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霊界中心主義

スピリチュアリズムと地球上の他の宗教・思想との根本的な違いは、「霊界中心主義」という点にあります。まさにこれこそが、スピリチュアリズムの有する特殊性なのです。スピリチュアリズムは人類史上初めて、「霊界中心主義」を打ち出しました。

「霊界中心主義」とは、自分の存在根拠と価値を霊界に置き、地上にありながら全ての事柄について霊界を中心に考え、行動していくということです。日常生活上のあらゆる問題を霊界人のように眺め判断し、霊界人を手本として歩むことです。「霊的真理」はそのための指針となります。

また「霊界中心主義」とは、今の地上人生を霊界への準備期間と考え、地上生活をそのための訓練場とする生き方であると言えます。地上人生を、永遠の霊的人生行路の単なるひとこまと位置付けするということです。地上人生の全ての営みは「霊的成長」のためにあるととらえ、それを最優先し、衣・食・住・金銭といった物質的なものは、そのための手段とすることです。

さらに「霊界中心主義」を地球規模で考えるなら、「霊的真理」を地上のすみずみまで普及させ、地球を、霊的成長をなすにふさわしい環境にするということになります。霊的真理を、地上のあらゆる分野における指導理念、人類全体の常識とすることです。霊的真理が、個人の生き方の規範・方針となるばかりでなく、国と国との関係においても“共通の理念”となるということです。また人類の本能・物欲から生じるエゴと傲慢さに歯止めをかけ、動物虐待や肉食などの悪習慣や環境破壊を地上から一掃することにもなります。

私達と霊界人との関係――複数の背後霊と、一人の守護霊

こうした「霊界中心主義」における、霊界の人々と私達の関係は、ある面では地上の人間関係より重要なものとなります。霊界人は地上人に対して全ての点で指導的立場に立ちますが、それは具体的には、霊界人が私達地上人の「背後霊」「守護霊」として関与する、ということです。

現在の地球にとっての最大の出来事とは、地球全体の霊的浄化を目的とした大規模な高級霊界からの働きかけがなされているということです。そして、それは地上ではスピリチュアリズムによる霊的真理普及を通じて進められています。地上の人間はスピリチュアリズムとの関係を持った時点から、霊界の高級霊団の一員として、地上での霊的真理普及のために働くことになります。つまり私達一人一人は、高級霊団が地上に働きかけるための足場・道具になったということです。そうした私達が真理の前に謙虚になり、自分の利益を後回しにして霊的真理普及の大事業に全てを捧げようとするなら、多くの霊界人の援助を引き寄せるようになります。目的を同じくする多数の霊界人の働きかけを受け、「霊界の道具」として大きな貢献をなすことができるようになります。このようにして、一人の地上人である私と、複数の霊界の「背後霊」という関係が出来上がります。

「血縁関係のある霊もいれば、地上的な縁故関係は全くなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言ってみれば霊的親近感によって結ばれる場合もあります。そこには民族や国家の違いはありません。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.130

こうした背後霊達との関係以外に、私達はもう一つ、別の霊界人との関係を持っています。それが私と「守護霊」という、一対一の個人レベルにおける関係です。私達の魂の成長を目的として、常に一人の霊界人が守護霊として付き、極めて密接なつながりを持っています。

「母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.179

守護霊は、私達の生涯の“個人教師”

私達の誰もが、地上に生まれてから今日に至るまで、ずっと一人の「守護霊」によって守り導かれてきました。今この時も、守護霊は常に私達に密着し、霊的成長のために働きかけています。そしてこれからも、地上の人生を終えるまで、その関係はずっと続くことになります。

守護霊は、私達の性格・気質・前世の姿・霊的な因縁、さらには今後の人生行路から寿命に至るまで、当人に関するありとあらゆることを知り尽くしています。また、これまでの地上人生における隠れた行為についても、その一部始終を知っています。その上で守護霊は、私達の魂の成長にとって最も適切な導きをしてくれているのです。地上には、これほどまでに完璧な指導のできる教師は存在しません。

守護霊は、私達が地上に再生するに際して、私達みずからが選択した試練の内容についても熟知しています。そしてその内容に基づき、私達がカルマを清算して霊的に成長していくための必要な状況をつくり出すのです。魂の成長をなすにふさわしい困難や、厳しい道を用意するのです。そしてその一方で、私達がその困難を乗り越え成長することができるように、陰から応援してくれるのです。私達の願いと祈りに耳を傾け、霊的摂理の範囲内で、可能なかぎりの援助をしてくれるのです。

