待つことで何が変わったか
わが子が不登校だとわかってしばし慌て、学校や担任の責任を追及したり、自分自身や配偶者を責め立て、不登校の子を叱咤したり激励したりあるいは罵倒した後、何かのきっかけで「ゆっくり休ませる」という方法を選択すると、周囲の雰囲気がガラッと変化します。
昨日までの喧騒はぱたりと消え、平和が戻ってくるのです。まなじりを決するように向かい合っていた子どもとの関係もすっかり良くなり、夫婦の関係もギクシャクしたものではなくなります。
ひところ死ぬほど心配した学力のことも、意識を転換してしまえばどうということはないような気がしてきます。すべての人間が学問で生きていくわけではないし、一流高校から一流大学・一流企業といった道は、現在ますます重要ではなくなっている。万一重要だとしても、ウチの子の実力からすればもともとそんなコースに乗れるはずもなかった。この子はこの子らしく生き生きと生きればいいのであって、何を勘違いしてあんなに必死になったのか・・・そう考えると学力すらどうでもいいことのように思えてきます。
一度「ゆっくりと休ませる」という道を選択すると状況が長引く理由はここにあります。益のないあるいは進展の見えない厳しい戦いを捨てると、すべてがうまく行っているように見えてくるのです。
それはまやかしです。しかし子どもにかけていた過重な期待をすべて洗い落とし、野心のない素直な目でわが子を見るということが、親子双方にとって悪いはずはありません。もしかしたら「ゆっくりと休ませる」という選択をして初めて、親と子は素直に向かい合うことができるのかもしれないのです。
一時期、不登校の親の会のようなものに出ていたことがあります。これが20年ほど以前なら各地の不登校の会に不登校と何の関係もない学校批判のグループが入り込んでいて、教員が参加しようものなら集中砲火を浴びて何とも居心地が悪いというようなことが多かったのですが、ここ10年ほどはずいぶんと雰囲気が変わってきました。かつては暗い顔をした母親と口角泡を飛ばす学校批判戦士の集まりであった不登校の会が、暗い表情の母親とそれを励ます明るい女性の会と、そんなふうに変わってきたとも言えます。
暗い表情の母親は、もちろん現在、不登校の一番困難な段階にいる子どもの母親で、明るく励ます方はすでにその段階を乗り越えた母親たちです。そしてその明るい方の一部に、不登校という意味ではすでに問題自体がなくなってしまった、つまり子どもが学校に戻ったり立派に社会人になったり大学生になったりして不登校と縁のなくなった女性たちがいるのです。
彼女たちは自分がこの「ゆっくりと休ませる」という方法によってわが子の不登校を克服してきましたから、新参の母親たちに向かってすぐに「大丈夫よ、ウチの子だってたいへんだったけど、今ではみんな元気に生きてるわよ」などと言って盛んに「ゆっくりと休ませる」道を勧めますので、私にとっては非常に困った人たちなのですが、その一方で、この明るさと「ゆっくり休ませる」ことへの前向きさ、そして人への関わりへの積極さ、こうしたものが不登校克服への鍵ではなかったのかと思ったりもするのです。
一般に、子どもが不登校で家庭に引きこもると、家庭内では激烈な親子闘争が始まり、時には保護者と学校の激しい抗争も始まります。しかしそれとともに、家族全体は地域や仲間・保護者同士の中で、子どもと一緒に引きこもって行きます。わが子の不登校を世間に積極的に話して行く人は稀です。そしてわが子が不登校なのに元気よく近所付き合いをしたり、友だちやPTAの会合にのんきに出て行く人も多くはありません。
しかし本当はそれでは困るのです。
最初の項で、私は「不登校の原因は人間関係不全」だと書きました。子どもが人間関係不全に陥っている以上、誰かがその子と社会の繋ぎ手にならなくてはなりません。子どもの不登校がはっきりしてくると家族全体が人間関係不全に傾いていくのは、ある程度仕方がないのかもしれませんが、そんなときこそ保護者は積極的に外部と繋がらなくてはならないのです。
「ゆっくり休ませる」ことを決断した後、様々なこだわりを振り切ってサッパリとした保護者の中から、改めて積極的に社会と関わるタイプの保護者が出てきます。子どもはそうした保護者の活動の中から、社会と交わることがそれほどたいへんではないことを、人間関係はとりあえず信用するところから始めてもよいことを、そして世の中の人たちは結構優しかったり甘かったりすることを、学んでいきます。学校に行っていた頃なら見えない家庭での親の姿も、家にこもっているとよく見えてきます。そういうことなのかもしれません。