を捨て、人間として生まれ変わる道を選んだのです。

人間としての生き方の見本を示す

高級天使イエスは、人間として生まれ変わることにより、地球人類の救済に直接関わりを持つことができるようになりました。人間になることによって「自己責任の摂理」のもとに自分自身を置き、人類救済の道を進めることができるようになったのです。しかしそれは同時に、イエスに大きな犠牲と負担を強いることになりました。

“受肉”ということは、重苦しい物質の中に魂が閉じ込められた状態で不自由な肉体を道具とする、ということを意味します。それは誠意が常に裏切られる物質的環境に身を置いて、人間と同じように物質世界の苦しみを体験しなければならないということなのです。そうした厳しい環境の中で摂理にかなった生き方を貫いたとき、初めて地上人に対して真の霊的人生の手本を示すことができるようになります。そして地球人類にとって自分で自分の魂を救う道、自分たちの世界を救う道が開かれることになるのです。

イエスによって始められたスピリチュアリズム運動

今、地球人類に救いの道を提示し、地球人類全体の運命を変えつつある“スピリチュアリズム”は、その大もとをたどると高級天使イエスに至ります。一人の高級天使が地球人類を救済するために受肉し、人間イエスとして誕生したという歴史的事実に行き着きます。

地球人類は、イエスという高級天使が身を挺して起こした救済活動によって「霊性進化の道」を出発することになりました。霊界では、地球人類救済のために総動員体制が敷かれ、イエスを頂点とする巨大な組織(ヒエラルキー)がつくられました。そして現在も、イエスをはじめとする地球出身の高級霊たちの主導のもとに、その計画が進められています。

『霊訓』に見るイエスの受肉の特殊性

インペレーター霊は、イエスの受肉の特殊性について次のように述べています。

「キリストの場合は、かつて一度も物質界へ降りたことのない高級神霊が人類の向上と物的体験の獲得のために一時的に肉体に宿ったものです。そうした神霊は高い界層に所属し、人類の啓発のために特殊な任務を帯びて派遣されます。」

『続霊訓』(潮文社)  p.46

「イエスはずっと、その使命達成に意欲と愛を寄せる天使の一団からの指示を受けていました。イエスは、常に霊界と連絡を取っていたのです。その身体が霊の障害とならなかっただけ、それだけ自然に天使の指導を受け入れることができたのです。

地上の救済のために遣わされる霊は、そのほとんどが肉体をまとうことによって霊的感覚が鈍り、それまでの霊界での記憶が遮断されるのが常です。が、イエスは例外でした。その肉体の純粋さゆえに霊的感覚を鈍らされることがほとんどなく、同等の霊格の天使たちと連絡を取ることができていました。天使たちの生活に通じ、地上への降誕以前の彼らの中における自分の地位まで記憶していました。 」

『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)  p.183〜184

『霊訓』については翻訳原文の文体・表現を改めています。

イエスを中心とする高級霊界での“大審議会”と天使の参加

今この時も、地球人イエスを中心として「地球人類救済プロジェクト(スピリチュアリズム)」が進められています。その大計画は、地球圏霊界のすべての霊たちの力を結集して推進されています。スピリチュアリズムでは、年に2回、地球圏霊界の上層においてイエスを中心とする“大審議会”が開かれます。そこにはスピリチュアリズム運動の責任を担い、指導的立場で携わっている高級霊たちが呼び集められます。この大審議会については、シルバーバーチが繰り返し述べていますので、ここでは詳細は省略します。

さて、その大審議会には高級霊(人霊)ばかりでなく、地球を管理する役目を持った高級天使たちも列席します。天使たちは、オブザーバーとしての立場で大審議会に参加するのです。スピリチュアリズムを進める主役は人間自身(地球出身の霊たち)ですが、天使は摂理の執行者として、側面から人類救済計画に関わっているのです。

9)天使の存在と多神教の成立

霊界の天使たちを霊視していた太古の人々

物質文明が現在ほど支配的でなかった古代の地球人類は、現代人よりもずっと霊能力を発揮していました霊能力の有無が、必ずしも霊性の進歩のレベルを示しているわけではありません。霊性のレベルとしては、かつての地球人よりも現代人の方が全体的に進んでいます)。古代人の多くが、霊界の天使たちを霊視することができました。霊界の至る所に存在する、光り輝く天使たちの姿を認識していたのです。

