MENU

ニセ霊能者の定番トーク――「生き霊の怨念(おんねん)」による災い

夫婦関係がうまくいかない、娘の縁談がどうしてもまとまらない、婦人病がなかなか治らない――こんな悩みを抱えた女性が霊能者を尋ねます。すると霊能者から、「あなたのご主人は、これまで他の女性とトラブルを起こしたことはありませんか?」と切り出されます。その女性は隠し事を言い当てられ、びっくり仰天して、夫の浮気話を語り始めます。そして無理やり相手の女性と手を切らせた経緯を話します。それを聞いて霊能者は、やおら「あなたに不幸が絶えないのは、別れさせた女性の恨みの念が祟っているからだ」と言います。

また、ある若い女性が占い師のところに足を運んで、腰の痛みと体調の乱れを訴えます。すると、「あなたは最近、男性と付き合っていたことがありますね」と突然言われます。妻子ある男性と付き合っていたのは4年ほど前のことでしたが、その指摘に驚いて、昔の不倫交際の事実を打ち明けます。すると占い師は、「相手の男性の奥さんの怨念が祟って、あなたの健康を害している」と言います。

皆さん方は今まで、こうした話を聞いたことはなかったでしょうか。「生きている人間の恨みの念(生き霊)が祟っている」――これはニセ霊能者の定番トークの一つで、騙しの常套手段です。

これまでニューズレターでは、心霊現象にまつわる迷信と、それを悪用するニセ霊能者について取り上げてきました。先祖の悪因縁・水子霊の祟り・前世の悪因縁(悪いカルマ)・動物霊の憑依・家相や墓相・方角・星回りの悪さといったまことしやかな迷信が、多くの人々に不安を与えています。そしてニセ霊能者は、人々の不安と無知に付け込み、悪徳商法を繰り広げています。

今回取り上げる「呪いと生き霊の祟り」も、そうした心霊的迷信の代表的なものです。

災いを引き起こす「生き霊」とは

霊といえば普通は死者の魂を指しますが、生き霊は「生きている人間の霊や思念」のことです。こうした生き霊が祟って、人間にさまざまな危害を及ぼし、不幸をもたらすと言うのです。他人の恨みの思いや呪いによって人間関係にトラブルが生じたり、病気が引き起こされると言うのです。

このような「生き霊の祟り」の話は、源氏物語などの古典にもひんぱんに登場します。恋敵(こいがたき)の女性の生き霊の呪いによって、ある女性が突然病気になって死ぬといった話が出てきます。また日本の伝統文化である能楽では、しばしば生き霊を題材としていることはよく知られています。さらには陰陽師(おんみょうじ)や密教の行者が、生き霊の祟りを取り除くために祈祷をしたり、九字を切るなどの霊術を行ってきたことが知られています。

呪術と怨念

生き霊の祟りと関連したものとして、日本では昔から、人間の抱く怨念には威力があると信じられてきました。そして憎い相手や敵に呪いの念を送って殺したり、危害を加えるための「呪術(呪詛(じゅそ))」が広く行われてきました。現代人にもよく知られているワラ人形の呪いは、その一つです。昔の日本人は、自分の知らないところで他人から呪いをかけられることを恐れてきました。

こうした呪術は、裏の宗教(密教・修験道(しゅげんどう)など)を通じて現代にも受け継がれています。現代の占い師や霊能者達の多くが、古来からの呪術を用いています。呪いによって相手に不幸をもたらそうとする呪術の類は、西洋社会にも存在し「黒魔術」として知られています。

「生き霊の祟り」は迷信に過ぎない

では、このような生き霊による祟りや怨念による災いといったことは、本当にあるのでしょうか。巷に出回っている大半の心霊関係の書物では、生き霊の祟りは間違いのない事実であるかのように述べられています。ある人を憎んでいたらその人が突然交通事故にあったり、病気で死んでしまったというような霊能者の話がきまって紹介されています。また家族の誰かに腹を立てたらその相手が病気になってしまい、自分が反省して心から憎しみを取り除いたとたんに相手の病気がよくなったというような体験談もたびたび取り上げられています。

