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スピリチュアリズムから見た“天国からの手紙”

スピリチュアリズムを悪用したニセのグリーフケア(死別の悲しみの癒し)

ニューズレターでは2年ほど前に、江原氏の「昌清霊言の問題点」をスピリチュアリズムの観点から取り上げました。その際、全国各地の多くの方々から、江原氏の本当の様子が分かってよかったという感謝の声とともに、これまで江原氏に騙されてきた自分にショックを受けたとの声が届けられました。

その後も私たちのサークルには、江原氏に対するたくさんの質問が寄せられています。その大半が、江原氏に対する私たちの見解(スピリチュアリズムの見解)を教えてほしいというものです。そうした質問や要望をいただくたびに、「いずれ時期がきたら取り上げますので、もうしばらくお待ちください」とお伝えしてまいりましたが、前回のニューズレター(40号)ではそうした皆さん方の声に応える形で、スピリチュアリズムの観点から見た「オーラの泉の問題点」を取り上げました。

前回のニューズレターでも述べましたが、私たちはスピリチュアリズムの正しい発展と、それによって地球上から悲劇が追放され、日本人ばかりでなく地球上のすべての人々が本当の幸せに至ってくださることを願ってきました。そしてスピリチュアリズムの霊的真理の灯台として、真理を手垢(てあか)で汚すことなく純粋なまま人々に伝えるように努めてきました。スピリチュアリズムの「霊的真理」は、人類にとって最高の霊的宝・霊的遺産であり、最も大切に扱わなければならない神聖なものです。まかり間違っても、それを人騙しや私利私欲の追求手段にするようなことがあってはなりません。

地上人は肉体を持っているため、失敗や間違いを犯すことは避けられません。その失敗や間違いを反省し修正することによって、霊的に成長することができるようになっています。人間は実に本能の欲望に弱いものです。肉体の煩悩に負けて間違いをしでかすのが地上の人間の常であり、私たちも未熟さから多くの失敗や間違いをしてきました。そして、これからも何度も失敗や過ちを重ねていくことになるはずです。その意味で、他人の欠点には寛容でなければならないと思っています。

とは言っても、意図的にスピリチュアリズムを悪用する人間に対しては、私たちはそれをそのまま看過(かんか)することはできません。そうした不正を行う人間に対しては、私たちはスピリチュアリストとしての義務と責任において、世の人々に警告を発していかなければならないと考えています。

スピリチュアリズムを利用して悪事を働く人間に対しては、心から哀れみを感じ、同情の思いが湧き上がってきます。なぜならそうした者は、人間として最も貴重な宝を自ら放棄しているからです。また地上の人間を騙すことはできても、神の摂理を欺(あざむ)くことはできませんし、霊界のすべての人々がその不正を知っているからです。そして死後、霊界において犯した罪に等しい苦しみを受けて償いをしなければならないことが分かるからです。さらに何よりも不正を行う本人自身の“良心”がそれをよく自覚しており、常に悪事を働くことへの不安が付きまとい、心が安らぐことがないからです。そう考えると、せっかくスピリチュアリズムという最高の宝を手にしながら、わざわざ自らの魂を汚している人間に対して同情せざるをえなくなります。本当に気の毒な人間だと心の底から思います。

スピリチュアリストを自称する者が、意図的にスピリチュアリズムを悪用するようなことは決して許されるものではありません。霊界の人々が多大な犠牲を払って人類のためにもたらしてくれた霊的真理を利用して人々を騙し、その純朴な心を弄(もてあそ)ぶような行為を、私たちは見逃すことはできません。このような不正からスピリチュアリズムを守り、人々に警告を発することは、スピリチュアリストとしての当然の使命であると考えます。

そうした意味から今回も前回に引き続いて、スピリチュアリズムの観点から「天国からの手紙」を検証し、その問題点を人々の前に明らかにしたいと思います。

「オーラの泉」と「天国からの手紙」の共通性

前号では、スピリチュアリズムの視点から「オーラの泉」(テレビ朝日)の問題点を取り上げました。「オーラの泉」は、スピリチュアルブーム・前世ブームを引き起こしましたが、その実態は、スピリチュアリズムを悪用したニセ霊能者によるペテンの番組であり、霊的真理を何も知らない一般の人々を騙す詐欺以外の何ものでもないことを明らかにしてきました。まさにニセ霊能者(江原氏)とテレビ局の共謀によるペテン・詐欺が「オーラの泉」の本質なのです。

この番組ではニセ霊能者によるペテンの手口をそのままテレビで実況放送しており、ニセ霊能者のペテンの証拠を後世にまで残すことになっています。江原氏にとってテレビ出演は、自分が願ってきた人気取りのための“もってこいの機会”を提供してくれることになりましたが、それが今となっては、自らのペテンの事実をそのまま暴露する結果を招いています。“ペテンの手口”が、これほどあからさまな証拠として残されている番組は他にありません。

