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1.憑依と除霊をめぐる問題点

今回は、憑依と除霊の問題をスピリチュアリズムの観点から理解し、正しい解決法について学ぶことにします。

詐欺(さぎ)まがいの祈祷師や霊能者の悪徳商法

世の中には、実際に不幸続きの家があります。早死・精神病・病気・怪我・倒産・家庭不和・相続問題といった不幸やトラブルが立て続けに起こると、多くの人々は、いたたまれず祈祷師や霊能者・運命鑑定師のもとに足を運ぶようになります。

こうした不幸に対して祈祷師や霊能者は、決まりきったいくつかの理由をあげます。その中で最も多いのが「先祖供養」と「前世の悪因縁」に関係するものです。先祖の悪因縁(カルマ)によって不幸がもたらされる、先祖の霊が成仏できずに苦しみ頼ってくるため不幸が起きると言います。また本人自身が前世で悪いことをしたり、他人を苦しめてきたため、今苦しみを受けるようになっていると言います。時には、水子霊(みずごれい)や生き霊(いきりょう)の祟りであるとか、家相や墓相が悪いなどと言うこともあります。

そうした相手を不安に陥れるような理由を並べた上で、祈祷師や霊能者は、不幸の原因を取り除くために祈祷をしたり、護符(ごふ)を家の中に貼ったり、ペンダントなどの魔除けグッズを本人の身に付けさせようとします。そして依頼者に法外なお金を要求します。

一般の人々は、祈祷師や霊能者の言うことが正しいのか嘘なのかを確かめる術(すべ)がありません。何とかして不幸から逃れたいとの一心で、結局は相手の言いなりに高額の祈祷料や除霊料を払うことになってしまいます。これらの大半が詐欺まがいのインチキであることは言うまでもありませんが、残念ながらその実態を見抜けないために、みすみす騙されることになります。

除霊治療・浄霊治療の流行

先祖供養に関する祈祷師や霊能者のインチキや問題点については、すでにニューズレター(21号「スピリチュアリズムと先祖供養(シリーズ1)」22号「スピリチュアリズムと先祖供養(シリーズ2)」)で学びました。今回は「憑依」に関する問題を取り上げます。憑依現象を悪用したインチキ除霊治療や浄霊治療が横行しています。憑依現象は、人の弱みに付け込んで利益をむさぼる“霊感商法”にとって格好の儲け口となっています。

巷の祈祷師や霊能者は、「何体もの動物霊(キツネ・タヌキ・蛇などの霊)が地上人に巻き付くように憑依している」などと言います。彼らは現実にそうした様子を霊視しているのかも知れませんが、それをそのまま事実として鵜呑みにしてしまうと、低級霊にまんまと騙されることになります。それらの現象は低級霊のからかいやイタズラなのですが、祈祷師や霊能者は霊能が未熟なために、その実態を見抜けないのです。低級霊の化けの皮を剥(は)がす力を持っていないのです。その結果、低級霊にいいように操られてしまうのです。

正しい霊的知識を持ち、高級霊の導きを受けている霊力に満ちた霊能者の前では、低級霊は変化(へんげ)した姿をいつまでも保つことはできません。動物の姿から醜い人間の姿に戻ってしまうのです。こうした問題についてはニューズレター(22号「スピリチュアリズムと先祖供養(シリーズ2)」)で詳しく説明しましたので、ここでは省略します。

ある霊能者は、「病気の70〜80%が霊の憑依によるものである」と言います。霊が肩に憑くとそこに肩凝りや痛みなどの病状が生じ、腹部に憑くと子宮ガンなどになると言うのです。霊の憑依によって神経痛やリウマチになるとも言います。そして自分達の特殊な浄霊によって、病気の原因となっている何十、何百という霊を取り除けば、病気はたちどころに治ると主張します。

確かに憑依された患者は、その箇所が実際に凝ったり痛んだり、不調を感じていることが多いのです。霊視してみると、霊が憑依した箇所のオーラはくすみ、もやがかかって白く見えます。時には憑依霊の霊体が、とても小さく縮んだり変形して憑いているのが見えることもあります。またそこそこの大きさを保った状態で、患者のオーラに重なるようにして憑いていることもあります。

しかし病気の原因を、何もかも憑依に結び付けることは正しくありません。肉体の病気の大半が、憑依が直接の原因となって引き起こされると考えるのは間違いです。世の中の霊能者は、あまりにも大袈裟に憑依を強調し過ぎています。憑依によって肉体の異常が引き起こされることがあるのは事実ですが、そうしたケースは、実際にはそれほど多くはありません。憑依が肉体の異常を起こすというよりは、「肉体の異常によって、結果的に霊が憑依する」というのが実情なのです。

ノイローゼといった精神的な異常を抱えた地上人の頭には、霊が憑依していることがよくありますが、それも本人の精神的不調和という原因が先にあって、霊が憑依することになったのです。「ノイローゼ状態が憑依霊を呼び込んだ」ということなのです。

また霊能者の中には、「一人の人間に何百体もの霊が憑いて病気を引き起こしている」などと言う者もいますが、それも事実ではありません。もしその霊能者にそうした様子が現実に見えているとしたら、それは本人の霊的能力の乏しさのためであるか、あるいは迷信的な先入観によって自らつくり出した幻影を見ているということなのです。この後で述べますが、精神病については憑依が原因となっているケースが数多く存在しますが、精神病と肉体の病気では状況が全く異なっているのです。

太古から存在した「憑依現象」と「除霊治療」

日本では太古の昔より、さまざまな不幸が霊の仕業によって引き起こされると信じられてきました。人々は悪霊を取り除いたり、これを静めることによって、不幸が回避できると信じてきたのです。悪霊の仕業の中で、よく知られているのが「憑依現象」です。霊が人間に取り憑いて、意識を支配したり、時には自殺に追い込んだりします。こうした憑依現象に対して、昔から僧侶や修験者(しゅげんじゃ)による加持祈祷(かじきとう)やお祓(はら)いが行われてきました。祈祷やお祓いによって取り憑いた霊を引き離そうとしてきました。それが現在の新興宗教や祈祷師に「除霊」や「浄霊」として引き継がれているのです。

もっともこうした呪術や儀式・心霊テクニックによって低級霊や邪悪霊を取り除き、病気を治したり、霊障を解消しようということは、日本だけのものではありません。世界各地のシャーマニズムでも同様のことが行われています。除霊の類は、洋の東西を問わず、古来より現在に至るまで広く存在しています。また西洋社会では、カトリックにおけるエクソシズムという悪魔祓いの儀式がよく知られています。

イエスは歴史上最高の除霊師

除霊と言えば圧巻は、聖書に出てくるイエスの除霊治療です。聖書の中には除霊に関する多くの記述があります。

「人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。」マタイ8・16「そのとき、人々が悪霊につかれた盲人で口のきけない人を連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。」マタイ12・22「イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。」マタイ17・18

このように聖書の中には、イエスの行った除霊の記述が数多く残されています。イエスはまさに歴史上最高の除霊師と言うことができます。

先祖供養の慣習と、先祖霊の憑依

先祖の地縛霊が、苦しみのあまり子孫に憑依し、さまざまな霊障を引き起こすことがあります。その霊を取り除くと、子孫の精神病が治ったり霊障が消え去ります。こうした事実があるため、先祖供養は除霊と密接な関係があるかのように考えられがちです。

確かに先祖供養が熱心に行われている日本では、欧米と比べ、先祖霊による憑依のケースが多いと言えます。しかし憑依現象全体の中での先祖霊による憑依の割合は、それほど高いわけではありません。現実には、先祖霊とは無関係な霊による憑依のケースが圧倒的に多いのです。

2.憑依現象のメカニズム

「憑依」と「霊界通信」の違い――異常な霊媒現象と正常な霊媒現象

憑依とは、低級霊が地上人に取り憑き、部分的に、時には全面的に支配して異常な言動を引き起こさせる現象です。「憑依」が霊媒現象の異常な形態であることは、今さら説明するまでもないでしょう。

正常な霊媒現象では、あの世の霊を一時的に地上に呼び寄せ、霊媒に乗り移らせて語らせたり、メッセージを筆記させ、用事が済めばまた霊媒から離れさせます。これが「霊界通信」と言われるものです。スピリチュアリズムの貴重な霊的知識は、こうした形で地上にもたらされました。スピリチュアリズムにおける霊界通信のような霊媒現象は、霊界からの厳格なコントロール下で展開されています。それに対し憑依現象では、低級霊が一方的に、しかも無理やり地上人を支配し、好き勝手に操るようになります。

高級霊や善霊による正常な霊媒現象が「霊界通信」であり、低級霊や邪悪霊による異常な霊媒現象が「憑依現象」ということなのです。

霊媒現象の基本的メカニズム

憑依や霊界通信は、どのようなメカニズムで起こされるのでしょうか。結論を言えば、「霊のオーラと霊媒体質者のオーラの融合」→「霊媒体質者の潜在意識の支配」→「霊媒体質者の思考や身体機能のコントロール」というプロセスを踏んで引き起こされます。霊は、地上の霊媒体質者の潜在意識を支配することによって、その心身機能をコントロールするようになるのです。これが「憑依現象」と「霊界通信」の基本的なメカニズムです。

