秘密 17
「えっとペン、ペン…。」
ナースセンターで琴子はカルテに書き込もうと、ポケットからペンを出そうとした。すると何かが琴子の指に当たった。
「?」
取り出してみると紙切れだった。
「すぐ溜まっちゃうんだよね。小まめに整理しないとだめだなあ。」
一応、確認してから捨てようと紙切れを広げた琴子は、それを見るなり慌てて閉じた。そして、そっと人気のない場所へと移った。
紙切れには一言、
「昼休み、屋上」
と、直樹の字で書かれていた。琴子が待ち焦がれた直樹からの手紙がようやく、琴子のポケットに入れられたのだった。

昼休みになり、恐る恐る琴子は屋上へと向かった。
「もしかして、お前みたいな暴力女とはやっていけないとか、言われるのかな?」
考えながら屋上への入り口に着くと、入り口の扉には“立入禁止”の紙が貼られている。
「えっ、立ち入り禁止?」
それでも、琴子はそっと扉を少し開けてみる。すると屋上のベンチに座っている直樹の後姿が見える。
「入江くんがいるってことは、入って大丈夫だよね?」
琴子は意を決して、扉を開けて屋上へ足を踏み入れた。

琴子が来るのを待ち構えていた直樹は、突然視界が暗くなった。
「…!?」
どうやら後ろから誰かの両手で目を塞がれたらしい。
「…何の真似?」
「…だって目を見て話すの怖いから。」
琴子の声だ。
「勝手にしろ。」
「私から話してもいい?」
返事がなかったので、琴子はそれを承諾の意思表示だと考えて話し始めた。
「昨日、お父さんから電話があったの。」
「お義父さんから?」
「…入江くん、私が作った料理の写真を撮ってお父さんの元へ送ってくれたでしょう?」
確かに琴子の料理の写真をこっそりと撮って、琴子の父へと送った。料理ノートを送った板前である義父は、琴子がちゃんとまともな食事を作っているかを、きっと東京で心配しているだろうと思って。
「手紙も一緒に書いてくれたんだってね。」

写真と一緒に手紙も入れた。義父がくれたノートを見ながら、琴子は自分の為に一生懸命料理を作ってくれている。写真を入れたのは言葉で説明するより、実際に作ったものを見せたかったからだ。口でどんなに言っても、義父は直樹が遠慮して琴子の料理を上手だと言ってくれていると思うだろうから。それに実際に琴子がノートを活用していることを教えてあげれば、義父も喜ぶだろうと思ってのことだった。

そして、手紙を入れたのは、直樹の義父への感謝の証だ。遠い神戸で過ごす娘の様子が恐らく気になって仕方がないだろうと思ったのだ。だから手紙には琴子が仕事も手を抜かず、主婦業もこなして、自分の体を考えて食事も作ってくれているから安心してほしいと書いたのだった。

「…お義父さん、おしゃべりだな。」
「お父さん、電話で泣いてたよ。」
琴子の声も涙声になっている。
「入江くん、最後に書いてくれたんだってね。私と結婚して、お父さんの息子になれて幸せだって…。」
確かに、そんな事を書いたなと直樹は目を塞がれたまま思い出していた。事実その通りだったから。

「それなのに、それなのに、私ったら…。」
とうとう堪え切れなくなったらしい。
「ごめんね、本当にごめんね。そんな優しい入江くんを叩くなんて、私最低だよね!」
琴子がボロボロと涙をこぼして泣いている姿が想像できた。
直樹は自分の目をおさえていた琴子の両手をぐいっと引っ張った。急に引っ張られた琴子が自然と直樹の首に後ろから抱きつく形になった。
「入江くん?」
「俺だって最低だったよ。」
「え?」
「昨日、水沢から聞いたんだ。あいつの親、震災で亡くなったんだってな。」
「そうなの?理由までは聞かなかったから…。」
「それなのに、お前と水沢を疑って。自分が恥ずかしいよ。」
「そんな…。」
琴子が直樹の顔を覗き込んだ。直樹が自分の唇を琴子へ重ねる。そして、どちらともなく笑った。

「痛かった?ほっぺた…。」
琴子が尋ねた。
「結構ね。お前から叩かれたの、これで二度目だもんな。」
「えっ、前にも私、叩いたことあった?」
驚いて琴子が訊いた。
「お前って自分に都合の悪いことはすぐに忘れるんだな。俺の顔を殴ったのは、お前が初めてだったから俺はよく覚えているけど。」
「えっ、そうなの?でも…。」
「でも、何だよ?」
琴子が言った。
「入江くんだって、二回、私を叩いているでしょ?」
琴子の言葉に直樹が笑った。
「じゃ、これでおあいこってことだな。」
「そうだね。おあいこ。」
二人は見つめ合って笑った。

