大蛇森の憂鬱
今日もいた。僕のオアシス。ああ見るだけで気持ちが…。
「おはようございます、大蛇森先生。」
「おはよう、入江先生。」
そう、僕のオアシス、入江直樹先生。何もかもすべてが僕の理想通りの男だ。

自己紹介が遅れたけれど、僕の名前は大蛇森。下の名前は名乗るほどではない。
斗南大学病院の脳外科の医師。人は僕の繊細な指先と、美しい手術を見て“脳外科の魔術師”(注:自称)と呼ぶ。
「今度、入江先生に手伝ってもらう手術の打ち合わせ、午後にやろうと思っているんだけれど、都合はどうかな?」
「大丈夫です。では1時頃に先生の部屋へ伺います。」
ああ、何て何て爽やかな答え。パーフェクトな外見に相応しく、素晴らしい技術、頭の回転の速さ、何もかもが僕の描いていた理想通りだ。素晴らしい。僕の当面の目標は、この入江先生を外科から脳外科へと引っ張ることだ。そうしたら、入江先生と朝も夜も、いつも一緒にいられる…。

「おはようございます、大蛇森先生。」
素晴らしい気分に水を差すような女の声。振り返ると、やはり今日もくっついていたか。
「…おはよう、入江くん。」
このチンチクリンのさえない女、入江琴子。おそらく斗南大病院始まって以来の馬鹿でドジな看護師。どのくらいこいつが看護師に向いていないかと言うと、このチンチクリン、以前手術中に私の繊細な手を疵物にしたくらいの愚かな女なのだ。
一体どんな手で看護師になれたのか、その年の国家試験のレベルは相当な低さだったのだろう。

仕事以外でも、この女は僕をどれだけ傷つけたか…。
信じられないことに、このチンチクリン、入江先生と法律上正式に結婚しているのだ。
それにも関わらず、入江先生という最高の男性を夫としながら、何が不満なのか知らないが、慰安旅行にてチンチクリンは男風呂へ突撃してきた。そこで僕はチンチクリンに白く美しい陶磁器のような裸体を見られてしまった…。
このことは生涯、僕の心の傷として残るだろう。

「今日はどんなミスをして、僕を振り回してくれるんだろうね?」
嫌味の一つも言わずにいられない。看護師になれたことだけじゃない、どんな恐ろしい方法を使って、この入江先生の妻の座に居座ったんだろうか。何か彼の弱みでも握って脅迫したのか。もしくは、何か恐ろしい薬でも…。この女ならあり得ないことじゃない。

何よりも腹が立つのは、このチンチクリンが僕の知らない入江先生を知っているということだ。きっと入江先生のバスローブ姿も、パジャマ姿も、何もかも…。ああ、考えるだけで、腸が煮えくり返る。

そんなことを考えている間に、入江先生は先に歩いて行ってしまった。チンチクリンも後を急いで追う。相変わらずどんくさい娘だ。この様子を見ていると、入江先生はあまりチンチクリンに愛情がないような気がするのだけれど…。そうだと心より願う。

「おはようございます、大蛇森先生。」
僕はその声に振り向いた。入江琴子で害された気分を元へ戻す特効薬の登場に、僕の胸は騒いだ。そう、鴨狩啓太というリハビリ担当の看護師。
「おはよう。鴨狩くん。」
彼も僕のオアシスの一人だ。看護師としての腕前(同期の入江琴子と大違い)、そしてルックス…。入江先生にはやや負けるけれど、僕の理想の範囲内にはおさまっている。
僕の夢は入江先生と鴨狩くんとで、脳外科チームを作ることだ。実現したらこんなに素晴らしい環境はないだろう。フフフ…。何とかして彼も脳外科へと引っ張らないと。

「それでは、手術はこのような進行で…。」
時間どおり、1時から始まった打ち合わせ。僕と入江先生の素晴らしい午後のひとときだ。
「わかりました。当日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしく。」
ああ、よろしくなんて、一生よろしくしてほしい。僕は目の前にいる入江先生を見つめながら思った。
「ところで、入江先生の指って細くて長くて、綺麗ですね。」
僕は少しでも入江先生との二人だけの時間を過ごしたくて、雑談を始めた。
「そうですか?ありがとうございます。」
この謙虚さがまた素晴らしい。あのチンチクリンにも見習ってほしい。
「この指を役に立てる気はない?脳外科の繊細な手術にきっと向いていると思うんだけれど。」
そう言いながら、僕はさり気なく入江先生の手に触れた。
「いえ、僕はまだ外科で学びたいことがありますから。」
入江先生はそう言うと、ニッコリと微笑んでくれた。

