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“知の巨人”渡部昇一氏「スピリチュアリズムは崇高な思想!」――と画期的な発言

No.1/2012年7月22日

皆さんは、渡部昇一(わたなべ しょういち)氏をご存知でしょうか? 1970年代のベストセラーであり今なお多数の愛読者を持つ『知的生活の方法』の著者と言えば、おわかりの方も多いことと思います。渡部氏は、上智大学の名誉教授で英語学が専門です。しかしそれだけに留まらず、政治・経済・歴史など、幅広い分野で評論活動を行っている日本を代表する知識人の一人です。

戦後、日本の学界やメディアが左翼思想に洗脳され日本の将来が危ぶまれたとき、渡部氏は、左翼思想家に正面きって闘いを挑んでいきました。日本を高所から眺め、日本の行く末を我が事として心配してきた“憂国の士”であり“信念の人”です。私たちは、渡部氏を筆頭として氏と思いを同じくする櫻井よしこ氏や田久保忠衛氏らに、深い尊敬の念を抱いてきました。

その渡部昇一氏が今年の3月に、『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』と題する本を出版しました。この本で渡部氏は、驚くことに「スピリチュアリズムは崇高な思想である」という画期的な発言をしています。

大半の知識人のスピリチュアリズムに対する見方は、暗い世相を反映した社会現象の一つといった批判的なものです。精神性に優れ、宗教的世界への深い洞察力を持っている知識人であっても、ことスピリチュアリズムとなると、怪しげな神秘主義・オカルトという程度の見解に終わってしまいます。

そうした状況をずっと見てきた私たちは、日本の知識人の中で本当にスピリチュアリズムを評価できる人は当分、現れないだろうと思っていました。しかし、私たちのあきらめにも似た思いが、渡部氏のこの一冊によって根底から覆ったのです。

著書の中には「スピリチュアリズムは崇高な思想である」という見出しから始まる章が設けられており、次のような一節があります。

「スピリチュアルという言葉は、昨今日本でもよく用いられるようになっていますが、実は、欧米などのキリスト教圏においては、日本のテレビ・タレントたちが使っているような軽々しい言葉ではありません。この言葉、本来「霊的な」とか「神聖な」という意味の言葉ですが、霊魂の不滅や死後の世界の存在などとかかわる、非常に崇高な言葉なのです。」

人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』(海竜社)  p.131

この一節からも、渡部氏が世間で宗教学者と言われている人たちよりも、はるかにスピリチュアリズムの本質を理解していることがよくわかります。私たちは渡部氏の発言に感動し、まさに、日本のスピリチュアリズムに百万の援軍が到来したような心強さを感じました。文中の「日本のテレビ・タレント」とは、江原啓之氏を指していることは言うまでもありません。この点にも渡部氏のスピリチュアリズムに対する認識の深さが示されています。)

欧米では、王室をはじめ一流の科学者や著名人がスピリチュアリズムと関わりを持ち、その擁護者となってきました。20世紀の初めにスピリチュアリズムの普及に大きく貢献した知識人の一人が“コナン・ドイル”です。私たちは今回、この本を読むうちに、「渡部氏こそ、日本のスピリチュアリズムにおけるコナン・ドイルである」という思いを持ちました。渡部昇一氏という知の大家・保守系論客の第一人者が、批判を恐れずに堂々とスピリチュアリズムの価値を主張したことは、日本のスピリチュアリズムにとっての画期的な出来事と言えます。

世の中で知識人と言われている方、宗教学者や心霊研究に携わっている方に、ぜひこの本を読んでいただきたいと思います。また、霊的世界に関心を持ち知識の収集に努めてきた方にとっても、スピリチュアリズムの素晴らしさを理解していただくための見逃せない一冊です。