なぜ教師は,
「いじめ」がいけないことだと教えないのか。




学校と教師に関する驚くべき誤解のひとつは「子どもたちは先生の言うことは何でもきく」というものです。
これはおそらく小学校へ上がったばかりのころ、あれほど聞き分けのなかった子が、教師の指示にしたがって次々と小学生らしい態度を取り始めた記憶がしっかりと焼き付いているからでしょう。

しかしその時期ですら、子どもたちは教師の魔法の言葉にしたがっていたわけではありません。
入学式という特別な儀式を経てようやく入学した小学校、
もう幼稚園児ではないという周囲の期待と圧力、
そして何よりも、「先生」の指示に従う多くの同級生からの集団圧力、
そうしたものが子どもに影響を与えていただけのことなのです。

今日の小学校低学年における学級崩壊は、「教師が言えば子どもは従うもの」という幻想を完膚なきまでに打ち破ってしまいました。
それはなによりも、教師の指示に従わない、従うことができないという多くの同級生の登場によって、つくられた状況です。


「教師が言えば子どもは従うもの」というのは幻想です。
しかしこの幻想は強力に親の記憶に染みついて今も生きているように見えます。
そこで学校に何らかの問題が発生すると、親たちはワケがわからなくなるのです。

「子どもは先生の言うことなら何でもきく」と「学校からいじめがなくならない」を橋渡しする理屈は、
「先生はいじめが悪いことだと教えていない」しかありません。

教師にとってこれは非常に不本意な言葉です。

いじめが悪いことだと教えない教師など一人もいません。しかしそれにもかかわらずいじめがなくならない理由の一つは、
同じように教えても、それが身につく子とそうでない子がいる、ということです。

「ウチの子は因数分解ができない」
「それは先生がウチの子だけに因数分解を教えなかったからだ」
そう考える保護者は滅多にいないでしょう。
しかし、
「ウチの子は不幸にもいじめをするような子に育ってしまった」
「それは先生がしっかりと指導してくれなかったからだ」
そう考える保護者はけっこう多いのです。

同じことは、
「ウチの子は勉強のしかたが分かっていない(だから教えてください)」
「ウチの子は勉強の大切さが分かっていない(だから教えてください)」
「ウチの子は命の大切さというものが十分に分かっていません(だから教えてください)」
などにも見られます。

教えていないのではありません。
通常の学校教育では、十分に身につかない子がいるだけのことです。