オリジナル版 Wizardry #4 はマルチエンディングだが、 最も見るのがむずかしいエンディングには旧約聖書続編 「ダニエル書補遺 ベルと竜」 などの、神像 --- 偶像は禁じられているから当然にせもの --- と戦う物語の影響が見られるように私は思う。 プレステ版もマルチエンディングだが、オリジナルとは違うらしい。 私はプレステ版は攻略本を見ただけなのではっきりしたことは言えないが、 オリジナルの最もむずかしいエンディングを見るための条件で見られるエンディングが “究極”のエンディングではなく、 またその内容もオリジナルとはニュアンスが違うように思われる。
1999-11-13 (6) 02:27:21 +0900
Wizardry #4 に出てくるモンスター「ライカーギ」 を攻略本では「スパルタの律法者」などと説明しているが、 高津春繁「ギリシア・ローマ神話辞典」(岩波書店)で 「リュクールゴス」をひくと 「同名の英雄が多くいる中で、一番有名なのは 1. ドリュアースの子でトラーキア王リュクールゴスである。 《イーリアス》で、彼は」とある。 ゲーム中にでてくる MRON の神託には「イーリアス」も出てくるようなので、 まずはそっちではないかと思うのが普通ではないだろうか?
1999-11-13 (6) 01:58:35 +0900
……んだそうだ。 これではレベル 10 で lycurgus を召喚する意味が低減する。 一体しか召喚できないがどんどん仲間を呼ぶのがいいところだったのに。
1999-11-13 (6) 01:52:07 +0900
Wizardry #1 から #3 では、 ドアを開けるとモンスターのグループに遭遇し、 それらを倒すと宝箱がでるのが原則だ。 しかし、#2 の地下4階、鍾乳洞のフロアは、 ドアがなくても特定の地点では必ずモンスターに遭遇し、 宝箱がでる。 これを「見えないドアがある」 と考えてもつじつまが合うことにごく最近気がついた。
1999-11-13 (6) 01:36:08 +0900
Wizardry のいくつかの攻略本などでは、 「玄室」という語が「小部屋」の意味で使われている。 玄室とは、 広辞苑第五版によれば 「横穴式石室の主要部分で、棺を納める室」 とのことだ。 これを単に間違えて使っているのだと思っていた。 しかし、Wiz#4 の地下10階は Werdna を葬っていたピラミッドであり、 その中央の、Werdna の棺が置かれていた、2×2の小部屋を誰かが 「玄室」と表現してもそれほどおかしくはない。 ピラミッドで棺を置く部屋をそう呼ぶのかどうかは知らないが。 それを「小部屋=玄室」と理解して使ったのではあるまいか?
1999-11-13 (6) 01:29:10 +0900
Filofax の新しいカタログを入手した。 海外で作ったものに日本の代理店が価格表をはさんで出しているらしい。 私が買った 2000 年のダイアリーに日本の祝日名がはいっていない、 という話は前に書いたが、 そのダイアリーと同じ型番のものも出ていた。 Sunday start, English で includes extensive Christian calendar と注がついている。 日本仕様とは書かれていない。 手元の 1999 年用のは、 カタログの型番と比べると最後に J がついている。 この J は Japan または Japanese の J, すなわち日本仕様ということだろう。 それより前のを見てみると、 J はつかなくても日本向けの祝日表記がついている。 よくわからない。
1999-11-12 (5) 22:30:49 +0900
来年 2000 年はなにか“おめでたい”年のように思われているが、 なにもないことを表わすゼロが近年まれなほど並ぶのがどうしてそんなに “おめでたい”のだろう?
「ゼロはそれ自身は虚無なのに数字のうしろにつけるとどんどん数が大きくなる悪魔の数字」 といわれた時代がある、 という話を読んだことがある。
1999-11-03 (3) 02:17:49 +0900
ジーパンが古くなってうちにいるとき専用になると、 左の膝のところに穴があき、だんだん大きくなるのは、 左の膝をついてそこに体重をかけるくせがあるからだろう。 その左膝が直接たたみにすれるとどうも調子がよくない。 そこで、「裏返し」や「後ろ前」にはくことを考えた。 特に、後ろ前にはくと穴は膝の後ろにくるので、 穴があいていることを忘れるほどだ。 これはいい。 ただし、問題は、 急にトイレにいきたくなったときあわてることである。
1999-11-03 (3) 02:10:21 +0900
10月21日付の日経写真ニュース 「電車脱線、17人負傷」 に 「南大塚ー新狭山間」 とあった。 長音符ではなくハイフン、ダッシュを使うべきところ。
1999-11-03 (3) 01:59:14 +0900
本屋で「Wizardry --- New Age of Llylgamyn」という攻略本を見かけた。 Wiz#4 と Wiz#5 を一本にしたプレステ用ソフトが出たらしく、それの攻略本だ。 Wiz#4 は Wiz の中でもっともどきどきしながらマッピングを楽しんだシナリオなので思わずぱらぱらとめくってみたら、 マップは同じだが見たことのないモンスターが召喚できるようになっている。 レベル 15 プリーストとかだ。 オリジナルに近いバージョンとアレンジバージョンが楽しめるようだ。 敵 --- このシナリオでは冒険者 --- の全リストと顔写真が載っているので、 プレステはもっていないが攻略本だけ買ってしまった。
買ってからよく読んでみると、 アレンジ版ではモンスターに命令ができるらしい。 「ブレスを吐け」「仲間を呼べ」なんて、 Wiz ではやった経験がない。 やってみたい気もするが、それだけのためにプレステを買うのはちょっと。
ところで、最後の二つの質問の答えは 98 版と違うみたいだが、 どっちがあってるんだろうか?
1999-11-03 (3) 01:56:32 +0900
高校を卒業した次の日に学園長が急逝され、 弔辞を読んだことがある。 準備するときには「亡くなった人に呼びかけるように書く」 ことを知らずに原稿を用意してしまい、 前の人の弔辞を聞いてやや動揺したが、 偶然にも、そうも解釈できるように書けていた。
1999-10-12 (2) 02:20:12 +0900
漢語を構成する漢字の一部をかな書きするとき、 そこが一つの漢字であったことを明示するような書き方の工夫はないか? 例えば「冥王星」を単に「めい王星」とするのではなく、 「めい」を一文字に見えるようまとめた活字をつくるとか。 ハングルに似た発想だ。
1999-10-12 (2) 02:16:18 +0900
レビ記 18:18 は姉妹を同時に妻とすることを禁じているが、 ラケルとレアの姉妹を妻にしたヤコブの行為はこれに反しないのか? “昔”のことだからいいのか?