もっとも霊能者によるこうした話のほとんどが、自分の霊能力をアピールし宣伝するためのものであることは言うまでもありません。現代の霊能者や祈祷師の多くは、「人間の抱く怨念には他人を不幸にする威力がある」「古来から言われてきた生き霊の祟りは本当にある」と信じているようです。

結論を言えば――「生き霊の祟り」といった霊的事実は存在しません。生き霊の祟りなるものは単なる迷信であって、錯覚に過ぎません。ある霊的な現象が間違って解釈され、それが何世紀にもわたって受け継がれ、“迷信”として日本人の間に定着するようになったのです。霊的現象に対する無知と、未知なるものへの不安や恐怖によって迷信が増幅され、生き霊の祟りがいかにも恐ろしい現実であるかのようなイメージがつくり上げられてきたのです。

現代の霊能者達も、こうした世の中の迷信を鵜呑(うの)みにして、自分の体験を無理やりそれに当てはめて解釈し、生き霊の祟りが事実であると錯覚しているのです。

怨念が、自分自身に返ってくることもある?

世間一般に言われている生き霊の祟りとは、人間の呪いや憎しみの思いが、相手の人間に危害を加えるようになるというものです。特に男女関係のトラブルで生じた恨みが、相手や相手の身近な人間に不幸をもたらすと言われます。もちろんそうした事実はなく、すべて迷信です。テレビの心霊番組に登場する霊能者は、よく「生き霊の祟り」などと言いますが、それは何の根拠もない嘘・作り話なのです。

生き霊の祟りを云々するような霊能者は、すべてインチキと判断して間違いありません。生き霊の祟りを口にすること自体、その霊能者が霊的事実について何も知らないことをわざわざ暴露しているようなものなのです。一般の人々と同じように、迷信をまともに信じ込んでいるか、あるいは意図的に嘘をついているかのいずれかです。

「人を呪わば穴二つ」?

ニセ霊能者の多くが、人を呪うとそれが自分自身に返ってくるから、人を憎んではいけないと言います。彼らはまた、相手の霊力が弱い場合にはこちらからの念は相手に通じるが、もし相手の霊力が自分より強い場合には、その念が自分自身に跳ね返されて、危害をこうむることになると言います。そして彼らは決まって、「人を呪わば穴二つ」の譬えを引き合いに出して、もっともらしい道徳的な教えを語るのです。

他人を憎んだり呪ったりすることは、明らかに神の造られた摂理に反します。宇宙は“利他愛”という法則によって支配されている以上、相手に対しては思いやりを持ち、成長を願って接するべきです。相手を憎んだり恨むとするなら、「霊的摂理に根本的に背く」ことになります。利他愛とは全く反対のことをするのですから、よい結果がもたらされるはずがありません。特に“呪い”といった極端な利己的行為は、大きな罪を犯すことになります。その罪は、いつか自分自身で苦しみと後悔をもって償わなければなりません。

しかし、ここで勘違いしてならないのは――“利己愛”という神の摂理に背いた罪は、摂理のもとで生じる苦しみによって償うようになるということです。霊能者が言うような、呪いの念が自分自身に返ってくることで苦しむようになるというようなものではありません。摂理によってもたらされる苦しみと、霊能者が言う苦しみは、内容が全く違うのです。「生き霊の怨念」そのものが存在しない以上、怨念が自分に返ってくるという話も事実ではありません。

どうして「生き霊の祟り」といった迷信が生まれるようになったのか

では、どうして「生き霊の祟り」といった実際にはありもしないことが、多くの人々に信じられるようになったのでしょうか。

実は、生き霊の祟りという迷信は、何らかの霊的現象が間違って解釈され、それがさらに増幅される中でつくり出されたものなのです。そうした迷信の原因となった霊的現象とは、どのようなものだったのでしょうか。スピリチュアリズムの観点から、「生き霊の祟りの実態」を探ることにします。

