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スピリチュアリズムから見た前世探しブームの問題点

本当に前世は分かるのか? 霊能者の言う前世は真実か?

今回のニューズレターでは、巷に横行している“前世探し”を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検証します。好奇心に駆られた前世探しは、人類の霊的成長のために展開されているスピリチュアリズムの発展にとって、決してプラスにはなりません。低俗な前世探しは、人々の心を無意味な好奇心レベルに引きとどめるだけであり、「百害あって一利なし」の行為なのです。

世間では、本人の直感(インスピレーション)や霊能者(チャネラー)のリーディングや霊界通信、あるいは退行催眠などによって前世が分かると信じられています。果たして、そうした方法によって前世の身元が本当に明らかにされるものなのでしょうか?――世間に流行している前世探しを検証し、それらの問題点を指摘し、さらに前世を論じる際のさまざまな問題を広く取り上げることにします。

内容は、次のようになっています。

1.好奇心に駆られた前世探しブームとニセ霊能者(チャネラー)の暗躍

現在の前世探しブーム

多くの日本人は仏教の影響で“輪廻転生”を違和感なく受け入れてきました。それが「前世を知りたい!」という願望を、人々の中に引き起こしてきました。最近では新たな“前世探しブーム”が巻き起こっています。さまざまな書籍やメディアには、占い師や霊能者による前世の指摘がひんぱんに取り上げられています。

また前世探しは、日本国内ばかりでなく、海外のニューエイジ――特にアメリカのニューエイジにおいて大きなブームとなりました。ニューエイジのリーディングやチャネリング、あるいは退行催眠や前世療法によって、これまで再生や前世などとはあまり縁のなかった欧米社会にも、その存在が知られるようになってきました。

自分の前世や守護霊を知りたい

心霊世界や新新宗教・ニューエイジと係わりを持つ人々にとっての大きな関心事は、「自分の前世は誰であったのか」「自分の守護霊は誰であるのか」ということです。皆さんもこれまで、自分の前世や守護霊を知りたいと思ったことはなかったでしょうか。もしかしたらすでに霊能者に、それについて教えてもらったという方もいらっしゃるかも知れません。

前世も守護霊も知る必要はない

ここでいきなり重大な結論を述べると、スピリチュアリズムでは「自分の前世も守護霊も知る必要はない」ということ、さらに「世間一般の霊能者を通じて示される前世や守護霊は、そのほとんどすべてが真実ではない」ということです。

スピリチュアリズムでは――「前世の過ちを償うために今生の人生があり、その今生の地上人生は、前世における霊的成長の到達点から出発している」と教えています。こうした霊的事実が分かれば、前世の自分がどの程度の人間であったのかを容易に知ることができます。今の自分を見れば、前世の霊的レベルは、はっきりと推測できるのです。

前世に関心を持つ多くの人々は、前世の自分がどのような身分であったのかを知りたがります。有名人であったのか、どのような職業に就いていたのかといった“霊性”とは無関係なことだけに関心を向けるのです。しかし、そうした世俗的な事柄に関心を持つこと自体が、その人の霊性の低さを証明しています。もし、ある人が世俗レベルのことだけに関心を持っているとするなら、本人の前世の霊性はその程度であったということなのです。

前世と同様のことが、守護霊の身元についても当てはまります。地上人と守護霊の間には、霊的レベルの相応性があります。すなわち霊性の高い地上人には優れた霊が守護霊となり、霊性の低い地上人にはそれに見合った低い霊がなるということです。守護霊の身元を知りたいと固執することは、決して霊性の高い人間のすることではありません。そうした低俗な地上人に付く守護霊は、それに等しい霊性のレベルということなのです。

安易に前世や守護霊を指摘する霊能者・チャネラーはニセ物

安易に、前世が誰であったのか、守護霊が誰であるのかを指摘するような霊能者・チャネラーは、いっさい信じてはなりません。本物ではないからです。彼らの言うことのいい加減さは、複数の霊能者・チャネラーに、同時にお伺いを立ててみればすぐに分かります。それぞれの霊能者・チャネラーの指摘する前世が、まるで違っているのです。もし皆さんが冷静で客観的な観察眼を持っているなら、彼らが、いかに口から出まかせのデタラメを言っているかに気づくはずです。

しかし大半の人々は、たとえ“嘘”であっても霊能者という特別な人間から、自分の前世が立派であったと言ってもらいたいのです。そうした霊的無知と低俗な願望が、馬鹿げた前世探しブームをつくり出しています。

2.本人の直感(?)による前世の思い出しの嘘

“デジャブ”は前世の記憶か?

最近、デジャブという言葉をよく耳にするようになりました。ある場所を旅行すると、初めて来たにもかかわらず、以前にもそこを見たことがあるような強い感覚を持つことがあります。これを“デジャブ(既視感(きしかん))”と言います。前世を信じる多くの人々は、デジャブを前世と深い関係があると考えます。前世においてある場所を訪れ、その記憶がデジャブとして蘇(よみがえ)ってくると言うのです。

しかしデジャブなる感覚は、そのほとんどが錯覚であったり、単純な思い込みに過ぎません。もし本当に初めて来た場所であるにもかかわらず、細部にわたるまで内面の記憶と現実が一致しているとするなら、それは睡眠下での「幽体離脱中に見てきた記憶」ということになります。いずれにしてもデジャブは前世の記憶とは関係ありません。強い妄想癖や空想癖のある人、あるいは前世を知ることに異常な執着を持つ人に生じるある種の錯覚なのです。

繰り返し見る夢と、一目惚(ぼ)れ

何度も、同じ場所や同じ人物の夢を見ることがあります。すると前世を信じる人々は、これも前世の記憶の蘇りであり、前世において深いつながり・因縁があった場所や人物だと思うのです。それと似たようなことが、一目惚れについてもよく言われます。ある男性が、初めて出会った女性に強く心を惹かれ、この人こそ自分の結婚相手だと直感します。自分と相手の女性は、前世で夫婦であったために、今生においても強く惹かれ合って再会したのだと考えるのです。

夢の中で繰り返し見る場所や人物の大半は、単なる「潜在意識の中の記憶の再現」であったり、「幽体離脱中の記憶」であることがほとんどです。もちろんそれらは前世とは何の関係もありません。霊的親和性がある人とは、幽体離脱中にたびたび会っています。とは言っても、その相手が必ずしも顔見知りとはかぎりません。もし皆さんの霊性が一定のレベルにまで進化していれば、こうした睡眠中の体験や人との出会いについて、覚醒後に正確に思い出すことができるようになります。何度も夢に出てくる場所や人物が、自分とどのような関係にあるのかを正しく知ることができるようになります。

