すのものの「『南総里見八犬伝』を読む --- 筋書き(第三分冊)」

第41回

照文は50歳になっていない。 照文 妙真 依介は安房へ。 文五兵衛はその夜大塚へ。

信乃現八小文吾、6月24日未(ひつじ)のころ神宮河原に着く。 滝野川の金剛寺に泊ろうと決心。 五十から六十歳ぐらいの、〓平(やすへい)[〓は「矛昔」を一字にした文字] と会う。17日に船を蟇六に貸したのがこの男。 信乃らに大塚のできごとを話す。 丁田町進(よぼろたまちのしん)、陣代として大塚にきている。 力二郎(りきじらう)、尺八(しゃくはち)は〓平の子。 〓平は実は姨雪世四郎(をばゆきよしらう)。 荒芽山(あらめやま)の音音(おとね)への手紙を託す。

第42回

小文吾、ひろったはさみで額髪を落とす。 信乃ら金剛寺に泊まる。 夜、信乃現八大塚へ。

6月25日。 小文吾現八大塚へ。 現八は親の菩提院に行く。 そこでもらった紹介状で商人に化けた小文吾は城内へ。

7月1日。 (「前月廿四日より、某等が七日の参篭、今宵にて満願せり」と言っているが、 6月が大の月ならこの宵が8日目の宵である。) 背介は60歳すぎ。獄死。

第43回

7月2日。 庚申塚(かうしんつか)で額蔵処刑されんとす。 卒川菴八、簸上社平、軍木五倍二。 社平は額蔵の桐一文字をかすめとっている。 (桐一文字はめぬきが金の華桐(はなぎり)、梵字一字あり。) 信乃は五倍二を、現八は社平を、小文吾は菴八を殺す。 〓平の船で戸田川を渡る。 力二郎、尺八、町進を殺す。 〓平 川に沈む。 四犬士 蕨(わらび)の方へ。

第44回

7月3日。 四犬士 桶川の東南、雷電山に。 (70ページ終わりから4行目で額蔵が 「犬塚ぬしは何等(なんら)の故に、滸我に留り給はざる」 と言っているが、 村雨がすりかえられたことは円塚山で知っているはず。 71ページ中ほど、 照文の父が「照武(てるたけ)」となっているが第一分冊では「輝武」である。) 額蔵、きのう小文吾が社平から取りかえした桐一文字を信乃に渡す。 信乃、行徳で小文吾からもらった両刀を額蔵に渡す。 それは犬川衛二が 小文吾はおととしの秋、それを買って文五兵衛に怒られたのだった。 (78ページ《犬川生々々々》の前に開きカギカッコが必要。) 「はや九日になりにたり」ということは6月は小の月だった? 7月6日、四犬士 明巍(みゃうぎ)の神社に参詣。 荘助、遠めがねで道節を見る。

定正は白井(しらゐ)の城にいる。 5日に狩に出て、6日に戻ろうとするところ。 家臣 巨田薪六郎助友(おほたしんろくらうすけとも)、 竃門三宝平五行(かずゆき)、 妻有六郎之通(つまりのろくらうゆきみち)、 松枝十郎貞正(まつえだじうらうさだまさ)らが従っている。

第45回

大出太郎(おほいでたらう)と名乗る武士の正体は道節である。 松枝十郎真弘(まつえだじうらうさねひろ)は貞正とは別人? 「千葉殿〔名は胤康(たねやす)〕」とあるが「康胤」? 父をここでは犬山監物貞知入道道策(いぬやまけんもつさだともにうどうどうさく) と言っている。 道節は定正を殺すが、それは越杉駄一郎遠安(こすぎだいちらうとほやす)だった。 助友の父は巨田左衛門大夫持資入道道寛 (おほたさゑもんのたいふもちすけにうどうどうくゎん)。 四犬士、道節の助大刀と間違われ、戦う。 道節 竹薮の奇計。 道節 駄一郎の首級をひろいあげる。 道節 三宝平と戦い首をとる。