生き霊の祟りという迷信を生み出した霊的現象とは、次に述べる3つのものです。

幽体離脱と幽体の物質化

睡眠中には誰もが「幽体離脱体験」をしますが、その際、分離した幽体(霊体)が遠く離れたところにいる人々に幽霊として霊視されることがあります。また幽体離脱した幽体が離れた場所で物質化し、人々の前に姿を見せることもあります。時にはその物質化した幽体が、地上人に話しかけたり文字を書いたり、食事をするようなこともあります。

このように遠く離れたところにいるはずの人間の姿が、突如目の前に現れるような現象があるため、生きた人間の霊や念が分離して、祟りや危害をもたらすと考えられるようになったのでしょう。物質文明が今ほど進んでいなかった昔には、霊視能力を持っていた人々が大勢いたでしょうし、「幽体の物質化」という現象も、ひんぱんに生じていたと思われます。日本の古典文学には生き霊の話が多く出てきますが、それはこうした霊的体験が広く一般人の中に見られたことを示しています。ニューズレター22号「生き霊について」参照)

【図1】

念による想念霊の形成

また、ある地上人が信仰の対象物をイメージして長時間祈り続けたりすると、その念が一時的に霊的実在物をつくり出すことがあります。このような地上人の念によってつくられた仮の存在物を、「想念霊・架空霊」と言います。祈祷所や霊場・寺社などには多くの想念霊が存在しています。この想念霊が地上の霊視能力の発達した人間に認識されることがあるのです。想念霊は、離れたところにいる人間に引き付けられたり飛んでいって霊視されることもあります。こうした現象が、「生き霊の祟り」という迷信をつくり出す一つの原因となったと考えられます。

【図2】

テレパシー現象

念が相手に少なからず影響を与えることは事実です。強い思い(念)に込められたエネルギーは“テレパシー”として、離れたところにいる人間に伝わります。その際、霊的な感受性の豊かな人(ある種の霊媒体質者)であれば、調子が狂わされるようなことになります。心がそわそわして落ち着かず、何とも言えない不安を感じたり、胸騒ぎがするようになります。テレパシーを受けると(誰かが自分のことを強く思うと)、ほんの一時ですが、精神的に不安定になるようなことが実際に存在するのです。

とはいっても問題はそこまでで、それ以上の危害死・病気・怪我・事故・不幸など)が引き起こされるようなことはありません。一般的に生き霊の祟りとして言われているような深刻な害が、テレパシーによって生じることはないのです。

しかし全く問題がないというわけではありません。霊的に敏感なうえに、常に恐怖心を持ち脅えている人、特に生き霊の祟りといった迷信を堅く信じ込んでいるような人の場合には、実際に何らかの異常が引き起こされることがあるのです。そうした人は、恐怖心や不安感といった精神的ストレスによって、自分自身の首を絞めることになります。絶えず生き霊の祟りに脅えるようになれば、やがて肉体も不健康になり、精神的にも異常をきたすことになるでしょう。

このような状態を最も喜んでいるのが、地上人の周りにいて働きかけのチャンスを窺っている“低級霊達”です。祟りを恐れ、不安に脅える地上人ほど、低級霊にとってイタズラしやすく、からかいがいのある存在はありません。そうした人々は、低級霊の“絶好の餌食”なのです。その結果、さまざまな災いが低級霊によってもたらされるようになります。

【図3】

生き霊の祟りではなく、低級霊のイタズラ

ここまで述べてきた霊的現象は、スピリチュアリズムにおいては常識的に認められており、しいて大袈裟に騒ぎ立てるようなものではありません。それらはいずれも「霊的法則」に基づいて引き起こされる現象であって、奇跡でも何でもないのです。しかし霊的真理に対する知識が全くない人々にとっては、まさに驚愕するような出来事と思われることでしょう。こうした霊的現象が間違って解釈され、それが時代とともに定着し、人々の精神の中に強く植え付けられるようになりました。

