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他の宗教での真剣な歩みは、将来、スピリチュアリストになるための準備になっている

――良きスピリチュアリストになるための条件とは、大人としての良識と人間性、そして信仰的体験

No.16/2015年6月28日

スピリチュアリストとして歩むためには、まず人間としての基礎が必要

私たちのサークルには、毎日のようにスピリチュアリズムと出会った方々から感動のお手紙が寄せられています。私たちは、『シルバーバーチの霊訓』という最高の叡智を手にすることができた喜びと感謝の思いが綴られたお手紙を読むたびに、また一人、同志が増えた嬉しさでいっぱいになります。

お手紙をくださるのは、20代から晩年に至った方まで、実にさまざまです。歳を重ねてからスピリチュアリズムを知った人々の多くは、「もっと早くスピリチュアリズムと出会いたかった……」「せめて5年前、10年前にスピリチュアリズムを知っていたら……」と、スピリチュアリズムとの出会いの遅さを残念がります。しかし、限りある地上人生の中で最も価値ある霊訓と出会えたことは、奇跡とも言える出来事です。永遠の人生を考えたとき、年齢に関係なく、今この時点で最高次元の霊的真理を手にすることができた人間は、特別な恩恵を授かった幸運な者ということです。

若くしてスピリチュアリズムに出会った人たちの中には、スピリチュアリズム普及への意欲に燃えてホームページやブログを立ち上げたり、読書会を始めたりする人がいます。若者らしい純粋さと熱意あふれる行動力には、目を見張るものがあります。しかしその一方で、人生経験の乏しさから知識や理論が先走り、現実的な対応がともなわずに、すぐに崩れてしまう人も少なくありません。せっかくスピリチュアリストとしてのつぼみが膨らんでも、人間的な未熟さのために開花する前にしぼんで落ちてしまうのです。

そうした若者を見るたびに、良きスピリチュアリストになるために、まず社会の中でさまざまな体験を積み、人間としての基礎を身につけてほしいと思います。スピリチュアリストとして大成するためには、真理普及への情熱はもちろんですが、社会性を備えた大人であることが最低条件となります。社会に出て対人関係の中で揉まれることで良識ある大人へと成長し、そのうえでやっとスピリチュアリストとしての一歩を歩み始めることができるようになります。

それに対して、長い間、真理を求めてきた人は、社会の荒波を乗り越え、人間としての基礎がつくられています。そうした人が、さまざまな苦しみや葛藤の末に『シルバーバーチの霊訓』に出会ったとき、やっと本物を見つけられたことへの深い感動とともに、その価値を正しく理解することができます。スピリチュアリズムにたどり着くまでの求道的歩みと、それにともなう苦しみの体験があればこそ、迷うことなく残りの人生をスピリチュアリズムのために捧げようと決意するようになるのです。

スピリチュアリズムとの出会いは、霊界の導きによってなされます。歳を重ねてから出会ったとしても、それは決して遅きに失したということではありません。それまでの人生は、スピリチュアリズムとの出会いのための準備期間だったのです。十分な準備のもとで、やっと地上人生のすべてを懸けるに値する道にたどり着いた、ということです。「永遠の魂の救い」につながる最高次元の奉仕人生を歩めることは、それまでの10年分、20年分の価値を持つことになるのです。

スピリチュアリズムの価値を一番深く理解できるのは、他の宗教で真剣に信仰をしてきた人間

スピリチュアリズムと出会う前、宗教組織に所属して一生懸命、信仰をしてきた人もいます。何十年もの間、教団の教えを忠実に守り、人生をすべて捧げて信仰をしてきた人ほど、シルバーバーチとの出会いは、魂に強烈な衝撃を与えることになります。自分が求めてきた真理は、これまで信じてきた宗教にはなかったことを知ったとき、人生が根底から覆され深い挫折を味わいます。そして、本物を知ったことへの喜びと同時に心が大きく揺れ動き、「これから先、自分はどのようにして歩んでいけばいいのだろうか?」と真剣に悩むようになります。それまでの宗教を捨て去ることは、何十年もの間、人生をかけて信仰してきたものを否定することであり、言葉では言い表せないほどの大きな不安と恐怖がともないます。しかし悩み苦しんだのちに、すべてを振り切ってスピリチュアリズムを選んだとき、その人は真の救いを手にすることになります。

