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健康とカルマの法則の関係

人類にとって健康は重大な問題です。病気になると健康の大切さ・ありがたさを身にしみて感じるようになります。“肉体”は地上で働くための「魂の道具」です。その道具が故障していては思うように貢献できません。健康はお金で買うことはできません。いくら高度な医療に頼っても限界があります。たとえ億万長者であっても病気になったとたんに、お金の力は地に墜(お)ちてしまいます。人が幸福な人生を送るためには、道具である肉体の健康は欠かせません。心の平安と喜びこそが何よりも大切ですが、肉体を病んでいては将来に希望を見出すことができなくなります。

現在の地球上において完全な健康を手にしている人間は、きわめて一部に限られます。文明が発達した先進国であればあるほど、病気が当たり前となり、健康は遥か彼方の理想となっています。物質文明の発展とともに、人間の幸福の条件である健康は、ますます手の届かないものになろうとしています。これほど多くの人々が大切な肉体を病んでいるという実情は、地球人類の霊的レベルを物語っています。

人間の本当の健康については、霊的成長を含めた霊的視点に立たないかぎり理解することはできません。その意味でスピリチュアリズムの「霊的真理」は、遠い将来における地球人類に本物の医学をもたらすことになります。近年始まったホリスティック医学は、これまでの唯物医学を克服しようとしていますが、真のホリスティック医学はスピリチュアリズムの霊的真理を取り入れたところに初めて成立するものなのです。

今回は霊的真理の観点から、人間の健康と病気の問題を見ていくことにします。それを通してスピリチュアリズムが、医学の最も深い世界を明らかにしていることを理解できるようになるはずです。内容は次のようになっています。

【1】人間の健康を決定する摂理との調和状態

人類は長い期間をかけて、健康とは何かを探り求めてきました。しかし現在に至るまで、明確な健康の定義は確立されていません。それは霊(魂)や霊体などを含めた人間観がなかったためです。

スピリチュアリズムは人類史上、初めて霊や霊体といった「霊的要素」をトータル的に把握する霊的視点をもたらしました。ここではスピリチュアリズムの霊的真理によって明らかにされた「健康とは何か」――すなわち“健康の定義”について見ていくことにします。

1.調和と不調和、自然と不自然について

自然界との一体化と、人間の全体調和

最近になって、人間が自然と共生することの重要性が認識されるようになってきました。これまでのような“自然界を支配すべきだ”といった人間中心的な考え方が、人類にとってさまざまな問題・悲劇を引き起こすことが明らかにされるようになってきたからです。近世以降の物質文明の発展にともなって人間は傲慢になり、自然を人間に都合のいいようにつくり替えることが当たり前とされてきました。自然界を支配することによって人間はもっと幸福になれる、と考えてきたのです。

しかし、そうした考え方の間違いと歪(ひず)みが、いろいろなところで表面化するようになってきました。自然界を支配しようとする人間の傲慢さは、人類に幸福をもたらすのではなく、反対にさまざまな悲劇をもたらすことが明らかになってきました。それと同時に「人間は自然界の一部分であり、自然と共生関係を保ってこそ幸せになれる」ということに気がつくようになったのです。最近になって地球人類は、自然支配から「自然との共生・協調」へと少しずつ舵(かじ)を切り始めるようになりました。人々がその強欲さから自然界を破壊してきたこれまでの愚行を反省するようになったことは、一つの霊的進歩と言えます。

では、自然界と共生・協調していくことが、どうして人間の幸せにつながるのでしょうか。人間は自然と触れ合うとき、「霊的エネルギー(生命エネルギー)」が充電されて心の疲れが癒され、心身がリフレッシュするようになります。この心地よさ・すがすがしさのために、多くの人々が自然との触れ合いを求めています。人間は自然界と協調関係を保ち、自然界と一体となるとき、全体が調和状態に置かれるようになります。そして自然界にみなぎっている「生命エネルギー」によって心身が満たされるようになるのです。

自然との触れ合いの中でこうした体験をするようになるのは、自然界が人間界と違って、常に「神の摂理」と一致した状態に置かれているからです。自然界の営みと自然界の様相・状態は、神の摂理の完全な支配下に置かれ、神の摂理と一致しています。それに対して“自由意志”を持った人間は、神の摂理からずれた生き方をして不調和を引き起こし、アンバランス状態に陥っています。自然界は神の摂理に従って存在し、神の定めた調和状態を保っているのに対して、人間のつくり出した世界は神の摂理から懸け離れた状態にあります。霊的視点から見ると、自然界は明るくて眩(まぶ)しい光に包まれ、人間界はどす黒い霊気に包まれています。

どす黒い霊気の世界に住む人間も、自然界の中に浸り、自然と一体となることによって一時ではあっても神の与えた調和状態に置かれるようになります。調和した自然界によって浄化され、人間にも調和がもたらされるようになるのです。人間は自然界と一体化することで、「神の摂理」と一体化することができます。そのためにすがすがしさがもたらされ、エネルギーが湧き上がってくるようになるのです。

神の摂理との一致によってもたらされる 調和状態

自然界のように神の摂理と一致した状態を維持できるなら、人間にも完全な調和が訪れるようになります。神の摂理と一致することは自然と一体化するということであり、それによって人間に調和がもたらされるようになるのです。人間が神の摂理と一致せず、神の摂理から逸脱して不自然な状態に置かれると、全体が不調和になってしまいます。“病気”とは、こうした神の摂理との不一致によって生じる不調和から発生するものなのです。不自然な状態が肉体機能の異常をもたらし、病気を引き起こすことになるのです。

病気は自然界との不一致・不調和状態の反映であり、神の摂理からずれた結果に他なりません。人間は神の摂理と一致した状態を保ち、初めて本来の調和状態・自然状態に置かれ、健康を維持することができるようになっています。人間の身体は、そうした仕組みに造られているのです。神の摂理から逸脱し、不調和状態・不自然状態に陥ると、その歪みが苦しみ・痛みとなって現れるようになります。病気の苦しみ・痛みは、このようにして発生するようになっています。病気の苦痛は、その人間の何かが神の摂理(法則)から逸脱して異常になっていることを示すサインなのです。

2.心の調和状態と不調和状態

人間の心の構成

人間が動物と違って人間らしさを発揮できるのは「霊の心」があるからです。人間の高次の意識・精神活動は、すべて「霊の心」に由来します。人間特有の高次元意識は「霊の心」の内容なのです。肉体を持った地上の人間は、この「霊の心」と「肉体本能」を「一つの心」として自覚するようになっています。こうした見解は、スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた画期的なものです。

ところが、そこにはさらに驚くような事実があります。それは地上の人間には「霊の心」の内容(霊的意識)のすべてが自覚されるのではなく、その一部分だけが自覚されるようになっている、ということです。これはきわめて重要な意味を持っています。地上人が通常「心」として自覚しているのは、「霊の心」の一部分(霊的意識の一部分)と「肉体本能(本能的意識)」を合体させたものなのです。“顕在意識”と言われている通常意識(心)の中身は、霊的意識の一部分と本能的意識から成り立っているということです。

以上の内容を図示すると次のようになります。

人間の心の構成

心の調和状態・不調和状態とは?

前頁の図のAで示した霊的意識の一部分と、Bで示した本能的意識の間には力関係が存在します。A>Bのとき、これを「心の霊主肉従状態」と言い、反対にA<Bのとき、これを「心の肉主霊従状態」と言います。地上人の心は「霊主肉従状態」か「肉主霊従状態」のいずれかにあります。言うまでもなく摂理にかなっているのは霊主肉従状態です。

心が霊主肉従状態にあるとき、その人の心は調和がとれている・自然な状態にある・摂理と一致した状態にある、ということになります。

心の霊主肉従状態

心の肉主霊従状態

心の調和状態と「利他性の摂理」との関係

自然界は、神によって与えられた「利他性」という摂理によって支配されるようになっています。神が造られた宇宙・自然界とそこに存在する万物も、利他性という「神の摂理(法則)」のもとで存在し運行するようになっています。利他性とは、一つの個が全体のために奉仕し、全体に協力し、全体の秩序と幸福を優先するあり方です。そのとき個は大きな世界の一員となって、より大きな幸福に浴するようになります。これが神の定めた「利他性の法則」です。

宇宙も自然界もこの「利他性の摂理(法則)」に貫かれており、各世界を構成する存在が全体のために奉仕し協力し、全体の進化を促し“一大調和世界”をつくり上げるようになっています。一見、弱肉強食の世界のように映る野生動物の世界も「利他性の法則」のもとで全体として秩序が維持され、調和が保たれています。人間も神によって造られた存在である以上、「利他性の法則」によって支配されるようになっています。利他性の法則の支配の中で、宇宙や自然界・生物界との間に調和関係を築き“一大調和世界”の一員になることができるようになっているのです。

そしてそのとき人間は、神が準備してくれた喜びと幸福を満喫できるようになります。人間が神の摂理と一致し、自然界と一体となったとき、人間に調和状態がもたらされ健康が確立されるようになるのです。

