すのものの「『南総里見八犬伝』を読む --- 筋書き(第四分冊)」

第62回

(第三分冊の続き、文明12年(1480 年)9月8日である。) 返璧は下野州(しもつけのくに)安蘇郡(あそのこふり)にある。 ここでは角太郎の名は礼度(まさのり)とあり。 船虫がきたので現八はかくれる。 仲人 氷六(ひゃうろく)も。 船虫、一角は昨夜弟子に教えていて矢が左目にささったと言う。 (この弟子は誰なのだろうか? やはり化物が化けている?) 氷六は犬川村(いぬかはむら)の柴榑橋(しばくれはし) から身を投げようとしていた雛衣を助けて復縁をはかる。 船虫が一角の後妻になったいきさつ。 現八、一角の家へ様子を見に行こうとする。 玉坂飛伴太(たまさかひばんた)、月蓑団吾(つきみのだんご)、 八党東太(やったうとうた)、〓足溌太郎(きったりはったらう)らは 一角の弟子(〓は「イ乞」)。

第63回

現八が一角の家の前にいると篭山逸東太縁連が訪ねてくる。40〜50歳。 縁連はいったん一角の弟子になり、それから長尾判官景春につかえていた。 短刀(木天蓼(わたたび))の鑑定をしてもらいにきたのだが、 一角が妖術で奪いとってしまう。 ここでは現八は二蓋松山城介(にかいまつやましろのすけ)の弟子となっている。 現八、試合で飛伴太ら4人と縁連を倒す。

(篭山逸東太縁連は船虫を知らないだろうが、 船虫は縁連を知らないのだろうか? 29 ページに 「盗賊に奪略(うばひと)られ」とある盗賊とは並四郎・船虫である。

2002-07-05 (5) 01:16:06 +0900)

第64回

縁連の若党 尾江内(をえない)、しもべ 墓内(はかない) も含めて8人で現八を殺そうとするが、墓内尾江内は殺され飛伴太溌太郎は負傷。 現八は陰火に導かれ角太郎の庵へ。団吾東太は残り、牙二郎縁連あとを追う。 9月9日朝。 現八は角太郎の庵の戸棚にかくれる。 牙二郎縁連やってきて現八を出すようせまる。 角太郎はきていないと言うが、うっかり昨夜の試合うんぬんと口にしてしまう。 そこへ一角船虫やってくる。 一角は縁連を帰らせるが、縁連は外でかくれている。

第65回

一角は雛衣の胎児を求める。 雛衣が木天蓼丸で胸をつくと礼の玉が飛び出して一角をたおす。 牙二郎 船虫、角太郎と争う。 現八 手裏剣で牙二郎をたおし船虫を投げとばす。 角太郎 現八とたたかう。 現八、一角の霊からあずかった髑髏で角太郎の血を受け、 目の前の一角が本物でないことがわかる。

(79ページ、詞は第三分冊では「、」「。」を使いわけていたがここでは「。」 のみ。ふりがなのふりかたも、第三分冊では「こうじぶを」に対しここでは 「ぶをこうじ」と違う。 「申山応遊」は第三分冊と言って「まさに」がはいる。)

第66回

赤岩家の紋は魚葉牡丹(ぎょえうぼたん)。 雛衣死す。(「十九の厄を一期にして」と言っているが18歳では?) 牙二郎 息を吹きかえすが角太郎に殺される。 一角も息を吹きかえし、山猫の姿を現わす。 角太郎現八がたたかっているすきに船虫 逃げる。 角太郎山猫をたおし、父の形見の短刀でとどめを刺す。 その傷口から礼の玉が現われる。 船虫は縁連につかまっていた。縁連は現八角太郎に木天蓼丸と船虫を乞う。 団吾 東太(実は土地の神と山神)、 飛伴太(実はまみ)溌太郎(実は貂)の首をもってくる。 (沼藺の腹中に玉があったのが十五年とあるが足かけ十四年である。)

第67回

ここには「文吾兵衛」とある。 現八の顔のあざについて角太郎がふれるのはここが初めて? 角太郎のあざは尻にある。現八 角太郎に信の玉を見せる。 年の暮れ、角太郎は土地などを売る。 (その金を現八にも分け与えるが、これは八犬伝の中では珍しいことでは?) 翌年(文明13年(1481 年))2月なかば、角太郎 犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり)と改名、赤岩を去る。 現八大角、庚申山へ。山神と土地の神、きこりに化けて二人に恩返しをする。 網緒(あしを)で鵙平の茶店によるが鵙平はいない。 正月から病気になって2月初めに死去しており、いるのは嫁だった。