多神教の形成――天使を神々とする信仰の成立

天使は、地球に人類が登場する遥か以前に誕生し、進化の道を歩んでいました。そうした天使たちに対して、進化の歴史が浅く未熟な霊性レベルにあった地球人が、脅威と恐れを抱いたとしても不思議ではありません。人々は、人間の霊たちとは違って目映いばかりに光り輝く天使たちを“神々である”と思うようになりました。そして天使たちを畏れ崇拝し、信仰の対象とするようになったのです。こうして地球上のさまざまな地域に「多神教」が形成されることになりました。

多神教は、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)からは、原始レベルの宗教と見なされます。しかし心霊学的知識に照らしてみると、それはキリスト教などの一神教よりも多くの点で「霊的事実」に忠実であり、内容的に正当性を持っていることが分かります。

神と天使の区別――「一神教」と「多神教」の線引き

時代が進み一神教の宗教が形成されるようになると、そこでの信仰対象は「唯一の神(エホバ・ゴッド)」だけに限定されることになりました。そして、それまでの天使たち(神々)との間に明確な区分がなされるようになったのです。神−天使界―人間界という3階層の関係の中で天使界は位置づけされ、神と神々(天使たち)との間には一線が引かれることになりました。天使は、神と人間との中間にあって、仲を取り持つ存在(神の御使い)と考えられるようになりました。こうして「一神教」のもとで、天使たちを信仰の対象とする多神教は排斥されるようになっていきます。

しかしカトリック教会の中では、神(ゴッド)への信仰と並行して、熱心な天使信仰も存在しました。唯一神信仰のもとでも、天使への崇拝の念は人々の間に根強く生き続けたのです。そして中世を経て宗教改革の時代を迎え、天使を信仰対象とする多神教的姿勢が厳しく糾弾されるようになっていきます。

日本の神道の神々とは――天使を神々とした純粋な多神教か?

日本の神道は、しばしば多神教の代表のように言われます。しかし日本の神道が、果して天使たちを神々と認識したところに成立した純粋な多神教であるかどうかについては、多くの疑問が付きまといます。古代の日本では、地方の豪族ごとに“守護神”が祭られていました。その大半が天使を霊視したところに成立したものと思われます。それと同時に、氏族の先祖の霊たちが“祖霊(氏神)”となって子孫を守護するという祖霊・氏神信仰も存在していました天使信仰と先祖霊信仰が並列して存在していたということになります)。古代社会は祭政一致が当たり前であり、守護神・氏神は、氏族を代表する存在と見なされてきました。

やがて大和朝廷の前身である一有力豪族が、各地方の豪族を徐々に支配していきます。その勢力拡大の過程で、支配下に収めた各豪族の守護神を、自分たちの守護神(天照大神)のもとに従属させる必要が生じるようになります。そうした政治的意図のもとに、人工的につくり出された宗教が「神道」だったのです。神話(古事記)の中には、大和朝廷の守護神(天照大神)を頂点とする神々の体系が示されています。そして神話によって、大和朝廷の王が日本を治めることが正当化されています。

神道の中には多くの神々が登場しますが、それらは霊視によって認識された天使たちの実際の世界ではありません。各地方の豪族のもとで行われてきた信仰では、天使が神々として崇拝されていた可能性は十分考えられますが、神道という人工的宗教において登場する神々は、必ずしも天使たちを表したものではありません。心霊学の観点からすれば、神道は純粋な多神教とは言えません。

10)ユダヤ教・キリスト教における天使たち(異郷の神々を天使として取り込んだ天使論)

天使となった異教徒の神々

旧約・新約聖書の中には、天使に関する記述が見られます。その多くが、異教徒の伝説から借用したものであったり、単なる人間の作り話であったりします。

聖書に登場する天使のルーツをたどると、ユダヤ教の中に取り込まれた異教の神々と、その神話伝説に行き着きます。このあたりの事情は、日本の神道における神々神話に登場する八百万の神々)のケースときわめて似ています。古来より地球上の各地には神話が存在し、その神話に基づく宗教と政治が行われてきました。聖書に登場する天使たちは、こうした各地の神話に由来しています。

