(122 ページの挿し絵で、義成の顔の左にある手は親兵衛の右手であろうか。 指が六本あるように見える。第十分冊の箱の表の絵はこの部分の拡大である。)
八犬士の子のリスト。 名前に「仁義礼智忠信孝悌」の文字を含む者がいないことに注意。
親 | 子 | 配偶者 | |
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犬江親兵衛仁 | 犬江真平如心(いぬえしんへいゆきむね) | のちに親兵衛と改名 | 悌順の娘 |
犬江大八(いぬえだいはち) | 犬江依介の養嗣 | 悌順の娘 | |
女子 | 犬塚信乃戍子 | ||
犬山道節忠与 | 犬山道一郎中心(いぬやまみちいちらうなかむね) | のちに道節と改名 | ? |
落鮎余之八有与(おちあゆよのはちありとも) | 落鮎余之七有種の養嗣、穂北の郷士 | ||
道空(どうくう) | 念戌の徒弟、延命寺の住持 | ||
女子 | 十条力二郎 | ||
女子 | 十条尺八郎 | ||
犬飼現八兵衛信道 | 犬飼玄吉言人(いぬかひげんきちのりと) | のちに現八と改名 | 礼儀の娘 |
犬飼見兵衛道宣(いぬかひけんべゑみちのぶ) | 許我で政氏に仕える | ||
甘糟糠介(あまかすぬかすけ) | 上総国望陀郡の郷士 | ||
女子 | 犬村角太郎 | ||
犬田豊後悌順 | 犬田小文吾理順(いぬたこぶんごまさより) | のちに豊後と改名 | 戍孝の娘 |
那古小七郎順明(なこのこしちらうよりあき) | 下総行徳の郷士 | ||
女子 | 犬江真平 | ||
女子 | 犬江大八 | ||
犬塚信濃戍孝 | 犬塚信乃戍子(いぬつかしのもりたね) | のちに信濃と改名 | 仁の娘 |
大塚番匠戍郷(おほつかばんせうもりさと) | 武蔵大塚の郷士 | 義任の娘 | |
女子 | 犬川額蔵 | ||
女子 | 犬田小文吾 | ||
犬阪下野胤智 | 犬阪毛野胤才(いぬさかけのたねかど) | のちに下野と改名 | ? |
粟飯原首胤栄(あひはらおほとたねよし) | 下総千葉の郷士 | ||
犬川長狭荘介義任 | 犬川額蔵則任(いぬかはがくざうのりたう) | のちに荘介と改名 | 戍孝の娘 |
女子 | 大塚番匠 | ||
女子 | 蜑崎照文の孫 | ||
犬村大学礼儀 | 犬村角太郎儀正(いぬむらかくたらうのりまさ) | のちに大学と改名 | 信道の娘 |
赤岩正学儀武(あかいはしょうがくのりたけ) | 下野赤岩の郷士 | ||
女子 | 犬飼玄吉 | ||
女子 | 那古小七郎 |
八犬士の子どもたちの母方の祖父は義成であるから、 彼らの結婚はすべていとこ婚である。
284ページ。 うっかり読むと妙真が没してから静峯姫が没したように思うが、 そうではない。 もしそうなら、 静峯姫が没した親兵衛30歳のとき、妙真は(生きていれば)77〜8歳以上となる。 すると妙真と親兵衛の年歳差は47〜8歳以上。 親兵衛は初登場の際4歳なのでそのとき妙真は51〜52歳以上となるが、 実際には40歳すぎと書かれている。 (ということは、妙真は房八・沼藺の子供夫婦、 および孫親兵衛の妻 静峯に先立たれたことになる。)
289 ページ後半からは、 八犬士が富山に隠棲してから約二十年後、内乱の起る前、とされている。 300 ページ 3 行目によればこの内乱は天文 2 年(1533 年)以前のことである。 よって隠棲は 1513 年以前となるが、 この年には道節らが 55 歳、親兵衛はまだ 39 歳であり、 288 ページ 3 行目の「年既に六十にあまりて」はあてはまらない。 また、 妙真は親兵衛と 36 〜 40 歳ぐらい歳が離れていると思われるので、 八犬士の隠棲は妙真の死後まもなくであったことになる。