現八大角は信濃上毛武蔵相模、鎌倉と旅をする。

沓掛(くつかけ)の宿で縁連 船虫に木天蓼丸をもって逃げられる。 縁連 五十子の城へ行き定正に降参。 定正の老臣や内室 蟹目前(かなめのまえ)は疑うが定正は縁連を信頼し、 縁連は出世する。

信乃は荒芽山から信濃、越後、陸奥、出羽と旅をする。 文明13年(1481 年)10月末、甲斐州(かひのくに)で鉄砲に撃たれる。

(縁連が船虫に刀を盗まれるのはこれで二度目であるが、 特にそのことは語られない。 そして、そのたびに縁連は逐電する。

2002-07-05 (5) 01:25:07 +0900)

第68回

……と思ったらたまは当たっていなかった。 撃ったのは泡雪奈四郎秋実(あはゆきなしらうあきさね)。 従者の媼内(をばない)と共に信乃の刀や金を取ろうとし、 死んだふりをしていた信乃にこらされる。 そこに50歳ばかりの猿石(さるいし)の村長 四六城木工作(よろぎむくさく) がきて信乃をなだめ、家に泊める。 女房 夏引(なびき)、こもの出来介(できすけ)。 翌朝は雪。この年は夏に閏月があり、10月末とはいえ11月半ばすぎだ、 と木工作は言っている。 夏引は後妻、34〜5歳。 娘 浜路は16歳ぐらい。 前妻は麻苗(あさなへ)、4年ほど前に死んだ。 夏引は乳母だった。再婚後、奈四郎と密通。 木工作は信乃を浜路のむこに、と考えている。

11月。信乃が太平記を読んでいると浜路がやってくる。 夏引に見つかり、出来介、木工作もくる。

(133ページ終わりから2行目と最終行はどちらも木工作のせりふだが、 いったんカギカッコを閉じてまた開いている。前からそうだったっけ?)

木工作は井丹三直秀につかえていた蓼科太郎市(たでしなたろいち)のひとり子。 麻苗は母かたのおじの娘。 ある日 木にかかっていた2〜3歳の女の子を見つける。 最初は餌漏(ゑもり)と呼んでいたが、浜路と聞くと喜ぶのでそう名づける。

(蓼科太郎市は、第一分冊 274 ページの「老僕(おとな)」 だろうか? ただし、そこでは御坂(みさか)で切腹したように読めるのに対し、 ここでは信濃で切腹している。)

第69回

信乃、自分のことを話す。

(信乃は 「わが幼稚(をさな)き比(ころ)、 二親(ふたおや)の夜話(よばなし)に、 直秀ぬしの戦歿(うちじに)の、その縡(こと)の趣も、 故郷の訃(たより)を告(つげ)来(こ)したる、 彼(かの)老党の忠死のよしも、 伝(つたへ)聞(きゝ)にし事のありしを、 そが姓名を何とかいひけん。 定かに記憶せざりしに」 と言うが、 この「故郷」とはどこを指すのであろうか? 信濃は母手束の 「母がたの由縁(ゆかり)」(第一分冊 277 ページ)がいるところである。)

木工作はことし五十と言っている。

木工作、奈四郎を招待しにゆく。 翌日、奈四郎、媼内と〓内(かやない)[〓は「巾厨」]を連れてやってくる。 四日後、〓内が奈四郎のつかいとして木工作のもとにくる。木工作出かける。 奈四郎、浜路を信綱(のぶつな)の妾に、 ともちかけるが木工作は断わって帰ろうとする。 奈四郎、木工作を撃ち殺す。

第70回

翌々日の朝、媼内 夏引のもとに奈四郎の手紙をとどけ、指月院に呼び出す。 昼。指月院で奈四郎 夏引 密会。媼内も同行。 念戌(ねんじゅつ)は十四五の小僧。彼が話を聞いていた。 夏引、出来介を味方にする。 夜中、媼内と〓内が木工作の死骸を運び込む。 翌朝、死骸が発見される。 信乃、庫にとじこめられる。 夏引、信乃の桐一文字に鶏の血をつける。 新眼代の甘利兵衛尭元(あまりひゃうゑたかもと)がきて信乃と浜路を連れ去る。

第71回

夏引、尭元らと戻る。 尭元、夏引と出来介を捕縛。

先の尭元は実は犬山道節で、 信乃たちを指月院へ連れていった。 そこには丶大、照文もいて、いままでのことを語り合う。 指月院の老僕の名は無我六(むがろく)。 丶大によれば奈四郎は四十前後、夏引は三十あまり。

