MENU

重要なものと、どちらでもよいもの

私達地上の人間にとって最も大切なことは、「魂を成長させる」ということです。地上人生の目的は、それ以外にはありません。この「魂の成長」を基準にして、私達の関心の対象は、大きく三つに分類されます。まず一つ目は、魂の成長にプラスとなる重要なものです。二つ目は、魂の成長に関係しない、どちらでもよいものです。三つ目は、魂の成長にマイナスとなるもの、間違ったものです。優れた霊界通信になればなるほど、その内容は魂の成長にプラスとなる重要なものだけに占められるようになります。それに対しレベルの低い霊界通信(チャネリング)には、どちらでもよいものが多く含まれ、単なる好奇心の対象といった傾向が強くなります。

どちらでもよいものとは具体的に言えば、心霊現象・交霊会・超能力・自分の前世・守護霊の身元・未来予知・予言・占い・運命鑑定・占星術・夢分析・夢占い・魔よけグッズ・お守りグッズなどです。また宇宙人・UFO・アトランティスやムーなどの超古代大陸文明も、どちらでもよいものです。

こうしたものへの関心は、それが単に軽い興味のレベルに止(とど)まっている限りは、魂の成長に特に大きな害を及ぼすことはありません。しかし、それが過度の関心・執着へとエスカレートしていくならば、確実に魂の成長にマイナスの影響を与えるようになります。霊的成長のために努力し、地上人生の苦しみに正しく対処するためには、「霊的真理」にしがみつくような真剣さが必要とされます。すべてのエネルギーをそのために向ける姿勢が要求されます。どちらでもよいことに意識を向け、多くのエネルギーを費やすとするなら、最も肝心な内的努力にエネルギーを傾けることはできなくなります。それではかけがえのない地上人生が、無意味で無駄なものになりかねません。

現在のニューエイジや精神世界ブームにおける大きな問題点は、霊的真理から外れたもの、魂の成長とは無関係なものへの関心が強すぎるということです。せっかく霊的世界へ意識が向き始めたにもかかわらず、どちらでもよいことに過剰なエネルギーを注いでいるために、霊的成長という最も肝心な点がぼかされてしまっています。どちらでもよいものが、さも重要なものであるかのごとく錯覚されています。残念なことに、スピリチュアリズムの中にも、そうしたどちらでもよいものに多大な関心を向けている人々が見られます。

スピリチュアリズムにたどり着くことができた人々が、いつまでも意味のないものに関心を持ち続けていてはなりません。私達が高級霊に信頼される「良き地上の道具」となるためには、スピリチュアリズムの中から、こうした不純物を取り除いて、真に霊的価値のあるものだけで心を占めるようにしなければなりません。魂の成長に何の益もないものへの関心は一刻も早く卒業して、大人の信仰者としての道を歩み出すべきなのです。いつまでも玩具(おもちゃ)にこだわり、興味を持っていてはなりません。

以下では、どちらでもよいものを一つ一つ取り上げ、それをスピリチュアリズムの「霊的真理」の観点から考え、整理してみたいと思います。

どちらでもよいもの(1)――交霊会・霊現象・超能力

ニューズレターを通じてこれまで何度も述べてきましたように、交霊会や霊現象は、いまだ死後の世界や霊の存在を信じられない人々においてのみ意味を持つのであって、すでにこれらの存在を確信している人々にとっては、一切必要のないものです。そうした霊的レベルに至っている人(時のきた人)が霊的真理に出会うと、直ちに高い世界を目指して霊的人生を歩み出すようになります。その人の関心は初めから「信仰実践」であって、交霊会や霊現象などはどちらでもよいのです。それは現象レベルのことが必要とされる段階を、とっくに卒業しているということです。心霊現象より心の成長や生き方に関心を持つということは、その人の「霊性」が高いことを示しています。

それとは逆に、いつまでも霊現象にとらわれ興味を持ち続けているのは、その人の「霊性」が乏しいことを示しています。霊性が開かれていないため意識が心の深いところにまで至らず、表面的なことだけに関心が向いてしまうのです。もしこのレベルだけに止まるとするなら、せっかく霊的真理と出会ったという幸運を、自ら無駄にすることになります。私達人間は誰でも霊能力や超能力を持っていますが、大半の人においては肉体の支配力の影響を受け、そうした能力は奥に閉じ込められています。それがたまたま、人によって表面上にまで出せるようになっているということなのです。そうした霊能者・超能力者と言われる人々の多くは、地上への再生に先立って、自らその道を選んでいます。