利他性と利己性

人間が健康と幸福を手にすることができるかどうかは、ひとえに「利他性」という神の摂理といかに一致するか、という点にかかっています。ここに健康と幸福に至る最大の秘訣(ひけつ)があります。人間が利他性を心のあり方・人生の指針とし、それを実践に移すとき、本当の意味での健康と幸福を手にすることができるようになるのです。

人間が自分のことより人類全体の進化と幸福を願い、また動物全体の幸福を願い、そのために自分の人生を捧げようとするとき、心は摂理と一致し、平安が訪れるようになります。これが「心の調和状態・自然状態」です。常に全体の幸福を願い、そのための実践に励むとき、心は神の摂理と一致し調和状態に置かれるようになるのです。心の調和とは、このように他者への利他愛の中でもたらされるものなのです。

この「利他性」の反対が「利己性(エゴ)」です。利己性とは、全体より自分のことを優先することです。他人の幸福・全体の幸福より自分の利益と幸福を優先することです。周りを犠牲にしても自分自身の快楽と満足・喜びを求めることなのです。こうした「利己性(エゴ)」は、神の摂理に反し、人間の心を不調和状態・不自然状態に陥れてしまいます。心の中から利己性を取り除かないかぎり、全身が調和状態に置かれることはありません。利己的な思いを持つこと・利己性に心が支配されることが、実は肉体の病気の一番の原因となっているのです。利己性という「心の不調和」が、全体を不調和状態に陥れ、肉体に異常を引き起こすようになるのです。

  • 利他的な心・利他的な思い=心の調和状態
  • 利己的なな心・利己的な思い=心の不調和状態
自由意志と利他的生き方

人間は他の動植物とは異なり、神から“自由意志”を付与されています。人間以外の生命体は、神の摂理の直接的支配のもとに置かれており、人間のような自由意志は与えられていません。自由意志は、神が人間だけに与えた特別な権利なのです。人間だけに特権が与えられたということは、人間には他の生命体にはない特別な義務と責任が課せられているということを意味しています。

その義務と責任とは――「自分自身の判断で神の摂理と一致する方向性を選択し、自らの努力によって摂理を実行していく」ということです。人間には、自ら利他性という摂理を志向して心を調和状態にするのか、反対に利己性を志向して心を不調和状態にするのかを選択する自由が与えられているのです。

地球人類は今日まで、ずっと摂理に反する方向性を選択し、人間世界全体を不調和状態・不自然状態に陥れてきました。そしてその当然の結果として、地球上には病気が蔓延するようになっています。

心の不調和状態が招く心の苦しみ・痛み

人間の健康にとって一番重要な要素は「心の調和」です。もし心が不調和状態にあるなら、他の構成要素も、すべて不調和状態・不自然状態・摂理との不一致状態に置かれるようになります。したがって「心の調和」は、人間の健康を左右する最大の要因と言えます。心の不調和は心の異常であり、これが肉体の病気の根本原因となっています。心の不調和状態を解消しないかぎり、肉体の病気を完治させることはできません。

人間には、自分が神の摂理から外れた不調和状態・不自然状態に陥ると、それを感知するセンサーが与えられています。心の苦しみ・痛みです。心が「利己性」という神の摂理から外れた状態に陥ると、心には苦しみ・痛みが発生して異常を知らせるようになっているのです。その“心の痛み”とは、恐れや不安・孤独・寂しさ・虚しさ・悲しさであり、暗さやエネルギーの欠乏感です。こうした心の苦痛を放置し続けると霊的エネルギーの流れが滞(とどこお)り、心身全体の不調和状態が進行し、やがて肉体に異常が現れるようになります。利己性(エゴ)から生じたさまざまな心の苦痛が、肉体の異常・肉体の痛みを引き起こすようになるのです。

「心の不調和をどのようにして解消するのか?」――これが病気治療の鍵となることは言うまでもありません。こうした内容については後で詳しく取り上げます。

3.霊肉関係の不調和状態

人間は、「霊」と「霊の心(霊的意識)」と「霊体」と「肉体の心(本能))」と「肉体」の5つの部分から構成されています。この5つの構成要素の全体に注目したとき、人間の不調和状態とは――「霊的な構成要素」と「肉的な構成要素」の位置関係の逆転と言えます。すなわち「霊肉関係の異常」が不調和状態ということになります。

ここでは人間の不調和状態を、人間の構成要素間の関係・霊肉関係の観点から見ていくことにします。

人間の構成要素から見た不調和状態

人間が神の摂理から逸脱して不調和状態・不自然状態に置かれているときには、人間の一つ一つの構成要素も不調和状態・不自然状態になっています。当然、心も不調和状態に陥っています。「心の不調和」とは、今述べたように霊的意識が本能的意識に支配されてしまっている状態のことです。霊的意識が本能的意識を支配するという本来の上下関係の逆転、つまり心の中の霊的部分と肉的部分の位置関係の逆転のことです。言い換えれば「心の肉主霊従状態」ということになります。

神の摂理との不一致によってもたらされる不調和状態は、人間を構成する各部分に及ぶと同時に、それぞれの構成要素の間においても不調和状態を生み出します。人間が不調和状態にあるとき、人間を形成する「霊的な構成要素(霊・霊の心・霊体)」は「肉的な構成要素(肉体本能・肉体)」に支配されてしまっています。したがって人間の不調和状態とは――「霊・霊の心・霊体<肉体本能・肉体」という肉主霊従の関係と言えます。

一方、すでに述べたように人間が不調和状態にあるとき、人間の心を形成する「霊的要素(霊的意識)」は「肉的要素(本能的意識)」に支配されてしまっています。したがって人間の不調和状態とは――「霊の心<肉体本能」という肉主霊従の関係と考えることもできます。

また人間は、霊的な身体(霊体)と物質的な身体(肉体)という2つの身体から形成されています。人間が不調和状態にあるとき、霊体は肉体に支配されてしまっています。したがって人間の不調和状態とは――「霊体<肉体」という肉主霊従の関係とも言えるのです。

  • 人間の構成要素から見た不調和状態とは――「3次元の肉主霊従」
  • 霊・霊の心・霊体肉体本能・肉体
  • 霊の心肉体本能
  • 霊体肉体

以上のように人間の構成要素に注目してみると、3次元の肉主霊従の関係が明らかになります。人間が不調和状態にあるとき、人間を形成する各構成要素間において「肉主霊従」という逆転が発生しているのです。

4.肉体の不調和状態と病気の発症

ここでは肉体の不調和状態について見ていきます。人間が不調和状態・不自然状態にあるとき、人間の構成要素の一つである肉体それ自体も不調和状態となっています。そこから肉体の病気が発生するようになります。

神が与えてくれた「生体維持機能」

神は、人間が地上世界で健康に生き、霊的成長を達成するようにあらゆる仕組みを付与されました。人間の肉体には、そうした神の配慮が満ち満ちています。人間が神の摂理と一致し調和状態にあるとき「霊的エネルギー」は順調に全体を循環し、各構成部分が活性化されるようになります。そして霊的エネルギーは最後に肉体にも行きわたり、健康が保たれるようになります。

人間の肉体には、全身の生理機能を維持し、健康を保つためのさまざまなシステムが準備されています。神は、人間が物質世界で健康に過ごし、寿命を全うするように造られました。その肉体の健康維持のためのシステムが、「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」であり「免疫機能」であり「自然治癒力」です。

「ホメオスタシス」とは、外部の環境がどのように変化しても体内の状態を安定させるシステムのことです。例えば暑い所に行けば、汗をかいて細胞の燃焼度合いを低下させるなどして体内の温度を上げないようにします。また塩辛い物を食べれば、喉(のど)が渇いて水を求めるようになります。これによって体内の塩分濃度を一定に保つのです。また血中のカルシウム濃度が低ければ、カルシウムの吸収を高めたり、身体の他の部分からカルシウムを運んできて、血中のカルシウム濃度を一定に保とうとします。このように人間の肉体は、ホメオスタシスによって常に安定した状態を保ち続けることができるようになっています。肉体という超精密機械の性能を、維持することができるようになっているのです。

「免疫機能(免疫システム)」とは、有害な細菌やウイルスなどの外敵から肉体を守るためのシステムです。人間を取り巻く生態系環境には、人間を死に至らせるさまざまな外敵が存在し、私たちは絶えずその侵入にさらされています。こうした侵入者に対して免疫システムはすばやく対処し、外敵を取り除いて病気の発症を防いでくれます。免疫システムが機能することで、たとえ発症しても軽度ですむようになります。人間は想像を絶するような緻密で正確な免疫システムによって、微生物の大海の中にあっても、生命を維持していくことができるようになっているのです。免疫システムは人間にとっての生命線そのものです。一方、免疫システムは外部からの侵入者を取り除くだけではなく、内部で発生する異物(老化細胞・ガン細胞など)も排除し、人間が健康を保つことができるように働いています。

「自然治癒力」とは、肉体が何らかの理由で外敵の侵入を許しダメージを受けたときや、ケガなどで身体機能を損なったとき、元通りに修復して健康を回復させるシステムのことです。この自然治癒力が備わっているために、一定の範囲ならば肉体は元の状態を取り戻すことができるのです。使用不可能になった細胞を取り除いて新たに再生したり、弱体化した免疫システムの能力を復活させたりするシステムのお蔭で、人間は病気をしたりケガをしても生き延びることができるのです。