一般の人々が、前世や守護霊・あの世からのメッセージ・霊視・透視といった霊的な事柄について真偽の判断ができないのをいいことに、江原氏はいい加減で適当な作り話を平気で語ってきました。そうした不正(ウソ)を日常茶飯事のように行ってきました。さらに江原氏は、自分のウソをカムフラージュするために、スピリチュアリズムによってもたらされた霊的知識・霊的真理を悪用してきました。一般の人々にはまだ知られていない霊的知識を駆使して、自分自身に対する信憑性を高め、優れた本物の霊能者としての名声をつくり上げようとしてきたのです。しかしスピリチュアリズムを利用した不正の偽装的言動は、今後は逆にスピリチュアリズムによって、その実態が暴かれることになっていきます。

「オーラの泉」に見られるこうしたペテン性は、「天国からの手紙」(フジテレビ)にも共通しています。すなわち誰も真偽を確かめることができないのをいいことに、あの世にいる他界者(霊)からのものと偽ってニセのメッセージを語り、そしてそのウソをスピリチュアリズムの霊的知識によって偽装し、本物らしく見せようとしてきたのです。「天国からの手紙」は“死別の悲しみの中にある人々の心を癒す”という善意を装っていますが、本質はテレビ局ぐるみの詐欺行為です。“グリーフケア(死別の悲しみの癒し)”を利用して自分の名声を高めようとするニセ霊能者と、視聴率を稼いで自局の利益だけを求めようとするテレビ局の共同不正・共謀なのです。

奇(く)しくもニューズレター前号を発行して数日後(1月21日)、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会が、江原氏の出演したフジテレビの番組についての意見書を発表しました。そこではフジテレビに対して、放送倫理違反があったと認定する厳しい意見が述べられていました。フジテレビの番組制作に対する不正が公的に明らかにされたのです。

スピリチュアリズムと“グリーフケア”

ご存知のように「天国からの手紙」は、死別した霊からのメッセージを霊能者である江原氏が受け取り、死別を悲しむ地上の遺族(家族・身内・知り合い)を慰めるという構成となっています。番組では、死別した霊からのメッセージが江原氏の口を通して伝えられ、また霊界にいる霊についての状況が説明されたりします。その江原氏の話を聞いて涙を流す家族の感動的な様子が、毎回のように放映されています。

欧米ではスピリチュアリズムの“交霊会”によって、死別の悲しみを癒すことが行われてきました。“グリーフケア”を目的とした交霊会が催されてきました。死別を永遠の別離だと思って悲嘆にくれていた人々が、交霊会を通して、死別した霊が霊界で厳然として生き続けており、地上時代と同じ思いで遺族を見守っている事実を知ることになります。そしてそれによって初めて死別の悲しみから解放され、希望を持って人生を歩み始めることができるようになります。こうした意味で、スピリチュアリズムでは交霊会による死者との交信を認めているのです。

しかし、いったん死後の世界に対する確信が持てるようになったなら、いつまでも興味本位に霊との交信を続けることは間違いであるとします。霊界と死後の生命の存続に確信が持てるようになったからには、肝心な「霊的成長」に意識を向けなければならないと教えています。すなわち地上における正しい生き方へと、歩みを進めることが求められるようになるのです。

これと同様に、死別を悲しむ人々の心を癒すために霊からのメッセージを伝えるという「天国からの手紙」の“表向きの趣旨”は間違ってはいません。もし江原氏の伝えるメッセージが本当に他界者からのものであるなら(江原氏が霊の声を正しく伝える媒介の役割を果たしているのなら)、「天国からの手紙」はスピリチュアリズムが認めることのできる番組と言えます。

問題は、霊からのメッセージが本物かどうか

しかしここで問題となるのは、江原氏が伝えているあの世からのメッセージが、本当に霊(他界者)からのものかどうか、ということです。交霊会によるグリーフケアの大前提は、霊能者が間違いなく霊からのメッセージを伝えている、ということです。

もし霊能者が、実際には霊が述べてもいないことを、さも霊が語ったかのような作り話をしているとするなら、それは“ペテン”ということになります。たとえ相手の人間(遺族)がニセのメッセージに騙されて本物と錯覚し、感動の涙を流したとしても、それは人騙し(詐欺)以外の何ものでもありません。もっとも安易に霊能者の言葉を鵜呑みにして騙されるのは、その人間の軽率さであり自業自得とも言えます。しかし騙された責任は確かに本人にもありますが、何といっても一番の責任は、意図的にウソをついて相手を騙そうとするニセ霊能者と、それを意図的に演出しているテレビ局側にあることは明白です。

スピリチュアリズムにおける霊界通信への徹底した検証

交霊会にはこうした不正が絶えず付きまとうために、スピリチュアリズムでは厳格な基準が設けられてきました。霊能者を通して霊界からメッセージが伝えられるとき、そのメッセージが間違いなく死別した霊からのものであることを証明するための厳格な検証基準が共有されています。その検証内容は、ある意味では霊能者にとって非常に厳しいものですが、分かってみればきわめて常識的なことばかりであり、スピリチュアリズムを知らない一般の人々にも納得のいく内容です。