しかし霊的能力や超能力の有る無しは、その人の霊的成長度・霊的進化のレベルとは無関係です。霊性の劣る人格の卑しい人が、すばらしい能力を発揮することがあります。つまり霊能力も超能力も、さして価値のあるものではないということです。そうした能力は、神と人類の霊的向上のために用いられた時のみ価値を持つのです。遠い将来においては、地上人類の大半が霊能力・超能力を発揮するようになっていきます。

スピリチュアリズムに導かれ「霊的真理」を知った以上、交霊会・霊現象・超能力に対しては、それらを当然のものとして認める一方で、決して特別な関心を向けないことです。それが私達の正しい姿勢なのです。心を清く保ち、誠実な霊界の道具としての歩みを通じて高級霊の援助を受けられるようになることこそが、真に「最高の霊現象」と言えるのです。

どちらでもよいもの(2)――自分の前世

これについては、すでにニューズレター6号「退行催眠と前世療法の問題点―1」「退行催眠と前世療法の問題点―2」)で詳しく述べましたので、ここでは簡単に触れますが、「自分の前世を知りたい」という思いの根底には、前世の自分が立派であったことを確信したいという“虚栄心”があります。前世にこだわる在り方は、魂の成長にとって何の役にも立たないどころか、大きなマイナスを引き起こします。今の苦しみや自分の内容(霊的レベル)は、これまでの前世で培ってきた結果であるということが分かれば、自分の前世が何であったかなど、あえて問う必要はありません。そうした外面的なことはどちらでもよいのです。今の心の持ち方だけが問題なのです。

退行催眠やリーディングによって知ることができると言われる前世像が事実でないことは、何度も述べた通りです。フィクションであっても夢がある方がいいという人には、どうぞご自由におやりくださいとしか言いようがありませんが、「霊的真理」が与えられた以上、いつまでも自分の前世探しに関心を向けるような幼稚なことをしていてはなりません。

どちらでもよいもの(3)――守護霊の身元

自分の守護霊が誰なのかを知りたい、という人も多く見られます。シルバーバーチはそうした質問に対して――「あなたにも立派な守護霊がいて、導いてくださっていることが分かるだけで十分ではないですか。名前を知ってどうなるのですか」と一蹴しています。シルバーバーチのこの答えは、そのまま私達に向けての言葉でもあります。私達は守護霊に対して感謝の思いを持たなければなりません。そして必要な時には助力を求め、また寂しい時には慰めを求めるべきです。このように心情的に、自分から守護霊に接近していく努力が必要です。

しかし守護霊の名前や身元を知る必要はありません。守護霊が誰であるのかは、私達が死んで霊界に行けば明らかになることです。守護霊の身元に異常に固執する人の心の内には、守護霊が立派であることを通して、自分が立派であること、特別な人間であることを自慢したいという幼稚な“自己顕示欲”があります。そういう人は、自分の前世同様、守護霊にも歴史的な有名人であることを願うものです。ニューエイジでは、自分の背後霊がレッド・インディアンであることがステータスとして流行しましたが、これも守護霊の身元にこだわるのと同様に、霊的真理に対する無知と精神的な未熟さを示しています。

地上人の霊的進歩に見合った霊が守護霊になる、というのが霊的な摂理です。ゆえに霊性の優れた人には高い霊が守護霊になっているでしょうし、霊的に未熟な人にはそれ相応の霊が守護霊となっています。どの程度の霊が自分の守護霊であるのかは、自分の姿・心の内容を観察すれば、おのずと答えが出るはずです。間違っても「霊的真理」に出会った者が、前世や守護霊を知ろうとして、低級霊のからかいの対象になるようなことは避けなければなりません。

どちらでもよいもの(4)――予知・予言

将来の出来事を前もって知ることは“未来予知”として知られています。一般的には予知は霊能力や超能力によるもので、この後で取り上げる、占星術・各種運命鑑定術とは方法論において異なっています。占星術や運命鑑定術には一定の確立したマニュアルがあり、これに基づいて将来の出来事を知ろうとするのに対し、予知の場合は、霊能者や超能力者の直感・霊感によって直接未来の出来事を知ろうとします。そのため霊感占いとかリーディングなどと呼ばれることもあります。本来の純粋な易占いや水晶占いなどは、もっぱら霊感や超能力によるもので、占い術というより、むしろ予知と言うべきでしょう。

