誰も責めてはいけない



 私はここまで、子どもを不登校や引きこもりにしないためのさまざまな方法について話してきました。しかし、そういうことができなかったからといって、それが悪い親だったりダメな親だったりするわけではありません。
 
 人は子育て試験に合格したから親になるわけでも、子育てを学んでから親になるわけでもないのです。また、子育ては詰まるところ才能とセンスの問題ですから、時には「なんであんなにくだらないヤツのところに立派な子どもが育って・・・」と思うような例もあれば、「あれほどしっかりしたご両親に育てられながら、なぜあんな子が・・・」という場合だってあります。
 確かに、多く不登校の児童生徒のご家庭と接してくると「このやり方では・・・」と感じることも少なくありません。しかし同じやり方をしながらも子どもが不登校になったり非行に走ったり、あるいは別の問題を起こしたりといったことのない例もたくさんあるのです。

 子どもが不登校になると保護者、特に母親は周囲から責められ、またご自身でも自分を責め続けることが少なくありません。
 しかしそれはあまり意味のないことです。


 私は不登校の原因は人間関係不全だと言い、その更に原因は文明化と少子化だと言いました。しかしそのいずれもが特定の個人や特定の家族に起こるものではなく、日本人に等し並みにやってきたものです。したがって、ある家に不登校の子が出て別の家に出なかったことについては、親の養育と教育環境の不幸な適合、あるいは親の状況と教育環境の不幸な適合、つまり偶然の要素が非常に強いと考えます。

 そうでない例ももちろんあります。しかし責任を追及しても意味ある方策が出てくるわけではない以上、むしろ「あなたに責任はない」、もしくは「あなただけが責任を感じる必要はない」、さらに「親である以上責任はあるにしても、基本的には避け得なかった」と、そんなふうにしておくのが妥当です。
 お知り合いに不登校で悩む保護者がいたらその人に、ご自分がその立場であればご自身に、そう言って励ましてやらなくてはなりません。
 
 同様に、教師もまた自己の責任として不登校の問題を引き取る必要はありません。たしかに、不登校の引き金さえ引かなければ「人間関係不全」という銃弾は弾倉の中で溶けて行ったのかもしれません。引き金を引かないことに才能のある教師が数年続けて担任をしていれば、きっとそうなったでしょう。しかしその子が、そうした超優秀な教師に会い続ける可能性は極めて低かったのです。あなたが引き金を引かなければ、別の誰かが引いていたに違いありません。
 
 結局、不登校について誰かを非難し続けることは、何の意味もないばかりか、本質的な問題解決を遅らせるという意味で、やってはいけないことなのです。