1999-10-12 (2) 02:11:05 +0900
9月30日の夜から、 前のサーバ math は夜間は止めることにした。 出勤日には最低二時間は動かすので、 math に送られたメールは一応転送されるはずだ。
1999-10-12 (2) 02:06:55 +0900
私が普段メールを読み書きしているマシンでは MIME が読めません。 metamail のインストールされているマシンに ftp で送って読むのですが、 つい二三日前、 そのマシンの隣に仮に置かれたところの、 ネットワークにつながっていないマシンでメールを見ていて subject に何と書いてあるのか知りたくなったもので、 めんどうなので手で MIME 化された文字列を打ち込んでしまうことにしました。 一生懸命打ち込んで metamail で表示させてみたらなんと私の本名。 おおっと、Subject: と To: を間違えていたんだ〜。
1999-10-12 (2) 02:01:01 +0900
私は以前からの習慣で、 メールをテキストファイルとしてセーブしエディタで読んでいるが、 その際 MIME 化された subject などは読めない。 そこで、ついつい subject と同じ言葉を本文に書いてしまう。 subject を「お久しぶりです」として本文もそれで始めるとか。
ところで、 私の母が終戦直後に学校で英語を習い始めたときには教科書がなく、 先生が言うのを聞いて学んだそうなのだが、 「Lesson one. The sun is rising. The sun is rising. ...」 の最初の「The sun is rising」が課の名前であることが耳からはわからず、 「英語というのは最初の文章だけ二度くり返すものなのだろうか?」 と思ったそうだ、 という話と似ていないか?
1999-10-09 (6) 02:46:16 +0900
「ほんとうにありがとうございました」 などの「ほんとうに」は本来の意味を離れ、 程度が高いことを表わしているのだと思うが、 この意味を特に取り上げて説明している辞書が見当たらない。
1999-10-09 (6) 02:39:44 +0900
今年のセリーグのペナントレースは、 読売の負けた瞬間に他チームと試合中だった中日の優勝が決まったのだが、 私が見ていたテレビ局も、 聞いていていたラジオ局も、 中日の試合が終わるまで中継をやっていた。 それを聞いていたおかげで臨界事故のことを知ったのだが、 優勝はすでに決まったのに、 なぜ、もはや消化試合に過ぎなくなった試合の中継を続けたのか、 理解に苦しんだ。 胴上げを中継したかった、ということなのだろうか?
今年のような形で優勝が決まった場合、 試合途中で胴上げをしたら相手チームや球場に迷惑だろうか? 終わってから胴上げを行なっても球場にかかる迷惑は同じぐらいだろうが、 試合を中断される相手チーム選手は迷惑だろう。
などといろいろ考えてしまった。
1999-10-09 (6) 02:34:01 +0900
今年のセリーグのペナントレースは、 読売の負けた瞬間に他チームと試合中だった中日の優勝が決まったのだが、 金沢市の香林坊大和8階でやっている 「'99 中日ドラゴンズ優勝記念写真展(協力:北陸中日新聞)」 では 中日の試合の終わった瞬間の写真を 「優勝の一瞬、飛び上がってマウンドめがけ飛び出すドラゴンズナイン」 というキャプション付きで展示していた。 別にその瞬間に優勝したんじゃないだろうに。 なんか変。 「優勝の瞬間」じゃなくて「優勝の一瞬」だからいいのか?
(本題とは関係ないけど、あの試合はサヨナラ勝ちではないので、 「ナイン」は優勝の瞬間にはグラウンドに出ていたのでは?)
1999-10-09 (6) 02:25:19 +0900
二千円札が発行されるらしいが、 財布の中に五千円札1枚と千円札2枚があって四千円払う場合、 五千円札1枚を出して千円札1枚のおつりをもらうのではなく、 五千円札1枚と千円札1枚を出して二千円札1枚のおつりをもらう、 ということが出てくるだろう。
1999-10-09 (6) 02:16:24 +0900
ちょっと前に、 読み残してたまっている朝日新聞を 「毎日その日の分もいれて三つ読む」と決め、 しばらく実行している。 しかし、はっと気がついたのだが、 一日に新聞を三つ読むのならその日の朝日・毎日・日経を読むほうがましではないか?
1999-10-09 (6) 02:08:43 +0900
Filofax の 2000 年用ダイアリーによると、 2000 年は3月20日の春分の日が満月だ。 その次の満月が4月18日の火曜日、 そしてその次の日曜日4月23日が復活日だ。
1999-09-30 (4) 00:15:14 +0900
Filofax の 2000 年用ダイアリーは日本の祝日のうち 「成人の日」「春分の日」「体育の日」の日付を間違えて印刷した、 という話は前に書いた。 それらの祝日の名前を書いた「訂正用シール」と、 同じ大きさで何も印刷されていない「目隠し用シール」 がビニール袋の外側についていたので中にもこのように (いわゆる)日本語で記載されているのかと思ったら、 なんと丸囲みのJマークが書かれているだけ。 日本では祝日だ、ということはわかるが何の日かはわからない。 ここ十年ぐらいは日本語表示がついていたのに。 1999 年のからこうやって各国の祝日を表示していたので面白いな、 と思ったのだが、 いわゆるシステム手帳ブームも去り、力が抜けてきた、というところか。
ちなみに、私が使っているのは型番 J925, 一週間2ページで日曜日から次の土曜日までが見開きになるもの。 お店で見たところ、 なぜかこれと Year Planner だけが英語で製品名などが書かれており、 あとのは日本語だったので、これらは特別な商品なのかも知れない。
それと、各国の祝日一覧を書いたものがついているのだが、 その訂正は全世界に対してなされたのだろうか? また、 そのページでは日本の「春分の日」「秋分の日」にあたる日付にマークがついていて 「Not confirmed.」と注がついているが、 これらの正確な日にちは確か前年の比較的早い時期に発表になるはずだ。 9月発売のダイアリーに間に合わないはずはない。 (時々カレンダーにその翌年の分がついていることがあるが、 翌年の春分の日・ 秋分の日は厳密にいえば印刷される時点では決まっていないと思う。)
もうひとつ。 訂正シールには「祭日表記」「祭日シール」と表記されているが、 「国民の祝日に関する法律」 という法律の名前からも明らかなように「祝日」と呼ぶのが適当だろう。
1999-09-30 (4) 00:04:44 +0900
……と聞かれると答えられる人は少ないかも。 日本聖書協会の口語訳は 180 ページから「使徒行伝」が始まり、 360 ページから「ヤコブの手紙」が始まる。 新約が全部で 409 ページ、 詩篇は 130 ページの合わせて 539 ページだから、 答えはかなり正確に「約3分の1」となる。
1999-09-29 (3) 23:32:03 +0900
福音書のページ数は新約聖書の半分弱を占めている。 よって、福音書だけで一冊ならば新約の半分弱の目方ですむ。 あるいは、同じ目方で2倍の面積の活字が使える。 日本聖書協会の口語訳はA6が小型、A5が大型と呼ばれているが、 小型の新約と同じサイズ、それよりやや薄めで、大型の活字のものがつくれるはずだ。 新しく版を組むのはめんどうだろうから、 現行の2段組の上半分を奇数ページ、 下半分を偶数ページにして、 本を90°回わして下から上にめくりながら読むとか。 読みにくいか。
1999-09-29 (3) 23:23:29 +0900
思いつくのは岩波から最近出たのと岩波文庫のと。 日本聖書協会からは出ていないような気がする。
1999-09-29 (3) 23:21:40 +0900
ちょっと前に 「たまにはマタイ・マルコ・ルカ以外の順で共観福音書を読むのもいいかもしれない」 と書いたが、 新約聖書をくり返し読むと、 しばらくぶりに福音書に戻ってきたときには必ずマタイ・マルコから始まる。 これらは新鮮に読むがルカにきたころには疲れてしまう、 ということがあるかもしれない。 四福音書だけをくり返し読んだらどうだろうか?