聖書に登場する天使の中で最もよく知られた存在は、ミカエルとガブリエルです。これにラファエルとウリエルを加えて“四大天使”と呼ばれています。これらの天使たちに共通する“エル”という語尾は、聖書で天使と呼ばれている存在が、元来異教の神々(エル)であったことを示しています。ミカエルという名称はカルデアの神、ガブリエルはシュメールの神に由来すると言われます。異教の神々は、聖書の中で天使として重要な脇役を果たしていくことになります。

天使を教義の中に取り込んだキリスト教

AD325年のニケーア公会議で、教会は天使をキリスト教の教義に含めることを決定しました。ここからキリスト教における「天使信仰・天使崇拝」が始まることになります。キリスト教にとって、天使は重要な存在となりました。その後、中世神学において天使論の大成を見ることになり、天使崇拝は頂点に達するようになります。キリスト教で説かれる天使の内容は、霊的事実に基づくものではありません。その多くが人間の推測の域を出ないものです。

しかしそうしたキリスト教の天使論の中にも、スピリチュアリズムから見て正しい内容が含まれています。中世において体系化された天使論では、天使の世界が壮大なヒエラルキー(階級世界)であることを述べています。この点は、まさに事実を言い表しています。もちろんヒエラルキーに関する具体的な内容や天使の名称については間違っていますが、天使を神と人間との媒介者であり、天使を人間よりも神に近い存在としている点についてはある面では正しいと言えますイスラム教では、天使の存在を信仰教義の中に組み込んではいるものの、その位置を人間よりも低いとしている点でキリスト教とは違っています)。また、人間は神の前に直接出て行くのではなく、天使を介して神と通じるということを述べていますが、その点においてもキリスト教は正しい見解を示しています。

プロテスタンティズムの天使観

中世において一世を風靡した天使崇拝は、宗教改革によって登場したプロテスタンティ ズム(新教)から厳しく弾劾され排撃されることになりました。プロテスタンティズムは、天使崇拝に見られる異教性・異端性をキリスト教的ではないとして強く否定しました。プロテスタンティズムは、どこまでも神中心の信仰のみを主張し、天使崇拝を間違ったものとしたのです。

崇拝の対象者・祈りの対象者は“神のみ”というプロテスタンティズムの主張は、スピリチュアリズムと同様の見解に立っています。ただしスピリチュアリズムでは「霊的事実」に基づいて、神の代理者としての天使の存在と働きを認め、その重要性を主張する点で、プロテスタンティズムとは一線を画しています。

高級霊(指導霊・背後霊)と天使の混同

天使と人間の交わりは現実の出来事であり、すでに述べてきたように人間は絶えず天使の影響を受け、その支配下にあります。天使の存在しない所、天使と関わりのない営みはありません。スピリチュアリズムにおいては、天使の導き・働きかけは歴史的な一時の出来事・特別な出来事ではなく、日常における当たり前のことなのです。

さて、天使の存在を重視するキリスト教社会(特にカトリック)の中では、天使はさまざまな場面で人間の前に登場します。天使からの啓示や導き・助けは、クリスチャンにとっては、ある種の憧れであり、信仰生活上の記念すべき出来事です。しかしキリスト教社会において天使の働きとされてきた内容の多くは、実際は天使ではなく、高級霊(指導霊・背後霊)によるものでした。高級霊の声を天使の声と勘違いしたり、窮地における高級霊の援助と導きを、天使の働きによるものと間違って理解してきたのです。

天使は神の王国の役人として、安易に人間に手出しできない立場にあります。天使は摂理の番人であって、背後霊・守護霊のように地上人を直接導いたり、守護することはありません。

キリスト教の中には“天使の声を聞いた”という多くの聖職者の逸話が残っていますが、実際には天使ではなく高級霊の声であったと考えるべきです。ジャンヌ・ダルクや聖フランチェスコは天使の声を聞いたとされていますが、それも同様のことなのです。またイエスの誕生に際して、ガブリエル天使がマリアに受胎を告知したということになっていますが、もし本当にマリアが声を聞いたとするなら、それはガブリエル天使ではなく、人間の霊の声であったということなのです。

11)キリスト教の「堕天使悪魔説」――人類史上最悪の天使論

人類に対する“最大の罪”

キリスト教が人類に対して犯してきた最大の罪の一つは、「堕天使悪魔説」という間違った教義をつくり上げたことです。この霊界の事実から懸け離れたフィクションとしか言いようのない教義に、地上人類は洗脳され、翻弄されてきました。キリスト教によってつくり上げられた罪なる教義は、長い間、人類を不幸の中に陥れてきたばかりでなく、現在の宗教にも影を落とし、多くの人々の不安を煽り、狂信へと駆り立てています。