生き霊の祟りと言われるもののほとんどは、低級霊の働きかけによって起こされているに過ぎません。迷信から生まれた地上人の不安感や恐怖心が、低級霊の悪行を引き出しているのです。そうしたつまらない恐れや脅えがなければ、低級霊は悪さをすることはできません。生き霊の祟りを“迷信”として頭から否定し、相手にさえしなければ、何の問題も生じません。低級霊は、働きかけることができないからです。

“怨霊(おんりょう)信仰”が社会の隅々まで行きわたり、すべての人々が怨霊を恐れ脅えていた時代は、低級霊にとってまことに都合のいい時代でした。そこでは「生き霊の祟り」という迷信を利用した低級霊の暗躍・悪事は、日常茶飯事だったはずです。それによって人々は、ますます生き霊の祟りを恐れるようになり、さらなる迷信が生み出されることになりました。そして人々の心を、いっそう精神的牢獄に閉じ込めることになったのです。

繰り返しますが、単なる憎しみのテレパシー(怨念)が直接相手に危害を加えたり、病気を引き起こすようなことはありません。すべては低級霊の働きかけによってもたらされるものです。不幸やトラブルは“念”によって生じるのではなく、地上人の不安感や恐怖心に付け込む低級霊によって引き起こされるものなのです。ニューズレター22号「あの世から見た地上の先祖供養と招霊会の霊的背景」参照)

世の中には生体磁気の強い人、つまり肉体次元のオーラを多量に放散している人間がいます。ある種の霊能者や肉体行をしている修行者によく見られます。そうした人間が、加治祈祷や呪詛などの霊術によって悪意のこもった精神的エネルギー(サイキック・エネルギー)を相手に送ると、先に述べたようなテレパシー現象が起きることになります。そして相手の人間が霊的に敏感なうえに「生き霊の怨念の祟り」を信じているなら、低級霊がいっせいに働きかけることになります。テレパシーが相手の心に不安感を生じさせ、それをきっかけにして低級霊が働きかけを開始するようになるのです。この意味では、一般人の場合より、行者の呪いの威力は大きいと言えるでしょう。

しかし、それもすべて相手の感受性と、迷信を信じているかどうかにかかっています。霊的に鈍感な人、あるいは生き霊の祟りなど頭から否定するような人に、いくら想念を送っても無駄になってしまいます。

ニセ霊能者の言うことは無視する

このように生き霊の祟りなるものの実態がはっきりすると、それを取り除く解決方法もおのずと明らかになります。生き霊の祟りは単なる迷信に過ぎないのに、もし霊能者が「生き霊がいる」とか「生き霊の祟りだ」などと言うとしたら、頭から無視することです。無視して気にかけさえしなければ、馬鹿げた迷信に惑わされたり、不安や恐怖に駆られることはないはずです。

これまで生き霊の祟りについての対処法として、除霊や密教の霊術九字など)・護符(ごふ)張りなどが行われてきました。しかし、そうした呪文や秘術・霊術には何の効果もないどころか、低級霊をさらに付け上がらせることになるだけだったのです。密教の行者も祈祷師も、低級霊にとっていい遊び相手だったのです。それと同じような時代遅れのことを、現代のニセ霊能者が(こともあろうにスピリチュアリズムを口にする霊能者が)テレビで自慢げに行い、何も知らない人々を煙(けむ)に巻いています。

仮に霊能者が、たまたま相談者の隠し事や不倫の事実を言い当て、それが生き霊の祟りを招いていると言っても、そんな言葉に騙されてはなりません。低俗な隠し事を言い当てるくらいのことは、低級霊にとっては“朝飯前(あさめしまえ)”なのです。低級霊は自分の手足であるニセ霊能者を用いて人々をからかうために、わざとそうした情報を与えることもあるのです。霊的成長とは何の関係もない世俗的なことを低級霊から教えられ、それをさも素晴らしいことのように自慢する霊能者は、実は低級霊同様の低俗な存在であるということなのです。