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魂の成長は地上の苦難をプラス思考で乗り越えることによってなされます。

人間が地上で生活する目的は、「魂を成長させる」この一言に尽きます。高級霊が苦労しながら地上界に働きかけ、霊的真理を地上にもたらす目的は、地上人の魂の成長を促すこと以外の何物でもありません。優れた霊界通信・霊訓には、真理ばかりでなく、霊的人生を歩むための多くの実践的内容が述べられています。霊的真理は実践してこそ価値を持ちます。霊的真理を知ったというだけでは、スピリチュアリストとは言えないでしょう。

では、どうしたら私達は地上で魂の成長をなすことができるのでしょうか。何をしたら地上人生の間に霊性を高めることができるのでしょうか。高級霊訓が示す霊的人生のための実践とは一体何でしょうか。『シルバーバーチの霊訓』『インペレーターの霊訓(モーゼスの霊訓)』アラン・カルデックの『霊の書』の三大霊訓において示される霊的人生の実践的内容は、大きく次のようにまとめられるでしょう。

  • ①霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)
  • ②苦しみへの正しい対処
  • ③利他愛の実践(人を正しく愛する)
  • ④霊的世界とのストレートな交わり(瞑想・祈り)

前号では、この中の①の霊優位のための自己コントロールについて説明しました。今回は、②苦しみへの正しい対処について見てみましょう。

スピリチュアリズムの教え――苦しみ・困難は必要不可欠なもの

スピリチュアリズムの真理を知った私達であっても、苦しみは何とか避けたいと思うものです。苦しみを避けたいと思うのは地上の人間の本性ともいうべきもので、それはごく当然の在り方でしょう。一般の人々は、苦しみや困難がないことが幸せであり、苦難があることは不幸であると考えています。苦しみは人生から幸せを奪い取る敵であり、何とかそれを避けたいと願っています。多くの人々が宗教に係わりを持っていますが、その人達が求めるものは、苦しみのない幸せな人生です。シャカの仏法も、生・老・病・死という避けられない人生苦を、いかに克服すべきかというところから出発しています。このように苦しみは、私達の地上人生の中で大きな部分を占めています。

ところが高級霊訓では、苦しみに対して地上人とは全く違った見方をしています。違っているどころか180度も反対のことを言っています。私達地上人の常識を根本から覆すようなことを述べているのです。シルバーバーチはしばしば、「苦しみを避けてはいけません。ありがたいものとして受け入れなさい」と言っています。

霊訓を読むとき私達はよく、地上人と霊界人の視野の違いの大きさに驚かされることがあります。例えばその一つが死についての考え方です。私達にとって愛する人との死別は、悲しみの絶頂とも言うべきものです。が、それに対して霊界の人々は、「どうして死をそんなに悲しむ必要があるのですか。どうして死をそんなに悪く考えるのですか。死は肉体という牢獄から魂を解放してくれる喜ばしい時なのです」というように、想像もつかないような返事をするのです。そして同じように、私達が地上で味わう苦しみ・困難についても、ありがたいものだと言うのです。この世の多くの宗教は、苦しみを取り除くことを売り物にしていますが、それに比べて、スピリチュアリズムは何と違っていることでしょうか。

高級霊の発言や教えは、常に霊界という永遠的世界の観点からなされます。私達地上人が幼児であるなら、霊界の高級霊は無条件に親であり大人なのです。その視野の広さ、全体を見通した判断力は私達とは比べものになりません。そのような高級霊が、苦しみは魂の成長に不可欠な条件であると言っているのです。

地上は苦難の世界――苦しみは避けられない地上人の宿命

苦しみの意義を正しく理解するためには、非物質世界である霊界と、物質世界である地上世界との違いをしっかりと知る必要があります。霊界には私達が体験するような地上的苦しみはありません。死んで霊界に行けば、今地上で抱えている一切の苦しみはなくなります。それに対して地上生活では苦しみはつきものです。しかし、その地上ならではの苦しみがあるために、地上人生は意義を持っているのです。

地上という物質世界が霊的世界と大きく異なるのは、魂の成長レベルが様々な人々が同じ平面上に生きているということ、そして全てにわたって物質的な力の論理が支配しているということです。当然、利己性がこの世の人間世界を支配するようになっています。利己性の強い者ほど、この世では成功を収めやすくなっています。利己性の強い人間と付き合うと、それだけで様々な苦痛を味わいます。さらにそうした人間に支配されるということになれば、その苦しみはいっそう大きなものになるでしょう。このように地上では、人間関係において必ず苦しみや摩擦が生じるようになっています。

こうした人間関係の中で心を乱さずに生きるためには、たとえ相手の人格が足りないとしても、それを霊的視点から眺め下ろして、哀れさを感じるほどの心境を持つことが必要となります。相手を高くて広い心から見ることができない限り、その人に対する苛立ちや批判・非難の思いを克服することはできません。