先に述べましたが、未来予知という現象は現実に存在します。そして時には、かなり正確に未来の出来事を言い当てます。霊界では、地上への再生に先立って選択した人生の大枠や性格(地上の人物像)、あるいは行動パターンを総合的に考慮し、因果律の観点から、当人(地上人)の未来の方向性をかなり正確に予測することができます。それが霊能力者や超能力者を通じて地上に知らされるものが予知なのです。

しかし実際には、巷(ちまた)で見られる予知・リーディングの類いは、ほとんどいい加減なものであり、人々の無知に付け込んだイカサマと言うべきものが大半です。まさに低級霊に絶好の暗躍の場を提供するものとなっています。高級霊が地上人の安易な好奇心に応えて、未来を知らせるようなことは決してありません。

「もしも未来のことが分かってしまうと、人間は現在のことを疎(おろそ)かにするでしょう。なのに人間がいちばん知りたがるのは未来のことです!こうした傾向は間違いです。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.264

――絶対に信じられない予言は、どんな場合でしょうか。(質問)

「一般の人々にとって何の役にも立たない場合です。個人的なことは、まずもってまやかしと思ってよろしい。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.265

「もちろん霊には未来のことが予知できることがあり、それを知らせておいた方が良いと判断する場合もあれば、高級霊から伝言するように言いつけられる場合もあります。しかし、将来のことを軽々しくあげつらう時は大体において眉唾物(まゆつばもの)とみてよろしい。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.265

ここでもう一度、地上人の“運命”について復習してみましょう。スピリチュアリズムにおける運命観は、「因果律」という神の造られた法則に基づくものです。私達の地上人生における大きな運命の枠組み(アウトライン)は、地上に生まれる前に自分自身で選択したものです。地上に再生する際の、「苦しみに耐えて悪いカルマを清算し、魂を成長させたい」という決意によって、地上人の運命の大筋は決定しています。出生前に自分が選択した苦しみ・困難は、人生上のいずれかの時点で必ず生じるようになっています。これが“宿命”と言われるものの実態です。そうした宿命をベースとして、地上のさまざまな要因(環境・性格・教育・習慣など)が加わり、現実の人生行路が決定していきます。

このように地上人生で遭遇する苦しみや困難は自分で選んだものですが、実際に地上に生まれ肉体をまとうようになると、霊的記憶は完全に失われ、自分自身が今の人生を選択したことさえ思い出せなくなります。そのため身に降りかかってくる困難を呪い、苦しみから何とか逃れようと策を巡らすことになります。

「地上における苦しみは、実は自分自身で選んだもの」「苦しみは、自分の魂の成長にとって大きなプラスとなるもの」――こうした考えこそ、私達がスピリチュアリズムの霊的真理によって学んだ地上人生の処世訓です。霊的真理によって苦しみ・困難の本当の意味を知ったからには、今後の人生において何が起きようが、すべて前向きに受け止め堂々と歩んでいけるはずです。自分の将来について何の不安もなくなるはずです。恐れるものは何一つ存在しません。地上人生で生じる出来事・困難は、心の持ち方ひとつで、残らず自分の成長の糧とすることが出来るのです。そして死んで霊界に行った時には、一切の地上的苦しみから解放され、喜びの時を迎えるようになるのです。

従って、自分の将来の運命を知る必要などどこにもありません。運命を知ろうとするのは愚かなことです。今この時、私達に必要とされるのは、自分の行為と考えを「霊的真理」にひたすら添わせることなのです。それ以外にはありません。私達にとっての最高の援助は、言うまでもなく霊界の人々によって与えられます。そうした助力を得られるかどうかは、その人間の心の内容が決定します。私達の心が「霊的真理」に一致すれば、守護霊や背後霊は思う存分、守り導き、力を与えることができるのです。