また睡眠中には、私達をあの世のいろいろな所に連れ出し、さまざまな体験をさせてくれます。そして死んでこの世を去る時には、真っ先に迎えにきて、新しい人生の手引きをしてくれるのです。まさに守護霊は、私達にとっての「生涯の個人教師」、私のためだけの「専属の霊的教師」なのです。

守護霊は、私達の“霊的な兄・姉”

守護霊は教師として、私達の霊的指導に係わっているだけではありません。広大な宇宙の中で“神の代身”として、私達をストレートに神の愛で愛してくれる方でもあります。その愛は、地上の肉親の献身的な愛よりも深く広いものです。自分の全てを与えつくし、見返りを全く期待することのない、純粋な利他的愛なのです。これまでの人生で私達を最高に愛してくれたのは、まさに「守護霊」であり、それは私達一人一人にとっての「霊的な兄・姉」のような存在です。

守護霊は、私達が落ち込んだ時には背後から励ましのエネルギーを注ぎ、くじけそうになった時には勇気を与え、悲しい時・寂しい時には慰めを与えてくれました。間違った道を歩もうとしたり本能の誘惑に負けそうになった時には、必死にそれを押し止めようとしてくれました。疲れて動けなくなった時には、力を与え肉体を癒してくれました。また試練の中で苦しむ私達に対しては、摂理にそって、可能な限りの援助をしてくれました。

誰もが、そうした守護霊の愛と導きを得てこの地上人生を送っているのですが、その最大の援助者の存在に気づく人はなかなかいません。肉体を持ち“霊的感性”が鈍くなった地上の人間は、こうした最も身近で親しい存在であるはずの守護霊について、思い出すことさえできなくなっています。守護霊の存在を知らない大半の人々は、常に孤独感を抱いて歩んでいます。

しかし今この時、私達のすぐ背後に、私達の魂の成長を自分のことのように願ってくれている存在、一片のエゴも含まない純粋な利他愛で包んでくれている存在があるのです。もしその事実を少しでも実感できるとするなら、その瞬間に、今までの孤独感は消し飛んでしまうでしょう。孤独感を持つ必要など全くなかったと、心の底から実感できることでしょう。

「私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有り難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないようにかばい、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。」

『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.65

今、孤独のどん底で首をうなだれ膝をかかえている人も、決して一人ではありません。地球上にいる人間で、独りぼっちにされている人は誰もいません。愛されていない人、心配してもらっていない人は一人もいないのです。それどころか一人一人が、神の代身である守護霊から、宇宙より大きな愛で愛されているのです。誰もが、守護霊によって最高の愛を受けているのです。守護霊の愛は、私達の生涯にわたって注がれています。これからもずっと、守護霊の“絶対愛”に包まれて生きていけるのです。このように私達は、今後の人生を孤独の中で生きることは決してないのです。孤独を恐れる必要は全くないのです。

「父と子供との関係と同じです。ある目的をもって、その成就のための道から外れないように、時には忠告を与え、悲しみの中で慰めを与え、苦難の中にあっては生き抜く勇気を与えたりします。」

『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.204

「人間を、友も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにしたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています。」

『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.206

守護霊としての辛い歩み――守護霊の苦労

守護霊の霊界からの働きかけ・指導は、すべて霊的摂理にそって進められていきます。霊界サイドから地上人に対して、一方的になすべきことを強制することはできません。どこまでも地上人自身が自分の判断に基づいて行動し、その結果として、魂を成長させることができるように導いていくのです。これが人間に“自由意志”が与えられていることの意義であり、霊的摂理にそった人間の成長ということです。

「威圧したり強制したりして仕事を進めるやり方は、私たちは取りません。神から授かった理性の光で導き、一歩一歩をみずからの意志で踏み出すように仕向けます。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.135

そうした状況下での霊界から地上人への働きかけは、ただひたすら一方的に与えるということになります。しかし、どれだけエネルギーを注いでも、尽くしても、地上人の自覚がないところでは、よい結果を期待することはできません。十与えて一つ、二十与えて一つの反応が得られるにすぎません。まさに忍耐だけが要求される働きかけとなります。普通の地上人ならとっくに諦めてしまうようなことが、これまで私達に対してずっと行われてきたのです。守護霊は、決して私達を諦めたり見捨てたりすることなく導き続けてくれたのです。

