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神の摂理と家族愛・霊的同胞愛

今回は、神の摂理の観点から「家族愛」と「同胞愛」について学びます。内容は次のようになっています。

1.家族愛の意義と、さまざまな家庭愛

家族愛の本質と家庭の意義

家族関係は、血縁による結びつきを土台としています。それは“本能的愛”による結びつきであるということです。したがって「家族愛」の底辺には排他性が存在し、自分達の家族の利益と幸せを最優先して求めるようになっています。家族は血縁的結びつきであり、肉体次元の愛の関係であるため、自然に“利己愛”が支配する場所になってしまいます。

真実の愛は霊的なものであり、物質的愛である家族愛をそのまま霊界にまで持ち越すことはできません。現実に多くの家族・夫婦は、幽界において一時的にともに過ごすことはあっても、霊界に入ってからは離れ離れになっていきます。家族が死後も関係を保つことができるのは、地上時代に摂理に一致した「真実の愛(霊的愛)」による結びつきをつくり上げた場合のみです。死後も存続する霊的関係とは、利他愛による霊的絆があって初めて成立するものなのです。

実はこうした血縁的愛によって築かれた家庭は、「真の霊的愛(利他愛)」を身につけるためのリハーサルの場所として、また訓練の場所として神が設けられたものなのです。

家族関係は、物質次元での利他愛のリハーサル

家庭は、「利他愛(与える愛)」を身につけるためのリハーサルの場所であり、実地訓練の場所です。その意味で家庭は、霊的成長の土台をつくる所と言えます。シルバーバーチは――「元来、家庭というのは子供の開発成長にとっての理想的単位であるべき」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.145)と言っています。

大半の地上人は、家庭において次のような道を歩みます。

家庭における愛の関係の変化

人間は、それぞれの段階で異なる愛の関係を結び、それを通じて利他愛の基本を身につけ、霊的成長の基礎づくりをします。

1)子供の時期

まず子供としての時期には、一方的に親から愛されることになります。こうして子供は、親との間に「縦の愛」の関係をつくり上げます。親と子供の愛の関係は、親が子供を愛するところから始まります。このプロセスの中で親は、本能次元であるけれども「一方的に与える」という利他愛の実践をすることになります。最近では、親としての最低の本能さえも失われたのか、子供に与えることを嫌がり、子供を虐待したり、育児を放棄する人間が現れるようになっています。これは最も次元の低い動物的本能性の顕(あらわ)れ・エゴの極(きわ)みと言えます。)

子供は、親からの愛を受ける中で少しずつ成長していきます。子供は無条件に親を信頼し愛を求め、自分のすべてを親に委(ゆだ)ねることになります。それは親にとっては、「愛が返ってくる」ことを意味します。本格的な親への愛の返却は、子供が大人になってから実現します。)こうした形で子供は、親との間に愛の関係・愛のサイクルをつくります。

この段階で子供は、縦の愛情関係を体験し、将来における神と自分との霊的関係(縦の愛)の霊性を身につけることになります。子供は肉親との関係を通じて、神という“霊的親”を無条件に信頼し、自分のすべてを委ね投げ出していく霊的感性と霊的絆の土台をつくっていくのです。

親子間の愛の関係

2)兄弟関係・友人関係・仲間関係を体験する時期

子供は成長にともない、兄弟関係を結ぶようになります。学校における友人関係・仲間関係は、兄弟関係の延長にあります。親との関係が「縦の愛」であったのに対し、兄弟関係・友人関係は「横の愛」です。この段階では、状況に応じて自分が先に与える立場に立ったり、先に受ける立場に立ったりします。親子の関係では、ほとんど親から愛が与えられましたが、兄弟関係では状況によって与える立場に立ったり、与えられる立場に立ったりと、かなり流動的になります。

その中で一番重要なことは、自分から与える「利他愛」の力を身につけることです。愛のサイクルづくりの主役になる能力を養うことです。

兄弟間・仲間間の愛の関係

3)夫婦関係を結ぶ時期

肉体が成長して成人となり、結婚して夫婦関係を結ぶようになります。“夫婦愛”は、兄弟愛と同様「横の愛」です。兄弟関係が複数の人間との間に結ばれるのに対して、夫婦関係は決まった相手との間に結ばれる横の愛です。夫婦関係においても、与える立場・与えられる立場は状況によって流動的に変化します。夫婦関係が常に固定した上下関係となるのは、摂理に一致していません。それは人間の尊厳を無視し、相手を所有物として見る“利己性”を生み出します。上下関係が流動的であることにおいて、夫と妻の人権の平等性が保たれます。)