スピリチュアリストも含めて大抵の人は、憑依現象とは、霊が部屋の中に入るように霊媒体質者の身体に入り込むものと思いがちです。霊媒体質者の霊体を押しのけ、そこに霊が割り込むようなイメージを抱いていますが、事実はそうではありません。

優れた霊界通信の条件――潜在意識とオーラの融合化の度合

口寄せや自動書記といった霊界通信は、今述べたように、霊が地上の霊媒体質者の潜在意識をコントロールすることによって行います。通信結果の出来・不出来は、支配霊(通信霊)がどれだけ霊媒の潜在意識を支配しコントロールできるかにかかっています。

私達地上人の日常生活の行為のかなりの部分が、潜在意識によってコントロールされています。話すことや歩くことをはじめ、食べたり飲んだりといった多くの身体活動も潜在意識の働きによって自動的に行われるようになっています。また、ありとあらゆる知識前世に関する個人情報・この世で学んだ知識・睡眠中に入手した情報など)が潜在意識に蓄えられています。

霊が霊媒の潜在意識を支配し、記憶の層から知識を引き出し、同時に話したり書いたりする能力をコントロールできるようになると、地上に通信を送ることが可能となります。霊媒が自ら納得して霊のコントロールに身を委ねるとき、通信霊は潜在意識を容易に支配し、一時的に霊媒に成りきって、語ったり筆記をすることができるようになります。

以上が、霊界通信という霊媒現象(霊言)のメカニズムです。簡単なように感じるかも知れませんが、このプロセスをより完璧なものにするために、霊界サイドではたいへんな苦労をしているのです。また時には霊界通信の準備のために、長年にわたる期間が費やされることもあります。

通信霊と霊媒のオーラが融合することによって、オーラと表裏一体の関係にある潜在意識を支配することができるようになります。この「オーラの融合の度合」を高めることが、霊界通信を優れたものにするのです。

憑依のバリエーション

霊界通信も憑依も、ともに地上人の潜在意識を支配することによって行われます。憑依は低級霊によって、一方的に、かつ強引に行われる異常な霊媒現象です。憑依現象は低級霊のオーラと地上人のオーラが同調し、地上人の潜在意識が支配されることによって引き起こされます。

憑依による支配は、憑依霊サイドと地上人サイドの諸条件によって、さまざまな形態を取ることになります。低級霊が霊媒体質者の身体の一部分のみを支配しコントロールする場合もあれば、憑依が身体機能全体にまで及ぶケースもあります。憑依霊のパワーやコントロールの強さもいろいろです。

さらに霊媒体質者の潜在意識の状態や、霊体や肉体の性質、体調によっても支配の強さは変わってきます。こうしたいくつもの要因によって、憑依の多様なバリエーションが成立します。また憑依は、時間とともに徐々に進行して症状が悪化していくのが普通です。

3.憑依の進行プロセス

幽界の下層には、自分の死を自覚していない“地縛霊”が無数に存在していますが、こうした地縛霊のある者が、地上の霊媒体質者のオーラの中に引っ掛かってしまうことがあります。憑依は時間の経過とともに徐々に深まっていき、最後には深刻な事態を迎えることになります。

ここでは、そうした一般的な憑依の進行プロセスを見ていくことにします。憑依は3つのステップをへて進行していきます。軽い状態(第1ステップ)からひどい状態(第2ステップ)、そして最悪の状態(第3ステップ)という3つの段階を踏んでいきます。それぞれの段階の内容を見ていくことにします。

(1)憑依の第1ステップ(憑依が始まる段階)

地縛霊のうちのある者は、地上の霊媒体質者が近くを通る際に、霊媒体質者の身体から放射されているオーラに無意識に吸い寄せられ、引っ掛かってしまうことがあります。またある霊は、オーラが地上人のものとは気づかず、地縛状態の苦しみから逃れたいと思い、そのオーラに接触しようとしたり、その中に入り込もうとします。

地上人のオーラは外部から侵入してくる部外者に対して防衛本能が働き、激しく抵抗するようになり、一種の霊的な軋轢(あつれき)状態・衝突状態が引き起こされることになります。これは地上の霊媒体質者にとって、たいへんな衝撃となります。その様子を外部から見ると、地上の霊媒体質者の意識が一時的に異常になったように映ります。

しかし、この段階ではまだ本当の憑依ではありません。仮に地縛霊と霊媒体質者のオーラの波動が同調することがあっても、それは一時的であって、すぐに縁は切れます。憑依する側の低級霊は何とか霊媒体質者のオーラと接触し、その中に入り込もうとしますが、地上人には防衛本能があるため、すぐには入ることができません。このとき霊媒体質者のオーラに接触しようとするのは、1体の地縛霊とは限りません。状況によっては複数の地縛霊が、一人の地上人に取り憑くようなこともあります。

憑依が始まる段階でよく生じる霊的現象は、幻覚や幻聴です。時には低級霊が、霊媒体質者の潜在意識の記憶の層を刺激し、そこに内在している古い記憶を掘り起こすことがあります。すると地上人は、これまで忘れていた嫌な過去の出来事や辛い体験・悲しみの体験を思い出すようになります。霊媒体質者にとっては、思い出したくなかった記憶が次々と蘇ってきて、頭から離れなくなります。そして過去に対する強い後悔の念が心を占めるようになります。それがあまりにもひどいと、自虐的になって鬱病(うつびょう)の状態を引き起こすようになります。突然しくしく泣いたり、ヒステリー状態になって何も手につかなくなるようなこともあります。

こうした憑依の初期段階では、低級霊の影響力はまだ小さく、危険性もそれほど大きくはありません。地上人が「これではいけない!」と気がつき、霊への好奇心を捨て去って気持をしっかり保つようにすれば、低級霊とのつながりは切れます。低級霊が接触を図ってきても無視して全く相手にしなければ、霊との関係は成立しません。

また思い切ってスポーツをして汗を流したり、自分が好きな趣味に打ち込んで意識を別の方向に集中させるのもよい方法です。スポーツで肉体を鍛えると、霊媒体質が自動的に引っ込むようになります。現役のスポーツマンに憑依の被害者が少ないのはこのためです。ある意味で霊的に鈍感になるからです。霊に関心を向けないようにして、自分の仕事や趣味に意識を集中すれば、地縛霊との接触は解消します。

(2)憑依の第2ステップ(オーラの融合が進み、思念が支配される段階)

初期段階では本人が意識や気持を正せば、簡単に憑依霊を退けることができるのですが、世の中の大半の霊媒体質者は、無知と虚栄心のために、何か特別なことが自分に起こったと思い込むようになります。そして地縛霊からの接触をむしろ快く思い、霊の声に耳を傾け、自分の方から霊との接触を歓迎するようになります。そして徐々にオーラの融合化が進行し、憑依の深みにはまっていくことになります。

もし地縛霊が霊媒体質者のオーラと融合するようになると、霊媒体質者の潜在意識の一部分を支配するようになります。とはいってもこの段階では、オーラの融合が不完全なために、肉体機能のすべてを支配するようなことはありません。したがってこのレベルでは、霊媒体質者の日常生活には何の支障も生じていないのが普通です。しかし霊媒体質者の思考や感情が操られる状態になっており、大きな問題やトラブルが表面化するようになります。地縛霊によって思考が支配されるようになると、霊媒体質者は自分自身の思考と、霊の思考の区別が全くつかなくなります。一方、憑依している霊も、自分と地上人の区別がつかなくなっています。

こうなると憑依された人間は、突如妄想的なことを口走るようになり、周りの人々を驚かせることになります。周りから見ると、その人間が語る内容は明らかにおかしいと分かるのですが、相手(周りの人)の質問には割にまともな返答をするのが普通です。また日常生活の行動には異常が見られないため、家族がなだめすかして何とか病院に連れて行っても、病院サイドでは異常と認めてくれず、なかなか入院させることができません。

(3)憑依の第3ステップ(憑依がさらに進み、心身が乗っ取られ、完全な精神病の状態になる段階)

憑依がさらに進行し、霊による支配が進むと、意識や思考ばかりでなく、日常の行動も完全に低級霊に乗っ取られた状態になってしまいます。大半の霊は、初めから地上人の心身を乗っ取ろうという悪意はないのですが、いったんオーラの中に入り込んでしまうと、そこから抜け出すことができなくなってしまうのです。

しかも、そうした状態では自分と地上人の区別がつかなくなっています。自他の区別がつかないのは憑依されている地上人にとっても同じで、自分の考えと外部から侵入してきた霊の考えの区別ができなくなります。このような状況下で、霊は地上人の精神・思考の中に存在するようになります。

憑依霊の多くは、ごく普通の人間味を持っており、特別な悪意を持っている者は少数派です。彼らは自分が死んでいることに気がつくこともあります。そしてたいへんな後悔の念を抱くようになります。取り返しのつかないことをしていると悔やむようになります。しかし本来の主人(あるじ)に精神と肉体を明け渡す方法が分かりません。どのようにしてオーラから抜け出したらよいのかが分からないのです。結局は、これまでどおり地上人のオーラの中に閉じ込められて時を過ごすことになります。そうした状況が続くうちに、憑依はさらにひどい状態へと進んでいくことになります。そして最後は地上人の思考中枢を完全に支配することになってしまいます。

