真名毘の山の赤鬼


 ノン太が初めておとうに連れられて、真名毘の山に登ったのはまだ三歳のころだった。だからよく覚えていない。
 だがその時、すでに赤鬼の背負う“岩”はかなり大きかったように思う。そして“岩”は年々さらに大きくなっていた。
 実は“岩”は本当は岩ではなく、幾重にも折り重なった荷物だった。しかし村人はそれを“荷”と呼ぶのを嫌い、いつも“岩”と呼んでいた。ノン太にはそれがなぜだかわからなかった。

 少し大きくなると、ノン太は暇になると山に登り、小高い丘の上から鬼を見るのが楽しみになった。鬼は山の中のくぼ地で、“岩”を背負ってただ立っているだけだった。けれどその、大人の3倍はあろうかという大きな体と、歯を食いしばって立ついかつい姿は、見ているだけで心に沸き立つものがあった。そしてなぜか物悲しかった。

 ある日、見ていると三人の村人が“荷”と食べ物を持って鬼の前に立ち、「ウチの童(わらし)が言うことをきかねぇだ。何とかしてけろ」と言って差し出した。すると鬼は、「分かった」と言い、左手で食べ物を受け取ると右手で“荷”を持ち上げ、ひょいと背中に乗せた。そして“荷”は“岩”の一部となった。
 またあるとき、別の村人たちがやってきて、
「ウチの童は好きなものしか食わん。あれではよい働き手にはなれん。何とかしてくろ」と言ってまた“荷”預けようとした。鬼は「あい分かった」と言ってそれを受け取った。
 それでノン太は鬼の“岩”が次第に大きくなってきたわけを知った。

 その後も村人は次々と難題を持ち込んだ。
「長(おさ)のところの童がウチの子をいじめて困る、何とかならんか」
「孫の手習いがいっこうに伸びて行かん。これからの百姓には学問も必要だと言いきかせてもさっぱり進まん。こんなことじゃ村は隣りに負けてしまう。こちらの方も何とかしてけろ」
「ウチの村の子は全体に背が低いような気がするがどうじゃろか」
 そのたびに鬼は何も言わず“荷”を受け取ってはそれを“岩”の一部にしてしまうのだ。

 ある日ノン太はおとうに聞いてみた。
「なんで鬼は、あんなものを平気で受け取るのだ」
 するとおとうの言うには、
「それは鬼の仕事だで。あの鬼は『子ども守(もり)の鬼』といって、村の子どもことは全部やることになっとる。だからみんな、あんなふうに預けに行くのさ」

 ノン太が12歳になったころ、“岩”は鬼の10倍ほどの大きさになっていた。重さは1000倍ほどになっていたろう。
 年中、汗をしたたり落とし、その汗が悪臭を放つといって村人は毛嫌いしたが、だからといって鬼がいなくなればいいと思う人は誰もおらず、文句を言いながらも“荷”を預け続けた。そしてある日、鬼は片膝を折った。重さに耐えかねて“岩”を下ろそうとしたのだ。

 村人たちは慌てた。慌てて“岩”の一部を“荷”に戻し、それぞれ分担して持ち帰ることにした。それで鬼は楽になるはずだったが、実際はそうならなかった。なぜかというと持ち帰ったはずの“荷”を、ひとりひとり密かに村人たちが戻し始めたからだった。一度預けたものを再び返されるなんてまっぴらだと、人々は気がついたのだ。

 やがて鬼はもう片方の膝も折った。両手も地面について、荒い息で耐えるようになった。悪臭を放つ汗は、それこそ滝のように流れた。

 村人たちは再び焦った。鬼に死なれては困る。そこで一斉に牛黄(ごおう)だの苦参(くらら)だのドクダミだのといった薬を持ち寄って、てんでばらばらに飲ませ始めた。
 あとさき考えずに薬を与えるので、鬼はさらに弱った。

 村長(むらおさ)が遠くまで出かけて連れてきた医者は、あとから考えると何者だったのか、いきなり「これは心の臓に虫が取りついているのだ」と言い始め、胸を開いたが結局虫などおらず、またそのまま閉じることになった。そしてさらに鬼は弱った。

 ノン太は丘の上からその様子を見ていた。
 ほんとうにやらなければならないことは“岩”を減らすか鬼を増やすかのどちらかだが、“荷”を減らすことはもう誰も考えないし鬼を増やすことも村の経済ではとても無理だ。そのことは子どものノン太も知っていた。
 だからせめてあんなふうに、鬼の体をいじるのをやめればいいのにと思ったが、村人たちは何もせずにはいられない。
 ほんとうはノン太もイライラしていた。

 あんなふうに鬼をいじって、もし死にでもしたら、自分が大人になった時、誰に“荷”を預ければいいのか、ノン太は本気で心配していたのだ。