どうしたらいじめをなくせるのか
「どうしたらいじめをなくせるのか」
この問題に、私のような一介の教員が明確な答えを出せるはずがありません。
それが可能なら「いじめ問題」はずっと以前に終わっているはずです。
「いじめ」は、不登校と同じように、始まってしまったら解決は非常に困難なのです。
ただし難しいながらも、解決の糸口、ヒントらしきものはないではありません。
そのひとつは、目前の問題解決(ないしは回避)と根本解決を分けて考えるということです。
具体的に言えば、今、目の前で苦しんでいる子はどんなことをしてもその場から救い出さなくてはなりません。
カリスマ的に強権を発動できる教員(簡単に言えばとても恐ろしい先生)は、まずそれを使えばいいでしょう。そうでない教員は、私のように自動販売機方式生徒指導といった独自の方法を持つしかありません。
2007年1月に教育再生会議が必要と報告したいじめる児童生徒の出席停止も、この限りにおいて有効です。
いずれにしろ、日々起きているいじめに取り合えず待ったをかけなければ、被害者が危険です。
そうして被害者を加害から確保し、時間的余裕を生み出したところで、根本的な指導を行います。
それは例えば、自分の犯したことをまざまざと思い知らせるといったことです。
加害者の子が加害に至る間の具体的な事実をつぶさに検討し、「いじめ」以外に取るべきもっとよい方法がなかったか考えさせることも必要です。
それらが事件自体にたいする根本的指導です。
さらにもうひとつのステージをすえる必要があります。
それは加害の子の生活環境に手を入れるということです。
このサイトでは、いじめの原因のひとつを加害者の中にある被害者意識に求めています。実際、いじめの加害者になるような子は、自分自身や周囲に何らかの不幸を背負っています。
したがって私たちはその不幸に手を入れなければなりません。
保護者と繰り返し話をして、その子の恵まれなさの根を探り、対応しなくてはなりません。
校内について言えば、勉強ができないと言うことが不幸の原因である場合が少なくありません。かなり成績のよい子であっても、自分の必要とする学力(例えば志望校に入るだけの学力)と比較して成績が低ければ、それは不幸です。ましてやあの教科もこの教科もわからずどこから手をつけていいのかわからないような子は、常に心を狭くしていなければ生きていけません。
そのようなことにも手を入れていく必要があります。
さて、一人の教員が学級担任をし、教科担任をした上でいくつもの校務を掛け持ちで分掌する状況で、以上の内容をすべて行わなければならない、それだけが残された問題です。