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(1)イエスの復活から始まったキリスト教

キリスト教とは、イエスをキリスト(人類の救世主)と信じる宗教です。同じ聖書を聖典としながら、ユダヤ教やイスラム教は、イエスをキリストとは認めていません。イエスをユダヤ教で予言されてきたメシア(救世主)とするのが、キリスト教なのです。

キリスト教がイエスをメシアと認めることになった最大の出来事が、2千年前に発生した「復活」です。この復活が起こらなかったなら、イエスがキリストとして認められることはなかったでしょう。2千年にわたって人類に君臨するようになるキリスト教がつくられることもなかったでしょう。

イエスの復活を通して弟子たちは、イエスが“メシア”であったと確信

イエスの復活とは、十字架の磔刑(たっけい)によって死んだイエスが3日後に蘇(よみがえ)り、生前の姿を取って自分の関係者や弟子たちの前に現れた、という出来事です。死んだ人間が生き返って姿を見せるだけでなく、親しく話をしたり、一緒に食事までしたのです。

イエスの復活の様子は、4つの福音書に取り上げられています(マタイ27章50節〜28章20節)(マルコ16章1節〜20節)(ルカ24章1節〜53節)(ヨハネ20章1節〜21章25節)(使徒行伝1章3節〜11節)。その内容は福音書によって部分的に違っていたり矛盾する点もありますが、おおよそ共通しており、イエスの復活が事実であって、それが当時の人々の共通認識となっていたことが分かります。

イエスの復活を通して、いったんはイエスを見捨てた弟子たちも、「イエスはユダヤ教で予言されてきたメシアであった」と確信しました。そしてここから、イエスをキリスト(メシア)とするキリスト教が始まることになりました。

イエスの復活に戸惑い、疑いを抱いた弟子たち

弟子たちはイエスの十字架刑に際し、自分の身に危害が及ばないように逃走し、イエスとの関わりを否定しました。先生であるイエスを裏切り、見捨てたのです。その弟子たちの前に生前の姿をしたイエスが現れ、弟子たちの裏切りを許し、布教に邁進するように励ましました。こうしてキリスト教は、ローマ帝国内に拡大していくことになりました。

当初、弟子たちは、死んだイエスが出現したという話を聞いても信じられず、イエスの復活を疑っていました。“幽霊が出た”と恐れた者もいました。復活したイエスは、そうした弟子たちの前に現れ、「自分は幽霊ではなく、正真正銘のイエスである」と述べ、死後も生きていることの証(あかし)を示しました(ルカ24章37節〜40節)(ヨハネ20章20節)。イエスは、なおも自分の復活を信じられないトマスに対し、復活した身体上にある釘(くぎ)と槍(やり)の跡を見せ、そこに指を入れさせて確認させています。それによってトマスは、イエスが生きていることを確信しました(ヨハネ20章24節〜29節)。

「復活」を事実と信じることが、クリスチャンになるための絶対条件

以上が、イエスの復活についてのあらましですが、キリスト教はこのイエスの復活から始まりました。そうした意味で「復活」は、キリスト教にとって最も重大な出来事と言えます。キリスト教ではイエスの復活という最高の奇跡は、イエスが“唯一の神の子”であったために発生したと考えます。この復活の奇跡こそ、イエスがメシア(キリスト)であることの証(あかし)であるとしています。

したがって、イエスの復活を“迷信”であると考えるような者は、キリスト教徒にはなれません。イエスの復活を事実であると受け入れることが、クリスチャンになるための絶対条件なのです。聖書には、復活の他にもイエスによるさまざまな奇跡が記されています。イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときに鳩が降りてきたことや、多くの病人を癒したことや、わずかな食物から大量の食物をつくり出したことなどが述べられています。キリスト教は、その中で“イエスの復活”を最大級の奇跡であると考えるのです。

(2)イエスの復活に対する、さまざまな捉え方

キリスト教では、イエスの復活は“唯一の神の子”であるイエスならではの奇跡、“メシア”であることを証明する特別な奇跡としていますが、大半の人間は復活を事実として受け入れることはできません。死んだ人間が生き返り、生前と同じように会話をしたり食事をするというようなことは、とうてい信じることはできません。

弟子たちも最初、イエスが復活したという話を聞いたときには信じられなかったのです。生前の姿を取って現れたイエスと直接対面し、言葉を交わして初めて、「復活」が事実であることを認めたのです。