しかし人類にとって最大の敵とも言うべき「堕天使悪魔説」は、スピリチュアリズムの登場によって今や根本から覆されようとしています。キリスト教は、根幹となる教義の崩壊によって存在価値そのものが疑われるようになっています。

堕天使伝説

旧約聖書の冒頭にある『創世記』には、人類の先祖をサタンが誘惑し堕落させるという話が載っています。「サタンはもとは天使であったが、神の掟(おきて)に背いて人間を誘惑し、ここに人類の原初の罪が発生するようになった。これが“原罪”と呼ばれるもので、その罪は人類全体に及び、人間は“罪人”としての宿命を背負うことになった。神の掟に背いたサタンは、天国から追放され地獄に行くことになった」――以上が有名なサタン伝説・堕天使伝説のあらましです。サタンとなった天使は“大天使ルシファー”と同一視されています。この大天使はあらゆる天使の中で最高位にあり、特別に光り輝く存在であったと言われています。

“天使が堕落する”という話のモチーフは、異教の伝説の中にも存在します。善なる神(善神)に反対する悪なる神(悪神)という構図は、ユダヤ・キリスト教以外の他の宗教にも存在します。こうした堕落天使伝説は、ダンテの『神曲』やミルトンの『失楽園』によって、広く地球上に知られることになりました。

さて、キリスト教神学では「堕落天使の“罪”とは何であるのか?」が議論されました。そして、いくつかの説が登場しました。その代表的なものが、情欲説であり傲慢説であり自尊心説です。また嫉妬説や性交説まで飛び出しています。

しかし摂理の執行者たる天使が、摂理に背いて神に反する悪感情(傲慢さ・虚栄心・怒り・嫉妬・情欲)を持つようなことはありません。なぜならそうした利己的な悪感情は、肉体を持った人間だけに発生するものだからです。肉体本能から発する感情は利己的となり、霊の心から発する感情は利他的となります。この相反する感情が、内面(心の中)で衝突するようになるのです。これが地上人の“内面葛藤”の実態ですが、肉体を持たない天使や高級霊たちには、こうした葛藤はありません。人間は死によって肉体を捨て去ると、醜い悪感情は短期間で消滅するようになります。

そうであるのに一度も肉体を持ったことがない天使、しかも高度に進化した大天使と言われる存在が、どうして地上人だけが持つ利己的感情を所有するようになったのでしょうか。それは天使に関する霊的知識がないために、勝手に自分たち地上人を基準にして天使を邪推した考えにすぎません。“天使の堕落”というような出来事そのものが、実際にはあり得ないことなのです。

キリスト教による「サタン魔王説」の強調

旧約聖書の中では、サタンは地獄に追放されたとするものの、神に対峙するような悪の一大勢力の長としては登場していません。神に敵対する勢力の首領(魔王)としてのサタンは存在していません。

それがキリスト教の時代になって、サタンは大きく様変わりし、「悪魔の首領(魔王)」として強調されるようになりました。世界は神の支配する善の勢力と、魔王(サタン)の支配する悪の勢力に二分され、この間で激しい戦いが展開するという構図ができ上がりました。そして“ミカエル天使”が善の勢力の代表としてサタンと戦うということになります。

キリスト教会は、自分たちへの反対者・対立者をサタンの勢力と見なし、敵視していきます。自分たち以外は皆、サタンであるといった方向にエスカレートしていきます。キリスト教会は、物欲とエゴと間違った教義のもとで腐敗・堕落の道をたどり、やがて善良な人々に対する不当な迫害を始めるようになりました。中世における恥ずべき“魔女狩り”はこうして起こされ、教会にとって都合の悪い人間を“悪魔の手先”として抹殺することになったのです。教会への反対者や霊能者には一方的に“サタン”のレッテルが貼られ、残酷な拷問が加えられました。

こうしたキリスト教会の狂信的蛮行は中世だけの出来事でなく、つい最近に至るまで行われてきました。現代の多くのキリスト教社会の中でも、霊的現象は依然としてサタンの業として見なされています。霊能者はサタンの手先と決めつけられ排斥されています。そして最大の非難・攻撃の矛先が“スピリチュアリズム”に向けられているのです。