1999-09-29 (3) 23:13:51 +0900
(本文なし)
1999-09-29 (3) 22:58:10 +0900
著者は Bruce M. Metzger, 出版社は United Bible Societies だ。 なんなのかよくわからず、 とにかく原文といっしょに持っておくべき注釈書のようなもの、 と思って買ってしまったのだった。 Introduction の冒頭を読んでみると、 ただの commentary と textual commentary は別物だ。
1999-09-26 (0) 01:37:15 +0900
マルコによる福音書第5章第21節からに、 ヤイロの娘の蘇生の記事がある。 その中、第36節に「イエスはその話している言葉を聞き流して」(口語訳) とあるのだが、 「聞き流す」がイエスの行為としてふさわしくないような気がしたので、 ほかの翻訳や原文にあたってみた。
新共同訳、共同訳、塚本虎二訳(岩波文庫)は「そばで聞いて」。 文語訳は「傍(かたへ)より聞きて」。 岩波版は口語訳と同じく「聞き流して」。 King James は単に heard, Good News Bible は paid no attention to だが注をつけて or overheard とも書いてある。 TOB は sans tenir compte de ces paroles だが注で別訳として surprenant ces paroles としている (がこのフランス語の意味がわかりません)。
Vulgata は単に audito (のようだ)。
原語(の辞書に載っている形)は「παρακουω (parakouo:)」。 United Bible Societies 版の原文の後ろについている簡略な単語集によれば refuse to listen; pay no attention to or overhear (Mk 5.36) だ。 「自分に向けての発言なのに聞かない」という意味と、 いわば正反対の 「自分に向けられた発言でないのに聞く」という意味とがあるようだ。 結局よくわからなかった。
と思ったのだが、 最後に A Textual Commentary on the Greek New Testament を見てみた。 この箇所ももちろんあがっており、 "ignoring" とも "overhearing" ともとれるのであいまいだ、 写本によってはルカの並行箇所から akousas を持ってきている、 というようなことを言っているらしい。 そう思ってルカの原文にあたってみたらその通りだ。 岩波版は、この箇所についてマルコでもルカでもふれていない。 ちょっとがっかり。
1999-09-26 (0) 01:30:08 +0900
辞書によって違うようだ。
1999-09-26 (0) 00:57:14 +0900
9月23日付朝日新聞大阪本社版社説「たかが18点ではない」は、 聴覚障害者にとっての大学入試センター試験の英語の発音問題の負担について論じている。 《自分では聞くことも話すこともない発音やアクセントの位置を、 記号で機械的に暗記するしかない。 むなしい作業だし、努力しても結果は芳しくない》 というのだ。 ハンディがあることは確かだが、 それとむなしい作業であるかどうかはわけて考えるほうがいいのではないか?
たとえば、 "Uranus" は "your anus" と発音が似ているので発音するときためらわれる、 という話を聞いたことがある。 もし発音を学ばずに文字だけを学んでいたら、 この話の“面白さ”がわからないのではないか?
また、漢詩の平仄はもともとは漢字の発音によるものだが、 日本では時代が下ると単に丸暗記するものだったと聞く。 そうやって平仄を合わせて漢詩をつくることはむなしい作業だったのだろうか?
フランス語は、発音を全く習わず、 読み書きだけ習ったほうがやさしかったかも知れないが、 ラシーヌを習ったとき味わった、韻を踏む面白さはわからなかっただろう。 Sa croupe se recourbe en replis tortueux (フェードル、1520 行目) がヌメヌメした音の語でできている、という面白さも。
筒井康隆の小説「文学部唯野教授」に 《おれ、リビドー山》という駄じゃれがでてくるが、 「力道山」を「りきどうざん」と読むことをしらなければこの面白さはわからない。
……などと思う反面、 英語の時間に Copernicus を 「コペルニクス」と発音すると 「コパーニカス」といい直させられたりしたときに感じた“むなしさ”も思い出す。 英語式に発音しないと通じないような外国人とコペルニクスについて論ずる機会はそれほどあるとは思えない。
などなど、いろいろなことを考えてしまった。
1999-09-26 (0) 00:55:28 +0900
たとえば名前をあげて二人のことを書き、 そのあとで《二人は町へ出かけました》と書けばここでは 「二人」は代名詞のように使われている。 「三人」でも「四人」でも同じ。 しかし「一人」はこうは使えない。
1999-09-26 (0) 00:21:38 +0900
7月28日付朝日新聞大阪本社版石川面に 《 子、ひかれ死亡》という記事が出ている。 実際に、「子」の上には空白があるのだ。 本文にも空白がある。 空白を推定字数分の「○」で示すと 《近くに住む妹の店員****さん(**)○○○の**ちゃん(**)が、 **容疑者が運転する乗用車にひかれ》 と 《**容疑者は車庫に車を入れようとした際、 ○○○気付かなかったらしい》 の二個所だ。 (「**」には実名が、 「**」には年齢が記されていたが、ここに引用するにあたって伏せ字とした。)
まったくの推定だが、 最初はこの妹もひき殺されたとして記事が書かれたのではないか。 すると見出しは《母子、ひかれ死亡》、 本文は 《近くに住む妹の店員****さん(**)と長女の**ちゃん(**)が、 **容疑者が運転する乗用車にひかれ》 《**容疑者は車庫に車を入れようとした際、 二人に気付かなかったらしい》 とうまく空白が埋まる。 (「長女」としたのに根拠はない。 「次女」「三女」などかもしれない。 さらに、女の子だろうと考えたのは名前からであり、 男の子でないとは言いきれない。) ところが、あとから「死亡したのは子供だけ」との情報がはいり、 急いで消すだけ消して印刷に回わしてしまったのではあるまいか。
もしそうだとしても、 できれば最初の引用箇所は 《近くに住む妹の店員****さん(**)の長女の**ちゃん(**)が、 **容疑者が運転する乗用車にひかれ》 のようにできたはずだ。 あとのほうは、 字数がぎりぎりなのでうまい書き換えが思いつかない。 《**ちゃんに》でははいりきらないし、 《一人に》とは言わない。 《彼女に》は文法的には正しくても新聞では普通使わない言い方だ。
1999-09-26 (0) 00:17:36 +0900
7月28日付朝日新聞大阪本社版社会面の連載 「やるぞ!パソコン 新トラの穴 その6」に 「プロバイダー選びの基本」として 「アクセスポイントは同じ局番内か」があがっているが、 局番が同じでも市内通話になるとは限らないことが見落とされている。
1999-09-25 (6) 23:46:23 +0900
(本文なし)
1999-09-25 (6) 23:20:56 +0900
7月20日付朝日新聞大阪本社版のアポロ月着陸30周年の面に、 当時同時通訳として活躍しておられた西山千さんの談話が出ている。 87 歳。お元気でなによりである。なつかしい。 当時すでに 57 歳だったわけだ。
1999-09-25 (6) 23:18:13 +0900
7月20日付朝日新聞大阪本社版経済面の 「'99 新社長」は関西ペイントを扱っている。 《「『関ぺ』だから間違いないと思った」という得意先の》 とある「関ぺ」の「ぺ」はひらがなである。 略称はそうするのが関西ペイントの慣習なのか、 朝日新聞のミスなのか?
