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私達に必要とされる“通信霊”の霊的レベルの見分け

霊能者の見分けと同様、霊自体の善し悪しの判別はスピリチュアリズムにとって極めて重要な意味を持っています。高級霊界の教えは、「霊界通信」という手段によって地上人に届けられます。しかし、霊界から通信を送ってくるのは高級霊とは限りません。実際に、霊媒を通じて地上人に語りかけてくる霊の大半は、低級霊やイタズラ霊なのです。これが正当なスピリチュアリズムの評価を貶(おと)しめ、良心的な人々をスピリチュアリズムから遠ざける一因となっています。低級霊からの通信は人々に混乱を与え、スピリチュアリズムの発展に大きなマイナスを引き起こしてきました。こうした現実に対処するため、スピリチュアリズムに導かれた私達は、霊を見分ける判断力を持たなければならないのです。

霊のレベルの見極めは、交霊会(霊媒現象)などで必要とされるばかりでなく、霊界通信やチャネリングの書物を読む際にも必要となります。どの程度の霊が語っているのか、どの程度の霊が通信を送ってきているのかを、常に判断しなければなりません。高級霊と低級霊を的確に見分け、低級霊を私達の周りから排除していかなければなりません。低級霊を見抜き、それを取り除くことは、古来より「審神者(さにわ)の役目」とされてきました。今私達は、現代の審神者としての能力を身につけることが要求されているのです。

霊との交わりに関する大原則

初めに、霊との交信(霊媒現象・チャネリング)についての原則を確認することにしましょう。以下に述べる1〜9の内容は、“霊媒現象”に係わる人々にとって、必ず知っておかなければならない基本的な知識です。これは霊との交わりに関する“大原則”であり、審神者として低級霊をコントロールするための必須知識となります。

1)私達は常に、未熟な霊・低級な霊・凶悪な霊に取り囲まれている

未熟で低級な霊達は、人々が多く集まる場所――盛り場・酒場・ギャンブル場・劇場・映画館・霊場・お参り場所などに、大挙して押し寄せています。こうした霊達は、死後も十分な自覚を得ることができずに、地上近くをウロついています。地上的な肉欲や物質欲を引きずったまま生活し、自分の欲望で自分自身を地上に縛り付け、離れられない状況(自縛的な状態)にあります。そうした霊達が、絶えず私達に働きかけるチャンスを狙っているのです。

2)交霊会(霊媒現象)を通じて現れる霊の大半は低級霊である

交霊会や霊媒現象を通じて現れる90パーセント以上の霊は、地上近くにいる未熟霊・低級霊・凶悪霊です。私達がふだん出会うことになる霊の大半は“低級霊”ということになります。

3)高級霊による交霊会は、実際にはほとんどあり得ない

霊媒者・霊能者の多くは、自分の“通信霊”がさも霊格の高い霊、高級霊であるかのように宣伝しますが、それは事実ではありません。高級霊が通信を送ってくるというようなことは、まさに特別な出来事であり、極めて異例のケースなのです。高級霊からの通信は、長い準備期間をへて、あらゆる好条件が確立された時に、初めて可能となるものです。強力な高級霊団の擁護と協力態勢のもとで、低級霊の介入を排除し、すべての厳しい条件をクリアーした時、「純粋な霊訓」が地上にもたらされるのです。

それは人類全体の救済というスピリチュアリズムの計画の一環としてのみ実現する、ごく稀なケースなのです。スピリチュアリズムと無関係なところで、そうした高級霊からの通信が降ろされることは絶対にありません。スピリチュアリズムの「霊的真理」がすでに普及し始めている現在の日本においては、もはや、シルバーバーチのような超高級霊による交霊会は存在しません。

4)一人の霊媒に複数の霊が出る場合は、低級霊であることが多い

普通、一人の霊媒は相談者の要望に応じて、それぞれの霊を呼び、これを自分に乗り移らせて話をします。したがってその都度、異なる霊に身体を支配されることになります。これは一人の霊媒が、多くの霊達に、自分の身体を“道具”として使わせているということです。これが一般的な霊媒の実態ですが、そうした形での霊との交信は、極めて低い次元で行われています。