第46回

荘助、地蔵堂に着く。 (109ページには犬山道節忠知とあり。) 道節・老人くる。 荘助・道節戦う。老人、間にはいる。

音音は五十すぎ。五十二三か。 去年の夏から荒芽山にいる。 上の子の嫁が曳手(ひくて)20歳、下の子の嫁が単節(ひとよ)18歳。 音音と単節が在宅。曳手は出かけている。 音音は道策につかえていた。 昔 姨雪与四郎(前には世四郎)と関係し、 道節誕生の直後に双子 力二郎尺八を産んだ。 与四郎は追放。音音は乳母になる。 7つの春まで力二郎尺八は里子に出される。 (115ページ中ほどで、 音音はそれが正月(むつき) を養女にやった翌年の春と言っているがこれはおかしい。) 十条力二郎(じうでふりきじらう)、尺八郎(しゃくはちらう)と名づける。 音音の父は十条佐吾(じうでふさご)。煉馬家の歩軽だった。 去年の春4月12日、豊嶋左衛門尉信盛の歩軽 禿木市郎(かぶらきいちらう) の娘だった曳手単節と結婚させる。 市郎は翌日死亡。

世四郎(ヤス平)がくるが、音音は拒む。 単節、ヤス平を柴置小屋へ案内し、ヤス平の包みを戸棚に隠して、 曳手をさがしに外へ出る。

(121ページ「田文の茂林にて、二箇の包を、採違へしとは思ひもかけず」 とあるが、読者はここで初めてあの老人がヤス平と気づく、というのが馬琴の意図?)

第47回

音音一人のところへ荘助一人やってくる。 荘助は「〓(びん)薄(うすく)して色白く、骨坐(ゐたけ)高くて」 と描写されている。 音音は荘助を試すため荘助を残し外へ出る。 火の消えたところへ道節戻ってくる。 荘助道節戦う。 (129ページ《縁故を》の前に開きカギカッコを入れる。) 音音が聞いているとも知らず、荘助道節はいままでのあらすじを語る。 荘助道節は三犬士をさがしに出る。

音音一人のところへ荘役(せうやく)根五平(ねごへい)、 樵夫(きこり)丁六(ちゃうろく)・〓介(ぐすけ) [〓は「偶」のつくりに「頁」]、道節の指名手配書をもって訪ねる。

第48回

曳手単節、二人の武士を馬に乗せて戻る。 二人は力二郎尺八だった。 二人はいままでのできごとを語る。

第49回

単節がヤス平から預った包みを開けると中から首が現われ、力二郎尺八は消える。 ヤス平現われ、いままでのあらすじを語る。 (ここでは荘役がきてから荘助道節がきたことになっている。) 力二郎尺八は町進の属役 仁田山晋五(にたやましんご)に殺された。 晋五は力二郎の首級を犬塚信乃と、尺八の首級を額蔵と偽る。 その首級をヤス平 奪う。 根五平・丁六(ちゃうろく)・〓介(ぐすけ)ふみ込んでくる。

第50回

丁六はヤス平に、〓介は音音に殺される。 根五平は逃げようとするところを道節の手裏剣で殺される。 道節、父に代わってヤス平の勘当を許し、音音との婚礼をとり行なう。 その席に、かくれていた四犬士現われる。 兵に囲まれる。

第51回

助友、影武者の奇兵を行なう。 犬士らばらばらになる。 小文吾は馬で曳手単節を行徳に連れてゆく予定だったが馬は殺される。 陰火の力で起きあがった馬はゆくえが知れなくなる。 (355ページによれば、これは7月7日である。)

第52回

数日後。阿佐谷(あさや)の近くで、小文吾イノシシをたおす。 そのイノシシを退治しようとしてはねとばされ気絶した鴎尻(かもめしり) の並四郎(なみしらう)を助ける。(「鴎」は「區鳥」)

並四郎のうちに泊ることになり、女房 船虫(ふなむし)に会う。36、7歳。 その夜、小文吾が賊の首をはねると、それは並四郎だった。 船虫、小文吾に尺八を贈る。

第53回

小文吾、船虫が菩提所へ行っている間に尺八を戸棚に入れる。 船虫は戻り小文吾は出発するが、 眼代 畑上語路五郎高成(はたがみごろごらうたかなり) に嵐山の一節切(あらしやまのひとよぎり)を盗んだ疑いで捕縛される。 小文吾の包みの中はもえさしで、船虫の家の戸棚から尺八は発見される。 船虫は小文吾に切りかかるが、逆にとり押さえられる。 そこへ千葉介自胤くる。 語路五郎、尺八を自胤に渡す。 小篠(をささ)・落葉(おちば)の両刀と共に、行方不明になっていたものだった。 石浜の城の長臣 馬加大記常武(まくはりだいきつねたけ)。

(258ページ後ろから5行目の開きカギカッコは後ろから6行目の 《某等》の前に移す。)

村人たち、夜、船虫を何者かに奪われる。

(261ページまん中ほどの語路五郎のせりふにはカギカッコが二重についている。 ほかにもこうすればわかりやすくなるところが多いのに、あまりこうなっていない。)

