心にヤスリをかける
大昔、40年か50年、あるいはそれ以上の昔、地域には「地域子ども社会」と呼びうる縦系列の軸をもった集団がありました。子どもたちはその中で傷つきながら人間関係や社会ありかた、不条理を学んできました。そして
子どもたちは放っておいてもいつしか心にヤスリをかけられ、容易に傷つかない強い心を持つように育ってきた
のです。
しかし状況は変わりました。子どもを繰り返し優しく傷つけてくれる地域子ども社会は、もうどこにもありません。今もそれに似た環境は公園デビューが可能な一部の地域と幼稚園・保育園の中に残っていますが、それも常に大人から監視された限定的な子ども社会でしかありません。
だとしたら私たちはどのように子どもの心にヤスリをかけ、人間関係を学ばせたらよいのでしょう?
答えは私たちが極めて人工的な文明社会と呼ばれる世界に生きているという点の中にあります。社会が人工的なら、その世界における子育ても人工的でなければならないということです。意図的で計画的な子育てを行って初めて、「普通の子」が育ってくるということです。地域子ども社会がなくなってしまった以上、自然の放っておいたら子どもは育たないのです。
子どもはまず、赤ん坊のころからできるだけたくさんの人の抱かれるように仕向けなければなりません。人見知りをする子はどうしても抱いてもらったり遊んでもらったりする機会が少なくなりますから、人間関係を学ぶ上で不利です。ですから他の子より余計に人と出会う経験を積ませなくてはなりません。
子どもが母親にべったりとくっついて離れないとしたら、それはもしかしたら母親の愛情が十分に伝わっていないのかもしれません。生まれたその日から、「泣けば、すぐに駆けつけてくれる人がいる」「空腹や排便で不快な時にはすぐに助けてくれる」「いつでもそばにいて温かみを伝えてくれる」そういう経験をずっと続けてきた子は、安心して親元を離れていることができます。親元を離れて少しくらい冒険をしても、帰るときには必ずそこにお母さんがいてくれるからです。そう信じられるからです。これを基本的信頼感と言います。
他人に対して容易になつかない子は、もしかしたら社会に対する母親の不信感を共有しているのかもしれません。母親が安心して子どもを他人の手に委ねないから、子どももまた警戒心を持ってその人に接するのかもしれません。何も考えずに赤ん坊をホイッと他人に抱かせてしまう母親の子は、何も考えずにホイッと抱かれてしまうものです。
挨拶は人間関係の基礎ですから、できるだけ早くからしつけなくてはなりません。「おはよう(早いですね)」「こんにちは(今日は・・・)」「こんばんは(今晩は・・・)」は、言葉としてはまったく意味のないものです。しかしそれは「私に話しかけてもいいよ」「私としばらく人間関係を結びましょう」という重大なサインです。挨拶をきちんとして他人から声をかけてもらうことは、とても重要なしつけです。
3歳を過ぎたら、店屋で欲しいものは自分で探さなくてはなりません。大切なことは「他人とコミュニケーションをとる」ということですから、何か分からなくて困ったら子どもが店員に話しかけ、自分自身の力で情報を手に入れてくる必要があります。基本的に、店の人というものは丁寧で優しい対応をしてくれるのが当たり前です。知らない人との会話を店屋から始めるのは、そうした優しさの保障された人々と始めるのが適切だからです。
前にも書きましたが、郊外の大型団地で「公園デビュー」といったことができる人は幸せです。しかしたいていの人は子どもの少ない地域で暮らしていますから、引っ越すことができないなら、別に同年代の子どもが大勢いる場所を求めなければなりません。可能なら、できるだけ早く保育園に入れましょう。保育士に管理された場とはいえ、幼児は常に我がままで身勝手で残酷で容赦のない人々です。そこでたくさんケンカをし、イジメられ、多少のケガをしたりたくさんの病気をもらってきたりすることが大切です。
心にヤスリをかけ体に免疫をつくる時
です。