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1)スピリチュアリズム運動への敵対者・反対者とは

地球人類を“地上地獄”の悲劇から救うために、霊界側は総動員体制で救済運動を展開してきました。それは「霊的真理」を地球上にもたらして「霊的無知」を克服し、「物質中心(至上)主義」と「利己主義」を駆逐するという目標のもとで進められてきました。霊的真理が広まることによって地球人類は「霊的無知」から解放され、物質中心主義を「霊中心主義」に、利己主義を「利他主義」に変えて、地球上を覆うすべての悲劇と不幸を一掃することができるようになります。

ところが、こうした霊界を挙げての「救済運動(霊的真理の普及計画)」を快く思わない勢力が存在します。彼らは必死になってスピリチュアリズムの発展を妨害し、阻止しようとします。そのため霊的真理を広めようとする霊界のスピリチュアリズムの勢力(高級霊たち)は常に、敵対者・妨害者との戦いを余儀なくされてきました。そして当然のこととして、私たち地上のスピリチュアリストも、さまざまな反対勢力からの攻撃を受けることになります。

スピリチュアリズムへの敵対者・反対勢力とは――具体的には「霊界の低級霊の勢力」「地上の宗教勢力」「独裁者・独裁勢力」「唯物論者」「スピリチュアリズム内部の敵」「ニセ霊能者」の6つに分類されます。こうした反対勢力が、スピリチュアリズムの発展を阻止しようとするのです。霊界の道具として霊的真理の普及活動に参加するスピリチュアリストは、反対勢力との戦いを避けて通ることはできません。反対勢力との戦いは霊的人生の一部であり、不可欠な霊的実践なのです。

スピリチュアリズムの発展を妨害しようとする敵対者・反対者との戦いから逃げようとする者は、神の道具としては失格です。戦う気概を持てない者は正しい霊的人生を歩んでいるとは言えず、高い世界を求めることはできません。「スピリチュアリストになる」ということは「霊界の軍団の兵士になる」ということであり、敵との戦いを宿命として受けていくということなのです。

以下では、スピリチュアリズム運動への敵対者について、一つ一つ見ていきます。

2)スピリチュアリズム運動を妨害しようとする、さまざまな敵対者たち

スピリチュアリズム運動への敵対者〈1〉――霊界の低級霊の勢力

霊界におけるスピリチュアリズムへの敵対者

霊界が総力を挙げて推進しているスピリチュアリズム運動の第一の敵対者は、霊界にいる“低級霊たち”です。シルバーバーチは次のように述べています。

(質問)――霊界にも組織的な反抗勢力の集団がいるのでしょうか。

「いるのです。それが我々にとって悩みのタネの一つなのです。組織的反抗といっても、聖書にあるような天界から追放された堕落天使の反乱の話を想像してはなりません。あれは象徴的に述べられたまでです。

残念ながら霊界にも、真理と叡智と知識の普及を快く思わぬ低級霊の勢力がいるのです。そして、スキあらば影響力を行使して、それを阻止しようとするのです。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.236

シルバーバーチによって、スピリチュアリズムの“敵”が地上だけでなく、霊界にも存在するという事実が明らかにされました。それは従来のキリスト教で説かれてきた神に反逆するサタンというような一大勢力のことではなく、“低級霊”による集団的な反抗・妨害行為のことですそもそも“サタン”は空想の産物であって、実際には存在しません)

『霊訓』の通信霊インペレーターも、シルバーバーチと同じく“低級霊”の暗躍について次のように述べています。

「今、そなたを中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味との間に熾烈なる反目がある。我らの霊団と邪霊集団との反目であり、言い換えれば人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせ挫折させんとする働きとの戦いである。それはいつの時代にもある“善と悪”、“進歩派と逆行派”との争いである。

逆行派の軍団には悪意と邪心と悪知恵と欺瞞に満ちた霊が結集する。未熟なる霊の抱く憎しみによりて煽られる者もいれば、真の悪意というよりは、悪ふざけ程度の気持ちから加担する者もいる。要するに、程度を異にする未熟な霊がすべてこれに含まれる。闇の世界より光明の世界へと導かんとする、我らをはじめとする他の多くの霊団の仕事に対し、ありとあらゆる理由からこれを阻止せんとする連中である。」

