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本物の霊能者とニセ霊能者の見分け方

スピリチュアリズムの使命の一つに、正しい霊能者とニセ(偽)霊能者を見分けるということがあります。霊能者は本来、“霊の通路”になるという大切な役目を背負っています。その役目を通じて、いまだ霊界や霊の存在を知らない人々に、霊的な事実を伝えることができるのです。その意味で霊能者には、「神の道具」としての大きな責任が与えられています。ところが実際には、多くの霊能者が神の道具としての使命を果たすどころか、逆に神の道を妨げ、人々を正しい道から遠ざけるといった忌々(ゆゆ)しき問題を引き起こしています。

霊能は、自分自身の利益のために与えられた特権ではありません。自分の利益のために霊能を用いることは許されません。霊的な能力は、一般の人々には特別に素晴らしい能力のように思われていますが、霊能それ自体に価値があるわけではありません。それをどのように用いるかによって、霊能を持ったことの価値が決まるのです。霊能力の使い方によって「本物の霊能者」か「ニセ霊能者」か、「優れた霊の指導を受けられる霊能者」か「低級霊に支配される霊能者」かが決定されるのです。世俗的で物欲的な霊能者には、必ず低級霊が働きかけています。世間一般に霊能者として名前が知られている人々(特にテレビや本の出版などでその名前が知られるようになった人々)の大半は、低級霊に翻弄されているのが実情です。

スピリチュアリズムに導かれ霊的真理を知ることのできた私達は、ニセの霊能者を見抜いて、世間の人々が彼らに近づかないように、また騙(だま)されないように警告を発する責任を持っています。そのためには、ニセ霊能者を的確に見とおす判断力を身につけなければなりません。霊能者の善し悪しの判別は、「語る言葉の内容」「態度」「実生活」の三つの点からなされます。

次にこの三つの点から、具体的に“ニセ霊能者”の見分け方を学ぶことにしましょう。

1.語る言葉の内容から

  • 「罰(ばち)が当たっている」などと言う。
  • 「霊がとり憑いている。お払いをしなければいけない」などと言う。
  • 「水子が祟(たた)っている。水子供養をしなければいけない」などと言う。
  • 「先祖が地獄に堕ちて苦しんでいるために、子孫にいろいろな悪いことが起こっている」などと言う。
  • 「問題の解決には、特別な先祖供養が必要である」などと言う。
  • 「霊の障り(霊障)がある」などと言う。
  • 「方角が悪い」「星回りが悪い」など、占いじみたことを言う。
  • 「あなたには何か悪いこと(不吉なこと)が起こるような運命がある」とか、「このままだときっと家族の誰かが病気になる」など、不安を与えるようなことを言う。
  • 将来について、予知じみたことを言う。
  • 「あなたの背後霊は誰々である」などと背後霊の指摘をする。
  • 「あなたの前世は誰々で、どんなことをしてきた」などと前世の指摘をする。
  • 「私があなたの悪い因縁を切ってあげましょう。あなたに代わって私が祈って解決してあげましょう。私が霊障を取り除いてあげましょう」などと言う。
  • あまりにも霊的真理からずれたことを言う。(ex.あなたは何十回も生まれ変わっています/あなたの前世は動物でした/あなたは立派な守護霊を付けなくてはいけません)
  • 世俗的、日常的なことを質問すると、すぐに答える。
  • 財運、運勢、未来の出来事、恋愛・結婚運などの質問に対して、不安を与えたり、逆に有頂天にさせて喜ばせるようなことを安易に言う。

以上、リストアップしたようなことを平気で口にするような霊能者は、低級霊に憑かれていると思って間違いありません。霊能者が語る内容の間違いやいい加減さは、皆さんが「霊的真理」をしっかりと知っていれば容易に判別できるはずです。近い未来の予知とか、死んだ家族のこと、身内のことを言い当てるのは、低級霊の得意とするところです。霊能者がそうしたことを正確に言い当てたからといって、驚いたり動揺してはなりません。その程度のことは、低級霊に支配されたニセ霊能者であっても簡単にできるということを知っておくべきです。低級霊はわざと部分的に本当のことを言って地上の人間を信用させたり、また逆に不安に陥れたり、混乱させてからかったり、イタズラをしようとしたりするのです。