夫が先に妻を愛することもあれば、反対に妻が先に夫を愛することもある――こうした流動的な愛の上下関係の全体が“夫婦愛”です。これが摂理に一致した夫婦の在り方です。それに対し結婚して夫婦となったものの、一方があまりにも霊的に未熟で、子供のように受けることしかできないというような場合には、摂理に合った夫婦関係は成立しません。世に言う“マザコン夫”は、この典型です。こうしたケースでは、お互いが与え合うという健全な愛のサイクルは成立しません。夫婦がともに利他愛の持ち主で、愛の主体者として相手を優先的に愛することができるとき、摂理に一致した“夫婦愛”が確立されることになります。

夫婦間の愛の関係

4)親になる時期

やがて子供が生まれ親になります。「親になる」ということは、子供に一方的に愛を与える立場に立つということです。すなわち血縁レベルで、自分が中心となって愛のサイクルをつくっていく主体者になるということです。子供にとって親は、「肉体を持った神」の立場にあります。親が神と結ばれているかぎり、子供は親に従い親を慕うことで神と結ばれることになります。こうして親は「神の代理者」として、子供の魂の創造に携わることになるのです。子供は親を無条件に信じることで“神の愛”を受けることができるようになっています。

子供が小さいうちは、親には一方的に与えることだけが要求されます。愛が返ってくることを初めから期待することはできません。やがて子供が大きくなるにともない、自分(親)の愛が受け止められ、子供から愛が返ってくるようになり、愛のサイクルが形成されることになります。親として「一方的に与え続ける」というプロセスを通じて、利他愛の実践訓練がなされるのです。

親の愛

人間は家庭という「愛の訓練場」において、血縁とは無関係な人々を愛する能力を身につけ、霊的成長の道を歩む準備をしていくことになります。

霊的自立期――愛の関係をつくる主体者としての内容を確立する時期

家庭における成長プロセスの中で最も重要な点は、「利他愛を身につけ、自分から与えることを覚える」ということです。そうした霊的資質は、結婚に至る期間に、ある程度まで身につけておかなければなりません。基本的な利他愛の実践ができるようになってこそ、“夫婦愛”という愛のサイクルをつくる資格が与えられることになるのです。

愛のサイクルづくりにおいて「主体者」になれるということは、「霊的自立者・霊的大人」の仲間入りする資格を持つことを意味します。「他人を利他愛で愛することができる」――これが霊的自立の目安です。もしそれができないと、先に述べたように霊的に子供のままで結婚し、夫婦関係を結ぶようになります。当然、夫婦としての愛のサイクルを築くことはできません。また子供が生まれたとき、親としての「愛の主体者」の立場、一方的に与え愛し続ける立場を全うすることができなくなります。大人としての最低限の霊的資格を持たないまま子供をもうけることは、後になって大きな問題を引き起こすようになります。

家庭生活における一番重要な点は――「利他愛を身につけていく」ということです。大人になったときに「他人に奉仕することができる人格を養う」ということです。この目的にそってこそ“家族”という人間関係が「霊的価値」を持つことになります。つまりどれだけ家族関係が完全であっても、肝心な「霊性教育(魂の教育)」ができなければ意味がないということなのです。残念ながら現在の多くの家庭が、そうした状況に陥っています。

反対に事情があって家族の人間関係に欠けたところがあっても、それに代わる人間関係の中で子供の霊性は成長することができます。離婚や死別、その他の理由によって親がいない子供であっても、親に代わって正しい親の愛(利他愛)で愛してくれる祖父母や施設などの擬似親(ぎじおや)がいれば、順調に霊的成長することができるのです。子供自身のカルマによって、不遇な家庭環境を選んで再生してきている場合もあります。

霊的発展期――利他的人格の拡大・霊性の向上

この世に生まれ、親から愛され、兄弟関係・友人関係・夫婦関係・親子関係を結ぶ人生は、利他愛の原型を身につけていくプロセスです。霊的自立期を迎えるとともに、家庭レベルでの利他愛を外部に広げ「真の愛の世界(霊的な愛の関係)」をつくっていく時期――「霊的発展期」に入っていきます。

家庭という血縁関係の中で与えることを覚え、愛のサイクルづくりの主体者となる資格を身につけて霊的自立し、そして子供をもうけて親となる中で、さらに利他愛の訓練を重ねることになります。それと同時に“血縁的家族愛”のレベルを超えて、本当の意味での「利他愛の世界(霊的な愛の世界)」を拡大する段階に入っていくのです。

いつまで経っても血縁愛・家族愛のレベルにとどまり、霊的な愛にまで広がっていかないならば、霊的成長は達成されません。摂理に一致した愛の関係をつくり上げることはできません。

利他的人格の拡大・霊性の向上

「その(神の)愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.142

「外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。(中略)家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残である防衛本能によって支配されていることがよくあります。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.145