また対人関係ばかりでなく、自分という一個人を見ても、肉体があるがゆえの様々な苦しみを持つようになっています。肉体の力はあまりにも強く、すぐに私達の心(魂)を肉主霊従の状態へ引きずり堕とします。自分自身さえまともにコントロールできません。少しでも清らかな思いを持とうとするだけで、猛烈な内面葛藤が起こってきます。本能的方向・物質的方向に流されるのは楽しく、安易です。そしてとても安定性があります。これを乗り越えるのには大変な霊的・内的な努力が要求されます。エネルギーを振り絞るような“霊的闘い”をしなければなりません。時には自らを禁欲的方向に押し出すことも必要となります。

さらに地上の苦難について考える時には、神のつくられた世界が“因果律”ならびに“利他愛”という神的摂理によって支配されている事実を忘れてはなりません。利己的行為や思考は、被造世界・全宇宙の摂理状況に合致しないため、そのズレた分は償いという形で再現されることになります。自らつくった霊的摂理とのズレは、それを償うために、自らに重い足かせをはめるような状態となって返ってきます。重い荷を背負って階段を上るような苦しみが必ず生じてきます。しかしその苦しみを正しく受け止め、前向きに努力しようとする時、結果的に、より高い世界を目指す意志を強固にすることになるのです。この意味で、償いの道は魂の成長の道と言えます。

地上の苦難に対する二通りの姿勢

神のつくった摂理のため、地上にいる限り何らかの苦しみ・困難は生じてくるものです。何も苦しみのないように見える人でも、その人なりの苦しみは必ず持っています。地上にいる人で、苦しみから解放されている人はいません。苦難は私達地上の人間にとって宿命であり、逃れることができないものなのです。ゆえに私達は、苦しみや困難のない人生や将来を考えたり期待してはなりません。もしそうした将来を期待しているとするなら、スピリチュアリズムの教えからズレた考え方です。これからも苦難はやってくると覚悟しておくべきでしょう。

私達の人生には愛する人との死別は必ず訪れます。不治の病や事故のために一生入院するようなことになるかも知れません。また家族の看病のために余生の大半を費やすようなことになるかも知れません。会社が倒産したり、リストラの対象になって失業するような事態が生じるかも分かりません。さらには子供の非行や犯罪といった事件が持ち上がったり、家庭内で人間不和の渦に巻き込まれ、非難・中傷の的になるような辛い目にあうかも知れません。職場において誤解から嫌われ、居場所がないような日々を過ごすようになるかも分かりません。

このように地上にいる以上苦難は避けられないものですが、それに対する心がまえ・考え方に二つの方向性があります。一つはそれを善いものとして受け止めることです。自分の成長にとって必要なもの、あるいは過去に自分が犯した摂理違反(利己的生き方)に対する償いとして、プラス的に考えることです。もう一つがマイナス的な受け止め方です。不平不満の思いを持ってイヤイヤ受けて行くものです。しかし、そうしたマイナス思考の歩みでは、せっかくの魂の向上のチャンスを失うことになります。苦しみ・困難によって心がひねくれたり、神や他人への不信感だけを募らせたり、利己的な自分なりの殻の中に閉じこもってしまうことになりかねません。しかし、現実にはこうした人々が大半なのかも知れません。

シルバーバーチのような高級霊が苦しみの意義を強調しているのは、霊的真理を知って、苦しみに対して正しい対処をして欲しいと願ってのことです。霊的真理があって、はじめて苦しみの意義が理解できます。そして苦しみや困難を高いところから見下ろすことができるようになります。これが霊的真理を知ったスピリチュアリストと、霊的真理を何も知らない人との違いでしょう。霊的真理を活用して現実の人生を考えてこそ、真理を知った意味があるのです。

霊訓の示す苦難への心がまえ

現実に苦しみ・困難に遭遇した時は、誰もが視野が狭くなり、苦しみだけに心が占められるようになります。しかし、霊的真理を知っていることの真価の発揮のしどころは、まさにそこではないでしょうか。死後の世界があること、この世での名誉や名声や他人の評価などはどちらでもよいことを思い出すのです。裸で生まれ裸であの世に帰るのだから、この世の全てを捨ててもよいのだと、思い切って心を整理するのです。苦難に直面した時こそ、自分をひたすら真理に従わせる生き方が必要とされます。私達に勇気を与え、心の持ち方を安定させてくれる霊的真理にしがみつくのです。挫けそうになる弱い心を真理で絶えず立て直して、苦しみに立ち向かって行くのです。

苦難の最中にある時は、紙に書き出した一つのシルバーバーチの言葉を、一日に何十回となく取り出して、心を整理するといったことが必要です。誰もいないビルの屋上に行って、一つの霊的真理を手掛かりに、自分の人生を霊的視点から眺めることが必要です。窮地に立たされた時は多くの真理を読むことはできなくなります。たった一言の霊的真理にしがみつくことが最上の方法になるものです。

「信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.76

霊的真理実践の最大の障害――勇気と謙虚さの欠如

繰り返しますが、苦難の中に立たされた時には、霊的真理にしがみついて乗り越えて行くことが必要です。そのための十分な真理も、すでに私達は与えられています。しかし残念ながら現実には、霊訓を生かしているとは言えないような例が多いのではないでしょうか。その最大の原因は“勇気と謙虚さ”の欠如にあるようです。