2.態度・様子・雰囲気から

  • 周りの人々を威圧するような言い方をしたり、煙に巻くような言い方をする。
  • 態度が尊大・傲慢であり、謙虚さからほど遠い。また雰囲気が高圧的で、一方的に周りの人々に命令調で話をする。
  • 自分自身の背後霊が誰々であるとか、自分の前世は誰々で、何をしていたなどと自慢する。(その大半は作り話であるが)
  • 今まで自分がしてきた修行を自慢する。(ex.荒行・断食行)それによって、さも自分の霊性が高いかのように誇示しようとする。
  • 自分の答えに対して質問をされると怒りだす。「自分の言うことを無条件に信じよ」という態度を取る。
  • 自分の感情をコントロールできず、すぐに怒ったり、絶えずイライラして落ち着かない。
  • 言うことがコロコロと変わって、先程(以前)の話と全く矛盾したことを平気で言う。

ここに挙げたような態度・様子・雰囲気が見られる霊能者は、完全に低級霊に翻弄されていると言ってよいでしょう。そうした者には初めから近づかないようにすべきです。仰々しいお祈りをしたり、霊にお伺いを立てるなどと称して、気違いじみた読経をしたりするような霊能者も同様です。また権威付けのために特別な服装をしたり、祈祷室に多くの崇拝物・仏像・掛け軸などを並べているような霊能者の大半も、低級霊に翻弄されていると思って間違いありません。

「目を見張らせるような現象ばかり見せて“珍しがり屋”をよろこばせている霊媒は、知的にも道徳的にも低級な霊のおもちゃにされています――名前は何とでも名乗れるし、見せようと思えばどんな霊の姿でも見せられます。そうやって人間を騙してはよろこんでいるのです。」

『インペレーターの霊訓―続「霊訓」』(潮文社)  p.151

「一般に予言者と称して災害や不幸を安直に予言している人間は、イカサマ師でありハッタリ屋だと思って間違いありません。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.267

「見栄が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるように見せかける――それが他人のものをのぞき見する悪趣味を生むのです。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険がつきまといます。」

『インペレーターの霊訓―続「霊訓」』(潮文社)  p.148

「根本的に邪悪性の強い人間には邪霊がついていますから、そのアドバイスも決して感心したものではありません。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.271

3.日頃の生活態度や、これまでの生活態度から

その人間の語る内容と態度から、本物の霊能者かニセ霊能者かのおおよその判断はつきます。しかし霊能者と自称する人間の中には、立派なことを語り(愛・神・霊界・永遠の生命など)、また一見人格者のように振る舞い、にこやかな態度をとる偽善的霊能者がいます。新新宗教の教祖にいるような狡猾なタイプの人間が霊能者にもいるということです。まさにペテン師とも言うべき霊能者がいるのです。

最近では霊的真理が普及し、身近な書物からも真理に触れることができるため、霊能者の在り方も以前と比べ巧妙になってきています。お世辞を連発したり、また逆に不安をかき立てるような言葉を巧みに用いて相手の心をつかんだり、霊的真理を部分的に語って相手を信用させようとします。近頃では、こうしたタイプの霊能者が多くなりました。あまりにも見え透いたニセ者では、現代には通用しないからです。従来のような単純な脅し文句やデタラメを言っていては、相手を騙すことはできません。羊の皮をかぶった狼にならなければ、霊的知識が広まりつつある日本では、相手にされないことを彼らはよく知っているのです。

会った初めからニセ者と分かるような霊能者は、さして問題はありません。簡単に見分けがつくからです。しかし今述べたように巧妙にカムフラージュされたペテン師的霊能者・詐欺師的霊能者を見抜くことは、とても厄介です。この巧妙さゆえに、実際、多くの人々は見事に騙されているのです。親切そうに人生相談にのるポーズを取りながら、結局、多額の金をせしめている霊能者がよく見られますが、彼らは、まさにこのタイプのニセ霊能者なのです。

こうしたペテン師的霊能者・詐欺師的霊能者を見抜くのは一見難しいようですが、実は次のような点を押さえていれば、それほど難しいことではありません。

ニセ霊能者・ペテン師的霊能者の見極めは、相手の日常生活の様子やこれまでの生活態度を観察することで明らかにされます。相手の生活態度を長い時間にわたって見ることです。長期間にわたっての行動こそ、その人間の“本性”を的確に表しています。その霊能者が何によって動かされているのか――金銭欲か、名誉欲か、純粋な奉仕性によるのかは、5年、10年といった単位で見ると容易に知ることができます。なかでも最も確実な判断基準となるのが「金銭」です。その霊能者がこれまでお金に対してどのような態度を取ってきたのかを、周りの人から聞くことによって、人間性の本質がはっきりと分かるのです。