『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)  p.152〜153

“低級霊”の地上人への働きかけ

スピリチュアリズムの「霊的真理」が地球上に普及するにともない、霊界に送り込まれる霊的未熟者(低級霊予備軍)が減少し、“低級霊”は自分たちの勢力を維持することができなくなります“低級霊予備軍”とは、死後“地縛霊”となるような生き方をしている人間のことです)。また、人々の間に真理が広まることによって霊界での自分たちの悪事が露見し、思いどおりにできなくなるため、必死になって妨害工作に出るのです。

低級霊たちは、スピリチュアリズムの交霊会を妨害して霊的真理が届けられないようにしたり、ニセのメッセージを送って地上人を混乱させようとします。また、霊的に敏感な者に対しては霊的な威圧感を与えたり、恐怖心を煽ってスピリチュアリズムに接近させないようにします。

地上におけるスピリチュアリズムへの妨害・敵対行為の背後には決まって“低級霊”の働きかけがあります。低級霊は霊界から“宗教者・独裁者・唯物論者”に働きかけて、スピリチュアリズムへの嫌悪感や敵愾心を煽るのです「低級霊の悪事」についてはすでにスピリチュアリズムの思想[Ⅱ]で詳しく述べていますので、それを参考にしてください)

“低級霊の妨害”を大げさに考える必要はない

とは言っても、低級霊による妨害や敵対行為をあまり大げさに考える必要はありません。彼らが影響力を行使できるのは、霊界の最も低い領域である幽界下層と地上世界だけです。そして働きかけの対象者は、物質的欲望とエゴ性の強い人間だけなのです。物欲とエゴをコントロールし、高級霊の導きと援助を得て歩んでいる地上人には直接、働きかけることはできません。低級霊と波長が合う地上人だけが、彼らの妨害行為の対象となるのです。

地上人が自ら低級霊を引き寄せないかぎり、彼らは手出しすることはできません。まして高級霊と一体となっている地上人は、強固な守護・防護を受けているため、低級霊は近づくことさえできません。高級霊の支配下にある善の勢力の前には、低級霊の勢力など物の数ではないのです。「善なる者には善なる霊が近づき、悪なる者には悪なる霊が近づく」――これが“低級霊”との戦いの大原則です。

スピリチュアリズム運動への敵対者〈2〉――地上の宗教勢力

地上の宗教の弊害

地上の宗教は長い間、人類を“霊的牢獄”に閉じ込め、霊的無知の状態に陥れて、霊的成長を妨げてきました。そのためスピリチュアリズムは、地上の宗教を“人類の敵”と見なし、これを地球上から排除することを目標としてきました。当然、宗教はスピリチュアリズムの普及に脅威を感じ、反発するようになります。

特に強大な勢力・絶大な権力を握っている宗教であればあるほど、徹底してスピリチュアリズムに反抗します。「霊的真理」が広まることによって自分たちの“宗教教義”の間違いが白日の下にさらされるようになるため、宗教者・聖職者たちは恐れおののいてスピリチュアリズムに攻撃を仕掛けてくるのです。

“既得権”を失うことを恐れる聖職者たち

聖職者たちがスピリチュアリズムに激しく反発する理由は、スピリチュアリズムが普及することによって、自分たちの宗教上の“既得権”を失うことになるからです。霊的真理を知った多くの人々は、それまでの宗教を離れ(信仰を捨て)、スピリチュアリズムに走るようになります。それは宗教組織の上にあぐらをかき、特権をかざしてきた聖職者たちの没落を意味します。

このようにスピリチュアリズムの普及は、既存の宗教と宗教組織にとって最大の脅威となります。そのため彼らは組織を挙げて、必死になってスピリチュアリズムの発展を阻止しようとするのです。

スピリチュアリズムを“サタンの勢力”と決め付ける

既存の伝統宗教がスピリチュアリズムを非難するときの言い分は、ほぼ決まっています。「スピリチュアリズムはサタンである」あるいは「サタンの手先・悪霊の集団である」というものです。

これまでキリスト教会は、スピリチュアリズムを“サタンの勢力”と決め付け、スピリチュアリズムを排除しようとして激しい迫害の手段に出てきました。組織の指導者・聖職者は自分たちの権威を保つために、必死になってスピリチュアリズムに“サタン”のレッテルを貼り、人々がスピリチュアリズムに対して嫌悪感を持つように扇動してきました。純粋な信者はそれをまともに信じ込み、スピリチュアリズムを“サタンの手先”として強い憎しみを抱き、敵視するようになりました。彼らは、スピリチュアリズムに反対することが神の前に正義であると思い込んでいるのです。

