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スピリチュアリズムから見た“オーラの泉”

ニセ霊能者によるペテンの現場の実況放送

これまでの度々の警告

ニューズレターでは、これまで何度か江原氏に対して警告を発してきました。江原氏が現在のような有名人になる以前から、本人に分かるように間違いを指摘してきました。それはスピリチュアリズムを私利私欲の追求のための手段として利用して、スピリチュアリズムの権威を汚してほしくないとの思いからでした。

残念ながらそうしたこれまでの警告はすべて無視され、結果的には江原氏の良心には全く届かなかったようです。

罪を憎んで人を憎まず

私たちはスピリチュアリズムが大きく発展し、それによって地球人類が本当の幸せを手にしてほしいと願っています。スピリチュアリズムは人類にとって「最高の霊的宝」であり、まさに聖域として最も大切に扱わなければならないものと考えています。そのスピリチュアリズムを、人間の手垢で汚すようなことがあってはなりません。私たちが江原氏に対して批判をしてきたのはそのためであり、それ以外の意図は何もありません。私たちには、江原氏に対する悪意などの個人的感情は一切ありません。なぜならどれほど不正を行い人々を騙すような悪事を繰り返す人間であっても、神の子供であることには変わりないからです。また摂理の支配する世界の中で、悪の報いを逃れることは決してできないことを確信しているからです。

私たちは、スピリチュアリズムが正しく知れわたり、その実践を通じて地球人類が真の幸福に至るようになることにしか関心はありません。江原氏に対しては「罪を憎んで人を憎まず」といった姿勢で常に臨むように心がけていますし、今後もそのようにしていくつもりです。江原氏がスピリチュアリズムと出会いながらもこの世の人々にも劣る悪事を平気で行っていること、欲望におぼれてこの世の富と名声を追求している姿を見て、私たちは心から同情しています。江原氏が霊界に行ってからのことを考えるとき、何と哀れな人間であることかと思わずにはいられないのです。

スピリチュアリズムの権威を失墜させる不正と闘うことは、スピリチュアリストの使命

とは言ってもスピリチュアリズムの権威を不正によって失わせ、私利私欲のために霊界人の献身的・犠牲的行為を裏切るような在り方を、ただ黙って見過ごしていてはならないと思います。江原氏がスピリチュアリズムを利用して人々を騙し、自己の名声の追求に奔走している現状に警告を発し、人々に注意を促し、江原氏の行っていることがスピリチュアリズムとは全く関係のない単なる個人的な悪事であることを明らかにしておかなければなりません。それがスピリチュアリストとしての使命であると考えます。

「相手が間違っていることが分かっていながら、論争を避けて大人しく引っ込んだり、妥協したり、口先をごまかしたりすることなく、いかなる犠牲を払っても真理は真理として守り抜くという覚悟ができていないといけません。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.254

スピリチュアリズムがニセの行為によって汚されないように守ることは、スピリチュアリストとしての当たり前の責任であると考えます。そうした意味から、今回は「オーラの泉」に対するスピリチュアリズムからの見解を示し、人々がこれ以上“ニセ霊能者”に騙されることがないように注意を促したいと思います。

的外れなこれまでの江原批判

スピリチュアリズムから見たとき、江原氏の「オーラの泉」における言動の不正は明らかです。霊的知識を知らない一般の人々には全く分からない江原氏の不正・詐欺的言動は、スピリチュアリズムの「霊的真理」と照らしたとき明白に浮き彫りにされます。とは言っても熱心なシルバーバーチファンが必ずしも霊的真理を正しく理解しているわけではなく、こうした場合、巧妙な嘘(ウソ)を見抜くことはできません。

江原氏のテレビ出演が重なり有名になるにともない、至るところで江原氏に対するバッシングが始まりました。そうした批判は、事実その通りだと言えるものから、全く的外れなものまでさまざまです。これまで江原氏に対して、心理学者や脳科学者・宗教者などから批判がなされてきました。しかしスピリチュアリズムから見たとき、そのほとんどが江原氏の不正の事実をずばりと指摘してはいません。なかにはあまりに的外れで滑稽な批判内容もあり、思わず苦笑してしまうこともあります。大半の批判者が、江原氏の前世の指摘や透視・霊界からのメッセージに対して、直接的な見解を示すことを避けています。その一方で、ある脳科学者は、江原氏の透視は脳内の現象としての主観的観念であると述べています。また別の科学者は、江原氏は自らを催眠にかけて幻想を見ていると述べています。またある心理学者は、江原氏のスピリチュアル・ブームは、現代人が癒しを求めるところから生じている社会現象であると述べています。