その“検証基準”とは、まず第一に――「霊からのメッセージを受け取る霊能者と、遺族や他界者(霊)との間に一切の面識がない」ということです。もちろん「他の人間を通して他界者に関する情報が手に入らない」ことも前提となります。この意味で個人情報が簡単に知られる有名人や芸能人は、検証の対象者から真っ先に外されることになります。そうした事前情報の全くない状況下で「霊能者が、遺族や関係者しか知り得ない霊についての情報・内容(身元・容姿・名前など)を正確に言い当てた」とき、霊能者を通じてもたらされる情報には信憑性があると判断されることになります。言うまでもなく「他界者の身元を証明する情報は、相当細部にまで及ぶもの・具体的なもの」でなければなりません。漠然とした内容、誰にでも当てはまるような内容では、正確な身元の証拠とは言えません。“スピリチュアリズム”では、そうした一連の検証条件をすべてクリアしたとき初めて、その霊能者は正しく霊のメッセージを受け取り、伝える能力がある――すなわち「本物の霊能力の持ち主であり、信頼できる霊能者である」と認められることになります。

このようにしてスピリチュアリズムでは、本物の霊能者とニセの霊能者を厳しく見分けてきました。スピリチュアリズムは、ある面で“ニセ霊能者”との闘いの歴史でもあると言われます。スピリチュアリズムは、厳格な検証を霊能者に課す中で「霊界通信」に対する信頼性を勝ち取ってきたのです。こうした霊界通信に対する厳しい検証は、スピリチュアリズムにおける常識であり、スピリチュアリズムについてあれこれと語る江原氏も、当然よく知っているはずです。スピリチュアリズムの常識ともいえる内容を、江原氏が知らないはずがありません。

ちなみにシルバーバーチの霊媒であるバーバネルも、ニセ霊能者を暴く名人でした。

もう一度、本物の霊媒現象(あの世からのメッセージ)の条件を整理しておきます。それは――「霊能者には、遺族や関係者からの死者(霊)に関する情報入手の可能性が一切ない」「霊能者と死者との間にも関係や面識がない」、そうした状況下において「霊についての詳細で具体的で正確な内容が示される」ということです。こうした条件をすべてクリアしたとき初めて、そのメッセージは本物の可能性がある、ということになるのです。これは一般の人にとってもごく当たり前の内容であり、スピリチュアリストであれ、スピリチュアリズムを全く知らない人であれ納得できるものです。

したがって、もし霊能者が相手(相談者)と事前に打ち合わせや話し合いをしていたり、相手の住まいを訪ねていたり、何らかの方法で死者(霊)に関する情報を得ていたとするなら、そのメッセージは“ニセモノ”と判断されることになります。スピリチュアリズムからすれば、それはヤラセか意図的な詐欺以外の何ものでもないということになります。

では、スピリチュアリズムでは具体的に、どのような霊能者を本物と認めてきたのでしょうか。スピリチュアリズムが本物と認めてきた代表的ケースとして、エステル・ロバーツとヘレン・ヒューズの名前を挙げることができます。彼女たちがなぜ本物の霊能者として認定されているのか、それは言うまでもなく、ここで述べたような厳格な検証基準をクリアしているからです。全く知るはずのない霊(他界者)に関する内容を、実に詳細にそして正確に伝えているからなのです。

彼女たち本物の霊能者の実情とその霊界通信については、モーリス・バーバネル著『これが心霊の世界だ』(潮文社)の中で詳しく述べられていますので、それをご覧ください。この本の中には、今挙げた二人の女性霊能者以外にも、多くの本物の霊能者が取り上げられています。本物の霊能者の実例を通して、ニセモノ(ニセ霊能者)を見抜く目(霊的鑑識眼)が養われるようになります。霊的知識が何もない一般の人々は、本物の霊能者の実際を知らないために、いとも簡単にニセモノに騙されてしまいます。明晰な霊的判断力を持って、江原氏の霊能力の真偽を判断すべきなのです。

最近テレビに登場して話題となっている人物に、元FBI超能力捜査官マクモニーグル氏がいます。マクモニーグル氏の透視能力は、スピリチュアリズムの厳しい基準に照らしてみても本物であると断定できます。それは彼が全く事前情報のないところで、依頼者に関する現実の状況を見事なほど正確に的中させているからです。

テレビ局が、江原氏に続くタレント霊能者として持ち上げようとしているのが「木村藤子」氏です。テレビで見るかぎり、彼女の霊能力は江原氏と比べ、本物の要素が多いと言えます。

しかしテレビ出演が増えるにともない、テレビ局側の意向に否応なく合わせることが避けられなくなり、ウソを言わざるをえなくなっているようです。まともな霊能者としての内容を持っていることを考えると、これ以上、テレビに出演して名誉を汚すことがないよう正道を歩んでもらいたいと思います。

江原氏の霊能力は、スピリチュアリズムではとても認められない

一度でもウソが発覚したような霊能者は、見えないところで絶えず同様の不正をしていると考えて間違いありません。ましてやこれまで何度も不正が暴露されているような人間の場合は、霊能者としての信憑性はない、と断定することができます。本物と認めることはできないのです。ニセ霊能者の中には“たまたま今回、不正をしただけだ。今まで一度も不正をしたことはない”と言い訳をする人間がいます。

そうした人間が自らの霊能力の真実性を主張するには、第三者による厳格な検証を受けて、本当に霊能力があることを実証するしかありません。実は江原氏には、まさにこうしたことが、そのまま当てはまるのです。江原氏が自分の霊能力の正当性を主張するためには、この道しか残されていません。

