撮影日記 2011年4月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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2011.4.27〜30(水〜土) 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
 
 
 
 
2011.4.23〜26(土〜火) 人に会いに行く

 4/23
 福岡県立図書館に呼ばれて話をする日。
 僕が楽しみにしていたのは、話をする立場の僕が逆にスタッフの方々のお話を聞くことで、中でも、どんな基準で本を選んでいるのかを尋ねてみたかった。
「子供の本といっても、子供に媚びない本がいい。」
 という言葉が大変に印象に残る。
 僕は、元々媚びるタイプではないと思うし、媚びることを求める人とは迷わず付き合わないことにしているくらいだけど、出版には多額のコストがかかるので、本が売れずに赤字になったら申し訳ないという強烈な気持ちが働き、『水と地球の研究ノート』(偕成社)の制作の際には、読者に媚びることと、本を手に取ってもらうために工夫をすることの区別が分からなくなってしまった面があった。
 まさに、五里霧中。
 だが今になってみれば、媚びずに、ちゃんと手に取ってもらえる本を作るのがプロだなと思う。
 
 4/25
 学校の先生に会いに行く。
 僕が小学校1〜2年の時の担任の先生は、女性だったけれども痺れるくらいに厳しかった。90代になった今でもお元気にしておられるそうだが、多分、会ったら怖いんじゃないかなぁ。 
 3年生の時の担任はいわゆる女性的なタイプの先生で、悪さがひどかった僕には、ほとほと困り果てたようだ。きっと僕は、相性の悪い生徒だったに違いない。
 4〜6年生の時の先生は気さくなおばちゃんタイプで、そんな僕を受け止めてくださったし、先生のお陰で学校が楽しかった面が多分にある。
 だが、若いお兄ちゃんのような先生に受け持ってもらいたい憧れがあった。
 その点、弟がサッカーを教わっていたN先生は、若くて生き生きしていて、なんだかうらやましく思った記憶がある。
 そのN先生に連れられて、出来上がって間もない本(水と地球の研究ノート)を持って、何人かの先生方にお会いしてきた。
 N先生がサッカーを始めたきっかけを聞いてみたら、子供たちがテレビばっかり見ているので放課後に遊んでやろうとしたのが始まりだった。
「何がしたい?」
 と聞いたら、
「サッカー」
 と返ってくる。先生自身は、サッカーは未経験だったそうだ。
 そして放課後に校庭でサッカーをしていると、知らない生徒が一人二人と加わって、やがてそれが正式なチームになる。
 先生がクラス担任として受け持った子供たちの父兄の方々とは、その後はほとんど付き合いがないが、サッカーのチームに所属していた子供たちの父兄とは、今でもそれなりにつながりがあるそうだ。
 父兄会などという時の父兄という言葉は、不思議な言葉だなと思ったことがある。父母なら分かるけど、なぜ兄なんだ?と。
 しかし、弟の先生であるN先生に僕が会いに行くのだから、まさに父兄であり、父兄とは良く言ったものだと思い直す。
 ともあれ、僕はてっきり、行政がリードして、サッカーのチームが必然的に出来たのだと思い込んでいたのだが、実はN先生のほんのちょっとした思いつきと行動がきっかけだったわけだ。
 たった一人の人が、いるのといないのとでは大違いである場合がある。
 自然も全く同じで、正直に言えば、僕は、誰にでも自然について知ってもらいたいというよりは、自分が死ぬまでに、僕の写真を見て、自分も自然に生きたいと思う人が一人でもいて、その人がさらに自然について語ってくれたらいいな、と思う。
 とは言え、たった一人に向けて本を作るなどというのは乱暴な話で、なるべくたくさんの人の手に渡るようにする努力も必要もあって、そのあたりのバランスについては両立とはほど遠く、まだまだ勉強が必要だと痛感しているところだ。
 
 
 
 
2011.4.22(金) 博物館

 先日、4月17日の日記の中で紹介した、桜井淳史さんの写真集「イワナ、ヤマメ、アユ」(平凡社)。序文は亡くなられた作家の開高健さんの文章であり、その前半部分を取り上げてみたりした。
 後半部分には、読者がどんな立場の人なのかによって、その一冊の写真集がいろいろな風に味わえると言ったことが書かれている。