「それでは失礼します。」
礼儀正しく入江先生は挨拶をして、僕の部屋を出て行った。僕は少しでも先生の姿を見ていたかったので、ドアの所に立って、先生を見つめていた。

「琴子ちゃーん。今夜空いてる?」
「空いてません。それに西垣先生、何度も話すとおり、私は一応人妻です。」
「一応“今は”人妻でしょ?入江なんてさっさとやめてさ…。」
せっかくのいい気分が台無しだ。この声は入江琴子と西垣先生か。西垣先生も外見だけだったら、僕の好みであるのだけれど、女好きな性格がどうもね。

それにしたって、なぜ毎日毎日、懲りずに入江琴子を追っかけるのだろう。あのチンチクリンは何かいい男を惑わすものでもあるのか?いや、ないだろう。なぜなら斗南大一、いや一番は入江先生か、二番目にいい男である僕が全く惑わされないから。
西垣先生も腕はいいのだから、女の尻を追っかけるのなんてやめればいいのに。僕は溜息をつきながら、二人を見ていた。
西垣先生とチンチクリンは話に夢中で入江先生に気が付いていないらしい。そのうち、二人は入江先生を追い越して歩いていこうとした。
その瞬間、僕は自分の目を疑った…。

「西垣先生、カートには気をつけないと。」
入江先生がお尻を押さえてうずくまる西垣先生に声をかけた。丁度、三人の傍を看護師がカートを押して通り過ぎるところだった。
嘘だ。カートなんて彼にぶつかっていない。
今のは明らかに入江先生がわざと西垣先生のお尻を足で蹴ったのだ。僕は見ていた。
西垣先生は余程痛かったのかお尻を押さえながら、カートの方を恨めしそうに見ている。
「行くぞ。」
入江先生が、西垣先生を心配気に見ているチンチクリンに声をかけて二人は行ってしまった。

上に立つ人間として、僕は入江先生に注意をすべきだろう。何たって、入江先生は指導医を足蹴にしたのだから。
でも…。今回は大目に見てやろう。僕が注意したことで入江先生の輝かしい経歴に瑕をつけたくないし、それにどう見たって西垣先生の方が悪いから。あんなチンチクリンに手を出そうとして痛い目に合うなんて、バカとしか言いようがない。これに懲りて、彼もこちらの世界に来ればいいのだけれど。

それにしても、悔しいことに、入江先生はあのチンチクリンを結構大切にしているらしい。
僕の夢の実現のためには、チンチクリンを何とか抹殺せねばならないな。
僕はそんなことを思いながら、自室へと戻った。

「…入江くん、大蛇森先生と打ち合わせ終わったの?」
「ああ。」
「あの先生、何だか私を目の敵にしてるんだよね。」
「それは手術中に、お前が大蛇森先生に迷惑をかけたからだろう。」
「ううっ…。まだ根に持っているのかなあ…。」

そんな会話をしながら直樹と琴子は連れ立って歩いている。琴子は二人で並んで歩けることが嬉しくて、そっと直樹の手を取ろうとした。が、直樹は琴子の手を払いのけるように交わしてしまった。
「そこまで嫌がらなくても…。」
しょんぼりする琴子。
「こっちの手、あんまり綺麗じゃないから。」
直樹の言葉に、琴子は嫌がられたわけじゃないとホッとした表情を浮かべた。
「何か触ったの?」
「ま、毒みたいなものかな?」
琴子は、直樹の答えの意味が分からなかった。

「入江くんって大蛇森先生にも丁寧な態度を取るよね。ま、社会人として当たり前か。」
「そりゃ、一応先輩だから。目上の人間には気を遣うのは当然だろう?あんな白いガリガリの裸体の持ち主でも。」
「それは、忘れてって言ったじゃない…。目上に気を遣うってことは、西垣先生にも毎日気を遣っているんだ。」
「…一応。」
直樹の言葉に琴子が息をつく。
「大変だねー、お医者さんも。いろいろと。」
「大変だよ。いろいろとな。」
まだお尻を押さえてうずくまっている西垣を遠目にしながら、直樹は答えた…。
水玉
2008年11月05日(水) 14時37分17秒 公開
■この作品の著作権は水玉さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
一生、お蔵入りにしようかと思ってましたが…。恥をさらけ出すつもりで投稿してみます。