摂理に一致した育児・教育――「霊性教育」について

親は子供にとって「第二の神」として、あるいは肉体を持った「神の代理者」として、子供に愛を与え魂の成長に係わることになります。こうして神の創造の業の一部分を受け持つことになります。親の役割を一言で言えば、子供の霊性を育て、霊的成長させるということです。

それをもう少し具体的に言うならば、「子供に霊優位(霊中心)の生き方を教え、利他愛という真の人助けを教える」ということになります。霊的自己コントロールの力をつけ霊的存在として物質に飲み込まれない自我を確立させること、そして人々のための奉仕精神を身につけさせることです。これが摂理に一致した育児・教育――すなわち「霊性教育」です。親は子供に、贅沢をせず質素な生活をし、人を差別せず精いっぱい尽くすことを教えなければなりません。それが親としての最大の務めなのです。

この世の多くの親は、口では立派なことを言いますが、本音では、やはり富・名声・地位が一番だと思っています。そして心の成長・霊的幸福より、物質的富と物質的幸福を重視します。「霊的真理」と「霊的価値観」を知らないために、物質的価値観でしか物事を考えられないのです。その結果、子供には霊的成長とは無関係な知識、大して重要でもない知識を教え込むことになっています。それでは親として失格です。

親が子供にまず与えなければならないものは、「霊的真理」です。真理にそった正しいものの考え方(霊中心の考え方)を教えなければなりません。したがって霊的真理を知らない人間は、人の親や子供の教師になる資格はないのです。基本的な霊的知識がなくては、正しい考え方・判断の仕方を示すことはできません。霊的成長を促すことなど到底できません。

「霊的真理に通じていない人、子供が大人と同様、本来が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人――こうした人に育てられた子供は、健全な精神的発育を阻害されます。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.110

次に親が子供に与えるべきものは、「良き手本・良き見本」です。物質に偏らない質素な生活を送り、霊的コントロールの生きた見本を示さなければなりません。そして同時に、利他愛実践の具体的な見本を示さなければなりません。子供は親の姿を見て、それを真似することで霊的な生き方を覚えていきます。

育児・教育が成功したかどうかは、子供が成長したときに分かります。基本的な霊的知識を身につけ、霊的コントロールと利他愛実践の重要性を自覚し、それを実行できるような人間になっているかどうかで、はっきりします。家庭教育の成功・不成功は、血縁関係のない人々との間に「霊的な愛の関係」を築くことができる力を身につけているかどうかによって決定されるのです。血縁関係のない人々に対して、先に愛し与える「愛の主体者」になれるかどうかということです。こうしたことができていないならば、その子供の育児・教育は失敗ということになります。

霊的真理に基づく育児・教育、スピリチュアリズムの育児・教育を「霊性教育」と言います。「霊性教育」の詳しい内容については、別の機会に取り上げることにします。

2.「霊的愛」の拡大と、「霊的同胞世界」の確立

家庭愛を霊的次元に広げる

家庭は、異なる愛情関係の中で「真の愛(利他愛)」を身につける訓練場所でした。家族愛は、血縁に基づく肉体次元・本能次元の愛です。その中で「与える愛(利他愛)」を訓練するところが“家庭”という場所だったのです。

家庭環境の中で身につけた「与える愛」を、血縁とは関係のない人々・自分の利害とは無関係な人々に広げていくことによって、その愛は本物になっていきます。物質次元の与える愛(利他愛の原型)は、霊的次元の本物の利他愛へと飛躍することになります。血縁関係のない人との間に「愛のサイクル」を築くことによって、霊的成長が促されるようになるのです。

「私は、同じ愛でも、家族的な絆に根ざした愛よりも、奉仕的精神に根ざした愛の方がはるかに尊いと信じている者の一人です。奉仕的精神から発動した愛の方がはるかに偉大です。」

『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)  p.110

これまでの地球人の愛の在り方――血縁愛・利己愛の拡大

これまでの地球は“利己愛”に支配されてきました。自分達の血縁者の利益と幸せを真っ先に求め、自分達の民族や自分達の国家の利益を最優先して求めてきました。それは血縁的仲間意識の拡大であり、本能的愛の拡大です。肉体次元の共通要素(血縁・物欲)を土台とする結びつきの拡大と言えます。

血縁愛・利己愛の拡大

地上の大半の争い・戦争は、“物質中心主義”とそこから派生する“利己愛”に端を発しています。部族抗争や民族紛争は、血縁や共通の利害をつながりとする集団が、物質的利益を求め奪い合って引き起こされます。また現在では多くの国々は、複数の民族が集まって一つの国家を形成しています。そこでは国家の内部で民族同士が激しく対立し、ひどいときには武器を取って内戦状態にまで至ることもあります。また反対に国益がそれぞれの民族にとって共通の利益となるときには、一致団結して他国と戦争をするようなことになります。

