まずいじめは分類しなくてはいけない


 いじめについて、私は少なくとも五つに分類しそれぞれ別な対応がなされるべきだと思っています。

@ 「ドラえもん」のジャイアンのような、片っ端いじわるをするような、古典的ないじめ
小学校低学年の以下のほとんどのいじめがこの範疇に入ります。
また中学生であっても、孤立した不良不良少年、不貞腐れた孤立者は、しばしばジャイアンです。
もちろん、何かを巻き上げられたり壊されたりすることはありますし怪我をさせられることもありますから放置していい問題ではありませんが、、この場合、いじめられる側はお互いに「お前もやられたの?」と連帯できるので、さほど深刻にならなくても済みます。
のび太には「しずかちゃん」も「できすぎくん」もいますし、場合によってはスネ夫だってこちらの仲間に逃げ込んできます。



A 恐喝など、それによって明らかな利益のある場合
殴ったり蹴ったり、嫌がらせをすれば金品が受け取れる・・・だったらある意味、いじめなければ損です。善悪の問題は別にして、いじめる側の気持ちは理解できないわけではありません。また、分かりやすいと同時に、組しやすいいじめでもあります。なぜなら、どう言い訳をしても本人たちが心の中で悪事を働いたことを十分承知しているからです。したがって発見しさえすれば、その後は通常の非行指導と同じ指導すればよいだけのことです。また内容が重大であれば、警察と連携するのがふさわしいいじめともいえます。
ただしこうしたいじめが仲間内で行われる場合は発見が難しく、自殺にいたるような事件のいくつかが仲間内で行われていることを考えると、気を許してよいようなことではないでしょう。



B 嫉妬に起因する嫌がらせ
ものが隠されたり壊されたりといった、犯人のわからないいじめ。
多くは勉強のできる子やクラスの人気者、リーダーたちが被害者になります。
そうした、いわゆる「よい子」たちには一定数以上の支持者がいますから、嫌がらせをする側にも覚悟がいります。自身の嫉妬や敵愾心・反発を表現しようとしてコソコソとした「もの隠し」や「もの壊し」にはしるのはそのためです。
もちろん犯人を探して嫌がらせを止めさせることは大事ですが、それ以前に考えておかないといけないのは、被害者の子がこのいじめを深刻なものと受け止めないよう支えてあげることです。極端な言い方をすれば一種の有名税ですから、気にしていたらきりがありません。間違ってもクラス全体から嫌われていると言った誤解を持たないよう、注意して接する必要があります。
嫉妬が学級レベルの広がりを持つことはありません。したがってこれもやはりあつかいやすいケースですが、時に、次に上げるCの前哨であることもあるので注意が必要です。


C 被害者意識を起因とし、表面的には「アイツを治してやる」という形で行われるいいじめ。
これが今日問題となっている最も難しいケースです。取りあつかいを誤ると完全な指導不能に陥ります。したがって次章以下で詳しく扱います。


D 通常の人間関係トラブルさえも「いじめ」としか意識できない子の訴えるいじめ。
学校というところは、「同じ地域に住む学齢期にある子」というだけの理由で子どもたちの集まってくる、何の統一性もない世界です。したがって日常的にトラブルが発生し、それを乗り越えるところから人間関係を学ぶ、そういう場所です。
しかしそうであるにもかかわらず、トラブルのいちいちをいじめとしか感じられない子がいます。

小学生だと、友達から注意されただけでも「いじめ」だと訴えます。静かにしているべきときに大騒ぎをしてみんなから一斉に注意されると、「みんなからいじめられた」ということになります。困ったことに、そうしたときの彼(彼女)はウソをついているのではなく、本当に傷ついているのです。
中学生だと、しばしば彼らは「いじめ」の加害者でいる時間の方が圧倒的に長いことがあります。にもかかわらず、自分に番が回ってきた時には「いじめだ」「いじめだ」と大騒ぎし、引きこもったりします。
教師たちが「いじめられる側にも問題がある」という場合の多くがこれで、「いじめはやったほうが悪いの、被害者には罪がない」と言われると面食らうのはそのためです。


 私の分類が絶対に正しいとは言いませんが、こうした分析なしに「いじめは、すべていじめ」といっても、埒が明きません。

「最近のいじめは複雑で、いじめる側といじめられる側が一夜にして交代してしまう」と言いますが、それは被害者意識の強い者たちがCとDの間をめまぐるしく移動しているだけの話(簡単に言えばいじめの回し合い)で、@のジャイアン=のび太のようないじめを思い浮かべている人には何のことやら分かりません。ドラぇもんの道具でも使わない限り、のび太とジャイアンが一夜にして入れ替わることなどないのです。

「本人がいじめだと意識すれば、それはいじめだ」という有名な定義もありますが、これもDに当てはめると困ったことになります。なぜなら、それまで大騒ぎをせず我慢してきた子たちが、一度反撃しただけで「いじめの加害者」にさせられてしまうからです。それではかないません。

 また、いじめの始まりといじめの継続には何のつながりもなく、いったんスタートしてしまうと、いじめられる子は(CDの入れ替わりの場合を除いて)ずっといじめられっぱなしです。

 のび太は最初、運動神経が鈍いからジャイアンたちにいじめられたのかもしれません。あるいは突拍子もないことを言ったりしたりするからいじめられたのかもしれません。しかし今ではいじめの契機については誰も覚えていません。

 現在ものび太がいじめられ続ける理由を、スネ夫は鮮やかに表現します。
「のび太のくせに、なまいきい言うな!」
 つまり、のび太は「のび太だから」いじめられるのです。こうなると救いはありません。

 本来はこうしたこともきちんと検証し、対応を分けなければならないと思うのですが、教育問題については、とにかく状況分析ということは避けられています。
 不思議なことです。