なぜ学校はいじめを防げないのか



なぜ学校はいじめを防げないのか。
解答は2点です。

第一は、いじめが極めて発見しにくいこと。
第二に、いじめる側の論理を突き崩せない。

まず、いじめが発見しにくいという事情について考えましょう。

なぜいじめが発見しにくいか、
これはもともと子ども社会と大人社会との間に見えない壁があることを前提として考えなければ理解できません。

私が子どものころもそうでしたが、子ども社会のできごとは子ども同士の中で解決するのが仁義です。
仲間内で起こったことを何もかも大人に報告してしまうような子どもは、今でもずいぶんと煙たがられるものです。ましてや子ども同士のトラブルとなれば、それを大人に解決してもらおうとするのは重大な裏切りです。
そうした子ども社会の閉鎖性が、「いじめ」を見えにくくする第一歩です。

ここ十年あまりの間に世間を震撼させた二つの大きな「いじめ=自殺事件」(ひとつは1986年に「生きジゴクになっちゃうよ」と書き残してなくなった東京の中学生2年生、もうひとつは1994年「もっと生きたかったけど、see you again」と遺書を残した愛知県の同じく中学2年生)は、ともに仲間と目された同級生から受けたいじめでしたから、訴えることは仲間を売ることにも繋がったのです。

いじめが発見されないもうひとつの理由は教師に対する不信です。
今から半世紀ほど前の教師たちはほぼ絶対的な権力者でしたから、最終的にはどんな問題もそこへ持って行きさえすれば解決できたのです。
友だちからいじめられたというようなことも、教師に通報すれば教師は解決してくれました。
なぜなら多くの子どもたちが教師の指示に従うことを当然のことと考えていましたし、いざとなれば暴力を使ってでも教師は悪辣ないじめっ子を押さえてくれたからです。
しかし現在ではそういうわけには行きません。

よく「教師はいじめを絶対許さない」という強い姿勢を持ちなさい」
と言われますが、「絶対に許さない」の意味が具体的に不明なのです。

これに関してはむしろ子どもたちの方が良く知っています。
「絶対許さない」の意味は、教師の説教、そして最悪の場合は家庭連絡という程度のことです。
もちろん加害者が親のことなどまったく考えない生徒の場合、家庭連絡などはむしろ滑稽であって何の意味も持ちません。

教師はいじめを解決できないだろう、もしかしたらできるかもしれないができない公算も高い。そうなると被害者の子どもは決してしゃべろうとはしません。




いじめる側の論理を突き崩せない
「いじめは無条件に良くないこと」それはその通りです。しかし現場ではその「当たり前のこと」が簡単に通って行きません。
なぜなら前の項で書いた通り、いじめる側にはある種の正義感があるからです。
前項で私は、
被害者意識に強く捉われた子たちは、その自己中心的な主観において厳しく平等と正義を求めている。
と書きました。
つまり、特定の誰かに嫌な思いをさせられた生徒本人、あるいはその気持ちを代弁するかたちで加害者は立ち現われてくるのです。

多くの場合彼らは自分たちのしていることを悪だとは思っていません。
自分たちが感じてきたいやな思いや被害を考えると、少々のことは許されて当然だと感じています。
それがどれほどひどいいじめであっても、恐喝が絡む場合でさえも、「オレたちも悪いがアイツだって悪い」と、罪は相殺されていきます。

このような場合、彼らがしてきたことを具体的に示してやることはかなり有効です。
しかしそれでもなお、最終的に悔いるところまでも持ちこむことは容易ではありません。
それは、心の痛みと言うものが常に主観的なものであり、自分の痛みは相手の痛みより大きく見積もられるのからです。

「ぼくが」そして「ぼくらが」今日まで味わってきた苦しみに比べれば、アイツの苦しみなど大したことはない、加害者の心の中にいつまでもくすぶっているのはそうした思いです。
ましてや直接の被害を受けたものでなく、友の痛みのために戦う気分になっている加害者にとっては、いじめることは友情であり、子どもにとって友情を守ることは最優先の正義ですから、簡単には引いてはくれないのです。


かつては両者痛み分けというかたちに持ちこみ、加害者の面子を立てたり気持ちを汲んだりすることでいじめ問題を解決する方法も用いられました。
「アイツだって悪い」という加害者側の論理を一部認めてやったわけです。
しかし現在それはできなくなりました。
「いじめられる側にも落ち度がある」という言い方を教師は決して口にしてはいけないからです。

どんな場合もいじめられる側にはまったく落ち度がない、加害者は全面的に悪である。
こうした立場から指導を始めると、加害者の子たちは絶対に納得しません。
そしてそうした指導を続ける中で、教師と加害者生徒との人間関係は果てしなく悪化し、遂には指導のために呼んでも来ない等の完全な指導拒否に至ります。
こうなるともういじめの指導はまったくできなくなってしまいます。