現在の地球上では、物質的な豊かさと武力が実質的な国力となっています。多くの富(経済力)と武力を持てば持つほど、その国家の政治的影響力が増大するようになります。そしていずれの国も自国の利益を最優先して求め、少しでも他国に対して優位性を保とうとします。全世界への奉仕を最優先して求めるというような国家は存在しません。このように見ると、地球上の争いの原因が、血縁共同体に発する利害関係・物質欲追求にあることが分かります。まさに地球は“物質中心主義”と“利己主義”によって支配されている惑星なのです。

さて、その結びつきですが、血縁性が濃くなるに従い、すなわち家族関係に近くなるに従い、内部の結束と排他性は強くなります。国家より民族、民族より部族(血族)、部族より家族というように、その結束は強固になります。血縁性から発する利己性は最も強いものです。

一方、利己愛・共通利害に基づく集団は、規模が大きくなればなるほど、利己性の現れ方が極端な様相を呈するようになり、外部に対する攻撃性が大きくなります。個人のレベル・家族のレベルでは温和で争いを避けようとする傾向があっても、それが民族レベル・国家レベルになると急に利己性を露(あらわ)にし、攻撃性と排他性を示すようになります。内在していた利己性(自己中心性・エゴ)に火がついたように突如ふくれ上がり、周りの民族・国家に対する寛容性や協調性が失われて対立衝突するようになります。そして民族・国民を悲劇の中に陥れることになるのです。

「霊的同胞世界」と宗教の使命

神の摂理は利他性であることを考えると、利己的世界の大もとである血縁意識の壁を打ち破る使命は、宗教に課せられることになります。血縁関係に発する利己的世界を、利他的世界に変えることが宗教の本来の役割なのです。

宗教は、霊的な結びつきを土台とする世界づくりを目指すものです。血縁関係の延長世界ではなく、霊的絆によって結ばれた人間関係を拡大することです。それは宗教によって導かれる「霊的共同体意識」が、民族意識・国家意識を凌駕(りょうが)したときに実現します。地球は利己愛が支配する世界から、利他愛・霊的愛が支配する世界へと飛躍していきます。本当の利他愛・霊的絆で全人類が結ばれる世界――これが「霊的同胞世界」です。地球規模で「霊主肉従」が実現するとき、こうした霊的同胞世界が到来することになります。

そこでは神を共通の“霊的親”とし、すべての人類が等しい「霊的兄弟」となります。霊的絆が強固に各人の魂を結びつけ、言葉や皮膚の色の違い・血縁関係の壁を乗り越えて、あらゆる分野において霊的関係が優先されるようになります。人類が理想としてきた真に平和な世界が実現するようになります。宗教の本来の使命とは、地球上にこうした「霊的同胞世界」をもたらすことなのです。

血縁・物質縁の壁を破れない地上の宗教

しかし、これまで宗教は、その使命を全うすることなく現在に至っています。宗教の究極の目的は、地球上に「霊主肉従の世界」を築くこと以外にはありません。東アジアの“儒教”のような血縁的関係を土台とする宗教、血縁次元の結びつきを最重視する宗教は例外です。それは「神の摂理」から大きく外れた宗教と言えます。)

地球上で最大の勢力を誇るキリスト教やイスラム教を見たとき、それらは部族・民族・国家の利己性を克服させるどころか、逆に部族・民族・国家レベルの利己心・エゴに油を注ぎ、対立を激化させることになっています。もしキリスト教やイスラム教が存在しなかったならば、地球上の争いはずっと小規模で穏やかなものになっていたことでしょう。宗教は平和をもたらすどころか、反対に“宗教エゴ”という新たなエゴを生み出し、憎しみと対立を煽って戦争を拡大させることになっています。

こうした“宗教エゴ”が発生する最大の原因は、宗教の教えそのものが間違っているところにあります。すなわち宗教の教義が、「霊的真理」から大きく懸け離れているからです。そしてその間違った教えを、さも真実であるかのように人々に強要しているからなのです。一言で言えば、宗教が「霊的に無知である」ということです。現在、地球上に存在するすべての宗教は、霊界から見たとき、ことごとく失格なのです。

スピリチュアリズムの目的は、「真の霊的同胞世界」の確立

地球上のどの宗教もなし得なかった「真の霊的同胞世界」「真の霊的世界」の確立が、スピリチュアリズムの目的です。これまで血縁的・物質的関係を土台としていた利己愛支配の世界を、霊的関係を土台とした世界に移行させることが、スピリチュアリズムが地上に登場した理由なのです。そして地球始まって以来の大プロジェクトが、現実に霊界の総力を結集して進められています。