キリスト教との戦い

シルバーバーチは、次のように述べています。「私たち霊界の者からの働きかけを信じず、悪魔のささやきかけであると決め付けているキリスト教の聖職者たちは、その昔ナザレのイエスに同じ非難のつぶてを浴びせたユダヤ教の聖職者たちと同列です」『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.146)。

欧米におけるスピリチュアリズムは、常にキリスト教会からの激しい非難と攻撃にさらされてきました。スピリチュアリズムはまさに、迫害の歴史をたどってきました。今に至るまでのスピリチュアリズムにとっての“最大の敵”は、キリスト教という伝統宗教であり、キリスト教との戦いの中でスピリチュアリズム運動は発展してきたのです。

今後、大きな問題となるイスラム教との戦い

スピリチュアリズムは今後、キリスト教圏を越えて、イスラム教圏へと拡大していきます。すでに衰退期に入っているキリスト教とは違って、イスラム教は依然として大きな勢力を保持し、人々を強力に支配しています。したがってスピリチュアリズムがイスラム圏に普及していく際には、かつてのキリスト教圏と同様、激しい反発と非難を招くようになります。そして強烈な反対運動が起きるようになります。

政教分離が進んでいないイスラム世界では、宗教と政治との結びつきが強く、宗教が政治的権力を併せ持っています。そのため宗教は政治権力を利用して、強制的にスピリチュアリズムを排斥することができるようになります。こうした事情を考えると、地球上の国々の中でイスラム国家は、スピリチュアリズムを受け入れる最後の国となる可能性があります。周りの国々にスピリチュアリズムが浸透した後に、初めてスピリチュアリズムが入っていくことになると思われます。

今後のイスラム世界での「スピリチュアリズムの普及」は、政治の民主化の進展状況と物質文明の影響によるイスラム教の弱体化状況が、大きな決め手となります。イスラム教サイドからするなら、そうした事態は“伝統宗教の腐敗堕落”ということになりますが、霊的視点から見れば、「間違った教義による霊的奴隷状態からの解放」ということになります。

スピリチュアリズム運動への敵対者〈3〉――独裁者・独裁勢力

政治的独裁者・独裁組織

地上の宗教組織は、地上人の霊的・精神的世界に対する独裁的支配者と言えます。一方、物質レベルにも独裁的支配者がいて、スピリチュアリズムの普及を阻止しようとします。地上の物質的権力を持った勢力、特に政治権力を独占して支配力を掌握した独裁者はスピリチュアリズムに反発し、妨害するようになります。独裁者はスピリチュアリズムを強敵と見なし、積極的に攻撃してきます。

人類の歴史を見ると分かるように、独裁者は常に宗教を弾圧してきました。それは宗教の支配権力が、自分の独裁権力と対峙することになるからです。“心の支配力”を持つ宗教と“物質的・この世的な支配力”を持つ独裁者は、必然的に対立するようになるのです。今後、スピリチュアリズムが地球上に普及していくにともない、それと同様のことが起きるようになります。政治だけでなくさまざまな分野において、独裁者との対立・戦いが発生するようになります。

家庭や社会での“ミニ独裁者”

さて“独裁者”とは、一国の政治的な独裁者や独裁政権ばかりでなく、もっと小さな領域においても存在します。家庭にも人間社会にも、自由を拘束して霊的成長を妨げる独裁者的人間がいます。家庭内における独善的な支配者、社会や組織などにおける一方的な支配者も独裁者に含まれます。「霊的真理」という霊的成長を促す方向性がなければ、家庭内の親子関係や夫婦関係も、霊的成長を阻害する要因となります。「周りの人間を力づくで自分の思いどおりにしたい」という者は、程度の差こそあれ“独裁者”なのです。

そうした者は、自分の支配下にある人間がスピリチュアリズムや宗教という別世界に住むことを嫌悪し、反対するようになります。物質レベルの権力を用いて強制的に従わせようとし、無理やりスピリチュアリズムを放棄させるといった手段に出ることもあります。「周りの人間を自分に従わせたい」あるいは「支配したい」という“権勢欲・独占欲”とその裏返しである“嫉妬”が、そうした敵対行動に駆り立てるのです。