また“一目惚れ”の件ですが、それが本当に前世での恋人関係・夫婦関係によるものならば、とてもロマンティックな話ですが、残念ながら現実には、そうしたことはめったにありません。一目惚れのほとんどが、前世とは無関係な単なる肉体レベルでの好み・親和性に過ぎません。前世に憧れる思いが、事実でないものを勝手に事実であるかのように決めつけているのです。

こうした問題については、ニューズレター6号「退行催眠と前世療法の問題点」の“ソウルメイト”の箇所で詳しく説明しています。関心のある方は、それを参考にしてください。

強い前世の直感

世の中には、自分の前世を正確に知っていると自信を持っている人がいます。そのような人の多くが、さまざまな直感体験を通じて自分の前世をいつの間にか自覚できるようになったと言います。またある人は、前世の記憶がインスピレーションとして呼び起こされ、自分の前世が分かるようになったと言います。こうしたケースは、前世に強い憧れを抱いている人、妄想癖を持った人、思い込みの強い人にしばしば見られます。

結論を言えば、自分が直感したという前世のほとんどは、実際には単なる本人の願望であったり、本人の自覚がないところで潜在意識がつくり出したニセの人格であったり、あるいは地上人をからかう目的で低級霊が与えたニセの情報なのです。

その中で、スピリチュアリストにもあまり知られていないケースが、潜在意識がつくり出す“ニセの人格”です。次に、これについて見ることにします。

潜在意識と低級霊の働きかけによるニセの人格形成

自分の前世が立派であってほしいと願うのは、いかにも人間らしい感情かも知れません。しかし霊的真理に照らしてみると、それは決してほめられた願望とは言えません。そうした願望を持つ人々の多くが、霊的真理を知らず、霊的成長のために何をすべきか自覚していません。

前世に対する間違った期待が大きくなると、本人の潜在意識が、記憶の層にある言葉を用いてフィクションをつくり出すようになります。そこに、さらに低級霊の働きかけが加わるようなこともあります。低級霊は潜在意識内の記憶の層から引き出した知識を素材として“ニセの人格”をつくり出し、本人に強く吹き込みます。すると本人は、それが自分の前世であると思い込むようになっていきます。

こうしたニセの人格の中で最も多いケースが、歴史上の人物です。悲劇の王妃であったり、名の知られた武士の妻であったり、戦で非業の死を遂げた武将であったりします。この段階ではすでに軽い憑依現象が進行しているため、本人は疑いを持つことさえなくなり、いっそう低級霊に翻弄されるようになっていきます。

自分自身で前世を思い出すことはできるのか?

前世に強い憧れを抱く人は、何とか自分の前世を思い出したいと考えますが、スピリチュアリズムの観点から見たとき、それは本当にできることなのでしょうか。霊性の高い人なら、努力によって自分の前世を知ることは可能なのでしょうか。

こうした疑問に対して、シルバーバーチは明確な答えを示しています。

(質問)「人間は自分の前世を思い出して、それと断定できるものでしょうか。」

(答え)「もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることができれば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、きわめて疑問です。(中略)あなたの現在の進化の段階においては、はたして今この地上においてそれが可能かとなると、きわめて疑問に思えます。つまり理屈ではできると言えても、あなたが今までに到達された進化の段階においては、それは不可能だと思います。」

『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.182〜183

進化の進んだ惑星では、前世を思い出すことができる

シルバーバーチは、地上人が前世を思い出すことは理論的には可能であるが、現実には不可能であると言っています。現在の惑星地球はきわめて未熟な進化のレベルにあり、そこに生きる人間が自分の前世を知ることは無理だということなのです。

一方、宇宙には私達の地球とは比較にならないほど霊的に進化している惑星もあります。そしてそこの住人には、前世を思い出すことが可能となっています。アラン・カルデックの『霊の書』(当サークル発行『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』)には、次のような内容が示されています。

(質問)「地球より発達した天体上では、前世をもっと正確に思い出せるのでしょうか。」

(答え)「その通りです。まとう身体の物質性が薄らぐにつれて、宿る霊の回想力が鮮明になります。波動の高い天体で生活している者にとっては、過去の記憶は地球の人類より遥かに鮮明です。」

『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.178

惑星地球よりも、進化の歴史が長い惑星にあっては、大半の人々が自分の前世を知っているということです。そしてそれと同じようなことが、何千年、何万年後の地球においても実現可能となるのです。もちろんそのときには、“再生”についての正しい認識が定着していることでしょう。

人類全体の霊性は今とは比較にならないほどレベルアップしており、現在の地球上で見られるような戦争などは、とっくになくなっているはずです。また肉食といった野蛮な習慣もなくなっているはずです。

3.霊能者による前世の指摘の嘘

自分自身で前世を思い出すことはできないとしても、何とか前世を知りたいと考える人は、霊能者のところに足を運ぶようになるかも知れません。現在では、前世を教えてくれる霊能者が巷にあふれ返っています。スピリチュアリストである皆さん方の中にも、これまで霊能者によって自分の前世を指摘してもらい、それをまともに信じている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

結論を言えば、霊能者が指摘する前世のほとんどが嘘・ニセ物なのです。霊能者の口を通じて語られる前世情報は信用できません。それは以下の4つの理由によります。

(1)霊能者が意図的につくり上げた嘘(ペテン師的霊能者の嘘)

霊能者の言う前世の多くは、意図的につくり上げられたニセ物です。依頼者の低俗な好奇心に合わせたインチキなのです。霊能者にとってみれば、適当に相手を喜ばせるだけで簡単にお金が入ってくるのですから、こんな“ウマイ話”はありません。口からどんな出まかせを言っても、相手はそれを鵜呑みにして疑いもせず、お金を落としてくれます。おまけに新たな客まで紹介してくれるのです。

ニセの前世情報で一番多いのが、このケースです。

(2)霊能者の無知から出た思い込み

霊能者の中には、自分の単なる思いつきや想像を、すべてインスピレーションと決めつけるような傲慢で思い上がった人間がいます。霊性・人格ともに優れた霊能者を通じて、稀に善霊が前世を啓示することがあります。それが本物のインスピレーションなのですが、自分から「前世を知りたい」と願うような地上人の低俗な要求に、善霊がまともに応えるはずがありません。それなのに相手の要求に合わせて都合のいいことを言うニセ霊能者が結構いるのです。