「サタン魔王説」を悪用した洗脳と恐怖の支配

霊的世界のことは一般の人間には分からないのをいいことに、キリスト教会をはじめとする多くの宗教では、デタラメな教義を平気で信者に強いてきました。また教義に異論を唱える者にはサタンのレッテルを貼り、非難・迫害の手段に出てきました。人々はサタンに対する恐れと、教会の権力に対する恐れという二重支配の中で完全に洗脳され、それ以外の考え方ができなくなりました。その結果、本来なら人間の霊的成長を促すべき宗教が、霊的成長を真っ先に阻害・妨害する最悪の存在になってしまいました。

2千年もの間、キリスト教は地上人類に対して卑劣な洗脳を行ってきました。そして現在の多くの宗教も「サタン魔王説」を悪用して洗脳を行っています。

スピリチュアリズムによる「堕天使サタン説」「サタン魔王説」の打破――霊界にサタンはいない

霊界主導によって展開されているスピリチュアリズムは、地上人類を恐怖と洗脳の中に陥れてきた「堕天使サタン(悪魔)説」と「サタン魔王説」を根本から否定します。霊界の高級霊からの通信によって、これまでキリスト教で説かれてきた教えが間違いであり、作り話にすぎないことが明らかにされました。

スピリチュアリズムは「霊的事実」を根拠にして、キリスト教の罪観・救済観を完全に否定しました。霊界には、サタンというような“堕落天使”は存在しません。堕落の結果生じたとされる“原罪”も存在しません。そして魔王(サタン)を中心とする“悪の一大勢力”は存在しないのです幽界下層にたむろして悪行をなす“低級霊”は存在しても、魔王(サタン)のもとに結集して神に対峙・対抗する悪の組織的勢力は存在しません)

「悪の軍団とは、このような未発達・未熟な霊のことであり、それが親和力の働きによって、聖なるもの・善なるものへの反抗心のもとに結束するのです。(中略) こうした低級霊が実に多いのです。そのすべてが我らの敵なのです。」

(質問)――その首謀者というべき“悪魔”がいるのでしょうか。

「彼らを扇動する悪玉はたくさんいます。しかしキリスト教神学で説くような“悪魔”は存在しません。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.33〜34

「想像上の産物にすぎない悪魔の問題で心を悩ますことはやめることです。真摯な心の持ち主、純真な心の持ち主、誠意ある心の持ち主にとっては、神学がまことしやかに説く悪魔も魔王も存在しません。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.160

「かつては異常行動をする者はすべて“悪魔の憑依”とされました。が、“悪の化身”という意味での“悪魔”は存在しません。霊性の進化の程度が低いという意味での低級霊で、その発想に邪悪な要素が強いというにすぎないのです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.212

「組織的犯行といっても、聖書にあるような天界から追放された堕落天使の反乱の話を想像してはなりません。あれは象徴的に述べられたまでです。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.236

(質問)――悪魔はキリスト教が生み出したのでしょうか。

「そうです。自分たちから見て悪と思えるものを何とか片づけるためには、そういうものを発明しなければならなかったのです。」

『シルバーバーチの霊訓(5)』(潮文社)  p.154

こうした「霊的事実」に照らしてみると、キリスト教が虚構の上に築かれた人工的な宗教であることが分かります。もちろんキリスト教の中にも、誠実で真摯な求道者・信仰者はたくさんいます。しかしシルバーバーチが強く非難しているように、キリスト教は今日まで間違った教義で人々の魂を牢獄に閉じ込め霊的成長の道から遠ざけてきた、地上に存在してはならない宗教と言えます。

「堕天使サタン説」「サタン魔王説」に洗脳された人々

教義による宗教的洗脳は人間の潜在意識にまで及び、すべての思考や判断を強く支配するようになります。“信仰”とは、教義による洗脳プロセスと言っても過言ではありません。宗教教義による洗脳は、目の前の出来事から世界情勢に至るまで、何から何まで教義に当てはめて判断し解釈するような意識をつくり上げます。

堕天使説・サタン魔王説に洗脳された信者は、自分の周りに生じるトラブルのすべてを“サタンの仕業”と考えるようになります。自分に反対する者はサタンであると決めつけ、サタンが働いて自分を神から引き離そうとしていると思うようになります。