しかし、これらはどれも江原氏の言動の本質をついたものではありません。全くとは言えないまでも、かなり的外れな見解と言わざるをえません。

オーラの泉の前世の指摘は、すべて作り話――スピリチュアリズムの見解

霊的事実に立脚したスピリチュアリズムの見解を述べるならば、江原氏がオーラの泉で指摘してきた前世像は、すべて作り話以外の何ものでもないということです。ゲストの前世や守護霊を江原氏がずばりと指摘するのがオーラの泉の売りであり、それに多くの人々が惹きつけられてきました。しかし実は、そのすべてが初めから作り話でありウソだったのです。以上が「スピリチュアリズムの見解」です。江原氏は、ただ単に作り話をしてきただけなのです。脳内での現象であるとか自己催眠がどうのこうのといった問題ではありません。江原氏がオーラの泉の中で指摘してきた何十人もの芸能人やスポーツ選手の前世は、すべて“ニセモノ”なのです。

江原氏のウソをベースとして、テレビ局特にテレビ朝日とフジテレビ)や週刊誌などが自分たちの利益のためにつくり上げてきたのが偽りの“スピリチュアル・ブーム”だったのです。癒しを求める現代人の心が、こうしたブームをつくったのではありません。人々の軽々しい好奇心がテレビや週刊誌や出版書によってかき立てられた結果、巻き起こったものなのです。

オーラの泉は、ニセ霊能者とテレビ局によるペテンの現場の実況放送

オーラの泉という番組をスピリチュアリズムの観点から言うならば――「ニセ霊能者によるペテンの現場の実況放送」ということになります。“ペテン”とは、ウソを本当のように信じ込ませて人々を騙して利益を得ることです。オーラの泉は、まさにこのペテンという“人騙し”の現場を、そのままテレビで大衆の前に放送している番組なのです。言うまでもなくペテンを行っている人間とは江原氏であり、同時に一緒になって視聴者を騙しているテレビ局です。江原氏を視聴率稼ぎのために利用するテレビ局は、彼の不正を知りながら隠れたところで情報集めをするなど、共謀してヤラセ詐欺を行ってきました。フジテレビの「こたえてちょ〜だい!」(2007年3月終了)では、製作スタッフが事前調査をして、それに基づいてヤラセをしていたことが暴露されています。これは「あるある」と同様の不正を行ってきたということです。この件については次回のニューズレターで取り上げます。)

テレビ局は視聴率稼ぎのために、堂々と国民を騙しペテンを働いてきました。そして、こうしたペテンによって多くの国民が見事に騙されてきました。「オーラの泉」や「天国からの手紙」によって巻き起こった感のある“スピリチュアル・ブーム”あるいは“前世ブーム”なるものは、ニセ霊能者とテレビ局や出版社によってつくり出された流行に他なりません。しかし時間の経過とともに今後、これまでテレビ局によって行われてきたヤラセの実態が徐々に暴露され、明るみに出るようになっていくことでしょう。「オーラの泉」や「天国からの手紙」をはじめとする江原氏出演のテレビ番組のすべてが、江原氏のペテンの記録となりペテンの証拠となるのです。いずれ「オーラの泉」を検証して、江原氏の言動の不正を一つ一つ明らかにしていきたいと思っています。江原氏は、これからのニセ霊能者を知るうえでの格好の材料を提供しています。スピリチュアリズムを利用して人々を騙すニセ霊能者の実態を明らかにする、よい教材となります。)

スピリチュアリズムが暴く江原氏の騙しの手口

ここまでオーラの泉を“ペテン”と断言することができるのは、スピリチュアリズムの「霊的真理」があればこそなのです。江原氏は自分の不正の隠れ蓑(みの)として、あるいは自分の人気取りのためにスピリチュアリズムを利用してきましたが、今後はそのスピリチュアリズムが、江原氏の不正の手口や人騙しの実態を明らかにしていくことになります。

オーラの泉批判の一番肝心で核心的な部分は――「江原氏の指摘する前世が本当かどうか?」という一点にかかってきます。唯物論者なら、初めから“前世などあるわけがない”と決めつけますから騙されることはありません。しかし大半の視聴者は善良で純情であり、同時に霊的な事柄に強い関心を持っています。人々は自分の前世や背後霊・あの世にいる知人からのメッセージ・未来の運命に心を惹かれ、できることなら自分の前世や守護霊を知りたいと思っています。多くの日本人がオーラの泉などの心霊番組に関心を寄せ、これが心霊番組の視聴率を上げることになっています。初めから否定的な気持で心霊番組を見る人はいません。

こうした状況下にあって、前世をスパッと指摘し、同時にこれまで聞いたことのない専門的な心霊知識を語り、親切に身の上話に耳を傾ける江原氏の姿を見て、誰もが江原氏は何と素晴らしい霊能者、他の霊能者とは次元が違う優れた霊能者であると思うようになりました。また語る専門知識の豊富さから、江原氏は本当に深い知識を備えた卓越した霊能者であると考えるようになりました。常ににこやかに同情心をもって語る様子から、他にはない立派な人格と人間性を持った良心的で誠実な霊能者であると信じるようになったのです。

