初期の不登校にどう対応していくか



 「不登校については登校刺激を与えず、本人のエネルギーが十分に回復するまで、ゆっくり休ませるのが有効」
 ここ20年あまり、ずっと言われ続けてきたことですが、私には、この説がまったく理解できません。

 実際、私たちが日々活動できているのは、心的エネルギーによって動かされているのでしょうか? そのエネルギーはしばしば枯れるので、休養することによってエネルギーを充填しなおし、また仕事に向かう・・・私たちはそんなふうになっているのでしょうか?

 私はこの、人間の心はロボットのようなものだという考え方がどうしても理解できないのです。休養がエネルギー充填につながるなら、例えば長期休業の後は力に満ち満ちて職場や学校に行くはずなのに、実際にはとても気が重い・・・、ブルー・マンデーというように月曜日が重い、年末年始休みやお盆休みの後、改めて職場に向かうの気が重い・・・なのに不登校の子だけは休むことによってエネルギーが溜まり、洋々と社会に出て行く、そんなことがあるのでしょうか?

 わずか数日の休みでもそうなのに、1ヶ月も2ヶ月も休んだ後、意気揚々と学校に出て行けるなどありえないことです。学校は日々動いていますから、わずか数日のうちにも人間関係は変化し、1ヶ月も休んでいるうちには「その子なし」の生活が学級の中で定着してしまいます。
 友達関係も生徒会も部活もその子なしで十分やっていける・・・逆に言えばその子の居場所がなくなってしまうのです。さらに学習は、その子が来ないからといって待っていてはくれませんから、どんどん先に行ってしまう。1ヶ月も休んでいたら英語や数学などまったく分からなくなってしまいますし、社会科や理科でも大きな穴ができてしまい、容易に授業に溶け込んではいけません。一言で言えば、
 「いまさらどのツラを下げて言ったらいいのかわからない」
 そんなふうになってしまうのです。
 
 初期の不登校について言えば、教師も保護者も、あの手この手のすべてを使って子どもを学校に行かせるように登校刺激を与え続けることが大切だと、私は考えます。教室の片隅でもいい、クラスのどこかにつながっている限り何かが起きます。苦しいことや辛いこともあるが、楽しいことも面白いことも山ほどあるのが教室です。また学級内の人間関係はそこそこに流動的ですから、その子の繋がるべき友だち関係も教室の中に繰り返し生まれてきます。とにかく教室へ行っている限り、何らかの可能性が生まれてきます。
 
 学校に行きたくない子に登校刺激を与えると情況は更に悪化するという考えが根深くありますが、私はそうは思いません。
 根拠のある論理ではなく経験的な感想なのですが、家に引きこもってしまう子は登校刺激を与えても与えなくても、結局、引きこもってしまいます。ダメな時はどちらにしてもダメですから、登校刺激を与えても被害は大きくないのです。逆に引きこもらずに済むかもしれない子に対して、この時期に登校刺激を控えるのは愚かなことです。救える子を、みすみす不登校に沈み込ませてはいけないのです。