そうした状況は“低級霊”にとって願ってもないチャンスです。地上人をからかい、騙し、悪事を働く絶好の機会として働きかけます。低級霊は、いろいろな心霊現象を引き起こしてはサタンの仕業であるかのように見せかけ、恐怖心を煽って面白がります。単に低級霊がからかっているにすぎない出来事も、間違った教義に洗脳された人間には、すべてサタンの仕業として映るようになるのです。

地上でサタン実在説に洗脳され、地上人生を間違った考えのもとに過ごした人も、死後は霊界でサタンなど存在しないことに初めて気がつくようになります。そして自分の地上人生が、いかに真実から懸け離れたものであったかを実感し、しばらくは後悔と無念の中で時を過ごすことになります。

サタンを利用して“低級霊”がからかう

キリスト教徒の中にも、心霊能力のある人間がいます。そして「自分は実際にサタンを見たことがある。遭遇したことがある」と主張する人がいます。しかし結論を言えば、そうした人間が見たというサタンは、実在するサタンではありません。その多くが低級霊のつくり出した想念霊後述します)であったり、低級霊の変化(化身霊)であったりします。

間違った教義(サタン魔王説)によって洗脳された地上人、特に霊能者は、低級霊にとっては実に都合のいいカモなのです。そうした地上人を、低級霊はどのようにでも操ることができます。霊視能力のある者に、わざとつくり出したニセの映像を見せつけ、さもサタンが実在するかのように信じ込ませることもできます。また霊聴能力のある者の耳元に“自分はサタンだ”とささやきかければ、恐怖を与え怯えさせることもできます。こうしたことを繰り返して騒ぎを引き起こし、サタンの存在が事実であるかのような風潮をつくり出すのです。

低級霊によるからかいは、宗教教団全体を相手にしたときには、さらに効果的になります。霊界から教祖や幹部の自尊心・プライドを操ることで、教団全体を自由自在に混乱させ、翻弄することができるようになります。こうして間違った教義(サタン魔王説)は、教団全体を狂気の中に巻き込むことになるのです。純粋な人間がいったんそこにはまり込んでしまうと、なかなか抜け出せなくなります。恐怖に駆られた人間を間違った教義で縛り付けておくことは、低級霊にとっても宗教教団にとっても、いとも簡単なことなのです。

12)天使に関する諸説と天使ブームの間違い

天使については、その内容の多くが地球人には秘密にされています。そのため天使には常に謎が付きまとい、天使に関するさまざまな説その中にはデタラメで怪しいものが多い)を生み出すことになります。この章の最後に、これまでに存在した天使に関する諸説の中から、いくつか見ていくことにします。

スウェーデンボルグの天使論

中世のキリスト教から抜け出て、現在のスピリチュアリズムに最も近い立場に立っていた人物がエマヌエル・スウェーデンボルグでした。彼は霊体離脱の状態でたびたび霊界を探訪し、その体験を記録として残しました。それは地球人類にとって、初めての本格的な霊界の記述でした。彼はまさにスピリチュアリズムの先駆者であり、多くの霊的知識を地上世界にもたらしました。

スウェーデンボルグは、独特の天使論を展開しています。従来のキリスト教の天使論を離れ、自らの霊界見聞に基づく天使論を主張したのです。スウェーデンボルグの天使論のポイントは、「天使はもとは人間であり、姿も人間のようであって、人間と同じように家に住み、食事をし、結婚もし、仕事に従事している」というものです。彼は天界に住む人々を天使と呼び、その天使たちは、かつて地上で生まれた人間であると述べています。彼の天使論は、「天使イコール人間(高級霊)説」ということになります。

結論を言えば、スウェーデンボルグの天使論は正しくありません。霊界にいる人間の霊を“天使”と呼んだまでのことであって、見方によっては「人間の霊」の存在だけを認め「本当の天使」の存在を否定しているとも言えます。彼ほどの霊覚者であっても、シルバーコードで肉体につながれ、肉体的・物質的影響を完全に排除できない中での霊界探訪には、どうしても多くの制約が付きまといます。肉体と完全に関係が断ち切れた霊界人のようには、明瞭な霊視認識ができないのです。霊視能力も行動範囲も限定され、そのために天使の状態を正確に認識できなかったのかもしれません。それが人間の霊(高級霊)と天使を混同させることになってしまったと思われます。

