なぜ子どもたちはいじめるのか。
ここでは前の章のCについて改めて考えます。
なぜ子どもたちはいじめるのか。これに関しては諸説ありますが、大きく
と大別してみるのはどうでしょう。
「欲求不満説」は学校の管理教育や厳しい受験体制によって高まった欲求不満が、特定の弱い部分へ向かって行くと考えるものです。
しかし欲求不満の結果ガラスやドアを叩いて壊すというのは分かるような気もしますが、目の前でのたうち苦しむ同級生の姿を見ながら発散するという考え方は、どうもしっくりきません。小学校の低学年以下の子どもたちならまだしも、それ以上の年齢の人間がそこまで残酷になれるというのは理解しがたいことです。
またもし管理教育が原因なら、管理がもっとも行き届かない崩壊学級や子どもが自由に飛びまわっている(いわゆる)底辺校では、いじめの余地はほとんどなくなってしまいます。逆に、ミッション系を始めとするお行儀の良い、管理し尽くされたような学校こそいじめの温床となるはずです。
厳しい受験体制も同じです。それが原因なら都会の有名私立校、地方の進学校こそいじめがもっとも頻繁に起きるはずですし、何より予備校や進学塾がもっとも危険な場所ということになってしまいます。
しかし現実はむしろ逆なのです。
「異端排斥説」と私が呼ぶのは、学校があまりにも一辺倒な教育をしたため、子どもたちが多様な生き方を許さなくなり、そのために集団に適合しようとしない者を排斥するのだという説です。この説が正しいのなら、いじめはむしろ減って行かなくてはなりません。
現在の学校は、かつてのようにみんなが席についてまっすぐに前を向いて授業を受けるようにはなっていません。
子どもたちが異端を排斥し、いわゆる「グズ」や「のろま」を廃し、宿題や掃除をサボる者(学級の最初の時期、こうした子どもたちはむしろ少数派ですから)を正そうとするなら、学校は異常にきちんとした場所になっているはずです。しかしそうなっていないことは、誰でも知っています。
「集団心理説」は「一旦始まってしまったいじめが止められない事情」を十分に説明してくれます。しかしなぜいじめ集団が形成され、ひとりまたは少数に向かってエネルギーを集中できるのかという点は説明してくれません。集団心理説ではいじめの端緒がわからないのです。
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いじめに関して最も納得できる説明をしてくれたのは高垣忠一郎『登校拒否・不登校をめぐって』(青木書店、1991)でした。
「しかし高学年にもなってくれば、自己客観視に必要な認識面での能力は、それなりに発達してきているはずであり、それができないとなれば、自己客観視を困難にする他の要因を考えねばならない。
そのような要因の一つとして考えられるのは、被害者意識である。いじめる側の心のすみにでも被害者意識があれば、それが邪魔をして、自己の加害者としての立場に気づかせないことが往々にしてある」
しかし私はさらに一歩進んで、この「被害者意識」で説明できないいじめは(幼児と恐喝の場合を除けば)まったくないと言っていいほどだと感じています。
いわゆる「グズ」や「のろま」が標的にされるのは、彼らが学校の集団活動においてしばしば後の加害者たちに迷惑をかけるからです。人と違った子、集団生活から外れてしまう子に対するいじめの場合もおなじです。
優秀な良い子が標的になるのは、その子が彼らを相対的に低い位置に置くからです。
不良仲間からの足抜けしようとする者や、不良仲間と良い子仲間に二重に足を置く者は、不良グループの威信を傷つけ、彼らを否定するからいじめの標的となるのです。
誰かから直接的な被害を受けた(攻撃を受けた、いやなことを言われた、仕事を押しつけられた、足を引っ張られた等)という意識は、「相手も同じように傷つくべきだ」という思いを生み出します。
公平を求めることは正義であるから、口で言ってもわからない、何度言っても改善が見られないなど通常の方法が通用しないと、暴力やいやがらせも仕方ないといった意識が芽生えます。
こうした事情を背景として、被害を受けていると意識する子たちの中からあるいは被害者を代弁する形で加害者は現われてきます。
加害者に被害者意識を与える相手は、必ずしも差別やいじめの対象者自身ではありません。
社会、家庭、あるいは学校、担任教師、友人、先輩などその子を取り巻く環境の中の何かが彼を被害者に追い込んでいるとしたら、似たような環境の中でのうのうと生きてい別の人間は許せなくなってきます。
同じような環境に生きる人間ならば同じように苦しむべきだと、その子の主観は訴えます。
これをまとめると次のようになります。
被害者意識の内容 |
T、直接的な被害意識 ・攻撃を受けた ・いやなことを言われた ・仕事を押しつけられた ・足を引っ張られた U、集団内部における被害者意識 ・自分だけが目をつけられている ・自分だけがいじめられている ・自分だけが厳しい環境にいる ・学習についていけない |
V、将来の被害を回避しようとする意識 ・自分も差別されてはかなわない ・いじめられる側には回りたくない |
主観的な正義 |
・攻撃以外に自己を守りきれない(正当防衛) ・相手も自分と同じ目にあうべきだ(公平) ・同じ立場の者がのうのうと生きていてはいけない(公平) ・不公平は許せない(公平) ・みんなのために誰かが立ち上がらなければならない(被害者の代弁) |
(正義は感じていない) (あきらめている) ・正しくはないが仕方ない |
攻 撃 |
いじめ 差 別 けんか |
被害者意識に強く捉われた子たちは、その自己中心的な主観において厳しく平等と正義を求めている、
そう考えて初めて差別やいじめの執拗さや積極性、いじめることへのためらいのなさや情熱は理解できるのです。
つまり、被害者意識を持ちやすい子どもたちの意識を変えない限り、いじめはなくならないと考えます。