イエスの復活を認めるキリスト教正統派と、復活を認めない異端派

初期のキリスト教の布教とともに、パウロの「贖罪説」を受け入れたグループが信者の数を拡大して主導権を握るようになり、キリスト教正統派(主流派)を構成することになっていきました。それがその後、ローマ・カトリック教会につながっていきます。

とは言っても、初期のキリスト教の時代には、イエスをメシアと考えるものの、イエスの復活については事実とは認めない神学的立場もありました。最終的にそうしたグループは“異端”とされ、歴史の表舞台から排除されることになりました。イエスの復活を事実と認め、それがキリスト(救世主)であることの証(あかし)と考える立場が正統派(主流派)となり、その後、2千年間にわたってキリスト教の歴史を刻むことになりました。

現代の“聖書学研究”の見解――聖書は多くの矛盾を含む人工的な書物

近代以降、聖書を客観的に研究する分野が生まれました。こうした聖書学は、近代の宗教学の一分野と言えます。聖書学は神学とは異なり、文献の比較研究や歴史考証を通して、聖書に対する学問的研究を行います。聖書学ではしばしば、キリスト教会や神学とは異なる見解を示し、それらに対して批判的な意見を述べてきました。聖書学研究を通して、長い間“神の言葉”とされてきた聖書に、さまざまな矛盾があることが浮き彫りにされるようになりました。

聖書には、歴史的事実の証拠と言えるような内容はきわめて乏しく、神話や他の宗教から取り入れられた記述が多いことが分かっています。キリスト教において“神の書・神聖な書”とされてきた聖書が、実際には人間の手でつくられた人工の書物、後世の人間によって創作された書物であることが知られるようになりました。

キリスト教会サイドは、そうした聖書の矛盾論・批判論に対して、まともに向き合おうとはしません。表面的に矛盾があっても、どこまでも聖書は神によってもたらされた“神の言葉”であり、神聖なものであるとし、聖書の誤謬(ごびゅう)性を認めようとはしません。聖書学者が客観的に矛盾を示しても、頭から取り上げようとしないのです。

現代の聖書学における、“イエスの復活”に対する見解

聖書学では、客観的な証拠に基づいて、聖書の真実を明らかにしようとしてきました。聖書学は、聖書を文字資料と見なし、その分析研究・比較研究を進めます。聖書学は、キリスト教の信仰内容を吟味するものではなく、イエスの復活の真偽や是非を問うことはしません。むろん研究者の多くが本心では、イエスの復活というような常識を超えた不自然な出来事など存在するはずがないと思っています。しかし、学問としての聖書学は、奇跡現象の真偽と是非について判断を下すことはありません。

聖書学に携わる多くの研究者は、“イエスの復活”という奇跡的な現象は、当時のキリスト教信者の熱狂が発生させた内面体験(心の中での体験)、すなわち弟子たちの共同幻想であると見なしています。現代科学が、「超常現象や臨死体験は脳内における主観的現象であって、実在しない」としているのと同じ立場に立っています。弟子たちの心の内で発生した現象、共同で抱いている幻想が、イエスの復活の実態であると考えます。聖書に書かれているような復活の事実は、実際にはなかったとしているのです。

イエスの復活などあるはずがない、と決めつける唯物論者

科学思想に染まった現代人の多くは、イエスの復活を頭から否定します。“人間は死とともに消滅する”と考えているため、死者の蘇り(復活)など起きるはずがない、と決めつけるのです。大半の現代人が、こうした唯物論的な考え方をしています。イエスの復活は、キリスト教徒が抱いてきた迷信であり、狂信的なドグマであり、まともに相手をするようなものではないとしているのです。

現在ではクリスチャンの多くが、聖書に記された処女マリアからの誕生や復活といった奇跡譚(きせきたん)を真実とは思っていません。しかし、それを認めるとキリスト教の存在根拠が失われてしまうため、自分の考えを公(おおやけ)にすることはありません。

(3)イエスの復活の事実を認めるシルバーバーチ

“聖書は信用できない書物”と断言するシルバーバーチ

『シルバーバーチの霊訓』は文句なしに、スピリチュアリズム思想の最高峰と言えます。その中でシルバーバーチは、現代の聖書学と同じように、聖書に対して厳しい指摘をしています。

「あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーにすぎません。そのうえ、原典にないことまでいろいろと書き加えられています。

初期のキリスト教徒は、イエスがすぐに再臨すると信じていました。そのためイエスの地上時代の詳細について、誰も記録しませんでした。ところが、いつになっても再臨しないため、ついに諦めて記憶をたどりながら書き記すことになったのです。“イエス曰く……”と書いてあっても、実際にイエスがそう言ったかどうかは分かりません。」