1999-09-25 (6) 23:13:38 +0900
4月22日付朝日新聞大阪本社版社会面に 「関大、合格判定ミス/168 人を追加合格」という記事が出ている。
《また、本来不合格となるはずの百四人については、合格は取り消さない。 石川学長は 「学力的に不合格の人が合格しているというのは、 入試の公平性から見れば問題があるかもしれない。 しかし、大学としてこれ以外の選択はない」 と厳しい表情を見せた》 とある。 「これ以外の選択はない」はそのとおりだと思う。 しかし、 もし仮に、 追加合格となった受験生が受験していなかったとすれば、 彼らは学力的に合格とみなされたわけだ。 他人の学力次第で学力的に合格になったり不合格になったりするのは、 競争試験だからしかたがないと考えるべきだろうか。
もうひとつ。 「168 人が追加合格」なのになぜ 「不合格となるはずの百四人」と人数が違うのか、 記事からは読み取れない。 「実際に入学した者のうち不合格となるはずの百四人」なのかもしれない。 もしそうだとしたら、 入学金を払ったが入学しなかった者がいると思われる。 その入学金は返すべきではないか? 本来は不合格で、払うはずのない入学金だったのだから。
1999-09-25 (6) 23:00:25 +0900
7月7日付朝日新聞大阪本社版政治面に光文社の雑誌 VERY の広告が出ているが、カナ表記は「ヴェリィ」である。 「リィ」はどのような音を表わしているのか?
1999-09-25 (6) 22:40:49 +0900
ちょっと前に書いた《goo の表示の謎 --- なぜ「ミラーサイト」と?》だが、 答えがわかった。 その直前に表示されていた第六分冊の分と全く同じ文面だったからだ。 リンク先までは同一でなくてもミラーサイト扱いになるのだ。
1999-09-22 (3) 00:51:44 +0900
「本当は恐ろしい何々」というのが流行らしいが、 「本当は恐ろしい旧約聖書」というのは誰も書かないのだろうか? 士師記第11章後半のエフタの娘の記事、 第19章からのベニヤミン族の犯行、 列王記下第2章最後のエリシャと子供たちの記事、 第9章終わりのイゼベルの最期など。 など。
1999-09-22 (3) 00:48:23 +0900
駅や電車の中で裸体写真などを見ているのは不快、 という投書がときどきある。 軽犯罪法第一条二十 「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、 ももその他身体の一部をみだりに露出した者」 をこれに適用することはできないであろうか? 写真と実物は見た人にほぼ同じ効果を与えるのだから。
1999-09-22 (3) 00:34:32 +0900
……のは答えになっているだろうか? 男があけるとおばあさんになる玉手箱もあるかもしれない。
1999-09-22 (3) 00:25:52 +0900
ヘボン式どおりに打ってはいけないのか。 MS-IME97 の話。
1999-09-22 (3) 00:23:08 +0900
岩波国語辞典第三版は「亀」でなく「龜」としている。 いわゆる新字体があるのは当用漢字・常用漢字だけのはずだ。 この字は人名用漢字なので、 人名以外に使うときは昔のまま「龜」と書くことになるのだろうか? ほかに人名用漢字を含む語をひくと「彌生」(やよい)などとなっている。
もしそうなら、葛飾区の「亀有」は「龜有」となるのだろうか。
1999-09-22 (3) 00:16:08 +0900
近くのバス停そばに病院があり、 バスが着くと足の不自由なお年寄りが道を渡ってゆく。 横断歩道まで数十メートルあるため、 横断歩道のないところ渡るので見ていてはらはらする。
バスがくる直前・直後のみ青になる歩行者用信号機のついた横断歩道、 というのは設置できないものだろうか? 金沢のバスは現在位置を知らせるため電波を出しながら走っているのだから、 技術的には不可能ではないだろう。
1999-09-21 (2) 01:54:03 +0900
近くのバス停そばに病院があり、 バスが着くと足の不自由なお年寄りが道を渡ってゆく。 横断歩道まで数十メートルあるため、 横断歩道のないところ渡るので見ていてはらはらする。
道路のある区間で一斉に自動車を止め、歩行者はどこを渡ってもよい、 としたらどうだろうか? たとえば5分間は自動車が走る時間、 1分間は歩行者が渡る時間とするとか。
1999-09-21 (2) 01:51:24 +0900
聖書に印刷されている順にマタイ・マルコ --- あるいは逆の順かもしれない --- と読み進んでルカに至ると、 ルカはいつでも共観福音書の3つめとなる。 たまには違う順で読むのもいいかもしれない。
1999-09-21 (2) 01:41:40 +0900
“財布を持って行くな” という句が福音書の中にあったと思っていたがなかなか見つからなかった。 マタイ・マルコ・ルカにある「十二人の派遣」 の中だと思い込んでいたから見つからなかったのだ。 かなり両者は似ていると思うが、 最近の小見出し・並行箇所付きの聖書を見るとここは並行箇所として扱われていない。
1999-09-21 (2) 01:32:30 +0900
テレビアニメ「サザエさん」の主題歌で 「おさかなくわえたどら猫、追っかけて」のあとは 「はだしでかけてく」、 2番の対応箇所は「さいふをわすれて」だが、 ここがルカによる福音書第10章冒頭の七十二人の派遣の記事中のイエスの教え、 「財布も袋もくつも持って行くな」(第4節、口語訳) と一致するように見えるのは偶然であろう。 しかし、 冒頭の「さかな」がイエス・キリストのシンボルであることを考えると、 単なる偶然と考えていいのかどうか……。
1999-09-21 (2) 01:23:25 +0900
昨年12月13日付の朝日新聞大阪本社版社会面に、 別人と間違われて死んだことにされてしまった、という記事が出ている。 兄は葬式を出してしまったそうだ。 こんなとき、もらった香典はどうするのだろうか? 香典返しの金額を除いた分ぐらいを返すのだろうか? 冠婚葬祭の本を見てもこのようなケースはあまり書いてない。 終戦直後には珍しい話ではなかったような気がする。
(弟の遺骨として受け取ってしまった遺骨はしかるべきところに返すのだろうが、 一度は身内の遺骨だと思った遺骨だけに、 私だったらただ「ほい」とは返せないような気がする。 ほかにも、仏式で葬儀をした場合、渡された引導は返すのだろうかとか、 疑問はつきない。)
1999-09-21 (2) 01:17:10 +0900
忙しくて読めなかったときの新聞は古いものを下にして積んでおき、 上から読むことにしている。いまは昨年の年末のを読んでいる。
1999-09-20 (1) 02:01:19 +0900
インターネットの匿名のページに関連して事件が起きたりすると 「発言は原則実名に」 (1998年12月27日付朝日新聞大阪本社版社会面見出しより) という意見が出てくる。
実名はあくまでハッシュであり、本人を特定できるとは限らない。 とても本人が特定できるとは思えないほどよくある名前もある一方で、 住んでいる市町村名と合わせれば本人が特定できてしまうような名前もあるだろう。
もしもこれらの意見が文字どおり実名の公開だけを主張するなら、 本人を特定されやすい名前とされにくい名前の間で不公平が生ずるのではないだろうか?
また、この「実名」という語が単に氏名を意味するのではなく 「本人を特定できるだけの十分な情報」を意味するのだとしたら、 言葉の使い方を考える上で面白い問題ではないだろうか?
1999-09-20 (1) 01:51:43 +0900
Filofax の 2000 年用ダイアリーをきのう見たが、 「成人の日」「春分の日」「体育の日」の日付を間違えて印刷したそうで、 修正用のシールがビニール袋の外側に付属している。 情けない。
1999-09-19 (0) 02:24:39 +0900
goo で「すのもの」を検索するとまだ旧ページがひっかかってくるが、 八犬伝の第七、九、十分冊のあらすじだけは 「ミラーサイト」という扱いになっている。 なぜだ?