「ねえ、この間入江くん、自分の長所はどこだって聞いたでしょ?」
「面倒見のいい所なんだろ?」
「あれ、訂正する。」
「結局なかったとか言うんだろ?」
直樹に後ろから抱きついたまま、琴子が直樹の顔を覗き込んで、微笑みながら言った。
「入江くんの長所は、誰よりも優しいところ。」
「…そんなこと、初めて言われた。」
「入江くんは誰よりも優しい。でもそれを知っているのは世界中で私だけなの。」
「…それって、他の奴には優しくするなってことかよ?」
「そう。入江くんが優しくするのは、世界中で私だけ。」
「…了解。」
再び二人はキスした。

「入江くん、まだ病院?」
しばらくして琴子が訊いた。
「いや。患者が落ち着いたからようやく家へ戻って休めるな。」
直樹はそう言ってベンチから立ち上がって、体を伸ばした。
「じゃ、ゆっくり休んでね。」
「ああ、でもその前に…。」
直樹は言った。
「お袋に電話するかな。久しぶりに。」
直樹の言葉に琴子は喜んだ。
「うん、してあげて!入江くん、めったにかけないんだもん。お義母さん、大喜びするよ!」
「でも、お袋は実の息子の俺より、お前からの電話の方が喜ぶんだよな。」
「そんなことないよ!絶対喜ぶって!」
直樹も分かっていた。母が一番喜ぶのは、直樹の口から琴子と仲良くしている様子を聞くことだということを。だからたまには親孝行しようかと思ったのだった。
「そろそろ行くね。じゃ、お義母さんによろしく言っておいてね。」

琴子がそう言って屋上から立ち去ろうとした時、
「琴子!」
直樹が琴子の元へ何かを投げて寄越した。奇跡的に無事飛んできた物をキャッチする琴子。何が飛んできたのかと思ったら、1冊の小さなポケットサイズのノートだった。
何かと思ってめくると、そこには、琴子が苦手とする処置の方法や看護のポイントなどが図を交えて書かれている。全て直樹の手書きだ。
「入江くん、これ…?」
「お義父さんの真似。」
「え?こんな細かく?入江くん、何でこんなに私が苦手なものが分かるの?」
「お前が毎日つけてる看護日記、あれ見たら一発で分かるよ。」
「見たんだ…。」
見られたことは恥ずかしかったが、それ以上に直樹が忙しい勤務の合間に作ってこれたことが琴子には何より嬉しい。
「そのサイズなら、いつも持ち歩けるだろ?」
「ありがとう!嬉しい!私もお母さんみたいに、このノートにたくさん書き込むね。」
琴子がまた直樹に近寄って行こうとすると、直樹が言った。
「早く戻らないと怒られるぞ。」
それでも、琴子は駆け足で直樹にまた近寄った。
「…ねえ、入江くん。」
琴子が嬉しそうに言った。
「私が温かい幸せな家庭を築きたい相手は、入江くんだけだからね。」
「…分かってるよ。」
直樹の返事を聞くと、琴子はまた駆け足で屋上を後にした。

「さて、俺も帰るか。」
琴子が屋上を立ち去って、しばらくして直樹も立ち上がり、屋内への扉を開けた。
「あ、これ剥がしとかないと。忘れる所だった。」
直樹は扉へ張ってあった“立入禁止”の紙を剥がし、そして階段を下りていった。
水玉
2008年11月05日(水) 21時08分12秒 公開
■この作品の著作権は水玉さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
いつも感想ありがとうございます!!