人々はそうした江原氏が、意図的にウソをついて人々を騙そうとしているなどとは夢にも思いません。しかし実は、今あげたようなこの世の人々の評価を得ることが、江原氏の常に目指してきたことだったのです。

テレビ局のひどい無責任さ

江原氏の語る専門的な心霊知識を聞いて、視聴者の多くが、江原氏を本物の霊能者であると思うようになりました。そして江原氏の指摘する前世や背後霊は、間違いなく本当なのだと信じ込むようになりました。江原氏の姿を見ている人々の目には、スピリチュアリズムは簡単に前世を教えてくれるものであるかのように映ったかもしれません。

「あるある」の事件後、テレビ朝日では番組の終わりに、「前世や守護霊は科学的に証明されたものではありません」とのテロップを流すようになりました。「番組の内容をそのまま信じないでください」という意味合いのテロップを流すことで、責任逃れを図ろうとしている見え透いた姿勢は、あまりにも不誠実で偽善的です。テレビ局内部にも、このまま番組を続けるのは危ないとの危惧(きぐ)があり、逃げを打ったつもりでいるのでしょう。

江原氏の言うことがウソであるなら、あるいは事実でない可能性があるとするなら、また国民のことを考えるなら、即座に番組をやめるべきなのです。それがテレビ局としての当たり前の良心というものです。商業主義まみれで、自分たちの利益のことしか頭にないテレビ局のエゴ的な体質が、こうしたところにもよく現れています。このようなテレビ局には、公的な責任感も公共性のひとかけらもありません。

悪いのは騙される人間ではなく、騙す人間とテレビ局

いったん江原氏のウソにはまった人間には、その不正を見破ることは、もはやできなくなります。専門知識を持った人間が巧妙なウソをついて相手を騙そうとするとき、専門知識の全くない人間がその詐欺を見破ることは不可能です。ペテン師以上の知識があって、初めてペテン師の騙しの手口を見破ることができるようになるものです。その意味で人々が、善良さゆえに江原氏を信用し騙されたとしても仕方がないと言えます。現に多くの知識人や作家・良識者までもが、江原氏のウソを見抜くことができず、いいように利用されてきました。

詐欺事件が発覚するたびに出される批判が、騙される側の人間にも責任と非があるというものです。しかし非難されるべきは意図的に騙す側の人間であって、騙される側ではありません。詐欺に引っかかるのは騙される人間に知恵がなく、低俗な好奇心があるからだという意見には一理ありますが、決定的な責任は意図的に騙そうとする側にあります。ニセ霊能者と、それを承知で視聴率稼ぎのためだけに江原氏を利用しているテレビ局側にあることは明白です。

現在の地上人には、前世は知られないようになっている

オーラの泉を批判する際に、最も重要な点は、江原氏の前世の指摘はすべてウソであり作り話であるということです。善良な視聴者は、江原氏が初めから人々を騙す目的でウソをついているとは到底信じられません。しかしスピリチュアリズムの「霊的真理」と照らしたとき、「江原氏の前世の指摘はすべてウソである」というのが結論なのです。江原氏がこれまで“スピリチュアリズム”を名乗ってきた以上、スピリチュアリズムサイドから出されたこの指摘に対して、彼ははっきりとした説明と釈明をしなければなりません。

では当の江原氏は、前世の身元について何と言っているのでしょうか。毎週テレビでゲストの前世を指摘していることからすれば、当然「前世は地上人にも分かるものである」という結論になるはずです。江原氏は『本音発言』の中で、「前世はパッと映像として視えるだけだからです」(89頁)と説明しています。実はこの説明も、それらしく見せるためにつくり上げたウソです。

その一方で江原氏は、地上人には前世を知ることはできない、それは忘れなければならない意味があるからだと述べています――「そのとき(受精のとき)私たちは、自分の前世や、この世に生まれ出るたましいの目的、そうした一切の記憶を失います。どうして記憶を失うかというと、忘れなければならない意味があるのです。実はそこがポイントです。覚えているままだと、私がよく言うところの“大根役者”になってしまうのです。生まれてきたときに自分の前世や学びの目的を全部覚えていたら、今生での体験の一つ一つを新鮮な気持ちで味わうことはできません。」『苦難の乗り越え方』19〜20頁)

この答えは、まさにスピリチュアリズムの真理にそった正しい見解です。スピリチュアリズムでは、「地上人には前世を知ることはできない」としています。それが地上人の霊的成長にとって、最もふさわしいことであるからです。

それなのに毎週テレビで他人の前世を次々と指摘し続けているのは、一体どういうことでしょうか。江原氏は、片方では「前世は分からない方がその人のためである」と断言しながら、毎週のように他人の前世を指摘し教えているのです。この点だけをとっても、江原氏の言動には大きな矛盾があります。まさにこれこそがペテンの手口のほころびなのです。“ボロを出している”ということなのです。