(191 ページ中ほどからの信乃のせりふは、途中からは地の文である。)

(195 ページ中ほどに「その次の年の夏の比(ころ)」とあるが直後に 「二月十五日」とあるので「春」の間違いか? また、 文五兵衛の死は照文が安房を出発した後であるのに照文がそれを知っているのは、 のちに何らかの方法で知ったのであろう。)

第72回

浜路が義成の五女とわかる。 守役は齢坂登(よはひさかのぼり)。 母は義成の側室、盧橘(はなたちばな)。 その父は下河辺太郎為清(しもかうべのたらうためきよ)。 為清は井直秀のいとこである。 三の君も盧橘の子。 義成の正妻は白前(つくものまへ)。

(201 ページ 6 行目に「為清の母は身まかりぬ」とあるのは 「為清の妻」か「盧橘の母」の誤りか?)

(203 ページ -5 行目に、白前にまた娘が生まれて7、8歳、 というのは誰のことか?)

尭元、主君の武田信昌(たけたのぶまさ)に書類を提出。 奈四郎を捕えに行くが、奈四郎は夜、媼内と〓内を連れて逃げる。

翌朝、〓内は金を取りに戻り、尭元につかまり、 自白から指月院が浮かんでくる。

その翌朝、信昌に報告。

翌日、信昌、指月院へ。信乃・道節・丶大と会う。

第73回

夏引、〓内は処刑される。出来介は追放。 木工作、火葬。 浜路・照文、安房へ。信乃・道節も同行。

奈四郎は八王寺で待つが〓内はこない。 11月23、24日ごろ、媼内、奈四郎を斬って金を奪い、去る。 奈四郎は信乃に殺される。

墨田河で信乃・道節は浜路・照文に別れる。

(224 ページ最終行「十一月の廿日あまり」の次は「。」ではなく「、」。)

三月下旬、小文吾、小千谷(こちや・をぢや)へ。 鯛聟源八(たひのむこげんはち)、 いまは亀石屋次団太(かめいしやじだんだ)と名乗る者の宿に泊まる。

四月初旬、闘牛。 次団太は急用ができたので、 小文吾は鮫守磯九郎(さめのまもりいそくらう)と出かける。

第74回

小文吾、須本太牛(すぽんたうし)をとり押さえる。 飼い主の須本太郎(すぽたらう)宅へ。 この日は9日である。

磯九郎、謝礼の銭と縮を持って一人で帰る途中、 船虫ともう一人の強盗に殺される。 そこへ次団太がくるが、強盗にあてみを食らい、気絶する。

第75回

強盗は童子〓子酒顛子(どうじかうししゅてんじ)。[〓は竹かんむりに隔。]

小文吾はじめ、みんな集まってくる。磯九郎の死体、発見される。

小文吾、眼痛。

五月なかば、次団太、小文吾に按摩をすすめる。 按摩は実は船虫。小文吾に捕えられる。

第76回

(298 ページ、 船虫は夫のかたき籠山某甲(なにがし)と取り違えたと言っている。 小文吾は籠山逸東太縁連を知っているが反応しない。 また、恐らく、船虫もかつて(第 55 回) 自分たちが小篠・落葉と嵐山を盗んだのは籠山逸東太からだと知っており、 小文吾が軟禁中に籠山逸東太のことを聞いたかも知れないとわかっているのではあるまいか。 だとすれば、この作り話は船虫にとってあぶない。

それ以前に、赤岩一角の名を出すのもあぶない。 小文吾と現八・大角が会っているかも知れないからだ。 第 65-66 回で、 船虫が「虚滅(そらじに)」(87 ページ) している間に現八は大角に八犬士の話をし、「犬田」の名も出している。 船虫は小文吾と現八・大角が仲間であることを知っている可能性は高い。

2002-07-05 (5) 01:19:19 +0900)

(298 ページ、 「那(かの)籠山には小〓の内に、一寸許(ばかり)の旧痍(ふるきず)あり」 (〓は「髟」の下に「兵」)と言っているのは、 第 55 回(第三分冊 287 ページ)に 「小〓三寸浅痍(あさで)を負ふて」 (〓は「髟」の下に「兵」)とあるのと関連するか?  そのときは船虫は見ていないはずだが、 赤岩一角のもとへ籠山がきた際(第 63-67 回)、 特に同衾した際(第 67 回)に知ったのかも知れない。

2002-07-05 (5) 01:21:24 +0900)