こうなると外見上の肉体は同じであっても、それを動かすのは全く別の人格になり、気狂(きちが)い・分裂症(統合失調症)・二重人格・多重人格といった精神病ができあがることになります。ここまで憑依が進行してしまうと周りの人々は、ほとんど手がつけられなくなります。こうした状況では、憑依された本人の自発的な意識の働きは一切なくなり、本来の人格を失うことになります。低級霊の操り人形となり、異常で支離滅裂な行為をするようになります。当然本人には、自分が何をしているかの自覚は持てません。

【図1】

4.憑依のさまざまなケース

憑依現象を引き起こすのは、その多くが幽界の下層にたむろする地縛霊や未熟霊です。彼らは“死”、つまり肉体からの解放があまりにも簡単で自然であるために、また霊的知識が欠如しているために、自分が死人となったことに気がつきません。もし彼らが「霊的真理」を知っていたなら、しばらくすれば死の自覚を持てるようになるのですが、肝心な真理について全く無知であるために、結局は地上の懐かしい場所をうろつき回ることになります。

やがてそうこうしているうちに、地上人のオーラに引き付けられて、無意識のうちに取り憑くことになります。憑依が進行すると、それが原因となって、さまざまな災害や悲劇が引き起こされ、病気・不道徳行為・犯罪・精神病などが生じることになります。

憑依霊は一人一人、性格も考え方も好みも異なっています。その違いが、いろいろな憑依状態やトラブルとなって現れることになります。ここではいくつかの憑依のケースを、具体的に見ていくことにします。

苦しみから逃れようともがく霊

憑依霊の多くは、性格的にはむしろお人好し・善人と言ってもいいような者達です。彼らは何がなんだか分からないうちに、地上人のオーラの中に入り込み、身動きできずに暗黒の中で縛られたような状態になってしまいます。

彼らがいかに霊的に未熟であるといっても、そんな状態で居心地がいいはずがありません。何とかそこを抜け出そうともがくのですが、どうしても抜け出すことができずに苦しみ続けます。それが地上人に精神異常や錯乱状態を引き起こすことになります。

飲酒や麻薬の悪習慣を持ち続ける霊

憑依霊となる霊の多くが、地上時代には霊的な世界に露(つゆ)ほどの関心も示さず、ただ物質的な快楽と喜びだけを求めてきました。肉欲的な五感のみの生活に終始してきたのです。そうして死後は、自らの物欲と無知が生み出す暗闇の境遇に、自分自身を閉じ込めることになります。

憑依霊の心の中に、地上時代の飲酒や麻薬などの習慣がしつこく残っていることがあります。それによってオーラに閉じ込められた憑依状態の中でも、地上時代と同じようにアルコールを求めることになります。すると取り憑かれた地上人は、自然と酒を飲みたいような気分が湧き起こってくるようになります。それまでは一滴も酒を飲まなかった女性が、突如アルコールを欲しがるようになるのです。

こうして憑依霊は、地上人を通じて間接的に飲酒の快楽を味わうことになります。霊は自分で飲んだつもりが、実際には地上人を通じて飲んでいることに気がつきません。憑依した相手に酒を飲ませては、全部自分が飲んだと思っているのです。やがて霊が地上人をストレートにコントロールするコツを覚えると、地上人を酒乱に陥(おとしい)れ、生活をメチャメチャにするようになります。

病気を引きずったままの霊

病気で死んだ霊が、死後も「自分は病気である」と思い続けていることがあります。死んで肉体はなくなったので病気はないはずなのですが、死を自覚できないために、自分自身で病気を持ち続けているのです。そうした霊が憑依して地上人のオーラの中に閉じ込められるようになると、死に際の痛みが再現されることになります。地上人のオーラの中にいるかぎり、その痛みが消えることはありません。痛みに煩悶(はんもん)する時がずっと続くことになります。

このような状況では、取り憑かれた地上人に霊の感じている痛みがそのまま伝わり、同じような病状を引き起こすことになります。憑依によって地上人は、架空の病気で苦しむようになるのです。

こうしたケースでは、除霊によって憑依霊が取り除かれるか、あるいは憑依霊自身が死を自覚して病気も痛みもないことを悟らないかぎり、地上人の苦痛が消滅することはありません。

自分が、男か女か分からなくなってしまう霊

霊は地上人のオーラの中に入り込んでしまうと、自分と憑依している相手の区別が全くつかなくなります。もし男性の霊が女性(地上人)に憑依すると、霊は不思議な感覚にとらわれるようになります。自分は男であると思っているのに、時に何となく女になったように感じるのです。それがさらに進むと、自分が女になったり、男に戻ったりするように感じることになります。

また霊は、自分がいつの間にか女性の服を着ていたり、女性のヘアースタイルをしていることに気がつくことがあります。それを恥ずかしいと思い、急いで女性の服を脱いだり、長い髪を切って男性のヘアースタイルにしようとします。その結果、憑依された地上の女性は、辺りかまわず服を脱いだり、着ていた衣服をむしり取って破り捨てようとします。自分の髪の毛を、ハサミで切り始めるようなことにもなります。

今話題となっている「性同一障害者」には、前世の性と再生時の性の不一致に由来するものの他に、こうした憑依によって引き起こされる特殊なケースもあるように思われます。

地上時代の狂信を続けている霊

地上時代、ある特定の宗教を熱心に信仰し、それ以外の考えを一切受け付けないような精神構造をつくり出した人間は、死後、自分の死んだことに気がつかないかぎり、霊界でも地上時代の狂信を続けるようになります。教会に集い、朝から晩まで賛美歌を歌い続けるようなことを延々と繰り返します。幽界の下層には、このような狂信者達の集まりが現実に存在します。

こうした霊達が、地上で同じような集まりや行事に熱狂している信者に憑依することになります。何しろ同じ狂信他を一切排除し、自分達だけが救われるという)によって強烈に結ばれているため、異常な憑依状況が展開することになります。集会や行事の熱狂的な雰囲気の中で、霊界からの働きかけが加速され、普段は霊通することがないような人にも、憑依現象が生じるようになります。そして突如「神の声が聞こえてきた!」などというようなことになります。それは言うまでもなく、憑依した霊の声であったり、意図的にからかおうとする低級霊の声です。

地上での間違った信仰は死後もそのまま残り、憑依という形を通じて、引き続き地上に影響を与えることになります。こうした憑依霊達は、自ら築きあげた信仰的・思想的牢獄を頑(かたくな)に守り続けようとするため、霊的覚醒までに長い時間を要することになります。彼らが霊的に目覚め、憑依状態を抜け出すのは並大抵のことではありません。

オーラの中で喧嘩(けんか)を続けている霊達

一人の地上人のオーラに、しばしば複数の霊が憑依することがあります。とはいっても日本の霊能者がよく言うような、何十・何百という霊が集合的に憑くということは実際にはありません。多くてもせいぜい10体というところでしょうか。

同じオーラの中に閉じ込められた霊達は、それぞれが暗くて狭い窮屈なところに押し込められたような状況に置かれ、同時に憑依している他の霊の存在にはほとんど気がつきません。しかし時に相手の存在に気がつくと、相手が自分の居場所を横取りしようとしていると思い、争いを引き起こすようになります。地上人にとっては憑依霊同士が、自分のオーラの中でケンカをするのですからたいへんです。精神錯乱のような状態に陥るのが普通です。

こうしたオーラの中での憑依霊同士の争いのケースで、きわめて興味深い事例が、ウィックランドの除霊治療の記録に残されています。一人の女性に3体の霊が憑依していました。1体は女性霊で、1体は男性霊(アメリカ人)で女性霊の求婚者、もう1体は男性霊(メキシコ人)でした。実は2人の男性霊は、地上にいたとき女性霊をめぐって恋敵だったのです。

2人の男性は女性をめぐって争い憎み合っていました。そして一人が女性を射殺してしまいました。その後、男2人のケンカはエスカレートし、結局2人ともケンカによって死んでしまいました。この3人の霊が偶然、一人の女性に憑依しオーラの中に閉じ込められたのです。2人の男性霊は、自分達を閉じ込めているオーラの中で、依然すさまじい争いを続けていました。3人の霊達は皆、自分達が死んでいることを自覚せず、肉体が滅んだ後も、地上人のオーラの中で愛と憎しみと嫉妬の悲劇を演じ続けていたのです。そして霊に憑依された地上人は、激しい精神障害とひどい神経衰弱を引き起こし、異常な行為を繰り返すことになったのです。その異常行為のすべては、霊の争いの反映です。)

ウィックランド博士の除霊によって3霊は死を自覚し、憑依状態から抜け出し、霊に取り憑かれた患者の異常も治ることになりました。

地上人から妨害され、虐待されていると錯覚する霊

憑依霊は、大体において自分が地上人に害を及ぼしていることに気がつかず、何か変だと思いつつも、暗闇の中実際は地上人のオーラの中)で悶々とした時を過ごすことになります。当然その間、地上人にはさまざまな障害が現れます。憑依霊は、自分と地上人との区別がつかないために、地上人が霊を排除しようとすると、一方的に自分の住処(すみか)を追い出されると思ってしまうのです。時には見知らぬ人間から邪魔されたり、攻撃されたり、痛めつけられると錯覚します。自分の方が憑依しているのに、反対に相手の地上人がしつこく自分に付きまとって離れないと思うようなこともあります。