腕の立つベテラン職人は自分専用の道具を持ち、それを自分の身体の一部となる程までに使いこなします。道具を自分の生命のように大切にし、手入れを怠りません。当然、その道具を他人に貸すというようなことはありません。ところが素人職人になると、仕事中に道具を他人から借りたり、レンタルして一時的に間に合わせるようなことをします。そうした素人職人によって優れた仕事がなされることはありません。

これと同様のことが、霊媒と通信霊の関係においても言えます。霊媒は通信霊にとってはまさに“道具”です。霊界から純粋な通信を送るについては、霊媒を通じて自分の意志を100パーセント表現できる程までに使いこなすことが必要となります。そのため高級霊の霊界通信では、長い期間をかけて準備がなされるのです。何十年もかけて、霊媒と通信霊のオーラの融合・調和レベルが深められます。そのようなケースでは、当然、使用する道具は一人に限られます。すなわち自分の“専属霊媒”を持つということです。

もしある霊媒が、自分はいろいろな霊を呼び出せる、どんな霊でも呼んでみせると言うとしたなら、それは、その霊媒が“低級霊”だけしか呼べないことを、みずから証明していることに他なりません。多くの霊に自分の身体を使わせるような霊媒を通じて、高級霊が現れることはありません。常に複数の霊に自分を明け渡しているような低俗な霊媒を、高級霊が使用することはありません。そうした霊媒を通じて出現するのは低級霊に限られます。

5)低俗な霊媒を通じて、高級霊が現れることはあり得ない

程度の悪い霊媒を、高級霊が使うことは決してありません。したがって霊媒の人間性を見れば、“通信霊”のおおよそのレベルの判断がつきます。低俗な霊媒には低級霊しか出ないというのが鉄則なのです。金儲けに走る霊媒、利己心・名誉心にとらわれた霊媒に、高級霊が現れることはあり得ません。交霊会・霊界通信・チャネリングが金儲けの手段となってしまっているような場合、高級霊が関与することはありません。低級霊の格好の餌食になっています。

6)スピリチュアリズムの霊的真理は、選りすぐりの高級霊界通信によってもたらされた

スピリチュアリズムにおいて明らかにされた「霊的真理」は、高級霊からの通信の中でも、さらに選び抜かれた特別なものです。今私達がそれを手にしているということは、奇跡とも言うべき超高級霊の交霊会に参加して、直接、その霊から話を聞いていることと同じなのです。人類史上における最高レベルの交霊会に参加させてもらうという、特権・恩恵にあずかったということなのです。

スピリチュアリズムにおける“三大霊訓”は、まさにそうした世界最高レベルの交霊会においてもたらされた人類の宝なのです。私達は、人類全体の救いのために降ろされた高級霊界からの通信を、真っ先に手にするという幸運に浴しているのです。

7)スピリチュアリズムの霊的真理を手にしたなら、もう交霊会は必要ない

スピリチュアリズムの「霊的真理」を知った私達は、当然のことながら、もう交霊会に参加する必要はありません。最高次元の真理を知りながら、わざわざ程度の低い交霊会に出ることは、これまでの霊界の導きに対する裏切り行為以外の何物でもありません。交霊会における霊との交流は、いまだ死後の世界や霊魂の実在を信じられない人にとってのみ、意味を持つことなのです。

8)守護霊といえども、自ら低級霊を引き寄せる者を守ることはできない

どんな人間にも必ず“守護霊”は付いていますが、地上人が自ら低級霊を引き寄せる場合には、手出しをすることはできません。その人間を案じながらも、守ることはできなくなります。そうしたケースでは、結局、地上人は低級霊のなすがままに放って置かれることになります。

9)低級霊は、地上人の心の内容に応じて引き寄せられる

私達地上人は常に“霊”の影響を受けており、それぞれの心の内容に応じた霊が引き寄せられています。地上人が低俗な欲望に駆られる時には、俗悪な霊・低級霊はそのチャンスを見逃さず働きかけます。低級霊に支配されたり取り憑かれるということは、その人自身に問題があることを示しています。

