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金銭に対する姿勢は、「霊性」の指標

――霊的観点からみた義援金や寄付のあり方

No.15/2015年4月5日

「貧者の一灯」に込められた真心

未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、4年が経過しました。死者や行方不明者は2万人にもおよび、33万人以上の人々が避難生活を余儀なくされた巨大地震は、今もなお多くの爪痕を残しています。

東日本大震災は、人々が助け合いの精神を思い出した出来事でした。日本だけでなく世界中の人々が「少しでも役に立ちたい」という思いから、被災地へ支援物資や義援金を送りました。皆さんの中にも、生活の基盤をなくし悲しみにくれる被災者の姿を見て、やむにやまれぬ思いから募金を呼びかけたり寄付をされた方も多いことと思います。

寄付について考えるとき、「長者の万灯より貧者の一灯」という言葉を思い出します。これは仏教説話の一節から出た言葉ですが、まさに本来の寄付のあり方を示しています。震災のあと、一流企業や各界の著名人が多額の義援金や寄付を贈ったことが連日、マスコミを通して伝えられました。なかでも孫正義氏が、個人として100億円の寄付をすると公表したことは、大きな話題となりました。その破格の寄付は、テレビやネットで瞬く間に日本中に知れわたり、多くの人々が彼を称賛しました。

その一方で、小さな記事として報じられただけだったにもかかわらず、人々の感動を呼んだのが、タイの首都バンコクのスラム街から寄せられた義援金でした。1日数百円で生活している住民たちが、「被災した日本人のためにできるだけのことをしたい」と言って声をかけ合い、募金の初日には90万円ものお金が集まったというのです。貧しさの中にあっても少しでも役に立ちたいという真心からの寄付に、多くの日本人が感動し感謝の思いを持ちました。

この対照的な寄付は、まさに「長者の万灯より貧者の一灯」という言葉をそのまま表したものと言えます。あり余る財産を持った者が施すお金より、わずかであっても貧しい者が真心を込めて捧げる布施の方が尊い、ということです。寄付は金額の問題ではありません。その人の動機と誠意の有無によって価値が決まるものです。

スピリチュアリズムが示す、金銭についての大原則

スピリチュアリズムでは、金銭について次のように考えます。金銭は「生活に必要な最低限の分だけあれば十分」というところで線を引くべきものです。お金を儲けることが悪いとか、お金持ちになってはいけないと言っているのではありません。「お金があっても質素な生活をしなさい」ということです。お金に翻弄されることがないように、自分の意志でお金をコントロールすることが大切なのです。

余分なお金を手にしたとき、皆さんならどうするでしょうか? この世の大半の人々は、自分や家族がもっと贅沢な暮らしをするために使うでしょう。しかし、「モノやお金には霊的価値はない」と知ったスピリチュアリストは、「余分なお金は他人に与えるために神が一時的に預けてくれたもの」と考えなければなりません。必要以上のお金は、人助けのために使うべきものです。金銭に対する姿勢に、その人の霊性の程度が明確に示されるのです。

「お金は、地上で生活するのに必要なだけあればそれでよし。余ったお金は困っている人に分け与えるべきもの」――それがスピリチュアリズムの教えに基づく金銭に対する大原則であり、肉主霊従に流されないための霊的な知恵なのです。

寄付は、困っている人に手を差し伸べる純粋な利他的行為

義援金や寄付は本来、利他愛に基づくものであり、神の摂理に適った行為です。霊的観点から見れば、あり余るお金を持っている人間が困っている人にお金を分け与えることは当然のことであり、義務と言えます。100億円を寄付した孫正義氏と、90万円を寄付したスラム街で暮らす人々を比べたとき、その金額の違いは一目瞭然ですが、寄付の価値は金額の多少によって計られるものではありません。どれだけ自分の生活を犠牲にして捧げたか、ということで価値が決まるのです。

巨額の資産を持つ人間がその一部を寄付したとしても、それは立派な行為とは言えません。貧しい生活を送っている人間が、なけなしのお金を寄付に回したとき、その行為は真に価値あるものとなります。寄付とは本来、自分の生活を切り詰めて可能なかぎり困っている人に分け与えるというものです。それによって寄付が純粋な利他愛の行為となり、価値を持つことになります。

寄付について考えるとき、もう一つ重要なことがあります。それは、自分の名前を伏せた寄付であってこそ価値があり、利他愛の行為になるということです。自分の名前を出して世間の注目を浴びるとするなら、その寄付には何の価値もありません。

その点において、孫正義氏の寄付は利他愛の行為とは言い難いものです。もし彼が、誰にも名前を知らせず黙って寄付をしたなら、それは純粋な利他愛の行為となったでしょう。しかし彼は、まず破格の金額を公表して世間の注目を集め、そのうえで寄付をしました。これでは、自己顕示のための行為だと思われても仕方がありません。さらに、いきなり100億円もの大金を寄付できるなら、どうしてそれ以前からもっと多くの人々のために寄付をしてこなかったのでしょうか。

日本中が被災者のための支援で沸いているときに巨額の寄付をすることは、自分の名声を高め自らの存在をアピールすることになります。人々は誰がいくら寄付をしたのかを知りたがり、マスコミもすぐに公表しようとします。しかし孫正義氏が、それを押しとどめて匿名で寄付をしたなら、どれほど素晴らしい行為になっていたことでしょうか。巨額の寄付をしながらその価値が失われてしまったことは、とても残念です。

この世の人々は、所有している財産の多寡によって人を評価するものです。人々は、莫大な富を築いた人間が多額の寄付をすることを称賛し、尊敬の念を持ちます。しかし、スピリチュアリストは「霊的真理」に照らして物事を判断しなければなりません。寄付については、しないよりした方がよいという次元で考えるものではなく、霊的観点から眺めなければなりません。物欲にとらわれず可能なかぎり質素な生活を心がける優れた霊性の持ち主は、誰にも告げることなく、自分より恵まれない人のために手を差し伸べるものです。

お金に対する姿勢は、「霊性」の指標です。必要以上のお金を手にしたときには、それを自分のために使うのか、人々のために使うのかが試されます。お金をどのように使うかは、その人の霊性にかかっているのです。