憑依霊は自分に危害を加えたり追い出そうとする相手(地上人)に仕返しをしたり、懲らしめを与えようとします。その結果、地上人は自分で自分の身体を傷つけ痛めつけるような行為を繰り返すことになります。髪の毛を引っ張ったりむしったり、手足に噛みついたり、手足を周りの物体に叩きつけたりします。大暴れして絶叫したり、跳びはねたりするようなこともあります。

自殺しようと思い続ける霊

自殺が憑依によって引き起こされることは、よく知られています。実は憑依による自殺には二通りのケースがあります。一つは“邪悪霊”が意図的に自殺をそそのかしたり、意識を完全に奪って強引に自殺させてしまうものです。こうした自殺については、この後の章で取り上げます。

もう一つの自殺のケースは、自分が死んだことに気がつかない自殺者が、地上人に憑依し、何とか自殺を成し遂げようとして引き起こされるものです。すでに自殺して霊界に来ていながら、その事実に気づかず、自殺に失敗したと思い込んでいるのです。自殺霊が霊媒体質の地上人に憑依しオーラの中に入り込むと、霊には自分と地上人の区別が全くつかなくなります。そしてもう一度自殺を図ろうとします。その結果、地上人を自殺させることになってしまいます。

最悪の場合、一人の地上人を自殺に追い込むだけでは終わらず、同じようなことを繰り返すことになります。霊はすでに死んでいるのに、自殺に失敗してまだ生き続けていると思い込み、次々と別の地上人を自殺に追いやっていくのです。

地上に再生しようとする霊

大半の憑依霊とは異なり、自分が死んだことに気がついていながら、間違った知識が屈折した憑依状況をつくり出すようなことがあります。その一つが地上に再生しようとして、地上人に憑依してしまうケースです。本人に悪意はないものの、結果的に地上人を苦しめることになります。

スピリチュアリズムでは、インディビジュアリティー(霊的意識の総体)としての再生を認めますが、一般に考えられている同一人格(パーソナリティー)の再生は事実でないことを明らかにしています。

こうした再生の複雑な状況については、スピリチュアリズムによって初めて明らかにされましたが、仏教やセオソフィー(神智学)などの間違った輪廻再生観を信じたまま他界した霊が、地上に生まれ変わりたいと願うことがあります。もとよりそうした再生などあるはずがないのですが、それを強引に実行しようとして、地上の人間に憑依してしまうことになります。

彼らはきわめて低俗で利己的な動機から、地上に再生したいと思うのです。もう一度生まれ変わって金持になったり、高い地位や名誉を手にして、他人を見下したり自慢したいといった思いから再生を願うのです。

本人は再生するつもりが、結果的には憑依することになってしまいます。そして異常な憑依によって地上人の自由を奪うことになり、地上人を精神障害者や肢体不自由者にさせてしまうことになります。

5.邪悪霊による意図的な憑依現象

2種類の憑依――「無意識的憑依」と「意識的憑依」

これまで述べてきたのは、一般的な憑依のケースです。憑依霊の多くは死を自覚していないために無意識的に地上人に取り憑き、その結果、地上人を苦しめるようになります。

しかし幽界の下層には、こうした単純で無知な霊ばかりでなく、悪意を持って地上の霊媒体質者を付け狙っている邪悪な地縛霊もいます。彼らはいったん目をつけた霊媒体質者にしつこく付きまとい、巧妙に働きかけます。そして当人だけでなく、家族や親族をも巻き込んで翻弄(ほんろう)することになります。一般的な憑依が、死んだことを悟れない霊達によって無意識・無自覚のうちに進行するのに対し、この“邪悪霊”のケースでは、初めから害やトラブルを引き起こすことを目的として意図的・作為的に行われます。

多くの憑依霊は、霊的真理に無知である点を除けば、それほど邪悪性はありませんし、死を自覚するようになれば憑依状態から解放され、それにともない現象は消滅します。しかし“邪悪霊”は性格が悪意そのものに染まっており、本人を説得してやめさせようとしても応じようとしません。高級霊の警告にも耳を貸さず無視し続けます。憑依されている地上人が、頑(がん)として憑依霊を寄せ付けないような状況をつくらないかぎり、いつまでも憑依は続きます。

また普通行われている除霊といった方法ではあまり効き目がありません。邪悪霊は、身の危険を感じれば地上人から離れ、安全になればまた取り憑くといった狡猾(こうかつ)なやり方をするからです。

【図2】

巧妙に支配の範囲を広げる

地上の霊媒体質者がよからぬ見栄や願望を抱くと、邪悪霊はそれを見逃さず働きかけ、地上人の欲望をさらに煽るようにします。霊媒体質者はそうした霊界での動きに全く気がつきません。

邪悪霊は最初から強引に地上人を支配しようとはせず、回を追うごとに支配の範囲を広げていきます。徐々に意識や思考をコントロールし、最終的に完璧に操ることができるように仕向けていきます。そして最後に、地上人を決定的な破局に陥れるように企てるのです。

邪悪霊達の動機――憎しみ・嫉妬・からかい

邪悪霊の心には、善なるものへの憎しみ・嫉妬が燃えさかっています。彼らの中には、地上時代に自分を苦しめた相手に恨みつらみを持ち続け、復讐しようと企(たくら)む者もいます。スピリチュアリズムを敵視し、むきになってその普及を妨害しようとする者もいます。また誰でもいいから苛(いじ)めて、憂さ晴らしをしたいと思っている霊もいます。高級霊のようになれない嫉妬と、幸せそうな地上人への妬みから、悪事をしたいという欲求に駆られている霊もいます。こうした邪悪な思いから、きわめて活発に地上に働きかけるのです。

また悪意はそれほど強くないものの、地上人をからかって面白がっている霊もいます。イタズラをして地上人を困らせ、それを見て楽しみたいというような悪趣味を持った霊です。彼らもまた邪悪霊と同様に、意図的に地上人に働きかけ、イタズラをするチャンスを狙っています。こうした邪悪霊やイタズラ霊によって、意識的に憑依現象が引き起こされるのです。

邪悪霊に取り憑かれると、きわめて危険な状況が展開することになります。彼らは地上人を無理やり自殺に追い込んだり、酒乱に仕立てたり、残酷な殺傷事件を起こさせたりします。邪悪霊に強引に自殺させられる場合、憑依された地上人当然強い霊媒体質者です)は、突然誰かにつかまれたようになって身動きできなくなり、同時に意識を失います。気がつくと自分の死体を見るということになります。

ニセの前世を吹き込む

邪悪な憑依霊は、自分の地上体験の知識や、霊媒体質者の潜在意識内に存在する知識を利用して、もっともらしいドラマやニセの前世人格をつくり出します。それを前世の記憶であるかのごとく憑依の相手に吹き込むのです。霊媒体質者が前世に対するこだわりがあれば、邪悪霊は必ずこうした手を用いて翻弄するようになります。当然相手は、そのドラマを自分の前世と思い込むようになります。

例えば邪悪霊が、憑依の相手の前世はどこかの王族の王女で、戦争に巻き込まれて非業の死を遂げたといったストーリーをつくり出します。すると憑依された地上人は、フッと自分の前世は王女で不幸な死に方をしたのではないかと思うようになります。邪悪霊は、王女のイメージを次々と送り、時には霊的スクリーンにわざとこのドラマを見せつけたりもします。このようにして前世のイメージが定着するようになり、地上人は自分の前世は間違いなく王女であったと強く思い込むようになります。

前世探しがブームとなっている現在、こうした形で低級霊によって翻弄されているケースが多いことは言うまでもありません。

“神の化身”に仕立てる

また低級霊は、霊媒体質者の潜在意識に直接働きかけ、幻影を見せたり、善悪の判断力を麻痺(まひ)させたりします。その結果、地上人は自分を“神の化身”であると思い込むようになり、それらしい勿体振った通信を口にすることになります。その通信は滑稽きわまる内容で、誰が聞いてもウソ・ニセモノと分かるのですが、憑依された本人は判断力がマヒしているため、少しもおかしいと思わずに大真面目で大言壮語するのです。

霊媒現象に異常に関心を持ち、見栄に駆られて自動書記を始めたりすると、こうした憑依に翻弄されることになります。憑依霊に思考を支配されると、どれほど馬鹿げたことでも頭から信じ込み、時に無分別・不名誉なことも平気でするようになります。当人はすでに正常な判断力が失われているため、低級霊がどのような思考を吹き込んでも、それをすべてまともに受け入れ、霊の思いどおりに操られることになります。

もし、そうした人間の周りに霊現象に関心を持った者達が集まるならば、低級霊は、わざと慈悲心だの人類救済だの神の愛といった美辞麗句を吹き込みます。憑依されている当人はまるで自分が救世主にでもなったかのように思い込み、大真面目にそれらしく振る舞うようになるため、それを見ている人々は簡単に騙されることになります。見栄の強い霊能者や教祖には、この手の憑依のケースが多いのです。