以上の1〜9が、霊との交流に関しての基本的な知識・原則となります。

低級霊の手口・地上人に働きかける動機

審神者の役目は、低級霊を判別し、排除することです。そのためには、敵である低級霊の手の内を知っておく必要があります。低級霊の実情を知っておくことは、効果的な戦いをするために不可欠な条件となります。低級霊の暗躍ぶりについては、モーゼスの『霊訓』や『霊媒の書』(『スピリチュアリズムの真髄 「現象編」』当サークル出版)に詳しく書かれています。

まず低級霊は、どのような動機から地上人に働きかけるのか、ということを知っておかなければなりません。低級霊が地上人に働きかける動機として圧倒的に多いのが、単なる悪ふざけです。地上の人間を煙に巻いて面白がったり、地上人をからかって楽しもうとするのです。そして地上人が驚くような心霊現象を引き起こし、仰々しい偽りの名を騙(かた)って出現し、尊大な態度で地上人に命令します。また、わざと間違った情報を与えたり、地上人の心の内を読み取って、適当に答えて喜ばせます。低級霊であっても、ある程度までは地上人の心の中を知ることができるのです。また地上の霊視能力を持っている者に対して、すでに死んでいる肉親の姿を装って見せつけることもあります。霊界では、低級霊といえども、短期間ならば自分の姿を思いどおりに変化させることができるのです。また地上人と縁故の霊を真似て、感激的な再会の場面をわざわざ作り出すようなことを企む霊もいます。

低級霊は、その時々の面白さだけを求めて、地上人の低俗な要求に応じます。地上人が世俗的なことを望めば、いつでもどのようなことでも、ふざけ半分、イタズラ半分にやってのけます。そうして人を騙し有頂天にさせ、その後に、当人が当惑・困惑する様子を見てほくそ笑むのです。初めはいかにも人間が喜びそうなことを言い、願いが実現するかのような期待をもたせ、嬉しがらせます。そして奈落の底に突き落とし、その者が絶望し、苦しみ悩む姿を眺めて楽しもうとするのです。これが多くの低級霊の実態なのです。

したがって、もし皆さんが霊能者の所に行って物質的な願い事を申し出るとするなら、こうした低級霊の罠(わな)の中に、わざわざ入っていくことになります。

また憎しみを抱きながら他界した低級霊が、霊界から復讐しようとして地上に働きかける場合もあります。地上時代に辛酸をなめ尽くし、心が歪んでしまった霊が、子孫が幸せに暮らしているのを妬(ねた)み、苦痛を与えようとすることもあります。先祖が子孫を憎み災いをもたらすようなことをするはずがないと信じたいところですが、そうした馬鹿げたことが現実にあるのです。また善なるものに対する憎しみから、誠実・真面目に生きている地上人を困らせようとする低級霊もいます。気の弱そうな真面目な人間をただからかって、いじめたいと思う霊もいます。

死後も軽率なプライドを持ち続け、尊大な態度を装い、周りの人々から崇拝されようとしたり、自分の考えだけが最高であるかのように思い込み、それを何とか地上に知らせようとする霊もいます。彼らは霊界に入ってからも依然として、地上での学問・研究を続けています。彼らは多くの知識を持ってはいても、“霊性”においては未熟なままなのです。また死後、地上的な欲望(肉欲・物質欲)に引きずられ、相変わらずそれを求め続け、地上の同じような人間に取り憑いている霊もいます。さらに地上での狂信的信仰・間違った信仰を持ち続け、それを地上に伝えようとする霊もいます。

霊媒を通じて地上人に語りかけてくる霊の大半(90パーセント以上)は、こうした地上近くにいる“未熟霊・低級霊・凶悪霊”です。地上の悪人にいろいろなタイプがあるのと同様、低級霊にもさまざまなタイプがあり、そうした霊達が、常に私達の心の隙(すき)を窺っているのです。

要注意!狡猾なペテン師的低級霊

このように低級霊にはさまざまなタイプがありますが、その中で最も厄介なのが、巧妙にカムフラージュして、高級霊になりすまして出てくる霊です。地上には、羊の皮をかぶった狼のようなペテン師的霊能者がいることを述べましたが、霊界にもそれと同じようなペテン師的低級霊がいるのです。