どちらでもよいもの(5)――占い・運命鑑定・占星術

霊的真理を知ることのなかったこれまでの人類は、必要以上に将来の運命に関心を持ち、不幸に脅えてきました。そして何とか前もって運命を知り、不幸を避けようと、さまざまな運命鑑定術・占いを生み出してきました。その中で最もよく知られているのは占星術です。また陰陽五行(おんようごぎょう)の原理に基づく四柱推命や、姓名判断なども広く知られています。占星術の中では、西洋占星術やインドの占星術、バビロニアの占星術がよく知られていますが、最近ではニューエイジの普及と並行して、古代マヤの占星術が注目されるようになっています。マスコミや書籍等を通じて、こうした占いや占星術には驚異的な的中率があるかのように宣伝されています。果たして、これらは本当に人間の運命を正確に占うものなのでしょうか。スピリチュアリズムでは、どのように考えるべきでしょうか。

結論を言えば、占い・占星術の類いは一切必要ありません。シルバーバーチは占星術についての質問に、次のように答えています。

――占星術というのがありますが、誕生日が人の生涯を支配するものでしょうか。(質問)

「大自然すべてが常に何らかのエネルギーを放射しています。従って当然、他の惑星からの影響も受けます。それはもちろん物的エネルギーですから、肉体に影響を及ぼします。しかし、いかなるエネルギーも、いかなる放射性物質も、霊魂にまで直接影響を及ぼすことはありません。影響するとすれば、それは肉体が受けた影響が間接的に魂にまで及ぶという程度にすぎません。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.86

――たとえば2月1日に生まれた人間は、みんな同じような影響を受けるのですか……。(質問)

「そんなことは絶対にありません。なぜなら霊魂は物質に勝るものだからです。肉体がいかなる物的影響下におかれても、宿っている霊にとって征服できないものはありません。(中略)人間はあくまでも霊魂なのです。霊魂は無限の可能性を秘めているのです。その霊魂の本来の力を発揮しさえすれば、如何なる環境も克服しえないことはありません。もっとも残念ながら、大半の人間は物的条件によって霊魂の方が右往左往させられておりますが……。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.87

「惑星は物的存在です。それぞれに放射物を出しバイブレーションを発しております。しかし、あなた方は物的存在であると同時に霊的存在です。内部には、物的なものから受ける影響のすべてを克服する力を具えております。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.88

――スピリチュアリズムを占星術と同類と見ている人がいます。そういう人達は、地上の出来事は星によって宿命づけられ操られていると考えています。(質問)

「あなたの誕生日にある星が地平線上にあったからといって、その星によってあなたの生涯が運命づけられていると考えるのは間違いです。(中略)占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、人体に影響を及ぼせば霊にも影響を及ぼすことになります。しかし霊は絶対です。すべてに優るものです。ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.203

シルバーバーチは、このように占いや占星術をはっきりと否定しています。生年月日と運命の関係をきっぱりと否定しています。四柱推命術は、生年月日・時間から運命を割り出す最も的中率の高い推命術として、ここ20年ぐらいの間、日本やアジアで大変な流行を見ました。しかしシルバーバーチは、それを「霊的事実」の観点から完全に否定しています。またシルバーバーチは、天体が地上の人間に及ぼす影響についても、無きに等しいわずかなものであると断言しています。これは星の影響力が地上人の運命を支配すると考える“占星術”の全面否定です。

天体は全く人間に影響を与えないわけではありませんが、その影響力は、人間の意志の力と比べれば比較にならないほどの微々たるものであり、無視すべきものなのです。私達の決意・意欲・努力こそが、人生に決定的な影響を与えます。霊は本来、物質によって影響されるようにはなっていません。霊の力は、天体による物質的な影響を完璧に打ち消すことができるのです。占いや占星術は「霊的真理」に対する無知から生じたものです。人間が本来“霊的存在”であることを正しく認識できないところから編み出されたものなのです。

このように占い・占星術などは本来、必要のないものです。それは内容自体に正確性がないこと、めったに的中しない事実においても明らかです。たまたま事実と合っていることだけを大袈裟(おおげさ)にとらえ、的中率が高いと言ったりしているに過ぎません。当たらない点を客観的に見れば、的中などとは程遠いのが実情です。身びいきな視点から見れば、占星術や四柱推命術は、実に的中率が高いかのように解釈できる仕組みになっています。