スピリチュアリズムが社会の隅々にまで普及していく過程においては、こうした“ミニ独裁者”との戦いは避けられません。それは「スピリチュアリストとして歩もう!」と決意した人にとっては、生活を共にする身近な人間からの直接的な攻撃となるため、大変な忍耐力が要求されることになります。

しかし考え方によっては、そうした反対や妨害は、自分の信仰を強化してくれる“ありがたい訓練・試練”とも言えます。

スピリチュアリズム運動への敵対者〈4〉――唯物論者

科学と物質文明の目覚しい進歩

19〜20世紀の科学の発達は、物質文明を目覚しいスピードで進歩させることになりました。科学の進歩は、それまで人類を支配してきた宗教特にキリスト教)の権威を地に落とし、現代先進諸国における“既成宗教離れ”を急速に促しました。こうした中で神や死後の世界を否定する“唯物主義”が台頭し、多くの人々の心を捉えることになりました。唯物論と科学万能主義は両輪となって、一時期、地球上を凌駕するような勢力を持つことになったのです。

スピリチュアリズムからの“唯物主義”への挑戦

そうした科学万能主義の確立期と時を同じくして“スピリチュアリズム”が勃興しました。そしてスピリチュアリズムは、当時世界を席巻しつつあった唯物主義と科学万能主義に挑戦状を叩きつけることになりました。スピリチュアリズムの勃興は、霊界サイドの計画によってなされたものです。したがってスピリチュアリズムは、出発の時点から“唯物主義”ならびに“科学万能主義”と対立する運命を背負っていました。

初期のスピリチュアリズムは、伝統宗教であるキリスト教の衰退にともなう人類の精神的危機を救済し、同時に物質主義に歯止めをかけるという2つの使命を持っていました。そして霊界側は計画的に、当時、世界の最先端に立っていた科学者をスピリチュアリズムに引き寄せて「心霊現象」の研究へと向かわせることになりました。科学者たちに「霊魂説の正当性」を証明させ、“唯物主義”を強引にねじ伏せてきたのです。

時代遅れとなった“唯物主義”

その後、科学自体の進歩によって、物質に対する見解が大きく変化することになりました。もはや従来の単純な「唯物論(ニュートン物理学に基づく物質観)」は消滅せざるをえないような状況が到来しました。これを機に、それまでスピリチュアリズムにおいて中心的な役割を果たしてきた「物理的心霊現象」は使命を終え、下火になっていきました。

しかしそうした科学の最先端の動向とは別に、多くの人々は相も変わらず“唯物主義”が成り立つかのように思い込んできました。21世紀の現在においても、堂々と唯物主義を主張する人間が存在します。彼らは依然として、宗教と科学は決定的に対立するものと思い込んでいます。そしてそうした時代遅れの“唯物主義”の立場からスピリチュアリズムを批判し、否定しようとするのです。

唯物主義者は科学を“錦の御旗”として掲げ、宗教ならびにスピリチュアリズムを迷信・インチキの名のもとに一掃しようとします。しかしそうした態度は時代に逆行するものであり、最新の科学に照らしてみれば、それは単なる個人の感情レベルの問題にすぎないことは明らかです。彼らは、もはや唯物主義は、論理的整合性・正当性を持ち得ないことに理解が及ばないのです。現在も、こうした的外れな唯物主義からの非難攻撃がなされています。スピリチュアリズム勃興当時ならまだしも、現在では“唯物主義”そのものが成立しなくなっているのです。

霊性の未熟性が“唯物主義”に走らせる

神や死後の世界・霊魂の存在は、科学の研究対象となる領域ではありません。科学では真偽の判別はできないものです。それが「宗教と科学の住み分け」という、科学の拠って立つ大原則なのです。科学によって「神や霊魂の不在」を証明することはできません。それは同時に、科学がどれほど発達しても「神や霊魂の実在」を証明することはできないということを意味します。神や霊的世界については、どこまでも信仰領域・霊的領域の問題なのです。

スピリチュアリズムでは、地上人が一定の霊性レベルに至ると、神や霊的世界に対する受容性ができるようになるとしています。言い換えれば、霊性レベルが未熟であると、どうしても神や霊界の存在を認めることができず、“唯物主義”に走るようになるということです。そしてそうした自己の正当性を主張するために、科学を引っ張り出して的外れな批判・反論をするようになってしまいます。