地上のいかなる霊能者も、他人の前世を知ることはできない

凡人には自分の前世を知ることはできないけれど、優れた霊能者なら他人の前世を知ることができるのでしょうか。江原氏という特別優れた霊能者(?)には、一般の人では分からない前世を例外的に知ることができるということなのでしょうか。この質問に対するスピリチュアリズムの答えは“NO”です。スピリチュアリズムからすれば――「現在の地上人には過去世・前世は分からないようになっている。それは本人自身は言うまでもなく霊能者といった第三者においてもそうである」ということなのです。

スピリチュアリズムでは、現段階の地上人類の霊性レベルでは前世を知ることができないことを明らかにしています。そこに神の配慮があり、摂理の働きがあるのです。また他の人間を通して、安易に前世が分かるというようなことも否定しています。当然、江原氏のような自制心がなく自己コントロールのきかない霊能者が、他人の前世を指摘するようなことは決してできるものではありません。前世は、本人の潜在意識の最も深い記憶庫の中を覗き見することであるため、イエスのようなきわだって霊性の優れた人間でないかぎりできることではありません。まして第三者(霊能者)が、他人の前世を知ることなど到底無理なのです。したがって現在の地上人の前世は、現実には霊界サイドの人間(霊)を通じてしか明らかにされる方法はないということになります。いかに優れた霊能者といえども他人の前世を直接知ることはできないのです。

一方、霊界人が地上人の前世を明らかにするについては、相当な理由がないかぎり許可されることはありません。他人の前世を明かすことは、高級霊界から厳しくコントロールされている事項なのです。したがって霊であっても、安易に地上人の前世を教えることはできないようになっています。もし手軽に地上人の前世を指摘する霊がいるとするなら、それは地上人を騙そうとする低級霊以外にはありません。もし他人の前世を軽々しく指摘する霊能者がいるとするなら、それはそうした低級霊の言葉をまともに信じ込んで騙されているか、霊能者自身がわざとウソをついているということしかあり得ません。江原氏が「オーラの泉」やカウンセリングで、次々と前世を指摘しているという事実は、それがすべて作り話か低級霊のウソであるということを物語っています。

前世の身元の問題については、すでにニューズレターでも見てきましたが、これからも機会をつくって取り上げていくことにします。また今後開設する予定の「第3ホームページ」でも、詳しく取り上げていくことにします。その際には、江原氏への質問と合わせて詳細な検証内容も示していくつもりです。

いずれにしても江原氏が、テレビやカウンセリングなどで安易に他人の前世を指摘しているのは、スピリチュアリズムからすれば明らかに「不正を犯している。ウソをついている」ということなのです。最近になって、これまでの口からでまかせのニセの前世に対して、多くの人々から内容の矛盾と不自然さが指摘されるようになっています。

もはや逃れられない江原氏の立場

もし江原氏がスピリチュアリズムとは無関係な人間であるなら、こうしたスピリチュアリズムサイドからの指摘に対しても、「自分はスピリチュアリズムとは関係ない。それはスピリチュアリズムとしての見解にすぎない」と言って無視することもできるでしょう。しかし江原氏は、自らスピリチュアリズム研究所を開設し、テレビでも書籍でも自分がスピリチュアリズムの立場にあることを明らかにしています。江原氏はスピリチュアリズムという土俵の上で心霊現象を論じ、人生相談に乗っているのです。江原氏の言説の基本は、スピリチュアリズムそのものであり、テレビや書籍で述べている内容は、スピリチュアリズムから取り入れた知識に他なりません。

江原氏は『本音発言』の中で――「私を批判したいのなら、まずはこの本の第2章を読んで“スピリチュアリズム”をご理解いただきたいと思います。その上で矛盾を感じることがあるならば、どうぞ真摯な態度でぶつけてきてください。私は逃げも隠れもしません。一つ一つの誤解を丁寧に解いていく覚悟です」(99頁)と述べています。私たちはこの言葉を待っていました。なぜなら江原氏と“スピリチュアリズム”という同じ土俵の上で、スピリチュアリズムを共通の基準として堂々と議論できるからです。スピリチュアリズムによって示された「霊的真理」が、私たちと江原氏の共通の土俵です。したがってそれを判断の根拠として、江原氏の行為についての真偽を明確にすることができるようになるのです。

私たちは、一人でも多くの方々がスピリチュアリズムを正しく理解し、真の幸福を手にしてくださることを願ってきました。スピリチュアリズムを伝えるにおいては、決してそれを人間の手垢で汚すようなことがあってはならない、まかり間違ってもそれを私利私欲のために利用するようなことがあってはならないと考えてきました。そうした私たちが、江原氏の出版本やテレビでの発言を聞けば聞くほど、ますます疑問だらけになってしまいます。江原氏が本当にスピリチュアリズムの発展を願い、本当に人々の幸せを願うのなら、ご自分の発言どおりに、私たちの質問に誠意を持って答えてもらいたいと思います。そして、それを公表することに同意していただきたいと思います。