リーディングの大半がこの手の霊能者によるもので、本物のインスピレーションとは無縁です。そこで言われる前世なるものは、霊能者の無知から出た勝手な思い込みに過ぎません。

(3)低級霊のカラカイ

霊能者が低級霊に騙されないようにするためには、霊的真理に基づく武装が必要ですが、そうした防備が一切ないところでは、霊能者は、低級霊にとって格好の“カラカイ”の対象となります。低級霊は、ありもしない前世のヒントを霊能者に送ったり、映像を見せたりします。そして地上の霊能者が自分勝手な解釈をして人々を驚かせたり、また人々が騒ぎ立てる様子を見て楽しんでいるのです。

(4)低級霊のつくり出したニセ前世像(低級霊からの霊界通信)

霊媒的能力を持っている霊能者の場合には、低級霊はさらに強烈に、しかもストレートにニセの情報を送ることができるようになります。ニセ情報は、前世を知りたがっている地上人に、すべて真実として受け入れられます。また低級霊は、霊媒の潜在意識の中にある知識を用いて、地上人が喜びそうなストーリーを上手につくり上げます。実に詳細で手の込んだフィクション・ストーリーをつくり出すのです。

こうした作り話に、大半の地上人は簡単に騙されてしまいます。「霊の言うことは疑ってかからなければならない」という最低の常識さえ持っていない人々は、低級霊に好き勝手に翻弄(ほんろう)されることになってしまいます。

ニューエイジのチャネリングでは、この種のニセ前世ストーリーが大流行しました。シャーリー・マクレーンが、ニセのチャネラーにまんまと騙され、それが映画化までされたことはたいへんな皮肉と言えます。

霊能者が、リーディングやインスピレーション・霊界通信を通じて指摘する前世情報のほとんどがニセ物です。「前世を知りたい!」という地上人の低俗な欲求が、ニセ霊能者をはびこらせることになっているのです。

エドガー・ケイシーの“アーカシックレコード・リーディング”による前世指摘は本当か?

ニューエイジのチャネリング、ケイシーやシュタイナーなどの神秘学では、よくアーカシックレコードという言葉が用いられます。実際、霊界には、宇宙・地球に関するありとあらゆる情報が収められた巨大な貯蔵庫・記憶層――“アーカシックレコード”が存在します。そして霊界にいる霊達は、そこから必要に応じて情報を入手しています。

アメリカのエドガー・ケイシーは、入神中にこのアーカシックレコードにアクセスして、前世を含むさまざまな情報を入手したとして知られています。大勢のアメリカ人が、このアーカシックレコードのリーディングによって前世を指摘されました。

霊界にアーカシックレコードが存在する以上、ケイシーがその特殊な能力によって、これにアクセスすることは理論的には可能です。現に多くのケイシー信奉者は、彼には特別な能力があったために、アーカシックレコードのリーディングが可能になったと主張します。

ケイシーの問題点については、すでにニューズレター(11号:「スピリチュアリズムから見たエドガー・ケイシー」)で詳しく取り上げました。ここでは結論のポイントだけを述べますが、それは「ケイシーのリーディングによる前世の指摘は、きわめて信憑性に乏しい」ということです。

ケイシー信奉者達は、ケイシーによるアーカシックレコードのリーディングは、彼の特殊な能力によるものであると言います。つまり、ケイシーは並外れた霊能力者であったと言うのです。確かに、そうした見解は部分的には的を得ているかも知れませんが、そのまま受け入れることはできません。スピリチュアリズムから見ればケイシーは、どこまでも一人の霊能者、ただの霊媒に過ぎません。

実は、こうしたケイシーに関する質問が、シルバーバーチに投げかけられています。その質問とシルバーバーチの答えが、『Lift Up Your Herts』(ハート出版『古代霊シルバーバーチ 新たなる啓示』『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』トニー・オーツセン編)に載っています。残念ながら日本語版ではその箇所は省略されていますが、翻訳すると次のようになります。

(質問)「有名なアメリカのヒーラー、エドガー・ケイシーは、単なる霊媒と言っていいのでしょうか?ケイシーの信奉者のある者は、そうした見解を否定してきましたが……。」

(答え)「言うまでもなくケイシーは、一人の霊媒に過ぎません。どのような言葉を用いてケイシーを表現したいと思っているのか知りませんが、彼はチャネルであり、霊の道具に他なりません。彼は霊力の受取人でした。彼が成し遂げた功績は、彼の肉体能力によってなされたものではありません。彼は、はるか遠くにいる病人のもとに足を運んで病気の診断をしたのではありません。透視能力を用いて病人を診断したのです。これは彼が、紛れもなく霊媒であったことを示しています。

地上世界の人間は、時にお決まりの言葉を嫌います。“霊媒”と呼ばれると価値をけなされたように感じ、“霊的に鋭敏な人間”と言われる方がずっと価値があるように思うようです。しかし重要なことは、どのような言葉で呼ばれるかより、事実は何かということなのです。」

『Lift Up Your Herts』

シルバーバーチはこのように述べて、ケイシーに対する誇大視・特別視を一蹴しています。ケイシーは一人の霊媒でした。霊媒の中では確かにその能力は優れていた点があったかも知れないけれど、霊界の高級霊から見れば単なるありふれた一人の霊媒に過ぎませんでした。世の多くの霊媒が、その未熟さから間違いを犯したり勘違いをしたり、また低級霊の干渉を受けたりしたのと同様に、ケイシーも多くの問題点を持っていました。

彼が“アーカシックレコード・リーディング”によって指摘したとされる前世も、霊界から見れば、ほとんど価値のないようなもの、地上人の低俗な好奇心に応じただけのものが大半でした。

4.退行催眠による前世の指摘の嘘

ニューエイジや精神世界・新新宗教の登場で、輪廻転生を信じる人々の数が増えてきました。それと同時に、自分の前世への関心も高まっています。その一方で、もっと別の科学的な方法で、自分の前世を知りたいと考える人がいます。そうした人々の願いに適うものとして注目を集めるようになったのが“退行催眠”です。