果たして琴子の名誉は取り戻せたのか、心配ですが…。

しかも今回長々と書いてしまいました…。うまく途中で切れなかったんです。その上、セリフがずらずらと並んでしまいました。
読みにくくて大変申し訳ないです。

この作品の感想をお寄せください。
皆様、感想ありがとうございます!!
こんなにたくさんの感想…
そして脇役の水沢への優しいお言葉…書いている人間にとってとても嬉しいです!!
いや、あのまま琴子が嫌われていくのではとかなり心配しておりましたが、何とか名誉挽回できてホッとしました(笑)
これからもよろしくお願い致します。
水玉 ■2008-11-08 21:30:51 116.82.203.133
水玉さん、素晴らしいです。琴子に内緒で相原パパに手紙を送る入江君に優しさを感じました。さりげない優しさが入江君なんですよね^^二人が仲直りしてホントによかったです。屋上での二人の様子が脳内を駆け巡りました。こうなるとやっぱり水沢さんは不憫ですよね。彼にも素敵な出会いがありますように願ってます。それにしてもさあやさん、「せせこせせこと・・・」に思わず吹いちゃいましたよ(笑) kani ■2008-11-08 01:03:43 220.29.138.50
文才天才水玉さん。な、泣きそうになりましたよぅ。
直樹が琴子の為に、せせこせせことミニノートを書き込むなんて想像しただけで萌えました^^
なんなんだーこの二人は、ますます「キミ、メグル、ボク」だわ♪
さあやの目頭が…熱いっす☆
それから、下でアリエルが鼻息を荒くしています^^
私も水沢さんの愛と幸せエピソード読みたいですぅ♪
さあや ■2008-11-07 07:39:57 118.8.5.196
ホッとしましたー。仲違いしている彼女にわざとぶつかって胸ポケットにメモ入れるあたり、イタキスと同じ年代の漫画ですが、いるかちゃんヨロシク!の春海か。とちょっと苦笑してしまいました yun ■2008-11-07 06:31:20 219.108.8.101
水玉さん、夕刻はありがとうございました。楽しいひと時でした!
そして、寝る前に尋ねたこの頁!仲直り良かったーーーー。
琴子のためにノートを作る直樹。本当に相原とうさん尊敬してるんだなーと
素敵なエピソードです。これも原作絵で漫画が読めましたよ!!!!
あと、立ち入り禁止の紙をはがす入江くん‥萌えました!!!
また、素敵続きを待っておりますね。
えま ■2008-11-07 01:33:53 222.225.133.103
読みにくいなんてことぜんぜんないです!!
いつも 読むうちに 作品の世界にひきこまれて
続きがまちどおしいです!
ぷーたん ■2008-11-06 23:40:15 220.38.220.115
え〜ん 感動した〜!!「入江くんが 世界中で優しくするのは私だけ」「了解」なんて会話、してみたい〜!!仲直りできてよかったね〜!!
続き待っています〜!
みーたん ■2008-11-06 12:02:22 60.47.113.229
うわ〜ん、ようやく仲直り、ホントによかったです☆今回のお話は、二人の互いへの愛情もさることながら、入江くんの相原父への愛情にやられました!!さすが水玉さん!今までの細かい伏線が見事につながりながら、全然ムリがない、もう脱帽です。前回ラストの入江くんの態度に「エーッ(涙)」と思っていたのが、ぶつかった拍子に手紙を忍ばせていたなんて・・・もう狙ってたな、コノヤロウ!!です♪
ホントに素敵なお話をありがとうございました。続きも楽しみに待ってますねo(^-^)o
Lee ■2008-11-06 07:51:50 210.153.84.108
良かったです〜(涙)前話で2人とも反省してた割にぶつかっても会話もなかったので、また素直になれなくてすれ違ってるのか?と心配してたのですが・・・あの時にポケットに手紙を入れたんですね。こんな時に琴子の望みの秘密の手紙交換をするなんて入江くんやるな〜。
でも、こうなると水沢さんが不憫。本当にアリエルさんの言うとおり罪作りな夫婦ですね(笑)
かりん ■2008-11-06 07:39:58 222.151.149.65
興奮し過ぎて大事なこと忘れた。厚かましいことこの上無いお願いですが、心優しき水沢青年にどうか愛と幸せを…お願いします。イリコト…罪作りな夫婦だ(笑) 水玉さん、どうかよろしくお願いします! アリエル ■2008-11-05 23:14:31 124.83.159.211
興奮が収まりません!!!水玉さんっっ、愛してます!!!!琴子サイコー入江サイコーイリコトサイコ〜〜〜〜〜(号泣) 想像を絶するブラボーな展開にアリエルは何度も息を飲みましたよ…。もう素敵すぎて姿も知らない水玉さんに後光が見える…。        あ、ジョルジュの件…同世代ですね、間違いなく(笑) アリエル ■2008-11-05 23:10:31 124.83.159.211
水玉様〜すごすぎですよ〜。お父さんからの電話だったんですね。感動しました。全然読みにくくないですよ。琴子の気持ちも伝わりました。とりあえず仲直りできて良かった。また続きお待ちしております。 NAO ■2008-11-05 22:43:11 203.138.105.182
大丈夫ですよ〜。入江くんも琴子も名誉挽回してますよ。琴子のお父さんからの電話は納得です。入江くんが琴子以外で素直な気持ちでいられる人は琴子のお父さんですものね。重雄さん、グッジョブです! たまこ ■2008-11-05 21:39:36 220.213.210.181
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