こうした占いや占星術が遊びのレベルに止まっているならば特別な問題はありませんが、もし、それをまともに信じ込み、左右されるようになるとするなら、重大な問題となります。それでは、正しい努力の方向性が見失われることになるからです。私達にとって占いや占星術の類いは一切不要であることを、もう一度確認しましょう。占いや占星術に対する関心は、きっぱりと捨て去りましょう。これからの人生を「高級霊の道具」として委ね、いかなる苦しみも、自分の魂の成長にとって必要なもの、ありがたいものとして前向きに受け止め、歩んでいきたいと思います。

“風水”について

天体・星の影響は微々たるものであり、従って、占星術は全く根拠のない取るに足りないものであることが明らかになりました。ところでシルバーバーチは、自然界が人間に及ぼす影響力については、かなり大きなものであると述べています。太陽光線や大地(土)にはヒーリング・エネルギーがあり、これによって病が癒されることを指摘しています。

シルバーバーチに言われるまでもなく、私達は自然界の影響力を日常的に体験しています。例えば、天候によって体調や精神状態(気分)が良くなったり悪くなったりします。また祈りやすい場所とそうでない場所があることも、たえず体験しています。このように自然界に存在するエネルギーは、私達に影響を及ぼしています。

こうした自然界のエネルギーや影響力に注目して、それを世界観として体系化したのが中国の“気”の思想です。中国医学が体内におけるエネルギーの流れを基本としていることは広く知られていますが、そうした気の流れを自然界にまで適用させたものが、最近評判となっている“風水”なのです。風水は気の思想に基づく中国の自然観と言えます。私達がよく耳にする家相や墓相などは、この風水から出たものです。風水には占いとしての強い一面があり、当然のこととして、その内容の大半は事実ではありません。しかし、人間が自然界のエネルギーによって影響を受けるという発想そのものは正しいのです。

自然界からの影響はまず肉体に及び、肉体から間接的に精神へ及ぶようになっています。それがひいては霊にまで影響を及ぼすということになります。しかし最終的に、それが“霊”にまで影響を及ぼすか否かは、本人の努力次第です。地上にいる人間は物質界から肉体への影響を受けると同時に、それを霊によってコントロールすることができるようにつくられています。霊を優位に保つ努力を通じて、肉体からの悪影響はコントロールできるようになっています。自然界・物質界からの影響に振り回されるのは、結局、霊的コントロールの努力を怠る人間にのみ当てはまることなのです。自然界の影響はあっても、霊主肉従の努力・霊的コントロールの努力のあるところでは、それがマイナスとなることはありません。

どちらでもよいもの(6)――夢分析・夢占い

夢はリアリティーをともなって私達に迫ってきます。覚醒時と同じような現実感がともなっています。夢の中で、私達はまさに別の世界の体験をしていると言うことができます。そのため昔から夢占いや夢解きが行われてきました。夢は現代人にとっても、未知の世界・神秘的な世界であると言えます。19世紀に登場したフロイトは夢を学問的な研究対象とし、彼独自の“夢理論”を打ち出しました。夢を分析することによって潜在している人間心理が解明されるとしました。これは現代版の夢占い・夢解きと言えます。現代人の中にも、夢の内容から、日常では隠されているさまざまな情報が得られると考えている人々がいます。スピリチュアリズムに係わる人達の中にも、夢に非常な関心を寄せる人々がいます。

夢には確かに心霊的世界に通じるような一面があります。しかし必要以上に夢に関心を持ったりこだわり過ぎると、いろいろな問題を引き起こすことになります。それは退行催眠におけるフィクションの前世をまともに信じてしまうことや、占いが必ず現実化すると信じ込むことや、低級霊のからかいを全て真(ま)に受けてしまうのと同じような弊害を生み出すことになります。

次に「霊的真理」に照らしながら、夢について考えてみましょう。

私達は一人の例外もなく毎晩“幽体離脱”して、あの世を旅行したり、縁のある人と会ったり、幽界でさまざまな教育を受け、活動しています。またいろいろな娯楽を楽しんだりしています。それが夢として自覚されることがありますが、そうした夢の場合は目覚めた時、実に心地よさを感じます。そして鮮明に思い出すことができます。また霊界において学んだこと、教えられたことが目覚めてから、すばらしいインスピレーションとして脳裏に浮かび上がってくることもあります。