催眠術は現在の心理学で、すでに市民権を確立しています。学問の一分野として認められています。その催眠術を用いて前世を探求するとなれば、いかにも科学的な方法のように映ります。また何よりも、退行催眠によって前世探求に乗り出しているのが心理学者や科学者であるという点が、いっそう信憑性を高めることになっています。最近では、心理学者や医療関係者などによる書物も数多く出版され、そこでは催眠術を用いて明らかにされたという前世が公表されています。また現在では、退行催眠を用いて前世のトラウマを解消するための“前世療法”が一種の流行となっています。)

ニューエイジャーや霊的世界に関心のある人々は、この科学性のある退行催眠によって、正確な前世情報がもたらされると堅く信じています。しかし、一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは、錯覚や間違ったイメージでしかありません。退行催眠による前世の指摘が真実でないことは、すでにニューズレター(5号「退行催眠と前世療法の問題点-1」6号「退行催眠と前世療法の問題点-2」)で詳しく述べました。ここでは、もう一度そのポイントを復習することにします。退行催眠による前世情報が事実でないのは、次の5つの理由によります。

(1)催眠術自体が、客観的な情報をもたらさない

催眠術は、「前世を知るには信頼できる方法ではない」ということです。催眠術は真実を引き出すには、あまりにも問題の多い手段であることは、心理学に携わる専門家にとって常識となっています。施術者の誘導によって、被術者の答えが簡単に左右されてしまうからです。

例えば、ある一人の人間に催眠術をかけます。そして深いトランス状態(催眠状態)に導いてから「あなたは“蝶(ちょう)”になりました。美しいお花畑を飛び回りましょう」と誘導します。するとその人間は、まるで実際に蝶になったかのように、自分の両手を羽根にしてヒラヒラと飛び回る仕草をするのです。当の本人は自分自身が蝶になったかのような意識状態になっていて、決してニセの演技をしているわけではありません。催眠術を利用すると、このように人間を別の存在(動物や昆虫)にさせてしまうこともできるのです。

こうしたことから催眠下では、ある人間を架空の前世の人格に仕立てるのは容易であることが分かります。催眠誘導の方法いかんで、どのような前世の人格もつくり出すことができるのです。

前世の問題と並んでひんぱんに取り上げられるのが、宇宙人に誘拐されてUFOの中に連れ込まれたという話アブダクション)です。この体験談も、そのほとんどが催眠術によって思い出されたものと言われます。本人は嘘をついているつもりはないのですが、催眠下でUFOに連れ去られた架空の体験を、実にリアリティーを持って説明するのです。

(2)催眠下では、潜在意識が催眠誘導にそってフィクションをつくり出す

催眠下では、本人の“潜在意識”がさまざまな知識を動員して、施術者の暗示誘導にそった答えをつくり出そうとします。例えば――「あなたは今、300年前に溯(さかのぼ)りました。今、何をしていますか?」と質問されると、催眠術をかけられた人間の潜在意識は、その質問に合った答えを何とかつくり出そうとし始めます。そして潜在意識の中にあった知識自分の体験・本やテレビなどから入手した知識・自分で学んだ知識など)を組合わせて、一つのフィクション・ストーリーをつくり出します。これを、さも事実のように語り始めるのです。

その話を聞く施術者や周りの人々は、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚するようになります。

(3)催眠下では、テレパシー能力が高まり、外部の情報が入手しやすくなる

催眠下では、霊的感受性が高まるのが普通です。そうした状態では、覚醒中には知ることができなかった他人の心の内を読み取ったり、外部の霊や人間から発せられる思念を“テレパシー”としてキャッチすることができるようになります。また施術者が心の中で勝手に想像しているような前世像を、逆に言い当てるようなこともあり、施術者は見事に騙されることになります。

このように催眠下では、テレパシー能力が高まることによって、通常では知り得るはずのない情報が入手できるようになり、それが前世の記憶と間違えられることになるのです。

(4)催眠下では、低級霊の働きかけが活発になる

催眠下では、理性的判断力や意志の力が抑制されるようになるため、低級霊が働きかけやすくなります。地上人をからかうチャンスを常に付け狙っている低級霊にとっては、低俗な催眠術はもってこいの働き場を提供してくれることになります。

ニセの情報を流せば、それがそのまま前世の情報として勝手に解釈されるようになります。催眠術にかけられている本人の常日頃の願望を読み取り、それに合わせた前世ストーリーをつくって語ることもあります。被術者の潜在意識を容易にコントロールできるようになるため、まさに“低級霊の思う壷”なのです。

(5)催眠下では、幽体離脱が生じる

催眠下では容易に“幽体離脱”が生じるようになります。その際、本人の霊体がそれまで一度も行ったことがない場所を訪れ、そこでの情報を仕入れてくることがあります。その体験が、前世の記憶の蘇りとして間違って受け取られることになります。また幽体離脱中に霊界で仕入れた情報の一部が語られることもあり、それが前世に関係する情報と勘違いされるようになります。

以上で、退行催眠による前世探しが、どうして真実でないかの理由が明らかになりました。退行催眠の信憑性の欠如は、すべて催眠術それ自体が抱える問題点に起因します。“退行催眠”は、そうした問題点を曖昧(あいまい)なままにして、勝手に真実が明らかにされるとしているのです。施術者が意識的にか、あるいは無知からなのか、あまりにも催眠を楽天的に信じ込み過ぎています。

シルバーバーチは――「退行催眠による前世の指摘は信頼できない」と明確な見解を示しています。

(質問)「前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか?」

(答え)「そうした体験には、単に現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。(中略)それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊のしわざである場合もあります。」

『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.128〜129

(答え)「いわゆる(催眠術の)遡及(そきゅう)によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。(中略)潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外離脱(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられることもあります。」

『シルバーバーチの霊訓(10)』(潮文社)  p.130

生まれ変わりに関する研究の第一人者は、イアン・スティーヴンソンです。彼は、退行催眠を用いた前世探しに鋭い批判の矢を向けています。厳格なフィールドワークを土台とする彼の前世研究は、現代のニューエイジの軽率で安易な前世探しブームに、よい牽制となっています。

彼は、前世の記憶を持っていると思われる子供達の身体上に現れる特徴を、前世との結び付きを示す重要な手がかりと考えています。しかしスピリチュアリズムの観点からすれば、そうした身体的特徴は、必ずしも前世を証明するものとは言えません。なぜなら霊が憑依している状況では、地上人の身体に、憑依霊の記憶に残っている身体的特徴が現れることがあるからです。

例えば憑依霊の意識の中に、かつて地上時代に胸を刺されて殺された記憶が残っていると、地上人の肉体に同じような刺し傷の痕跡が現れることがあるのです。

同様のことが、幼少時の記憶にも言えます。憑依霊の記憶内容が、地上の子供を通じて語られることはよくあるのです。

5.霊媒現象と再生現象の混同――“異言”は果たして前世の言葉なのか?

憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同

憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます。また憑依霊が、取り憑いている地上人が一度も行ったことがない場所の様子を正確に述べたり、知るはずのない過去の建物の所在地をピタリと的中させるようなこともあります。この場合も、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚されます。言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません。

憑依現象について必ず知っておかなければならないことは、「霊が地上人のオーラの中に入って憑依状態を引き起こすと、霊自身に、自分が地上人に取り憑いているという自覚が全くなくなってしまう」ということです。それと同時に、霊に憑かれた地上人の方も、自分の意識と霊の意識が混同して区別がつかなくなってしまうということです。つまり憑依した霊の側と、取り憑かれた地上人の側それぞれが、自他の区別がつかなくなってしまうのです。

憑依霊は、自分が地上人の肉体に取り憑いておきながら、しばしばそれを自分自身の肉体のように思い込んでいます。憑依霊と地上人の当事者同士がこうであるなら、それを外から見ている人間には、特に前世の情報は簡単に得られるとの先入観を持った人間には、両者の区別はきわめて難しくなります。結果的に、憑依霊の記憶を前世の記憶と勘違いしてしまうことになります。

“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象

異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます。

スピリチュアリズムの中で最も多く見られる霊媒現象(霊界通信)の形式は、シルバーバーチに代表される「間接談話」であったり、モーゼスの霊訓の「間接自動書記」です。シルバーバーチの初期には、エクトプラズムでつくったメガホンでしゃべる「直接談話」の方式も用いられましたが、やがて間接談話の形式をとることによって霊界通信のレベルが向上しました。こうした霊媒現象では、霊界の通信霊が地上の霊媒に向けて「思念の言葉(霊界の普遍的言語)」で語りかけます。霊の思考内容が、地上の言語という形式を用いずに“インスピレーション”として地上の霊媒に伝わります。それを霊媒の潜在意識が、地上の言語に変換・翻訳することになります。

このメカニズムをもう少し詳しく述べると、次のようになります。通信霊が、地上の霊媒と自らのオーラを融合化させることによって、霊媒の“潜在意識”を支配下に置くことになります。そうした状況下で霊は、霊媒の潜在意識の中に存在する単語や文体を用いて自分の思想の言語化を図ります。それと同時に潜在意識につながる発声機能や書記機能を用いて、言語化した思想を発声表現したり、筆記表現することになります。多くの霊媒現象では、こうしたプロセスを踏んで地上人に、霊界からの思想・教訓が届けられることになるのです。

したがって霊媒の口から出る言葉や霊媒によって書かれた文章は、霊媒が日常生活で用いている言語になります。英国人の霊が日本人の霊媒を通じて通信を送る場合は、当然、日本語になります。また大昔の日本人が現在の日本人霊媒を通じて通信を送ってくる場合も、通信は現代日本語として届けられることになります。

高級霊が通信を送る場合、できるだけ負担のかからない方法を選択します。間接談話や間接自動書記の方法は、そうした目的に適っています。直接談話や直接自動書記霊が直接筆記する)では、霊に表現のためのたいへんなエネルギーが要求されることになり、長時間の通信、込み入った内容の通信は難しくなります。

高級霊が地上人にできるだけ正確に純粋なままの通信を伝えようとするとき、結局は「間接談話」や「間接自動書記」といった方法を選択することになります。間接談話のような入神中の霊媒を支配する方法ではなく、覚醒している霊媒にインスピレーションを送るという直接的な通信方式が、霊にとっては一番負担が少ないのです。しかしこの方法では、受信能力と翻訳能力が常に大きな問題となります。実際には通信が正確に受信されなかったり、受信されても霊媒の翻訳がいい加減で内容がデタラメになるといったことが多いのです。)

さて、先程の“異言”に話を戻します。異言も霊媒現象の一つである以上、当然、霊媒の潜在意識を利用します。しかしこの場合は、一般の霊媒現象のような潜在意識による言語化というプロセスは省略されます。霊媒の潜在意識につながる発声機能の領域だけが支配されることになります。霊界にいる霊達の記憶の中から、あるいは霊界の記憶の層の中から、かつての地上時代の使用言語が取り出され、それが直接、霊媒の発声機能に乗せられるのです。こうして霊媒の使用言語とは別の言語が音声化されることになります。これが異言のメカニズムです。

潜在意識は普通、言語機能・発声機能と連携して作動するようになっています。異言では、これらの連携を切り離して発声機能だけを利用しようとするのですから、霊の側には不自然な負担がかかることになります。霊は、自分や霊達の記憶の中から取り出した言語や、霊界の記憶の層から取り出した何らかの地上の言語を、ただ音声化することにのみ、すべてのエネルギーを費やすことになります。

“思想内容を伝達することより音声化”というこうしたショー的な意味のない通信――本来の目的を失った通信的行為を、高級霊がわざわざするようなことはありません。高級霊にとっては、内容(思想・教訓・真理)を伝えることが通信の一番の目的です。その目的にそわないうえに、ただエネルギーを浪費するだけの行為に加わるはずがないのです。

そうした行為は、地上人に対する霊界の“デモンストレーション”として、下級の霊に任されることになります。漢字を全く知らない霊媒を通じて漢字を書いたり、外国語を全く知らない霊媒を通じて外国語を書くようなことも、霊の力をもってすれば可能ですが、それは低次元のデモンストレーションとしての意味しかないのです。

したがって“異言”は、同じ霊媒現象といっても、さほど重要度の高い霊媒現象ではありません。それを演出する霊も、実際には大して霊的レベルの優れた霊ではないのです。こうした現象は高級霊の監視の下で、物質的影響力を行使しやすい下級霊・低級霊によって演出されることになります。)

