「お前は絶対に受けさせない」と教師がいう時



前項までに申し上げた通り、
高校の序列化は地域の伝統によって大枠が決まっており、高校の定員が細部を決定する

という仕組みになっていて、これについては中学校教師の責任は限りなく軽いと言えます。そして
高校受験に関する進路指導は、教師にとって徹底的に受身の指導である

はずです。

しかしそれなのに相変わらず「先生が受けさせてくれなかった」「先生に高校を決められてしまった」「先生に〇〇高校へ行けと言われた」といった訴えが後を断ちません。

なぜ教師は生徒たちに自由に高校受験をさせようとはしないのでしょうか?


それは今まで申し上げてきた入試制度の中に秘密があります。

前項までの例をそのまま引き継ぎますと、地域のトップであるZ高校の定員は200名、各中学校の仮想の割り当ては20名ということになります。20人中何らかの理由でZ高受験を見送る生徒を5人ほど予定して、1中学校上位25位までが合格の可能性のある生徒です。
つまり、最終的に上位25%以内にいる生徒の内の20人だけが受験に向かってくれれば教師としては楽なのですが、実際にはそうはなりません。3年生の4月段階で進路希望調査をしますと、Z高の志望者は40名(全体で400名)ほどにもなってしまうからです。

それがスタートで、そこから長い受験指導が始まるのです。


成績が上位10番くらいまでで安定している生徒に対しては「まず大丈夫でしょう」といった言い方ができますが、それ以下については不確定です。したがって私たちは「心配せずに頑張りましょう」とか「ギリギリまで判断を待ちましょう」、「危ないといえます」とか「かなり危ないです」とかさまざまな言葉で状況を説明します。
こうして、繰り返し行われる実力テストと指導の中で、40人の内の何人かがY高やその他の高校へと志望を変更して行きます。

しかしこの場合も40位の生徒から順に変更して行くわけではありません。
前にも言った通り、まずZ高にこだわらない生徒が引きます。続いて35番前後の生徒も引きます。さらに25番前後でも「もしかしたら」という不安のために引き下がって行きます。
ところが30番以下でも絶対引かないような生徒や保護者もいます。

生徒自身が、状況や自分自身を省みず、担任や保護者の言葉を無視して「とにかくZ高へ行きたいんだから受ける」の一点ばりの場合があります。「失敗したらまた来年受け直せばいい」といった考えに同調する保護者はほとんどいませんが、本人がそう思いこんでるのでなかなか動きが取れません。

それとは逆に、本人がさほどでないのに保護者が強硬な場合もあります。最後の最後になって
逆転満塁ホームランのような奇跡が起こることを期待している保護者もいれば担任がZ高受験に否定的なのは3年間子どもが迷惑をかけ続けた復讐かもしれないと疑っている保護者もいます。彼らは往々にして学校を信じていません。また、
入試のシステムをある程度知っていて「ごね得」を期待している保護者

もいます。
「ごね得」。そうです。それが問題なのです。

進路指導の最終局面は、新聞紙上で発表される受験予定者数との睨めっです。
200人定員のところに250人の志望者がいれば各中学校平均して5人を引き下がらせないと5人全員が落ちてしまう可能性があります。200人なら一応、Z高に関する指導は終了。しかし志望者が203人なら……これはかなり微妙な数字となります。
なぜなら、203人なら、全員が合格する可能性も生まれてくるからです。

都道府県各教育委員会は通常、不合格者を出すためにはひとりひとりについて詳細な報告書を上げなければなりません(これはおそらく不合格者からクレームがついて裁判にでもなった際、明確に理由を説明しなければならないからでしょう)。生徒指導的な(つまり不良行為や非行)は不合格の理由にしてはならないという内規がありますから、合否は純粋に成績によってなされます。つまり学力的に何らかの問題があることを証明しない限り、その受験生を不合格にすることができないのです。しかしそれがなかなか容易ではないのです。
例えば189番の合格者から203番までが同点か1点刻みの点数を上げている場合、ここに合理的な線を引くことなどできるはずはありません。

そこで各都道府県教委は校長裁量という名の少量の枠を設け、定員を越えて合格者を出すことを許しているのです。つまり203人は決して多すぎる人数ではないのです。

受験者数が203人で、自分の中学校からの受験者で最低の成績の生徒が校内26位ならこれはしめたものです。どんな場合にも無謀な受験者というものはいますから、飛び出した3名は他校が送り出した「無謀な受験者」である可能性が高く、仮にそうでない場合でも26位はかなり善戦できそうだからです。私だったら多少の迷いを持ちながらも、ゴーサインを出します。

しかし同じ203人でも自分の学校の生徒が校内30位だったらどうでしょう? 実はそれでも合格の可能性は五分五分以上だと私は感じています。
それにはいたって合理的な説明ができます。

校内30位のその生徒を含めた「無謀な受験者」が5人いて、入試成績を並べると、他の198名からぐんと引き離されたところにひとかたまりになっていると想定します(そういうことはおおいに考えられます)。
そうなると高校には二つの選択肢が残されます。
5人全員を不合格にして報告書を上げるか、
それとも5人をひっくるめて合格にしてしまうかのどちらかです。
そしてほとんどの場合、後者が選択されます。

なぜなら、定員を割ってまで5人もの不合格者を出すには、十二分な説明が必要になるからです。
こういうことに関するメディアの突き上げには大変なものがありますから、おいそれとは不合格にできません。
さらに、受験者数が200人以下になれば(よほど単独で大きく引き離されない限り)、校内30番以下でも、もう合格は決まったようなものです。

ここに「ごね得」が生まれます。

思い出してください。
最初400人だった志望者がどのようにして203人まで減ったのかを。

さまざまな理由によって生徒はひとりひとり自分の夢を断念して行きました。中には気楽に変更する者もいますが、多くは断腸の思いで変更を余儀なくされた者たちです。彼らは教師に信頼を寄せ、教師の言葉を信じたために断念せざるを得ませんでした。

担任としての私は、不安のために夢を棄てた24番の生徒のことを思います。
あるいはそのまま待っていれば良かったのかも知れない26番の生徒のことも考えます。
こういう結果になることが分かっていたら28番の生徒だって可能性があったはずです。
けれど彼らは私の言葉を信じたために夢を棄てざるを得ませんでした。
私としても24番・26番・28番の生徒全員を待たせるわけには行きません。この生徒たち全員が受験すれば30番の生徒も含め、2〜3人の不合格を覚悟しなければならないからです。

さて、「なぜ学校は生徒を輪切りにしたがるのか」「なぜ自由に受験させないのか」の答えは以上です。
教師に信頼を寄せ、素直で、ここまで精一杯努力した生徒の夢を打ち砕いた後で、その子たちの犠牲によって、本来は合格するはずのない生徒が合格して行くとしたら………そしてそれが頭がいいだけでほとんど努力もせず、中学校生活を好き放題に送った生徒だったとしたら………。

私でさえも「お前だけは絶対に受験させない」「内申書も書かない」と叫びたい欲求に駆られます。

学校はそもそもが保守的・防衛的なところですから、教師が生徒や保護者とのトラブルも辞さず、「お前だけは絶対に受験させない」「内申書も書かない」叫ぶのは、おそらくそうした場合だけ
です。

学校が「正直者がバカを見る」世界であってはならないというのは、教師に共通の思いです。しかしそれにもかかわらず、すべての子に自由な受験を保証せよというなら、そもそも合否にかかわる教師の指導を全面的に禁止すべきでしょう。なぜなら、教師に信頼を寄せる生徒は、そのことによってすでに自由ではないからです。