このように人間の肉体は――「ホメオスタシス」「免疫システム」「自然治癒力」という3つの生体システムによって健康が維持されるようになっています。人間が調和状態・自然状態を保っているなら、神が与えてくれた生体システムが順調に働き、健康を維持し長寿を全うすることができるのです。

肉体の不調和状態と生体維持機能の低下

霊的エネルギーの不足から人間が不調和状態に置かれると、肉体も当然、不調和状態に陥ります。肉体の不調和状態とは霊的エネルギーの枯渇した状態であり、霊の心よりも肉体本能が優位に立ち、霊体よりも肉体が支配的になってしまうことです。

こうした状態になると、神が肉体の健康維持のために与えてくれた生体システムが十分に力を発揮できなくなってしまいます。その結果、生体維持機能が徐々に低下し、最終的に肉体の病気という破綻状況を招くことになるのです。人間の不調和状態・不自然状態は、神が与えてくれた素晴らしい生体システムの機能を低下させ、病気という異常な事態を引き起こすようになるのです。

以上は、スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた「人間の霊的生理学・人間学」のあらましです。

【2】霊的事実に基づく「カルマ病因論」……人はなぜ病気になるのか?

この章では「病因論」――すなわち病気の原因について学びます。ガンなどの病気になると、人は決まったように「なぜ自分が病気になったのか? 何も悪いことはしてこなかったのに、どうして自分が……」と言います。患者の中には、病気を治せない医者を非難するような人間もいます。最近では生活習慣病についての知識が広まり、食生活や運動などの日常生活が病気発症の大きな原因となっていることが理解されるようになりました。これがエスカレートして、間違った食事がすべての病気の原因であるとか、運動不足が病気の根本原因であるといった偏狭な考え方を生むようにもなっています。

一方、遺伝子研究の進展にともない、遺伝的な要因に注目が集まるようになっています。医者から「あなたには病気を発症しやすい遺伝的な要因がある」と聞かされると、“自分は病気から逃れられない”と思い込み、絶望感を持つようになる人もいます。果たして遺伝が病気のすべての原因・最大の原因と言えるでしょうか。遺伝子研究の進展とともに、先天的要因と後天的要因の関係が現代医学の重要なテーマになりつつあります。医学書や健康関係の書籍を見ると、病気を引き起こす原因についてさまざまに論じられていますが、それらを読めば読むほど、いったい何が自分の病気の本当の原因なのかが分からなくなってしまいます。

ここでは霊的観点から病気の原因について学んでいきます。人間は霊的存在として造られている以上、病気の原因も霊的レベルにまで掘り下げないかぎり、本当の答えを得ることはできません。スピリチュアリズムは、これまで明らかにされてこなかった病気の原因について驚くような見解を示しています。その病因論とは、霊的事実に基づく「カルマ病因論」です。

1.病気は偶然か、それとも必然か

初めに病気の偶然性・必然性の問題を取り上げます。病気は、運悪く偶然に発症するようになったものなのでしょうか、それとも何らかの原因があって必然的な結果として発症するようになったものなのでしょうか。

運が悪かったから病気になった?

ある人が病気で若死にしたという話を聞くと、「本当に気の毒に、運が悪かったのだ」と同情します。そして「自分は病気にならなくてよかった」とホッとします。

しかし病気が自分の身に及ぶと、事態は突然、深刻になります。同年齢の人間・同じ職場の人間が健康で働いている中で、自分一人だけが入院を余儀なくされるようになると、大きなショックを受けることになります。もしガンなどの“不治(ふじ)の病()やまい”を宣告されたなら、恐れを通り越して絶望に変わってしまうようになります。ガン・心臓病・脳卒中による死亡率が、死亡原因全体の7割近くにのぼっている現状にあっても、ガンの宣告を受けると「どうして自分だけが……、自分は何と運が悪いのか」と考えるのが普通です。運が悪かったと自分自身に言い聞かせることで、少しでもショックを和らげようとしているのかもしれません。

「病気になったのは運が悪かったからだ」という言い方は、“病気は偶然に生じたもの”という大半の人々の認識の仕方を物語っています。

病気は偶然ではない。病気は必然の結果

宇宙・生命界(動植物界)・人間界のすべての存在物は、神によって創造されました。神はこれらすべての存在物(万物)を、自ら造り出した摂理(法則)によって支配しています。万物は神の摂理のもとに存在し、活動・運行するようになっています。人間も神によって創造され、神の摂理の支配のもとに置かれています。

人間が神の摂理と一致した生き方をするなら調和が保たれ、自然界と一体となります。そして人間を構成する各要素が活性化され、健康が維持されるようになります。このとき人間は、肉体の健康ばかりでなく、神の準備された魂の喜び・幸福を満喫することになるのです。もし神の摂理と一致できず、不調和状態・不自然状態に陥ると病気が発生するようになります。

人間は神から“自由意志”を与えられています。したがって人間は、自らの判断によって摂理にそった方向を選択し、自らの努力によって摂理と一致した歩みをしていかなければなりません。そうしてこそ健康を維持し、魂の喜びと幸福を手にすることができるようになるのです。

以上のような“神の創造”という大局的な観点に立って人間を見るとき“病気”とは――「神の摂理に自ら背(そむ)き、摂理と一致しなかった不調和の結果である」ということになります。健康になるのか、病気になるのかの選択権が人間に与えられている中で、自分自身で病気になる方向を選択し、必然的に病気を発生させることになった、ということなのです。

こうした霊的観点から考えてみると、「運が悪くて病気になった」「偶然に病気になってしまった」というようなものではないことが分かります。病気は自らの選択の必然的な結果であり、病気の原因は自分自身にあるということなのです。

病気は“自業自得”

現在、病気で苦しんでいる人々にとって、こうした見解はあまりにも厳しい内容と思われるでしょうが、霊的観点からすれば間違いのない事実なのです。神の摂理によってすべてが支配され運行されている宇宙には、偶然とか、奇跡といったものはありません。偶然に病気になった、運が悪くて病気になったというようなことはないのです。病気の原因は自分自身がつくったものであり、病気は“自業自得”ということなのです。

とても厳しい教訓ですが、これがスピリチュアリズムが明らかにした霊的事実です。

スピリチュアリズムが他にはない厳しい見解をストレートに示しているのは、病気を不幸とは見なしていないからです。スピリチュアリズムでは、病気は幸福になるための再生のチャンスであり、ある意味で人間にとってありがたいもの・必要なものと考えています。こうした思想的背景があるため、病気は“自業自得”であるとの厳しい見解を示すことができるのです。

2.病気の究極的原因は、摂理への違反・不一致――新しいカルマ論の登場

神の摂理のもとにある人間

人間は霊的要素と物質的(肉的)要素から構成されており、それぞれの領域が神の摂理によって支配されています。人間の霊的領域は「霊的法則・精神的法則」によって支配され、肉体的領域は「肉体的法則(生理的法則)」によって支配されています。そして霊と肉の両方にまたがる領域は「霊肉の法則」によって支配されています。

神の摂理のもとにある人間1

神の摂理のもとにある人間2

病気の究極原因は、神の摂理への違反・不一致――霊的事実に基づく「新しいカルマ論」

病気とは人間全体(全構成要素)の不調和状態・不自然状態のことですが、それは神の摂理に違反し、摂理と一致しないところから発生したものです。人間が神の摂理と一致しているなら心身全体が調和状態に置かれ、健康が維持されるようになります。神の摂理と一致していないために不調和状態に陥り、肉体レベルにまで異常(病気)が発生するようになるのです。

大局的な観点から言えば“病気の根本原因”とは―「神の摂理に反した考え方・行動・生き方・日常生活」ということになります。こうした神の摂理と一致しない考え方・行為を「カルマ」と呼びます。スピリチュアリズムの病因論は、病気の究極原因をカルマとする「カルマ論」です。カルマ説は、古代インドの輪廻思想の中で説かれてきました。そしてそれは近代以降の神秘主義やニューエイジ・ブームによって、再び注目を集めるようになりました。

しかしその古いカルマ説の内容は、霊的事実から大きく懸け離れた空想と言ってもいいようなものです。スピリチュアリズムは、そうした古いカルマ説とは異なる霊的事実に基づく画期的な「新しいカルマ論」をもたらすことになりました。

異なる領域におけるカルマ

人間は、「霊的次元」「精神的次元」「肉体的次元」そして「霊肉両次元」にわたる無数の摂理(法則)によって支配され、生かされています。無数の霊的法則・精神的法則・肉体的法則・霊肉の法則が同時に作用する中で、人間は生存するようになっているのです。

そうした法則の中で特に人間の健康に関係するものが、心の領域における「利他性の法則」であり、霊と肉に関係する「霊優位の法則」であり、肉体に関係する「生理的法則」です。