ニューズレターではこれまで、江原氏にまつわる数々の不正を指摘してきました。スピリチュアリズムから見たとき、江原氏の言動と霊能力(霊媒・霊視・霊聴・透視)には常に多くの疑惑が付きまといます。素人目(しろうとめ)にも明らかにウソと分かるようなことを平気で公言してきました。「昌清霊言のウソ」「前世の指摘のウソ」以外にも、テレビでの発言や出版書の記述の中には、数え切れないほどの軽率なウソが散見していますこれらについては、いずれ機会をもうけて取り上げていきます)。スピリチュアリズムに照らしてみるとき、およそ江原氏の霊能力を正当なもの・真実のものと認めることはできません。

もっとも私たちは、江原氏には全く霊能力がないと言っているわけではありません。何かしらわずかな霊媒能力や透視能力の類はあるかもしれません。これらの能力がどれほどのものかは、これまで述べてきたような検証をしてみれば、たちどころに明らかにされます。検証を受ければ、江原氏にはどのような種類の霊能力があり、それがどの程度のものなのかを簡単に知ることができるのです。

今述べたように私たちは、江原氏の霊能力の可能性をすべて否定しているわけではありません。もちろん「昌清霊言」やオーラの泉での「前世の指摘」は明らかにウソです。江原氏は普通の人よりは霊媒体質かもしれませんし、少々の霊視力もあるかもしれません。しかし江原氏がテレビや公演で演出してきた霊能力の大半はウソであると考えています。

かつて江原氏は、自分の肥満について“憑依体質の霊能者だから”と説明しています。「お腹(なか)の空いた未浄化霊が自分に憑依して、その霊の食欲の分まで食べてしまう」「霊が天ぷらを食べたがって自分が太ってしまった」などというような馬鹿げた屁理屈を言っています。この言葉をスピリチュアリズムの「霊的真理」に照らしてみるなら、江原氏が“低級霊”に憑依されているということを自ら述べたことになります。もしそれ(低級霊の憑依)が事実なら、江原氏の醜い欲望が低級霊を引き寄せた、ということになります。“同類の霊を引き寄せる”――これはまさに江原氏の言う「波長の法則」に他なりません。

スピリチュアリズムからすれば、江原氏の肥満は、ただ単に自己コントロールができないだけ、肉体本能を自制できないだけのことなのです。それを正当化しようとして、誰もがウソと分かるような愚かしい屁理屈を言うようになってしまったのです。江原氏は霊能力よりも、ウソを本当のように見せかける才能、人を騙す才能の方があるようです。周りの人間に、自分を善人と見せかける才能に恵まれているようです。

江原氏はよく、英国の女性霊能者「ドリス・コリンズ」を自分の師として、引き合いに出します。スピリチュアリズムからすれば、ドリスには人間性に多くの問題がありましたが、霊能者としては本物であったと言えますドリスは2度、ペテンを働きました。しかしそれを霊界側から暴露されて猛省し、その後はもう決してウソをつくことはありませんでした)

ドリスが霊能者としての良心性を持っていたのに対して、江原氏はどれほど批判されても人々を騙し続けてきました。ドリスは本物の霊能者でしたが、江原氏は単なるニセの霊能力を利用したペテン師なのです。ドリスに重ね合わせて、自分も同じことをしている本物の霊能者であると印象付けようとしているところにも、江原氏のペテン性がよく表れています。

霊界のドリスも、自分の存在がペテン霊能者の宣伝に利用されている事実を知って、さぞ嘆いていることでしょう。

一人の人間が、多種類の霊能力を同時に持つことはめったにない

そもそも一人の人間が、さまざまな霊能力を同時に持つというようなことは、めったにないことなのです。先に述べた二人(エステル・ロバーツ、ヘレン・ヒューズ)やイエスのような多種類の霊能力に恵まれた卓越した霊能者は、稀にしかいるものではありません。

ところが霊的知識もスピリチュアリズムも知らない世間一般の人々は「霊能力者」というだけで、その人間にはあらゆる能力があるものと思い込んでしまいます。ある人間(霊能者)が“霊が見える”と言えば、その人は霊の声を聞くことも、オーラを見ることも、前世を知ることも、透視をすることもできると勝手に考え、信じ込んでしまうのです。霊能力をすべて一括(くく)りにとらえてしまうのです。“一般人には、どんなウソを連発してもばれない”――霊能者は、そうしたことに味を占めるようになっていきます。

霊能者には、常に不正への誘惑が付きまとっています。そして大半の霊能者は、その誘惑に負けていきます。“ニセ霊能者”にとっては、ウソで人をやすやすと騙せることがたまらない快感となり、不正にのめり込んでいくようになるのです。次々とウソを並べ立てても誰にも怪しまれず、そのうえお金と名声がどんどん入ってきます。わざわざ宣伝しなくても多くの人間が向こうから自分を訪ねてくるようになります。やがてウソと不正が当たり前になり、感覚が麻痺(まひ)し、ますますエスカレートしていくようになるのです。

しかし、そうした悪事はいつか必ず馬脚を現すものです。あらゆる霊能力があるかのように振舞っているうちに、言動の矛盾が外部の人間によって指摘されるようになります。時間の経過とともに、それまでのウソがばれていくようになります。