“異言”を過去世の言葉と錯覚したGLA高橋信次

この異言を前世(過去世)の言葉と錯覚したのがGLAの高橋信次でした。彼は異言を、過去世の存在が当時の言葉を語ったものと思い込んでしまったのです。ニューズレター3号「スピリチュアリズムから見た新新宗教(幸福の科学・統一教会・GLAを中心として」)でも取り上げましたが、彼は稀に見る卓越した霊能力の持ち主であったばかりでなく、人格的にも優れていました。その彼が、決定的とも言えるような重大な判断ミスを犯してしまったのです。GLAは、こうした高橋信次の錯覚から出発することになってしまいました。やがてその本質的な間違いは、GLAの組織拡大にともない大きな矛盾となって表面化し、彼の死後、自らの築いてきたGLA自身を内部崩壊させることになりました。

異言という現象は、一人の霊媒体質者において生じると同時に、たびたび複数の人間によって集団的に生じます。グループ的に生じる霊媒現象なのです。GLAもその例にもれず、信次の弟子の中から多くの異言霊媒者を生み出すことになりました。GLAには、釈迦の十大弟子、キリストの十二使徒をはじめとする世界中の歴史的聖人を過去世に持つとされる人間が集まることになりました。そしてGLAは、人類に最終的なユートピアを建設するために出現した共同体と考えられるようになっていきました。

信次に、もしスピリチュアリズムとの出会いがあったなら、もう少し異言に対する霊的知識があったなら、こんな大失態は演じなかったであろうと思うと、とても残念です。自らを釈迦以来2500年、イエス以来2000年ぶりに出現した光の大指導霊として位置付けし、晩年には真のメシヤたるエル・ランティーとの間違った認識をすることもなかったはずです。

そもそも霊界では、純粋ではあっても未熟な地上人の期待に対して、歴史上の人物(霊)と同一の使命や役割を持った霊達が、その名前を用いることが許されています。この世の会社でも、支社が本社の名前を名乗ることが許されていますが、それと同じようなことが、霊のヒエラルキー(階層世界)にも当てはまるのです。地上人からすれば、霊が身元を偽った、嘘をついたということになりますが、正しい使命を遂行している霊達には、真摯な地上人に対して、そうした共通の名称を名乗ることが公式に認められているのです。

低級霊はたびたび地上人をからかう目的で高級霊の振りをしたり、歴史上の人物の名を騙(かた)って出てくることがあります。こうしたケースとは全く事情が異なり、善なる霊達には、自らが所属するプロジェクトチームの責任者の名を語ることが許されているのです。したがって地上世界に、同時に何十何百人もの釈迦やミカエルが出現することになります。

高橋信次がこのような霊界の実情を知っていたなら、GLAが最終的な使命を持ったグループであるなどと思い上がることはなかったはずです。おそらく彼のような人間なら、自らを霊界の道具として位置付けしたはずです。晩年は完全に霊界からの導きのレールを逸脱し、哀れな存在に堕ちてしまいました。

高橋信次の間違いを批判しつつ、さらにGLAの間違い路線を加速させた幸福の科学

GLA高橋信次の釈迦前世を否定し、自らこそが真の釈迦の転生者であり信次以上の者であるとして、新たな権威化を画策したのが幸福の科学の大川隆法でした。大川隆法の隠された意識であるゴータマ・シッダールタが、(異言の形で)古代インド語を用いて仏法流布の使命と、大川が釈迦グループの魂の中核であるエル・カンターレという霊的存在であることを告げたと言うのです。そして大川が釈迦の生まれ変わりであり、現世の仏陀であることが宣言されました。

大川は自らを、単に仏陀として再誕したばかりでなく、それ以上のエル・カンターレという霊的本体、法そのものの存在として地球の最高権威をともなって生まれたと宣言しました。大川の霊的本体エル・カンターレは、ほとんど宇宙神と同等の意味を持って語られています。その大川は、ギリシャ時代にはヘルメスとして生まれ、2600年前にはインドで釈迦として生まれ、今回、日本で大川隆法として現れている転生)としました。

大川が自らの霊的権威化を図ってつくり上げたデタラメ霊言路線についてはニューズレター(3号「スピリチュアリズムから見た新新宗教(幸福の科学・統一教会・GLAを中心として」)で取り上げましたが、大川は前世についても荒唐無稽(こうとうむけい)としか言いようのない転生潭・前世潭を展開します。大川は、高橋信次は仙人によって霊的現象を行っており、信次の前世は釈迦ではなく、ヤコブや役小角(えんのおづの)など5つの過去世を持っていると決めつけました。また信次の後継者高橋佳子はミカエルではなく、ミカエルは単に彼女の指導霊に過ぎないとしました。そして大川は、佳子の過去世は明智光秀の娘細川ガラシャであり、妻一栄の過去世は役小角の母、白専女(はくとうめ)であると一方的に述べています。

スピリチュアリズムからすれば、大川の前世の指摘は、ほとんど冗談か、幼稚園児の自己主張ごっこと大差ありませんが、こうした幼稚な行為も、もとはと言えば高橋信次に端を発しているのです。異言を前世の言葉と錯覚したところから出発した前世論議は、大川に至ってさらに増幅されることになってしまいました。信次の異言に対する判断ミスが、死後このような形で拡大することになってしまったのです。

6.前世を知る必要はない。前世より今をいかに生きるかが大切

自分の前世を知りたいと願う人々の心の底には、シルバーバーチが言うように、自分の前世が今よりもっと素晴らしかったことを確信したいという思いがあるのかも知れません。自分の前世が、有名人であったり歴史的な人物であったり、身分の高い人物や名の通った宗教者・修行者であってほしいということなのでしょうか。

しかしスピリチュアリズムでは、「前世を知る必要はない」と教えています。前世を知ることは、特別な人間以外には何の意味もないことなのです。再生の目的を理解すると、それが明瞭になります。

再生の2つの目的

前世を知りたいと願う人々に共通する傾向は、再生についての肝心な知識がないということです。再生は一体何のためにあるのでしょうか?