一般的に言う心は、霊的領域と精神的領域に関係しています。そのためここでは、霊的領域と精神的領域を一つにして「心の領域」として取り扱います。

神の摂理への違反・不一致のことを「カルマ」と言いますが、カルマには、霊的次元におけるもの、精神的次元におけるもの、肉体的次元におけるもの、霊肉両次元におけるものがあります。こうした異なる次元の「カルマ(摂理への違反・不一致)」が、心身全体の不調和を引き起こし、最終的に病気を発生させることになるのです。つまり“病気の根本原因”は――「霊的・精神的次元(心の次元)のカルマ」「霊肉両次元のカルマ」「肉体的次元のカルマ」ということになります。これがスピリチュアリズムが明らかにした病気の究極的原因なのです。

次に、こうしたカルマの具体的な内容を見ていきます。

3.病気を引き起こす、さまざまなカルマ――カルマの具体的な内容

病気が「カルマ(神の摂理への違反・不一致)」から発生することが明らかになりましたが、そのカルマとは具体的にはどのようなものなのでしょうか。ここでは病気の原因となるカルマの種類と、カルマの具体的な内容について見ていきます。

カルマは、「霊的・精神的領域(心の領域)」「霊肉の領域」「肉体の領域」のそれぞれに発生します。ここでは各領域ごとに、カルマの内容を見ていきます。

(1)霊的・精神的次元でのカルマ(心のカルマ)

神の摂理と一致した心の状態

心が神の摂理と一致しているとき、心の底から「利他愛」が溢れ出るようになります。そして心は平安と希望と自信に満ち、働く喜び・奉仕の喜びが湧き上がり、周りの人々や動植物への愛の思いで占められるようになります。人類全体の幸福を願い、常に祈りを捧げたいような心境になるのです。

人間は本来、こうした心持ちで地上人生を送るようになっています。実際に霊界では、すべての人々が利他愛に溢れ、平安と希望と奉仕の喜びと充実感を持って生活しています。それとは反対に現在の地球上では、多くの人々が「利己愛」に支配され、不安と悲しみと絶望の中で人生を過ごしています。

利己愛という「心のカルマ」

地上人の心には霊的意識と本能的意識が同居していますが、霊的エネルギーが枯渇すると、霊的思いは心の片隅に閉じ込められてしまうようになります。霊的意識は閉ざされ、押し殺されてしまいます。すると心全体が本能的意識(肉体本能)に支配されるようになり、自己を超えた霊的感性を持てなくなり、利己愛が心を占めるようになります。「利己愛」は、利他愛という神の摂理に反したカルマです。

霊的・精神的領域におけるカルマ、言い換えれば“心の世界”におけるカルマとは――「心が神の摂理から外れ、不調和状態に陥っていること」を意味します。具体的には「心が利己的な思い・自己中心的な思いに支配された状態」のことを指します。

不安・恐れ・孤独感・絶望感などのマイナスの感情も「心のカルマ」

こうした心の不調和状態にあっては、霊的エネルギーの枯渇状況が進行し、心の活力が失われていきます。それにともない、不安・恐れ・怒り・悲しみ・虚しさ・孤独感・絶望感・無気力感・嫉妬といったマイナスの感情が心を占めるようになっていきます。肉体本能から発する利己的な感情・マイナスの感情が、次々と心の中に湧き出るようになります。

現在の心理学では“ストレス”が重要なテーマとなっていますが、ストレスとは外部から加えられた圧力(ストレッサー)によって引き起こされる内部の不調和状態のことです。最新の科学は、ストレスが病気の大きな原因となっていることを明らかにしつつあります。それについては、スピリチュアリズムも同じ見解に立っています。“ストレス”とは心の中に発生したマイナスの感情であり、まさに「心のカルマ」なのです。

絶えず「心のカルマ」をつくり出している地上人

地上人類の多くが、利己愛と自己中心的な思いに支配され、心の中に恐れや虚しさ・孤独感といったマイナスの感情を溜め込んでいます。心全体を不調和状態に陥れているのです。その実態は――「地上人は絶えず心のカルマをつくり出している」ということを意味しています。

大半の人々は、人間が恐れや怒り・悲しみ・虚しさ・孤独感といったマイナスの感情を持つことを、それほど深刻な問題とは考えていません。人間である以上、そうした感情を抱くのは当たり前のことであり、避けられないことのように思っています。しかし多くの地上人に共通して見られる「心の不調和状態・マイナスの感情(心のカルマ)」は、肉体を持たない霊界人にとっては無縁のものなのです。霊界人は、地上人が心に抱いているような「マイナスの感情(心のカルマ)」を持つことはありません。これは霊界人が、地上人と違って肉体という物質の身体に包まれていないからです。

そうは言っても、地上人であれば必ずマイナスの感情を持つようになるというわけではありません。努力いかんでは避けられるものです。心の中から唯物的な思いを拭い去って霊的意識を持ち続ける努力をし、利他愛が心を占めるように努めるなら「マイナスの感情(心のカルマ)」を持たずにすむのです。肉体から発するマイナスの感情を克服することは、地上人が「霊的成長」をなすためには乗り越えなければならない“霊的修行”なのです。

地上の宗教がつくり出す「心のカルマ」

宗教には熱情がともなうため、単なる道徳では達成できないような高貴な生き方・犠牲的な生き方を可能にします。その一方で宗教・信仰は、人間の心を強力に拘束し洗脳するという性格を持っています。そのため方向性を間違うと、宗教は盲信・狂気を生み出すことになってしまいます。残念ながら現在までの地球上の宗教には正しい霊的知識がなく、正しい方向性を持つことができませんでした。そして特定の人間と宗教組織にとって都合のいい間違った人工的教えを、純朴な人々に強いることになってきました。

地球上の宗教には、例外なく強烈な“宗教エゴ”が付きまとっています。自分たちの宗教だけが正義であって神の意志にかなっており、自分たちに反対したり対立する宗教はすべて悪であると決めつけます。霊的視点から見ると、地球上の宗教が主張する正義には、ほとんど正当性はありません。宗教エゴに基づく偏狭で空想と言ってもいいような世界観・価値観・人間観・人生観があるだけなのです。

こうした間違った宗教を信仰することによって、本来なら持たずにすむ「心のカルマ」をわざわざつくり出してしまうようになります。宗教エゴに翻弄(ほんろう)され、他の宗教を憎み、怒り、罵倒(ばとう)することが信仰的正義とされ、あまりにも多くのカルマを心の中に生み出しています。率直に言えば、従来の組織宗教などむしろない方がよい、ということなのです。人間は間違った信仰によって恐怖心を抱き、的外れな悲しみと絶望を味わい、平和の代わりに争いを引き起こし、利己性を増大させてしまっています。地上の宗教が、人間を幸福から遠ざけ、病気を引き起こす原因になっているのです。

(2)霊肉次元でのカルマ

人間は神によって霊的存在として造られています。その人間が霊的存在として立つための最低条件が、「霊優位・霊主肉従」という霊的原則・霊的法則を守ることです。人間を形成する構成要素のどの部分をとっても、常に霊的要素が肉的要素に対して優位になっていなければなりません。これが「霊肉関係の法則(霊優位の法則)」であり、この関係が逆転したものが「霊肉関係のカルマ」です。

地上人を形成する霊的要素は「霊」と「霊の心」と「霊体」で、肉的要素は「本能」と「肉体」です。人間の全体が霊的要素<肉的要素となっていると、神の摂理に反することになります。一方、地上人の心を形成しているのは「霊的意識」と「本能的意識」ですが、心の全体が霊的意識<本能的意識となっているなら、神の摂理に反します。また地上人は「霊体」と「肉体」という2つの身体から形成されていますが、これも霊体<肉体という状態になっているなら、神の摂理に反します。

多くの地上人が、霊よりも肉体を優先して「肉優位・肉主霊従」の生き方をしています。そして、さまざまな次元のカルマを発生させています。この「霊肉関係のカルマ」は、「心のカルマ(霊的・精神的レベルの不調和)」から自動的に発生するようになっています。したがって「心のカルマ(霊・精神のカルマ)」が、「霊肉関係のカルマ」を発生させる原因と言えます。

(3)肉体次元でのカルマ

生体維持機能を阻害するもの

人間が調和状態に置かれると、霊的エネルギーが心身全体をスムーズに循環し、各構成要素を活性化することになります。このとき肉体も霊的エネルギーに満たされ、神が肉体維持のために準備した生体システム(ホメオスタシス・免疫機能・自然治癒力)が順調に作動し、肉体を健康に保つことになります。神が地上人の肉体を維持するために与えたこの機能こそ「肉体的法則(生理的法則)」に他なりません。3つの生体維持機能は、神が定めた肉体的法則の表現形式なのです。

こうした神によって設けられた肉体維持のためのシステムに反する行為が、肉体レベルでのカルマです。“肉体次元のカルマ”とは―「神が与えた肉体維持のシステムの働きを阻害し、ダメージを与えるようなモノや行為のこと」です。肉体次元のカルマの内容にはさまざまなものがありますが、大きくは「極端に偏った肉体の使用」「限度を超えた本能的快楽の追求」「毒物の摂取」の3つに分けられます。