6.憑依の被害者――霊媒体質者

地縛霊達は、誰彼の区別なく地上人に取り憑くわけではありません。彼らが憑依するのは地上の「霊媒体質者」です。地上の霊媒体質者が、憑依の直接的な被害者となるのです。

霊媒体質者とオーラ

地縛霊達は、地上近くをうろついたり特定の場所にじっとしていますが、彼らの目には地上の霊媒体質者は、小さな灯火(ともしび)のように見えます。霊媒体質者からは多くのオーラが放射されていて、それが霊には薄暗い光源のように見えるのです。地縛霊は、夏の夜に誘蛾灯(ゆうがとう)に昆虫達が引き寄せられるように、霊媒体質者のオーラに引き寄せられます。そして、そのオーラの中に入りたいと思うようになります。また霊媒体質者が地縛霊のいる場所をたまたま通り過ぎた際に、無意識のうちに地縛霊を引き付けてしまうことがあります。そこから憑依現象が始まるようになります。

世間一般で言われている“霊能者”とは、オーラを大量に発散させている霊媒体質者のことで、霊界からの影響力を敏感にキャッチできる人間のことです。憑依現象は、こうした霊媒体質者がいるときに生じるようになります。低級霊にとっては、地上に霊媒体質の人間がいるかどうかが問題です。地上の霊媒体質者は、彼らにとっては絶好の働きかける通路なのです。一般の人間は、いくら働きかけても反応が鈍く、なかなかコンタクトすることができませんが、霊媒体質者に対しては容易に霊界から影響力を及ぼすことができるのです。

霊媒体質者は霊的に敏感なため、葬式に出たり人混みの中に長時間いると、悪い霊気の影響を受けて体調を崩したりします。吐き気をもよおしたり、頭を締め付けられるような体験をすることもあります。霊媒体質者は、高級霊からのメッセージを受け取ることができるようになれば優れた霊能者になれる一方で、低級霊に憑依されやすく、低級霊にとっての都合のいい道具に堕ちてしまう危険性も大きいのです。

すべての霊媒体質者が憑依されるわけではない――同類の霊を呼び寄せる

霊能者・霊媒体質者が、低級霊に憑依されるかどうかは、ひとえに霊媒体質者自身の霊的内容にかかっています。低級霊に取り憑かれる人間は、もともとそういう受け皿ができているのです。自己中心的で意志薄弱、自主性が乏しくて霊的にも精神的にも未熟な場合には、地縛霊にとって憑依の格好のターゲットになります。

一方これとは逆に、霊性が優れ、心身のバランスの取れた健全な性格の持ち主に、低級霊が憑依することはありません。現実を見るかぎり、霊媒体質者の多くが、霊性やモラルの感覚が低く、とても世俗的で享楽的です。依頼心が強く、堕落した好みや願望を快く思うような人間が多いのです。その結果、悲惨な憑依現象を引き起こすことになっています。憑依される人間は、自らの弱み・自由意志によって、そうなることを許しているのです。

前世のカルマと霊媒体質の関係

一般の人々には、霊能者・霊媒体質者は特別な人間のように思われがちですが、霊能力は本来すべての人間が持っている霊体の能力が、肉体次元で現れたものに過ぎません。また誰もがオーラを発散させていますが、霊媒体質者はそのオーラの分量が、一般の人よりも多いという点で違いがあるだけなのです。人間として一番肝心な霊格・霊的進化のレベルと、霊能力・霊媒能力は無関係です。先に述べたように、現実には霊能力者や霊媒体質者の人格性・霊性の低さは目にあまるものがあります。

霊能力や霊的体質は修行によってある程度身につけることができますが、大半の霊媒体質者の場合は、生まれつきのものです。現在、霊能力や霊媒能力を発揮している人の中には、前世において肉体行を通じて霊的能力を身につけた人がいます。前世で身につけた能力を、再生時にも携えて生まれくるのです。

霊は再生に先立って、前世でつくり上げたカルマ(悪行為)を償うために、自ら誘惑や苦しみの試練を選択します。その際、霊媒体質者になることを希望し、あえて誘惑の多い環境を願い出ることもあります。地上世界では、霊能力を持ったり霊媒能力を持つことが大きな誘惑と背中合わせになることを知っているからです。

一方ある者は、前世で霊能があったがゆえの失敗をしたために、それを償う目的で霊媒体質者の道を再度希望するかも知れません。前世で霊能力や霊媒能力を使って悪事を働いたり、人を苦しめたならば、同じような状況下での試練を迎えなければなりません。「カルマによる試練として、憑依の苦しみを味わう」ということです。

また一定の霊的レベルにまで至った霊が、地上人の霊的向上に寄与する使命を持って再生することがあります。その際に霊的能力を用いて働きたいと申し出て、それが認められることがあります。そして生まれつきの霊媒体質者として地上人生を始めることになります。ただし、そうして地上へ生まれた霊能者・霊媒体質者の多くが、再生前の本来の崇高な使命から外れ、物質欲や肉欲といった自らの煩悩の中で堕落しています。

霊媒体質者のすべてが、前世で霊能を持っていたというわけではありません。霊媒体質者として生まれるについては、一人一人の抱える複雑な霊的背景・因縁的背景が絡んでいます。そうした複雑な事情を簡単に述べることはできません。

ここで取り上げたのは、前世のカルマとの関係から霊媒体質者となることを自ら選択したケースです。

7.憑依現象への自己防衛努力――憑依されないようにするには、どうしたらよいのか

普通の人以上に自己コントロールの力が必要な霊媒体質者

霊媒体質者にとって重要なことは、単なる善人レベル・良心家レベルの心境では、低級霊の侵入をはね返すことはできないということです。霊媒体質者のオーラは、磁石のように強力に低級霊を引き寄せる力を持っています。したがって普通の人以上に、「霊的真理に基づく洞察力」と「自己コントロールの力」が要求されるようになるのです。

現実には大半の霊媒体質者が、霊的知識も知らず、また物欲や本能に対する自己コントールの重要性も自覚していません。それどころか世間一般の人々と同じように、本能に流されたままの生活で良しとしているのです。そのため霊媒体質者の多くが低級霊に憑依され、翻弄される結果になっています。“低級霊の餌食”になっているのです。

低級霊のささやき・ちょっかいは無視する

先に述べましたが、憑依は低級霊による接触から始まります。ささやき(幻聴)や幻覚がその兆候です。このとき地上人が霊的真理によって、地縛霊が今働きかけていることを自覚し、一切相手にしないようにするならば、低級霊の接触はそれ以上は進展しません。霊はあきらめて立ち去ります。

「低級霊のささやき・ちょっかいは一切無視する」ということは、大切な自己防衛努力です。これは言葉で言うのは簡単ですが、実際に霊の声が聞こえ、霊的映像が見える当事者になると、さまざまな邪(よこしま)な思いが入り交じって複雑な状況が生じることになります。何か特別なことが自分に起こっていると錯覚し、低俗な虚栄心や名誉心がくすぐられるようになります。そして霊からの接触が快感になり、これを歓迎するようになります。

声が聞こえても、霊的ビジョンが見えても、頭から無視して相手にしないという毅然とした心の姿勢をとることは当たり前の自己防衛努力の第一歩ですが、自分の煩悩・利己心によって、それがなかなかできなくなるのです。その結果、低級霊の思うように憑依の深みにはまっていくことになります。こうした“霊性の未熟さ”が憑依を進行させ、自らの首を絞めることになる一番の原因なのです。

“恐怖心は大敵”――すべての恐怖心を振り払う

高級霊は、私達地上人が恐怖心を抱いたり取り越し苦労をしないように、繰り返し注意を促します。恐怖心に発するマイナスの念が霊的エネルギーを遮断し、守護霊達の援助や導き・守護の道を閉ざしてしまうからです。最強の防御壁を崩されることになるのです。

私達が忘れてはならないことは、「一瞬の恐れも心に宿してはいけない」ということです。もし恐怖心が湧いてくるようなことがあるならば、霊的真理によってすばやく視野を広げ、一刻も早く振り払わなければなりません。また真剣に神と守護霊に援助を求めるべきです。恐怖心を克服できてこそ、真の霊力を身につけたということになります。

霊媒体質者は普通の人以上に霊的影響を受けやすいため、多くの恐怖心が湧くようになります。それゆえいっそう真理に立った広い視野と、霊界に対する信頼心が必要とされます。「突如湧き上がってくる恐怖心を、いかにすばやく消し去ることができるか」――これこそが霊的力・霊的コントロール力の指標なのです。

憑依される人間には、かつて何らかの恐怖体験があって、それがトラウマとなっていることが多いのです。そしてその記憶を忘れたいとか無視したいという心理が無意識のうちに働き、その部分が空白になって低級霊の侵入を許すことになります。

こうした人間は「霊的真理」を学び、これまでの嫌な体験をありがたいもの、あるいは小さな出来事に過ぎなかったと位置付けできるようになると、暗さが消え、低級霊の攻撃をはね返すことができるようになります。

