子どもにやる気を出させるにはどうしたら良いのか






進路指導はもちろん決めての一つでしょう。
医者になるため、弁護士になるため、といった目標を持たせることは「何のため」の重要な答えです。
けれど、高校以上の(中学の学習の一部だって)学習が、つきたい職業の必須条件だったり役立ったりする例は稀です。
学問で生きる人間はそうは多くないのです。

ではほとんどの子どもに共通する「何のために」の答えは何なのか…・・。
それについて、最近私はかなり感触の良い答えを手に入れましたので紹介します。

 それは
「いつかキミの助けを必要とする人が目の前に現われたとき、その人を助け、救うためには、今学んでいる知識や技能が必ず必要になる」
ということです。

すぐに思いつくのは彼らがやがて結婚し生まれてくるだろう子どもたちのことです。

その子たちが算数や国語で困っているとき、今の勉強は直接的に役に立ちます。
小学生に勉強を教えるのに小学生程度の知識では足りません。微分や積分といったおよそ算数とは関わりのなさそうなことまで学んで深い数学的感覚を身につけていないと、それは果たせないことです。
(私たち教師が今も勉強を続けなければならないことが、子どもたちに勉強を教えることの難しさの証拠です)

子どもが次ぎから次ぎへと発する疑問、
「カブトムシはどこに住んでるの?」
「太陽系ってなに?」
「1個しかないケーキ、どうやってみんなに分けたらいいの?」
……そういった疑問のひとつひとつに、一緒に悩んでいてもしょうがないのです。

しかしそんな遠い将来、そんな直接的なことでなくても、今学んでいることが必要になるケースはいくらでも考えることができます。

誰かに悩みを打ち明けられてそれに答えるためには、それこそ山ほどの本を読んでおかなければなりません。
ある日突然、開発途上国の人々を援助しようという気になっても、何の技術もない人間にはやってあげられることがありません。
友だちが大きな借金を抱えて困っているときに、どう言って助けてあげたらいのでしょう?
帳簿の計算がどうしても合わなくて困っている友だちに対して、キミは一体何をしてあげることができるのか?

これが生きることの意味にはならないと思いますが、中学生であることの意味にはなるでしょう。
吉田松陰は十歳にも満たない時期から「お前が一日怠けると、萩藩領民の苦しみが1日伸延びる」と怒られながら勉強したそうです。
まさか普通の子にそこまでは要求できませんが、目の前の問題に深く心をとらわれている子どもたちに、「愛する誰かのため」といった視点を与えてやることは、かなり重要なことだと考えました。