先ほども述べましたが“科学は、神や霊魂の存在を否定するもの”という考え方は、明らかに時代遅れの間違った認識です。今はスピリチュアリズムに猛反発している人々も、今後の長い霊的成長の道のりの中で一定の霊性レベルに至ると「魂の窓」が開かれ、霊的なものを受け入れることができるようになります。“霊的エネルギー”をふんだんに取り入れられるレベルにまで成長した人は、無条件に霊的なものに対する受容性・信仰性が芽生え、神や霊界の存在を認めることができるようになるのです。

地球上の片隅に追いやられていく“唯物主義者”

唯物論者たちがどんなに大声で、「神などいない。霊界もなければ、霊も存在しない。死ねばすべて無に帰してしまう」と叫んでも、地球全体のレベルで見ると、時間とともに神や霊界の存在を受け入れる人々は確実に増えていきます。かつてのような無知ゆえに狂信に走るといった時代は過ぎ去り、現代人としての知性と批判精神を持ちながら、神や死後の世界を信じるという人々の数が増加していくことになります。やがてそれほど遠くない将来には、唯物論者は地球上の少数派となり、自動的に社会の片隅に追いやられていくことになるのです。

“唯物主義”という時代遅れの知識でスピリチュアリズムを攻撃できるのは、今のうちだけです。

スピリチュアリズム運動への敵対者〈5〉――スピリチュアリズム内部の敵

スピリチュアリズム内部の敵

スピリチュアリズムが世界中に広まっていくにともない、今後、最も問題となるのは“スピリチュアリズム内部の不純分子”――すなわち不純なスピリチュアリストたちです。この勢力は、外部の敵対勢力よりもはるかに厄介です。彼らは、外部からスピリチュアリズムを攻撃する敵対者とは異なり、内部からスピリチュアリズムを崩していくことになるからです。霊界を挙げての神聖で犠牲的な救済活動を貶めるようなことをスピリチュアリスト自身が行うのは実に嘆かわしいことですが、現実にそうした者たちが存在しています。

ある時、シルバーバーチは次のように述べています。

「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる――つまり、生半可な知識ですべてを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。悲しいことに、見栄と高慢という煩悩が害毒を及ぼしているのです。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.46

「問題は、中途半端な理解で終っている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。」

『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』(ハート出版)  p.146

守護霊による長い時をかけた導きの結果、やっとスピリチュアリズムにたどり着いた地上人がスピリチュアリズムの“最大の敵”になるというようなことは、きわめて残念です。しかし実際に、シルバーバーチが指摘したような“スピリチュアリズム内部の敵”と言うべき人間が多く見られます。

特に最近では、インターネットを通じて、そうした人間の無知きわまりない実情を目にするようになりました。“スピリチュアリスト”としての限度を超えた低俗な言動がスピリチュアリズムの権威を失墜させ、スピリチュアリズムに泥を塗ることになっています。

“内部の敵”の共通性と、彼らの本音

スピリチュアリズムの発展の障害となっている人たちは、シルバーバーチが指摘しているように霊的真理を中途半端にしか理解していません。そして、自分をよく見せたいという“見栄”と、自分は知性的で優れた人間であると思い込んでいるきわめて幼稚な“傲慢さ”があります。「自分が目立ちたい、自分が一番になりたい、自分の存在を周りに認めさせたい、自分を善人に見せたい」という強い“自己顕示欲”があるのです。

彼らに共通するのは、スピリチュアリズムを自分にとって都合のいいものへ引き下げようとする身勝手な傾向です。彼らが願っているのは、自分たちを正当化できるような次元の低いスピリチュアリズム、自分たちの醜さが浮き彫りにされない世俗的なスピリチュアリズムなのです。

大きな罪を犯す内部の敵たち

霊的真理の正しい理解は、その人間を徹底して謙虚にし、寛容にします。思いやりと無私の精神と利他愛の思いを深くします。しかし“内部の敵”と言うべき者たちは、真理を知らないこの世の人々よりも利己性が強く、人間的に劣っています。煩悩(肉体本能)に翻弄され、エゴ的欲求をむき出しにして身勝手な意見を主張します。「知識には大きな責任がともなう」というスピリチュアリズムの大原則など、どこかに吹き飛んでしまっています。