スピリチュアリズムから見たオーラの泉の本質――ペテン師による“人騙し”

オーラの泉の本質を見抜くには、江原氏の前世の指摘がすべて作り話であるということを押えておくことが大前提となります。この点を押えていないと、結局は的外れな批判をすることになってしまいます。スピリチュアリズム(霊的真理)を知らない一般の人には、まずこの点で明確な判断ができません。江原氏の言っている内容がウソか本当かの判断ができません。霊的真理を持たない人間が、霊的世界について語られる内容の真偽を見極めることは無理なのです。また、ただ単に“シルバーバーチが好きだ”といった程度の認識では、ニセ霊能者の不正を見破ることはできません。ましてや自分自身がそれ(前世)を知りたいと思っているような人の場合には、なおさらウソを見抜くことはできません。

スピリチュアリズムから見れば「オーラの泉」は、ペテン以外の何ものでもありません。この世のペテン師が善良な人々を騙して利益を得ることと何ひとつ変わりありません。江原氏というニセ霊能者とテレビ局が共謀して国民を騙している、そしてテレビ局は視聴率を稼ぎ、江原氏は名声・人気を得る――これが“スピリチュアリズム”から見たオーラの泉の実態です。

ペテン・詐欺とは、「ウソの話(作り話)」を「巧みな言葉や正義心・親切心の演出」によって「相手に信用させ」、「騙して利益を得る」ということです。この世の悪徳セールスマンが一人暮らしの老人を騙して契約させ、大金を巻き上げるといった事件がしばしば起こりますが、オーラの泉も本質的にはこの悪徳セールスマンによる詐欺と同様のことなのです。

  • ウソの話
  • 巧みな話術・正義と親切の演出
  • ウソを本当のように思い込ませる
  • 騙して利益を得る

専門的な心霊知識を語っての“嘘隠し”――江原氏の騙しの手口

オーラの泉が、いかがわしさを感じさせながらも高視聴率を上げているのは、江原氏の不正が一般の人々には分かりにくくなっているからです。それどころかテレビを見ている多くの人々は、江原氏の語る人生訓や霊現象についての説明に感動しています。江原氏がテレビの中で語るうまい言葉や説明は、実はこの世のペテン師が、相手の全く知らない専門用語や専門知識を持ち出して、自分をさも本物らしく見せようとするのと同じことなのです。

人間は自分の知らない専門知識を自信を持って次々と語られると、それだけですごい人間だと思うようになります。しかも相手がそれを誠実そうに話すことで、話の内容のすべてを真実のように感じてしまうのです。また親切で思いやりがあるような口ぶりによってますます本物だと信じ込み、「こんな誠実な人が、ウソをついて自分を騙そうとするはずがない」と考えるようになります。こうしてウソの話のすべてが、真実のように受け入れられることになります。

人々は、これまで誰からも聞いたことのない心霊知識を次々と語る江原氏の姿を見て、すごい霊能者、今までに出会ったことのない最高の霊能者だと思うようになります。見るからに誠実で謙虚そうで、思いやりがあるにこやかな人間が、まさかウソをついているなどとは、とても考えることができません。さらに世間では、江原氏は優れた霊能者であるとの噂が広まっています。それが江原氏に対する信頼度を、ますます高めることになります。こうして前世の指摘・背後霊の指摘・あの世からのメッセージ・オーラの指摘が、すべて本当だと信じ込まれるようになるのです。

この世のペテン師は人の知らない専門用語や専門知識をかざして本物らしく見せようとしますが、ニセ霊能者も霊的知識をかざして本物らしく見せようとします。そして著名人の名前を意図的に持ち出しその権威を利用して、自分の行為や見解の正当性を強調するのです。スピリチュアリズムの霊的知識を正しく理解している人には、江原氏の語る内容は決して特別なものではありません。この世の大半の人々にとっては初めて耳にする素晴らしい内容も、スピリチュアリズムでは常識と言うべきものばかりです。江原氏はスピリチュアリズムの霊的知識が、他の宗教や霊能者を寄せ付けない強力なものであることを十分に知ったうえで、スピリチュアリズムの知識を自己の名声のために利用しているのです。

人々を騙して信用させるには、素晴らしい霊的知識を語ることが最も効果的です。それはスピリチュアリズムを自分の私利私欲のために利用する、“人騙し”のために利用するということです。スピリチュアリズムの霊的知識を、自分を信用させるための手段に使うということです。そしてこの目的のために江原氏は、テレビで霊的真理を語り、出版物で霊的知識を書いてきたのです。