それを考えた時、今日まで、私達が最も悲しみを与え、苦労をかけてきたのは、まさに「守護霊」であったことが分かります。一人一人にとっての最大の恩人とは、守護霊に他なりません。私達が最も感謝すべき相手は、本当は肉親以上に守護霊でなければならないのです。しかし、これまで大半の人々は、その最大の恩人・恩師の存在に気づくことさえありませんでした。そして何か辛いことがあると、すぐに愚痴をこぼしたり、嘆いたり、運命を呪うようなことさえしてきました。今にして思えば、その度ごとに、守護霊を悲しませてきたのです。

さらには、いったんスピリチュアリズムに導かれ霊的真理を知りながら、離れていった人達もありました。せっかく真理を得ながら謙虚になれず、道を外れてしまったのです。そうした時の守護霊の悲しみは、私達の想像をはるかに越えたものです。長年の苦労が実って、やっと最高の道にたどり着いたのに、本人みずからその宝を手放してしまったのです。守護霊にとって、これ以上の悲しみはありません。

分かってみれば、守護霊ほど辛い孤独な奉仕の道を歩んでいる者は地上にはいません。誰からも理解されることなく、結果もあまり期待できない中で、ひたすら私達の成長を願い導き続けてくれたのです。何の見返りも求めず、一方的に与え続けるという最高に孤独な道を歩んできたのです。まさに労多く報われることの少ない奉仕を、この私一人のために継続してきてくれたのです。

シルバーバーチは、そうした「守護霊」が味わう苦しみについて、次のように述べています。

「私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。その時の辛さは、苦しんでいる本人よりも辛いものです。しかし、本人みずからの力で解決すべき問題を、私が代わって解決してあげることは許されないのです。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.23

「こちら側にいる私たちにとって耐え忍ばねばならない最大の試練は、愛情の絆で結ばれている地上の人間が苦難と闘っているのを目の当たりにしながら、それがその人の魂にとって是非とも必要であるとの認識のもとに、手をこまねいて見ていなければならない時です。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.137

守護霊の立場とは、何と辛く、また何と深い愛が必要とされることでしょうか。

守護霊の決定

霊界の人々はどのようにして、こうした厳しい守護霊の役目に就くことになるのでしょうか。一般的に言って、守護霊の多くは、地上へ再生する霊の「類魂の一員」から選ばれることになります。類魂の仲間とは、魂の成長度が同じで、霊的な親和性によって結ばれている霊的兄弟と言えますが、そうした一人の霊が「守護霊」となるということです。一方、霊的成長レベルの未熟さゆえに、幽界から直接、カルマの摂理・働きによって自動的に地上へ再生するというケースも存在します。その際、守護霊となるのは、その再生する霊の霊的レベルに見合った低い霊です。(「類魂」ではなく、地上時代の血縁・先祖がなることが多い。)

一般的なケースの場合、ある霊が地上への再生を決意するに際して、時を同じくして類魂の中から一人の霊が中心霊から任命され、再生者の「守護霊」になることが決まります。そして地上に再生した類魂仲間に対しての献身的歩みが始まることになります。守護霊の任命を受けた霊は、その役目を通じて、自分自身の悪いカルマを清算し、同時に魂の成長をなす道を歩むことになります。類魂の中心霊はそれを予測して守護霊に任命するのです。もちろん守護霊の役目を受けるについては、受ける本人の自由意志が尊重されますが、大半の霊はそれを自らの成長・奉仕のチャンスとして受け入れます。

このように守護霊となることは、その霊自身にとっても霊的成長の道を歩むことであり、救いの道ともなっています。再生とは違った形で、「魂の成長」と「罪の清算」を果たすことができるのです。

「それは霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが、大部分は血縁はありません。霊的親類どうしの親和力を縁として、相互間に利益のある二つの霊が結びつけば、そこに引力が生じて守護霊ないし指導霊――どう呼ばれても結構です――が影響を行使できるようになります。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.228

「必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまくいくのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的資質を知りつくし、教師の才能を知りつくせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが判断できます。」

『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.231

一人の霊が地上に再生するに際しては、守護霊の任を引き受けてくれた友に、地上における自分の守護と導きを頼むのが普通です。しかし、その霊(再生者)も一旦地上に誕生して肉体をまとうようになると、霊界におけるそうした全てのいきさつを完全に忘れてしまいます。霊界では、二人は同じ「類魂仲間・霊的兄弟」でした。しかし、肉体に包まれて脳の意識(物質的意識)を中心に生きることになった地上人と霊界にいる守護霊では、大きな隔たりができてしまいます。霊的視野、霊的真理の理解度、そして霊的純粋さにおいて、大人と赤ちゃんほどの違いが生じることになります。

ここにおいて自動的に、霊界の守護霊が「教師」で地上の人間が「生徒」といった関係が成立することになります。そして親が手を取り我が子を育てていくように、霊界の守護霊は地上人の魂の成長のために、可能な限りの配慮をして導くことになります。そのプロセスについては先に述べましたように、一方的に与え尽くすだけの労多くして実り少ない厳しい道となるのです。

地上人サイドから守護霊に近づく努力を !