第54回

語路五郎、村人らを獄に入れる。 翌日、大記 語路五郎を獄に入れる。 一カ月ほどして村人らは解放されるが語路五郎は獄で死ぬ。

(大記が語路五郎をとらえた日) 自胤 小文吾をとりたてようとするが、 大記は反対する。 「千葉介孝胤(ちばのすけたかたね)当時千葉の城に在り」

小文吾、馬加大記のやしきに幽閉される。 3日目、柚角九念次(ゆづのくねんじ)に連れられ大記に対面。 はなれに移される。

文明11年(1479 年)3月。 糠助の知り合いだった僕 品七(しなしち)、千葉家に関する前史を語る。 享徳4年(1455 年)の秋ごろ、下総の千葉家が二つに分れて争っていた。 千葉介胤直(ちばのすけたねなほ)に、 原越後介胤房(はらゑちごのすけたねふさ)は成氏に従うよう、 同城寺下野守尚任(ゑんぜうじしもつけのかみひさたう)は管領に従うようすすめる。 後者の意見がとり入れられたので胤房は怒って成氏の力を借り 馬加陸奥入道光輝(まくはりむつのにうどうみつてる)と共にせめ、 胤直を切腹に追い込む。 その父 前千葉介入道常瑞(さきのちばのすけにうどうじゃうずい)、 弟 中務入道了心(なかつかさのにうどうりゃうしん)も切腹。 成氏は光輝の子 孝胤(たねたか)を千葉介に。 康正元年(1455 年)、 管領は入道了心の長男 実胤(さねたね)を武蔵の石浜(いしはま)の城主に、 二男 自胤を赤塚(あかつか)の城主にする。 馬加記内常武(まくはりきないつねたけ)、孝胤の元から石浜へ走る。 大記と改名。 実胤、自胤に家督をゆずろうとする。 粟飯原右衛門尉(あひはらゑもんのぜう)の子 粟飯原首胤度(あひはらおほとたねのり)、 篭山逸東太縁連(こみやまいっとうだよりつら)は自胤の老党。 大記、実胤の宝庫からあらし山という尺八を盗む。 貞胤(さだたね)。 小篠・落葉は胤度が鎌倉で買ったもの。 それらと大記から渡されたあらし山をもって胤度 自胤の使いとして滸我へ。

第55回

大記、縁連に胤度を殺させる。 胤度の家来 村主金吉(すぐりのきんきち)、使主銀吾(をみぎんご)も殺される。 その戦いの最中にあやしい男女が小篠・落葉と嵐山を奪って逃げる。 縁連逐電。 胤度の長男 粟飯原夢之助(あひはらゆめのすけ)15歳に切腹を命じる。 妻 稲城(いなき)および娘(第57回で玉枕(たまくら)とわかる)5歳も殺す。 胤度の妾 調布(たつくり)は妊娠して3年。 妊娠ではないようだということで追放される。 これは寛正6年(1465 年)11月のこと。 その冬、調布は相模国足柄郡犬坂で子を産む。 刀と尺八を盗んだのは並四郎と船虫であろう、と品七は言う。 (船虫は23〜4歳。) 狙渡増松(さわたりましまつ)は大記に毒殺された。

大石憲重(おほいしのりしげ)が大石兵衛尉の名前か?

夏になっても品七は姿を見せない。前にきた日の翌日死んでいた。

第56回

大記は自分の子 鞍弥吾常尚(くらやごつねひさ)を千葉介にしたいと思っている。 鎌倉から女田楽くる。その中に16歳ぐらいの旦開野(あさけの)がいる。 4月末。大記、小文吾を宴にさそう。 大記の妻 戸牧(とまき)は40歳ぐらい。 息子 鞍弥吾は20歳あまり。 娘 鈴子(すずこ)は6〜7歳。 渡部鋼平(わたなべつなへい)、卜部季六(うらべのすゑろく)、 臼井貞九郎(うすゐのさだくらう)、坂田金平太(さかたのきんへいた)は 四天王と呼ばれている。 旦開野、舞い、桃の花のかんざしを小文吾のそばに落とす。 大記、小文吾を対牛楼にさそう。 小文吾のもとに、旦開野が歌を書いた木の葉が流れてくる。 (もしもこの宴で小文吾が酔って裸おどりでもしていたら、 毛野はあざに気づいたかも知れない。)