泥海土丈二(どろのうみどぢゃうじ)、百堀〓三(ひゃくほりふなぞう) [〓は魚へんに即みたいな字]は次団太の弟子。

このあたりを実質的に支配しているのは、 長尾判官景春(ながをのはふぐゎんかげはる)の母 箙の大刀自(ゑびらのおほとじ)。

船虫は庚申堂で神慮侭(しんりょまかし)に。 五月18日である。 荘介、庚申堂を通りかかり、船虫を助ける。 船虫を酒顛子のもとに届け、そこに泊まる。

(304 ページによれば、荘介はその年の二月以降に行徳へ寄っているが、 前々年の五月、石浜を脱出のあと、小文吾が数十日のあいだ行徳にいたことは、 行徳の人々は知らないのか、語らなかったようだ。)

第77回

酒顛子ら、次団太、小文吾らを殺そうとする。 帰ってきた媼内と船虫にるすをまかせ、出かける。

(315 ページ 2 行目には「石亀屋」とある。)

荘介・小文吾・次団太ら、酒顛子らを殺す。

次団太の女房は嗚呼善(をこぜ)。

酒顛子のかくれがに戻ったのは溷六(どぶろく)・穴八。 媼内と船虫は逃走。

つかまった溷六・穴八はそれぞれ小文吾・荘介と似たところあり。

(329 ページに「穴八は色薄黒(あさぐろ)くて、 身長(みのたけ)は高からねども」とあるのは、 第 47 回と合わない。

2002-07-05 (5) 01:26:43 +0900)

(330 ページ。 小文吾の石浜でのことは、どこから照文に伝わったのだろうか? 依介? [答えは下に])

(331 ページ。 ここでは、荘介が文五兵衛の死を去年行徳で知ったように書いてある。 とすると、照文が知ったのは荘介が指月院を出発したあと? [答えは下に])

(303 ページからによれば、荘介は、前年二月に指月院を出て以来、 主要登場人物とは会っていない。 第五分冊 321 ページからには、 照文が浜路姫を連れて安房に到着して報告するくだりがあり、 同分冊 324 ページからには、 この第 77 回の時点よりあとに丶大から照文に手紙が着き、 その中で毛野の石浜の復讐について報告されている。 ということは、この時点で荘介は小文吾の石浜でのできごとを知ってはいない。 だから、

石浜を逃去りし事、依介が事、父文五兵衛が遺言の事、 又親兵衛の事などは、荘介も照文に、聞にきといへば事省て
の最初の三つの読点のうちどれかは句点なのであろう。 原文には読点はなく、すべて句点が用いられていたことに注意。 荘介も照文に聞いていた、というのはこれらすべてではないのである。

では、どこからだろうか? 文五兵衛の死は、 指月院では話題になっていなかったので、 照文から荘介が聞いたとは思われない。 よって、

石浜を逃去りし事、依介が事、父文五兵衛が遺言の事。 又親兵衛の事などは、荘介も照文に、聞にきといへば事省て
が正しいように思われる。 すると、「依介が事」というのは第二分冊末の災難のことではなく --- そこには照文もいたのでもちろん知っている ---、 犬江屋を継いだことではあるまいか。 それは安房で文五兵衛と妙真が相談して決まったことだが、 それと照文の出発のどちらが先かは、 第三分冊 336 ページからの依介の話でははっきりはしない。 しかし、 第五分冊 321 ページによれば照文は急いで出発したようであり、 第三分冊 344 ページを見ると文五兵衛と妙真はそれから相談したように思われる。 よって、依介が犬江屋を継いだことは照文は知らなかったのであろう。

2002-07-06 (6) 01:48:05 +0900)

片貝から、執事 稲戸津衛由充(いなのとつもりよしみつ) の使者として荻野井三郎(おぎのゐさぶらう)という若党が小文吾・荘介、 溷六・穴八を連れにくる。 津衛の屋敷で小文吾・荘介、捕らえられる。

第78回

景春の妹(箙大刀自の娘) の一人は武蔵州豊嶋郡大塚なる大石左衛門尉憲儀 (おほいしさゑもんのぜうのりかた)の妻。 もう一人は石浜の城主 千葉介自胤(ちばのすけよりたね)の内室。 そのため、昔の事件に関連して捕えられたのだった。 二犬士は獄に送られる。これが五月 20 日のあけがた。

(豊嶋の「嶋」は新字体なら「島」となるのでは?)