守護霊こそ、地上人にとっての最高の教師であり、誰よりも純粋な愛で愛してくれる兄・姉であり、最高の恩人であり、信頼できる親友と言えます。そして私達のために苦労を受け持ち、苦しんでくれる方なのです。ゆえに私達が真っ先に感謝すべき相手は守護霊ということになります。「守護霊」こそ、神に次いで感謝を捧げるべき存在なのです。

何度も述べましたように、守護霊の働きかけは労多く空しいものとなりますが、その原因は、地上人が守護霊についての事実を全く知らないところにあります。そのため、せっかくの守護霊の献身的行為も一方的なものに終わってしまうのです。

もし地上の人間が、こうした守護霊の実情を知り、その働きかけと導きを正しく受け止めることができるようになれば、守護霊との関係は、ずっと強固で緊密なものになります。霊界と地上をつなぐ霊的エネルギーのパイプは、これまでとは比較にならないぐらいに強く太くなります。その結果、私達は守護霊からの導きや影響力を、もっとストレートに得られるようになるのです。守護霊の導きを無にするのは、すべて地上の人間サイドの問題なのです。私達地上人が少しでも「守護霊」に近づく努力をするなら、霊的状況は格段に変化するようになるのは明らかです。

「各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚が無ければ、無意識の心霊能力をもち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけは、それに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。」

『シルバーバーチの霊訓(2)』(潮文社)  p.209

「両者の関係がどこまで親密となるかは、地上の人間の霊的成長しだいで決まることです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.33

今後、私達は真のスピリチュアリストとして、地上サイドから霊界に接近する努力を始めなければなりません。もっともっと、「守護霊」との関係を密接・強固なものにしなければなりません。

そのために私達がなすべき努力目標を、次に掲げることにします。

守護霊が自分の背後にいて、愛し導いてくれていることを絶えず思い起こす。常に二人でいることを忘れない。
守護霊と通じやすい環境をつくる。
誰もいない静かなところで瞑想・祈りをする。心を静め、霊の道具としての受容的姿勢をつくる。
何か分からないことがあったら、守護霊に尋ねる。
その答えは睡眠中に教えられ、日中において、それをインスピレーションとして思い出すようになる。また何らかの方法で気づかされる。
常に、神と守護霊に感謝する。
「これまで導いてくださって、ありがとうございます。今日一日の導き、ありがとうございます。」

そして何よりも大切なことは、日々、霊的真理にそう努力をすることです。つまり心身を清らかに保ち、「良き霊界の道具」となれるよう努めることです。少しでも自分の人生を「霊的真理普及」のために捧げようとすることです。

「寒々として霊性を寄せつけぬ地上生活にありては、そなたたちの魂と、その欲求を叶えしめんとして待機せる背後霊との間の磁気的霊交が、真摯なる祈りによりて如何に強く促進されるものであるかを、そなたたちは知らぬ。その絆は使うほどに強化され、交わるほどに親密度を増す。祈りというものが如何に豊かなる霊的実りをもたらすかを知れば、そなたもより多く祈るようになることであろう。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)  p.166

守護霊の身元にこだわる愚かしさ

世間では、自分の守護霊を知ることが一つの流行のようになっています。そして残念なことにスピリチュアリストの中にも、いまだに自分の守護霊の身元を知りたがっている人が見られます。また交霊会に参加して、自分の守護霊が誰であるのか、教えてもらおうとする人もいます。そうした行為がいかに幼稚で愚かなことであるかは、いまさら言うまでもないでしょう。

私達の誰にでも一人の「守護霊」がいて、私達を愛し守り、導いてくれているという事実を知るだけで十分なはずです。自分の守護霊を知りたがる人にかぎって、最も肝心な努力を怠っているように思われます。そして見栄と自己顕示欲に心が支配されているようです。もし交霊会で、地上人の程度の悪い好奇心に合わせて軽々しく守護霊の身元を教えるような霊がいるとしたら、それは全て低級霊と考えて間違いありません。地上人の程度の悪さに応じて、霊界の低級霊がからかっているのです。