『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)  p.114

「バイブルの中にある言葉のすべてがイエスによって語られたものではなく、その多くは後世の人間が書き加えたものです。“イエスがこう語った”と言っても、あなた方がそう思っているだけのことです。」

『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)  p.134

「イエスの生涯に関する記録はきわめて乏しく、断片的で、そのうえかなり改ざんされていることを忘れてはなりません。」

The Spirit Speaks

4つの福音書に共通している“イエスの復活”

聖書の多くの部分が、後世の人間がイエスを神格化するためにつくり出した話であったり、神話から取り入れた内容で構成されています。したがって聖書は、歴史的事実を明らかにする資料としては価値がない、ということになります。

しかし、そうした聖書の中にも、イエスの生涯と言動に関する事実が含まれています。イエスの復活については、4つの福音書に共通して取り上げられており、その内容に一貫性が見られます。こうした点から「復活」という出来事が、当時の人々に実際に認識されていたことが分かります。

“イエスの復活”の事実を認めるシルバーバーチ

聖書を人工の書物と断言するシルバーバーチの言葉を聞くと、「復活」というような出来事は、後世の人間がイエスを神格化するためにつくり上げた話だと思うことでしょう。シルバーバーチは、2千年前に起こったとされる「復活」を否定するに違いないと考えるはずです。ところがそうした予想に反して、シルバーバーチは――「イエスの復活は事実である。復活は実際に発生した出来事である」と言っています。

シルバーバーチは“イエスの復活”について、次のように述べています。

「キリスト教では、“死者”から蘇(よみがえ)った一人の人間、死後その姿を見せ、“死”の彼方にも生命があることを証明してみせた人物に、最大級の敬意を表しております。イエスは、その現象によって自分がほかならぬナザレ人イエスであることを証明するために、処刑された傷あとまで見せました。その後もイエスは、何度か姿を見せております。」

A Voice in the Wilderness

このように述べて、イエスの復活が事実であることを認めています。交霊会の参加者の一人が、「イエスの復活は聖書に述べられている通りだったのでしょうか?」と尋ねると、「大体あの通りでした」と答えています。また「石の蓋(ふた)は本当に取り除かれたのですか?」との質問に対しても、「本当です」と答えています(『A Voice in the Wilderness』)。

さらに、シルバーバーチは次のように述べています。

「イエスは霊界へ戻った後、再び同じ姿を取って地上で縁のあった人々の前に現れました。これをキリスト教では“復活”と呼んでいます。イエス以前にも死者が生前の姿で現れた例はたくさんありますし、イエス以後にも数えきれないほどあります。」

『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.145

このようにシルバーバーチは、イエスの復活と同じような事例が数多く存在することを明らかにしています。

(4)イエスの復活は、ありふれた心霊現象の1つ

もし“イエスの復活”が、シルバーバーチが言うように実際に発生した出来事であったとするなら、それは具体的にどのようなものだったのでしょうか。

スピリチュアリズムの「心霊実験」で頻出した「死者の復活現象」

スピリチュアリズム初期(19世紀半ば〜20世紀初期)には盛んに交霊会が開かれ、そこでさまざまな心霊現象が演出されました。その心霊現象が、当時の一流の科学者によって検証されてきました。これがスピリチュアリズムの「心霊実験・心霊研究」です。

そうした心霊実験では、2千年前のイエスの復活と同じような心霊現象がしばしば発生しました。それが写真に撮られ、現在でも見ることができるようになっています。こうしたスピリチュアリズムの心霊研究を通して、「死んだ人間が生前の姿を取って出現する」という復活現象のメカニズムが明らかにされることになりました。

イエスの復活は、エクトプラズムによる「物質化現象」

イエスの復活という出来事は、スピリチュアリズムでは「物質化現象(幽霊形成現象)」と呼ばれます。この物質化現象は、霊媒(*特殊な霊的体質者)の身体から流出するエクトプラズム(半物質・幽質素)によって、他界者の生前の姿を再現するという心霊現象です。

その場(心霊実験の交霊会)には、死者が控えています。霊媒の身体から流出した“エクトプラズム”が死者の霊体を覆い、地上人の目に見えるような半物質的身体を形成します。エクトプラズムは、ガス状態や液体状態や物体状態などさまざまな様相を示しますが、物質化レベルが進むと硬い物体のような状態になります。このようにして死者の生前の姿とそっくりなコピーが形成されることになります。そうして再現されたエクトプラズムの身体には、コピーされた骨や筋肉や血液が存在するようになります。時にはコピーされた心臓の鼓動や脈拍を計ったり、血圧を計ることもできます。それはまさに聖書に記されている、復活したイエスの様子と同じです。