結論を言えば、再生には2つの目的があります。一つは「前世の地上生活で十分果たせなかった霊的成長の不足分を埋め合わせること」です。もう一つは「前世でつくり上げた霊的成長を阻害する悪因縁(悪いカルマ)を償い清算すること」です。

再生人生の出発は、前世の到達点から

再生については、次のような点も確認しておくことが大切です――「再生人生は、前回の地上人生(前世)で到達した霊的レベルから出発するようになる」ということです。もしあなたが、今生の人生を始めてから何一つ霊的成長をなしていないとするなら、前世の霊的レベルと今の霊的レベルは同じということになります。

概して言えることは、大半の人々は自覚はなくても、苦しみを通じて少しずつカルマを清算しながら細々と霊的成長をしているということです。もっともそうした歩みの一方で、また新たな罪をつくり出しながら地上人生を送っているのも事実なのですが……

前世より、今を正しく生きることが大切

こうしたことが分かっても、皆さんはなお自分の前世を知りたいと思うでしょうか。かつての自分の霊性が、今とは懸け離れて高かったというようなことはありません。前世に憧れることは、全く馬鹿げています。再生の事情をしっかり理解すれば、もはや自分の前世が何であったのかを探索する必要はなくなります。前世を知ろうとすることより、今この地上人生でいかに霊的成長をなし、前世のカルマを清算するかということに意識が向くようになるはずです。

前世など知る必要はありません。自分の前世など知らなくても、地上人生を最高に価値あるものにできるのです。前世にこだわる人間に限って“霊的成長”への関心が乏しく、利他愛の実践を心がけようとはしません。私達は、低俗な好奇心に駆られて、かけがえのない地上人生を無駄に過ごしてはなりません。高い理想を目指した生き方、利他愛の実践を第一とするような生活に、自分の意識とエネルギーを向けなければならないのです。

高級霊は決して安易に前世を教えない

前世の歩みの結果として今の自分があるということを知れば、前世の自分がどの程度の人間であったのか、容易に想像がつくはずです。今、何の意味もない前世探しに奔走するような人は、前世もその程度の人間であったということになります。

スピリチュアリズムでは、前世を知ることを重要視してはいません。前世を知ることが大切であると述べている高級霊は、一人もいません。地上人がどれほど前世についての質問をしても、決して教えようとしないのが普通です。高級霊の目には、私達の前世など一目瞭然です。また守護霊も、私達の前世について知り尽くしています。しかし、それでも安易に前世を教えるようなことはありません。もし前世について簡単に教えてくれるような霊がいるなら、それは“低級霊”と判断して間違いありません。

地上人の霊的成長にとって前世を知ることが不可欠であるなら、霊的成長を最も願ってくれている高級霊や守護霊が、それを教えないはずがありません。聞いても教えてくれないということは、霊的成長とは無関係であるか、霊的成長にマイナスになるからなのです。霊的に未熟な今の地球人には、前世など知らせない方がよいということなのでしょう。

アラン・カルデックの『霊の書』の中に、次のような興味深い内容が示されています。

(質問)「再生した霊はなぜ過去の記憶が消えるのでしょうか?」

(答え)「神がその無限の叡知によって人間に全てを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。」

『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.175

高級霊による本物の前世の指摘

もし皆さんの霊的成長にとって、前世を知ることがどうしても必要となるような状況が生じるなら(*その判断はどこまでも「霊界サイドから見て」ということですが)、そのときには次のようなプロセスを通じて、真実の前世が示されることになるでしょう。

以下は、アラン・カルデックの『霊媒の書』(当サークル発行『スピリチュアリズムの真髄 「現象編」』)からの抜粋です。

「大霊は、時として、ある特殊な目的のために、いくつかの前世を啓示することを許すことがあります。あくまでも、それを知らせることが当人の教化と啓発に役立つと判断された時にかぎられます。そうした場合は必ず何の前ぶれもなく自然発生的に見せられます。ただの好奇心から求めても絶対に許されません。(中略)

過去世の啓示は、次の条件下においてのみ信用性があります。すなわち思いも寄らない時に突如として啓示された場合、まったく顔見知りでない複数の霊媒によって同じ内容のものが届けられた場合、そして、それ以前にどんな啓示があったか全く知られていない場合。これだけの条件が揃っていれば信じるに足るものと言えます。」

『霊媒の書―スピリチュアリズムの真髄「現象編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.268〜269

ここに挙げたようなプロセスによってのみ、本当の前世を知ることができるのです。しかし実際には、これほどの厳しい条件を満たすようなケースは、万が一にもないでしょう。1%どころか、0.01%にも満たないと思われます。

これを逆に言えば、世の中の前世の指摘は「ほぼ100%本物ではない」ということなのです。巷での前世の指摘や思い出しの99%以上は、単なる錯覚であったり、インチキであったり、低級霊のカラカイに過ぎません。真実とは程遠いものなのです。

7.死ねば自分の前世は明らかになる

死後における大きな意識の変化

低俗な好奇心に駆られて、意味のない前世探しに奔走することは馬鹿げています。死ねば誰にでも、大きな意識の変化が訪れます。まず、睡眠下での霊界訪問のあらゆる体験を思い出すようになります。また、自分の守護霊が誰であったのかも知ることができるようになります。そして霊界での生活に慣れ、かつての霊的意識を取り戻すにともない、これまでの前世に関するすべての記憶を思い出すようになるのです。

霊界での前世の記憶の蘇り

一定のレベルに至った霊は、前世のありとあらゆる出来事を細部にわたるまで思い出すことができるようになります。とは言っても“霊的成長”とは関係のない内容については、必要がないかぎり思い出すことはありません。それは記憶の層の隅にしまい込まれ、忘れ去られたような状態に置かれます。前世について優先的に思い出すのは、“霊的成長”に直接関係する内容です。霊は、自分の霊的成長に影響を及ぼすことになった地上人生の体験(*その多くは苦しみであったり、純粋な奉仕であったりします)については、完全に思い出すようになります。

さて、霊界にいる霊達を地上に呼び出すと、地上時代の自分や家族の名前さえも忘れていることがあります。それは地上時代の名前が、霊本人の霊的成長とは直接関係のないものだったからです。自分や家族の名前を覚えているのは、地上人にとっては至極当然のことです。もし、それを思い出せないとなれば非常な混乱状態に陥ることになります。

しかし霊界に入ると、地上時代とは全く意識が変わってしまいます。霊にとっては地上時代の名前や名声・評価などは取るに足りないものになってしまいます。そのため地上人が尋ねても、答えることができないのです。霊的世界に住むようになると、そこで思い出す内容は、これほど大きく変化するようになるのです。