目覚めと同時に離脱していた幽体は肉体に戻ることになります。肉体の束縛を受けるということは、“脳”という小さな器に、大きな“霊的意識”を無理やり詰め込むようなものです。そのため睡眠中の出来事を脳を通して(覚醒後に)思い出そうとすると、浮かんでくるのは変形し歪められた記憶の断片ということになってしまいます。ですから夢の内容が、そのまま霊界での体験ではなく、それはあくまでも部分的な名残といったものに過ぎないのです。これが夢の一つのケースです。

私達が日頃みる夢のすべてが、幽体離脱中の体験に基づくものというわけではありません。夢の多くは、潜在意識に蓄積した観念の反映であったり、潜在意識によるフィクションであったりします。昼間会った人が出てきたり、テレビで見た場面が再現されるような夢はほとんどがこのケースで、単なる想像的産物に過ぎません。退行催眠で、潜在意識がさまざまな情報を組み立てつなぎ合わせてフィクション・ストーリーをつくり出すのと同じようなことが、睡眠中に“潜在意識”によって行われるのです。

また高い所から急激に落ちるような夢を見ることがありますが、それは離れていた幽体が肉体の中に戻る時の感触です。また病気による肉体的な苦痛や、過剰なストレスによる精神的苦痛が反映して悪夢となることもあります。また前夜食べ過ぎの状態で眠りについたり、部屋の温度が暑すぎる時なども、肉体の悪いコンディションが悪夢を引き起こすことがあります。このように夢の原因は種々さまざまです。

さて、こうした夢を分析したり占いの手段とすると、とんでもない的外れをしでかすことになります。夢に必要以上の関心を向けることは間違いです。時には睡眠中に、霊界の霊によって近い将来に起こり得る出来事・事件の可能性を教えられることがあります。それを首尾よく覚醒後に思い出した時は、正夢であったとか、夢の予知が当たったということになります。しかし、それはめったに起こることではありません。たとえ将来の出来事を予知する夢であったとしても、すべて霊的真理で整理し対処すれば、特に恐れたり脅えたりする必要はありません。

また時には、低級霊によって恐怖心が吹き込まれ悪夢がつくられることがあります。しかし夢はどこまでも夢に過ぎません。夢にどれほどリアリティーがあり死ぬほどの恐怖が迫ってきたとしても、現実ではない以上、それにとらわれてはなりません。悪い夢を見たから不吉なことが起こるというようなことは決してありません。地上にいる以上、覚醒時における正しい心の持ち方、霊的真理にそった人生の姿勢がすべてなのです。いつまでも悪夢にうなされ不安感を拭い去れない時は、霊的真理を読んで心を整理し、平静さを取り戻すのです。また寝る前に背後霊に助けを求めるのもよいでしょう。「霊的真理」にしがみつく姿勢と「守護霊」への一途な信頼があれば、悪夢の問題はすべて解決するはずです。

どちらでもよいもの(7)――クリスタル・魔よけ・お守りグッズ

アニミズム・シャーマニズムの原初宗教では、呪術が大きな部分を占めています。世界各地の遺跡からは、太古の時代に呪術で用いられた品々や、それに関係した人骨などが出土しています。シャーマニズムでは、シャーマン(呪術師・霊媒)によってあの世のスピリット(霊的存在)との交信が行われ、また悪霊の働きを封じ込めるために、さまざまな呪術的儀式がなされてきました。そうしたシャーマニズム的な信仰習俗は、今日に至るまで“陰の宗教”として綿々(めんめん)と引き継がれてきました。現代日本社会に見られる、お札・お守り・しめ繩・清め塩などは、アニミズム・シャーマニズムに由来する魔よけグッズです。

一方、現代のニューエイジにおいては、クリスタルが大流行しています。大昔から、クリスタルには何らかの神秘的なパワーがあると信じられてきました。魔術の儀式や未来予知のために、クリスタル・水晶球が用いられてきました。ニューエイジはこのクリスタル・パワーに注目し、瞑想やヒーリングの際の小道具として重要視しています。ニューエイジャーの中には、クリスタルを常に身に付けている人々も見られます。クリスタルの流行は、ニューエイジのシャーマニズム的・神秘主義的傾向を示すものと言えます。