宇宙のすべての惑星の中で下から2番目という霊性の低い地球は、他の多くの天体や惑星の住人が「霊主肉従」の世界を達成している中で、依然として「肉主霊従」のレベルにとどまっています。他の大半の天体が、程度の差はあっても霊的同胞世界を実現している中で、いまだに物質的な利益追求による争いの絶えない惑星となっています。

スピリチュアリズムは、家族の利益や民族・国家の利益を優先する世界ではなく、人類の共通利益を優先して求める世界を築き上げようとする働きかけです。全人類が霊的進化の道を歩み、物質的幸福よりも霊的幸福を優先して求める世界をつくり上げようとする地球規模の大プロジェクトです。“スピリチュアリズム”は、これまで地球上で重要視されてきた家族意識・民族意識・国家意識に代わって、「霊的同胞意識・霊的兄弟意識」を地球人の共通意識にしようとする人類史上初の「霊的革命」なのです。

摂理に一致した愛の世界の拡大とは――家族愛から一気に全人類愛へ

これまでの地球では、“利己愛・本能愛”が拡大する形で人間世界が形成されてきました。そこでは人々は常に物質的な利益を優先的に求めるために、どこかで必ず衝突が起きるようになっていました。

スピリチュアリズムの目的とする「霊的同胞世界」の確立は、家庭から一気に世界レベルへと利他愛を広げるところからなされます。家庭という物質次元での訓練場を通じて身につけた「与える愛(利他愛の原型)」は、その対象を一気に世界人類へと飛躍させることで「人類愛」にまで高まります。部族愛・民族愛・国家愛という血縁的関係・仲間意識の壁を超越し、霊的な人類愛にストレートに向かうことによって「霊的同胞世界」が到来することになるのです。

本来、民族愛・国家愛は、「霊的同胞意識(人類愛)」のベースの上で副次的に存在するものです。霊的同胞意識に包まれた民族意識・国家意識であるべきなのです。

家族愛から一気に全人類愛へ

「地上人類は全てが大霊の子であるとの認識をもつことです。(中略)民族の別なく全ての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.296

「国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。こうした私たちの教えは単純で子供騙しのように思えるかもしれませんが、やはり真実です。大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱と騒動が起きるばかりで、最後は全てが破綻します。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.297

「あなた方は一国・一民族の概念で考え、私は大霊とその子の概念で考えているということを何度も申し上げてきたはずです。(中略)一国・一民族の概念は、私は取りません。全ての民族を一つと考え、大霊の一部という考えに立っております。全ての人類が大霊の子なのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.304

最近、数学者である藤原正彦氏の『国家の品格』が話題になっています。この本は今までになかったまさに画期的な日本論で、その内容の素晴らしさに何度も頷(うなず)かされます。こうした日本人がいることは、私達にとって誇りです。

本書で述べられている内容は「霊的摂理」に一致し、ニューズレターで主張してきたことと多くの点で共通しています。本書の中で特に素晴らしいところは“愛国心”についての論及です。彼は“愛国心”という言葉には、自国の伝統と情緒を愛する「祖国愛(パトリオティズム)」と、自国の利益だけを考える「国益主義・民族主義(ナショナリズム)」という相反する2つの意味が含まれるために廃止すべきであると主張します。「霊的同胞意識」を土台とする霊的国家愛が藤原氏の言う“パトリオティズム”に相当し、利己的国家愛が“ナショナリズム”に相当します。

スピリチュアリズムでは、国家の位置づけは極めて小さなものとなっています。「霊的同胞意識」こそが何よりも優先され、国家意識よりも大きくなければならないと考えます。藤原氏を含め多くの人々は、そうした国家の位置づけ方を観念的として否定しますが、それは大霊(神)に対する絶対信頼・信仰を大前提にできないからなのです。神の存在が実感としてとらえられないために、人類愛が観念的に感じられてしまうのです。“神”という唯一の絶対的信頼者を認める中で、初めて国家意識を超越した「全人類愛」が可能となります。この点で藤原氏が神の存在を大前提としないところで至った結論は、きわめて残念と言わざるをえません。

日本人にとって大切な精神、優先して身につけるべき徳は“武士道”ではなく、「利他愛・犠牲精神」という霊的真理・普遍的生き方です。これこそが人間が優先して求めるべき精神なのです。それさえあれば国家意識を小さなものとし、「霊的同胞意識」を持つことができるようになります。

藤原氏ほどの卓越した人間でも、「霊的真理」を中心とした信仰を持たないところでは貧弱な結論にとどまってしまうことが分かります。

最近では、靖国問題や教科書問題を理由に、中国と韓国の反日運動が活発に行われています。しかし、こうした運動は「神の摂理」から見れば“エゴ”そのものです。国民に敵対心を植えつけ、憎しみを煽るというような行為は間違っています。しかも、それを政府が先頭に立って行っていることは明らかに摂理に反した愚かなことです。特に何も知らない子供達に、教育を通じてわざわざ憎しみを植えつけようとすることは大きな罪です。