一般に人間は大きく、「霊的なものを優先するタイプ」と「物質的なものを優先するタイプ」の二つに分けられます。もしある霊能者が霊能を利用して金儲けをしているとするならば、それは、その人間が霊(心)より物質的なものを優先していることを証明しています。たとえ、その霊能者が心の大切さや霊的世界のあることを語っていたとしても、その人間的本質は物質中心であることを示しています。地上の大半の人々は「肉主霊従」という物質中心・肉欲優先の状態にありますが、大部分の霊能者も同様の状態に置かれています。霊能という“神聖な道具”を物質的・肉的欲望追求のために利用していることにおいて、一般人より、さらに醜い状態に堕ちていると言えます。

最近では道徳的な教訓や、時にはスピリチュアリズムの霊的真理を語る霊能者が増えてきました。しかし、そうした人物が霊能者としての歩みを通じて、(誠実に働く一般の人々と比べて)莫大なお金を儲けているとするなら、ニセ霊能者であると判断しても間違いありません。自分の物質的本性を巧みにカムフラージュするために、霊的真理を語るとするなら、その罪は本当に重大と言わなければなりません。スピリチュアリズムの霊的真理を利用すること、それを自分の金儲けのために悪用することについては、霊界ではそれ相当の償いの道を逃れることはできません。死後は、何も知らない人々よりも、はるかに大きな償いの道を歩まざるを得なくなります。

愛の大切さを語り、真理を語りながら、結果的に普通一般の人々よりも桁(けた)外れの収入を得ているとするなら、わずか一回一時間そこそこの相談で、数万円(5万、10万円)もの金銭を要求しているとするなら、その霊能者は間違いなくニセ者と判断することができます。口先の言葉、一見謙虚に映る態度の裏に潜むニセ者の“本性”を見抜くことが必要なのです。

さらに本物の霊能者であるか、ニセ霊能者かの見分けは、その人が日常生活において自分自身を厳しく律しているかどうかという点において明らかにされます。なぜなら霊能者は普通の人以上に“低級霊”に影響されやすいため、絶えず自分の心を高める努力が必要とされるからです。しかし世間の大半の霊能者は自分に甘く、自己に厳しく臨んでいないようです。自己コントロールこそ霊能者にとっての「生命線」であることを知らずにいます。そして現実的に、道を踏み外しています。

なかには、人助けをしたいという純粋な動機から霊能者への道を歩み始めた人もいることでしょう。しかし自分を厳しく律することができないならば、いつの間にかその純粋さは失われ、物欲の虜(とりこ)となり、低級霊に翻弄されるようになってしますのです。やがて自分の意志に反して、低級霊に支配されたニセ霊能者に堕ちてしまうのです。

まともな霊能者、本当の「霊界の道具」と言える霊能者が地上においてほとんど見られないのは、こうした理由によります。“本能・肉欲”だけに翻弄されてしまっている醜い霊能者が大半と言っても過言ではありません。

繰り返しますが、ある霊能者が本物かどうか、ペテン師・詐欺師的霊能者でないかどうかの見極めは、「金銭」という物質欲の指標によって明確に判断されます。霊能力が金儲けの手段となっている場合には、その人間がいかに口先で立派なことを言っても“ニセ者”であることは明らかです。

日常生活が乱れ、飽食の限りを尽くしているといった本能剥(む)き出しの霊能者、男女関係が乱れてSEXに関するスキャンダルが絶えない霊能者、衣食住が極めて派手な霊能者も、すべて低級霊に利用されています。「水子供養が必要だ、先祖供養をしなければ幸せになれない、霊障がある、先祖の祟りだ、お守りグッズを買わなければ幸せになれない」などと煽って、その実、暴利をむさぼる霊能者は、低級霊にとっては格好の道具なのです。

本当の霊能者とは、ひたすら与えられた能力を人のために用いる人のことです。自分自身に厳しく、「霊界の道具」に徹して、自分を一切表に出さない人のことです。本物の霊能者ならば、もし目の前の人の災いが悪霊によって引き起こされているのなら、黙って取ってあげるはずです。本当にお守りグッズがその人を低級霊から守るとするなら、それをタダであげるべきなのです。

