不登校の奇跡



 不登校が1年、2年と長引くにつれて、打つ手は次第に少なくなっていきます。最初のうちは夜討ち朝駆けで頑張っていた担任も次第に疲弊し、家庭訪問の回数も減ってきます。その間に担任が交代したり本人が進学したりすると、新しい担任は人間関係づくりから始めなくてはなりませんから更に時間がかかります。
 
 長く学校に行かないうちに勉強はますます遅れ、中学生でも九九が怪しくなり、アルファベットも言えなくなったりします。かつての友だち関係もすっかりなくなり、成長の激しい時期だけにウッカリすると顔も分からなくなってしまいます。そうなるともう絶対に教室に戻ることなどできません。あとは条件を整えて、奇跡を待つしかありません。
 
 ところが、不登校の現場では、この「奇跡」が奇跡の名にふさわしくないほど、しばしば起こるのです。
 
 前にも引用したカウンセラーの富田富士也は、出した投書が朝日新聞に掲載された途端に学校に戻った女の子の話を紹介しています。「天下の朝日新聞が認めた私」は学校に戻れるのです。

 私も、きわめて不登校傾向の強い生徒が、名の通った進学校に合格すると同時に様子が一変し、高校は一日も休まずに通うことができたという経験を持っています。中3の後半はほとんど勉強もしていなくて、合格などとても覚束ないと思っていたのですが志望変更したところでそちらの学校に行くはずもなく、それならいっそ本人の意に任せてしまえと受験させたら、運良く受かってしまったのです。
 また、小学校の最後3年間、ほとんど完全不登校で中学校に入学してきた子が、何とか半月だけ登校しているうちに演劇部の顧問とウマが合い、結局、中3の文化祭には部長兼主役として八面六臂の大活躍で卒業して行ったということもありました。

 京都府の相談員の野村知二は論文「不登校をめぐる困惑」の中で、うろたえた保護者の狂気めいた登校刺激で学校に行けるようになった例が挙げられています。
 『まわりからは子どもの状況を無視したような親自身のあせりにしか見えなくても、その「勉強に遅れる」恐怖をテコにして強い登校刺激を与え、それが実際に登校に結びつくこともあるから話はややこしい』
 また同じ論文の中で、整腸剤やビタミン剤などの薬を、さも意味のある薬であるかのように処方して、「これで治るからがんばって学校行きなさい」と言われた子が登校できてしまった例も挙げ、ここでも「ややこしい」という表現を使っています。
 
 これらはすべて、それまでの重苦しさや努力の甲斐のなさ、アプローチに対する反応の悪さから考えると「奇跡」としか言いようのないものなのですが、実際に学校に行くときは行ってしまい、それまで大変な努力をしてきた教師や保護者を唖然とさせたりするのです。
 
 そもそも「不登校については登校刺激を与えずに、ゆっくりと休ませる」という方法にしても、それでうまくいったケースがいくつか(それも他に比べてかなりの量で)あったからこそ広く流布されたものです。私がこれを問題としたのは、「心のエネルギーが溜まる」という説明が納得できないのと、この方法の単純な適応によって長引かずに済むはずの不登校を長引かせたり、就学年齢を過ぎても家から出てこない引きこもりへとつなげてしまう危険性があるからであって、この方法がまったく無効と思っているわけではありません。
 
 枯れたエネルギーの充填というのではなく、もしも「ゆっくりと休ませる」ことに別の意味があるとしたら、そこから汲み取れるエキスだけを抽出し、学校を休ませないままに同じ効果を得ることは可能なのかもしれない、そう考えると、私は一度捨てたこの方法に、もう一回立ち返ることの必要性を感じます。

同じ「ゆっくりと休ませる」を選択しながら、それが有効である家族と、逆に長い長い引きこもりへのスタートになってしまう家庭とでは何が違うのか、今こそ改めて考えて見なくてはなりません。