彼らには、スピリチュアリストとしての責任感など全くありません。ただ自分をよく見せたいという“エゴ”だけが先行しています。「地球人類の救済」という重大な目標のもとで展開しているスピリチュアリズムを、いつの間にか“自己顕示欲”を満たすための道具にしてしまっているのです。そこにはスピリチュアリズム本来の崇高な犠牲精神など、ひとかけらも存在しません。

スピリチュアリズムと出会い、他の人々に先駆けて「霊的真理」を知ったということにおいてスピリチュアリストには、一般の人々にはない重い責任が背負わされています。その責任を忘れ、スピリチュアリストとしての道を踏み外すとするなら大きな罪を犯すことになり、それ相応の償いをしなければならなくなります。しかし“自己顕示欲”に突き動かされた者たちは、そうした霊的事実に気づく気配さえありません。それを考えると、実に哀れな人間・気の毒な人間と言わざるをえません。

真理に忠実な実践者に対する攻撃

自己顕示欲に駆られた“内部の敵”と言うべき者たちは、真理を忠実に実践し、スピリチュアリズムのために献身的に働こうとする人間に“嫉妬”を抱くようになります。彼らは知識としては「霊的真理」を知っているため、本心では何が正しいのか、誰が正しいのかを分かっています。本当は彼らも自分の良心に素直に従えばいいだけのことなのですが、見栄や傲慢さや嫉妬といった低俗な感情がそれを妨げてしまうのです。そして真理に従って歩もうとする誠実な人間に対して非難・中傷の言葉を浴びせかけ、攻撃するための粗さがしをするようになります。

彼らが真理に忠実な実践者を非難し攻撃するのは、自分の愚かさ・勇気のなさ・不誠実さが人に知られることを恐れるからです。“見栄”と“傲慢さ”と“自己顕示欲”に“嫉妬”が絡んで、正しいことをする人間に反発しているのです。

“教条主義・原理主義”というステレオタイプのレッテル貼り

彼らは決まって、真理に忠実な実践者を“偏狭”呼ばわりします。自分の方が心が広くて柔軟であるかのように見せかけようとします。そして判で押したように“教条主義・原理主義”といったレッテルを貼るのです。

卑劣なレッテル貼りをしてまで、自分たちの立場を正当化しようとするのは、自己顕示欲や嫉妬という醜い感情・エゴ的感情があるからに他なりません。そうした邪(よこしま)な思いがさらなる過剰反応を引き起こし、誠実なスピリチュアリストに対して、他の宗教からの反発にも劣らないような非難・中傷を繰り返すことになります。

良心の声に素直に耳を傾け、自らを「霊界の道具」として位置づけし、謙虚に生きようと決心すれば彼らの心はすぐに安らぎ、馬鹿げた競争意識から抜け出せるのですが、それができず罪を重ねることになってしまっています。

高級霊の意向にそえない未熟なスピリチュアリストたち――現在はハイレベル・スピリチュアリズムの出発点

霊的知識の収集だけに関心を持ち、信仰者としての純粋な生き方には意識が向かない人間、自分に霊能力があることを誇り、心霊現象だけに心を奪われている人間、スピリチュアリズムを単なる活動と勘違いしているような人たちが問題を引き起こしています。あまりにも霊的に未熟で、当たり前の人間としての良識さえ身につけていない人たちがスピリチュアリズムにマイナスを及ぼしている現状は、実に嘆かわしいことです。

シルバーバーチは――「大人の霊(成熟した魂の持ち主)に向けて真理を語りたい」と言っています。社会人としての常識もわきまえず、最低限の自己コントロールすらできない人が“真理が素晴らしい”というだけでスピリチュアリストになろうとしても難しいことなのです。

スピリチュアリズムとは、高次元の霊的真理の実践であり、それは常に厳しい自己コントロールがともなう生き方です。純粋な奉仕精神・自己犠牲の精神を高め、霊的成長を目指して努力する生き方です。“真のスピリチュアリスト”とは、そうした霊的修行とも言える厳しい克己の生活を自ら求める人間のことなのです。

“内部の敵”――すなわち高級霊の意向にそえないスピリチュアリストがさまざまな問題を引き起こしている実情は、現在が「スピリチュアリズムの開拓の時期」であることを示しています。今は、ハイレベル・スピリチュアリズムという地球人類にとっての救いの道の出発点であり、霊的人生の伝統を築くための第一歩を踏み出したところなのです。このような時代にあっては、未熟なスピリチュアリストたちによって霊界の人々の導きを裏切るような出来事が生じることは避けられません。