 さて、今日はちょっと教わりたいことがあって、北九州の八幡にある博物館に行ってきた。博物館の太田先生には、以前、本作りの際に北九州の地質について教えてもらったことがある。
 行ってみたら、太田先生の他に、僕の本を気に入ってくださった方が二人おられ、知らない人にお会いするのなら、もうちょっときれいな服を着ていくべきだった。
 ともあれ、お一人は、微生物にかかわる仕事をしておられる方。つまり、自然科学の分野に専門を持っておられる方。あとのお一人は、博物館で図書を担当しておられる方。
 そして、お二人がそれぞれの立場や物の感じかたを持っておられた。
 図書の担当の方は、本(水と地球の研究ノート・偕成社)の感想を話してくださった。また太田先生は、地学の専門家の立場から、また博物館の学芸員の立場から、本の感想を聞かせてくださった。
 僕は、ふと開高さんの文章を思い出すのだった。
 同じものを見ても、その人の立場によって、いろいろな風に感じられる。

 僕が目指す本は、何か専門性の高い本というよりも、いろいろな立場の人が見るに値する本、つまりいろいろな見方ができる本だ。
 そう言えば、もう15年くらい前のことだっただろうか。ある写真の専門家が、
「いい写真って言ってもいろいろあってね、何がいい写真かを言い出すと下手したら喧嘩になっちゃうけどね、いろいろな用途に使える写真は、間違いなくいい写真ですね。」
 とおっしゃったのを思い出した。いろいろな用途に使える写真というのは、図鑑にも使えるし、広告にも使えると言った意味であり、いろいろな立場の人が見るに値する写真という意味だと思う。
 
 
 
 
2011.4.20〜21(水〜木) メダカ


NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

NikonD700 Carl Zeiss Distagon T* 2.8/25mm ZF SILKYPIX

NikonD700 SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONALFISHEYE +1.4X SILKYPIX

OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL ED40-150mm F4.0-5.6 SILKYPIX

 メダカには、地域によって幾つかの型が存在するという。
 それらは、今はまだ一種類のメダカという生き物に生じた地域による小さな違いであり、やがては別の種類の生き物へと分かれていく過程にあるなどと解釈されているようだ。
 ところが近年は、各地で採集されたメダカがペットショップで売られているから、それらを野に放すと産地が違うメダカが混ざり合ってしまう可能性があり、放さないでという訴えがある。生き物の多様性を損ねてしまうと。
 僕も、放さないで欲しい。
 がしかし、人間にもメダカ同様に遺伝的なタイプがあり、いろいろな人種が存在し、メダカのそれが混ざることに問題ありというのなら、人の人種が混ざることもよくないはずで、日本人が別の人種と結婚をしたりすること、厳密に言えば九州の人間が東北の人間と結婚することにも問題があることになる。
 産地の異なるメダカを混ぜてはならない理由を説こうとすると、同時に、人間はどうなのかについても説明できる必要が生じるが、それを説明できる人に僕はまだ出会ったことがない。
 生き物について語ろうとするといつも必ず、人間って何者なんだ?という疑問にぶちあたり、それが一番答えにくい。
 ただ、自分の写真のテーマを突き詰めていくと、やっぱりそこになる。
 分かりにくいテーマであり、出版の世界では通用しない可能性もあり、これまでは写真の上ではそんなことは語らないことにしていたのだが、徐々に表していきたいと思うようになってきた。
 
 
 
 
2011.4.18〜19(月〜火) お話
 
 後先のことなど一切考えずに、クタクタになるまで釣る。夕方は、日が落ちて釣り糸が見えなくなるまで釣る。
 いや、時には、真夜中にも釣りをしたこともあった。
 Tさんに連れられて行った渓流釣りは、まさにそんな時間だった。

 一言で言えば、ヤマメを一生懸命に釣るやつが一番えらい。
 学校とはまったく違う価値観でもって成り立っている時間と空間。
 僕は、学校に馴染めないというようなタイプではなかったし、むしろ学校は楽しかったけど、そんな時間を体験できたことは大変に大きかったと思うし、僕が死ぬまでには、今度は僕が他の誰かにそんな時間を伝えられたらなぁと思う。
 釣りに行けば、
「あらゆる釣りの中でも、警戒心が強いヤマメ釣りは究極に難しい。」
 といつもTさんから聞かされたものだが、今になって冷静に考えれば、ヤマメはコツを知っていればちゃんと釣れる魚だ。
 だがしかし、子供の頃から、
「難しい!本当に難しい!一匹釣れるだけでも凄い!」
 と聞かされ続けてきた僕は、今でもヤマメを釣ると、大変な偉業を成し遂げたかのような気持ちになる。そしてその思いが、いまだに釣りに憧れを抱かせるのだから、人の話というやつは、なんと凄いものか!
 僕の次のテーマは、写真を通して、泥臭く、そんな時間や空間や思いを伝えることだ。