すでに霊能者・霊媒者としての道を歩んでいる方々へ

このニューズレターの目的の一つに、すでに霊能者・霊媒者として歩んでいる方々に、自己チェックを促すことがあります。それによって霊能者としての正しい姿勢を自覚し、本物の「高級霊の道具」として再出発していただきたいということです。このニューズレターによってショックを受け、恥ずかしいと思われた霊能者の方々もいらっしゃることでしょう。なかには強い自責の念にかられ、身の置き場もないように感じられた方々もいらっしゃることでしょう。「このままではいけない、このままでは自分は必ず低級霊の罠(わな)にはまってしまう、何とか今からでもやり直そう」と思えた人は幸いです。

先にも述べましたが、霊能者であるということは、それ相応の責任を負うことなのです。霊能という特別な能力を活用して、多くの人々を正しい世界へと導くことができる特権が与えられているのです。幅広く人々に奉仕する道が与えられているのです。それは霊的観点から見た時、本当に恵まれた立場を与えられたということなのです。そうした天の恵みを生かすためには、一般の人以上に、常に自分自身に厳しくあらねばなりません。霊的自己コントロールの努力が絶えず要求されます。霊能者は常に自分自身を、この世の“欲”から超越したところに置かなければなりません。あなたがもし本当に霊界の道具に徹し切ろうと思うならば、自分の利益を後回しにして、常により多くの人々のために、自分の人生と生活を捧げなければなりません。あなたの心が純粋である限り、霊界の人達は決して、あなたを飢えさせるようなことはしないはずです。

率直に言って、これまで霊能者を名乗ってきた方々の大半は、高級霊の認める霊能者のレベルには至っていませんでした。しかし今その間違いに気づき、再度ゼロからの出発をなそうと決心するならば、今日に至るまでの歩みは、すべて必要な準備であったことになります。あなたに純粋な再出発を促すための道であったことになります。もし、あなたが今後、正しい霊能者としての歩みを始めることを決意するならば、これからの人生には、予想もつかない程の多くの“貢献の場・働きの場”が与えられるようになるはずです。

「決まりきったことです。生活面で立派であればあるほど霊能も立派になります。自分の何かを犠牲にする覚悟のできていない人間にはロクな仕事はできません。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.171

「過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上にやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。」

『シルバーバーチの霊訓(9)』(潮文社)  p.193

一方、このニューズレターを読んで、反発を持たれた方々もいらっしゃることと思います。どのような考え方をするのも自由ですが、そうした態度は、高級霊からの“警告”を無視したことになります。私達は自分のなした間違いについては、結局いつかは自分自身で償わなければなりません。自分でその責任を負わなければなりません。人は騙せても決して騙すことのできない高級霊が、常に私達の心の中を見ていることを忘れてはなりません。神の慈悲を語り、真理を語れば、地上の人間を騙すことはできるでしょう。しかし決して、自分の心を欺(あざむ)きとおすことはできないのです。潜在意識の中にしまわれた“本心”は、霊界に行った時点において、すべて暴露されることになります。地上での不正は死後、必ず後悔と苦しみという形で返ってくるのです。

「相応しくないと思える人が霊的能力に恵まれていることがよくありますが、それはその人にとって必要だからであって、それを使用することによって人間的に向上することを目的として授けられているのです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.201

――その霊能の使用を誤った時は、それ相当の報いがあるのでしょうか。

「倍の報いを受けます。普通の人より多くの啓発の手段を授かっているからです。目が見えるのに道を間違える人は、目の見えない人が溝に落ちるのとは別の次元の裁きを受けます。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.201

「万が一にも不純なるもの、不正なるもの、臆病あるいは怠惰の要素を心に宿すようなことがあれば、あるいはもし神のみに帰すべき栄光を私(わたくし)せんとする傲慢無礼を働くようなことがあれば、さらには又、俗世への迎合、高慢、不純なる動機を抱くようなことがあれば、その時は神の道具として選ばれた使命によって恩恵を受けるどころか、絶好の成長の機会を無駄にした不徳によって、大いなる害をこうむることになります。」

『シルバーバーチの霊訓(11〉』(潮文社)  p.40

地上は失敗から悟りを得る所です。間違いを犯してしまうのは仕方がないことです。問題は間違いに気がついた時、どのように自分を正していくか、ということなのです。金銭欲の渦巻く流れを断ち切るには、これまで作り上げてきた全てのものを、残らず捨て去るほどの勇気が必要とされます。「目をつぶって裸になる、ゼロからやり直す」――そうした大胆な決意が求められます。これまでの間違った霊能者としての歩みを正すには、それ以外の方法はないのです。時には、思い切って霊能者という立場を止めることも必要となるかも知れません。霊能者という立場にしがみつく必要などどこにもありません。自分の魂が汚され最も大切な宝を捨てることになるよりは、霊能者の立場を捨てる方がずっと賢明な生き方なのです。

