猿の話をしよう

猿の話をしよう。


    第一話

ある小さな島に1000匹の猿が住んでいた。ところがある年、たいへんな日照りが続き、島には500匹分の食料しかなくなってしまった。

さて、猿たちはどうするのだろう?

もちろん猿は平等にエサを分け合ったりしない。
まず子どもたちが死んでいく。
次には老人たちが死ぬ。
そして若く強い猿が500匹だけ生き残るのだ。


どうしてそんな残酷なことになるのかというと、それは次の年のようすを見てみればわかる。

翌年、島は昔のように豊かな食料に恵まれ、若く強い猿たちは次々と子を産み、島はまたたくまに元の1000匹の猿の島にもどったのだ。

もうわかったね。子どもの猿も老人の猿も、次の年に子をたくさん産むなんてことはできない。
猿たちは早く元の1000匹をとりもどしたいだけなんだ。
そのためには、今いる子ザルや老ザルが死ぬなんてことはなんでもないことだ。



さて、1000人乗りの大型客船があって、今まさに沈没しようとしている。ところがその客船には、なんと500人分のボートしかなかった。

乗りあわせた乗客たちはどうしたと思う?


人々は、まず子どもと女性をボートに乗せ、次に年老いた男が乗る。
若い男たちには乗るボートもなく、そして死んでいったのだ。

覚えておくがいい。それが人間のやり方だ。





    第二話   

猿のファミリーは群れだ。
父と母と子というような家族はどこにもない。
母ザルは子が小さいうちは母親をしているが、子が大きくなると離れて暮らすようになる。
父親なんてものは、最初からいないも同じ。
猿のオスたちは、自分の群れを守ることには熱心だが、自分の妻や子を守ろうという気持ちなどまるでない。
いや、そもそも「妻」だとか「子」なんてものがさっぱりわかっていないらしいのだ。

第二話の結論はこうだ。

父親をやらない男は猿だ



    第三話

これは私の心の中にある、大きな夢のお話です。
科学者の言うこととはちょっと違っているかも知れないが、それはそれでいいのです。

遠い、
はるかに遠い昔、
たぶん二〇〇万年かそれ以上昔のこと、
猿の一族にとても弱いグループが生まれた。

最初、彼らは仲間の猿たちと生活をともにしていたが、やがて群れからはなれ、荒野のかたすみで暮らすようになった。
と言うのも、彼らあまりにも弱く、あらゆる戦いに敗れたので、食物の豊かな草原や森、そしておそろしい動物から身を守るための木の上からも、いちいち追い出されてしまったからだ。

荒野の昼は暑く、夜は寒い。日中は太陽の熱をさけ、夜は寒さをしのぐために、この弱い猿たちは岩かげでたがいに身を寄せ、肌をすりあうようにして生きてきた。

それにもかかわらず、ときには思わぬ敵に襲われることもあった。
また、ときどき出かける狩りのときにも、命をかけて戦わなければならない。

猿たちはしかたなく、手あたりしだいにモノを持ち、それでたたいたり、それを投げつけたりして、ときには敗れ、ときには勝った。

この戦いに使うモノ―石や骨や木は、やがて「道具」と呼ばれるようになった。
「道具」を手にして歩くようになると、四つ足ではいかにも不便だ。
最初の何頭かが二本足で歩くようになると、その歩き方はあっという間に猿たちの流行になった。

けれどそうなってもまだ弱い猿たちは、いつまでたってもおいしいエサとは縁がなかった。
そこで彼らはありとあらゆるものを口にした。
木の葉を食べ、草の根を食べ、ついには死んだ動物の肉にまで手をだした。
山火事で焼け死んだ動物の肉を食べたとき、猿たちはそれが驚くほどやわらかいことに気づいた。 

「火」を手に入れると、猿の生活はとてつもなく進歩した。なぜなら、火は動物の肉をやわらかくするだけでなく、寒い夜に体を暖めたり、トラやライオンを遠ざけるのに役に立つことがわかったからだ。




氷河期がおとずれた。
他の動物たちが南へ南へとのがれていく中で、弱い猿たちの集団はここでも出遅れた。
弱い猿たちの子どもは、やはり弱かったからだ。

固いものはまったく食べることができない。母親の胸にしがみついて運んでもらうほどの力さえない。生まれてから一年近くも歩けない………。
だからといって他の猿のように、子どもをほうっておくわけにもいかなかった。なにしろ今、目の前にいる子どもを育てなければ、次に生まれる子も簡単に死んでしまうかもしれないのだ。

しかたなくひと組みの母子に一頭のオス、つまり父親がつき、赤ん坊を守りながら、みんなでゆっくりと移動を続けた


わかるね? これが人類の誕生だ。

科学者のダーウィンは強いものが生き残る「弱肉強食」という法則を私たちに教えた。けれど地上で最弱の猿たちは、弱い者を守り続けることで地上の王者になったのだ。





    最終話

困ったとき、心弱くなったとき、私は小さい声で「オレは猿じゃない」とつぶやく。それは勇気を与えるおまじないだ。

猿じゃないから弱くて当たり前なんだ、ケモノじゃないから他の者をふみつけにしては生きてはいけない。

だけど猿じゃないから弱い者を見捨てることはできない。
猿じゃないから守っていくしかない。

そして弱い者を守るために生きるなら、オレはだれよりも強くならなければならない。

心が、広く強く、そしてやわらかでなければならない。


・・・・とね。