 さて、次の土曜日は、福岡県立図書館で話をすることになっている。
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/kodomo/kensyu/data/kodomoweek/2011/kouen.pdf
 テーマは、「水はどこからきた?」
 出版されて間もない『町の中の泉』(偕成社)の舞台である湧水池の話が中心だが、会場が福岡市という場所柄、博多のセミが登場する『都会にすみついたセミたち』(偕成社)にも少々触れるつもりだ。
 先日からその準備に取り組んできたが、今日はその大筋を固めた。
 明日は、取材の予定になっているが、その帰りに、当日子供たちに渡すプレゼントを取りに行く予定だ。
 
 
 

2011.4.17(日) 釣り(続)



 桜井淳史さんの写真集「イワナ、ヤマメ、アユ」(平凡社)は、僕が一番長く読み続けている本だ。
 僕が所有しているものは1981年に刷られた初版の第四刷であり、もう30年読み続けていることになるが、いまだに面白い。
 そしてなぜそんなに面白いのかと考えてみれば、苦心の末に撮影された写真だから。
 時代が進みより便利な道具が発明され、より簡単により高品位な写真が撮れるようになったが、人の心を打つかどうかは、全く別問題である。
 後書きに、出版社からイワナとヤマメをやらないかと打診をされた段階では、まだ野生のイワナやヤマメを見たことがなかったと書かれているが、これまた、まだ見たことがなかった生き物を苦心しながら撮影する過程が面白いのだと言える。見たことがあるかどうかとか、知っているかどうかよりも、もっと大切なものがあることに改めて気付かされる。
 この本は、直方の小さな書店の本棚に並んでいたものだが、今なら、魚の生態写真集が普通の小さな書店に入荷することなどまずないことだから、時代の変化を感じずにはいられない。
 一方で著者略歴をみると桜井さんは1946年生まれで、「イワナ、ヤマメ、アユ」の初版第一刷は1979年だから、この本はなんと若干33歳の時の著作であり、時代が違うとはいえ驚かされる。
 ともあれ、水と地球の研究ノート(偕成社)の制作が終わったら、僕の原点の1つであるこの本をもう一度読んでみて、その時に自分が感じたままに、次からの写真を撮ろうと決めていたのだ。
 
 序文は、亡くなられた作家の開高健さんの言葉だ。
『鳥獣虫魚の写真はむつかしい。それは第一に生態写真であり、科学の目である。第二に風景写真であって、詩人の目である。第三に報道写真であり、第四に・・・・・一人の男の中に何人もの男が同棲し、しかもそれぞれがきわめて気難しくて註文のきびしい完璧主義者ばかりである。この何人もの男が一匹のイワナを見ていっせいに口ぐちに叫び出すのをピシャリ、一瞬のシャッターで黙らせ、うなずかせ、微笑させなければならないのだから、途方もない忍耐力が必要とされる。』(途中)
 自然写真といっても、思い描くイメージは人それぞれであり、写真家の数だけそのスタイルが存在するのだと言えるが、僕にはこの言葉が一番ぴったりくる。
 仮に開高さんが生きておられたら、序文を書いてもらえるような写真家になりたいものだと思う。




 

2011.4.16(土) 釣り(後)

 ヤマメは、釣れるとするならば、だいたい第一投目に釣れる。
 逆に、一投目で釣れない時に同じ場所でどれだけ粘っても、大抵徒労に終わるし、大変に勝負が早い釣りだと言える。
 そこで、釣っては別のポイントに移動し、また釣っては移動することを繰り返しながら、場所をどんどん変えながら、川を下流から上流へと登っていく。
 14日は、釣りの本番の日。
 弟は初心者なので釣り易いところを弟に譲り、難しいポイントを僕が釣りながら歩くことにした。
 川に入ってすぐに、
「ここは滅多に釣れんと思うけど、一応釣ってみるからちょっと待って。」
 と弟を待たせて、ルアーを投げ込んだら、小さかったけれどヤマメが釣れ、ん?案外状況はいいか?と思ったのも束の間。その後は大変に食いが渋くて、結局数時間釣って、釣果はたったの2匹と近年稀にみる大苦戦だった。
 朝は、車のフロントガラスがカチカチに凍っていたから、おそらく0度前後。
 ジャケットを着込んで釣りを始めたのだが、一転して、昼間は20度を超えの陽気で、今度は着込んだジャケットが暑くて暑くてたまらなくなった。
 そこで、帰りに回収すればいいや、と二人で途中でジャケットを抜いて木にぶら下げておいたら、間抜けなことにその場所が分からなくなって、探すのに一苦労。
 釣果がおもわしくなかったことと相まって、クタクタになったが、やっぱり釣りは面白い。
 帰りは、南阿蘇へと回り、炭火焼を食べて帰宅した。


OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

 帰宅後に、数年ぶりに、新しい釣り道具を買ってみたりもした。
 ここ数年は、消耗品以外は買ったことがなかった。
 釣りに頻繁に行こうとは思わないけど、ヤマメ釣りは僕の自然写真の原点の1つであり、その原点をもう一度、見つめ直したくなったのだ。
 
 
 

2011.4.12〜15(火〜金) 釣り(前)

 僕が初めて渓流釣りをしたのは、小学校の4年生のとき。もう30年くらい前のことだ。
 うちに仕事の関係で出入りしていたTさんに連れられて出かけたのが、熊本県の緑川の支流だった。
 父から、
「Tさんは九州NO1の名人だ」
 と聞かされていたのだが、その日は一匹の魚も釣れなかった。
 名人にも釣れないのだから、ヤマメ釣りって難しいんだなと思ったが、いつか絶対に釣りたいものだと、僕にとって胸をワクワクさせる大きな目標になったし、そのワクワクが、子供の頃の僕の大きな支えになったことは間違いない。
 初めて目にしたルアーという道具にも、大変に興味をひかれた。今となっては広く普及したけれども、当時はまだほとんど誰も知らなかった。
 アメリカのフェンウィック社やガルシア社製の竿。もとい、ロッド。
 フランスのミッチェル社製のリール・ミッチェル408。
 フランスのルブレックス社やメップス社製のルアー。
 どれも極めて精巧に作られたメカであり、僕がその虜になるのに時間はかからなかった。
 渓流魚をルアーで釣るのは大変に難易度が高く、餌で釣ればもっと簡単に釣れると聞かされても、餌釣りをする気にはなれなかった。
 元々神経質で非常に釣りにくい魚を、一番難易度が高い釣り方で釣ろうとするのだから、最高の遊びだと言えた。
 結局、初めて僕がルアーでヤマメを釣ったのは、中学生になってからだったと記憶している。


OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

 その緑川の支流へ、弟と二人でヤマメ釣りに行ってきた。
 13日の夕刻に現地に到着。予約をしていたバンガローに荷物を置いて、ベランダから外を眺めると、目の前に清流が見える。
 すぐに試しに竿を出してみると、魚の活性が低くて、非常に状況が厳しい。本番は明日だというのに、ほんの15分も釣らないうちに、今回は下手したらボウズ(ボウズというのは、釣りの言葉で一匹も釣れないことだ)やなと覚悟する。
 Tさんに連れられて初めてヤマメ釣りに行った日も、きっとこんなコンディションだったんだろうな。名人と持ちあげられ、ヤマメを見たいという小さな子供を連れていて是非とも魚を釣って見せたい立場が、今なら大変に良く分かる。
 その後、一通りの状況を試しながら釣っていくと、針にはかからなかったものの一匹のヤマメが顔を見せ、悪いは悪いなりに、どんな場所なら釣れる確率が高いのか、少し手がかりがつかめた。
 さらにその後、とにかく一匹釣った。
 ボウズは待逃れた。


 

2011.4.10〜11(日〜月) 桜

 田んぼで写真を撮る場合、あたりの地主さんたちと顔見知りになることが、まずは第一歩。
 だから、普段ならなるべく人と出会わないように歩く僕だが、あえて人に声をかけられるように振る舞う。
「何を撮っとるの?」
「植物の写真なんですよ。」
「なんか珍しいのある?」
「雑草ばっかりなんです。」
「へぇ。」
「僕には、桜よりも雑草の方がきれいに感じられて・・・。」
 別に桜がきらいなわけではないけど、お花見の桜が「自然」の中に含められていることには、違和感を感じる。
 川に錦鯉を放したり、池に金魚を放して、それを自然というのだろうか?
 僕はそれを人工だと思う。同様に、人が改良した桜の樹を植えて景観を楽しむのは、文化ではあっても自然ではないような気がしてならない。


OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

 桜島の周辺を車で走ってみると、所々に道沿いの木が切り開かれていて、桜島が良く見える場所がある。そして、そうした場所には、しばしば桜が植えてある。
 おそらく、桜島と組み合わせて観賞するためだろう。
 だが僕が写真に収めたいのは、そんな桜島ではない。


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) SILKYPIX

 火山と溶岩の大地に、たくましく根を下ろす木々。
 したたかやな。凄いな。
 美しいな。
 
 
 

2011.4.7〜9(木〜土) 我まま


OLYMPUS PEN Lite E-PL1s M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 U SILKYPIX