間違った肉体の使用

極端に偏った肉体の使用とは、オーバーワークや過労・睡眠不足といった肉体酷使(こくし)のことです。こうした間違った肉体の使用は確実に生体維持機能にダメージを与え、その働きを低下させることになります。

一方、人間の肉体は適度に動かす(使用する)ことで健康が維持されるように造られています。「適度に運動する」ということは、神の摂理と一致しています。最低限の運動もしないということは、それ自体がカルマであり、病気の原因となります。運動のし過ぎもカルマですが、運動不足もカルマということになるのです。

限度を超えた本能的快楽の追求

肉体は神の摂理によって“本能の欲求”という形で肉体維持のための必需品を求めるようになっています。その際、ふさわしい量も知らされるようになっています。肉体本能の欲求を満たすことは肉体を維持するために必要なことですが、どこまでも適度な量ということが重要です。もし必要量を満たしていないなら「もう少し求めなさい」という指令が“欲求”として示されるようになります。反対に限度を超えると、ある種の苦しみや痛みによって「これ以上、求めてはいけない」という“警告”が発せられるようになります。本能の欲求を満たすについては「適量を守る・中庸(ちゅうよう)を守る」ということが、神の摂理と一致したあり方なのです。

ところが肉体本能の欲求には快楽がともなうため、地上人はつい快楽の追求に溺(おぼ)れてしまうようになります。限度を超えて快楽を求めてしまうのです。こうした限度を超えた欲望追求は、カルマとなって肉体に不調和を招き、これが続くと病気を引き起こすようになります。昔から飽食やセックスの放縦・過剰な飲酒が戒められてきましたが、それは神の摂理から見たとき正当なことなのです。

飽食の反対が“飢餓”です。ダイエットなどで自分から飢餓状態をつくり出したような場合には、これも肉体次元のカルマとして生体維持機能にダメージを与えることになります。そうした飢餓のケースとは異なり、人間がつくり出した紛争や自然災害によって飢餓状態に追いやられた人々は、本当に気の毒としか言いようがありませんこの場合は「埋め合わせの摂理」が働き、長い目で見ると不公平にならないようになっています)

日光の浴び過ぎ・アルコールの飲み過ぎ・タバコの吸い過ぎも肉体次元のカルマと言えます。

大量の化学物質・毒物の摂取

これ以外にも、汚れた空気や環境中の汚染物質・化学物質なども生体維持機能にダメージを与えます。少量ならたいして問題はありませんが、過剰摂取した場合には、明らかに肉体の健康を損なうことになります。これらも人間がつくり出した肉体レベルのカルマであり、人類全体の霊的無知とエゴから発生したものです。

環境中の汚染物質や毒物に個人的に対処することは、きわめて困難です。人類が共同でつくり出したカルマについては、人類がともに苦しみを背負っていかなければなりません。

4.心のカルマ(不調和)が病気の最大の原因

病気発生の原因となる、さまざまなカルマについて見てきました。カルマとは、神の摂理に反する思いや行為のことです。人間を支配する神の摂理は多岐にわたるため、カルマも数多く存在することになります。

では、数あるカルマの中で、どれが病気発生の最大の原因・病気を引き起こす「根源的なカルマ」と言えるのでしょうか。ここではカルマの影響力の軽重・強弱の問題を取り上げます。

人間の構成要素の上下関係と、人間の三位一体性

人間は神によって霊的存在として創造されました。したがって人間の構成要素としては、常に霊的部分が肉的部分に対して上位・優位に立っていなければなりません。そうでないと心身全体が不調和の状態に陥ってしまいます。その影響力は上位の構成要素ほど大きく、「霊→霊の心→霊体→肉体本能→肉体」という序列が存在します。これが人間を形成する要素の上下関係となっています。

人間にはこうした構成要素間の序列があると同時に、“三位一体”という別の側面もあります。三位一体とは、霊から肉体に至る各要素が全体として一体化している、ということです。一体となっているため、お互いに影響を及ぼし合っているのです。これは「霊」や「霊の心」といった上位の構成要素に異常(不調和)が発生すると、必然的に下位の構成要素に影響が及ぶようになるということを意味しています。それと同様に「肉体」という最も低次元の構成要素に異常が発生すると、その影響も上位の構成要素に及ぶようになるということです。肉体次元に何らかの理由(不自然な肉体使用・不摂生な生活など)で異常が発生すると、その悪影響は全体に行きわたり、上位の構成要素を不調和状態に陥れる可能性があるということなのです。三位一体の存在である人間は、それぞれのカルマがお互いに影響を及ぼし合うようになっているのです。

この意味からすると、どのようなカルマであっても肉体の健康に関係している、と言えます。そうした状況の中で、より重大なカルマとそうでないカルマ、より根源的なカルマとそうでないカルマが存在するのです。

最も根源的な「心のカルマ」――病気の9割以上が「心のカルマ」に起因

結論を言えば、病気発生の原因となる数あるカルマの中で、「心のカルマ」が最も大きな影響力を持っています。「霊肉次元のカルマ」も「肉体次元のカルマ」も、その大半が「心のカルマ」が引き金となって発生するようになっているのです。こうした点から考えると――「病気の大半(9割以上)が心の不調和というカルマから発生している」ということになります。「心のカルマ」が病気の根源的な原因である、ということなのです。

したがって、もし「心のカルマ」が完全に解消されるなら、ほとんどの病気は治癒することになります。大部分の病気の原因が「心の不調和・心のカルマ」にあると言うと、多くの人々は“それは少し極端な見方ではないか”と考えることでしょう。しかし霊的事実の観点からすると、実に病気の9割以上が「心の不調和・心のカルマ」から発生しているのです。

カルマの中のカルマ

心が不調和状態になると、つまり「心のカルマ」が生じると、自動的に霊肉の関係が不調和状態に陥り「霊肉関係のカルマ」が発生するようになります。霊体と肉体の関係において物質が支配権を持つようになると、霊的エネルギーの流れが不順になり、肉体の生体維持機能が低下することになります。

一方「心のカルマ(心の不調和・ストレス)」は、肉体本能を不自然に刺激し、飽食やセックスの放縦といった本能の暴走化を引き起こします。また運動への忌避(きひ)傾向を生み出すようになります。また不健全な心は、肉体本能を刺激してニセの陶酔感をもたらす不自然な物質(中毒症状を引き起こす嗜好品やドラッグなど)を求めさせるようになります。こうして「心のカルマ」は、次々と肉体のカルマをつくり出すようになるのです。

食事は肉体の健康に影響を及ぼす重要な要素ですが、食生活は「心のカルマ」と深い関係があります。健全な心の持ち主は自動的に健全な食事を求めるようになり、不健全な心の持ち主は自動的に不健全な食事を好むようになるのです。“ストレス”という「心のカルマ」が大きくなると、過食・暴食に走ってストレスを和らげようとするのです。

さらに「心のカルマ」は肉体を酷使させ、肉体の正常な休息を妨げ、肉体の健康回復を不可能にしてしまいます。このように「心のカルマ」は、肉体のカルマを引き起こす重大な原因となっているのです。

以上のような内容をトータルしてみると、人間の病気の大部分が「心の不調和」から発しているということが分かります。「心のカルマ」こそが病気の最大の原因ということが明らかになります。「心のカルマ」の重大性を強調するのが、スピリチュアリズムのカルマ論の特徴であり、スピリチュアリズムの健康論の基本なのです。

  • 心のカルマ(心の不調和)霊肉関係のカルマ(霊肉関係の不調和)肉体のカルマ(肉体の不調和)
  • 肉体の病気

5.今回の地上人生と前世の人生でつくったカルマ

人間の幸福と不幸、健康と病気に「心のカルマ」が大きく関係していることが分かりました。心のカルマこそ病気の最大の原因であり、大半の病気が「心のカルマ(心の不調和・心の摂理違反)」から発生しています。心のカルマを解消することが、幸福と健康を手にする最大のカギとなるのです。

スピリチュアリズムでは、その「心のカルマ」について驚くような霊的事実を明らかにしています。

前世でつくったカルマと、カルマの霊的遺伝

スピリチュアリズムが明らかにしたカルマに関する重大な事実とは――「カルマには今回の地上人生でつくったもの以外に前世でつくったものがあり、それが今回の地上人生に持ち越されている場合がある」ということです。これまでにも東洋(アジア)の宗教では、前世でつくった悪いカルマ(悪因縁)が再生時に苦しみをもたらすという「輪廻思想」が説かれてきました。人間には前世があり、そこでつくってしまったカルマが次の再生人生に引き継がれると主張する点においてはスピリチュアリズムと同じですが、その内容は霊的事実から大きく懸け離れています。

「輪廻再生」も「カルマの遺伝」も間違いのない霊的事実であり、病気には、しばしば前世から持ち越された「心のカルマ(霊的・精神的悪因縁)」が深く関係しています。病気は、今回の地上人生でつくってしまったカルマから発生したものばかりではなく、前世に原因のある病気もあるということなのです。

前世のカルマが今回の地上人生に持ち越されるという「カルマの霊的遺伝」は、肉体の特徴が遺伝子によって子孫に引き継がれるのとは全く異なります。カルマの遺伝とは、純粋に霊的次元において発生する霊的出来事なのです。