尊大・傲慢な話し方をする霊や、霊的真理から外れたデタラメを平気で語る霊が、低級霊であることは容易に判断がつきます。また「自分は大天使である」とか、「創造神である」などと言って出てくるような場合も、明らかに低級霊だと分かります。あるいは「自分を無条件に信じよ、崇拝せよ」などと言ってくるような霊や、地上人の喜びそうなことを次々と並べ立て、世俗的な質問に安易に答えるような霊も見分けがつきます。さらに見え透いた嘘や未来予知をするような霊も、それと分かります。こうした“単純な低級霊”を見抜くことは、霊的真理を学んだ者にとっては、それほど難しいことではありません。

問題はこうした単純な低級霊ではなく、高級霊や善霊を装った巧妙な“知的低級霊”です。一般的には、霊のレベルは、その霊が語る内容によって知ることができると言われています。話の内容こそ、その霊の内面性を反映するものと思われています。しかし、そうした常識をそのまま鵜呑みにすると、大きな落とし穴に落ちることになります。なぜなら現実には多くの低級霊が、高級霊さながらに「霊的真理」を語ることがあるからです。彼らは、神の愛・利他愛・永遠の生命といった真理を上手に織り混ぜて、地上人を信用させようとします。

もちろん相手が低級霊であっても、その話の中の正しい部分だけを受け入れるならばマイナスにはなりません。しかし大半の人間にとって、霊の話のどこが正しくて、どこが間違っているかを判断することは、容易なことではありません。低級霊は、霊的真理と偽りを意図的に混ぜ合わせ、巧妙に地上人を真理の道から遠ざけようとします。一部の正しい真理を示すことによって地上人に信頼感を植え付け、最終的に間違ったことを信じさせようとします。

知的な地上人を騙(だま)す最も効果的な方法は、部分的に真理を示すことです。これは現代の新新宗教が、教祖のカリスマ確立のために利用している手段と同じです。つまり霊的真理を“悪用”して、人々を信用させるということです。その結果、日常における正しい生き方よりも、教祖や教団の方が重要なものになってしまいます。真理は、ペテン師にとっては絶好のカムフラージュの道具であり、洗脳の手段となるのです。それと同様なことを、低級霊も意図的に行います。

こうしたペテン師的低級霊を見抜けなかったことが、これまでのスピリチュアリズムの発展に大きな障害となってきました。審神者(さにわ)としての本当の力量とは、このような狡猾な霊を的確に見抜くところにあります。真理を語り、愛を説き、謙虚そのものに振る舞う低級霊を、いかに見破るかということです。一見、謙虚そのものの雰囲気を装って意図的にニセの情報を送ってくる“霊の正体”を、確実に判別しなければなりません。霊的知識を知る地上人が多くなるにつれ、単純な霊界通信は姿を消し、見分けの難しい通信が増えてきています。

大半の地上人にとって、相手の霊のオーラを見ることはできません。また例えオーラを見ることができたとしても、低級霊は一時的に自分のオーラの色を変えたり、さらにはいっとき高級霊としての姿をつくって霊能者・霊媒者に見せることもできます。

このような状況の中にあって、私達は低級霊をしっかりと見抜いていかなければなりません。ではこの見えない“敵”を見抜く具体的な方法は、果たしてあるのでしょうか。

ペテン師的低級霊を見抜く“ベストの方法”

低級霊かどうかの判別は、霊の語る内容が「霊的真理」に一致しているかどうかを厳密にチェックすることでなされます。ペテン師的低級霊は、常に真理と嘘を織り混ぜます。私達はそうした霊の話のどこが霊的真理と一致し、どこが食い違っているのかを、瞬時に判断しなければなりません。それができなければ、相手のペースに乗せられてしまいます。そして真理と一致しない点を見いだしたら、すかさず指摘します――「それは霊的真理とは違います。嘘を言うのはやめなさい」と言えば、低級霊は必ずたじろぎます。何とか言い逃れしようとしたり、急いでその場を離れようとします。