国家の指導者が、自分の支持率アップのために、あるいは一党独裁体制とその権力を維持するために、意図的に反日を煽るようなことは醜さ以外の何物でもありません。現代の地球上は“利己主義”によって支配され、いずれの国家も国益を優先して追求していますが、そうした中でもこれらの国家は、特にエゴ性が強いと言わざるをえません。エゴ的方向に導く指導者を抱えた国民は、霊的成長の道を閉ざされることになります。まことに気の毒な国民と言えます。

一方、日本はナショナリズム意識が少なく、他国民に対してむやみに憎しみを抱くようなことはありません。そのこと自体はよいことなのですが、「霊的同胞意識(祖国愛)」が薄く、皆が身勝手になり本能的快楽だけに流されています。その結果、腑抜(ふぬ)けのような国民があまりにも多くなっています。現在の日本の政治家は、もっと現実的な「ナショナリズム意識」を持つ必要があります。そして国民は、もっと「霊的同胞意識(祖国愛)」を持つ必要があります。

「全人類を愛する」とは?

ここで勘違いしてはならないのは、「全人類を愛する」と言っても、何も世界中を回って地球上のすべての人々と関係を持たなければならないということではありません。それは物理的に考えても不可能です。「全人類を愛する」ということは、物質次元ではなく、純粋に霊的次元においてのことなのです。霊的に全人類を愛するのと同じレベルに立って、直接触れ合う人々に対して利他愛の実践をするということです。相手の数が問題ではありません。“愛の質”が問題なのです。「誰に対しても自分を犠牲にして完璧な利他愛を実践できる」――これが全人類を愛するということの真意です。何人の人間と関係を持つのかということではないのです。

全人類を愛するということは、相手が誰であっても、相手の国籍・人種・民族が何であっても摂理に一致した真の利他愛を実践し、自分から愛のサイクルをつくろうとすることです。純粋な霊的兄弟関係を結ぼうとすることです。

どのような人間に対しても区別・差別することなく、同じ霊的兄弟として利他愛を実践できるなら、その人は世界中どこへ行っても「霊的同胞関係」をつくることができます。困っている人々には、自分の家族にするのと同じように手を差し伸べ、時には血縁者に対する以上に他人に向けて利他愛を実践できる人は、すべての人間を真実の愛で愛することができます。またマスメディアなどを通じて知る世界の人々の苦しみ・痛みを自分の苦しみ・痛みとして感じ、可能なかぎりの援助をしようとする人は、地上人の苦しみを自分の問題として受け止め、救済のために全力を尽くしている霊界の霊達と同じように真の霊的同胞意識を持つことができます。これが「全人類を愛する」ということです。全人類を愛するとは、「霊的同胞意識」に立って出会ったどのような人に対しても利他愛を実践することなのです。

そして忘れてはならないことは、永遠の魂に救いをもたらす「霊的真理」を人々に伝えられる私達スピリチュアリストには、「最高次元の全人類愛(霊的同胞愛)」を実践するチャンスが現実に与えられているということです。

全人類を愛することは、神を最高に愛すること

シルバーバーチは、次のように言っています。

「大霊に奉仕すると言っても、それは大霊の子である地上の同胞に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしている時、神の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれることになります。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.83〜84

シルバーバーチがここで言っているのは――「神を愛するとは人類を愛することであり、人類を愛するならば神を愛することになる」ということです。全人類を愛する、すなわち霊的同胞(隣人)を正しい愛(利他愛)で愛するならば、神を愛することになるのです。神と私達子供との愛の関係は、同じ神を親とする兄弟姉妹との愛の関係の中に結実することになります。神の愛は、兄弟愛の中に含まれることになります。

神に向けて誠心誠意の祈りを捧げることは、立派な神への愛の行為です。しかし、それにも増して同胞を利他愛で愛することは、さらに立派な神への愛となるのです。全人類のために真の利他愛を実践するとき、その中にはすでに神への愛も含まれています。利他愛の実践こそ、まさに最高に純粋な信仰であり、最高の神への愛なのです。

3.スピリチュアリズムによる真の世界平和の実現

戦争の根本原因は、霊的同胞意識の欠如

地球上の最大の悲劇は、戦争という殺し合いと、貧困・飢餓です。人類史上、戦争のない時代はありませんでした。そしていつの時代にも、戦争によって苦しみ・悲しみ・絶望が蔓延してきました。21世紀の現在も、世界の各地で戦火の絶えることはありません。人々は戦争が人類における最大の愚行であることを知りつつも、現実にはそれを地上から根絶することができずにいます。