カルマ清算のプロセスと病気の発生

歴史上には、さまざまな人間が存在してきました。その中には暴君として残虐(ざんぎゃく)の限りを尽くしたような極端に利己的な人間もいました。そうした人間は、地上人生だけでは償いきれないほどのカルマをつくり出すのが普通です。カルマがつくり出されると、その瞬間から「償いの摂理」が働き始め、「苦しみによる償いのプロセス」が進行するようになります。それは地上人生の中で発生することもあるし、死後の世界(霊界)において発生する場合もあります。いずれにしても自ら犯した「罪(利己的行為)」に見合った苦しみがもたらされることによって、「カルマ(罪・摂理違反)の償い」が行われるようになります。

地上人生の中であまりにも大きなカルマ(罪)をつくってしまった場合には、霊界でのカルマ清算のプロセスを通じても償いが完了せず、再生時に持ち越されるようになります。それが再生人生において、さまざまな苦しみとなって発生するようになるのです。そのカルマ清算の苦しみの一つが“病気”なのです。

「大きいカルマ」と「小さいカルマ」

物質主義と利己主義が蔓延する現在の地球上に生きている人間は、常に大なり小なり「心のカルマ」をつくり出しています。心のカルマが全くないという人間はいません。それは地球が、失敗から学び霊的成長をする訓練場として造られているからです。そのため大半の人間が心のカルマをつくり出し、それを償うための苦しみを通して学び、霊的成長を達成するという歩みをするようになっています。

大半の地上人が「心のカルマ」を持っていますが、その程度は一人一人の人間によって異なります。前世からのカルマを引き継いでいる人の場合には、大きなカルマを背負っているということになります。地上人の多くが、前世から引き継いだ「大きいカルマ」を持っているだけでなく、今回の地上人生においてつくってしまった「小さいカルマ」も内在させています。「大きいカルマ」に「小さいカルマ」を付け加えながら生きているのです。そして同時に、そのカルマを清算するための摂理が働き、常に償いのプロセスが進行しているのです。地上人はカルマをつくり出す一方で、苦しみによってそれらのカルマを償い清算するという“同時進行”の道を歩むようになっています。これが現在、地球上で生活している人間の霊的実情なのです。

カルマ清算の一つの道として、多くの人々が“病気の苦しみ”を体験する可能性を持っているのです。

前世のカルマを抱えている多くの地上人

再生が、前世でつくったカルマの清算を主要な目的としている以上、今再生人生を歩んでいる大半の人間は「前世のカルマを持っている」ということになります。とは言っても、地球上に住んでいるすべての人間に前世があるというわけではありません。地上人生は今回が初めて、という人間もいます。

しかし日本人について言えば、大半の人間が前世での人生を持っています。現在、日本人として生まれている多くの人々は、前世でつくった何らかのカルマを抱えて再生人生を出発しています。そのカルマによって、地上人生のある時に“病気”が発生する可能性があるのです。

初めて地上に生まれた人間より、再生を体験している(前世のある)人間の方が、霊的成長の道を長く歩んでいることになります。したがって再生人生を送っている人は、カルマもあるけれど初回の地上人生よりも霊的進化が達成されている、と言えます。もちろんこれには例外もあります。

6.伝染病発生の根本原因も人間がつくったカルマ

地球上の悲劇の一つが、大規模な伝染病発生による人間の大量死です。歴史上には、ペストなどが猛威を振るって国家の人口の何割かが失われるといった悲惨な出来事もありました。医学が発達した現代においても、インフルエンザやエイズなどの伝染病が人類の脅威となっています。“いつ世界規模で伝染病が発生し蔓延するのか?”――この問題で世界中が戦々恐々としています。

霊的観点から言えば、こうした伝染病の発生も、すべて人間がつくり出したカルマが原因となっているのです。

すべての感染症を駆逐(くちく)するのは不可能

伝染病は、バクテリアやウイルスなどの微生物によって引き起こされます。そのため消毒によって感染を防いだり、ワクチンを開発して免疫的に発病を抑制したり、発症した場合には薬物によって対処しようとします。現在では伝染病に対して、さまざまな防衛対策・対処法が講じられています。

20世紀における現代医学の発達によって、人類はそれまで高い致死率のために恐れられてきたさまざまな伝染病(ペストやコレラなど)を制圧することに成功しました。この成功体験が、「科学なら何でも解決できる。医学が進歩すればどんな病気も治せるようになるに違いない」といった錯覚を生むことになってしまいました。

しかし現実には、次々と新しい伝染病が発生する一方で、耐性菌の登場といった困った事態が起こり、常にイタチゴッコの状況が展開しています。このままでは感染症を完全に駆逐することは到底不可能です。

カルマによる免疫機能へのダメージが、伝染病を引き起こす

伝染病の発生には、これまで述べてきたような人間がつくり出した「カルマ(神の摂理への違反・不一致)」が深く関係しています。関係しているどころか根本的な原因はカルマにある、と言うことができます。病原菌やウイルスがいなければ、確かに伝染病は発生しません。しかし人間は、細菌やウイルスの大海の中でも生きながらえていくことができるような防御システムを備えています。それが“免疫”ですが、この免疫システムが十分に働くなら感染症を発症しなくてもすむのです。免疫は、人間が地球上で細菌やウイルスと共生できるように、神が準備してくれたものです。

伝染病の大発生の中にあっても病気にかからずに健康を維持できる人は、免疫システムが健全に働いている人です。伝染病にかかってしまったのは免疫がしっかりと機能しなかったからであり、その原因は本人のさまざまな不調和・カルマにあるのです。

伝染病の根本原因は、人間の「不調和・カルマ」にあります。人間が多くの「摂理違反(カルマ)」を蓄積させていることが免疫システムにダメージを与え、機能低下を引き起こして伝染病を発生させることになっているのです。

地球人類共通のカルマが、伝染病の発生に関係している

地球規模での伝染病の大発生には、地球人類に共通するカルマという点を考えなければなりません。「霊的無知」とそこから生じる“強欲・エゴ”という人類共通のカルマです。地球人類は霊的真理を知らないために物質世界だけをすべてだと錯覚し、より多くの物欲を満たそうと奔走(ほんそう)し、エゴとエゴのぶつかり合う不調和な世界をつくり上げてきました。現在の地球は、「物欲主義」と「エゴイズム(利己主義)」に覆われ支配されていると言っても過言ではありません。一部の権力者が富を独り占めにし、大多数の人間から搾取(さくしゅ)し苦役(くえき)を強いてきました。

そうした世界に住む人々は、否応なく「心のストレス・肉体のストレス」を蓄積させることになります。そしてその状況から逃れるすべもなく、奴隷のような人生を送ることになっています。こうした「心の不調和・心身のストレス」がカルマとなり、病気を発生させることになるのです。人類全体の「霊的無知」が物欲主義と利己主義を生み出し、地球人類に病気を引き起こしているのです。

このように伝染病の大量発生には、必ずつもり積もった「人類共通のカルマ」という原因が存在しています。それが本来なら共生関係を保つはずの細菌やウイルスを、人間に病気をもたらす“敵”に変えてしまっているのです。

【3】病気に対する霊的な見方と正しい心がまえ

【1】と【2】を通して、霊的事実に基づいて病気の本質を理解することができました。一般的に病気とは、肉体だけの異常であると思われています。そして多くの人々が、「病気になったのは運が悪かったからだ。何か物質的な原因があったからだ」と考えています。

しかし霊的観点からすれば、そうした常識的な見方はきわめて狭い視野からの判断にすぎません。本当は病気とは、人間全体(全構成要素)の不調和状態のことであり、人間が神の摂理と一致していないところから発生したものなのです。心身全体の不調和が、結果的に肉体の異常として現れたものが病気なのです。病気になったのは“自由意志”によって自ら間違った方向(神の摂理と一致しない方向)を選択した結果であり、“自業自得”ということなのです。

病気についての本質的な理解ができたなら、次は「病気に対してどのように臨んだらよいのか」という私たちサイドの姿勢が問題となります。病気に賢明に対処するためには、以下の2つの内容が重要となります。その一つは「霊的視点に立った正しい心がまえを確立する」ということです。もう一つは「摂理にそった適切な治療方法を講じる」ということです。この両者が揃ったとき、病気に対して正しい姿勢をとることができるのです。

人間が神によって霊的存在として造られている以上、病気に対しても霊的視点に立って眺めないかぎり真実の答えを得ることはできません。ここでは霊的観点からの病気に対する正しい受け止め方(心がまえ)について見ていきます。

1.カルマの法則・償いの法則と霊的成長

(1)カルマの法則と病気

病気は、神の摂理への不一致という不調和状態・不自然状態から引き起こされたものです。人間が健康を維持し、幸福に生きられるようにと神が定めた仕組み・法則から外れたことで発生したものです。