アラン・カルデックの天使観

スピリチュアリズム運動の初期の代表者アラン・カルデックも、スウェーデンボルグと同じような天使論を述べています。彼は著書『天国と地獄』の中で、天使とは進化した人間の霊のこと、すなわち高級霊のことであると述べています。これにはスウェーデンボルグの影響があるのかもしれません。

カルデックは霊界からの通信に基づいて、スピリティズム(ラテン系スピリチュアリズム)を確立しました。カルデックの天使論は、スウェーデンボルグと同様に天使の存在そのものを否定する見解と言えます。しかし、カルデックが編集した『霊の書(世界三大霊訓の一つ)の中には、「天使イコール高級霊説」はありません。そこには、人霊とは別の天使の存在について言及している箇所が見られます。

したがってカルデックの説いた「天使イコール高級霊説」は、霊界から示された教えではなく、カルデック個人の考えであることが分かります。カルデックの間違った個人的な見解がスピリティズムを通じて広まったとするなら、実に残念なことです。カルデックはスピリチュアリズム運動の勃興時に、すでに再生の事実を主張し、スピリチュアリズムに大きな貢献をしましたが、その一方でこうした間違った天使論を述べたことは、ある意味で汚点を残したことになります。

『霊訓』の中での天使論

『霊の書』の出版後、しばらくしてステイントン・モーゼスによる『霊訓』英国系スピリチュアリズムのバイブルで“世界三大霊訓”の一つ)が出版されています。そこには高級霊と天使が別の存在であることが明記されています。カルデック以降、天使に対する認識が進歩したことがうかがえます。

一方『霊訓』の中には、インペレーター霊が高級霊を“天使”と表現している箇所があります。高級霊を天使と呼ぶことは、他の霊界通信においてもしばしば見られます。当時の人々が十分な霊的知識のないところで霊界や霊界の住人について質問をしてきたのに合わせ、霊界側が高級霊を天使と呼んでいるのです。通信内容の全体から“天使”という用語が「人間の霊」を意味していることが理解されます。霊界通信を読む際には、この点について注意しなければなりません。“天使”という用語が出てきた場合、高級霊を指しているのか、それとも本当の天使を指しているのか、しっかりと判別して読み進める必要があります。

浅野和三郎の「竜神イコール天使説」

日本スピリチュアリズムの祖、浅野和三郎の「竜神説」はよく知られています。浅野は、竜神が人類の霊的祖先であると言います。そして天使・如来・菩薩・神仙を、竜神と同一の存在であるとしています。すなわち彼は、竜神と天使を同じものと考えていたのです。竜神(天使)は、その発達の程度に応じて幽界・霊界・神界の各層に実在し、その数は増えつつあると言います。

彼はまた、「地球に人類が登場する以前には、竜神がこの世界の代表者であったが、ある時期に竜神は分霊を出して人間を創造した」と言います。「地上の人間は、あくまでも竜神の統制下にあり、常に絶対的な力による支配を受けている。そして個人には個人の守護神(竜神)がおり、民族には民族の守護神(竜神)がおり、太陽系には太陽の守護神(竜神)がおり、この“太陽神”こそが、人類にとっての宇宙神である」と説いています。以上が浅野の「竜神イコール天使説」の骨子です。

竜神が天使であるとするなら、浅野の言う天使(竜神)についての説明は、多くの点で正統なスピリチュアリズムの見解と一致します。しかし同時に相違点も見られます。その一つが竜神(天使)が人類を創造したという点、もう一つは竜神(太陽神)を宇宙神と同一視している点です。

言うまでもなく人間を創造したのは「神(大霊)」であって、天使ではありません。人類の創造に天使が深く関わってきたことは事実ですが、天使が人間を創造したというのは間違いです。天使も人間も、神(大霊)の分霊を付与されることによって、永遠の霊的存在として誕生するようになったのです。天使と人間は同じ「神の子供」であって、天使は人間の創造者ではありません。竜神(天使)を宇宙神と同一視している点も間違っています。高級天使が、神の代理者・神の王国の役人として太陽系全体を統括支配していることは事実ですが、その高級天使が大霊であるとは言えません。

こうした点において、浅野の「竜神イコール天使説」は訂正されなければなりません。

天使イコール宇宙人説

天使に関わるこっけいな説の代表が、「天使イコール宇宙人説」です。これは従来天使と言われてきた存在が、実は宇宙からの来訪者・宇宙人であったというものです。そしてこの説は“UFO伝説”と重なって、「天使(宇宙人)がUFOに乗って地球にやってきた」という説に発展(?)しています。

