おかあさん

 

おかあさんの家に泊まりに行った。

おかあさんというのは、前のだんなのおかあさんのことである。

結婚して同居していた頃は、はっきり言ってしまうとわたしはおかあさんが嫌いだった。

嫌いというより、苦手だったのか。

明るくてハキハキしてさっぱりしていて、それでいてよく気を使う、そんな人だ。

コンプレックスの塊だったわたしにとってみれば、そんな性格がどこか羨ましかったのかもしれない。

同居していたが、一時は口もきかない日々が続いたこともあった。

それが、いざ離婚して離れてみると、不思議といたわりの気持ちが湧いてくるのだった。

それはやっぱり、ものすごい迷惑をかけたという負い目があるからだ。

わたしがおかあさんの人生を狂わせてしまったと言っても過言ではないと思う。

わたしたちが離婚してから、おかあさんと長男の元だんなは、20数年住んでいたところを引き払った。

数年前に二世帯住宅に建て替えたばかりだった。

借地だったので、二足三文で買い叩かれてしまったという。

その後、都営住宅に入っていたが、去年くらいに、埼玉に家を買って引っ越した。

うちに前より少しだけ近くなった。

しょーちゃんとあやちゃんに会える距離にいたかったという。

それでもうちから車で2時間半くらいはかかった。

午前中、母とこどもを車に乗せて家を出て、途中で待ち合わせて、おかあさんの家に向かった。

川を隔てたところに、おかあさんが暮らす小さな一軒家があった。

しばらく元だんな夫婦と住んでいたらしかったが、だんなの会社が遠く帰りが遅くて

毎晩夫婦ゲンカしていたということで会社の近くに越していったので、今はおかあさんひとりとのことだった。

お茶をいただいていろいろ話をしたあと、目の前の川原にみんなでさんぽにいくことになった。

おかあさんはずっと運転してきたわたしを気遣って、「少し寝ていたら」と言ってくれたが、

わたしも川原に行きたかったのでついていった。

浅くてきれいな川で、魚が泳いでいるのが見えた。バーベキューをする人もいるらしい。

わたしとしょーちゃんは、平らな石を見つけては水切りをしていたが、しょーちゃんは

ただ投げているだけのように見えた。

そのうち誰かが、よどんだ水溜りみたいなところでおたまじゃくしを見つけて、

こどもばかりか、いい年こいた母やおかあさんまでおたまの捕獲に躍起になり始めた。

もちろんわたしも負けてはいない。

木の枝で水面をなでてヘドロをどかし、「しょーちゃん、そこそこっ」と的確な指示を出し、

自分の手を汚さずにしょーちゃんにおたまを獲らせてあげているまではまだかわいかった。

ちょっとトロめのしょーちゃんがなかなか捕まえることができずにいるのを見るに見かねて、

とうとうおかあさんが家からざるを持ちだしてきてから、おたまの乱獲が始まった。

しばらくみんなでおたまと戯れて、みんなが飽きてきたころには、

水をはった虫かごの中におたまが12匹泳いでいた。

そしてやっとみんな、そろそろお茶でも飲もうよということになったのだった。

家に戻ると、1匹の猫がいることに気づいた。

わたしが結婚する前からおかあさんのとこで飼われていた、みーちゃんだった。

わたしを覚えていてくれたのか、頭をなでると気持ちよさそうに目を細めて、首をコチョコチョすると

ゴロゴロ言ってわたしの手をペロペロなめた。

「うわー。みーちゃんだよー。しょーちゃん、覚えてる?」

と、しょーちゃんに聞いてみると、

「ぼく、覚えてるよ」

と、得意げに言っていた。ほんとだろうか。

 

元だんな夫婦のこどもは男の子なのか女の子なのかわからない。

おかあさんはわたしに元だんなの話はあまりしない。

去年、母が口をすべらせた感じで、だんなが再婚して1才くらいのこどもがいることを言って知ったのである。

わたしもそれ以上は聞かなかった。

おかあさんとうちの母の話を聞いているとどうも女の子のようだが、おもちゃはリモコンカーとかあるし

だんなは四駆のプラモデルばっかり作っているとおかあさんは言っていた。

結局、昔しょーちゃんに一生懸命作っていたのは、単に自分がプラモ好きだったからということなのか?