1999-09-19 (0) 02:10:33 +0900
……、 ということを massangeana 氏に教えていただいた。 compare-buffers じゃなくて compare-windows なんですな。
1999-09-18 (6) 01:57:38 +0900
マルコ 10:47, 48 の「我を憫(あはれ)みたまへ」の原文は 「ελεησον με(elee:son me)」。 これが Kyrie eleison の eleison か。
1999-09-17 (5) 01:29:10 +0900
ルカ 1:36 によれば受胎告知のときエリザベトはすでに妊娠6カ月。 それからマリヤムはエリザベトを訪問し、 1:56 によれば3カ月ほどとどまったという。 バプテスマのヨハネが生まれる直前まで一緒にいた、ということか。
1999-09-17 (5) 01:03:54 +0900
私はふだんかな漢字変換を使っていないだけに、 こういう誤変換を見るとうれしいような悲しいような。 ちなみにこれは MS-IME97.
1999-09-17 (5) 00:57:08 +0900
ルカによる福音書第1章で、 天使ガブリエルがザカリヤとマリヤムに遣わされる。 妻エリザベトの懐妊を予告されたザカリヤは 「私は、何によってそのようなこと〔が本当だと〕知り得ましょう。 この私は老人ですし、私の妻ももう年長けておりますのに」 と答えてものが言えなくなり、 自分の懐妊を予告されたマリヤムは 「どうしてそのようなことがあり得ましょう、 私は男の人を知りませんのに」と答えたがなんともなかった。
この違いはどこから生じたのか?
(訳文は「新約聖書 福音書」(岩波書店)から。 この部分の訳者は佐藤研。)
1999-09-17 (5) 00:51:48 +0900
戦士 かきたま、勇者 すのもの、僧侶 はもちゃ、魔法使い みつまめ。 ここまでで一応クリアした。あとは 武闘家 あんにん。商人 たこやき。賢者 くれそん。遊び人 ひのまる。 リメイクではなく 1988 年発売のオリジナルのほうですので念のため。
1999-09-17 (5) 00:40:15 +0900
……というところからつけたもの。
武闘家は中国系の、商人は大阪人のイメージ。 賢者はキャラの色からだったかな。
2022-09-23 (5) 00:45:57 +0900
パソコン用RPGゲーム「ウィザードリィ」 でヘビなどの長いモンスターには呪文マカニトが効きやすい、 という格言。 もちろん「長いものには巻かれろ」の地口。
実際にはマカニトはレベル8以下のモンスターを全滅させる呪文で、 ヘビのようなモンスターは低めのレベルに設定されていることが多いから効くのであって、 長いから効くのではない。
1999-09-17 (5) 00:32:45 +0900
だんだんと、ホームページのスタイルが固まってきた。 適当な見出しをつけて数行〜数十行の文章を書き、 それを集めてページとする。 各文章の最後には日付を入れておく。
よって、削除はするがどこかに保存しておきたいときは、 見出しごとしかるべきページに移動すればよい。 もともとあった日付の前には「作成」と添え、
のようにしてはどうか? 最後の「ファイル名」とは、 その文章が含まれていたファイルの名前である。作成 1999-XX-XX (X) XX:XX:XX +0900
削除 1999-XX-XX (X) XX:XX:XX +0900
ファイル名 XXX.html
1999-09-16 (4) 02:28:18 +0900
これもあるとき、ローマ字入力している際に「n」と「h」を間違えた。 英文などを入力するときは絶対に間違えないのに。
1999-09-15 (3) 03:01:00 +0900
ちょっと前のある日、 Tコードで入力しているのに「一」(いち)と 「ー」(長音記号)をしきりに間違えた。 なぜかはわからない。 そのときだけであとはなんともない。
1999-09-15 (3) 02:59:15 +0900
小学校にはいったばかりのとき、 「1の3」が「1年3組」の略称であることがわからなかった。 中学・高校は6年一貫の学校だったので “中学1年A組”を「中1A」と呼んでいた。 これも最初わからなかった。 文字で書けばわかるが、 耳から「ちゅういちえい」と聞いただけではむずかしい。
1999-09-15 (3) 02:56:40 +0900
恐竜の想像図で皮膚の模様まで描かれているものがあるが、 「クロコダイル型押し」「オストリッチ型押し」の皮革製品の要領で、 恐竜の皮膚の型押しの皮革製品を作ったら面白いのではないか?
1999-09-15 (3) 02:52:58 +0900
一つのマシンの中で大切なファイルをコピーしたときは、 ファイル比較ユーティリティを使って確認する。 マシン間でコピーしたときは逆にコピーし直して元と比較し、 一致すれば正しくコピーされたものとみなす。
大切な情報を含むファイルをエディットしたときは、 ミスなどで大事な部分が欠けていないか確認する。 たとえばエディット前後のファイルを比較した差分を出力させて目でチェック。 複数のファイルをマージしたとか、 あるファイルの一部を別ファイルに移動した、 などの場合は複数バッファをカーソル位置から比較できるエディタで確認する。 いま手元にあるエディタでこれができるのは Vz だけだ。 ほかのは私が知らないだけかも。
1999-09-15 (3) 02:40:19 +0900
今はメールとホームページを biglobe でやっています。 メールのためにほぼ毎日アクセスするので、 そのときホームページも更新してしまえば毎日の更新も可能なはずですが、 メールは比較的早い時間に読みたい、 ホームページはそのあとゆっくり時間をかけて作りあげたい、 そしてメールを読んだあとは 「今夜はもうアクセスしないんだから更新もあしたにしよう」 とサボっていました。
手元のを夜中に更新し、 翌日メールを読みに行くとき置きにゆくようにしてみます。
1999-09-15 (3) 02:37:53 +0900
よそでも使ってもらっている拙作タイピング練習プログラム TX が 2000 年問題にひっかかることにさっき気がついた。 練習日時の書き込み/読み出しのところで 「西暦の上二桁は 19」と決め付けていた。 実にお粗末。恥ずかしい。
パッチはできたらしかるべきところに置きます。
1999-09-09 (4) 02:21:23 +0900
折り紙の定番(?)に「さんぼう」があるが、 私はこれを sambou と発音しているようだ。 つい最近気がついた。 実物については正しく「さんぼー」と発音しているのに。 ひらがなしか読めなかったころに折り紙の本を見て覚えた言葉なのだろう。 子供向きの絵本の主人公の名前である「さんぼ」+「う」 ととらえていたのかも知れない。
ところで、恥ずかしいことに、 漢字では「三宝」と書くのだとつい最近まで思っていた。
1999-09-08 (3) 02:24:22 +0900
……、アクセントによっては。
1999-09-08 (3) 02:19:58 +0900
(本文ナシ)
1999-09-08 (3) 02:18:12 +0900
「肉を切らせて骨を切る」の地口。 めんどうなことは他人にやらせておいしいところをもらうこと。
1999-09-08 (3) 02:16:38 +0900
家庭用ゲーム機 Nintendo64 用ゲーム「スーパーマリオ 64」 の「ウォーターランド」で 100 枚コインを狙うには青コインを全て取ることが必須だ。 その青コインは
●●● ●●●のように並んで現われる。 落ち着いて取れば時間制限はなんでもないはずなのだが、 あせると台から落ちて最初からやり直しとなる。
