教師はなぜ良い子ばかりを可愛がるのか。



教師は成績の良い子やいわゆる「良い子」ばかりを可愛がるといった誤解は案外浸透しています。しかし実際そのようにしたら何が起こるでしょう。

教師に関するどのようなアンケートでも、「嫌われる先生」のトップは「エコヒイキする先生」です。
そんな状況で「いい子」ばかりを可愛がることがどれほど危険か、一度でも教壇に立ったことがある者なら、すぐにわかります。

私たちの世界では陰にこういう言葉があります。
「いい子はどうでもいい子」

教師の日常は、難しい子、困難の多い子、悲しい子との戦いの連続です。その中にあって「いい子」はどうしても放って置かれ勝ちになります。それはとても悲しいことですが、ひとりの教師に与えられている力と時間に限りがある以上、どうしてもどこかに放って置かれる子が出てくるのはある程度しかたありません。


では、「よい子ばかりを可愛がっている」と思われるような状況がまったくないか、というと確かにそう言ってはいられない状況もあります。なにしろ「いい子」は教師との関係も良いのでとかく教師のそばに寄って来がちなのです。
たとえば小学校の休み時間、教卓に座る先生の周りに、4〜5人の「良い子」が集まってワイワイと話しかけ、少し離れたところで「良くない子」(?)が遊んでいる状況を考えてみてください。その「良くない子」だって先生に話したい何かを持っているのかもしれません。
けれどそうした状況の中で、話をしたい良い子たちを突き放して「良くない子」に声をかけるのはなかなか勇気のいることなのです。学級とつながる大切な糸を、簡単に切るわけにはいかないからです。「良い子」たちだって、先生に訴えたいこと話たいことは山ほどあるのです。

また、何かちょっとした用を頼むときも、教師は自然に「良い子」を選びがちになります。
なにしろそれは「ちょっとした用」なのですから、そのたびに「何でオレが」とか、「他の人に頼めよ」などというつっけんどんな会話巻きこまれるのはシンドイことです。
しかしそうしたことも「教師は良い子ばかりを可愛がる」と見れば、そう見えないこともないでしょうね。

教師の一番大切にしている理念は「平等・公平」です。これはもう間違いありません。そうしなければ学級経営など絶対にやっていけないからです。
しかし、この「平等・公平」こそが、さまざまな問題の原点のひとつであることは確実で、その点に関しては、このサイトのあちこちで書きますので参考にしてください。