しかし、50年、100年と時代が進むうちに、真理を手にした者がスピリチュアリズムに敵対するというような馬鹿げた行為は減っていきます。今、この時代に霊的道の前線を歩み、現時点でのスピリチュアリズムの未熟さを理解することができる本物のスピリチュアリストには、霊的視野に立った忍耐が要求されます。未熟なスピリチュアリストが敵対者になるという悲しい現実にも、先に歩む者として広い心と忍耐力を持って対処していかなければなりません。

スピリチュアリズム運動への敵対者〈6〉――ニセ霊能者・ペテン的霊能者

単純なニセ霊能者から、巧妙なペテン的ニセ霊能者へ

スピリチュアリズム内部の敵のもう一つのタイプは“ニセ霊能者”です。昔から、霊能力を悪用して人々を騙すニセ霊能者は常に存在していました。世の中には、霊能者の語る言葉をありがたがり、すべて正しいものとして鵜呑みにする善良な人々がいます。一般的に言う“信心深い人間”とは、こうした霊的なことを簡単に信じ込んでしまう人を指すのかもしれません。純朴ではあるけれど無知ゆえに騙されやすい人々があまりにも多いため、ニセ霊能者が横行することになるのです。今後もしばらくの間、地球上ではニセ霊能者の暗躍が続くことになるでしょう。

さて、スピリチュアリズムが普及するに際して問題となるのは、昔ながらの単純なニセ霊能者ではなく、もっと悪質なニセ霊能者の存在です。スピリチュアリズムの「霊的知識」を利用して巧妙に人々を騙し、私利私欲を貪る“ペテン師”同様のニセ霊能者です。

スピリチュアリズムによって「霊的真理」が地上に降ろされてからは、あまりにも見え透いた作り話では人々を騙すことはできなくなっています。少しでも心霊世界や精神世界に関心のある人間なら、程度の悪いニセモノは簡単に見抜くことができるようになっています。知性的になった現代人を騙すために、ニセ霊能者は手口を巧妙化させていく必要が生じてきました。そして必然的に、これまでのような単純なニセ霊能者から、より狡猾なペテン的霊能者へと変化していくことになるのです。

「霊的知識」を悪用する巧妙なペテンの手口

そうした動きの一つが、テレビなどのメディアを通してつくり上げられた“前世ブーム・スピリチュアルブーム”です。現在、ペテン的霊能者によって生まれた低俗な心霊ブームが、日本中の人々を翻弄しています。こうしたペテン的霊能者は、アメリカにおける“ニューエイジ”のニセチャネラーが先駆と言えます。

ペテン的霊能者やニセチャネラーは、一般の人には分からないのをいいことに、適当に前世を指摘したり、背後霊について語ったり、未来を予知したりします。また、あの世の霊からのメッセージだと称して、いい加減なことを伝えます。言うまでもなく、これらの大半(90%以上)はウソ・作り話なのですが、彼らはそこに「道徳的教訓」やスピリチュアリズムの「霊的真理」を付け加えることによって、ウソをさも本当らしく見せかけようとするのです。心霊的な知識が乏しい大半の人々は、その素晴らしい説明を聞いてニセ霊能者を信用し、彼らが指摘する前世や背後霊やあの世からのメッセージをすべて本物であると思うようになります。ニセ霊能者は「道徳的教訓」とスピリチュアリズムの「霊的真理」を上手に利用して、ウソを人々に信じ込ませるのです。

こうした手口は、ペテン師が人々に言葉たくみに語りかけ、さも道徳的で親切心と思いやりと正義心にあふれた人間であるかのように装って信用させ、金品を騙し取るのと同じことです。ニセ霊能者も、ウソを本当らしく見せかけようとします。本物の霊能者・素晴らしい人格を持った霊能者の振りをして人気や名声を得ようとします。これがニューエイジのニセチャネラーの正体であり、今、日本で人気を博しているスピリチュアル・カウンセラーの実態なのです。

彼らは自分を正義の味方であるかのように見せかけるために、わざわざ「最近はニセ霊能者が多いので気をつけてください。自分はニセモノを撲滅するために働いています」などと言うのです。そうしたニセ霊能者の本質は“ペテン師”と変わりありません。少し前、日本で横行した“霊感商法”の手口も、これと同様です。ある品物を買えば運が開けるなどといった言葉に多くの人々が騙され、多額の金銭を巻き上げられました。