“ヤラセ”以外の何ものでもない「天国からの手紙」

「天国からの手紙」が、スピリチュアリズムから見たとき正当性が全く認められず、詐欺(ペテン)と見なされるのは、何よりもまず、江原氏の霊能力自体に対する大きな疑問があるからです。それと同時に「天国からの手紙」という番組そのものが、先に述べた正当な交霊会の条件に完全に違反しているからなのです。

「天国からの手紙」は、れっきとした“交霊会”を想定した番組である以上、江原氏とテレビ局関係者の双方が、遺族と全くの初対面であって、遺族や死者(霊)に関する情報を一切入手できないということが大前提となります。それなのに「天国からの手紙」では、出演者を公募して、応募内容から候補者を選んでいます。さらにスタッフや江原氏が相手(候補者)の家に出かけるようなことまでして、遺族からいろいろな話を聞いたり、他界した人間にまつわる遺品を見るなどしています。言うまでもなく、これは「事前情報が一切ない」という交霊会の大原則を頭から無視していることです。そうした中で江原氏が語るメッセージが、どうして霊からのものと言えるのでしょうか。これでは“ヤラセ”と言う他ありません。

“テレビで放送するためには、こうした事前の準備がどうしても必要だ”という言い訳が必ず出されるでしょうが、それならば「そうした企画はしないこと」――これが結論です。しょせんテレビ局側は“視聴率稼ぎ”のためだけにやっていることです。自分たちが利益をあげるためには、不正がばれさえしなければ構わない、ということなのです。

スピリチュアリズムから見たとき「天国からの手紙」は、グリーフケアを利用した詐欺番組であり、テレビ局による視聴率稼ぎのペテン以外の何ものでもありません。まさに人間の弱みに付け込んだ人騙し・詐欺なのです。

江原氏のヤラセの前科

少し前のことですが、同じフジテレビ系の「こたえてちょ〜だい!」にヤラセがあったことが、ネット上で暴露されています。スタッフが相手の家を訪れ、そこで得た情報を江原氏が臆面もなくしゃべっていたヤラセが発覚しています。

Aさん夫婦は、「こたえてちょ〜だい!」(2002年6月18日放送)の江原氏の「スピリチュアル開運術」のコーナー(霊視のコーナー)に生出演しました。夫の失業・子供の病気や怪我など度重なる不幸から脱出するための処方箋を求めて出演を決めたと言います。そのAさんは番組出演の後で、呆れるような番組制作の実態を暴露しています。

Aさんによると、「こたえてちょ〜だい!」の別のコーナーに手紙を出したところ、日本テレワークからAさんに「江原さんのコーナーに出演しませんか?」という誘いがあったとのことです。江原氏の大ファンだったAさんは、これを受けて番組に出ることになりますが、そこで愕然(がくぜん)とすることになります。

実は番組出演に先立って、日本テレワークから「事前に詳しいプロフィールの提出」を求められ、さらに自宅に電話があって「30分以上にもわたる電話リサーチ」があったというのです。そのうえ出演当日の控え室に製作スタッフから、「ご主人か奥様かどちらかで結構なんですが、昔、頭を打ったことがありませんか?」と尋ねる電話が入り、Aさんは「夫が5歳くらいのときに階段から転げた」とのエピソードを伝えました。すると番組本番で江原氏が、さも今、霊視で見えたかのように「ご主人、頭を打ったことありませんか?」と真顔で言ったということです。Aさんが呆れたのは言うまでもありません。

TV出演の後日、Aさん夫婦は江原氏のオフィス(診療所)を訪れます。そして、そこでの模様が2ヵ月半後に再び放送されることになりました。そのとき江原氏は、「ご主人には亡くなった兄弟がいるはず。その方は、まだ生きていたいという願望が強くてあなたに憑依している。母親も心配で憑依している」と言ったとのことです。実はAさんの夫が兄弟を亡くしている話は、「事前に伝えていた」ことだったのです。このためAさんは、一気にシラケてしまったとのことです。

Aさんは、「江原氏に夢中になっていた時間を返して欲しい」と述べています。以上「日刊ゲンダイ」からの引用)

ここにテレビでの江原氏の霊視の実態が、明確に示されています。意図的に事前調査をしておきながら、番組ではさも初めて霊視したかのように語る、何と図々しい恥知らずなことでしょうか。「あるある」がヤラセ・詐欺で大きな社会問題となりましたが、それと全く同じことを同一のテレビ局がしていたのです。江原氏とフジテレビは、ヤラセで人々を騙し欺いてきたのです。そして同じような事前調査が、「天国からの手紙」でも行われていたのです。これではどのように判断しても、この番組は“ヤラセ・ペテン”としか言いようがありません。

実はこれと同様のことが、「オーラの泉」でも行われていたことが明らかにされています。前回のニューズレターで「オーラの泉」を取り上げましたが、その直後から時期を合わせるかのように、さまざまなところで江原氏の不正行為が暴露されるようになりました。

1月24日号の『週刊文春』では、2006年12月26日放送の「オーラの泉」を取り上げ、江原氏の霊視のインチキ性を暴露しています。江原氏はこの番組の中で、ゲストで女優の檀れいさんに、死んだ父親からのメッセージを伝えました。ところが番組終了後に、死んでいたはずの父親が本当は生きていたことが明らかになりました。

