すのものの「『南総里見八犬伝』を読む --- 筋書き(第九分冊)」

426ページ、信乃は祖父 匠作を「うちじに」と言っているがそうではない。 これでは匠作の首を番作が葬ることができない。 427ページ、信乃は母 手束について「母さへ早く世を去りて」 と言っているが手束の母の死はその七日ほど前だった。 また、母 手束の死を「六七歳の比」と言っているが実際は9歳だった。 「旧病重りて」という感じでもない。 父 番作の死を自分が「十三歳」と言っているがこれは11歳が正しい。 孝子 信乃らしくない誤りである。 430ページ6行目「見八」に「げんはち」とふりがなあり。 新織帆大夫素行とあるが前には敦光。 432ページ7行目「信乃を紹介の手簡(てがみ)あり」とあるが前にはなかった。 このあたり、荘助(当時額蔵)の名前が出ないのはなぜか?


すのもの Sunomono