「野心や我欲のために才能を悪用する者、あるいは自惚れ、独善、軽率さといった欠点によって、せっかくの霊能を台なしにしかねない者には、霊団から折あるごとに警告が発せられます。が、残念なことに、そうした霊能者ほど自分には関係ないと思うものです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.202

「霊媒としての仕事は(使命をもつ霊団によって)選ばれた者以外は勝手に始めてはなりません。選ばれた者ならば霊団による守護があります。そうした霊媒にかぎって安全と言えます。それも、誠実にして真摯な心がまえで“神の仕事と栄光のために”行うとの認識があって、初めて言えることです。自己中心の考え、いかなる形にせよ“小我”にとらわれることから生じる邪心――見栄、自惚れ、野心等は霊性を汚す致命的な誘惑です。」

『インペレーターの霊訓―続「霊訓」』(潮文社)  p.149

もし、あなたが今後も霊能者としての立場で神のために働きたいと願うならば、次に述べることを、強く心に留めておかれるべきでしょう。まず何よりも、霊的真理をしっかり学ぶということです。なぜなら、それがあなたを低級霊から守る最大の楯となるからです。絶えず霊的真理を読み、高級霊と触れ続けることが必要です。そして次に、その真理に自分自身をそわせる謙虚な態度が必要とされます。霊能者がもし「霊界の道具」以上の立場に立とうとすれば、必ず低級霊の餌食となってしまいます。そうした“利己心・自己顕示欲”に駆られた者は、低級霊と対等に戦うことはできません。高級霊のサイドに身を置きその守護を得られた時のみ、低級霊の接近をはねのけることができるのです。そうでない限り、いつの間にか低級霊の思うままに操られるようになってしまいます。また霊能力それ自体を、特別に価値のあるものと思ってはなりません。霊能力は人々のために用いてこそ価値を持ちます。自分の利益のためにそれを用いる時、その人間は大きな負債を負うことになります。自分の傲慢な思いに負けそうな時は、あなたは思い切って霊能者の立場を止めるべきです。金銭に対する誘惑に負けそうな時は、潔く霊能者の立場を捨てるべきなのです。

霊能者には、普通の人以上に厳しい自己克己の努力が必要とされます。霊能者は普通の人以上に低級霊の働きかけを受けるからです。低級霊の働きかけをはね返すのは、あなた自身の健全な心以外にはありません。正しい霊能者の修行とは、心の修行(高い心境を保つための霊主肉従の努力・自己コントロールの努力)のことなのです。一時的な荒行や、寒中の滝行など、低級霊との戦いの現場では何一つ力を発揮しません。そうした肉体行は、その場かぎりの緊張状態をつくれば誰もができることであり、単にサイキックレベルの能力を引き出す以外の何物でもありません。

霊能者にとっての修行とは、自分の心を正して霊界の良き道具となることです。高級霊が働きかけることのできる純粋な道具になることを、常に目指すべきなのです。そうした“霊的努力”を日常的に継続することこそ本当の修行なのです。自分自身に厳しさを持てない人は、今すぐ霊能者を止めるべきなのです。

人類の霊的向上のために役立つことのできる「真の霊能者」になるためには、スピリチュアリズムの真理を学び、それを全ての指針とすることが必要とされます。本物の霊能者になるための道は、それ以外にはありません。

「大霊は霊媒自身の娯楽的趣味のために能力を授けるのではありません。ましてや低俗な野心を満足させるためではさらさらありません。あくまでも本人および同胞の霊性の発達を促進するために授けているのです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.178

「一言にして言えば、霊的存在である人間が霊的影響力の流入口を開く――それが霊媒能力です。あくまで霊的な目的のために使用しなければなりません。営利目的のため、単なる好奇心の満足のため、あるいは低劣な、無意味な目的のために使用してはなりません。」

『インペレーターの霊訓―続「霊訓」』(潮文社)  p.123

「生活態度が立派であれば、それだけ神の道具として立派ということです。ということは、生活態度が高度であればあるほど、内部に宿された神性がより多く発揮されていることになるのです。日常生活において発揮されている人間性そのものが霊能者としての程度を決めます。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.171

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