また2月4日の『週刊大衆』では、女優のSさんが、「オーラの泉」収録の1週間前に番組スタッフがやってきて、プライベートなことを根掘り葉掘り3時間もかけて聞き出していったこと、その後、江原氏が収録中の霊視によって語った内容が、スタッフに伝えた話と全く同じであったことを告白しています。江原氏の熱烈なファンだったSさんは、「がっかりしました」とこぼしていたそうです。Sさんは身元が分かることを恐れて、その事実をこっそりと明かしています。

また最近では、役者でタレントの梅沢富美男氏が「オーラの泉」の中で、番組スタッフが梅沢氏の不在中に自宅を訪問し、奥さんにいろいろと質問していったことを述べていました。

第三者の厳格な検証を受けないかぎり、江原氏は正当性を主張できない

ここで取り上げたのは江原氏の言動に関する詐欺性の、ほんの一部の例にすぎません。これまで江原氏は、霊視の真偽など証明のしようがない、と開き直ってきました。『本音発言』の中で江原氏は、「だって、私が視えるか視えないか、この編集部週刊文春)の人に証明できっこないじゃないですか」(82〜83頁)と述べて、自分を批判する週刊文春に反論しています。ここに江原氏の本性が露骨に示されています。“誰も自分のしている霊視の真偽は証明できっこない”――この言葉に、江原氏の本音がはっきり表れています。

一般の人々には江原氏の詐欺の手口は分からなくても、“スピリチュアリズム”の知識をもってすれば、その偽善性・偽装の手口は一目瞭然です。しかし霊的真理を知らなくても、第三者による厳格な検証をすれば、江原氏の霊能力の真偽は明らかにされます。検証によって自らの霊能力を証明することは、スピリチュアリズムを語る者にとっての義務であり責任です。ましてこれだけ疑惑が至るところで噴出している以上、そして自らがスピリチュアリズムの普及を願うと言っている以上、江原氏は第三者の検証を積極的に受け入れるべきなのです。

「天国からの手紙」に関して言うならば、霊の様子が見える、霊からのメッセージを受けられるという点で、「霊視能力」と「霊聴能力」という2つの霊能力が関係してきます。この霊能力に対する検証は簡単です。

第三者(テレビ局関係者以外)による厳格な検証によって、江原氏の「霊視能力」と「霊聴能力」の有無は、はっきりします。そしてその霊能力の程度も明らかになります。江原氏が全く知らない(一面識もない)相談者の背後にいる死者(霊)の様子・特徴を語ってもらえばいいだけのことなのです。その人(相談者)しか知り得ない死者に関する情報を正確に当てることができたとき、江原氏には本当に霊視力・霊聴力があるということになります。江原氏が述べる霊のメッセージやオーラの識別・守護霊の身元についても、信憑性があるということになります。

したがって江原氏が、“自分は人々を騙していない、ウソをついていない”と言うのなら、自ら積極的に検証に臨むべきなのです。それはスピリチュアリズムを語る霊能者として当たり前のことです。人々の相談に乗り、人生のアドバイスを与える人間としての責任でもあるのです。何の疑いもなく自分を信じて頼ってくる人々に対する当然の義務であり、その人たちに対する本当の愛の示し方・正義の示し方となるのです。

江原氏は自身のホームページで、「私には霊能などデモンストレーションに過ぎず、どうでもよいことなのです。目に見えない心の世界があることを伝えているだけです」と述べていますが、霊的世界の実在を伝えたいと言うのなら、なおさら江原氏の霊能力が本物かどうか検証をする必要があります。

現実には江原氏は、ニセの霊能力で人々を騙し、霊的世界ならびにスピリチュアリズムに対して疑いを抱かせるようになっています。公言していることと正反対のことをしているのです。

テレビ局にある当たり前の“検証責任”

それと同時に、テレビ朝日とフジテレビは、自分たちのつくる番組が“国民を騙したりペテンを働いていない”ということを証明するために、積極的に公正な検証の場を設けるべきです。そしてその結果を公表すべきなのです。そうしてこそ初めてヤラセでない番組、ペテンでない番組ということになります。

かつてフジテレビは「アンビリバボー」で、ロシアの超能力少女ナターシャに対して、複数の検証者を前に過酷とも言えるような実験を行い、それを放映してきた事実があります。そうであるなら、これと同じことを江原氏に対しても行うべきなのです。「あるある」の問題発覚後、関西テレビでは「あるある」の検証番組を放送していましたが、そんなことをして反省の態度を示そうとするのなら、今行われている「天国からの手紙」についての検証をすべきなのです。江原氏に対して“誰もが納得できるような検証をする”――それが公共性を主張するテレビ局の良心であり誠意ではないでしょうか。ましてやつい先日、BPOから厳しい意見が出されている以上、検証をするのがテレビ局としての当然の責任です。

ニセ霊能者と共謀してペテンを働き、視聴率を稼ぐというような不正をテレビ局がしていいはずがありません。そうした不正は犯罪とも言うべきものであり、厳しく糾弾されるべきです。今のテレビ局には、食品業界の偽装を非難する資格はありません。

