青いキミ
灼熱とした昼間の太陽がようやく形を潜め、クラブ活動に勤しむ学生達の影が
伸び始めていた。

散々浴びた日差しのせいでポロシャツとショーツから露出した肌はすっかり
焼けて赤らんでいる。とにかく今日はここ最近のなかで酷い猛暑日で、
どのくらい汗をかいたのか、およそ検討もつかないほどだった。
直樹はとにかく一刻も早く着替えたい一心で、テニスクラブ仲間へ帰宅
することを簡単に告げ、校内へ入る。夏休みで人気の少ない廊下は、
外気温より少しひんやりしていて心地が良い。

廊下を真っ直ぐ突き抜けて左奥に更衣室がある。
窓から刺すオレンジ色の日差しを避けながら廊下の端を歩くと、そこは
影にすっぽり覆われていて直樹の姿を薄暗く隠した。
だから、琴子とその親友である里美とじん子は気がつかないでいた。
直樹がすぐ近くまで歩いてきていることに。

「でねー、おばさまがサラダに小さく刻んで入れたらどうかって言うから、
もうね、それはそれは小いーちゃく切ったのよ。キュウリを!」
「で、食べたの?入江くん」
「えへへ、それが入江くんったらね、そのちーちゃいキュウリを器用に
お皿の隅に全部よけてたんだよ!」
「あ、、、、!」
「ひ、、、、!」
「ん?どうしたの?2人とも。あー、そうだよね!意外で驚くよね!
あたしもさー、ふふ、子供みたいな一面もあって入江くんかわいいとこあるなぁなんて」
「こ、琴子、、、そうじゃなくて」
「え?あー、嫌いな食べ物がキュウリってこと?確かになんでキュウリなんだ、、、」

「てめぇ、余計なこと話てんじゃねぇよ」

低くドスの効いた声が廊下に響き、一瞬にして猛暑を忘れさせる気温となる。

「あわわわ!入江くん!!い、いつのまにそこにーーーー」
「わざわざ補習に来てそんなくだらねぇ話してんなよ」
「あ、これはそのあの、、、、ごめんなさいーー」

深く深く刻まれた直樹の眉間のシワを見て琴子はとにかく謝るほかなかった。
一緒にいた親友2人も、触らぬ神に、、、の精神で教室に置きっぱなしに
していたカバンを取りにそそくさ逃げる。

置いてかれた、と一瞬焦った琴子だが、すぐに気持ちを切り替えられる
ところが彼女の美点である。まだ冷たい空気が漂うなか、先ほどのことなど
何もなかったかのように満面の笑みで直樹に声を掛けた。

「入江くん、もう帰るんだよね?それなら一緒に帰ろうよ!」
「いやだ」
「もう!いいじゃない!同じ家に帰るんだから。入江くんが着替え終わるの、玄関で待ってるから!」

直樹は了承したつもりは毛頭ないが、それを琴子に諭したところで意味を
なさないことは既に学習済みだったので、そのまま何も言わずまた更衣室へ
足を向けた。
「あとでねー!!」
異様にはずんだ琴子の声が廊下に響いた。


「あ、入江くん、あっち!席空いたよ!」
電車に乗り込むと、琴子がめざとく2人分の空席を指差した。
そこそこ人も乗っている時間帯だし、その空席も正直、自分たちのいる
場所からするとテリトリー内とはいえない距離だった。
それでも琴子は見た事もない俊敏な動きであっと言う間にその空席に腰を下ろす。

「、、、どこのおばさんだよ」
「だってー、入江くん、テニスで疲れてると思って。ほら、いいから座って座って」

一日クラブでテニスをしたとて疲労困憊になるようなヤワな直樹ではないが、
この琴子の強引さに不思議と抗えないことがある。
癪に触る気もするが、周りの乗客が好奇の目でこちらを見ているのを感じ、
ひとまず琴子の隣に腰を下ろした。
すると2人並んだその席は、いくら琴子が端に寄ろうが普段座るシートよりも
狭く感じる。直樹はその原因を探ろうと琴子の隣に座る人物に目をやると、
恰幅のいい年配のサラリーマンが幅を取って大きく足を開いて座っていた。

「ちっ!」
直樹は思わず舌打ちした。琴子はそのサラリーマンに寄ることも憚られると見られ、
かと言って直樹の方にこれ以上寄ることも出来ず、所在なさげにもじもじと動いている。
(オレがいっそのこと席を立とうか。)
一瞬その考えも浮かんだが、なぜか、直樹はそのまま座り続けた。

ーーー半袖からのぞく華奢な年若き娘の腕と、日焼けした健康的な青年の腕とが触れる。
   それは夏特有のしっとりした肌の感触。

思わぬ直樹との至近距離に琴子は動揺を隠せず、しおらしくも視線を
下に向けたまま口をつぐんでいた。
そうして2人を乗せた電車は最寄り駅に到着する。

いざ電車を降りてしまえば、なんのことはない。
いつもの琴子のお喋りが再開する。さっきまでの動揺はなんだったのか。
直樹はふと家路を辿りながら琴子という生き物についてしばし思案する。
すると、直樹は思いもよらぬ不快感を感じることになる。
彼の胸にどんより黒い靄がかかる。
その後に残るものはイラつきでしかなかった。
それが何かは明確ではないが、今はその思案をやめるのが得策であると直樹は思う。

琴子は相も変わらず他愛もない話を続けている。
いつもの急勾配な坂道を上がり、じきに自宅に着くとなった時だった。
道の隅に動かなくなった蝉の亡がら。琴子は一瞬、それに目をやった。
と、その時ーーーー

ジリジリジリジリ!

動かなかったはずの蝉が突如激しく羽を動かし出し、直樹と琴子の方へ向かってきた。
「キャーーーーー!!!!」
琴子はけたたましい叫び声を上げるとともに、思わず直樹の右腕に
自身の両腕を絡み付かせていた。
恐怖に震える琴子の力は強い。華奢で白い腕は直樹の右腕を包囲する。
直樹はさきほど感じた明確ではない何かに支配されそうになり、
それを振り払うように思わず声を荒げた。

「おい!離れろ!蝉、もう動いてないぞ!」
「えーでもでも!怖いー!」
「だからもう動いてねーって!」

それを聞いて琴子が少し力を弱めたところで、直樹はぞんざいに腕を振り払った。
「あ、ごめんね!だって、だって、あたし蝉だけはほんっと苦手で、、、」

直樹はこのイラつきが自分をどうにかしてしまう気がした。

「ったく!信じらんねーな!!」

何が信じられないのか?自身で言った言葉の意味がわからないなんてことは
彼には今までなかった。
が、この時ばかりはそう言うしかないほどにイラついたのだ。

直樹はドギマギしている琴子を置いて足早に自宅まで坂を駆け上がっていく。
「そ、、、そんなに怒らなくたっていいじゃないのー!!」
それは琴子にしては珍しくもっともな反論だったが、直樹は聞こえないフリをして自宅の重い玄関の扉を開けるのだった。

fin
ひらひら
2014年12月11日(木) 22時55分44秒 公開
■この作品の著作権はひらひらさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
作者からのメッセージはありません。

この作品の感想をお寄せください。
感想記事の投稿は現在ありません。
お名前(必須) E-Mail(任意)
メッセージ


<<戻る
感想記事削除PASSWORD
PASSWORD 編集 削除