ウソと本物を織り交ぜての巧妙な言い方

しかも江原氏は、スピリチュアリズムの霊的知識だけでなく、そこに自分なりの考えを合わせて語り、いっそう本物らしく見せようとしています。時にはスピリチュアリズムの知識とは反する内容を、さも本当らしく並べ立てます。人々の受けがいいような内容をわざと真理の中にもぐり込ませています。このように江原氏の語る話には、常にウソと本物(スピリチュアリズムの霊的知識)が適当に織り交ぜられています。本物は少しあれば十分です。スピリチュアリズムの霊的知識は威力があるので、それだけで周りを圧倒することができます。江原氏の語る内容のウソと本当の見分けは、スピリチュアリズムの霊的真理を知っているスピリチュアリスト以外にはできません。江原氏の話のウソと本物については、いずれ別の機会に取り上げることにします。江原氏には、その質問のすべてに対する誠実な回答を期待したいと思います。)

要するに江原氏は自分を本物らしく見せるために、スピリチュアリズムの霊的真理を利用するだけでなく、人々の歓心を買うような内容を意図的にもぐり込ませて人々を騙そうとしているのです。ペテン師が、自分を本物のセールスマンであると信用させるためにするのと同じことをしているのです。江原氏の話には、ウソと本物(スピリチュアリズムの霊的真理)が織り交ぜられていますが、それはウソの話を、本物らしく見せかけるためです。

ウソの話の実例の一つが、次に述べる「霊能者撲滅」という主張であり、「間違った霊能者の見分け方」(『天国への手紙』242頁)です。ドリス・ストークの書籍出版も、自分を正当な霊能者であると信じ込ませようとの魂胆から出発したものですが、これについては別の機会に取り上げることにします。ここでは江原氏の「霊能者撲滅」というウソの話を見ていきます。

「霊能者撲滅」という偽りの正義と善人のポーズ――ペテンの一つの手口

この世のペテン師は、ことさら正義と親切心を相手に示して信用させようとします。正義心のある人間、思いやりのある親切で愛のある人間と思わせることが、人を騙す最も効果的な方法であることをペテン師はよく知っています。そしてわざわざ「最近ではニセの業者が横行して人々を騙しているので注意してください。せっかく苦労して貯めたお金を騙し取られたらたいへんです。おばあさんにはそんなことで苦しめられるようになってほしくない」と言って他の偽セールスマンを声高(こわだか)に非難することで、自分が本物の業者であると信じ込ませようとします。心の底から相手の幸福を願っているかのような印象を与えようとします。これは人間心理の弱みに付け込んだ実に悪質な人騙しですが、ペテン師はたえずこうした手口を用いて人々を騙し続けています。寂しい心・孤独感に付け込み、人々を欺(あざむ)き続けています。

さて、ニセ霊能者も同じようなことをします。江原氏は、「霊能者撲滅」を声高々と主張しています。女性週刊誌の中で江原氏は――「僕は書籍でも霊能者撲滅と言っています。それは多くの人が霊的真理を理解し、自分のことを自分で解決できればいずれ霊能者が要らなくなるという意味。だから霊的真理がなかなか理解されない今は、まだ撲滅できないでしょうね」と述べています。霊能者の口から「霊能者など本来は要らない」という言葉を聞けば、大半の人々は、江原氏は何と謙虚な霊能者なのか、まさしく正義心を持った霊能者であると思うようになります。ニセモノを見抜いてこれをなくし、人々を救おうとしている正義の霊能者だと思い込むことでしょう。そしてまさかこうした人間が、ニセの霊能力をかざして人々を騙すようなことをするはずがない、江原氏は他の一般の霊能者とは格が違う霊能者だと考えるようになります。実はこれが江原氏の目的であり、「霊能者撲滅」は、意図的に計算した上での発言だったのです。まさに自分だけが本物で、自分以外の霊能者はニセモノと言わんばかりの主張です。

しかし、この江原氏のニセの正義も、スピリチュアリズムの「霊的真理」に照らしてみればウソは明白です。たしかにスピリチュアリズムはニセ霊能者を撲滅することを一つの活動内容としていますが、“霊的真理が広まれば霊能者がいなくなる”というようなことにはなりません。スピリチュアリズムは、霊能者それ自体を撲滅しようとはしていません。それどころか今後、人類全体の霊性が高まるようになるにともない、今は一部の人間にのみ発現している霊能力が、ごく一般的なものとなり、多くの人々が霊能者となっていきます。そして霊界と地上界が今よりずっと身近な関係になり、そのときには死後の世界や死者との交流はごく当たり前のものになります。したがって霊的真理が普及すれば霊能者は撲滅されるどころか、ますます増えていくことになります。霊的摂理の働きによって、そのようになっていくのです。江原氏に感動を与えたシルバーバーチが――「もっともっと多くの霊媒がほしいのです。いくらいても多すぎるということはありません」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.113)と言っているのを思い出すべきです。