霊的真理を手にしたことの重大な責任

シルバーバーチは――「霊的真理を手にした者には、その時点から真理を知らない者にはない重大な責任が生じるようになる」と繰り返し述べています。シルバーバーチは、霊的真理を知識としてとどめるだけで、それを実行しようとしない人間に対して厳しい戒めの言葉を述べています。「霊的真理を手にしながらそれを実行しない人間は、いずれ大きな責任を果たさなければならなくなる。苦しみによって償いをしなければならなくなる」と言っています。

スピリチュアリズムとは、日常生活における霊的真理の実践であり、霊的真理を指針とする信仰的努力に他なりません。自らの良心に忠実に歩み、心の中をすべて見通す神と高級霊の前に恥ずかしくない生き方をすることなのです。最近、日本国内では、食品業界をはじめさまざまなところで偽装問題が次々と発覚して企業に対する信頼が揺らぎ、誰もが疑いを抱くようになっています。ウソと偽装が当たり前となっている社会の中で、多くの人々が“しょせん人間は利己的な生き方しかできないのだ”と思うようになっています。

そうした社会不信・人間不信の時代にあってこそ、スピリチュアリストは陰日向(かげひなた)のない誠実な歩みを通して、無私無欲の生き方が決して空想や単なる理想ではないことを人々に示していかなければなりません。この世の損得に左右されず、人々の幸せと大義のために喜んで犠牲を払い、物質的価値観にとらわれない生き方が本当にできるのだということを世の人々に示していかなければならないのです。“スピリチュアリスト”は、この世の人気や名声や評価を求めず、神と高級霊の前に誠意を尽くす人生の見本となっていかなければなりません。そうした生き方がスピリチュアリストには要求されているのです。

霊的真理を手にするとは、こうした重大な責任を負うことなのです。霊的真理を知った人間は、常に自己を修め、真理に忠実な歩みを心がけなければなりません。まかり間違っても、霊的真理を自分の私利私欲のために利用するようなことがあってはなりません。それはスピリチュアリストとして絶対に許されることではないのです。

残念なことに江原氏は、このスピリチュアリストとしての最低限のルールを踏み外しています。霊的真理を実践しないどころか、それを自分の不正の隠れ蓑(みの)として利用しています。人々を騙してこの世の利益を得るために利用しているのです。これはスピリチュアリストとして最もしてはならないことであり、人間としても許されないことです。口先でうまいことを言って他人を騙すのがペテン師ですが、江原氏の場合は他人を騙すにしても、「霊的真理」という何よりも神聖に扱わなければならないものを悪用しています。“スピリチュアリズム”という人類にとって最高の聖域を、汚しているのです。その意味で江原氏の行為は、世間一般のペテン師よりも、さらに悪質と言えます。

“スピリチュアル・カウンセラー”から大きく逸脱している江原氏の実態

霊界の事実を少しでも実感しているのなら、霊的真理を利用して他人を騙すといった愚行は決してできるものではありません。それは自分の魂を汚す最も恐ろしいことなのです。江原氏は霊界について他人に語りながら、自分自身は霊界を全く実感していないようです。そのために平気で霊界に反する行為をしているのでしょう。他人には魂を磨けと言いながら、自分は他人を騙し続けています。

江原氏は“スピリチュアル・カウンセラー”を自称し、他人の人生相談に乗り、アドバイスを与えています。他人を導く仕事をしています。そして霊的真理を語り、スピリチュアリズムの普及を願っていると公言しています。誰もがそうした江原氏が、平気でウソをついているとは考えません。正義心にあふれた誠実な人間であると信じ込んでいます。他人に人生を教え、魂を磨けと語る人間が、まさかずっと人々を騙し続けてきたなどとは夢にも思いません。

スピリチュアリズムを説く人間には、一般の人々以上に自己克己・自制心が要求されます。良き手本であることが求められます。当然のこととして、道を求める人々を騙すような言動は許されません。ニセの霊能力で相手を騙すような行為は、断じて許されることではありません。それは、子供には“正しく生きよ”と教える父親が“陰で泥棒をする”のと同じことです。そうした行為は子供に対する一番の裏切りであり、子供を軽んじることなのです。

純朴な人々の心を弄(もてあそ)んできた江原氏

スピリチュアリズムの「霊的真理」は、人々の心を動かす大きな威力を持っています。それゆえ特に慎重に、そして最大の誠意を持って扱わなければなりません。霊的真理は、時期がきて一定の霊性に至った人でないかぎり、受け入れることはできません。スピリチュアリズムは、時期がきた一人一人の人間に真理が伝えられるというプロセスを通して、少しずつ広まっていくものなのです。テレビによってPRするといった類(たぐい)のものではないのです。この意味で、「スピリチュアリズム普及のためにテレビに出ることにした」との江原氏の言い訳は、根本から間違っています。また自分の取り巻き・ファンを囲い込むようなサポーターズ・クラブ(会員制のファンクラブ)は、スピリチュアリズムから見たとき、もってのほかと言えます。こうした問題については、いずれホームページなどで取り上げる予定です。)

