放課後の憂鬱


この時期にもなると大抵の奴は志望校をしぼって受験本番までラストスパートとなる。
かくいうオレだって既にW大の法学部と狙いを定めて担任に進路希望を出したしね。
しかしだ。
そんな時期になっても、誰もが疑わずに天下のT大へ進学するであろうと
思われていた天才が、未だに自身の進路希望を明確に示唆することなく、
周囲の大人たちをやきもきさせている。

全国模試で1位の座を譲らないあの男。
担任はもちろんのこと学校長までもが、その男、入江直樹の動向に注目している。
今日はまさに、本人の口からT大受験の意向があることを確実に聞き出すため、入江を進路指導室へと呼び出したに違いない。

帰りのホームルームが終わると、入江はオレに先に帰れと言っていたが、
なんともそのまま帰る気になどなれず、勝手にA組の教室で入江が戻るのを
待つことにした。
入江が今後の進路についてなんと答えたのか。それを聞きたいと思うのは
至極当然のことと思う。
オレと入江はもう何年もの付き合いになるし、アイツの傍でアイツのことを
一番長く見てきた友人と自負している。
それでも一風変わった入江直樹という人物を推し量るには、その長く共に
過ごした時間さえも無駄と思えることがあるほどだ。

だから、そんなアイツが今日どんな決断を下したのか、明日の登校までに
待つことができず、今日のうちに一刻も早く聞いてみたいという好奇心があった。


そろそろ戻る頃だろうか。
誰もいない教室で、オレは机の上に腰掛けていた。
窓に目をやると夕焼け空が広がっている。
入江が教室を出ていってから小一時間が経過したであろうと考えていたその時、
廊下の方からパタパタと小走りで駆ける足音が聞こえる。
その足音が次第に近づいてくるにつれ、それはここ最近よく耳にして
いるものであることがわかった。
いつも元気で明るい子犬のようなあの子の足音。

「あっれー?誰もいないのかな?」

やっぱり。
少し幼さがある彼女のかわいらしい声。
そう聞こえるやいなや、教室の後ろのドアがガラっと勢いよく開かれた。

「あ!!ワタナベさんだ!」
「やぁ、琴子ちゃん」
「誰もいないと思ったからびっくりしたー!急に開けちゃってごめんなさい」
「はは、構わないよ。オレが気配消してただけだから。それより、どうしたの?こんな時間に」
「あ、あの、えっとーその----」
「入江なら今日は担任に呼ばれて進路相談室にいるよ。そろそろ戻って
くると思うけどね。オレは甲斐甲斐しくも奴の戻りを待ってるとこ。」
「進路相談?あ、そっかー、入江くんなら先生たちもT大受験してほしいもんね。
なるほど、だからローファーが下駄箱にあったのね」

琴子ちゃんは入江の下駄箱をわざわざ覗きに行ったことを自ら無意識に
白状すると、その後「しまった」という表情をして一気に顔が赤らんだ。
一人で百面相をやっている彼女はとても忙しそうで、それでいてとても愛らしい。

恥じらっている彼女に助け船を出そうと提案をしてみた。
「ねぇ、せっかくだから入江が戻ってくるまでオレの話し相手になってよ。」
「え----いいんですか???」
なぜか急に敬語で話す彼女に苦笑しながらオレは「もちろん」と答える。



「ワタナベさんは進路決まってるの?」
「まぁね、もともと弁護士になりたいって夢があったから、オレの場合は
割と早くに志望校が決められたよ。琴子ちゃんは?」
「えへへ、あたし?ワタナベさんの夢と比べ物にならなくて恥ずかしいんだけど、
とにかくエスカレーターでここの大学に入れるよう頑張って勉強しなきゃと思ってるの。
なんか、あたしの進路なんてちっぱけなものだね。いいなぁ、あたしも
A組になれるくらい頭が良かったらいいのに!」

