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魂を蝕む深刻な問題“スマホ依存”

No.10/2014年6月12日

愛知県刈谷市が夜間のスマホ禁止へ

今年の4月から愛知県刈谷市の小中学校で、夜間の携帯電話やスマホの使用を禁止するという試みが開始されました。これは刈谷市内の小中学校と警察などでつくる“児童生徒愛護会”が発案し、学校とPTAの連名で保護者に協力を呼びかけたものです。夜9時以降は子供の携帯電話やスマホを親が預かることと合わせて、必要のない携帯電話やスマホを子供に持たせないことや、有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングのサービスを受けることも盛り込まれています。学校への持込みを禁止するだけでなく、家庭での使い方に学校が関与するのは全国でも初めてのことで、各方面から注目を集めています。

15年ほど前から子供の携帯電話の所有に警鐘を鳴らしてきた群馬大学の下田博次氏はこれを高く評価し、産経新聞(2014年4月26日)の中で次のように語っています。「ネット中毒にはアルコール中毒並みの危険性がある。放置しておけば成績が下がるどころではなく、子供の人格破壊に至りかねない。親がスマホを預かるというルールをつくることで、地域の子供たちに夜はスマホが使えないとの共通認識ができることになる。(中略)他の自治体にも広げていくべきだ」と述べています。

私たちも、こうしたスマホ規制の取り組みには大賛成です。しかし、夜9時以降の使用を禁止するという程度の規制ではまだ緩慢であり、さらに踏み込んで「中学生以下はスマホを持つべきではない」と私たちは考えています。

こうした主張をすると、「ネット社会の流れに逆行する的外れな意見だ」とか「子供の自由を尊重すべきだ」という反論が必ず出てきます。刈谷市の試みに対しても、「悪いものを取り上げたらよくなるという発想は短絡的で、あまり効果は上がらない」と述べる専門家もいます。また、規制するのではなく、学校や家庭で適切な指導をするのが望ましいとする意見も多く聞かれます。

しかし子供だけでなく、大人も含めてスマホに夢中になっている時代に、子供への正しい使い方を指導できる大人がいるでしょうか? 子供にスマホを買い与える時にルールを決めるという親もいますが、子供たちは親が決めたルールを守るより、ネットでのつながりを優先させなければ、学校生活が成り立たないような状況におかれているのです。

スマホが子供たちにもたらす影響は、教育やルール作りといったきれい事では解決できないほど深刻化しています。強制的に使用を制限するという強引さがなければ、“スマホ依存”に歯止めをかけることはできません。

“スマホ依存”はアルコール依存と同じ

これまで“依存症”と言えば、誰もがアルコールやタバコ・ドラッグなどを思い浮かべましたが、“スマホ依存”にはそれらと同じ危険性が潜んでいます。依存症とは、初めは少量で満足していたものが、次第にコントロールできなくなり、ついにはそれから離れられなくなることです。アルコールやタバコ・ドラッグは、体に害があると分かっていても、なかなかやめられるものではありません。周りが注意しても耳に入らず、徐々に依存状態は強くなり、やがて大切にしていた家族や仕事よりもアルコールやドラッグを優先させるようになります。そして最後には、体も心も破壊されるところまで行ってしまいます。治療のために入院しても立ち直ることは難しく、すべてを失ってしまいます。“依存症”はそれほど恐ろしいものであるため、アルコールやタバコは年齢制限がなされており、ドラッグは法律で禁止されています。

多くの人たちは、こうした恐ろしい“依存症”を他人事だと思っています。ましてや子供たちには関係のないものと考えています。しかし“スマホ依存・ネット依存”は、アルコールやドラッグへの依存と同じようにきわめて危険な病気なのです。

スマホは手軽さと便利さから、あっという間に私たちの生活に深く入り込んできました。気がつけば、大人も子供もいつでもどこでもスマホに見入っており、仕事や勉強よりもスマホを優先させ、食事や睡眠の時間を削ってもメールのやり取りをするほどになっています。日本で最初にネット依存の治療を始めた久里浜医療センター(神奈川県)の樋口進院長は――「多くの人たちは、ネット依存なんてたいした問題ではないと思っているのではないでしょうか。子供たちのネット依存は、そんな生易しい問題ではありません。ネット依存は、アルコールや薬物への依存と変わらない重大なものばかりです」(日経トレンディ2013年8月1日)と述べ、“スマホ依存”を軽視する人々へ警告を発しています。