江原氏は、霊的真理を利用すれば、何も知らない人々をいとも簡単に騙せることをよく知っています。霊能力を演出すれば、大半の人々が好奇心から興味を示し、容易に引っかかることをよく知っています。多くの人間が孤独と不安を抱え、何か頼りにできるものを探し求めています。誰もが“今よりもっと幸福になりたい”と必死にもがいています。そうした純朴な人々の心を操ることは、実に簡単です。ペテン師は、人の弱みに付け込み、言葉巧みに言い寄って騙します。それと全く同じようなことを、江原氏はしてきたのです。

江原氏は「霊的真理」を悪用して、大勢の日本人の心を弄んできました。それは霊的真理を知らない霊能者が他人を騙すこと以上に悪質な行為であり、比べ物にならないほど大きな罪を犯すことなのです。

もっと人々を尊重しなさい、人々を軽んじてはなりません

スピリチュアリストは霊的視点に立って、常に相手の永遠の生命を眺め、いかなる人間に対しても自分と等しい「神の子供」、同じ「霊的同胞」として尊重していかなければなりません。人々の心を弄んで、自分の欲望達成のために利用するようなことは言語道断です。ニセの霊能力を演出して自分に関心を向けさせ、霊的知識を語って適当に感動させたり感嘆させ、優しい言葉で善人と思わせる――それは“スピリチュアリスト”としての最低の行為と言わなければなりません。

江原氏はこれまで、スピリチュアリストとして、あるいは人間として、あってはならない不正を平気で犯してきました。あまりにも純朴な人間の心を軽視し、弄んできました。あまりにも人々を舐(な)め、軽んじてきました。霊的真理に無知な人間であっても、どれほど騙しやすい初心(うぶ)な人間であっても、そうした人々を前にしたときスピリチュアリストは、「神の子供」に対しているという霊的な見方を常にしていかなければなりません。江原氏がこれまで騙し続けてきた人々、江原氏を本物の霊能者として信じてきた人々――彼らも皆、神の分霊を持った「神の子供」であり、永遠の生命を与えられた存在なのです。江原氏が自分の幸福を求めるのと同じように、何とか本当の幸せに至りたいと願っている純朴な人間なのです。

江原氏は、そうした永遠的な価値を付与された大切な人々をウソの霊能力で騙し、彼らが幸せになるようにと神によって与えられた霊的真理を悪用して弄んできました。陰で人々を騙しながら、その一方で慈善事業をする、チャリティーで寄付をするというようなことは“偽善的行為”以外の何ものでもありません。またそんな行為をしたところで「神の摂理」の前には、自らの不正の責任を免れることはできません。

人間としての最低限の常識を守りなさい

江原氏は、他人に人生を語ったり道を諭す前に、まず自分自身を厳しくコントロールして、普通の人間としての最低ラインに立たなければなりません。他人に奇麗事(きれいごと)を語る前に、まず“人を騙さない”という当たり前のことを実行すべきです。

江原氏は本当に自信を持って、自分は良心に忠実な生き方をしている、絶対に人を騙していないと断言できるでしょうか。江原氏の動機と隠れた行為をすべてご存知の高級霊の前に、恥ずかしくない生き方をしていると断言できるでしょうか。

私たちが江原氏に対して述べていることは、誰もが分かる常識的なことばかりです。決して高度な人生の真理について言及しているのではありません。まだ霊的真理を知らない人々を騙してはならない、人を騙して名誉や人気を得ようとしてはならない、物質的価値観に立った生き方をしてはならない、最も神聖なスピリチュアリズムを汚してはならない、高級霊の無私無欲の誠意と犠牲を踏みにじってはならない、そして自分自身の魂をこれ以上汚してはならない、ということなのです。

何を言うかではなく何を行っているかが、その人間の真価を決定するというのが、スピリチュアリズムの大原則です。江原氏はこれまで、ウソをついて他人を騙してこなかったでしょうか。そのウソを、スピリチュアリズムやボランティアを利用して偽装するような卑劣なことをしてこなかったでしょうか。そして今もしていないでしょうか――祈りの中で、神の前に自分の良心をさらけ出し、神と素直に向き合って反省すべきです。

人間は皆、弱点を持ち、煩悩や未熟さから多くの失敗をしてしまいます。誰もが過去の失敗を恥ずかしく思っています。しかしいかなる失敗も、その間違いに気がついた時点で猛省をし、二度と同じ過ちは繰り返さないとの決心によって再出発することができるようになります。もちろんそれまでに犯してしまった罪については、苦しみや悲しみ・孤独・後悔の体験は避けられませんが、本心からの反省と再出発の決意があるなら、霊界の高級霊は咎(とが)めるようなことはしません。

江原氏が現在、さまざまなところから受けているバッシングは、自らの不正に対する当たり前の反応なのです。江原氏が言っているような、スピリチュアリズム普及という大義のために受けている名誉ある犠牲などではありません。ただ単に自分自身が犯した不正のために受けている当然の報いにすぎません。

私たちは、江原氏がスピリチュアリズムを語って人々を騙し続けるかぎり、今後もホームページなどを通して、その不正を指摘していくつもりです。前号でも述べましたが、江原氏に対して質問をし、答えを求めていきたいと思っています。それをホームページ上で公表していきたいと考えています。

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