「霊には、前世のありとあらゆる出来事の一部始終を、さらには心に抱いた思念までも、思い出す力が備わっています。ただ、必要のないものまで思い出すことはしません。」

『スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.152

8.今のあなたは、前世には存在しなかった――インディビジュアリティーとパーソナリティーの問題

スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた再生の事実

肉体を持ち、脳を介した意識によってしか自分自身を自覚できない地上人にとって、再生の事実を理解することはきわめて困難です。過去、多くの宗教によって“輪廻再生”が説かれてきましたが、スピリチュアリズムが地球上に現れるまでは、再生について正しく理解することはできませんでした。スピリチュアリズムの登場によって、地上人類は初めて再生の事実を知ることができるようになったのです。

地上人がこれまで再生を正しく理解できなかった最大の理由は――「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別がつかず、それらを混同していたためです。この重大な問題についての事実が、スピリチュアリズムによって――特にシルバーバーチによって初めて明らかにされることになりました。

インディビジュアリティーとパーソナリティーの問題については、これまで何度も述べてきましたので、ここではポイントだけを復習することにします。

「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」

再生の事実を理解するうえで最も重要な概念が、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」です。この区別ができないところでは、再生について正確に理解することはできません。

まずインディビジュアリティーですが、これは簡単に言えば――「霊的意識(霊の心の意識)の総体」のことです。つまり死後、肉体(脳)を失った後に、霊界において自覚される意識のことです。この霊的意識も霊界での成長にともない、さらに広がっていくことになります)肉体をまとった地上人は、脳を通過したほんのわずかな霊的意識しか自覚することができません。地上人においては、霊的意識(インディビジュアリティー)のほとんどは“潜在意識”として自覚できないようになっています。

一方、パーソナリティーとは――「地上の人物像」のことです。その一番中心となるのが「脳による意識(パーソナリティー意識)」です。このパーソナリティー意識は、脳から派生する肉体本能(肉体の心)と、脳を通過して自覚される一部分の霊的意識から成り立っています。地上人はこうした意識を、自分のすべてであると錯覚しています。地上人が“自分”と思っているのは、このパーソナリティー意識であって、インディビジュアリティーではありません。しかし本当は、インディビジュアリティーこそが“真のあなた”なのです。

パーソナリティーは、肉体の死とともに消滅することになります。そしてパーソナリティー意識は大きなインディビジュアリティー意識の中に吸収され、存在しなくなります。パーソナリティーは、インディビジュアリティーの一時的な物質的表現に過ぎません。物質的衣をまとったインディビジュアリティーの一部分ということなのです。「パーソナリティー意識(今、自分であると自覚している自意識)」は、前世にも存在しませんでしたし、次の再生時にも存在しません。今の自分(という意識)は、死とともに消滅します。

したがって、このパーソナリティー意識を中心にして考えるなら「再生はない」ということになります。今のあなたが、そのまま再生することはないのです。

今の自分は、前世にも再生時にも存在しない

こうした内容を実感をともなって理解することは、とても困難です。それは私達地上人が、パーソナリティー意識を中心としてしか自分を自覚できないようになっているからです。ほとんどの地上人は、インディビジュアリティー(本当の自分)を実感することはできません。それが再生を正しく理解するための最大の障害となっているのです。

パーソナリティーの観点から再生を眺めると、前世と現世(今生)、そして次の再生時には「3人の別人がいる」ということになります。もし仮に、今の自分が前世の自分と出会うとするなら、それが自分であるとは認識できないということです。パーソナリティーを基準にすれば――「再生はないし、前世もなかった」ということになります。そして地上人である私達は、そのパーソナリティーによってしか自分を自覚できないようになっているのです。

こう考えてみると“前世探し”ということ自体、全く意味をなさないことになります。高級霊が軽々しく前世を教えないのは、このような事実に配慮しているためであると思われます。

地上人が再生を自覚することは不可能

再生の問題を理解するためには、今述べたような複雑な内容を正しく認識していなければなりません。結局、霊界人と違って地上人には、再生の事実を実感をともなって理解するのは到底不可能なことなのです。

したがって私達は――「インディビジュアリティー(霊的意識の総体)としての再生はあるが、パーソナリティー(今の自我意識)としての再生はない」ということを知識として理解しておくしかありません。こうした再生に係わる複雑な背景は、シルバーバーチによって初めて明らかにされました。

多くの人々は、「自分の前世は〜で、次は〜に生まれ変わる」というようなことを言いますが、そうした形での再生はあり得ないのです。今の自分、今の私は、再生時には存在しないからです。今自覚している“自分”という人間は、この地上人生一度かぎりのものなのです。

もし、インディビジュアリティー(潜在意識)の深部にまで探りを入れ、それを脳の意識として自覚できるような人間が存在するなら、その人は地上世界にいながら、自分の前世を正確に知ることができるようになります。しかし、それはシルバーバーチが言うように、現在の地上人には不可能なことなのです。

毎晩の睡眠下での霊界旅行の記憶は、すべて潜在意識の中にしまい込まれています。すなわちインディビジュアリティー(霊的意識)の中に記憶されています。一定の霊的レベルにまで成長すれば、こうした睡眠中の記憶を正確に思い出すことができるようになります。実は前世を思い出すのは、この睡眠中の記憶より、さらに深い記憶の層にまで入っていくことができなければ無理なのです。したがって毎晩の霊界旅行の記憶を正確に思い出せるような人でないかぎり、前世を思い出すことはできないということになります。

9.ニセ前世探しブームに警告を発する使命

スピリチュアリズムの“前世”に対する見解は――「地上人が知る必要はない」ということです。「現在の地上人の霊性から見たとき、前世を思い出すことは不可能である」「現在一般に取り沙汰されている前世像なるものは、ほぼ100%といってよいほど真実ではない」ということです。

霊的成長を願い、霊的真理の実践に全力を傾けようとするスピリチュアリストにとって、自分の前世を知ることは重要な問題ではありません。死んで霊的意識を取り戻せば、誰もが自分の前世について正確に知ることができるようになるのです。スピリチュアリズムと出会い、最高の霊的知識を手にしたスピリチュアリストが、低俗な好奇心から前世を知りたいと願うような、そんな愚かなことをしていてはなりません。

それどころか私達スピリチュアリストは、世間で流行している前世探しの間違いを人々に教え、導いていかなければならない立場に立っているのです。世間一般で行われている“インチキ前世探しブーム”に警告を発していかなければなりません。それが今、スピリチュアリストとして真っ先に導かれている私達の使命でもあるのです。