善なる人には、善なる霊しか近づかない――高い心境を保つようにする

すでに述べましたが、霊媒体質者であれば必ず憑依されるというわけではありません。一番の問題は、霊媒体質者自身の心の持ち方なのです。霊的に敏感な体質であっても、真理にそった考え方をし、高い心境を維持することができるとするなら、低級霊は近づくことはできません。低級霊は、地上人の低俗な感情や肉体的欲望に感応して引き寄せられるのです。物欲やエゴの感情が強く渦巻くところに引き付けられるのです。低級霊の憑依を受けるのは、その人間の思いや欲望が邪であるからです。

地上人の霊的心境が高いときには、身体から発せられるオーラは澄み渡り、低級霊を近寄せません。霊性の高い地上人は多くの善なる霊達を引き寄せ、これらの霊達によって守護されることになります。「善なる人には、善なる霊しか近づかない」ということです。低級霊を寄せ付けないような高い霊的心境を保つことこそが、憑依や霊障に対する最高の解決法となるのです。

本人が意識的に考えを改め、正しく生き直そうとしないかぎり、高い心境を維持することはできません。そのためにはどうしても「霊的真理」と「霊界に対する正しい知識」を知らなければなりません。しかし残念ながら大半の地上人は、スピリチュアリズムとの出会いもなく真理を知るチャンスが与えられていないのが実状です。

霊的真理に基づく正しい生き方を目指す――“利他愛の実践”に意識を向ける

低級霊を引き寄せたままでいるということは、その人の心が物質的・本能的であることを示しています。地上人の低俗な思いは、低級霊にとって非常に魅力的です。地上人の思念や欲望が邪なとき、憑依現象が生じることになるのです。そうした根本的原因を克服しないかぎり、憑依から逃れることはできません。憑依される本人自身が、低級霊に付け狙われるようになった依頼心の強さや低俗性といった性格的な弱点・欠点を改めないかぎり、どのような除霊を受けても問題は解決しません。

霊的な現象に関心を持つより“利他愛の実践”に意識を向けることによって、恐怖心は消滅し、多くの霊的エネルギーがもたらされるようになります。また霊界の援助と守りを受けられるようになります。自分のことを忘れるほど利他愛に専念する人には、低級霊は近づくことさえできなくなります。

「体調コントロール」と「心身コントロール」を常に心がける――精神と肉体の健全性を保つ

憑依が引き起こされるのは、地上人が「霊媒体質」であるということと、その地上人の心が「物質的・利己的」であるという条件が重なったときです。低級霊の誘いかけに乗らず、高い心境を保とうと努力をする人には、悲惨な憑依現象が引き起こされるようなことはありません。憑依が起こっても、早いうちに芽を摘み取ることができるため、大事に至ることはありません。以上は憑依に対する自己防衛の鉄則です。

さて、もう一つの大切な自己防衛努力があります。それは常に――「精神と肉体の健全性を保つ」ということです。「体調コントロール」と「心身コントロール(霊肉のバランスをとること)」を心がけるということです。

極度の精神的・神経的疲れ、あるいは大きなショックは、霊肉のバランスを崩し、憑依を引き起こしやすくします。自己コントロールの力が失われた隙間を狙って、低級霊が介入してくるのです。愛する人との死別や人間関係のトラブル・お産などのショックによって憑依状態が引き起こされ、突然精神病になる人がいるのはそのためです。

また激しい過労や睡眠不足によって、肉体が極端な不調に陥ったときも、憑依が起こりやすくなります。生命エネルギーが低下し、精神的抵抗力が弱まるため、低級霊の侵入が容易になるからです。長期の断食や不眠不休の肉体行によって無理やり霊媒体質をつくり上げると霊通するようになりますが、肉体の異常な酷使は、これと同じような状況を引き起こすのです。

肉体と精神・神経の健全さを保つには、スポーツ(運動)はとても有効です。軽く汗を流す程度の適度な運動によって、まず肉体レベルの不調和が解消され、さらに霊肉間のアンバランスが整えられます。適度の運動は食欲を増進させ、熟睡を促し、神経の疲れを癒します。よく運動し、よく食べ、よく寝る人には憑依の被害者はいません。スポーツマンや肉体労働者の場合には、たとえ生まれつきの霊媒体質者であっても憑依現象はあまり生じません。生活を規則正しく律し、運動・食事・睡眠に気をつけることによって、軽い憑依状態は簡単に治ってしまいます。

憑依を防ぐにはこのように、まず「肉体レベル」そして「精神と肉体レベル」のアンバランスを修正するように心がけなければなりません。祈りや瞑想などを憑依の治療として勧めるところがありますが、それは逆効果です。異常な霊的通路をさらに広げ、低級霊を誘い込みやすくすることになり、憑依状態を進行させてしまいます。

【図3】

8.霊的摂理の観点から見た憑依による苦しみの意味――憑依で苦しむことは、必ずしも悪いことではない

憑依を進行させて悲惨な事態を引き起こすようになる原因は、一言で言えばその人間の“霊的未熟さ”にあります。霊性の高い人間は、憑依を早い時期にくい止め、深刻な事態を招来するようなことにはなりません。このことは今憑依で苦しんでいる霊媒体質者も、心を改め、霊的真理にそう努力をするならば、やがて憑依の問題を解決することができるようになるということを意味しています。

とはいっても、それは口で言うほど簡単なことではありません。人間はなかなか自分の心の持ち方・考え方を変えることはできません。そのうえ一人一人には“カルマ”という根深い問題が横たわっているのです。

霊的摂理の観点に立って考えてみると――「憑依による苦しみは、未熟な人間が成長するための一つの重要なきっかけとなっている」ことが明らかになります。

再生前に自ら選択した憑依の苦しみ

地上人生において生じるすべての出来事は必然的結果であり、偶然というものはありません。あらゆる出来事には、それを招いた原因があります。霊媒体質であること、またそれゆえ低級霊に取り憑かれて苦しむようになることも、何らかの理由があるのです。

霊媒体質者として生まれるについては、各自の複雑な霊的背景・因縁的背景が絡んでいます。前世でのカルマが関係しているということです。大半の人々は前世で何らかの「カルマ(悪因縁)」をつくっていますが、それを償うために再生前に自ら苦しみの試練を選択します。その際、人によっては憑依の苦しみや精神病患者としての苦しみを選ぶことになります。また憑依現象や精神病は、憑依される本人だけでなく、家族や周りの人々に苦しみをもたらすことになりますが、実はそれも各自がカルマ清算のための道として、自ら選択していることが多いのです。

霊的摂理の観点から見たとき大切なことは――「誰一人、不公平な運命を背負わされている人間はいない」ということです。今地上でどのような苦しみを受けているとしても、すべては神の摂理・法則のもとで、各自が選択した結果なのです。肉体を持った地上人は、霊的世界まで含めた大きな視野、あるいは前世まで含めた広い範囲で物事を考えることができません。さらに再生前の自分が決意した内容さえも自覚できなくなってしまうために、憑依や霊障を一方的に生じたいわれのない不幸と考えてしまうのです。しかし“霊的視野”から見れば、すべての苦しみは本人が納得したうえで引き受けているものであり、その意味で、憑依で苦しむ人に同情する必要はないということになります。

憑依の苦しみは、本人の霊的成長にとってプラスとなる

霊的成長のために必要な苦しみの体験が“憑依”を通じて与えられることになります。憑依の苦しみを通じてカルマが切れ、魂が鍛えられて霊的に成長することができるようになります。大半の地上人にとって霊的成長のためには何らかの苦しみが必要ですが、それが憑依という現象を通じてもたらされるということなのです。

霊的視野に立って見ると、今憑依の苦しみを味わっていることは、不幸でも不運でもありません。その苦しみは、本人や家族の霊的成長のために確実にプラスの作用をしているのです。

前世のカルマの内容を知る必要はない

憑依によって苦しむのは「前世のカルマ」が原因となっていることが多いと言うと、「では前世のカルマの原因となったのは、具体的にどのような行為だったのですか?」と質問する人がいます。

しかしそうした質問には、いかに優れた霊能者でも答えることはできません。地上にいながら、相手の前世の一つ一つの具体的な行為まで知ることはできません。世間にはよく、「あなたは前世においてこうした悪業をなしたために、それが悪いカルマ(悪因縁)となって今生の不幸がもたらされている」などと言う霊能者がいますが、そんな口から出まかせの話をまともに信じてはなりません。

前世の具体的な内容を知ろうとするよりもっと重要なことは、今与えられている苦しみの意味を知ることです。「この苦しみは“霊性の進化”という長い道程のうえで悪因縁を切るために生じたものであり、霊的成長にプラスとなっている」ということを理解することです。そして大きな視点から、苦しみを甘受することなのです。苦しみに対する正しい理解と、それに立ち向かう姿勢を持つことが一番大切なのです。

前世のカルマが切れる瞬間

憑依による苦しみを通じて、本人の心が少しずつ耕(たがや)されて深まり、やがて霊的覚醒の時を迎えることになります。物質欲を超越した高い心境・霊的意識を持てるようになると、「霊的真理」にそった自己防衛の努力ができるようになり、憑依の苦しみから解放されるようになります。