“スマホ依存”の本当の恐ろしさ

私たちが「中学生以下はスマホを持つべきではない」と主張し、“スマホ依存”の恐ろしさを訴えるのは、それがアルコールやドラッグの依存症とは比べものにならないほど有害性の強いものだからです。“スマホ依存”は、単に勉強がおろそかになるとか日常生活に支障をきたすといった次元の問題ではなく、人間の本質である“魂”に重大な痛手を与えるものなのです。

人間にとって最も重要なことは「霊的成長」です。地上人生の目的である「霊的成長」がなされないなら、その人の地上人生は全く価値がないことになります。価値がないどころか、「カルマ」というマイナスの結果を残すことになってしまいます。「霊的成長」は、子供であれ大人であれ、すべての人間が果たすべき大目的であり、それに向けてあらゆる努力をしていかなければなりません。

私たちが「霊的成長」のために真っ先にしなければならないことは、心を「霊優位」の状態にすることです。一人になって自分の内面を見つめる時間は、地上人生において一番大切な「霊的成長」を促してくれます。心静かに瞑想をしたり、この世の喧騒から離れて自然の中をゆったりと散策することは、魂に栄養を取り入れ、霊を中心とした人間本来の心を取り戻すためには欠かせません。肉体本能をコントロールし「霊優位(霊主肉従)」の状態を保つためには、静寂の中に身を置いて内省的な時間を過ごすことが不可欠です。

スマホ依存は、「霊優位」とは正反対の状態にあります。スマホに多くの時間を費やし、常に他人を気にしながら外面だけに意識を向け続けることで、魂は枯渇してしまいます。自分の心を見つめることなく、物質的・肉体的快楽だけをひたすら追い求める生活によって、「霊的成長」の道は閉ざされてしまうのです。アルコールやドラッグへの依存は、肉体の破壊を招くことになりますが、スマホ依存は「魂の破壊」という人間としての致命傷を引き起こす、きわめて危険なものなのです。“スマホ依存”は単なる社会問題ではなく、人間として最も重要な魂の問題・霊的生命に関わる問題であるということです。

日本が直面している最大の危機――「精神性の崩壊」

インターネットやスマホは、物質文明の発展によってもたらされた“文明の利器”です。それらは本来、人間がコントロールして使用するなら何の問題もありません。しかし霊的観点から見れば、いくら便利な道具であっても正しい方向で使用することができず、それに翻弄されてしまうくらいなら、ないほうがいいと言えます。シルバーバーチは原子エネルギーについて「人類が精神的・霊的にもっと成長して、それを正しく使えるようになってから発見すべきだったのです」(霊的新時代の到来 P284)と述べていますが、それと同様にスマホも、霊性の低い地球人類が身の丈に合わないものを手にしてしまったということです。

スマホがどれほど便利な道具であっても、“魂”にマイナスの影響を与えるものである以上、厳格に制限していくのは当然のことです。現在の地上では警察権がなければ最低の秩序が保てないのが実情ですが、インターネットやスマホも法律によって制限しないかぎり、“依存症”の弊害を食い止めることはできません。国は一刻も早くこの問題の重大性を理解し、法的に規制していくべきなのです。しかし現実には、目先の利益と保身しか考えない政治家たちには、思い切った手は打てません。国として徹底した規制ができなければ、“スマホ依存”はますます拡大し、子供たちの心は確実に蝕まれていきます。

今後日本は、膨大な借金によって国家破産を免れることはできません。それと同じように今、「精神性の崩壊」という危機的状況に向かって日本は突き進んでいるのです。いったん“スマホ依存”に陥ってしまった子供たちは、大人になってもそこから抜け出すことはできません。便利さと引き換えに売り渡してしまった“魂”は、容易には取り戻せないのです。この先、日本人の多くがますます心を荒廃させ、人間らしさを失っていく危険性があります。それは、これまで築き上げてきた日本人の優れた精神性を崩壊させてしまうことであり、国家破産によってお金やモノを失う以上に深刻なことなのです。

今の状況を見るかぎり、日本の将来は絶望的と言わざるをえません。自分たちの力で“スマホ依存”を克服し、よい方向に向かっていくことはできません。国家が借金体質から再生する唯一の方法は、どん底まで堕ちて破たんの苦しみを体験することです。それと同じように“スマホ依存”による精神性の崩壊も堕ちるところまで堕ちて、国民全員が塗炭の苦しみを味わうことしか立ち直る道はないように思います。国家破産も“スマホ依存”も、最悪の状況にならなければ方向転換はできません。

残念ながら、日本全体が一時的にどん底の苦しみを味わわなければなりません。失敗から学ぶことでしか、日本の明るい未来は開けてこないのです。