宗教組織に身を置き、そこで多くの時間とエネルギーを費やしてきたことは、一見すると大変な遠回りをしてきたように思われます。しかし結論を言えば、シルバーバーチの教えがどれほど素晴らしいものであるかを一番深く実感できるのは、他の宗教の教義を徹底して学び、真剣に信仰してきた人です。さまざまな宗教や思想・哲学を研究し、多くの知識の中から本物を探し出そうとしてきた人より、わずかばかりの真理しかない中でも純粋な思いで信仰の道を歩み、大きな挫折を味わってきた人のほうが、スピリチュアリズムの価値を深く理解することができるのです。

なぜなら、スピリチュアリズムの本質は信仰だからです。スピリチュアリズムは霊的知識や真理に対する研究や学問ではありません。スピリチュアリズムは「深くて敬虔な信仰」です。霊界で常識となっている「神と神の摂理への絶対信仰」を地上で実践していこうというものです。それゆえスピリチュアリズムの真髄を理解するためには、スピリチュアリズムに対する確信(信仰)を持っていなければなりません。「スピリチュアリズムによってもたらされた霊的真理は、地上のいかなる知識よりも優れており、これに並ぶものはない」「スピリチュアリズムのために働くことは、地上のどんな仕事より価値あることである」――こうしたスピリチュアリズムの素晴らしさを、信念と絶対的な信頼を持って主張することができる「正しい信仰」があって初めて、真のスピリチュアリストとして残りの人生のすべてを懸けて歩んでいくことができるのです。

一般のスピリチュアリストの中には、「スピリチュアリズムは信仰ではない」という考え違いをしている人が多くいます。シルバーバーチも「スピリチュアリズムは信仰ではない」というような言い方をしていますが、それは「スピリチュアリズムは従来のような盲信的な信仰とは違う」ということを言おうとしたのです。シルバーバーチは決して、スピリチュアリズムの本質が信仰であることを否定したのではありません。それどころか、「スピリチュアリズムは完璧な信仰である」と強く訴えています。

他の宗教で真剣に歩んできた人は、「信仰」とはどのようなものであるかを体験しています。そうした人は、シルバーバーチの教えに心から納得し、スピリチュアリズムが信仰そのものであることを素直に認めることができます。スピリチュアリズムは、これまでの宗教のような“ただ信じればいい”という盲目的な信仰ではなく、各人の霊性に基づく「自発的な信仰」です。それはきわめて次元の高い信仰であり、それまでのさまざまな人生経験において準備された「信仰的な土台」が必要とされます。他の宗教で信仰し、多くの苦労と挫折を味わうことは、スピリチュアリズムへ導かれるための一番大切な準備になっているのです。

今後なされていく、スピリチュアリストの質の向上――知識レベルから信仰レベルへ

日本では、ここ10年余りの間に、スピリチュアリズムを知り霊的人生を歩み始める人が徐々に増えています。しかしまだスピリチュアリズムと出会うことなく、わずかな霊的真理を頼りに、既成宗教の中で人生をかけて信仰をしている人がたくさんいます。スピリチュアリズムのような高度な真理がなくても、自分を捨てて純粋に信仰実践をしている人々に対して、霊界は着実に働きかけています。

今は他の宗教で一生懸命、信仰に励んでいる人も、やがて時期が至ればスピリチュアリズムに導かれることになります。こうした人々がいったんスピリチュアリズムに出会えば、霊的真理の価値を初めから正しく理解し、スピリチュアリズムを即座に信仰的にとらえることができます。そして、ためらうことなくスピリチュアリズムのために人生を捧げるようになります。知識レベルから信仰レベルへと、一気に高次元の歩みが始まるのです。これまで長年、スピリチュアリズムに慣れ親しんできた人々を乗り越えて、初めから「高級霊の道具」として歩み出すことになるのです。

今、多くの信仰者が、将来、霊界の期待に応えることができる「本物のスピリチュアリスト」になるために、他の宗教の中で訓練されています。「先の者があとになり、後の者が先になる」ということが、これから現実に起こってきます。

今後、日本では、優れた霊性と深い信仰心を持つ人々によって、信仰レベルのスピリチュアリズム(ハイレベル・スピリチュアリズム)が定着していきます。そして、ひとたび信仰実践としてのスピリチュアリズムが確立されれば、霊界の働きかけはさらに強まり、加速度的に世界中にスピリチュアリズムが普及していくようになるのです。