スピリチュアリズムに泥を塗るペテン的霊能者

ニセ霊能者が、自らをスピリチュアリストと名乗らなければ、またスピリチュアリズムの真理を自己正当化のために悪用しなければ、それは単なるニセ霊能者で終わります。しかし“スピリチュアリスト”を名乗り、スピリチュアリズムの「霊的知識」を自分のウソをカモフラージュするために利用するなら、ニセ霊能者のレベルを超えて、最も悪質な“ペテン師・詐欺師”ということになります。

そうしたペテン的霊能者の悪事は、いつまでも隠し通せるものではありません。やがて時間とともに、そのウソが表面化するようになります。そうなったとき人々は、スピリチュアリズムに絶望し、スピリチュアリズムを“ニセモノ”と見なすようになります。スピリチュアリズムを悪用したニセ霊能者の正体が暴かれることで、スピリチュアリズムそのものが悪者扱いされることになってしまうのです。

ニセ霊能者にとっては、自分の名声と利益だけが問題であって、スピリチュアリズムの権威が失墜することなど、どうでもいいのです。自分の人気が高まりさえすれば、そのためにスピリチュアリズムがどのような汚名を着せられようが、いっこうに構わないのです。ペテン的霊能者の不正が、「地球人類救済」という崇高な使命を担っているスピリチュアリズムに泥を塗ることになっています。

“低級霊”にとって、最高の地上の道具

ペテン的霊能者は“低級霊”にとって、最高の地上の道具となります。スピリチュアリズムの権威を貶めて人々を失望させ、スピリチュアリズムから遠ざけるにはもってこいの道具なのです。巧妙に悪事を働くペテン的霊能者は影響力が大きい分、最も効果的にスピリチュアリズムを傷つけることができるようになります。そのためペテン的霊能者の背後には“低級霊”が大挙して押し寄せ、彼らを最大限に利用するようになります。

“化けの皮”は、時間とともにはがれていく

こうしたスピリチュアリズムを悪用した詐欺行為は、“低級霊”の働きかけを得て一時的にブームをつくり出し、世間の関心を集めることになります。実際にアメリカのニューエイジでは、低俗なチャネリングブーム・ニューエイジブームが巻き起こり、アメリカ社会を席巻しました。その間違った風潮づくりに、女優のシャーリー・マクレーンが一役買うことになってしまったのです。それと同じようなことが時を経て今、日本で“前世ブーム・スピリチュアルブーム”として展開しています。

しかしニセモノは、しょせんニセモノでしかなく、いつかはその悪事が表面化して“化けの皮”がはがれることになります。そうなった時、ペテン師の巧妙なウソに騙されてきた人々もその正体をはっきりと知り、ニセモノを信じていた自らの無知を後悔することになるでしょう。そして、あまりにも悪質なやり方に非難の声をあげるようになるはずです。

もっともペテン的霊能者の手口がどんなに巧妙であっても、騙された側にもそれなりの責任があります。低俗な好奇心に駆られ、つまらないことに関心を持った弱みに付け込まれたからです。その意味でペテン的霊能者に騙され苦労するのも、一つの必要な学びのステップと言えるかもしれません「ニセ霊能者・ペテン的霊能者」については、別の機会に詳しく取り上げます)

ペテン的霊能者の“三重の罪”

単なるニセ霊能者と比べ、スピリチュアリズムを悪用したペテン的行為には“三重の罪”が発生します。1つ目は――「多大な犠牲を払って地球人類のために働きかけてきた霊界の億万の高級霊たちの努力と誠意を裏切る」という罪です。2つ目は――「スピリチュアリズムという最も神聖な大事業を私利私欲のために悪用し、その歴史的権威を傷つける」という罪、そして3つ目は――「多くの人々を騙す」という道徳性に関する罪です。

煩悩に流され、エゴ的欲望を満たすためにスピリチュアリズムを利用するペテン的霊能者は、スピリチュアリズムの敵です。スピリチュアリズムからは、最も遠い存在です。いくら“スピリチュアリスト”を自称しても、スピリチュアリズムとは全く無関係な存在です。こうしたきわめて悪質な“ニセ霊能者”との戦いも、スピリチュアリズムを正しく普及させるための戦いの一つなのです。