スピリチュアリズムの心霊実験において、次々と他界者(死者)の生前の姿が再現されたことを考えると、2千年前のイエスの復活は、必ずしもイエスだけに生じた奇跡ではないことが分かります。復活は、イエスがメシアであることの証明にはならないことが明らかになります。イエスは、死後も自分があの世で生きていることを知らせるために、「復活」という大きなインパクトをもたらす心霊現象を意図的に起こしたのです。

“イエスの復活”の真相を初めて明らかにしたスピリチュアリズム

19世紀半ばに地上で展開を始めたスピリチュアリズムを通して、“イエスの復活”の真相が初めて明らかにされることになりました。

シルバーバーチは――「イエスの復活は、“心霊法則”を熟知していたイエスがそれを駆使して起こした心霊現象である」と言っています。スピリチュアリズムの心霊実験では、イエスの復活と同じような奇跡が次々と発生しました。イエスが死後、生前の姿を取って弟子たちの前に現れて話をしたり食事をしたのと同じようなことが、19世紀〜20世紀という科学の時代に再現されたのです。そしてそれが数多くの写真に収められ、証拠として残されることになりました。

キリスト教では、“イエスの復活”はイエスだけに生じた奇跡であるとしていますが、スピリチュアリズムの心霊実験で撮られた数多くの写真を前にして、その言い分は通用しません。キリスト教は、スピリチュアリズムがしていることは“サタンの仕業”だと一方的に決めつけますが、彼らがどれほど自分たちの立場を擁護しようとしても、時間の経過とともに“イエスの復活”の真相は知られるようになっていきます。そしてそれにともなってキリスト教は、みずからの存在根拠を失い、崩壊し、やがて消滅していくことになるのです。

物質化現象の写真(心霊実験で出現した、エクトプラズムによる再現身体)

クルックス博士の肩に手を置く、ケーティ・キング霊の物質化写真

ウィリアム・クルックス博士とケーティ・キング霊

英国学士院のガリー博士が、ケーティ・キング霊の脈を計っている

(5)イエスの復活に対するキリスト教の誤解――復活に対する誤解が、間違った宗教(キリスト教)をつくり出した

復活についての弟子たちの解釈――“メシア”であることを証明する出来事と考えた弟子たち

キリスト教では、「復活」によってイエスがユダヤ教で予言されてきた“メシア”であったことが証明されたと考えます。当時、復活したイエスを見た弟子たちは、まさにそのように捉えました。そしてイエスを見捨てたことを反省し、心を改めてイエスの命令に従って伝道に励むようになりました。ここから、キリスト教が始まりました。弟子たちは、イエスがメシア(ユダヤの救い主)であったことや、イエスが死から復活して今も生きていることを述べ伝えていったのです。

イエスの死と復活を“贖罪による救い”と解釈したパウロ

キリスト教では、イエスの復活という出来事は、イエスが“唯一の神の子(三位一体の神)”であればこそ発生した奇跡であるとします。一方、イエスの復活は、パウロに代表される者たちによって“イエスのメシア性”についての考察を促すことになりました。イエスがメシア(救世主)であるとするなら、イエスはどのような救いを人間にもたらそうとしたのかが問われることになったのです。

それについてパウロは、「イエスは人類の罪を背負い、十字架上で死ぬことで贖罪を可能にした」と考えました。そして「復活したイエスを、人類を救うメシアであると信じることによって、罪人である人間は救われるようになる」としたのです。こうして、イエスの贖罪を通して人類は救済されることになるという「キリスト救済論」が形成されることになりました。このパウロ的解釈(贖罪によるキリスト論)が、その後、キリスト教の正統的な教義となって、現在まで続くことになりました。

しかし、イエス自身は、自分の死が贖罪として解釈されるようになるとは思っていませんでした。イエスは、自分がキリストであるなどと考えていませんでしたし、自分を創始者とする“キリスト教”という宗教がつくられるようになるとは、思いも寄りませんでした。

イエスの願いは、ことごとく裏切られ続けてきた

当時、イエスは誰からも自分の真意が理解されない中で、切羽つまった状況に置かれていました。このまま自分が処刑されてしまうなら、自分の使命は全うできなくなる、自分の影響力は完全に消滅してしまうことになる、という危機的状況に立たされていました。そのためイエスは、最後の手段として「復活」というショッキングな奇跡を演出することにしたのです。“死者が蘇る”という出来事は、人々に対して強い影響力を持っています。実際、一度はイエスを裏切った弟子たちも、「イエスは本当にメシアであった!」と認めるようになりました。