戦争の根本原因は、「霊的同胞意識」という人類愛の欠如です。同じ「霊的兄弟」という意識の欠如です。それは“物質中心主義”と“利己主義”という神の摂理から逸脱した考え方から発生したものです。霊的同胞意識の欠如・人類愛の欠如というと、あまりにも当たり前すぎて、子供じみた答えのように感じられるかもしれません。実際このような考え方に軽蔑の思いを抱く人々も多いことでしょう。

しかし、そうしたとらえ方自体が、実は物質主義の壁の中に閉じ込められた狭い発想なのです。なぜなら霊界では、実際に「霊的同胞意識」がすべての人々の共通意識・常識となって、人々の心を強く支配しているからです。霊的同胞意識は夢物語ではなく、霊界の事実なのです。現在の地球上の常識は、何百億の霊界人にとっては非常識なこと、異常なことなのです。霊的同胞意識が当たり前の共通意識となっている霊界には、地上世界のような戦争はありません。霊界には、地上で今日まで絶えることなく存在し続けてきた戦争が全くないのです。

「戦争は人類が地上で行っているだけで、霊界にはありません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.307

真の反戦・平和運動とは――心の中から“利己愛”を取り除くこと

何千年もの間、地上人類は戦争をなくし平和をもたらそうと希求してきました。21世紀の現在も、世界各地で反戦・平和運動が活発に行われています。また国連などの国際機関による調停努力・紛争解決のための努力も精力的に行われています。しかし依然として、地球上から戦争が根絶する気配はありません。それは“利己心”という人間の心に巣くう根本原因を取り除く方向に向けての働きかけではないからです。

物質中心主義と利己主義が消滅して、霊的同胞主義という「真の利他愛・全人類愛」が地球を支配しないかぎり、戦争をなくすことはできません。現代の地球人の心を支配している物質中心主義と利己主義を、一人一人の心の中から取り除かないうちは戦争を根絶させることはできません。「利他愛」を地球人の常識としないかぎり、いつまでも戦争は続きます。

人間の心から完全に利己心を取り除く運動、これこそが「真の反戦・平和運動」です。一人一人の心の中から利己心を取り除き、霊界人のような「霊的同胞意識」を持つように仕向けることが「真の反戦・平和運動」なのです。地球人の心を変革し、霊中心の価値観をもたらさないかぎり、どのような手段を講じても地球上に平和を招来することはできません。これが今まで地球上から戦争をなくすことができなかった、すべての理由なのです。

キリスト教をはじめとする地上の宗教は、人類の心を根本から変革することができませんでした。キリスト教もイスラム教も、人間の心に本当の霊的革新をもたらすことに失敗したのです。

スピリチュアリズムこそが、唯一「本物の反戦・平和運動」

これまでの宗教がことごとく失敗してきた中で、“スピリチュアリズム”は地球上に永遠の平和をもたらすために登場しました。スピリチュアリズムは今まで地上人類が達成できなかった「心の変革」をもたらし、地上から戦争を一掃することになります。それはスピリチュアリズムが、「霊的真理」という心の変革を確実に実現する強力な手段を持っているからです。

人間の心を根本から変革し、物質中心意識・利己的意識を拭い去るためには、霊的真理が不可欠です。「死後も今と同じように人生が続く」「地上人生はほんの一時(いっとき)であって、永遠の霊界での生活がメインである」「地上人生は霊界での生活の準備をするためにある」「霊的成長こそが最高の宝を所有することである」――こうしたことを心の底から納得できてこそ、初めて物質への偏り・執着を断ち切ることができるようになります。また「利他的行為が、結果的に自分に本当の利益をもたらす」「お互いが助け合いともに成長することが、自分に最高の幸せをもたらす」という霊的事実を実感したとき、神を中心とする霊的同胞意識の重要性を理解することができるようになります。

スピリチュアリズムによって地上に降ろされた「霊的真理」は、人々の心を根底から大きく変えることになります。それは利他愛の重要性を教え、利他愛を実践させる力を持っています。霊的真理によって心の根本変革を目指す“スピリチュアリズム”は、まさに本物の反戦・平和運動なのです。現在の地球上には、スピリチュアリズム以外に真の反戦・平和運動は存在しません。

「私たちがお届けしている霊的真理が受け入れられるようになる以外に救いようがないことを痛感いたします。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.294

世界平和の実現は、「霊的同胞意識」に基づく利他愛の実践より

恒久的な世界平和は、霊的同胞意識に基づく利他愛の実践からしか生まれません。地球上のすべての人々が、霊界人のように「霊的同胞意識」を持ち、利他愛を実行するようになるまで戦争はなくなりません。利他愛が政治と国際関係に適用されないかぎり戦争は続くのです。