人によっては、しかるべきスピリチュアル・ヒーラーのもとに導かれて、カルマ解消のための最後の治療を受けることになるかも知れません。それによって前世のカルマに由来する憑依の苦しみが、すみやかに癒されることになります。

苦しみは霊的成長のために必要なものであり、大きな目から見たときにはむしろプラスとなるという考え方は、霊的真理を知ったスピリチュアリストにおいて、初めて可能となります。一般の人々にとっては、憑依の苦しみは悲劇であり、不幸であり、何としても避けたいと思うものですが、スピリチュアリストは憑依について、この世の人々とは全く違う見方をすることができなければなりません。

現在、憑依の苦しみの最中にいる人々も、苦しみを通じて少しずつカルマを切って霊的に進歩しています。やがてカルマが完全に解消され、苦しみの体験が不必要な時点に至ったときには、憑依から完全に解放されることになるのです。とはいっても、それが常に今生の地上人生において達成されるとは限りませんが……

9.憑依で苦しむ人を前にしたとき、どのように対処したらよいのか

これまで述べたような自己防衛がしっかりできる人は、完全憑依というような最悪の事態を迎えることはありません。ところでもし私達が、他人の憑依現象と遭遇したときには、どのように対処したらよいのでしょうか。

単なる除霊・浄霊では、憑依現象の根本解決はできない

憑依に対しては「除霊」というのが、心霊に関心のある人々の間では常識となっています。太古のシャーマニズムの時代から現代の新興宗教まで、悪霊の憑依対策として除霊が行われてきました。確かに除霊によって一時的には憑依霊を取り除くことができるかも知れません。しかし憑依されている本人の心の持ち方・考え方が変わらないかぎり、霊はまたすぐに取り憑くようになります。

除霊に携わる祈祷師や霊能者・宗教者自身が、こうした事実を十分に認識していないために、全く無駄なことを繰り返すことになっています。除霊をしたからといって、実際には何も問題は解決されていないのです。除霊や浄霊の類で憑依現象が解決すると考えるなら、それは霊的事実に対して無知をさらけ出しているということなのです。

世間の霊能者の中には、除霊と浄霊の区別にこだわり、除霊でなく“浄霊”でなければならないと主張する人々がいます。しかし「霊的事実」に照らしたとき、彼らのしていることも憑依に対する根本的な解決方法にはなっていません。

この後で述べますが、患者自身のカルマ清算と同時に、霊界からの援助というプロセスなくして「憑依現象」の根本的解決は不可能なのです。単なる地上の霊能者による除霊・浄霊では、本当の問題解決はできません。

憑依霊を一時的に取り除くには、オーラに引っ掛かっている憑依霊を(霊能者の)霊体の手でつまんで取ったり、霊的光(エネルギー)を当てショックを与えて離れさせたり、憑依霊に語りかけて脅したり説得したりして離れさせたりします。あるいは高級霊に頼んで憑依霊を患者のオーラから引き離し連れて行ってもらったりします。「除霊」それ自体は決して難しいことではありません。

これが世間では、除霊法・浄霊法として大袈裟に取り上げられているだけなのです。

世間一般に行われている除霊・浄霊では、数週間、あるいは数日もしないうちに、再び以前と同じような現象が起こり始めます。そして家族も本人も、また絶望のどん底に突き落とされることになります。そこで別の祈祷師や霊能者を探し求めて、除霊・浄霊を依頼することになります。

しかし何度も述べましたが、本人のカルマが切れて心境が根本的に変わらないうちは、除霊・浄霊を何回してもらっても同じことを繰り返すだけなのです。一時はよくなったかのように感じられることがあっても、長続きしません。過労や睡眠不足が続いたり、季節の変わり目に体調を崩したりすると、すぐに憑依現象がぶり返すことになります。その結果、ますます状態は悪化して、最後は精神病院に入院させざるを得なくなります。

霊的真理が分からない人には、陰から祈ってあげるのが一番の方法

スピリチュアリズムの霊的真理を知って、初めて憑依に対する大きな視野からの対処が可能となります。真理を何も知らない人が「苦しみを甘受する」などということは、到底できるものではありません。

したがって、いまだスピリチュアリズムを知らない人に向かって、また内面の成長がともなっていない人に対して、「苦しみを無条件にありがたいものとして受け入れなさい」と説得しても意味がありません。「憑依で苦しむことは不運でも不幸でもないのですよ」と言っても、おそらくその真意を理解してはもらえないでしょう。

そうした現実を前にして、私達がなすべきことは「本人や家族が霊的真理にそった考え方や自己防衛努力ができるようになるまでは、そっとして置く」ということです。とても残念なことですが、それが最も霊的法則に適った対応の仕方であり、本当の愛情なのです。神の摂理に自発的にそわせられないうちは、いかなる人間も摂理によってもたらされる苦しみの中で生きていくしかありません。真理が分からない人に対しては、霊的自覚ができるまで見守っていくしかないのです。それが本人や家族の霊的成長にとって、一番よい方法なのです。

本人や家族は神の法則によって与えられた苦しみを通じて、少しずつ霊的進歩のための条件づくりをしています。内在している罪を償い、カルマを切っているのです。苦しむ人間を目の前にして手助けしてあげられないことはとても辛いことですが、霊的視野に立って相手に臨まなければなりません。相手の成長のためには、心を鬼にして、陰から祈ってあげるのです。安易に除霊など受けさせようとしてはなりません。そんなことをすれば一時は楽になるかも知れませんが、結局は本人にいっそうの回り道をさせることになってしまいます。そして低級霊のからかいやイタズラに、拍車をかけさせることになるのです。

幽界の下層にいる地縛霊達の救済は、苦しみの中で霊自身の意識が変化するのを待つしか方法がありませんでした。それと同じように「憑依現象」に苦しむ地上人に対しても、当事者の意識の変化を待つしか道はないのです。それ以外に本質的な解決法はないということなのです。

もし憑依された本人が「霊的真理」を受け入れ、自らの心の持ち方・考え方を根本から改めようとするなら、初めて正しい自己防衛努力が可能となり、因縁霊が離れて二度と憑依されない時を迎えることになります。長年苦しんできた「カルマが消滅する時がきた」ということです。

そうした時期に至っている人には、この後で述べるような本当のスピリチュアル・ヒーリングとの出会いのチャンスが訪れるかも知れません。皆さんの誠心誠意の祈りが、スピリチュアル・ヒーリングとの出会いのチャンスを早めることになるかも知れません。また皆さんの祈りそのものが、いつの間にかスピリチュアル・ヒーリングになっていて、相手の苦しみを軽減することになるかも知れません。

手に負えないときには、病院に入院させる

憑依状態がひどくなると、自殺や失踪などを企て、生命に係わるような事態を招くことになります。家族や周りの人々の手に負えないときには、精神病院に入院させることが必要です。現代医学の助けを借りて、一刻も早く憑依された患者の心身を休ませなければなりません。

憑依がひどくなって狂乱状態になるときには、患者は何日間も不眠状態が続き、食事も喉を通らなくなっています。肉体と神経は衰弱の極に至っているのが普通です。入院させて睡眠をとらせ、大きく乱れた心身のバランスを取り戻させなければなりません。睡眠と食事が正常に戻り体力が回復するにともない、憑依状態は治まるようになっていきます。「病院に入れるのは世間体が悪い」とか「本人が嫌がって可哀想だ」などの理由で延ばし延ばしにしていると、症状はさらに悪化し、全く手に負えなくなってしまいます。取りあえずは現代医学の力を借りて、急場をしのがなければなりません。

世間の祈祷師や霊能者・新興宗教の中には、除霊や浄霊を謳(うた)い文句にしているところが数多くあります。そこでは自分達の除霊や浄霊がさも最高のものであるかのように派手な宣伝をしています。自分達の除霊や浄霊によって、憑依が完璧に解消されるかのような言い方をしています。霊的真理を知らない人々が苦しみの最中にあって、ついそうしたニセモノに頼りたくなるのは当然でしょう。

しかし真理を手にした私達スピリチュアリストは、このような話をまともに信じてはなりません。霊的知識に照らしてみれば、そんなことがあり得るはずはないのです。

10.憑依現象とスピリチュアル・ヒーリング――スピリチュアル・ヒーリングは最高の除霊・浄霊法

驚くべきイエスの除霊法

新約聖書の中には、イエスが行った数々の除霊治療が記されています。またイエスが12弟子に、汚れた霊を追い出して病気を癒す権威、すなわち除霊治療の力を授けたことが書かれています。そうしたイエスの除霊の業の中での圧巻は、何と言ってもガダラにおける除霊でしょう。マタイ8章とマルコ5章を参考にして粗筋を述べると、次のようになります。

イエスがガダラに着くと、悪霊に憑かれた2人の者がイエスの前に出て来ました。2人の乱暴はひどくて誰も近寄れないほどであったと書かれていますから、悪霊の憑依がかなり進行していて、狂人に近い状態になっていたということでしょう。イエスは彼らに取り憑いていた悪霊を追い出して、はるか離れたところにいた2千頭の豚にこれを憑依させました。すると悪霊に乗り移られた豚の群全体が、崖から海へなだれを打って飛び降り溺死してしまいました。