しかしその後、事態はイエスにとって予想外の方向に展開していくことになりました。イエスは復活の事実によって――「自分は今も生きている。肉体の死後も生命は続く」ということを示そうとしました。そして復活という奇跡を通して弟子たちを発奮させ、布教に押し出し、生前の自分の教えを広めようとしたのです。しかし、その願いは叶いませんでした。イエスの本心を理解できない弟子たちは、的外れな布教を続けることになったのです。その一方で、「イエスの贖罪によって人類は救済される」という間違った考え方(贖罪説)がつくられ、それがキリスト教の正統な教えとして広まっていくことになりました。

2千年前、イエスが置かれていた状況は本当に厳しいものでした。21世紀の民主主義時代と違って、当時は伝統宗教に反する真理の布教には、常に生命の危険がともないました。さらに当時の人々の「霊的無知」の度合いはひどく、それがイエスに対する誤解を生みだし、すべてがイエスの意図から外れた方向に展開していくことになりました。

最大の問題は、イエスがわずか30歳そこそこで、死を迎えるようになってしまったことです。イエスが教えを説くことができたのは、2〜3年という短い期間にすぎませんでした。イエスは自分の教えを人々に理解させることができないうちに地上を去ることになってしまったのです。死後も、イエスは霊界から働きかけを続けました。しかし、その必死な働きかけも実を結ばず、事態はイエスが思ってもみなかった方向に進んでいくことになりました。それがイエスに、深い悲しみをもたらすことになったのです。

イエスの生前の教えとは――“真理による救い”をもたらすことが、イエスの本当の使命

イエスの本当の使命は、ユダヤ教の中に埋もれていた「基本的な霊的真理」を掘り起し、それを人々に示して正しい生き方を促すことでした。イエスがユダヤ教の中から掘り起こそうとした「基本的な真理」とは――「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」というものです。それは「自分が他人からしてほしいと思うことを他人に施す」という利他的精神、すなわち“黄金律”のことだったのです。そしてもう1つが――「物より心(魂)を重要視し、物的富より霊的富を優先する」というものです。こうしたシンプルな教え(基本的な真理)を伝えるために、イエスはさまざまな奇跡を起こして、人々の関心を自分に向けさせようとしたのです。

当時の人々の「霊的無知」の状況を考えると、イエスにとって、そうする以外に自分の教えを伝える方法はありませんでした。イエスの生前の教えは実にシンプルなもので、そこには後にキリスト教の教義となる“贖罪による救い”や“三位一体の神”といった内容はなかったのです。

しかし、イエスの教えが正しく伝わることはありませんでした。「霊的無知」ゆえに、教えの意味を理解できる人間がいなかったのです。最初にイエスに従った12弟子たちも皆、イエスが何を重要視しているのか分かりませんでした。弟子たちは「復活」の事実を通して、イエスがユダヤ教で予言されてきた“メシア”であったことは認めましたが、イエスの教えの真意を理解することはできなかったのです。弟子たちは、命(いのち)をかけてイエスの復活の事実(イエスがメシアであること)を伝えていきました。しかし、残念なことに、イエスが最も願った「基本的な真理(愛の教えと霊中心の教え)」を正しく伝えることはできませんでした。

やがて、「イエスの十字架の死によって人類は救われるようになる」という間違った教え(贖罪論)が広まり、イエスの愛の教えは、贖罪による救済思想に取って代わられることになりました。生前、イエスが説いた“愛の教え”は、イエスの死後、「イエス・キリスト論(贖罪による救済論)」によって片隅に追いやられることになってしまいました。そしてその間違った教義が人々を“霊的牢獄”に閉じ込め、宗教戦争や魔女狩りなどの凄惨な出来事を引き起こすことになったのです。

(6)もしイエスが50歳まで生きていたなら……――さまざまな問題に解答が示され、人類の宗教史は変わっていた

イエスの復活は、キリスト教を生みだすきっかけとなりましたが、もしイエスが十字架刑で死ぬことなく、もっと長生きしていたなら、その後の歴史はどのようになっていたでしょうか。当然、「復活」という出来事は起こらず、人類の宗教史は大きく変わっていたはずです。キリスト教とは全く異なる宗教が、地球上に登場するようになっていたかもしれません。

