聞かせてよ 愛のコトバを 1
「お兄ちゃんが好きなのは――琴子でしょ」
祐樹がそう言った。


好きなのは、好きだったのは・・・誰か。今更そんな事を考えても仕方がない。
愛だの恋だのそんな事を言っている奴は頭が空っぽで、何も考えていないような連中だと最近まで思っていた。
そのオレに戻ればいい。それだけの話だ。そうすればきっと――
「うまくいくよ」
すべて。


休日。連日の繁忙で疲れていたオレは家の中で一番の寝坊をしたらしい。リビングに行ってみると、祐樹しかいないことがわかった。
「琴子はデートに行ったよ」
祐樹はトーストを用意しながらそう言った。
ああ、そうか、そうなっていくんだよな。俺はふうん。と気の無い返事をしながら思っていた。祐樹がもの言いたげな視線をよこしているのを感じたが、オレにはそれ以上の感想が無い。新聞を読み朝食を食べ、早々に自分の部屋に引き返す。
会社から持ち帰った仕事をこなさなければならなかった。


琴子とデートしたことは一度しかない。その一度だって、成り行きみたいなものだった。
何年も一緒に暮らしていたのに。
そしてもう二度とデートすることはない。オレは沙穂子さんと、あいつは他の男と行くのだ。
あいつはどんな所に行ってどんな風に過ごしているのだろうか。
つまらない想像が頭をもたげる。
頭痛の種である数字と格闘したが、どうにもはかどらない。原因は解っているだけに自分の愚かさに腹が立った。
もう、考えるな。自分の感情を俺は必死に理性と理論で説得を試みた。
決めたことは覆せない。忘れるのが一番だ。オレの為にも・・・・あいつのためにも。



その夜、かなり遅くなってから琴子は帰宅した。ちょうどオレが風呂から上がってきたとき、リビングから鼻歌が聞こえた。さぞ、楽しかったのだろう、と思うと凶暴な感情が自分の中で生まれてくる。一言嫌味を言わずにはいられなくなった。
「随分楽しそうだな」
「入江くん!」
琴子はびっくりしたように振り向く。急須を持ってお茶でも飲もうとしていたのか。
「・・・入江くんも食べる?」
うっすらと、化粧が残る彼女の顔に苛立ちが増す。
「今夜は帰ってこねーかと思ってたよ」
「そ そんなんじゃんな・・・あっつう!!」
オレの言葉に動揺した琴子が熱湯の入った急須をひっくり返して、自分の足にかけた。
「琴子!」
しゃがみこんだ彼女を見て、それまでのことを全て忘れて駆け寄った。
それから先は必死だった。みそがやけどに良いだの何だのと、ごちゃごちゃ言う琴子を抱き上げて、風呂場に入り、熱湯で真っ赤になった彼女の足に水をかける。
心臓に悪い琴子の行動にオレは平静を装うのが精一杯だ。
「入江くんって・・・やっぱりお医者さんにむいてるよね」
彼女がぽつりと言う。
「こんな事で医者になれたら、誰でもなれるさ」
オレは下を向いたままそう言った。琴子がありがとうと消え入りそうな声で言う。
最初に医者になればいいと言い出したのは彼女だった。それがきっかけで、オレは医者に初めて興味を覚えて医者になる夢を見て・・・
結局、その夢は諦めなければならなくなって、その夢を見させてくれた琴子への気持ちまで諦めざるを得なくなったけれど。
両方もっていられたのはつい最近までのことだったのに、何か遠い昔のように思える。
シャワーの水音が沈黙の風呂場に響いた。
雰囲気に耐えられなくなったオレは
「ふてえ足」
そう悪態をつく。
「なっ!」
琴子は頬を染めて怒った。彼女の反応がおかしくて面白くて意地悪ばかりしていたこの前までの自分を思い出す。
まだ、オレのことが好きか?
身勝手にも、そう聞きたくなる気持ちを深呼吸することによって、押さえつけなければならなかった。
nori
2008年06月14日(土) 15時48分19秒 公開
■この作品の著作権はnoriさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして。
入江くんが別人28号です。
初心者が一番良いシーを大捏造。
・・・すみません。

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