それはともかく、 このコインの並び方を短い言葉で説明するには 「六連銭(ろくれんせん)」というのが一番のようだ。
1999-09-08 (3) 02:14:08 +0900
昔、新聞に投書して何度か載ったことがあるが、 その時は電車に乗っている時間を利用して文章をそらで完全に組み立て、 うちに帰ってから原稿用紙に書きつけていた。 数百字程度の文章ならこのやり方が使えるし、 紙に書きながら考えるよりも早いと思う。
今はエディタでものを書くから、 思いついたことから打ち込んであとで大きく直すことが多い。 納得のゆくまで推敲ができるのは便利だが、 直しているうち文章の続きや助詞の使い方がおかしくなり、 修正しては全文を読む、のくり返しだ。 結構時間がかかるし、目も疲れる。
まず頭の中で一通り文章をしあげてからエディタに打ち込むほうが早いかも知れない。
1999-09-08 (3) 02:01:53 +0900
セガのゲーム「バーチャファイター 3tb」のキャラクタ葵のせりふ 「弱い、弱すぎますわ」を逆転再生すると 「ハーサミルサオイ、ヤオイ」と聞こえる。 ローマ字で書いてみると yowai が yaoi となるわけで、 なんとなく納得。
1999-09-08 (3) 01:55:32 +0900
料理などを「作りおきしておくと便利」というときの 「作りおき」は広辞苑第四版、岩波国語辞典第三版、 新明解国語辞典第三版には出ていないようだ。
と思ったら広辞苑第五版には出ていた。
1999-09-08 (3) 01:51:00 +0900
その原因は、 「式の羅列はいけない」という受験生向けの文章を子供のころ見たせいだと思う。
1999-09-08 (3) 01:47:05 +0900
岩波国語辞典第三版にはニュートラルな語義の説明があるだけだが、 広辞苑第五版には「無意味な数字を羅列する」、 新明解国語辞典第五版には「単語の無意味な羅列」という用例があがっている。 やはり、「無意味な」というニュアンスがあるのだろうか? わざと分類せずに並べることで読者の鑑賞を妨げないよう工夫している、 といった場合には使わない?
2005-02-10 (4) 22:43:56 +0900
机の上に山積みになっていた本の一番下から 岩波文庫「和泉式部日記」が出てきた。 愛用の革製カバーをかけたままだったので重みでその跡が本に残ってしまった。
1999-09-08 (3) 01:45:43 +0900
日本聖書協会の文語訳聖書は新組版(1982 年版)と前の版(引照付き)、 それに新組版の新約聖書詩篇附をもっているが、 リファレンスとしてのみ用い、通読したことはなかった。 (以前一度創世記の第九章まで読んで中絶したことはある。) 日本聖書協会が「2000 年を前に聖書を通読しましょう」 というキャンペーンをやっていることもあり、 せっかくもっているのだからと、 8月ごろから新組版の通読を始めた。 今は出エジプト記を読んでいるが、 創世記の中だけで三つの誤植をみつけた。
第二三章第九節「マタペラの洞穴(ほらあな)」は「マクペラの〜」の誤り。 アブラハムがサラを葬った洞穴である。 第二八章第八節 「エサウまたはカナンの女の其(その)父イサクの心にかなはぬを見たり」 の「または」は「また」の誤り。 第三十二章第二節「マハイナム」は「マハナイム」の誤り。
いずれも、 ただ通読していてひっかかり前の版と比べて発見したもの。 一字ずつ比較していったらもっとみつかるかも。
1999-09-08 (3) 01:42:28 +0900
いまは、自宅の Win95 マシンでホームページを作成し、 電話回線経由の ftp でサーバに置きにゆくようにしている。 これだと、パソコン内のを修正してもすぐに本物を変更するとは限らない。 あとでまとめてやろう、と思って何日かそのままにしてしまうこともありえる。 これではパソコン内にバックアップをもっていることにならないではないか、 と気づいた。 今は、アップロードするまでは元のを残しておくようにしている。
1999-09-07 (2) 02:42:49 +0900
もう消してしまったが、 職場のマシンの実名公開ページに“隠しページ”を作っていた。 ページそのものは隠しでもなんでもないのだが、 そこへのリンクがちょっとわかりにくいのだ。
普通、 リンクを張るときは <A HREF="..."> の ... の部分にリンク先を書き、 それと </A> の間に適当な文字列を書いておく。 するとブラウザで見たときはその文字列の下にアンダーラインが引かれ、 地の文章とは別の色で表示されるなどして、 そこからリンクが張ってあることがわかるようになっている。 (「などして」と書いたのは表示のしかたはブラウザによって異なるからである。)
ところが、その文字列を空文字列、 すなわち一文字も文字を含まない文字列にしておくと --- さらに言いかえれば <A HREF="..."> と </A> の間に何も書かないと ---、 Netscape や Internet Explorer では全く何も表示されないので、 “生身の人間”はその隠しリンクになかなか気づかないのだ。 (検索エンジンはそのリンクをたどって隠しページに達していたようだ。 goo で私の本名をひくとそのページもひっかかってきたから。)
あまりに気づかれず、つまらなかったので、別の方法も試してみた。 <BODY bgcolor="#AACCBB"> などと背景色を指定し、 <FONT color="#AACCBB"> ... </FONT> と同じ色の文字を指定すれば、 それらの文字は背景に溶け込んで見えなくなる。 そこにリンクを隠しておくのだ。 そのあたりのテキストを「選択」すればその隠れていた文字も見えるようになる。 この方法は、隠しページだけでなく、 見ただけでは見えない文字列を書くのにも使える。 いろいろなブラウザ --- 正確にはユーザエージェントというらしい --- があるので必ずしも隠していることにはならないかも知れないが。
1999-08-26 (4) 02:54:00 +0900
サーバを移動したことで、ホームページの作成法が変わると思う。 よって、いままでどのようなやり方でホームページを作ってきたか、 ここに記録しておく。
長い原稿は 98 上で Vz + 自家製 FEP で書くが、 短いものだと Win95 や WinNT の「メモ帳」で済ませてしまうこともある。 総合情報処理センターに出向いて実習生向けのページを作った際には、 unix マシンの使い方をそのマシン自身上の mule で書いたこともあった。
それをフロッピーや ftp 経由で研究室の WinNT マシン内にコピーし、 「メモ帳」を使って必要な編集を行ない、 特定のディレクトリ以下にホームページを作り上げる。
サーバだった linux マシン math.?.??????????.??.jp とその WinNT マシンは samba でつながっているので、 あとは WinNT のファイルマネージャ(って名前だったかな?)を起動して math にファイルを“平行移動”ならぬ“平行コピー”するだけだ。
この「いろいろ」だけはフロッピーに入れて自宅に持ち帰っていたが、 あとはその WinNT マシン内のファイルが唯一のバックアップ、というわけだった。
1999-08-26 (4) 02:41:00 +0900
ドメイン名の一部を伏せ字に変更した。
2002-09-15 (0) 00:13:30 +0900
8 月 6 日の夕方に、 http://math.?.??????????.??.jp/~sunomono/ から http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/ にほぼ“平行移動”した。 旧サーバの各ページのタイトルは「移動しました」にし、 内容は