そう言ってニコニコと笑う彼女は微塵の嫌味もなくそんな台詞を言ってのける。
少なくともA組の女子にはこういうタイプの子はいない。
入江にしてみれば今まで縁がなかったような女の子だろう。
男女問わずいつでも冷静沈着に対応するアイツにとっては、そのペースを
乱される唯一無二の存在。
いつの間にか彼女のこの屈託のない笑顔に否応なく変容され始めている。
当の本人は全く気づいていないようだけれど。

長く過ごしたこのオレさえも知り得ない入江直樹という人物の一面を、
彼女は少しずつ少しずつ、優しく時に強引に現(あらわ)にしていく。
こんなにゆっくり彼女と話する機会が訪れるとも思っていなかったから、
オレは敢えてこの場で初めて口に出してみる。

「入江のどんなところが好きなの?」

その質問をした途端、また琴子ちゃんの百面相が始まった。
「え!えええ!き、急にそんなこと聞かれると思わなかった-----!」
「あはは、ごめんね。いやね、入江のこと好きになる理由なんて百も承知だよ。
オレが女でも好きになっちゃうもんね。あ、いや、これは例え話だよ?」

そう言うと動揺していた彼女の表情が少し和らいでクスクスと微笑した。

「でもさ、なーんか、琴子ちゃんが入江のこと好きって言うのみてたら、
そういうのとは少し違うのかなとか思ったんだ」
「ち、違うの?あたしの入江くんへの思い?」
「あ、いや、オレの勝手な思い込みだからあんまり気にしないで。
なんていうか、琴子ちゃんが入江を思う気持ちって、無償の愛に近いのかなって。」
「む、む、むしょうのあい!!!えー!なんか、あたしの愛って深いのね!あ、いや、しつこいってことかしら----」
「違う違う。んー、うまく言えないけど---」

そのまま続きを言おうか言うまいか一瞬ためらったが、琴子ちゃんは
大きな瞳をユラユラとさせながらその先に続く言葉を待っているようだったので、
彼女を混乱させないようにとゆっくりと言葉を紡ぐ。

「人と人ってさ、なんだかんだ利害関係があるものだったり、優しさの裏で
実は見返りを期待してたりするのかなって。悲しいかな、オレって
ネガティブな人間だからそういうこと考えちゃうんだよね。
でもさ、琴子ちゃんにはそーいうの感じないんだ。それがオレには
無償の愛に見えるってこと。」

その言葉を聞き終えた彼女は、視線を左上に向け、しばし思考を巡らせている。
そして数秒後、彼女なりにオレの言葉を噛み砕いた様子で
「それって褒めてくれてるのかな?」と言いながら照れ笑いした。

オレは結構、この見解が当たっているという自負がある。
彼女の無償の愛こそが、氷のような心を溶かす唯一の術である。
彼女と出会って入江は明らかに変わった。
今までに見た事のない怒った顔、心底飽きれたという言葉の数々、焦り。
そして自分以外の人間、いや、そもそも自分への興味もないのかもしれないけれど。

他者への興味。彼女への興味。

それほどまでにあの偏屈な男を変容させてしまうもの。
琴子ちゃんのどこからともなく生まれるその無償の愛である由縁。
一度聞いてみたかったんだけど、結局、その答えを聞き出す前にこの質問は閉ざされた。

「おい。なんでオマエらがここにいるんだよ。」

そう言って偏屈な男が戻ってきたからだ。
そこからは、いつもの2人のじゃれ合い。
なんだかんだと夫婦漫才のやり取りをした後、入江と琴子ちゃんは肩を並べて家路へとついた。

付き合ってらんねー-----
そういえば結局、入江が志望校についてどんな決断をしたかも聞けずじまいだった。
オレって-------


fin
ひらひら
2015年01月02日(金) 23時24分04秒 公開
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わお!コメントいただいてたんですね、ありがとうございます。
渡辺さん視点は多くの方が書かれてますよね(^^)
それだけ魅力あるキャラだと思います!
ひらひら ■2015-01-11 02:07:19 202.235.251.103
ワタナベさん、好きです。入江くんの友達にしておくのは、もったいないくらい(!?) みゅう ■2015-01-05 00:44:26 210.156.127.53
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