神の摂理に反した行為は「悪い原因(カルマ)」となり、いずれ必ず病気や不幸などの悪い結果を招くことになります。これが「カルマの法則」であり「原因と結果の法則」です。ただしその原因(カルマ)とは、どこまでも神の摂理を基準としたものであって、人間の判断による善悪ではありません。神の摂理に反した行為・摂理からずれた行為が悪い原因(カルマ)となって、病気などの悪い結果を生み出すようになるのです。

神の摂理に反した行為には、必ず心身の苦痛がともなうことになります。病気も神の摂理に反した結果として発生したものであり、さまざまな苦しみや痛みがともなうようになります。そしてその苦痛によって、神の摂理からの逸脱状態を知ることができるようになっているのです。

人間には“自由意志”が付与されており、自らの判断で「摂理に従うか、摂理に背くか」を決めることができる(一定の)自由選択の権利が与えられています。病気は、人間だけに与えられた自由意志によって、自ら間違った方向を選択した結果なのです。したがってほとんどの病気は“自業自得”であり、本人に責任があるということになります。「カルマ」という病気の原因をつくったのは、どこまでも本人自身なのです。

カルマは、現在の地上人生の間につくったものばかりではありません。前世においてつくってしまったカルマが、今回の地上人生にまで持ち越され、病気を引き起こしている場合もあります。

(2)償いの法則と病苦

償いの法則

病気になったのは、人間が“自由意志”を間違って行使し、「神の摂理」から外れたためです。神は、人間が自由意志を間違って使用し「カルマ」をつくるようになってしまう事態も予想していました。そしてそうした人間を救済するための法則(摂理)を前もって設けられました。それが「償いの法則」です。

神の摂理に反した行為は「カルマの法則」によって、病気に代表される悪い結果(不幸)を生み出しますが、それと並行してカルマを償い帳消しにする仕組みも作動するようになっています。こうしたシステムがあるために、人間は神の摂理に背くという罪を犯しても、やり直しができるようになるのです。

神が人間にやり直しのチャンスを準備されたのは、どこまでも人間の霊的成長を願ってのことです。人間は霊的成長にともない、より多くの喜び・幸福を手にするようになります。神は人間を、永遠に霊的成長の道を歩む存在として創造されました。神は愛をもって人間を創造し、人間を幸福にするためのあらゆる配慮をされました。その一つが、人間がカルマをつくるという失敗を犯したときに、「罪(カルマ)」を償ってやり直しをするための「償いの法則」なのです。

苦しみによるカルマの清算・償い

人間が霊的成長の道を歩んで幸福になるためには、「カルマの清算・償い」が避けられません。それがないとしたら人間は、自らつくってしまった罪の中で永遠に苦しみ続けることになってしまいます。では「カルマ(神の摂理から外れた罪)」は、何によって償うことができるのでしょうか。「償いの法則」の作用とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。

償いの摂理(法則)とは――「その人間が犯したカルマ(罪)の度合いに応じた心身の苦しみ・痛みが与えられることによってカルマが償われるようになる」というものです。犯した「罪」に相当する「罰」としての苦しみを体験することによって、罪が償われるようになるのです。「罰(苦しみ)」は、すべて償いの摂理を通して発生するため、そこには例外は一切ありません。罪の重さに応じて機械的に厳格に発生するようになります。

病気は、そうした「償いの法則」によってもたらされた罰の一つ、すなわち「カルマの清算・償い」のために引き起こされたものなのです。生まれつきの重度の身体的障害や精神的障害も、すべてその人間の霊的成長の道をリセットするために「償いの法則」によって発生したものなのです。生まれつきの身体障害・精神障害といったケースは、前世のカルマによるものがほとんどです。

(3)苦しみによる霊的覚醒と霊的成長

苦しみによる霊的覚醒

カルマ清算の苦しみのプロセスには、カルマを帳消しにするという内容と同時に、「霊的覚醒」というもう一つの重要な内容がともないます。肉体という物質的身体を持って物質世界で生活する人間は、どうしても神の摂理に背いた行為をしがちです。大半の人間がカルマをつくってしまうことになります。カルマをつくり出すと、摂理の働きによってカルマを償うための苦しみが自動的に発生するようになります。苦しみは誰にとってもイヤなものですが、霊的に見ればそれはすべて霊的成長のために不可欠なプロセスと言えます。消極的な形での霊的成長のプロセスなのです。

人間は逃れられない苦しみに遭遇すると、それまでの自分自身の姿や生き方を振り返るようになります。自分の考え方を反省するようになります。そうした内省的な状態になると、人間の「霊的・精神的領域(心の深い領域)」に変化がもたらされるようになります。苦しみのどん底まで突き落とされ、自分の力の限界に直面させられると、大半の人間は否応なく謙虚になり、魂が神に向かうようになるのです。もはや人間の力には頼れないことを悟ったとき、霊的な思考・霊的な感性が突如目覚めるようになるのです。これが「霊的覚醒の瞬間」です。そしてそれまでには全くなかった霊的世界への関心が引き起こされるようになります。霊的覚醒は、しばしばその後の霊的生き方を促すきっかけとなります。

霊的覚醒と、霊的成長の道のリセット

カルマ清算の苦しみが「霊的覚醒」を促すとき、霊的成長の道がリセットされることになります。まさにそれが、「償いの法則」が良い形で実を結んだ瞬間です。償いの摂理が有効に働いた結果と言えます。

そしてそれ以後は“霊的人生”を積極的に歩む中で、順調に霊的成長が成し遂げられていくようになります。自らの意志で霊的人生に踏み出すようになると、苦しみによる償いという消極的な霊的成長とは異なり、積極的な霊的成長のプロセスを歩むことができるようになるのです。

もし、苦しみの体験が霊的意識を覚醒しなかったときには、その人間は新たに別のカルマをつくり上げるようになるかもしれません。そして限界まで積み重なったカルマによって一気に大きな苦難と遭遇する時を迎え、初めて霊的覚醒がもたらされるようになるのです。カルマによる病気の苦しみが霊的成長の道をリセットし、霊的人生の出発点となるなら、病気は良い出来事であったということになります。

  • ■苦しみによるカルマの償い霊的成長の道のリセット消極的な霊的成長のプロセス
  • ■自らの意志による霊的人生の歩み積極的な霊的成長のプロセス
地上世界は、失敗から学び、霊的成長を促す所

物質世界とは、神の摂理への違反という失敗(カルマ・罪)を犯し、それを償うための苦しみを通して霊的覚醒をする場所である、と言うことができます。これが霊性の低い地球人類にふさわしい霊的成長の道なのです。そうした形で霊的成長を達成する訓練場所として、神は“地球”という物質世界を造られたのです。したがって地球上に住むほとんどの人間が、何らかの悩みや苦しみを持つようになっています。幸福そのものに見える人間も、実際は悩みや苦しみを抱えています。悩みのない人間は地球上には存在しません。失敗から学び、苦しみから霊的覚醒をするという体験を持つことが「地球人類共通の運命」なのです。

地球人類は摂理に反した行為によって病気や経済破綻や環境破壊といった苦しみを招き、その苦しみを通して一歩ずつ全体的に進化向上の道をたどるようになっています。「神の摂理に背いてカルマをつくり、そのカルマによって苦しみを招き、その苦しみの中で霊的覚醒をして霊的成長の道を歩み出す」――これが地球人類の霊性進化のプロセスなのです。カルマによる苦しみが霊的覚醒をもたらし、霊的成長の道をリセットするという計画がなされているのです。

このように考えると“病気”は、世界規模での経済破綻と同様、ある意味で現在の地球人類にとって不可欠な体験であると言えます。

地球人類の霊的無知と霊性の低さが物質主義・利己主義支配の世界をつくり上げ、地球上は神の摂理から外れたカルマによって覆い尽くされてしまいました。そうした影響を受けた人々は、自らの無知と愚行によってさらなるカルマをつくり上げていくことになりました。その結果、伝染病を含むさまざまな病気が地球上に蔓延することになったのです。

人間の病気は、「地球人類共通のカルマ」と「個人のカルマ」の双方が重なり合って原因となり発生しています。人類全体の霊的無知と霊性レベルの低さが、個々の人間の「心のカルマ」を引き起こし、霊肉のカルマ・肉体のカルマを発生させるようになっているのです。【2】でも述べましたが、大規模な伝染病もこうした地球人類のカルマが主な原因です。

近代科学(医学)の発達は、いくつかの伝染病を見事なまでに制圧しました。ペストやコレラといった致死率の高かった伝染病を抑え込むことに成功しました。しかし「人間のカルマ」という根本原因が克服されていない以上、細菌やウイルスは、次々と別の伝染病を発生させることになります。人間の強欲とエゴが自然界の調和を崩し、本来なら人間と共生関係にあるはずの細菌やウイルスを強力な病原体へと変えてしまうのです。

人間のカルマという根本原因を取り除かないかぎり、病気をなくすことはできません。地球人類が霊的真理によって霊的無知から解放され、強欲・エゴというカルマを「全体奉仕」と「利他愛」という神の摂理に置き換えないかぎり、地球上から病気を消滅させることはできないのです。

霊界主導による「地球人類救済計画(スピリチュアリズム)」は、地球人類に霊的知識・霊的真理をもたらし、霊的無知をなくすことを目的としています。それが地球のガンである物質至上主義と利己主義を追放し、人類を病気の苦しみから解放することになるのです。