もしイエスが長生きしていたなら、歴史は大きく変わっていた

歴史にif(もし……)はありませんが、イエスがあと20年間生きて、その教えが正しく弟子たちに伝わっていたなら、その後の人類の歴史は大きく変わっていたに違いありません。現在のようなキリスト教は存在せず、宗教戦争や魔女狩りといった悲劇も発生しなかったはずです。

イエスは、自分が30代の若さで地上を去るようになるとは思っていませんでした。もしイエスが50歳まで生きてパウロと会っていたなら、イエスの真意は間違いなくパウロに伝わったはずです。パウロは、優れた霊性・知性・人間性・能力を持った稀に見る人物でした。イエスはパウロの協力を得て、キリスト教とは異なる新しい宗教・神の摂理に一致した宗教をつくったことでしょう。当然、「贖罪論」が説かれることはありませんでした。イエスが先に他界しても、パウロがイエスの意志を引き継ぎ、その願いを実現していったことでしょう。イエスのあまりにも早い死は、イエス自身にとっても、パウロにとっても、また人類全体にとっても、大きな不幸であり悲劇でした。

当時の人々の霊性の未熟さと霊的無知が、イエスを十字架刑に向かわせることになりました。そしてイエスがもたらすはずであった数々の「霊的真理」は、人類に示されることなくベールに覆われたままになってしまいました。イエスの死後、キリスト教はイエスの願いから外れた方向へどんどん拡大し、とんでもない巨大組織宗教をつくり出すことになってしまいました。

霊界における現在のパウロ

パウロは、イエスをサポートして新しい宗教を興すという重大な使命を担って地上に誕生しました。その使命感が魂を突き動かし、パウロは歴史的な大きな働きをすることになりました。ただイエスがあまりにも早く他界したため、パウロは生前のイエスと出会うことができず、結果的に間違った教えを説くことになってしまいました。パウロの純粋さと情熱と犠牲精神が、皮肉なことにイエスとは違う教えを残すことになってしまいました。そしてそれがキリスト教の中心的教義となり、人々の魂を“霊的牢獄”に閉じ込めることになってしまったのです。

霊界に行って自分が犯した間違いの重大さに気づいたパウロは、何度も何度もイエスに謝罪しました。イエスは2千年間、自分の名のもとに繰り返されるキリスト教の蛮行を見て、悲しみの涙を流し続けてきました。パウロもまた、そうしたイエスの姿を見て、苦しんできました。キリスト教会の醜態を目にするたびに、パウロは針のムシロに座るような思いを味わってきたのです。イエスだけでなくパウロも、2千年もの間、苦しみ続けてきたのです。

生前に犯した失敗によって懺悔(ざんげ)の思いに苛(さいな)まれているパウロを、イエスは許し、愛しました。そうしたイエスの思いに応えようと、パウロはイエスの願いの成就のために全力で歩み続けました。その貢献は霊界における最大のもので、パウロは自動的にイエスの側近の立場に立つことになりました。現在、パウロは高級霊界においてイエスの片腕として、インペレーター霊と共にイエスを支え、スピリチュアリズム運動を推し進めています。

現在のパウロの様子は、これまで知らされてきませんでしたが、スピリチュアリズムの進展によって時期がきたため、イエス自身の口を通して、初めて地上人類に明かされることになったのです。

イエスが長生きしていたなら、「死後の世界」についての霊的事実が示された

“神”と“死”は、人類にとって最大の関心事であり、最も重要な問題です。当然、イエスの弟子たちも「死後の世界について知りたい、イエスに聞きたい」と思っていたはずです。しかし、あまりにも早い死によって、イエスはその答えを弟子たちに教えることができませんでした。

イエスは死後、「復活」を通して自分が地上とは別の世界で生きていることを弟子たちに示しましたが、死後の世界についての明確な見解を示すことはできませんでした。もしイエスがもう少し長生きしていたなら、「死後の世界」についての真実が明らかにされたはずです。

“イエスの再臨”と「神の国」の出現

当時のユダヤの人々は、地上の王としてローマの圧政からユダヤ人を解放してくれる“メシア”を待ち望んでいました。そしてイエスに従った弟子たちも「神の国」について、一般のユダヤ人と同じような理解をしていました。そのためイエスを王とする神の国で、自分たちはどのような立場に立つことになるのかに関心を持っていたのです(マタイ18章1節〜4節)(マルコ9章33節〜34節)。しかし、イエスは地上の王になる前に、十字架にかけられ命(いのち)を奪われてしまいました。弟子たちは動揺し、絶望しました。