スピリチュアリズムが排除しようとしているのは、江原氏のような“ニセ霊能者”だけなのです。もし本当に江原氏が「霊能者撲滅」を正当な方向性であると考えているのなら、今即刻、江原氏自身がやめるべきなのです。江原氏自身がニセ霊能者をやめて、純粋に霊的真理の普及に人生を懸ければいいだけのことなのです。

ここでも一番の問題は、本当に江原氏自身が霊能力を持っているのか、本物の霊能者かどうか、ウソをついて人々を騙していないかどうか、という点に集約されます。江原氏は他の霊能者に対して、霊的真理を知らないと非難しています。江原氏がこのようにスピリチュアリズムを持ち出して他の人々を非難する以上、自分自身に向けられるスピリチュアリズムサイドからの疑惑に、誠実に回答する責任と義務があることは言うまでもありません。そして何よりも、自分が人々を騙していないこと、自分には霊能力(霊視能力・霊聴能力・霊媒能力)があるということを証明するために、第三者による厳格な検証に応じるべきなのです。これについては、次回のニューズレターで詳しく取り上げる予定です。

オーラの泉のペテンの全体

江原氏のペテンの手口の一部を明らかにしてきました。オーラの泉の全体の流れをもう一度整理すると、次のようになります。

  • ウソの話
  • (前世の指摘など)
  • 本当らしく見せる
  • (スピリチュアリズムを用いた説明)
  • (正義の霊能者ぶる)
  • 信じ込ませる
  • (前世は本当)
  • 人気
  • (素晴らしい霊能者)

江原氏は自らの霊能者としての名声のためにスピリチュアリズムを利用して他の霊能者との差別化をはかり、利害の一致するテレビ局と共謀して人々を騙してきました。「前世の指摘」など、この世の人々には真偽の判断ができないことを承知のうえで、人々を欺き続けてきました。最近ではスピリチュアリズムを盛んに口にし、自分のしていることがまるでスピリチュアリズムそのものであるかのように見せかけています。そして多くの批判者もまんまとその手に乗せられ、江原氏をスピリチュアリズムであるかのように見なし批判しています。

しかし江原氏がスピリチュアリズムを持ち出すのは、自らの信仰と信念からではなく、単なる隠れ蓑であり、他の霊能者との違いを明らかにして自らの名声を高め、私利私欲を追及するためなのです。江原氏のしていることはスピリチュアリズムではなく、スピリチュアリズムを利用したペテンであり人騙しにすぎません。江原氏はスピリチュアリズムではなく、自らの名声と欲のためにスピリチュアリズムを利用する偽善者なのです。

スピリチュアリズムの真理を語る者(江原氏)が、実はスピリチュアリズムから最も遠いところにいます。愛を語る者が、実は真実の愛から最も遠いところにいるのです。

ペテンによってつくられた人気・ブーム

江原氏は、次々と本を出版しテレビにひんぱんに出演することによって、他の霊能者とは全く違うとのイメージづくりに成功しました。そしてこれがテレビの視聴率を押し上げ、出版本の売り上げをさらに伸ばすことになりました。江原氏の出演番組や出版本は、江原氏に騙された多くの女性ファンによって支えられてきました。テレビ局は積極的にペテンに加担・共謀し、自らの視聴率稼ぎという利益のために江原氏を利用してきました。出版社も同じです。江原氏とテレビ局や出版社の利益が一致しているために、これが“江原ブーム”をつくり出すことになったのです。そこにあるのは視聴率の奴隷となっているテレビ局のエゴであり、ウソでも本当でもそんなことより、いかにして大衆受けする本を売り出すかに腐心する出版社のエゴなのです。

テレビや書籍を見ていつも思うことは、江原氏は人を騙したり、ウソを本当らしく見せる才能に実に恵まれているということです。ペテン的才能と言ったらいいでしょうか。それと同時に江原氏は、人気の動向を見るタレント的才能にも恵まれているようです。何を語ったら人が喜び、自分をよく思うようになるのかという計算を的確にする才能を持っています。どのようにしたら人を騙すことができるのかをよく知っています。そして、それを実に巧みに演出する能力を持っています。

しかし、そうした邪道的才能によって結果的に多くのボロを出し、自らの首を絞めることになっていきます。口先だけの偽善的な発言は、一時的には何も知らない人々を騙すことはできても、語る言葉や書いた言葉の中に論理矛盾が生じ、後になるに従って必ずその不正が発覚するようになります。そして人々から矛盾を突かれ、さらにウソの上塗りをしていくようになります。

最近、たくさんの食品企業による偽装工作が露見していますが、それと全く同じようなことになっていくのです。江原氏自身は、最初は用意周到に偽装を計ったつもりでしょうが、あまりにも人々を軽視し、その心を弄(もてあそ)ぶ中で、多くのほころびを見せるようになっています。いずれ化けの皮がはがれるのは分かりきっていることを不用心にしでかすようになっています。“ニセモノ”が、いつまでも本物の真似をすることは不可能なのです。