相手の霊が、 これまでスピリチュアリズムによって明かされた真理以外のことを語った場合、そのほとんどが作り話であると判断して間違いありません。また前世の身元、未来の予知、古代大陸文明、UFO、宇宙人、原罪、サタンなどについて述べるようなことがあった場合にも、低級霊であると考えるべきです。スピリチュアリズムの霊的真理から明らかにズレたものに対しては、まず疑ってかからなければなりません。

低級霊は、地上人が今まで耳にしたこともないようなことを言って驚かせ、それによって自分を信用させようとします。あるいは動揺を与えて優位に立とうとします。そうした低級霊の狙いどおりに地上人が反応するなら、低級霊にとっては第一段階の目的を果たしたことになります。なぜなら、いったん心をつかんだ地上人を“真理の道”から切り離すのは、いとも簡単なことだからです。心さえつかめば、あとは何を言っても全て鵜呑みにするようになるからです。

中途半端に霊的真理をかじっていたり、霊的現象に過剰な関心を寄せる人々は、低級霊にとっては絶好の餌食なのです。ニューエイジや精神世界ブームは、まさに、こうしたペテン師的低級霊の“跳梁・暗躍”する格好の場を提供しています。

それは、スピリチュアリズムの世界においても同様です。残念なことですが、スピリチュアリストを自称する人達、さらにはスピリチュアリズムのリーダー的立場にある人達が、ペテン師的低級霊に翻弄されている姿をたびたび目にします。

先号のニューズレター(7号「知識の重要度を決定するのは、スピリチュアリズムの霊的真理です」)では“魂の成長”を基準にして、「不可欠な知識」と「どちらでもよい知識」の区別をしました。私達にとって本当に必要なものは、魂の成長に係わる知識以外にはありません。よく、「どちらでもよい知識」ばかりの霊界通信を目にしますが、それは、その“ソース”が低級霊・未熟霊であるからです。たとえ通信の中に、部分的に霊的真理(ex.神の愛・霊界・カルマ・利他愛)が含まれていたとしても、どちらでもよい知識や明らかに間違った知識がある場合は、まず通信霊の素性を疑ってかからなければなりません。それなのにもし地上人が、「こんな素晴らしい深い真理を述べているのだから、他の部分もおそらく本当に違いない」などと考えるならば、低級霊の術中にまんまとはめられたことになります。

シルバーバーチのような高級霊は、“理性”を用いて通信の中身を吟味することの大切さを強調しています。霊からの通信を無批判に信じ込むことの弊害を訴え、自分(シルバーバーチ)に対してさえも、疑ってかかりなさいと言っています。

私達は、霊界通信の内容が地上人の「魂の成長」に的をしぼったものになっているかどうかをチェックしなければなりません。魂の成長を促すための、内省的な歩み、自分に厳しい生き方を勧めているかどうかを見極めなければなりません。たとえ神とか利他愛といった素晴らしい言葉が並べてあったとしても、内省的努力に大きなウエイトが置かれていない通信は、低級霊からのものと考えても間違いありません。

霊媒の潜在意識の混入

現代科学の知識や難しい哲学用語を駆使する通信、最先端の心理学の内容を盛り込んだ通信が、最近とみに多くなっています。特にチャネリングにはその傾向が強く見られます。そして、こうした一見、垢抜けして現代人にマッチした知識や教訓がチャネリングの流行を生み出しました。

しかし重大な結論を言いますと、そうしたチャネリングの多くは、霊界の霊によってもたらされたものではなく、霊媒(チャネラー)の“潜在意識”から引き出された知識なのです。チャネラーの潜在意識の中に存在する考えが、トランス状況下で外部に吐き出されたものなのです。従ってそれは、純粋な霊界通信とは言えません。単なる地上人の考えに過ぎないということになります。チャネリングでは判で押したように、最新の哲学や心理学用語が登場しますが、それは全てこうした理由によるものなのです。

一方、ヨーロッパを中心として発展してきたスピリチュアリズムにおいては、科学者がこの潜在意識の問題に厳しくメスを入れた経緯があります。そのために霊界通信に対して、厳しいチェックがなされるようになっています。アメリカでも、今後はチャネリングに対する厳格なチェックが徐々に進められていくものと思われます。それによって、これまでのようなチャネラー自身の知識と霊からの通信を混同するといった愚を犯すこともなくなっていくでしょう。ベストセラーとなったチャネリングには、一様に潜在意識の関与が色濃く見られます。最新の科学知識を語ることが、高級霊からの通信であることの証明にはなりません。