のようにして対応する新ページへの案内をはかった。こちらに移動しました。 恐れ入りますが、リンク先やブックマークの変更をお願いいたします。
1999-08-26 (4) 02:14:00 +0900
ドメイン名の一部を伏せ字に変更した。
2002-09-15 (0) 00:13:47 +0900
17日付朝日新聞大阪本社版文化面に、 「遠い戦争近い戦争」という続き物の第4回 《戦争観の落差/「正戦論」にどう向き合う》が載っている。 題名では「正戦論」はかぎカッコ付きだし、 本文中で筆者の村山正司氏 --- 記者と思われる --- は 《一方、日本では「正しい戦争」はありえないとされ、 広辞苑にも「正戦」は収録されていない》 としているが、終わりのほうではかぎカッコなしで 《正戦論には》などと書いている。 どうやら「正戦」という言葉を作ろうとしているようだ。
「義戦」という言葉がすでにあるではないか? 特にそれと違う意味をこの「正戦」に与えようとしているようには思えない。 「聖戦」と同じ音の言葉をわざわざ作る必要があるとは思えないのだが。
……と思ったが、 日立デジタル平凡社の「世界大百科事典(2刷)」には「正戦」という語が出ていた。
1999-08-18 (3) 00:55:00 +0900
日本の電車やバスでは次の駅・停留所の名前を録音テープで告げるので、 広告やどうでもいいような注意まで流されていてうるさい、という意見があるが、 録音テープを使うことと駅・ 停留所の名前以外の情報を流すこととの間には直接の関係はない。
やはり専門のアナウンサーなどの読んだテープのほうが聞きとりやすいと思う。 車掌や運転手は発音がはっきりしているかどうかで雇われるのではないのだから。 中学・高校と6年間バス通学し、 運転手のアナウンスを聞き続けてきた私の経験である。
1999-08-15 (0) 00:42:29 +0900
いままで、いわゆるホームページ(正式には Web ページ) の間のリンクの張り方は、次のようにしていた。
(URL の相対指定の書き方については、 奥村晴彦さんに教わった。 奥村さんは、 最後に / をつけることは hideyuki さんに教わった(と書かれている)。)
1999-08-14 (6) 19:34:07 +0900
数日前から、 「箱根」を漢文の中に書くときはどう書くのだろう、 と気になっていた。 昨日、内村鑑三の著作集をめくっていたら偶然にも「函嶺」 という語が目にとまった。 広辞苑第四版によると「箱根山の異称」とある。
1999-08-14 (6) 19:19:18 +0900
7月のなかばごろ、 BIGLOBE にホームページを移そうと思いたった。 それまでの契約コースでは開設費用などがかかるので、 すぐに契約コース変更を申し込んだが、 実際に開設するのは契約の変更される8月になってから、と考えていた。
8月1日の1時すぎに Internet Explorer で BIGLOBE のページを開き、 (ホームページの)ユーザ名 sunomono で申し込んだが、 実際に「申し込む」のボタンを押すと文字化けした画面が現われた。 このブラウザは文字コードを時々間違える。 「日本語(自動判別)」に直したら、 エラーメッセージだった。申し込みは失敗だったようだ。 文字化けしにくい Netscape にブラウザをかえてやり直したら、 “別のユーザ名を入力してください”のようなメッセージが出た。 何度くり返してもダメだ。 使える文字も文字数も間違っていないし、 ということは既に sunomono が使われているということか? goo などで検索して、同じハンドルらしき人がいることは知っていたが、 BIGLOBE にホームページを作っているのだろうか? いるとしたら誰? ちょっと前に BIGLOBE 作ったホームページはマシン名が www2*.biglobe.ne.jp になると聞いていたので、 「*」にアルファベットを代入して片っぱしから http://www2*.biglobe.ne.jp/~sunomono/ を試したが該当ページなし。 もう一度申し込みページを見てみたら、さっきは 《「*」の箇所は申し込み時に自動的に決定されます》 に気を取られていたが上のほうに 《6/29 より新規に開設する、ホームページは、 www5a.biglobe.ne.jp となります》 とあるのに気がついた。 ということは、 この sunomono 氏のページは http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/ のはずである。 アクセスしてみると、あった。 私をあざ笑うかのように、何も置いていない。 私にいやがらせをするためだけに、 sunomono でホームページ開設を申し込んだのではあるまいか。 私はちょっと前から 「このページは8月になったらどこかへ移動する予定です」 とここに書いていた。 それと私のメールアドレスを見れば、 私がユーザ ID sunomono で BIGLOBE にホームページ開設を申請するだろうと予想することは簡単だ。 そこで先に取得した、ということは十分に考えられる。 いやらしいヤツだ。 もしかしたら、そのうち、 「この ID 買いませんか?」などと接触してくるかも知れない。 でもその誘いには乗らないぞ。 実名公開 ID のほうもホームページを開くから、 しばらくは http://www5a.biglobe.ne.jp/~XXXXXXX/sunomono か何かでやっておいて、www5b が作られたら一番に sunomono をとってやる。 などと考えていたが、 ふと、知人から 「BIGLOBE にホームページを申し込むとすぐメールがくる」 と言われていたのを思い出し、 PC-VAN にアクセスしてみた。 (PC-VAN というのは一言でいえば BIGLOBE のパソコン通信版である。 実は私はそちらでメールを読んでいる。) 予想通り、事務局から開設通知のメールが着いていた。 さっきの文字化け画面が、申し込み完了のページだったのだ。 しかしどうして「お客様はすでにホームページを開設しています」 とか言ってくれないんだ?! と思ったりもしたが、 ま、いいか。
この話には続きがある。 あの文字化け画面は何だったんだろう? そうだ、実名公開 ID のホームページを Netscape で取得する際に見てやろう、 と思っていたら、 そっちのメールアカウントにもホームページ開設のお知らせが着いていた。 そういえば、こっちでも試してみたような記憶が。 あのとき開設されてしまっていたのか。 ま、いいか。
この話にはさらに続きがある。 その後 BIGLOBE の料金を調べたら、 ホームページの初期費用と月額利用料が課金されている。 おかしいな、確かに8月になってから開設したのに、 と思ってよくよく規約を調べてみたら、 家族会員のホームページには費用がかかるのだった。 以前そう読んで納得したような気がしてきた。 ま、いいか。
この話にはさらにさらに続きがある。 ftp でホームページのファイルを置きにいこうとしたら、 パスワードが合わないのだ。 おかしい。 あの混乱のなかで、 予定していた文字列以外のものがパスワードに登録されてしまったのだろうか。 しかたがないので新しいパスワードを発行してもらった。 ホームページ用のパスワードは比較的簡単に再発行してもらえるようになっている。 ま、いいか。
(最後の段落だけは 1999-08-15 (0) に書き加えたものである。)1999-08-04 (3) 18:36:00 +0900
「該当」を「概当」と誤っていたので修正した。 メールで指摘してくださったかたに感謝します。
2003-02-19 (3) 19:16:22 +0900
最近の野球中継を聞いていると 「今シーズンの誰それの不振を象徴するようなシーンでしたね」 などと、「象徴」という言葉をよく聞く。