平気でウソをつく軽率さと傲慢さ

スピリチュアリズムから見たとき、江原氏の前世の指摘はすべて作り話でありウソです。スピリチュアリズムの「霊的真理」を正しく理解している人は、このように実に簡単に結論を出すことができます。これまで見てきたように江原氏は、自分の著書の中で自らの首を絞めるようなことを平気で書いたり、かつて自分自身が言ったことと矛盾するような内容をテレビで不用意に語っています。

こうしたところに江原氏の、あまりの軽率さと人々を軽んじ舐(な)めきっている傲慢さが表れています。まさに“頭隠して尻隠さず”といった醜態を至るところで演じています。江原氏は、前世の問題に限らずいろいろなところで、こうしたウソを平気でつきボロを出し始めています。江原氏の透視や守護霊の指摘・あの世からのメッセージも、スピリチュアリズムに照らしてみれば何ひとつ信憑性がありません。

スピリチュアリズムを利用したことで、今度はスピリチュアリズムによって首を絞められる

霊的真理を知らない一般の人々は、江原氏がまことしやかに語る言葉に見事に騙されてきました。しかし「オーラの泉」のようなテレビでの詐欺行為は、今後時間の経過とともに実態が次々と暴露されることになっていくでしょう。

スピリチュアリズムを自らの名声獲得の手段とし、またウソのカムフラージュとして利用してきた不正が、今後は江原氏の首を絞めることになっていきます。なぜならスピリチュアリズムを口にすればするほど、自らの立場をスピリチュアリズムの枠の中に閉じ込めることになるからです。美輪明宏氏のようにスピリチュアリストを名乗らないならば、不正を指摘されても“自分はスピリチュアリズムではない”と居直って批判をかわすこともできるでしょう。しかし江原氏は、自らスピリチュアリズムについて繰り返し解説しています。こうした江原氏には当然のこととして、スピリチュアリズムサイドからの質問に誠意を持って答える義務と責任がついて回ることになります。自分の欲望追求のために利用したスピリチュアリズムによって、今度は自分の首が絞められるようになっていくのです。

何を言うかではなく、何をなしているかが問題――立派なことを言ったり書いたりするより、正しい行為をしているかどうかがすべて

江原氏自身も自分の著書で述べているように、人間の真価は、その人が何を言うか、何を書くかによって決まるものではありません。「何を実践しているか、何を行っているか」――すなわち言葉ではなく実際の行為が、その人間の価値を決定するのです。これが“スピリチュアリズム”の大原則であり鉄則です。スピリチュアリズムとは「霊的真理の実践」以外の何ものでもありません。ウソをついて人々を騙すなどということは言語道断です。

江原氏は周りからの批判に対して、自分の本をしっかり読んだのかと反論したり、霊的真理を語れない霊能者は意味がないようなことを言っています。しかし、それはスピリチュアリストとしての正当な主張ではありません。人間の評価は、何を言うか、何を書くかではなく、何をなしているかで決まるものだからです。どんな悪人でも、口先では素晴らしいこと、正義心に富んだこと、愛情豊かなことを述べることができます。問題となるのは、江原氏の実際の行為と、その内面の動機の純粋さなのです。

神の前に、江原氏は本当に恥ずかしいことをしていないでしょうか。神と霊界の前に、自分は決して人を騙していない、間違ったことをしていないと断言できるでしょうか。奇麗事を言ったり書いたりしても、またチャリティーショーを催して寄付をしたり、困っている子供に援助の手を差し伸べるというボランティアをしたところで、それは江原氏のこれまでの行為の正しさを証明するものではありません。神の前に、また高級霊の前に、スピリチュアリズムを汚すようなことは絶対にしていないと胸を張って言えることが肝心なのです。人騙しによって利益を得ながら、その一方でチャリティーショーやボランティアをしても、それはどこまでも偽善的行為にすぎず、自己の不正行為を正当化する免罪符にはなりません。善人を装い、一般人を味方につけて不正への追求をかわそうとしても無理なのです。

江原氏が、人々を騙していない、ウソをついていない、人々の心を弄んでいないことを証明するためには、堂々と第三者の厳格な検証に応じることが必要です。同時にスピリチュアリズムサイドからの疑問に、誠意を持って答えることが必要なのです。自らがスピリチュアリズムのためと語り、そしてスピリチュアリストであると言う以上、スピリチュアリズムからの質問には真っ先に答えるのが正当性を明らかにする第一歩なのです。

今回は、スピリチュアリズムの観点から「オーラの泉」を見てきました。オーラの泉における前世の指摘の不正を取り上げました。次回は、スピリチュアリズムから見た「天国からの手紙」です。あの世からのメッセージについての問題点を見ていくことにします。