霊媒者の人格も、通信霊のレベルを測る目安となる

霊媒者の人格を見れば、おおよそどの程度の霊が通信を送ってきているかが明らかにされます。高級霊が低俗な霊媒を通して語ることはありません。霊媒が謙虚で無私無欲な場合には、たとえ知識が乏しくとも、高級霊の道具として用いられることもあります。霊媒者の生活態度・心身の健全さ・常識性は、通信霊の程度を推し量る一つの目安となります。

低級霊に対しての対処・コントロール方法

低級霊は地上人に対して、隙あらばいつでも働きかけようとしています。こうした低級霊に対する最大の防御策とは、霊的コントロール(霊主肉従の努力)によって心を高めること以外にありません。私達が平静さを失い感情的になったり、あるいは本能・物欲に流されたその瞬間から、低級霊は働きかけを始めます。常日頃から世俗的なものに心が支配されないように注意しなければなりません。

魂の成長に意識を向けている限り、守護霊・背後霊は私達を低級霊から守ることができます。守護霊と一体化しているならば、私達の存在それ自体が低級霊にとっての脅威となるのです。低級霊は近づくことさえできなくなります。このように心を高める内省的努力、自分自身に厳しくする姿勢こそが、見えない敵(低級霊)に対する最大の武器となるのです。

さて皆さんは今後、霊媒体質者を通じて突然現れてくる“霊”と居合わせるというような事態に遭遇するかも知れません。また交霊会の現場に立ち合うようなことになるかも知れません。すでに述べましたが、請われもしないのに一方的に出てくる霊は、そのほとんどが低級霊や未熟霊、自縛霊の類です。そうした霊に対しては、まず身元をはっきりと確認することが必要です。相手の名前、いつ、どこに住んでいたのか、どんな仕事をしていたのか、家族はどうであったのか、どうして死んだのか、何のために出てきたのかを問いかけます。そうは言っても実際には、自分の名前すら忘れている霊が多いのですが)

また、相手(霊)が死んだ時の状態が再現されることもあります。例えば心臓病で死んだ霊が出てくる場合、霊媒は胸を抱えて痛みを訴えることがあります。)

相手の霊が素直に話を聞くようであれば、霊的未熟さのために“自縛状態”にあるその霊を救ってあげることができます。しかし、それを自分一人の力でしようと思ってはなりません。心霊治療と同様、霊界の人々の力を借りることが必要です。自分を“霊の道具”として使っていただく、光の通過体として使っていただくことをイメージし、心を落ち着かせます。それから守護霊に向けて祈ります。

「この哀れな霊に自覚をもたらし、救ってあげてください。自分を通じて流れる光によって、霊的な目覚めをお与えください」――それから憑依されている人(あるいは霊媒)の体の一部に手を触れ、心の中で相手の霊に向って語りかけます。皆さんが語る言葉は、その霊に直接伝わっていきます。そして、それに対する答えが霊媒の口を通して返ってくることもあります。

「今あなたのすぐ後ろに光り輝く方がいらっしゃいますが、見えますか」――もし見えないと言う時には、「今から私の体を通じて光を流します。すると徐々にその姿が見えるようになります」と言って、心の中で光を流してください。相手の霊は徐々に背後霊の姿が見えるようになるはずです。時には、「まぶしすぎて目が開けられない」と訴えてくる場合もあります。そうした時は同じようにして、もう一度光を送ってあげてください。そうすれば、すぐにその光に耐えられるようになります。そばにいる指導霊達が見えるようになったら、「今後は、あの方達の指導を受けて、成長の道を歩みなさい」と教えてあげてください。おそらく、急に自由な状態に置かれるようになるでしょう。そして感謝の言葉とともに、その場を離れていくようになるはずです。