箙大刀自は小文吾・荘介の処刑を命じるが、由充は翌月にのばす。

翌月。 丁田町進の弟 丁田畔五郎豊実(よぼろたくろごらうとよざね)、 馬加大記常武の妻戸牧の甥 馬加蝿六郎郷武(まくはりはへろくらうさとたけ)、 くる。 蝿六郎は元は千原(ちはら)氏。

(由充は 56, 7 歳なので 1426-7 年の生まれとなる。)

由充、二犬士の(にせ)首を持ってくる。 荘介の小篠・落葉、小文吾の刀と合わせて畔五郎・蝿六郎に渡す。 荻野井三郎が帰る二人に同行することになる。 (彼は由充の妻の弟でもある。)

第79回

畔五郎・蝿六郎はあけがた帰る。その夜。六月中旬らしい。 由充、かくし穴から荘介・小文吾を出す。

(二犬士は、トイレはどうしていたのだろうか? また、 穴の中で火をたいて、酸素不足になったりしなかったのだろうか?)

(360 ページでは荘介の父と母の死は別の年だが、前には同一の年だった。)

由充は荘介の父 犬川衛士則任の弟子だった。 (ということは荘介の父のほうが年上であろう。 荘介が生まれたとき父則任は 34 歳以上となる。 また、 由充の言葉でも則任の自殺から荘介と母の出発まで時間があったように読めるが、 父の自殺は九月 11 日、母が大塚で死ぬのが十一月 29 日である。)

由充、三ふりの刀(とお金)を二犬士に与える。 二人はあけがた、出てゆく。

諏訪湖のほとりに、 四十歳ばかりの鎌倉蹇児(かまくらゐざり)、 少年の相模小猴子(さがみこぞう)。

畔五郎・蝿六郎は荻野井三郎をだしぬいて諏訪湖畔にきた。 二人は落葉で鎌倉蹇児を斬ろうとする。

第80回

畔五郎・蝿六郎、鎌倉蹇児を斬る。

(377 ページ -4 行目、 「夕に死する」の次は句点ではなく読点か?)

(相模小猴子はなぜ、鎌倉蹇児が斬られるのを黙って見ていたのか?)

相模小猴子は実は犬阪毛野だった。郷武の首を斬り落とす。豊実は逃げる。 荘介と毛野、小篠・落葉をめぐって戦う。 遅れてやってきた小文吾、二人をとめる。

(小文吾は「左の股(もゝ)を見(あらは)して」痣を見せるが、 第32回では尻だった。)

毛野は右の肘から二の腕にかけてある痣を見せる。 小文吾は、ここへ来る途中、豊実を殺して刀を取りかえしていた。 荘介・小文吾は由充からもらった刀を郷武の死骸のそばに置き、 首を入れたかめの酒をあけて代わりに湯を入れた。 毛野と三人、青柳の宿に泊まることにする。

荻野井三郎は倒れていた郷武のしもべ似児介(にこすけ)を助ける。 若党三十平(みそへい)も斬られて死んだ。

第81回

荻野井三郎・似児介(にこすけ)ら、現場に到着。 いろいろあったが荻野井は七月上旬に大塚の城につく。 仁田山晋五に首と刀を渡す。 千葉の城では猿嶋連(さしまむらじ)に。 千葉自胤も出てくる。刀は「違う」ということで返される。 帰り、大塚によるが、 大石兵衛尉憲重(おほいしひゃうゑのぜうのりしげ)は不在。 左衛門尉憲儀も出てこない。 ここでも刀を返される。 荻野井、片貝に帰りつく。 由充、手紙と刀を持って箙大刀自に報告。 刀は由充に与えられる。

(410 ページ最終行に 「越後の小千谷に旅宿(たびね)せし折、荘介に環(めぐ)りあひし事」とあるが、 荘介とめぐり会うのはその次に書かれているいくつかの事件のあとである。)

毛野は石浜脱出後、犬阪村に戻って願成院(ぐゎんぜうゐん)という山寺に三年いた。 そこの住持は毛野の母の叔父。 その叔父は去年十一月に死去。毛野はことしの春のはじめに犬阪村を出る。

第82回

毛野、自分の玉について語る。 荘介・小文吾は毛野をも連れて指月院へ行こうとするが、 毛野は答えを翌朝にのばす。

翌朝。毛野は姿を消していた。

(426 ページ -7 行目、現八は文五兵衛の死を知っているのか?)

現八・大角は赤岩村で雛衣の三回忌をすませ、出発する。 穂北で賊に会い、大角は荷物を奪われる。 賊の残していった荷物のそばにいると村人らに賊と間違われる。


すのもの Sunomono