地球上には宇宙人と接触したという人々(コンタクティー)がいますが、その話の多くは催眠術を受けている間に思い出したとされるものであり、催眠の誘導によってつくり出された“フィクション”の可能性が濃厚です。あるいは“低級霊”が地上人をからかうために引き起こした霊的な演出であることも考えられます。もし未知なる存在との遭遇が事実であるとするなら、それは宇宙人ではなく、霊界人か本物の天使であったと考えるべきです。

天使からのチャネリング?

海外のニューエイジや日本の新新宗教、あるいは心霊世界に関心がある人々の間では、しばしば天使からの通信(チャネリング)が話題となります。その天使ですが、何と言っても“ミカエル大天使”が圧倒的に多いのが特徴です。キリスト教の中でも、ミカエル大天使の存在が重要視されてきましたが、ここでも同じようにミカエル天使がひんぱんに登場するのです。チャネリング(霊界通信)を通じて届けられたとされるミカエル天使からのメッセージは膨大な量に上ります。

しかし天使からのメッセージと言われるものの大半が、実際には低級霊からの通信であったり、チャネラー(霊能者)の単なる思い込みや作り話であったりします。すでに説明しましたが、そもそも高級霊(人間の霊)を差しおいて、天使が優先的に人類にメッセージを送るというようなことはありません。なぜなら地球人類にとって必要なメッセージは、まず高級霊を通じて届けられるようになっているからです。高級霊は、同じ地球出身の先輩霊としての責務があるために、地球人類を助け導くのです。ここに地球圏全体としての「自己責任の摂理」があります。

天使が霊界において高級霊にメッセージを与えることは、たびたびあります。しかし天使が地上人に直接メッセージを伝えるようなことは、ほとんどないと言っても過言ではありません。したがって天使からのメッセージとされるものや、天使とチャネリングすると言うような霊能者(チャネラー)に対しては、その真偽を疑ってかかるべきです。

天使ブームの問題点

天使からのチャネリングと同様に気をつけなければならないのが、天使に対する低俗な好奇心から引き起こされる“天使ブーム”です。もし地上人が天使について正しい霊的知識を持っているなら、安易に天使に好奇心を抱いたり、過大な関心を寄せるようなことはないはずです。軽率に天使の名前を持ち出すようなことはないはずです。

中世ではキリスト教の間違った教義によって天使ブームが起こりましたが、それと同じようなことが、その後も繰り返し発生しました。現在でも日本の新新宗教や精神世界、そして欧米のニューエイジの中では、軽々しい天使ブームが巻き起こっています。ミカエル天使の生まれ変わりと称する霊能者や、ミカエル天使が守護霊・指導霊であると主張する教祖やチャネラーたちが、次々と現れています。そして人々の低俗な好奇心と関心につけ込んで、狂信じみた天使ブームをつくり上げています。

言うまでもないことですが、ミカエル天使が人間に生まれ変わるというような話は事実ではありません。世界中に、ミカエル天使の生まれ変わりであると言う人間や、ミカエル天使が守護神・指導霊であると主張する教団が多く存在しますが、そうしたことはあり得ないのです。そもそも“ミカエル”という名前の天使は、霊界には実在しません。ミカエルなどの天使の名前を用いる霊能者や教団は、何の根拠もない詐欺に等しいことをしているのです。稀に霊界人が、地上人の未熟さに合わせて好意的に配慮し“ミカエル天使”などといった名前の使用を黙認することがありますが、その場合も決して本当の天使ではないことを知っておくべきなのです。

また天使ブームの中で、天使からのメッセージを受け取ったとか、天使の守護によって危機から救われたというような体験がしばしば語られますが、それは天使ではなく人間の霊、特に守護霊の働きによるものです。臨死体験者が天使と会ったというような話もよく聞きますが、それも天使ではなく、すべて人間の霊なのです。

地上人にとって真っ先に意識すべき対象は「神と守護霊」であって、天使ではありません。守護霊を無視し、天使だけに意識を向けるという点で、天使ブームは大きな間違いを犯しています。現在の“天使ブーム”は、占いブームや前世さがしブームと共通する、実に馬鹿げた風潮と言えます。