以上が聖書のガダラの豚の話ですが、マイヤースからの霊界通信は、このイエスの除霊について次のように解説しています――「悪霊達は、自分達が四つ足の動物のダブル(幽質体)につながれていることに気がつき、妙な感じと獣性に驚いて逃げ出そうとした。その慌てた行動が海への暴走となった。イエスがとったこの処置は、憑依霊達にとって貴重な体験となった。そして二度と憑依することはなかったであろう。なぜならその二度目の死によって、初めて自分が死んでいることに気がついたからである。人間に憑依していたときは、自分が死んで肉体を失っていることを知らなかったのである。」

地縛霊の中には自分が死んだことに気がついていない者がいて、その自覚のなさが霊的目覚めを阻害し、地上時代の延長のような生活をさせることになります。その結果、地上人への憑依が引き起こされることになるのです。イエスは死の自覚のなかった地縛霊達に、死んだことを悟らせるために“豚に憑かせる”という方法をとりました。それが功を奏して、地縛霊と被害者は救済されることになったのです。

イエスは確かに人類史上最高のヒーラーであり除霊師と言えますが、次のような点にも留意する必要があります。聖書の中のイエスの記述には誇張や事実でないものもあり、また病気が治ったといっても、実はその場かぎりのものもあったと思われます。イエスによって憑依を解消された人々の中には、いったんは病気が消滅したものの、その後再び低級霊に取り憑かれ再発した人もいたはずです。

私達がイエスの卓越した奇跡的治療について考えるとき忘れてはならないことは、イエスの治療のすべては、カルマの法則(因果の法則)に代表される「霊的法則」に基づいて行われていたということです。イエスは憑依によるあらゆる異常や病気を癒したのではないということを知っておく必要があります。イエスは治らない病人を治したのではなく、「治るべき病人を治した」ということなのです。

驚異的なウィックランドの除霊治療――本物の除霊治療の手本

現在、日本ばかりでなく世界各地で行われている除霊・浄霊は、結局はそのほとんどが根本的な解決法になっていないことが明らかになりました。それどころか除霊をすればするほど、以前よりもさらに状態を悪化させてしまうことになります。低級霊を引き寄せている本人の心の持ち方・考え方を変えることこそが真の根本治療なのですが、そうした一番肝心なことを無視して、ただ単に取り憑いた霊を無理やり引き離そうとしています。

一般の除霊・浄霊は、憑依に対して表面的な対処しかしていません。日本の祈祷師や霊能者・新興宗教において行われている除霊・浄霊の大半は、その場かぎりの対応であり、憑依霊が再び憑いて、最後は病院に入院させざるを得なくなるケースがほとんどです。

しかしスピリチュアリズムの歴史の中には、本当の意味での除霊の実例があります。除霊が見事な結果をもたらした数少ない成功例があります。それがウィックランドの除霊治療です。

アメリカ人医師、ウィックランドは、30年にわたって憑依による精神病の治療に当たってきました。霊界からの依頼で、ウィックランドは患者に憑いた霊を妻のアンナに乗り移らせ、霊を説得して除霊することになりました。彼はこの方法で、数多くの患者と憑依霊を救済してきました。しかもウィックランドの除霊治療の場合には、再発というケースがほとんど見られませんでした。完璧ともいえる見事な結果を残しています。

実はウィックランドがこうした素晴らしい治療実績を上げることができたのは、霊界から多くの援助と強力なサポートがあったからなのです。ウィックランドは熱心なスピリチュアリストで、シルバーバーチの交霊会にも招待され、シルバーバーチから直接教えを受けています。『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.286〜288)

ウィックランドの除霊は、スピリチュアリズムの活動の一環として行われていたものだったのです。死後の世界の実在を証明することを一番の目的として仕組まれたものだったのです。霊界側が「除霊治療」という手段を用いて、スピリチュアリズムの啓蒙を進めてきたのです。ウィックランドの除霊治療サークルの指導霊は、Mr.ルート(仮名)と言われる高級霊でした。

ウィックランドのサークルのもう一つの目的は、地縛霊や憑依霊、そして精神病患者を救済することでした。ウィックランドが除霊治療する現場には、常に多くの地縛霊達が集められ、そこが霊的覚醒のための教育現場となっていたのです。

彼のもとへ連れてこられた患者は、それまでの苦しい人生によって悪因縁が切れる時を迎えていました。それと同時に、精神病の原因となっていた憑依霊自身にも、それまでの苦しみを通じて霊的目覚めの時がきていました。ウィックランドの除霊が一般常識では考えられないような成功を収めたのは、こうした2つの霊的条件が満たされていたからなのです。患者と憑依霊がともに、これまでの状況を抜け出せる時期を迎えていたということなのです。

このような霊的条件に適う患者と憑依霊を、霊界側が選んでウィックランドのもとに連れてきたのです。そして最後の仕上げとして、ウィックランドが憑依霊を諭し、自分から患者のもとを離れるように仕向けたのです。この結果、憑依現象が根本的に解決されることになりました。まさに霊的真理に基づいて「心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)」が行われていたのです。

スピリチュアル・ヒーリングこそが、本当の除霊治療法

世間には盛んに“浄霊治療”を謳っている霊能者がいます。浄霊は除霊とは違うのだと主張するのです。単に霊を取り除くだけでは駄目で、霊を説得し納得させる浄霊でなければ憑依は解消しないと彼らは言います。

確かにその言い分は正しいのですが、霊的世界の現状を見たとき、それだけで憑依は根本的に解決するものではありません。除霊後の憑依霊に対する徹底したアフターケアにまで及ばないかぎり、憑依霊の完全な救済はあり得ません。それは霊界の医師や協力者によって進められる「スピリチュアル・ヒーリング」においてのみ、できることなのです。

霊界の医師達が中心になって治療を進めるのかどうかということが、憑依の根本的治療を可能にするかどうかを決定することになります。本当のスピリチュアル・ヒーリングから見れば、この世の除霊・浄霊の類は、単なる低次元での対処法に過ぎず、根本的な解決法からは大きく隔たっています。単純な肉体の異常や病気は治せても、精神病の治療にはほとんど無力であるというのが実状なのです。

ウィックランドの除霊治療が、祈祷師や霊能者・新興宗教などの除霊と違っていたのは、霊界からの多くの導きと強力なサポートがあったからです。「本物のスピリチュアル・ヒーリング」であったということです。こうした特殊な除霊治療は、滅多に見られません。

現在の地球上では、スピリチュアル・ヒーリングがスピリチュアリズムの伝道の一環として霊界の全面的な協力のもとで推し進められています。その治療をきっかけにして長年来の病気や精神病が癒されることになりますが、そうしたスピリチュアル・ヒーリングの優れた見本が、ウィックランドの除霊治療なのです。

先にも述べましたが、本当のスピリチュアル・ヒーリングでは、治るべき時期のきた患者が霊界から導かれ、ヒーラーのもとに連れてこられます。あるいはヒーラーが、治るべき時期のきた患者のもとへ導かれます。そしてヒーラーは最後の仕上げとして、ヒーリングに携わることになります。その結果、常識では考えられないような「奇跡的治癒」が実現するのです。

しかしこれは別の見方をすれば、奇跡でも何でもありません。スピリチュアル・ヒーリングは目を見張るような素晴らしい治療結果をもたらしますが、実際は「神の摂理に従って、治るべき人を治しているに過ぎない」ということです。スピリチュアル・ヒーリングは、神の摂理を超えた奇跡を起こして不治の病を治しているわけではありません。その治療は、神の法則の領域内において進められているということなのです。

いかなる地上人も、因果応報という神の摂理から逃れることはできませんし、すべてがカルマの法則の支配の中にあって存在しています。病気になるのも、その病気が治るのも、すべてこの「因果応報の摂理(カルマの法則)」のもとで展開していることなのです。

病気の治療よりも、患者の霊的覚醒こそが重要

重要なことは、スピリチュアル・ヒーリングには、単に病気を癒すということ以上に重大な使命が与えられているということです。それは地上人に霊的覚醒を促し、霊的新生をもたらすということです。言い換えれば「霊的救いをもたらす」ことが、スピリチュアル・ヒーリングの真の目的なのです。

スピリチュアル・ヒーリングの治療の主役は霊界の医師達ですが、彼らは治療を通じてスピリチュアリズムの普及に貢献しています。「人類の霊的覚醒・霊的救済」という、病気を治すことよりはるかに大きな目的のために貢献しています。

霊界の医師達は、地上の患者一人一人にとって最もふさわしい治療方法・治療エネルギーを開発するために総力をあげて取り組んでいます。一人の患者の治療のために、大学病院のすべての研究者が協力しているかのような完璧な体制で臨んでいます。本物のスピリチュアル・ヒーリングには、こうした想像を絶するような霊的背景があり、それゆえ他の治療法では足元にも及ばないような結果を残すことができるのです。

しかし、それもすべて地上人にスピリチュアリズムの存在を知らせ、霊的覚醒をもたらすために行われていることなのです。単に病気を治すことより「患者の霊的覚醒を重視する」という点で、スピリチュアル・ヒーリングは、現代医学や他のホリスティック医学とは根本的に異なっているのです。