こうした種々の魔よけ・お守りグッズは、本当に低級霊を退けたり、幸運を引き寄せる力を持っているのでしょうか。卓越した力を持った霊能者や超能力者が、サイキックパワーを込めることによって、お守りグッズやお札・神像に、“魔”を退ける特別な神秘力を付け加えることができるのでしょうか。言うまでもないことですが、単なる物質に過ぎないこうしたグッズが“霊”を支配するようなことはありません。

ところが現実には、明らかに霊験(れいげん)と思われるような現象が見られることがあります。クリスタルや魔よけのネックレスを身に付けるようになった途端に、急に運勢が良くなったとか、不幸がなくなったという話をよく耳にします。こうしたことが現実にあるために、多くの人々が大金をはたいてお守りグッズを買い求めるのです。

実はこうした霊験らしきものは、すべて霊界の低級霊によって引き起こされたものなのです。魔よけの威力を信じる地上人の思念が、こうした低級霊を引き寄せるのです。クリスタルやグッズにカがあると信じる低俗な精神に付け入って、地上人をからかい、弄(もてあそ)ぼうとします。低級霊はクリスタルやグッズそれ自体に感応するのではなく、それを信じる人間の間違った思いに感応するのです。低級霊は初め、わざと霊験があるかのような状況をつくり出します。そうして地上人の心をしっかり洗脳して後、時間をかけて翻弄し、最終的にその地上人を奈落の底に落とそうと謀ります。邪霊を避けようとして高価なお守りグッズを買ったことで、かえって低級霊を引き寄せるという皮肉な結果を招くのです。

スピリチュアリズムの「霊的真理」を手にした私達にとって、クリスタルも魔よけグッズも一切必要ありません。何の意味もない迷信として一蹴すべきなのです。どちらでもよいような玩具(おもちゃ)にいつまでもすがるような、馬鹿げたことを続けていてはなりません。スピリチュアリズムは「霊的事実」を人類に示すことによって、地上世界に延々と続いてきた魔よけグッズ信仰を、地上から一掃させようと働きかけているのです。

地上の宗教的儀式の多くが、こうしたグッズと同じように、常に霊界の低級霊のからかいの対象となっています。儀式に特別な威力があるかのような盲信のあるところは、低級霊にとって格好の働き場所となります。宗教に必然的に付随するかのように思われている儀式には、特別な“霊的価値”はありません。スピリチュアリズムは、まさに一切の宗教儀式を不要とする信仰です。形式的な儀式には、何の価値も認めない信仰なのです。低級霊に働き場を提供するような宗教儀式など、むしろ存在しない方がよいと言えます。

高級霊が儀式の必要性を説かないのは、それらが人類の魂の成長と無関係であるばかりでなく、逆に低級霊に活動の場を与え、魂を貶(おとし)めることになっているからです。霊能者が仏像や神像に祈祷するうちに神や仏が出現することがありますが、これは言うまでもなく低級霊による演出に過ぎません。

また宗教には、人間や場所を聖別化するためのさまざまな浄化方法があります。例えば、お払いをしたり、鐘を叩いたり、しめ繩をはったり、水や塩を撒いたりして、人間や場所を聖別します。神の前に出るに際し、身体を清め、場所を清めようとすることは立派な心がけです。

しかし実際に浄化がなされるかどうかは、それに関係する人の「霊性」によります。清めとは物質的な次元のことではなく、どこまでも“霊的次元”のことなのです。水や塩は、聖なる霊の宿った物・汚れのない物の象徴として用いているに過ぎません。従ってどのような物的手段を講じても、それに関係する人々の霊的レベルが低ければ、その場所も建物も聖別化されないことになります。高い心霊によってのみ、低級霊を追い払い、清らかな霊を招き入れることができるのです。

高級霊が臨むことができるのは、霊的に清められた場所に限られます。多くの人々が低俗な欲望を抱えて集まるような場所、特に御利益信仰の寺社やお参り場所は、低級霊にとって絶好の働き場となります。そのような霊気の悪い場所には、できる限り近づかないようにするのがよいのです。

今回は、どちらでもよいものとして七つ取り上げ考えてきました。次号では引き続き、宇宙人、UFO、超古代大陸文明(アトランティス・ムー)の三つを取り上げる予定です(「どちらでもよいことに、いつまでも関心を向けていてはなりません――宇宙人・UFO・超古代大陸文明について」)。