2.霊的視点に立った病気と死の正しい受け止め方――病気も死も決して悪いものではない、むしろ“ありがたいもの”

病気には苦痛が付きまとい、病状が深刻であればあるほど患者は辛い時間を過ごすことになります。病苦は時に人間の生きていく希望を打ち砕き、絶望の淵(ふち)に突き落とし、自殺に追い込むようなこともあります。こうした点から病気は不幸であり、避けるべき悲劇であるという考え方が、地上人の常識となっています。

しかし病気は、本当に私たち人間にとって不幸と言えるのでしょうか。スピリチュアリズムは病気に対して、一般常識とは正反対の見方をします。180度も違った考え方をするのです。「病気は決して不幸でも悲劇でもない。それどころか人間にとって必要性があって生じたものであり、ありがたいものである」と主張するのです。

病気から逃れようと血眼(ちまなこ)になっている人々

霊的観点から病気を眺めることができるなら、病気は自分がつくったカルマを帳消しにする良い機会だと思えるようになります。病苦の中にあっても霊的視点に立って心を広くし、「病気は自分がつくったカルマの結果であり、仕方がないことだ。タネを蒔いたのは自分なのだから耐えるしかない」と覚悟を決めるなら、苦痛もそれほど大きくは感じられなくなります。これが霊的真理にそった病気の受け止め方なのです。

しかし大多数の人々はカルマの法則も償いの法則も知らないため、運が悪くて病気になったと思い込み、何が何でも苦痛を取り除こうと考えるようになります。良い医者を求めて駆けずり回り、血眼になって神仏にすがり、そして疲れ果てて最後には絶望だけが残るようになります。人によっては神仏を呪い、医者に責任転嫁をするような人間もいます。そのようにしてさらなる摂理からの逸脱を繰り返し、新しいカルマをつくり出すことになっています。

多くの人々が、病気はカルマ清算のチャンスであるということが分からないために、そのチャンスを活かすどころか反対に、次々と新しいカルマを積み上げるようなことをしています。その結果、苦しみをますます増大させることになっているのです。

病気に対する霊的な見方と正しい受け止め方――病気は必要なもの・ありがたいもの

神は人間を愛し、人間を幸福にするために摂理をこしらえ、それによって人間を支配しています。神の摂理は、人間に最高の幸福を与えようとする大きな神の愛の反映なのです。人間はまず、この「神の愛」から発した摂理について正しく認識しなければなりません。

次に“病気”は、自らが摂理に反した結果であり、タネを蒔いたのは自分であるということを認めなければなりません。そしてその罪を償いカルマを清算するために「償いの法則」によって苦しみが与えられているということを理解しなければなりません。それは霊的成長の道をリセットするためのありがたいチャンスであり、やり直しの機会であることを自覚すべきなのです。病気がどれほど苦しくても、頭から“病気はイヤなものだ、自分は運が悪かった”とは思わないことです。反対に「病気は、自分が本当の幸福を得るための必要なプロセスである」と考えるべきなのです。

こうした霊的視野に立った前向きな心がまえこそ、病気に対する正しい受け止め方であり“ポジティブシンキング”という真の病気治療の第一歩となるものなのです。霊的視野から病気を眺めることができるなら、病気の苦痛それ自体もずいぶん軽減するはずです。そして何よりも病気を通して“霊的宝・魂の宝”を手にすることになります。病気は本当の幸福に至るための出発点であり、ありがたいもの・神からの贈り物なのです。生まれつきの身体障害も神からのプレゼントと考えなければなりません。病気や障害は悪いものではなく、人間にとって良いもの・ありがたいものなのです。

“死の恐怖”に怯(おび)える人々

どのような人間も、いつか必ず“死”を迎えることになります。死についての正しい知識を持っていない人々にとって、それはまさに最大の恐怖であり、絶望的宿命と言えます。

老いて身体が不自由になり、車椅子や寝たきりの生活を送っている人には、再び健康を取り戻す希望はほとんど残されていません。身体が健康で自由に動けるうちは、仕事の忙しさやレジャーの楽しさで気を紛らわせ、死を忘れていることもできますが、肉体の自由を奪われた人々にとって将来に希望のない闘病生活は、避けられない死に向けての絶望的な生活にすぎません。それはまさに“死刑の執行はいつなのか”と怯えて日々を過ごす死刑囚と同じです。そこには、刻一刻と迫りくる死に向かっていく恐怖の時間があるだけなのです。

若くして不治の病に冒された者の不遇は多くの人々の涙を誘いますが、そうした悲劇は老人介護施設で生活している老人たちにも、そのまま当てはまります。いったん死の恐怖にとらわれ始めると、地獄が迫ってくるようになります。その恐怖があまりにも強いため、自衛本能が働いて痴呆状態を招くようになっているのかもしれません。そうでなかったなら、おそらく恐怖から気が狂ってしまうことでしょう。

病気になるのも恐怖ですが、死はそれより遥かに大きな恐怖です。死に対する恐怖は、人間にとって最大のストレスであり、心の調和を乱すカルマなのです。そうした中で病気は、ますます進行していくことになります。

死に対する霊的な見方と正しい受け止め方――死は恐怖ではなく“喜びの時”

しかし本当は“死”は、何も恐れる必要のない出来事なのです。なぜなら死とは、地上における物質の道具であった肉体を脱ぎ捨て、霊的世界で新しい生活を始めることに他ならないからです。(宗教者も含めて)地球上の大半の人々が、死について根本的な錯覚をしています。“死によって万事が終わる”と考えています。それが死を恐怖であるとする間違った先入観を生み出すことになっています。

スピリチュアリズムは霊界人主導による「地球人類救済計画」です。スピリチュアリズムは地球人類に霊的知識を示し、霊的世界と人間についての真実の認識をもたらすことを目的として進められています。霊的真理を教え、「人間は死んですべてが終わるのではなく、肉体の死とともに永遠の霊的世界での新生活が始まるようになる」ということを伝えているのです。死とは、物質世界での道具であった肉体を捨て去り、霊体だけになって霊界での生活を始める時なのです。

このように考えると“死”は、決して悲劇でも恐怖でもなく、永遠の別れでもないことが分かります。それどころか死は、薄暗い物質世界から光り輝く明るい霊的世界に入っていく素晴らしい出来事と言えるのです。本来なら自分の死は、誰もが心待ちにすべきものです。まさに死は希望であり、喜びなのです。

死は悲劇ではなく、単に“肉体を脱ぎ捨てる”という一つの自然現象にすぎません。死は重苦しい肉体の束縛から人間を解放してくれる救いの時なのです。死を恐れる必要は全くありません。もし不治の病にかかったなら、霊的視野に立って病気を甘受し、大らかに死を迎えればよいのです。病気が神からのプレゼントであったように、死も神からのプレゼントです。地上生活を歩み通したことへの、神からのご褒美(ほうび)なのです。地上とは比較にならない霊界での生活を今から楽しみにして、寿命のあるかぎり精いっぱい生きればよいのです。

こうした“死”についての内容は、人間にとって何よりも重要な基本的知識であり、常識としてすべての人間が知っておかなければならないものなのです。本来は学校の授業の中で、一番大切な知識として真っ先に教えるべきものなのです。そうであるなら地球人類は、死を恐れ怯えるようなことはなくなります。

しかし現時点では、この最も基本的で肝心な霊的知識が、ほとんど知られていません。宗教家の間においてでさえ、正しく理解されていません。こうした「霊的無知」のために、どれほど多くの人々が無用な恐れを抱いて地上人生を過ごしていることでしょうか。

大半の人々は霊的知識がないため、地上人生の終わりが近づくと“死”を恐れ怯えるようになります。その苦しみは、それまでの人生の間違った考え方・生き方の償いとなっています。生前に死後の世界(霊界)があることを知り、そこでの生活に備える歩みをしてきたなら、死を楽しみにし、喜びをもって死に臨めるはずです。死を恐れ怯えること自体が、心の不調和・ストレスであり「心のカルマ」なのです。

そうした人々もいったん霊界に入ると、死の直前までの恐怖がウソのように消え去り、地獄から天国に昇ったような心境を味わうことになります。

今回、ニューズレターで取り上げた「スピリチュアリズムのカルマ論」の内容について、シルバーバーチは次のように述べています。

「治療の成功・不成功は、魂の進化という要素によって支配されております。それが決定的な要素となります。いかなる魂も、治るだけの霊的資格がそなわらないかぎり、絶対に治らないということです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.143

ここで述べられている「魂の進化」とは、カルマ清算のことを意味しています。

「もしもその霊にとって、次の発達段階にそなえる上での浄化の過程として、その肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通していかなる治癒エネルギーが働きかけても、絶対に治りません。いかなる治療家にも治すことはできないということです。苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部として組み込まれているのです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.144

「そうしたこと心霊治療で治る人と治らない人がいるということ)は、すべて法則によって支配されているのです。それを決定づける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活だけで定まるのではなく、しばしば前世での所業が関わっていることがあります。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.177