それとも、今でもしょーちゃんを思い出しながら作っているのだろうか。

どっちでもいいけど。

 

夜は、こども部屋だったであろう部屋に、わたしとこどもたちで、寝た。

トイレに飾ってあるプーさんのステッカーとか、隣の部屋の壁に貼られたGLAYのポスターとか、

作りかけの四駆のプラモデルなんかを見ていたら、なんとも表現しがたい複雑な気持ちになった。

寝る時になってしょーちゃんのおむつを忘れたことに気づき、おねしょが心配で、夜中に目が覚めては

しょーちゃんを起こしてトイレに連れて行った。

朝、目が覚めるともうふたりとも起きていて、しょーちゃんはおねしょをしていなかったが、

かわりにあやちゃんがなぜか思いっきり鼻血を出していた(笑)。

しょーちゃんは、作りかけの四駆を見つけて、勝手に作っていた。

おかあさんが持ってっていいよと言ってくれたが、しょーちゃんひとりで作れず、やっぱりわたしが作っていた。

その日はみんなでちょっと遠くまで出かけて、前に住んでいた家の近くを車で通ってみた。

わたしが住んでいた頃は工事中だったモノレールも完成して、以前の家のすぐ近くに駅ができていた。

いつもしょーちゃんとさんぽしていた緑道には、今ものんびりとさんぽしている人や

小川で遊んでいるこどもたちがいて、あのころのわたしとしょーちゃんの姿がだぶって見えた。

いつもここをしょーちゃんと歩いて、ザリガニを探して獲ろうとしてみたり、

飛び石や橋を渡って追いかけっこをしていた。

この緑道をずっと行くと体育館があって、そこの幼児室にいつもしょーちゃんを連れていってたっけ。

反対方向をずっと行くと川につながって、泳いでいるカモにパンくずを投げて、陸橋を走る電車を

しょーちゃんとふたりで眺めていたりしたんだった。

こんないいところに、住んでたんだよなあ・・・。

わたしなんかより、おかあさんの方がずっと思い出がいっぱいだろうなと思い、そっとバックミラーを覗いてしまった。

大人3人が黙りこんだ中、しょーちゃんとあやちゃんは、どこを通っているかも気づかずに

さっき買ってもらったおもちゃで無邪気に遊んでいるのだった。

そのあと、お寿司を食べて家に戻り、帰り支度を済ませて、おみやげのおたまも持って、

さあ車に乗ろうというときに、突然、ひょうがバラバラと降ってきた。

ひょうなんて、こどものころに見たきりだ。

丸い氷が降ってきて、しょーちゃんもあやちゃんもびっくりしていた。

すごい勢いで降って、わたしはひょうが積もった景色を初めて見たのであった。

しばらくしてやんだので、途中までおかあさんの車のあとをついて行ったが、少し行ったあたりは

10cmくらい積もっていて、まるで雪景色のようで、ちょっといいもん見せてもらったと思った。

来る時に待ち合わせしたところまで来て、おかあさんが車を左に寄せた。

わたしもちょっと先に車を止めると、雨の中おかあさんが走って来て、

「気をつけて帰ってね」

と言って、こどもたちに声をかけようとしたが、ふたりともすっかり眠りこけていた。

おかあさんは笑っていたけれど、目を見るとかすかにうるんでいた。

わたしはそれを見るのが辛くて、

「お世話になりました。おかあさんも、体に気をつけて」

とだけ言うのが精一杯だった。

おかあさんは車に戻り、わたしは車を走らせた。

みんなそれほど騒いでいたわけではなかったけれど、

ひとりで暮らすおかあさんには賑やかすぎたかもしれない。

家に帰ったら、今までよりずっとさびしく感じるだろう。

わたしが小さい頃、離れて暮らす父と会って、家に帰ってきた日の夜のように・・・。

 

おたまじゃくしは今日も元気に泳いでいる。

カエルになったらどうしようかなー。12匹。

 

 

ばっく