もし、足を止められて読んで下さった方がいらしたら嬉しいです。

大蛇森先生のイメージを壊していたらごめんなさいm(__)m

この作品の感想をお寄せください。
7hu1im Click!! Bradley ■2015-08-11 02:56:46 188.143.232.26
水玉さん、すばらしいです。大蛇森先生視点、面白いですよ〜!!お蔵入りなんてとんでもないです。この際、他のキャラ視点もどんどんお願いします♪ kani ■2008-11-08 00:34:32 220.29.138.50
こんな話にたくさんの感想、ありがとうございます。
そもそもお蔵入りしていたのには理由がありまして…
1.最初に書いた内容があまりにつまらなかった。
2.素敵なタイトルが並ぶ中“大蛇森”なんていう言葉を並べることにものすごい抵抗があった
この2点です。大蛇森先生のファンはきっとあまりいらっしゃらないだろうから、イメージをぶち壊しても、気を悪くされる方はいないのではと思って書いてみました(もし、ファンの方がいらしたらごめんなさい)。
隠し玉とはとても呼べる作品ではない上、チンチクリン連呼でごまかした感もありますが、でも皆さんに楽しんで頂けて嬉しかったです!!
水玉 ■2008-11-06 12:50:04 116.82.203.133
何故か、コメントがなかなかアップされず…。そしてコメントは他のみなさまがしつくしてくださった感じで…。大層おもしろかったでゴザイマス。水玉さんの文才の幅広さに驚きを禁じ得ません! アリエル ■2008-11-06 00:26:33 123.108.237.27
すごいよーーー大蛇森イメージそのまま!!水玉さん天才!!きっと入江君もびっくりだよ。
あたし、こういう、第三者目線のお話すごく好き♪
まだ隠し玉もってるなら、お蔵になっていれずじゃかじゃか、だしちゃって♪
ヒロイブ ■2008-11-05 23:01:56 122.135.70.252
大蛇森先生のイメージそのものです。でも先生の下の名前ってなんて言うのだろう…?入江くんは相変わらず西垣先生にやきもちやいているし、大蛇森先生に触られた手を綺麗じゃないからと言って琴子と手を繋がないし…自分の手なのに他の男の人に触られるようなかんじでやきもち焼いちゃうのね。なんか可愛い入江くんですね。 ちえ ■2008-11-05 20:59:26 61.210.215.107
チンチクリン連呼にどれだけ笑ってしまったでしょう^^お、おなか痛い(笑)
しまいには、さあやがチンチクリンと言われてるようでキョロキョロしてしまいました^^
水玉さんって本当に天才文才素敵過ぎますぅ^^
もっともっと沢山書いて私たち読者を楽しませてくださいねーー♪
あ、御蔵入りなんていうものはその素晴らしい脳内から追いやって下さい^^
その言葉こそ、御蔵入りで…(願、祈)
さあや ■2008-11-05 20:27:42 118.8.5.196
大蛇森先生のイメージ壊れてませんよ〜。チンチクリンと琴子を呼ぶ光景が目に浮かびます。是非、他のキャラ視点も書いてください。個人的にはモトちゃんが好き♪ たまこ ■2008-11-05 19:58:04 220.213.210.181
水玉さんってば、こんな隠し玉を持ってたなんて!!面白すぎです!!!
ホント、シリアスもコメディーも何でもござれ!ですね。スゴいです。
敵の手のうちにあわせて、琴子を魔の手から守る入江くんがサイコーです!!
まだ隠し玉がありましたら、熱烈コールしちゃいますよ☆
Lee ■2008-11-05 19:47:48 210.136.161.163
こんなおもしろい作品がお蔵入りにされなくて良かったです。
啓太も琴子のことが好きだったことを知ったら、ますます琴子のことを目の敵にしそうですね。それにしてもチンチクリンって(笑)
かりん ■2008-11-05 15:33:35 222.151.149.65
すっごい笑えました!入江くんって、そっちのお方にも、人気あるんでしょうね。
水玉さん、おもしろすぎですよ!お蔵入りなんてダメですよ!ダメ!もう隠し作品はないですか?(笑)
RIKO ■2008-11-05 15:14:01 125.15.91.93
やっぱり、水玉さんって凄いよ〜絵が目に浮かんで浮かんで・・・凄すぎ。。
それにしても、毒みたいなものとは、お気の毒に。。。。入江君の目上に対する気遣い、よ〜〜くわかりました。
ゆみのすけ ■2008-11-05 15:02:43 58.92.82.202
読むに決まってるじゃないですか〜。
とっても面白かったので、ほかのキャラクターでもよろしくお願いいたします。
えま ■2008-11-05 14:44:40 222.225.133.136
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