せっかく霊的真理を手にしても、それを霊的武器として生かさないのなら宝の持ち腐れです。真理を活用するもしないも私達次第なのです。そして真理を生かすことなく苦しみから逃げたり先送りした分は、いつか別の苦しみを通じて償わなければならないのです。この世のものについ頼りたくなるのは人情ですが、そういう時こそ、霊的真理にしがみついて乗り越えなければなりません。状況によっては、自分が今持っている富・財産や仕事、そしてこれまで作ってきた名声や地位や人間関係も、すべて捨て去るほどの思い切りのよさが必要でしょう。そして人から馬鹿にされたり悪人として見られることも、平気でやり過ごせるような心の姿勢が必要となるでしょう。神と霊界の人々は皆、真実を分かってくださることを支えとして、心を治めて行かねばならないでしょう。

それを実行する勇気がもてない理由は、霊的世界の事実が実感できない、実感度が乏しいということかも知れません。そういう時は、霊訓をもう一度通して読み返す必要があるでしょう。一気に通して読むことによって、霊的視野を取り戻すことができるはずです。地上的視野の中に埋もれていたことに気づくはずです。自分にとって本当に大切なのは地上の事ではなかったことに思い至るでしょう。そして、自分は常に背後霊によってベストの導きを得ていることを思い出し、自分なりの心配は無用であったと、乱れた心を治めることができるでしょう。そうした霊的感覚を取り戻しさえすれば(霊主肉従の状態になれば)、すでに、この世のもろもろの障害を乗り越えるエネルギーを得ているはずです。

一気に全体を通して読むということが大切なのです。そして自分で、さっきまでの自分でなくなったと自覚できるところまで、心を高めてしまうことが重要です。地上より霊界が大切であったと実感が湧いてくるまで読み通すのです。霊的な実感まで至らないうちにやめてしまうなら、霊訓を読む意味がありません。霊的真理は霊的感性を取り戻すための(霊的生命を守るための)、生きた武器として活用すべきものなのです。どうか真理にしがみつき勇気を湧き立たせてください。

霊的真理を手にしながら、それに委ねきれず、真理は真理、自分は自分というような歩みをする人が見受けられます。それでは一体何のための真理か分かりません。自分流の考えを霊界流の考えに従わせて、はじめて霊的人生が歩み出せます。高級霊によって示された方向性は、いずれの霊訓においても明らかに一致しています。今、私達がなすべきことは、霊的真理を無条件に受け入れ実行に移すことではないでしょうか。それが本当の意味での霊的指導を受け入れることであり、謙虚な信仰心を持つことなのです。「そんなことを言ったって霊界と地上では違うから……」とか、「自分の場合は特別なケースだから……」という言葉が出るうちは、決して霊的に飛躍することはできないでしょう。自分を例外にしてはなりません。

霊的真理に委ねようとしない人は、本質的に自分が中心であり、傲慢なのではないでしょうか。人間の本当の謙虚さは、真理にひたすら従おうとする純粋な信仰姿勢の中でしか得られないものです。何か対人関係に問題が生じた時は、その原因を他に求めず、自分が考え方を変えることによって、自分が心を高くすることによって乗り越えるべきものです。

苦しみを苦しみと感じなくなる高い心境

この世の価値観にとらわれている限りは、苦しみはどこまでもついて回るようになっています。この世に対する未練が一切なくなった時、地上の苦しみを苦しみと感じなくなります。その意味で、私達は苦しい時の自分自身の心の状態を観察することによって、今自分がどのくらい霊的真理を我が物としているのか、霊的真理を体得しているのかが分かるでしょう。どのくらい霊界の人々と同じ視野(霊的視野)を持っているのかが分かるはずです。苦しみを克服するには、地上的思考をぬぐい去って霊的真理に立つことしかあり得ません。物事を霊的に眺め、霊界人と同じ考え方ができるようになってこそ、困難を困難と感じなくなります。常に上から臨めば、苦しみを小さなものに位置づけすることができるのです。これが苦しみ・困難に正しく対処するということなのです。そうしてこそ、苦難によって霊的真理の理解が実感的となり、広い霊的視野を持つことができるようになるのです。お互いにこうした心境を目指して、一歩一歩がんばろうではありませんか。

「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解が行けば苦しい思いをしなくなります。また、すべきではありません。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.195〜196

「それによって苦しい思いをするか否かは、あなたの進化の程度の問題です。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.193

今現実に、重い障害で寝たきりの方もいらっしゃることと思います。誰からも理解されず、慰めてくれる人もいない寂しい境遇にある方もいらっしゃることでしょう。人生のどん底で、死んだ方がいいとさえ思っている方がいらっしゃるかも知れません。

しかし、どんな状況にあっても、どうか死後の世界を思い起こし、すべてを大らかに受け止めてくださることを願っています。霊的真理にすがって地上の苦しみに耐え、魂の成長の道を歩んでくださることを祈っています。