「利他愛」という神の摂理が一人一人の心を支配し、生き方を支配するようになったとき、真の平和が到来することになります。すべての問題を利他愛の精神で解決するようになったとき、地球上に真の平和が訪れるのです。地球は“スピリチュアリズム”という霊界あげての反戦・平和運動によって、徐々に永遠の平和な世界に近づいています。

「霊的真理と霊的摂理を知ることによって断固とした決意を持つに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲をなくし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子の全てが霊的真理を理解していくことから生まれるのです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.301

「真の平和は霊的摂理を適用する以外にないということを、地球人類はいつになったら悟るのでしょうか。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.308

「和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しております。が、唯一試みられていないのは、霊的真理の理解による方法です。それが為されないかぎり、戦争と流血が止むことはないでしょうし、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことでしょう。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.308〜309

4.人類愛と真実の祈り

真実の祈りは、利他愛実践の意欲を高める霊的手段

シルバーバーチは、次のように言っています。

「祈りの本質は、人のためのサービスという行為へ向けて魂を整えることです。より高度なエネルギーと調和するための手段です。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.133

真実の祈りは、霊的意識を高め霊的エネルギーを蓄え、利他愛実践のための魂の準備をします。真実の祈りは、愛を実行するための手段であり、不可欠なウォーミングアップなのです。

祈りにはさまざまな目的があり、それに応じた祈りが存在します。自分の醜さに直面して内面を清めたいという祈りや、疲れ果てた心身を癒し奉仕へのエネルギーを与えてほしいという祈りがあります。守護の霊に窮地を乗り切る力と導きを請う祈りもあります。また自分の魂の成長を願う祈りや、霊界人の深い思いをもっと分からせてほしいという祈りもあります。また人類の霊的成長のための仕事がよい結果を結んでほしいという祈りや、世界中から悲劇がなくなり全人類が幸せになってほしいという祈り、さらには目の前の不幸な人間が早く救われてほしいという祈りもあります。そして病人を前にして、できることならば一刻も早く癒されてほしいという祈りなど、いろいろあります。

こうした祈りのどれもが、自分の物質的利益を求めるものではありません。“祈り”が摂理に合っているかどうかは、その祈りの方向性が「利他的」であるかどうかによって決められます。

それに対し世の多くの人々は、自分達の家族の幸せ、特に健康と物質的繁栄を祈ります。あるいは不幸や災難から逃れられることを祈ります。しかしそうした祈りのほとんどが“利己的”であって、真実の祈りではありません。言うまでもないことですが、摂理からずれた利己的な祈りが聞き届けられることはありません。この世の利益を求める利己的な祈りは、意味がないどころか、魂の成長にとってマイナスの作用をします。そうした祈りはしない方がいいのです。神はその人間に必要なものは、わざわざ祈らずとも、とうにご存知だからです。

利他性がともなわない祈りは正しくありません。さまざまにある祈りの中で最も価値ある祈りは、「他人への奉仕」を目的とした祈りです。

人類愛には、必ず祈りがともなう

全人類を愛するということは、「霊的同胞意識」を持って可能なかぎり利他愛を実践することです。自分の家族に対するのと同じように、時には自分の家族を犠牲にしたり後回しにして他人を愛するということです。それは利他愛を最も高めた形であり、人間として持ち得る最高の愛・最高の利他愛です。

そうした「全人類愛・霊的同胞愛」には、必ず深い祈りが先行するものです。全人類の幸せを求める強い思いは――「もっともっと人類のために自分を役立てたい。自分の人生を全人類の幸福のために捧げたい」という願いを喚起します。これが“祈り”として、神の前に表明されることになります。単なる自己満足的なボランティア活動と、全人類愛に根ざしたボランティアの違いは、「深い祈りがあるかどうか」という点において明らかにされます。全人類に対する愛には、必ず真心からの深い祈りが先行しています。

真実の祈りは、人類愛の一部分

シルバーバーチはあるとき、次のように述べています。

「真実の祈りは偉大なる霊的行為です。(中略)

祈りの言葉はたった一言しかありません。“何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え”――これです。“大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい”――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.134

魂の奥底からの「真の人類愛」があればこそ――「もっともっと自分を全人類のために役立てたい。できることなら自分の一生涯をそのためだけに捧げたい」という祈りが可能となります。自分を人類のために捧げ尽くしたいと願う“真実の祈り”の中には、一片(いっぺん)の利己性もありません。祈りそのものがその人間の真の人類愛を示し、魂の崇高さ・霊性の高さを示しています。“深い祈り”は、全人類愛そのものであり、全人類愛の一部分となっています。

スピリチュアリズムが理想とする「霊的同胞世界」は、地上人類がお互いに純粋な利他愛・人類愛で愛し合い、真実の祈りを捧げ合うところに実現するのです。