これは、低級霊に対する救済方法の一例です。

一方、穏やかな霊とは対照的に、攻撃的で悪意に満ちた低級霊を相手にするようなことになるかも知れません。そうした霊に対しては、皆さんの“気迫”が大きな決め手となります。地上における議論と同じです。まず相手の名前や身元を厳しく問い質すことから始めます。身元に対しては大半の霊がいい加減なことを言うので、それを明らかにする証拠を示すように追求します。次に、何のために出てきたのかを詰問します。それに対しても、必ずいい加減に答えるはずです。それを見逃さず、質問攻勢をかけていきます。霊的真理と違っている点を指摘し、厳しく迫ります。そうすれば、ほとんどの霊はたじろぎ逃げ腰になります。さらに、「嘘を言うのはやめなさい」と詰め寄ります。このように、皆さん方が威厳を持って臨めば、大半の霊はその場から逃げ去ることになります。

それでもなお、その場に居座り続けるような相手に対しては、「今から高級霊を呼びますが、覚悟はいいですか」と厳しく出ます。皆さんが心の中で高級霊に来て欲しいと願えば、周りにいる指導の霊達がすぐその場に来て取り押さえ、排除することになります。「この場を去って向こうに行きなさい」と威厳を持って言えば、大半の霊はその場から立ち去ることになるはずです。気迫を持って臨もうとする皆さんの心の内を先に読みとって、正体を暴かれる前に、素早く逃げの態勢を取ることになるかも知れません。

もっとも、こうして低級霊を取り除いたとしても、憑依された本人自身の心が変化しない限り、再び同じ霊や他の霊に憑依されるようになります。“除霊”はどこまでも一時的な処置に過ぎないということなのです。

低級霊・凶悪霊に完全に憑依され、自分自身を失い精神錯乱状態になっている人に対しては、こうした除霊の方法を取るべきではありません。病院に入院させるといった物質次元での強力な対処方法が、どうしても必要となります。

ここで述べたような除霊の方法は、あくまでも偶然に憑依の現場に出くわした際の対処方法であって、皆さんに対して、わざわざ交霊界を開いて(霊媒を通じて)霊を呼びだし、その救済をするよう勧めるものではありません。その点を勘違いしないようにしてください。確かに、低級霊に自覚を持たせて救ってあげることは愛の行為ではありますが、それを自発的・計画的に進めるについては、地上人に特別な使命があり、霊界の全面的な守護の態勢があって、初めて可能になることなのです。

また、そうした除霊によって救われるケースは、霊界における救済活動が功を奏し、救いの時期が到来した霊に限られているということを知っておかなければなりません。霊的目覚めの時期を迎えた霊が、霊界の指導霊・救済霊によって“救いの最終場所”として導かれてくるのです。こうした極めて複雑なプロセスがあって、はじめて未熟霊・低級霊の救済が可能となるのです。ウィックランド博士のような「除霊治療」ならびに「低級霊の救済」は、そうした霊界の全面的なバックアップのもとに実現したことであって、同じことが皆さん方に、すぐできるというわけではありません。

最後に、アラン・カルデックの『霊媒の書』の一節を挙げておきます。

「通信霊がいかなる霊格の持ち主であるかは、人間の人格を推し量る時と同じように、その言っていることによって判断しなくてはなりません……霊格はその言葉に表れる――これは間違いない尺度であって、まず例外は有り得ません。

高級霊からのメッセージはただ内容が素晴らしいというだけではありません。その文体が、素朴でありながら威厳に満ちています。低級霊になると、やたら立派そうな派手な用語を用いながら、訴える力がこもっていません。

用心しなければならないのは、知性です。ふんだんに知識をひけらかしているからといって高級霊と思ってはなりません。知性は必ずしも徳性ないし霊性の証明ではないのです。

繰り返しますが、霊的通信を受け取った時は、内容的に見て理性と常識に反するものはないか、文章や言葉に品位があるか、偉ぶったところや尊大な態度は見られないか、といった点を検証しないといけません。そうした態度に出た時、もしも機嫌を損ねるようであったら、それは低級霊・未熟霊・邪霊の類いと思って差し支えありません。高級霊ないし善霊は絶対に機嫌を損ねないどころか、むしろそうした態度を歓迎するものなのです。何一つ恐れる必要がないからです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.223