NikonD700 Ai AF-S Nikkor ED 300mm F4D(IF)SILKYPIX

 自然写真家といっても人それぞれ。
 ある人は、
「生き物の姿がシルエットになっている写真などは論外」
 という。生き物の種類が分かる写真を撮りたいのだという。
 またある人は、
「そんな写真は、ただ写っているだけの記録写真であって、作品だとは言い難い」
 という。
 僕は?
 僕はこれまでとにかくいろいろな撮り方を試してきたが、次はちょっと我ままを主張してみようかと思う。
「こう撮っておいた方が使いやすいでしょう?」
 と写真を使う人が使いやすいように撮るのではなく、、
「僕の写真に合わせてください。」
 と。
 それで、「武田さんの写真、ちょっと使いにくいな。」と言われるのも、またおもしろいのではなかろうか。別に、命を取られるわけでもない。
 さて、今回の鹿児島取材から、新たなるテーマへの取り組みが始まった。
 これまでの自分の流儀やその他をいったんすべて御破算にし、また一から組み立て直す予定だから、案外、以前日記に書いたことと間逆のことを言い出したりする可能性だってある。
 道具も、これまでは合理的で使いやすいものを選んできたが、これからは、使っていて楽しいものを使うことにした。
 

 ↑ 新開さんの著作

 鹿児島の桜島からの帰りに、宮崎へと回って、昆虫写真家の新開孝さんのお宅へおじゃましてきた。
 新開さんと言えば、ストロボの使い方の達人。
 人がそれを真似できにくい理由は、カブトムシの巻などを見てみると良く分かる。
 ライティングなどという言葉があって、ストロボを持つと凝った照明をしてみたくなるのだけど、新開さんは、ストロボの使い方の前に自然光の使い方が巧みなのであり、普段からそうして自然光の光を楽しんでいない人が、ストロボを持った時だけ新開さんのように!と光を操ろうと思っても、所詮無理な話なのだ。
 
 
 

2011.4.6(水) 荒地の植物


NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX

 一番手前が、溶岩が流れてから100年くらいの箇所。ゴロゴロした岩が積み重なり、そこに松が点々と生えている。
 その奥が200年以上経っている箇所。松に取って代わって、照葉樹が茂っている。
 そのさらに奥が桜島の山頂付近で、火山灰に覆い尽くされている。
 いろいろ感じ方があるだろうけど、照葉樹が生えそろうまでにたった200年か・・・。植物って、たくましいなぁ。
 人類が滅亡したら、あっという間に人の気配なんて、なくなってしまうのだろうな。
 

NikonD3X AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED SILKYPIX


 降り積もった火山灰の土地にも、荒地に強い植物たちが、根を下ろしている。
 溶岩や津波などの影響で荒地が生じると、まずはそうした植物たちが地面を覆い、他の生き物たちが暮らしていける下地を作った上で、さらに別の植物へと移り変わっていく。
 荒地に強い植物たちは雑草などと呼ばれ、空き地にはびこり、抜いても抜いても生えてくると人を困らせるが、実は荒地を回復させる大切な役割を担っており、それを果たそうとしていることを思うと、ちょっと申し訳なくなる。
 僕は、人の手で品種改良され、人の手で植えられた人工物である桜よりも、そんな自然の植物たちを眺めるのが好きだ。
 
 
 

2011.4.4〜5(月〜火) 顔

 鹿児島県の桜島でレストランに入ったら、レジのおじちゃんが、知人のSさんによく似ていることに気がついた。
 さらに、次に入ったお店にも、よく似た人が。 
 そう言えば、Sさんが鹿児島の出身であることを思い出した。
 確か、桜島の写真も撮っておられたっけ。
 きっと、鹿児島の顔なんでしょうね。
 遺伝子って、その分布や広がり方も含めて、面白いな。
 
 
 

2011.4.1〜3(金〜日) BIRD DAYS

 一言で自然写真といっても、いろいろなタイプの写真がある。
 ちょっと乱暴ではあるけど、それらを大まかに分類すると、僕が見たところでは、3つのタイプに分けられるように思う。
 1つ目は記録報道の写真。これは、事実を事実として伝えようとする。この中には、楽しいものも見たくないものも含まれるが、どちらかというと社会に対する警告的なものが多い。
 2つ目はエンターテインメントの写真。これは、見た人を豊かで楽しい気持ちにさせる。
 3つ目は、思想信条を表した写真。


 
 注文してあった、和田剛一さんの写真集が届いた。
 和田さんの写真はいつも、僕の心を、暖かで豊かな気持ちにさせてくれる。ああ楽しいな、生まれてきて良かったな、などと思ったりする。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2011年4月分


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