そうした弟子たちも、イエスの死後の復活に直面し、「イエスはメシアであった!」と確信することになりました。イエスは復活して姿を見せた後、昇天しましたが、弟子たちはイエスが再び地上に戻ってくる(再臨する)と信じていました。初期のキリスト教徒は、近いうちにイエスが再臨して、終末が到来し、「神の国」が出現するようになると思っていたのです。当時のキリスト教徒は「マラナ・タ」(主よ、来(きた)りたまえ)を合言葉に、イエスの再臨を待ちました。終末が近いと信じていたため、この世の富や権力にとらわれることなく、所有物を皆で分け合い、共有しました(使徒行伝2章44節〜47節)。

しかし、イエスの再臨は、待てど暮らせど起こりませんでした。キリスト教徒の間には動揺が広がり、不安と不満が高まりました。困り果てたキリスト教会は、イエスの再臨があるのは間違いないが、その時がいつかは誰にも分からない、とする見解を示しました。聖書では、次のように述べられています。「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、一人も滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至ることを望み、あなた方に対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人(ぬすびと)のように襲ってくる。」(ペテロの第二の手紙3章8節〜10節)

復活した身体を持って、地上の「神の国」で永遠に生き続ける――キリスト教初期のクリスチャンの考え方

初期のキリスト教徒は、“イエスの再臨”とともに終末が訪れ、死者を含め人間は復活すると信じていました。そして地上に、「神の国」が到来すると考えていました。地上に神の国が現れたとき、イエスがそうであったように、自分たちも肉体とは別の身体を持って生き返り(蘇り)、永遠に地上の神の国で生き続けるようになると信じていたのです。イエスが栄光に包まれて天から再臨し、神の王国をもたらすとき、自分たちもイエスと同じように復活し、地上の神の王国で永遠に生きるようになると信じていたのです。

このように当時のキリスト教徒は、「神の国」の出現と「復活」を一体的な関係として理解していました。イエスが死後、特殊な身体を持って蘇ったように、自分たちも終末に復活し、特殊な身体を持って地上の神の国で永遠に生き続けるようになると考えていたのです。

地上の「神の国」から、「死後の天国」に解釈変更

ところが、いくら待っても再臨は起こりませんでした。そこでキリスト教徒は、さまざまな解釈をすることになります。先に述べたように、「再臨が、いつかくることは間違いないが、その時がいつかは、人間には分からない」と考えるようになりました(ペテロの第二の手紙3章8節〜10節)。イエスの言葉を拡大解釈して、納得するようにしたのです。

やがて時を経て中世になると、自分たちのそれまでの解釈を根本的に変更して、「神の国」を「死後の世界」と考えるようになります。最初、地上に現れるとしていた「神の国」は「死後の天国」に変わり、「誠実なクリスチャンは死後、天国で永遠に幸福な生活を送るようになる」と説かれることになりました。そしてこれがキリスト教の正式な教義となり、現在まで続くキリスト教の「死後の救済論」となったのです。

かつて、イエスの再臨によって地上に「神の国」が到来して救われるようになるとしてきた見解は根本的に変更され、死後、終末における“イエスの審判”を受けて、天国に行く者と地獄に行く者に振り分けられる、という見解に変わりました。初期のキリスト教では、人類の救済は“イエスの再臨”と“終末における復活”と“神の国の出現”として考えられていましたが、イエスの再臨がいつまで経っても起こらないために解釈を変え、「救いは死後においてなされる」との考え方にすり替わってしまったのです。そして初期のキリスト教で説かれた“肉体の復活”や「神の国」は、忘れ去られることになってしまいました。初期の見解にこだわる宗派は、“異端”として非難されるようになりました。)

現在における“再臨運動”

2千年前、イエスは十字架刑で死んだ後、3日目に復活し、その後、昇天しました。初期のキリスト教徒は、イエス(キリスト)が再び地上に臨むようになること(再臨)を待ち望みました。キリスト教徒は“イエスの再臨”を待ち続けましたが、いつまで経っても実現しませんでした。歴史上の転換期には、キリストの再臨を待ち望む「終末論」が民衆の間で流行しました。

最近(19世紀)になって、アメリカを中心にイエスの再臨を待ち望む動きが活発になり、さまざまな宗教教団がつくられました。1830年には“末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)”が、1863年には“セブンスデー・アドベンチスト教会”が設立されましたそれ以前から活動していましたが、1863年に正式に教会として独立しました)

