スウが泣いた訳
最近、わたしはテレビを見て泣くことが多い。
昔、うちのおじいさんがよく、水戸黄門とか必殺仕事人とか見ながら泣いていたのを思い出してしまう。
年なのだろうか。
この前は、NHKの連ドラを、お昼休みに事務所の応接室で見ていて、それこそ涙が止まらなくなりそうだった。
それは、未婚の母のお話なのだが、それに出てくるこどもが小学1年生で、
置かれている環境とかは多少違うのだが、気持ち的にしょーちゃんとオーバーラップしてしまうのだ。
その時のお話は、お母さんが他の男の人と仲良くなってしまって、こどもが勝手にお父さんの家に行ってしまう。
お母さんは、自分の顔を見ればすぐ帰ってくるだろうと思って迎えに行くが、
こどもはむじゃきな顔をして、お父さんと暮らすと言い切るのであった。
呆然とするお母さん。
その時のお母さんの気持ちを考えたら、ドラマなのに辛いったら悔しいったら悲しいったらで
ハンカチ片手にオイオイ泣いていたわたし。
ほんとに、一人で見ててよかったあ。
思い起こせばわたしが離婚してこちらに戻ってきて半年の頃、今のアパートに、母の知り合い?の
イラン人の人たちが住んでいて、まだ3才のしょーちゃんは気に入られてよく遊んでもらっていた。
わたしは、その人たちのことをよく知らないし、香水みたいな臭いもすごいし、得体の知れない怖さがあって、
正直言うとあまりお近づきになりたくはなかった。
でも、仕事に行くのに母にこどもを預けると、母がまたその人たちにしょーちゃんを預けちゃったりして
わたしが家に帰ってきて母に聞くと「どっか遊びに連れてってる」なんてあっさり言われて、
心配で心配で、母との仲が険悪になったこともあった。
でもその頃、母と兄が自営業をしているということもあって、保育園が見つからず、わたしも
兄の店を手伝わないといけないので、母に預けていくしかなかったのであった。
何度かそんなことがあって、その人たちも悪い人ではなく、ほんとにしょーちゃんをかわいがって
くれているのではないかと思うようになっていった。
近くのコンビニに連れていってはおもちゃを買ってくれたり、ゲームセンターに連れていってくれたり、
靴を買ってくれたり、お風呂に入れてくれたり、ほんとによく面倒を見てくれていたのだが、だんだん
しょーちゃんがその人たちと離れなくなってきてしまって、そのうちわたしが迎えに行っても、
あやちゃんまで泣いて帰ろうとしなくなってしまったのだ。
わたしも、いい人たちなのであろうということはわかるのだが、心から信用することができないので、
泣き叫ぶふたりを力づくで、時には怒りながらぶったりして、強引に連れて帰ってきたりしていた。
そんなことをして、こどもに嫌われるのは当然だった。
ある日、いつものように泣き叫ぶしょーちゃんを強引に連れて帰ってきたはいいが、
わたしもイライラして、しょーちゃんにあたってぐちぐちと激しい口調で怒鳴りちらしてしまった。
するとしょーちゃんは、泣きながら
「かーちゃんなんてだいっきらい!うわーん!とーちゃーん!」
とーちゃんと叫んで家を飛び出して行ったのである。
この時は言いようのないショックを受けた。
あーあの子はずーっとお父さんのことを考えていたんだ。
お父さんに会いたくてたまらないんだ。わたしじゃだめなんだ。そんなに淋しかったんだ。
と思ったら、わたしは無性に悲しくなって、玄関の鍵を閉めてひとりでわんわん泣いた。
悔しくて悲しくて、どうしていいかわからなくて、泣くしかなかった。
しばらくしたら、実家に駆け込んでいたしょーちゃんが戻ってきて、ドアをドンドン叩いた。
でもわたしは開けなかったのだ。
もう、しょーちゃんなんて嫌いだーと思っていた。
すっかり自信がなくなっていたのかもしれない。
外ではしょーちゃんが泣いている。
開けてーって言って大きな声で泣いているのに、開けてあげなかった。
そのうち母が来て、
「恥ずかしいから入れてやんなよ!」
と言ってピンポンピンポンうるさいので、仕方なく鍵をあけた。
しょーちゃんはそっと入ってきた。
その後のことはよく覚えていないが、ふたりしてしばらく黙っていたと思う。
それからしばらくして、イラン人の人たちは祖国へ帰っていった。
NHKの連ドラを見て、なんとなくその時のことを思い出してしまったのであった。
でもちょうどその頃のことで覚えているのが、ある晩、しょーちゃんとケンカすると、しょーちゃんが
「あーちゃん(母)とこ行ってくるっ」
と言ってぷいと出て行ったと思ったら、しばらくして、アパートの隣でスナックをしている母から電話があるのだ。
「今、しょーちゃんが来てるんだけどさ、カウンターに座ってお客さん相手にクダ巻いてるよー。
ちょっと迎えにきてよ」
仕方なく迎えに行くと、小さな体でちょこんとカウンターに座り、お客さんの柿の種をつまみながら
哀愁を漂わせた背中を見せてジュースを傾けているしょーちゃんの姿がそこにあった。
「かーちゃんに出てけって言われたんだと」
お客さんがわたしに絡んでくる。
「そんなこと言ってませんよ」
「でもまあ、あれだ。しょーちゃんも淋しいんだよなっ。いつでもおじさんとこ来いヨー」
なんて、酔っぱらいに励まされながら店を後にするしょーちゃんとわたしなのであった。
でも、しょーちゃんもそれで気が紛れるらしく、そのあとは何事もなかったかのような
いつものしょーちゃんに戻っているのであった。
やっぱり、飲み屋でクダを巻くということは、人生において、必要なことなんである。