「象徴」の意味は辞書で調べてもらうことにしてここには書かないが、 広辞苑第三版の説明文中の 「ハトが平和の、十字架がキリスト教の、白が純潔の象徴である類」 を読むと、上の用法がこれとはかなりかけ離れていることがわかる。
私があげた例は、実は「代表」ぐらいの意味だろうか。
1999-07-31 (6) 19:20:30 +0900
刑天(けいてん)は大修館書店 「中国神話・伝説大事典」のチラシのさし絵で初めて知った。 「炎帝の臣下。首を切られ、乳を目に、臍を口にして闘った」とある。 これを読んでから、 バッハの伝記に出てくる「ケーテンの楽団」が「刑天の楽団」 に聞こえてしかたがない。 首がなければバイオリンもビオラも支えられまい。 チェロは弾けるかも知れないが、楽器に隠れて楽譜が読めないのではあるまいか? (チェロをかまえたとき、乳から楽譜が見えるかどうか、私は知らない。)
1999-07-31 (6) 00:22:57 +0900
刑天(けいてん)は大修館書店 「中国神話・伝説大事典」のチラシのさし絵で初めて知った。 「炎帝の臣下。首を切られ、乳を目に、臍を口にして闘った」とある。 よって、刑天に頭突きを食らうことはありえない。
1999-07-31 (6) 00:18:38 +0900
金沢の兼六園には人工の小さな川が流れており、 結果として橋もいくつかあるのだが、先日、 「橋を渡るたびに敵が強くなるんだよな」 と話しながら歩いている若者のグループがあった。 ドラクエIをやった世代に違いない。
(注: 「ドラクエI」はファミコン用RPGソフト「ドラゴンクエスト」の通称である。 2作目以降が出たため「I」をつけて呼ばれるが、 正式名称は「ドラゴンクエストI」ではない。)
1999-07-30 (5) 18:55:38 +0900
かつて、現在の暦をより合理的なものに改めようという動きがあったそうだが、 いまはほとんど話題にならない。 一年365日または366日は定着しているし、 「週七日制」 はユダヤ教・キリスト教・イスラム教がこれを守っているので改めがたい。 となると、曜日が毎年同じになることは望めず、 根本的な改良にはならない、というのが理由だと思う。
でも、もしその条件下で改暦案を考えるとなると、 2月が28日または29日しかなくてアンバランスであることを改める、 ぐらいであろうか。 そうなれば、 平年は2月と3月で曜日が同じなので手帳に記入する際に月を間違えやすい、 ということもなくなるだろう。 では、月の大小をどう配分するか? 以下はこの点に関する私の試案である。
大の月は平年は5カ月、閏年には6カ月ある。 伝統に基き、平年と閏年で日数が異なるのは2月としよう。 月ごとの日数のアンバランスをなくすことが目的だから、 平年の2月は30日、閏年は31日、としてみる。 すると、そのほかに年に5カ月、大の月を置くことになる。 となると、4月、6月、8月、10月、 12月の偶数月を大の月にするのが規則的でわかりやすいだろう。 もしそうしてみると、1月は現在は31日、改暦後は30日。 よって−1となる。 2月は28日から30日の+2だから、2月が終わった時点で+1。 これを12月まで続けてみると、 「−1、+1、0、+1、0、+1、0、0、0、0、0、0」 となり、2日以上ずれるときがない。 よって、季節感がほとんどずれないのだ。 8月以降は全く現在と変わらないことにも注意されたい。
とは書いてみたものの、私はこの案を実施に移せとは主張しない。 得られるものよりも混乱のほうが大きいと思うからだ。 あくまで机の上のお遊び、ということで。
1999-07-30 (5) 18:53:55 +0900
お腹をすかせたニセ預言者が、やもめ女をだましてパンを得ようと考えた。
エリヤのまねをして、このニセ預言者はやもめからパンを得た。 しかし、それを口にすると、激しい苦しみが彼を襲った。 寡婦は言う、 「だから言ったでしょ? 『それを食べて死のうとしている』って。 飢え死にするのは苦しいだろうから、 猫いらずを混ぜて一家心中しようとしてたところなのよ」。《「手に一口のパンを持ってきてください」。 彼女は言った、 「あなたの神、 主は生きておられます。 わたしにはパンはありません。 ただ、かめに一握りの粉と、 びんに少しの油があるだけです。 今わたしはたきぎ二、三本を拾い、 うちへ帰って、 わたしと子供のためにそれを調理し、 それを食べて死のうとしているのです」》 (列王紀上、17.11-12, 日本聖書協会口語訳)
1999-07-24 (6) 01:09:00 +0900
トイレの隣り合った個室から、用を足して出てきた二人の女性の会話。 「あんた、いまどきまだ『二度流し』してるの!? 水がもったいない」 「いや、あれはわたしが用を足してた音です」。
1999-07-24 (6) 00:24:00 +0900
小学生が学校のトイレで大便をしたがらない、という話を聞いたが、 その原因のひとつは今のトイレは水洗なので発生した匂いがそこで用を足している特定の個人に帰せられてしまうことだろう。 ところで、女性用トイレの「音消し水」のムダをなくすための、 ボタンを押すと水の音が出る装置がある。 これと同じ発想で、 ボタンを押すといろいろな大便の匂いが混ざって発生する装置をつけたらどうだろうか? そうすればどれが本物の匂いだかわからなくなる。
1999-07-24 (6) 00:20:00 +0900
小学生のころ、愛読書だった「科学の事典(第2版)」(岩波書店)にでていた 「ラボアジエ」を「ラボアジェ」と間違って読んでいた。 結構最近になって気がついた。原綴は Lavoisier である。
1999-07-24 (6) 00:13:00 +0900
私は 98 + DOS では自作のTコード対応 FEP を使っているが、 その他のマシンでは普通のローマ字入力である。 普段はめったに混同しないのだが、 Vz エディタの画面を見ると頭が勝手にTコードに切りかわるようで、 Win の DOS 窓で Vz を使うとちょっとパニックになる。
1999-07-24 (6) 00:04:00 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版第一面の記事「江藤淳氏が自殺」の中ほどに 《一階にある書斎の机の上に黒色のペンで書かれた遺書が残されていた》 とあるのだが、 どうして遺書を書くのに使ったペンの色がわかったのだろうか?
わかりようがないと思うので、文章がまずいのだと考えてみた。 「黒色」がペンではなく遺書にかかるのだったら 「ペンで書かれた黒色の遺書」とすればよい。 「黒色のインク」の意味なら 「黒色のインクで書かれた遺書」とすればよい。 これではボールペンと思われるかも、と心配するのなら 「黒色の万年筆用インク」とするか 「黒色のペン字で書かれた遺書」とでもすればよかろう。
1999-07-23 (5) 23:49:00 +0900
きょうの朝日新聞大阪本社版第一面の記事「江藤淳氏が自殺」の冒頭に 《……宅のお手伝いさんから「救急車を呼んで下さい」と一一九番通報があった》 とあるのだが、救急車を呼ぶときにかけるのが119番ではないか? 別の言い方をすれば、119番に電話したら 「救急車を呼んで下さい」ではなく 「救急車をよこしてください」「救急車をお願いします」 と言うものではないか? 気が動転したお手伝いさんの言葉をそのまま書いた、 というのでもあるまい。
1999-07-23 (5) 23:41:00 +0900
子供のころは「ケネディー大統領」だと思っていたのですが、 最近の新聞を見ると「ケネディ」のようです。 「ケネディー」は四拍、「ケネディ」は三拍。
1999-07-23 (5) 23:33:00 +0900