5月14日。 小文吾がうたたねをしているところを襲おうとした卜部季六、旦開野に殺される。 旦開野、小文吾の元にきて、あす脱出することに。

第57回

5月15日は鞍弥吾の誕生日。 旦開野の正体は犬坂毛野胤智(いぬさかけのたねとも)。 姉の名は玉枕(たまくら)。 生まれたのは12月。 文明 9 年(1477 年)冬、調布死去。 5月16日の暁、対牛楼で毛野 常武鞍弥吾を殺す。 鋼平誤って戸牧を切る。切られて階段を落ちて鈴子を押しつぶす。 毛野鋼平をうちとる。 貞九郎金平太九念次も毛野に殺される。 小文吾毛野、墨田河で別れ別れになる。

第58回

小文吾が手をかけて乗り込んだ船に乗っていたのは犬江屋依介だった。 市川の犬江屋で依介これまでの話をする。 (昨年)7月6日、文五兵衛大塚に着く。9日、行徳に戻る。 11日、安房へ。 照文は犬士をさがすよう命じられ安房を出発。 依介は妙真の姪 水澪(みを)と結婚し犬江屋をついでいた。

(340 ページ、小文吾が依介に今までの話をする中で、 籠山逸東太の名が出ていないことに注意。

2002-07-05 (5) 21:24:50 +0900)

347ページ後ろから3行目、 文五兵衛は「齢も既に六十にあまりぬ」と言っているが実は56歳である。

2月15日、文五兵衛死去。

348ページ後ろから7行目、 「悲しきかな」の前に開きカギカッコ。

351ページ3行目の開きカギカッコは行頭へ。

第59回

50日ほどたってから、小文吾 鎌倉へ。

現八は、7月23〜24日ごろ行徳へ。 江戸、信濃路、いろいろ経て京へ。 文明12年(1480 年)秋、京を発つ。荒芽山による。 下野州(しもつけのくに)真壁郡(まかべのこふり)網苧(あしを) の里で茶店による。 主人 足緒の鵙平(あしをのもずへい)から庚申山(かうしんやま)の話を聞く。 寛正5年(1464 年)10月、 郷士 赤岩一角武遠(あかいはいっかくたけとほ)、庚申山に登ろうとする。 第一の正妻 正香(まさか)の腹に生まれたのが長男 角太郎(かくたらう)。 正香はこの年の春に死去。夏、窓井と再婚。 10月3日出発。一人で奥へ進むが帰ってこないのでほかの者はその晩は引き返す。 翌日、帰る。

375ページ8行目「といひつゝ指を僂て」はカギカッコから出すをよしとす。

11月、窓井懐妊。 翌寛正6年(1465 年)8月、牙二郎生まれる。 (どうして猫と人の子なのに妊娠期間が10カ月なのであろうか? 伏姫の場合参照。)

角太郎6歳のとき、正香の兄 犬村蟹守儀清(いぬむらかもりのりきよ)に預けられる。 儀清は若いころ京で勉強した。 角太郎18歳のとき、儀清の娘 雛衣(ひなきぬ)16歳と結婚。 その翌年の秋、儀清の妻 発病。死去。50歳未満。 その年の冬、儀清発病。二年あまりの闘病ののちこの春死去。60歳ちょっと。

窓井は牙二郎が3〜4歳のとき頓死。 おととし(文明10年(1478 年))秋、船虫 一角と再婚。

雛衣は今年夏懐妊。船虫に無理に離縁させられる。 角太郎も追い出され、返璧(たまがへし)に住んでいる。

第60回

現八 弓矢を買って出発。9月7日。 誤って胎内くぐりに出る。 馬に乗った妖怪が二人の従者を従えてやってくる。 妖怪の左の目を射ると逃げてしまう。 さらに奥へ進んで一角の亡霊に会う。 妖怪は化猫で、 二人の従者は山神(やまのかみ)と土地(とちのかみ)。 一角が化猫に殺されたとき窓井は22歳。 角太郎の名は礼儀(まさのり)。 この4月、船虫 角太郎夫婦を呼びよせる。 一角、短刀と髑髏を現八にゆだねる。

第61回

翌日(9月8日)、現八 返璧に角太郎をたずねる。 398ページに角太郎の外見の描写あり。「色白く……」。 そこに雛衣がやってきて自殺の決意をのべて去る。 現八、玉のことを角太郎にたずねる。 (一角の亡霊はいきなり話すなと言ったはずだが……。) 角太郎、礼の玉の由来を話す。 雛衣はその玉を誤ってのみ込んでから懐妊したようになった。 船虫くる。


すのもの Sunomono