こうしたアメリカ発の再臨運動として、日本人によく知られているのが“エホバの証人(ものみの塔)”です。ものみの塔は、1881年、チャールズ・T・ラッセルによって設立されました“ものみの塔”とは、エホバの証人の機関誌名で、1970年代から活動を展開しています)。ものみの塔では、イエスの再臨によって悪は滅ぼされ、キリストの王国がこの地上に打ち立てられると信じています。初期のキリスト教で説かれた“イエスの再臨”と“神の国の到来”の見解を、現在においても主張しています。そのため、キリスト教正統派からは“異端”とされています。

ものみの塔の信徒は死後、霊界サイドの救済霊の導きを受け入れようとせず、長い間、地縛状態に置かれるようになります。“霊的牢獄”の中に、自らを閉じ込めてしまうことになるのです。

ものみの塔と並んで、日本でよく知られている再臨運動は“統一教会”です。教祖・文鮮明を“再臨のメシア”とし、この再臨のメシアを通して「原罪」が許されるようになるとしています。多くの再臨運動がイエスの空中再臨を唱える中で、統一教会では、イエスと同じ使命(人類を原罪から救う)を持った人物が“再臨のメシア”として降臨すると説いています。

しかし、「霊的事実」に照らしてみれば、その間違いは明らかです。霊界にサタンはいませんし、原罪もありません。当然のこととして、メシアによる贖罪も不要です。「贖罪論」は、キリスト教の間違った教義です。それは長い間、人々に不安を与え“霊的牢獄”に閉じ込めてきた邪悪な思想です。

統一教会もキリスト教と同じく、メシアによって原罪が贖(あがな)われるという立場をとっています。統一教会では、自分たちは従来のキリスト教とは根本的に違う、と言いますが、その本質は何も変わりません。統一教会の場合、キリスト教の「贖罪説」をさらに巧妙に変化させており、その邪悪性はいっそう大きくなっています。

したがって、信者たちは死後、地上時代と同じような信徒集団を形成し、地縛状態を維持するようになります。生前にその教えの間違いに気がつき抜け出した者は、死後、再臨主と言われてきた人物の本当の姿を見ることになるのです。

イエスが長生きしていたなら、「神の国」論争は存在しなかった

初期のキリスト教における「神の国」と、後に説かれた「死後の天国」の見解は、キリスト教における大きな矛盾です。もしイエスが長生きして明確な見解を示していたなら、こうした矛盾は発生しませんでした。イエスは、スピリチュアリズムによって明らかにされたのと同じ死後の世界の真実を示していたはずです。

イエスの言葉(教え)は、当時の人々によって、またその後の人々によってさまざまに解釈され、キリスト教の中に混乱を引き起こすことになりました。生前のイエスは、ユダヤ教に支配された社会にあって、ユダヤ教の知識を導入したり聖典の言葉を引用するなどして教えを説いていました。また、教養のない人々にも分かりやすいように、譬(たと)えを用いて教えを説いていました。そのためイエスの言葉は、捉え方によっていろいろな解釈が可能となり、内容が矛盾しているように映ることもあります。矛盾の原因として、後世の人間が勝手に言葉を付け加えたことも大きく関係しています。)

「神の国」についても、イエスの言葉はさまざまに解釈できますが、それは熱心な信仰者にとって実に困ったことでした。こうした思想的混乱が発生することになった最大の原因は、イエスがあまりにも早く他界してしまったことにあります。教えの真意が正しく理解されないうちに、イエスが地上を去ってしまったことが原因なのです。

霊的観点から言えば、「神の国」とは――「霊的真理の普及によって確立された霊的救いの版図」を意味します。それは物質的・地理的領域のことではなく、人間の心の世界・内面世界のことなのです。「神の国」とは、人間の目に見えるようなものではなく、目には見えない心の世界として理解しなければなりません。イエスがもっと長生きしていたなら、必ずこうした見解が示されたはずです。

聖書の中に、イエス自身が語ったと思われる言葉が記されています。

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなた方のただ中にあるのだ。」

(ルカ17章20節〜21節)

これは、イエスの「神の国」についての見解を、最も正確に表現している言葉と言えます。イエスが考えていた「神の国」とは、当時、多くの人々が考えていたような天変地異にともなう物質的な大変動によって生じるものではありません。また、奇跡によってつくられるものでもありません。

イエスが示そうとした「神の国」とは、人間の心の向上にともなって現れる内面世界(霊的世界)のことだったのです。物理的・地理的変化として神の国が出現するなら、誰もがその到来を知ることができます。しかし、神の国は目に見えない形で訪れるものであるため、人々には理解できなかったのです。

そしてイエスは、その「神の国」に入るためには、神を心から愛し、自分を愛するように隣人を愛することが必要であると説いたのです。